第18話 アリア救出作戦

 夜空に物思いにひたっていたけれど、気を取り直して耳を澄ませる。


 酒場の近くは静けさに包まれているが、時折、遠くで人々の騒ぐ声が夜空を伝わって聞こえてくる。あれは宮殿での宴会の声だろう。

 夏樹がぽつりと、

「盛り上がっているようで好都合だな」

と言いながら私の手を引き、酒場の裏につないでおいた馬のところへ向かった。


 誰もいないことを確認して、武器を身に装着する。

 私は矢筒を腰に下げ弓を左手に持ち、夏樹は剣を腰に下げる。フード付きのマントを羽織り、鼻から口元を布で覆い隠す。

 こうして私たちは忍者になった。互いに装備のゆるみをバディ・チェック。顔を見合わせてうなずいてから、馬を引きつつ気配を殺しながら路地を進む。


 いつの間にかどんよりとした雲が広がっていて、見上げればどこまでも深い深淵がぽっかりと私たちを飲み込もうと口を広げているような夜だ。


 カトレウス王たちが西側の入り口から突入し、その騒ぎに乗じて私たちが北口から侵入する手はずだ。

 暗闇の中を夏樹と一緒に宮殿の北口を観察しながら、そっと息を殺して潜入の時を待つ。

 時間が経つにつれ、気持ちだけがじりじりと焦りが高まっていく。まだなの? もしかして問題でも起きたのかしら?


 そう疑心暗鬼になった頃に、遠い向こうから人々の叫ぶ声が聞こえてきた。

 夏樹とうなづきあい、私たちは宮殿に忍び込んだ。


――――。

 さすがに宮殿内の回廊はランプがともっていて石造りの回廊をゆらゆらと照らしていた。光と影を交互にくぐり抜け、足音を立てないように進む。


 やがて回廊の奥から慌ただしい空気が伝わってきた。出口が近い。人々の戦う音や叫び声が反響しながら聞こえてくる。


 曲がり角を右折すると広場に面している出口が見えた。


「なっ……」


 広場は地獄と化していた。


 思わず胸から何かがこみ上げてきて口を押さえてその場にしゃがみ込んだ。


 ひどい。なんなの! これ……。


 至るところで倒れている人、人、人。

 いくつかのかがり火も崩れて、火が散らばった向こうで今も激しい戦闘が繰り広げられている。

 夏樹が私を抱え込むようにしてくれた。背中を夏樹にやさしく撫でられると吐き気がすうっと消えていく。


 よく考えてみたら、異世界で魔物とは戦ったけれど人と人の戦いは見なかった。こんなに凄惨なものだったの……。

 鼻を布で覆っておいてよかった。きっと濃密な血の臭いが立ちこめているに違いない。


 夏樹が警戒しながらも「大丈夫か」とささやく。

 返事のかわりに小さくうなずくと夏樹がちらっと私の顔を見た。


「顔色が悪い……。ここからは俺が一人で行くよ」

 そういって立ち上がる夏樹の服の裾を捕まえた。「ダメよ。私も行く」


 拳に力を入れ、お腹に気合いを入れる。

 こんなことでくじけていられない。だって。だって! アリアが待っているのよ!


「無理だと思ったら俺に任せて、な?」

「ううん。霊水を飲んだ時から覚悟はしているの。なっくんの隣にずっといるって」

 夏樹がかすかに笑った。

「わかった。……安心してくれ。俺がお前を守る」

「うん。そして、そのあなたを私が守るのよ」

 夏樹が私を見つめる。その目を見つめ返しながらもこんな時だというのに微笑みが浮かんでくる。

「どこだって……、ずっと一緒なんだから」


 気持ちを強く持って乱戦を眺める。

 ――これが戦場。人と人とが殺し合う戦場。なんて生々しいんだろう。


 カトレウス王の軍勢の方が優勢だろうか。落ち着いて見てみると何人もの兵士が向かって右側。宮殿の西側へと突入しているのがわかった。あそこへミノス王が逃げていったのだろう。

 ということは、私たちの目的地は反対側だから、これは好都合。


 夏樹とタイミングをはかって勇気を出して回廊からするりと広場に出る。かがり火の揺れる灯りが作り出す影に紛れ壁を伝って東側の回廊に潜り込んだ。

 

 回廊に入ったところで、ほっと小さく息を吐く。

 夏樹が回廊の奥を見つめたままで、

「俺が前を。ナビをよろしく」

「了解」

 短いやりとりを交わして、私は意識の一部を天眼に振り分けた。


 脳内に宮殿をCGグラフィックのように透視して俯瞰するイメージを浮かび上がらせる。

 アリアのいる部屋へのルートを設定。室内をのぞくとアリアたちは無事ではあるけど、異変を感じて部屋の隅で固まっているようだ。

 アリア。……もう少しの辛抱よ。


 駆け足で指示を出しながら夏樹の背中を追いかける。

 右。左。右と曲がって階段を降りる。途中で何人かの兵士と遭遇したけれど、出会い頭に夏樹が当て身をくらわせて意識を奪っている。


 いくつものたいまつの横を風のように駆け抜けていく。やがて前方にアリアたちのいる部屋が見えてきた。

「あそこよ!」と指をさすと、夏樹が突然その前で立ち止まった。

 あわてて私も立ち止まり、弓を握る。この気配。…………誰かがいる。


 夏樹がすらっと剣を抜いて前方に構えた。

「ほう……。異国の者までも来ているのか?」

 暗がりから現れた男は槍を構えた。男が私を見てニヤリと笑う。


 その黒い笑顔を見た瞬間、どろりとした悪意に触れて背筋がぞぞっと震えた。私をじっとりとねぶるような目線。思わず夏樹の後ろに隠れる。


 男が薄ら笑いを浮かべながら再び口を開こうとした瞬間、夏樹の全身から怒気が放たれた。

「おい。貴様……。俺の春香を見ることも話しかけることもゆるさん」

 低くつぶやいた声の圧力に、男が慌てて槍を構えた。


 無造作に踏み込んでいく夏樹。男の槍がヒュンッと空気を切り裂いて突き出されるが、夏樹が冷静に槍の側面に剣を添えて上に払う。

 あわててバックステップして距離を取る男。


 うん。大丈夫。冷静だわ。


 対峙する夏樹は男を追いかけずに、私をちらっと見た。

 ――アリアを。

 視線だけでそう語った夏樹は再び男の前に立ちはだかった。


 男が「うおおおぉ」と叫びながら連続で槍が繰り出す。夏樹は冷静にそれを捌いていた。私の目にはうっすらと体を覆うオーラが見える。


 おそらく自分の時間だけ早めているのだろう。神たる身。大丈夫だとはわかっているけれど、それでもハラハラと心配してしまう。

 それにしても……。


 戦う夏樹の背中を見ながら思う。普通の日本人だった私たちがこんなスパイまがいの事をしているなんてね。異世界で私たちを鍛えてくれた師匠に感謝しないといけないかも。


 夏樹の戦いぶりを見るに、よほどあの男に怒っているのがわかる。ふふふ。「俺の春香」か……。

 っと、ここにいては夏樹の邪魔になってしまう。


 心配する気持ちを抑えて、私はそばの壁に掛かっているたいまつを手にとり、アリアのいる部屋に入った。


――――

 たいまつを掲げながら部屋に入り隅で小さくなっているアリアたちに呼びかける。


「アリア! 助けに来たわよ」


 普段は倉庫なのだろうか。ほこりっぽくどこか臭う。


 たいまつがアリアと子供たちを照らし出した。

 必死に身を隠そうとするかのように身体を寄せ合う子供たち。そして、子供たちを守ろうと腕を伸ばして抱え込もうとしているアリア。


 私の声を聞いたアリアが顔をキッと上げて私を見る。私が誰かわからないようで険しい表情をしている。

 たいまつに照らされて暗闇から浮かび上がったその顔は、紙のように白く鬼気迫る雰囲気を放っている。

 あ、そっか。この恰好じゃわからないかも。


 私は鼻から下を覆っている布をぐいっと下げて、

「私よ!」

と顔を見せると、途端にアリアは目を見開いて「は、ハルカ? なぜ?」とつぶやいた。


 すぐに駆け寄ってぎゅっと抱きしめ、

「よかったわ無事で! テセウスもここに来ているのよ。詳しいことは後で話すから、とにかくみんなを連れて脱出するわよ!」

と言うが、アリアは幻を見ているかのような目で私を見ている。

 私はほっぺたを叩いた。


 アリアの目に力が戻っていく。その目をじっと見つめて再び、

「テセウスも来ているわ。みんなを連れて脱出するわよ」

「テセウスもここに!」と驚きの声を上げたアリアだったが、すぐに後ろの子供たちの方を向いて、「さあ、みんな! 逃げるわよ!」と号令を出した。


 アリアが子供たちを立たせている間に、私は入り口のそばから外の様子をうかがう。

 ――夏樹の方はどうなったかしら?

 そう思ったとき、ちょうど夏樹が部屋に入ってきた。

「どうだ?」という夏樹に、黙って子供たちの方を指さす。


 アリアが子供たちを落ち着かせながらやってきた。

 13人の子供たち。おびえ、疑い、不安……。さまざまな感情が込められた目で私と夏樹を見つめている。

 かわいそうに。


 そっと女神としてのオーラをわずかに開放し、言葉に力を乗せて言霊ことだまにして語りかける。

「助けに来たわ。もう大丈夫よ」

 

 子供たちの目にも力が宿るのを確認して夏樹に向かってうなずく。

 夏樹が子供たちに語りかけた。

「今、まだミノス王との戦闘が続いている。みんなの身は俺たちで守るが油断はしないで欲しい」

 黙ってうなづく子供たち。私はアリアに一本のナイフを渡しておいた。


「今度は私が前を行くわ」

 夏樹にそういうと眉根を寄せて渋い顔をしている。

 そのまま思案する夏樹に、

「むしろ後ろから襲われる危険性の方が高いでしょ」

と言うと、うなりながらもようやく納得したのか、「そうだな。通ってきたルートだから……。だがいざというときは遠慮しないで呼ぶんだぞ」とうなづいた。

 心配する夏樹に私は黙ってアルテミス様の弓を取り出した。

「わかってる。けど私だってだてに夏樹の横にいるわけじゃないんだから」

 そう微笑むと、後ろからアリアが呆れたように、

「こんなところでも……。いや、でもこれが信頼なのかしら?」

とつぶやいている。


 再び鼻から下を布で覆い振り返る。アリアや子供たちの顔を順番に眺めて、一番後ろにいる夏樹と目を合わせた。


 さあ、行くわよ。


 私は回廊へと踏み出した。

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