第8話 古パルテノン神殿
テセウスとアリアの後に続いて、長く急な坂道を登る。
海から吹いてきた風が服の隙間から入り込んできて火照った体を冷ましてくれる。
すれ違う人の数からして、思っていたよりも普段から多くの人々が参詣しているのだろう。
「よいしょっと。……ふうぅぅぅ。到着~」
前を行くアリアがそう言いながら、額の汗をぬぐい、乱れた息を整えている。
私と夏樹も坂道を登りきり、アリアとテセウスの横に並んだ。
息を整えているテセウスが、私を見て、
「……思ったより二人ともタフですね」
と言う。まあね。身体能力は人間のレベルを完全に超えているからね。
二人の護衛たちも息切れしているところを見ると、鍛えられた彼らでも、鎧や武器を身につけたままで、休みなく登り続けることはきついようだ。
ほかの人たちが息を整えている間に、丘の上をざっと見渡す。
……テレビでは、白亜の大きなパルテノン神殿があったところに、おおよそ半分くらいの大きさの石灰岩の神殿がそびえている。
海風にさらされて薄くなってはいるが、神殿に掘られた彫刻に赤や青、黄色などの色が塗られている。これにはちょっと驚いた。
ほかにも形は似ているものの、おそらく夏樹が見れば違う点はいくらでも出てくるんだろうね。
その神殿の背後や周りにもいくつかの神殿らしきものがある。あるいは神殿に奉仕する人たちのための建物かもしれない。
男女の隔てなく神殿の前まで行っているが、そこから中へは入ることはしないようだ。
……あれれ? 神殿の前で山羊をさばいている?
隣で同じ光景を見ていた夏樹が、
「あれはね。女神アテナに捧げ物をしているんだよ」
と説明してくれた。
「建物の中へは、決められた神官だけが入ることができるんだ。それに、ほら! あそこに並んでいる人がいるだろ? おそらく巫女に神託を依頼しに来てると思うよ」
「神託?」
「ああ。依頼を受けた巫女が、中でトリップ状態になっていくつかの神託を下すんだ。神官がそれを記録して、複数の解釈を並べて依頼者に提示する。……依頼者は、その複数の中から、都合の良いものを選ぶっていう仕組みなんだよ」
「へえ。でもそれって、結局、都合の良いものを選ぶことになるのね?」
私がそう言うと、夏樹は声を落として、
「だからね。時には
「……ふうん」とうなづき返しながら、結局のところ俗っぽいなぁと思う。
夏樹は苦笑しながら「ま、そんなものさ。……それに神託はここより西北のデルポイの方が有名だしね」
ああ。聞いたことがある。デルポイの太陽神アポロン神殿ね。
夏樹が説明を続ける。
「デルポイの神殿入り口にある三つの格言がいうように、やり過ぎや無理なことは無理なんだよ。『汝自身を知れ』ってことだな」
ふむふむ。でも、なんだか話を聞くと、そっちも行ってみたくなってきた。
「ねえ、夏樹。私、そこへも――「ふう。お待たせ」」
私の言葉は、復帰したアリアの言葉にさえぎられた。
むう。……でもまあ、いいか。夏樹が「わかってるよ」といいたげに微笑んでうなづいている。
アリアは神殿前にて、神官らしき男性に何かを手渡した。恐らく何らかの金品だろう。
「さ、行くわよ」というアリアに連れられて神殿の入り口に立った。
広さは記憶の中より半分ほどとは言え、太い柱が規則正しく並んでいる。
その柱と柱の間を通り抜け、神殿の入り口まで進んだ。
ここから先は神域だ。中は、太陽の光が横から射し込んで床を照らし、正面に盾を持った女神アテナの石像が厳かにたたずんでいる。
――その時、一陣の風が吹き抜けた。
「うん?」
違和感に周りを見回すと、アリアたちが固まったように身動きを止めていた。
夏樹が、
「時間が止まってる、のか?」とつぶやいた。
私たちの後ろから誰かが近づいてくる。振り返ると、そこには一人の美しい女性がにっこりと微笑んでいた。
ブラウンの巻き毛がくるくると伸びていて、黄金に輝く盾を持っている。その身にまとった神威をひしひしと感じて、新米の神様の私たちは思わずその場にひざまづいた。
「若い神と女神よ。お立ちなさい。あなたたちを歓迎します」
その声に顔を上げた夏樹が、恐る恐る立ち上がり、私にも手をさしのべてくれる。私もその手を握って立ち上がった。
女神の神々しいお顔を見上げながら、
「貴女様はもしや……、女神アテナ?」
とつぶやくと、女神はうなづく。
え、えええ! 女神アテナ! ってあの女神アテナよね!
主神ゼウスと知恵の女神メティスとの間の娘にして、戦争と知恵、技術を司るオリュンポス十二神の一人。あの輝く盾は、もしや有名なアイギスの盾?
「ふふふ。そんなに緊張しないで。……天帝釈様より話はうかがっています」
女神アテナはそう言いながら、そばに来ると夏樹の顔をしげしげと見つめた。
その美しい瞳に見つめられた夏樹は、居心地が悪そうに、
「え、ええっと」と戸惑っている。
そんな夏樹の様子はお構いなしに、アテナは、
「どうやらこちらの若神は思慮深い様子。……安心しました。こちらの女神は……」
と言いながら、今度は私を見つめるアテナ。
思わず魂が吸い込まれそうな瞳に、わずかな時間ぼうっとしていたようだ。
「一途で心優しい。なるほど。……あなたたちはどうやら二柱で一つの権能を振るうようね」
その言葉に、はっと気を取り戻した私と夏樹が、
「「権能?」」と聞き返した。
女神アテナはくすりと笑い、それには答えることなく、ゆっくりと町の方に振り返った。
アテナイの街を眺め、愛でるようにしなやかな右手の指を伸ばすと、
「これよりこの地に嵐が来ます。その嵐に貴方たちがどのように関わるのか……」
とまるで謎かけのようなことを言いながら、私たちの方に振り向いた。
「我が父ゼウスに代わり、私があなたたちを祝福します」
その言葉に夏樹と二人並んで頭を下げる。それを見たアテナがおかしそうに口元に手を添えた。
「ふふふ。それがそなたたちの人でありし時の習慣ですか? 同じ神なのです。頭を下げる必要はありませんよ」
そんなこと言われても。相手は女神アテナだし、この神威には自然と頭が下がってしまうわ。
私はそう思っていたけど、夏樹はゆっくりと頭を上げて、
「女神アテナ様。改めてお尋ねしたいのですが、私たちの権能とは何でしょうか?」
アテナは少し考え込んで、
「いまだ定着していないようですが……、相思相愛の恋人を守護する権能がそなわりつつあるように見えます」
と教えてくれた。
相思相愛の恋人を守護する権能? ええっと、そんな大それたものが私たちに?
思わず自分の手を見つめる私の頭を、夏樹が無造作に撫でる。
それを見たアテナが微笑みながら、
「ふふふ。ですが、恋愛トラブルを生み出すエロースに似た力も見え隠れするので、気をつけなさいな。……と、大事なことを忘れるところでした」
と補足しつつ、その手にした盾を夏樹に差し出した。
夏樹がいぶかしげな表情をしつつもその盾を受け取る。
「私の盾がいずれ必要になるでしょうから、しばらく預けます。普段は亜空間にでもしまっておくのがいいでしょう」
夏樹が戸惑いながら、
「あの、これって……」
「ええ。人はアイギスの盾と呼びます」
「必要になるのですか?」と夏樹が問いかけると、アテナは黙ってうなづいた。
夏樹はありがたく盾を両手で持ち、そのまま、自らの亜空間にしまった。
それを見届けたアテナは満足そうにうなづき、私に、
「我が父ゼウスは女性に手を出すのが早いですが、あなたたちのように相思相愛の二人には手を出しませんから安心してください。
……まあ、それ以前に、今はへラによる100年正座のお仕置き中ですから、浮気したくてもできないでしょうけどね」
といいつつ、コロコロと笑い声を上げた。
うわあ。なんて。なんて魅力的な女性なんだろう!
涼やかな笑顔に思わず同性のはずの私も魅入ってしまった。やばい。惚れそう。
そんな私の考えを読んだのか、意味ありげな視線を送りつつ、女神アテナは振り返って背中を向ける。
「また会いましょう。そうですね……。今度はあなたたちの入り江でも」
と言いながら、歩み去って行った。少しずつその身体がすうっと消えていく。
その後ろ姿を夏樹と見送る。
静かな感動が私の心の中に押し寄せてきた。ただ、すごい。その言葉しか出てこない。
夏樹が、
「素敵な女性だな。あれが女神アテナか……。」
とつぶやいた。
私はうなづいて夏樹の腕に自分の腕を絡める。
「相思相愛の恋人を守護する権能だって。私たちにピッタリ!」
と言うと、夏樹もうれしそうにうなづいた。
どうやら時間が動き出したようで、不意にアリアが、
「あれ? なんでそっちの方を向いてるの?」
ときいてきた。
夏樹と二人一緒に振り向いて、
「「ちょっとね」」
と言うと、アリアは変な顔をして「あ、そう」と言いながら、何を思ったのか、テセウスの腕をひっぱって私と同じようにテセウスの腕に自分の腕を絡めていた。
突然のことに戸惑いながらも赤らむテセウスに、夏樹が微笑みながらうなづいている。
ふふふ。この二人の恋も進展するといいな。
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