第4話 お風呂

 食事が終わって私が片付けをしている間に、夏樹が二人を寝室に案内していった。

 もちろん部屋に余裕はないから、二人で一室。婚約者同士だから問題ないと思う。


 が、回廊の向こうから、

 「「ええ~!!」」

と驚く声が聞こえてきたから、男女同室ってまずかったのかな? いちおうベッドは分かれていたはずだけど。


 ダダダダっと走る音が聞こえて、アリアが飛び込んで来た。

 「ちょ、ちょっとなんでテセウスと同じ部屋なの! まずいわよ!」

と赤く染まった顔で、焦って手を振り回しながら私に詰めかけてくる。

 「ちょ、ちょっと落ち着いて」

といいながら、アリアの肩を押さえて落ち着かせる。


 「おかしいなぁ。私は結婚前でも夏樹と同じ部屋でよく寝てたわよ? ベットは別々だったけど」

 「いやいや。普通はダメだから!」


 ショック! いにしえのギリシャ人にそれを突っ込まれるとは!


 「ちょっと何を今さらショック受けたような顔してんのよ!」

 「う、まさか……。親にもダメって言われたことがないのに」とつぶやくと、

 「……それはそれで詳しく聞かせてもらいたいわね。って、そうじゃなくて。うう。ダメだこりゃ。帰ったらお父さんになんて言おう」


 頭をかかえるアリアの肩にやさしく手を置いて、

 「大丈夫よ。アリア」と言うと、アリアが顔を上げた。

 「別の部屋が――「いつかは通る道よ」」

 アリアが言いかけた言葉にかぶせて、そう言うとアリアの顔が真っ赤になって、

 「そ、そうじゃなーい!」

と叫んだ。

 どうやら思ったよりもアリアは純情なようだ。



 夏樹と気まずそうなテセウスも戻ってきて話し合いをする。

 結局、当初の予定通りテセウスとアリアで同じ部屋で寝てもらうことになり、アリアが「うー」とうなり続けていた。


 まあ、それは置いておいて。

 私は夏樹をちらっと見てから、

「お風呂があるけど、お風呂もテセウスと入る?」

とアリアにいたずらっぽく微笑むと、「お風呂?」と首をかしげた。

 すかさず夏樹がフォローを入れる。

「小さいけど温泉テルメみたいなものだよ。……ほら、アテナイにも公衆浴場があるだろ?」


 アリアはようやくうちにお風呂があるとわかったみたいで、「なっ!」と小さく飛びすさりながらすごい勢いで首を横に振った。

「いやいやいやいや」

 私はわざとらしくため息をついて、

「しょうがないなぁ。じゃあ私と入りましょうか?」

と言うと、アリアは急いで首を縦に振った。


 うん。この子、いじりがいがあって楽しいわ。

 一人ほくそ笑んでいると、肩をポンポンと叩かれて振り向いたら、夏樹が「それ以上はやめとこうよ」と苦笑していた。


 というわけで、先に私とアリア、その次にテセウス、最後に夏樹の順番でお風呂に入ることになった。


――――。

 露天風呂の水面が揺らぎ、湯気が立ち上る。

 空には今日も星空が広がり、裏庭を囲んでいる壁で夜空がぽっかりと切り取られている。

 海風がまだ肌寒い空気を運んできて、裏庭のかがり火の炎を揺らしていた。


 身体をお湯で流し浴槽に浸かると、すぐにアリアも隣に入ってきた。

「まさか個人の家でテルメがあるとはね。恐れ入ったわ」

 アリアはそう言いながら、うちの自慢の浴場を見回し、

「それに壁で囲まれたお風呂のスペース。私の家より立派よ」

と感心している。


「アリアの家にはお風呂がないの?」

「さすがに水は貴重だから……。王宮にはあるみたいだけど」


 前に夏樹が言っていたんだけど、クレタ島では紀元前2000年前の浴槽が見つかっているし、ギリシャは火山が多いから温泉も多いらしい。

 けれども、毎日お風呂には入れるようなのは王族ぐらいなのかもね。大商人の家とはいえ、アリアも普段は汗を流したり公衆浴場に行くくらいのようだ。



 お湯をすくって腕にかける。

 肌荒れとは無縁の身体神様ボディになっているけれど、不思議と肌がしっとりとつややかになったような気がする。

 ……海が近いから、普通の人は肌とか髪にダメージが表れやすいんだけどね。


 アリアがちらちらを私を見る。

 「ええっと、何かしら?」

と尋ねると、言いにくそうに口をもごもごしながら、私の胸をじいっと見つめてきた。


 すっと腕で隠しながら、

 「そんなに見られると恥ずかしいんだけど」

と言うと、

 「女神像より体型がいいってどういうことなの? どうすればそんなに……、大きくなるの?」


 おかしいな。大学生になる頃にFカップになってから、サイズの変動はないはずなんだけど。それに……、私も女神ですから!


 そんなことを思いながらアリアの胸を見ると、今のところはBというところかな?

 でも中学生くらいの年なんだから充分だと思うけどね。

 「アリアはまだ若いんだから、これから大きくなるわよ」

と言うが、どうもアリアは納得していないみたいだ。


 ふふふと含み笑いしながら、

 「しょうがないなぁ。秘密を教えてあげましょうか? 私もね。夏樹に好かれるように胸が大きくなるように努力していたから」

と言うと、アリアは少し恥ずかしそうにうなづいた。

 「体操よ」

 「体操?」

 「そう。バストアップ体操っていうの。毎日少しずつだけど、欠かさずに続けることが大切よ」

 「へ、へえ。……で、どうやるの?」


 神妙な表情のアリアに、私のやっていた体操を教える。

 「まずは左からで、外側から中央に向かって大きく…………。そうそう。次は上下に…………」

 私の指示通りに実演するアリア。

 ……2階のテラスで、夏樹とテセウスが聞き耳を立てているっていうのは内緒にしておいた方がよさそうね。


 一通りの体操を教えてから、

 「普段の服も、胸を支えるように工夫した方がいいわよ? でないと年を取るとだんだんと垂れてきちゃうから」

 「うん。……なるほど。勉強になるわ!」

 力強くうなづくアリアを見ながら、

 「テセウスのためなんでしょ? いやあ。テセウスってば愛されてるなぁ!」

と少し大きめの声を出して言うと、アリアが慌てたように、

 「ちょっと声が大きいって」

と抗議する。


 それを無視しながら、アリアにニッコリとほほえみかけながら、

 「でもさ。テセウスもアリアにぞっこんって感じよね」

と言うと、アリアが急に自信なさげに、

 「そ、そうかなぁ」と指をいじりはじめた。


 テラスの方から、息をのむような雰囲気が伝わってきたけれど、アリアは気がつかずに、

 「テセウスってね。どうも胸の大きな少し年上が好みのタイプみたいで、……油断できないのよ」

と言う。


 テラスにいるテセウスが焦ってあわあわとしているのを感じながら、私は苦笑した。

 向こうは向こうで楽しそうだ。


 アリアのつぶやきはつづく、

 「一緒にいても他の人の胸をチラ見してんのよねぇ。ハルカの胸だって、ちらちら見られてるでしょ」


 その途端、2階のテラスから「いてっ」という小さな声が聞こえてきた。夏樹がげんこつを落としたのだろう。

 アリアが怪訝そうな表情で「何か言った?」と聞いてきたので、テラスの光景を想像しながら、首を振って「ううん。なんでも」と誤魔化しておく。


 見られているのはわかっていたけど、中学生くらいの男の子がチラ見するのは仕方が無いと思う。

 ただ夏樹は学生の時もの胸だけチラ見してたし、ガードするつもりで私から押し当てたこともあったけどね。


 そんなことを考えていると、アリアがむすっとして、

 「また一人でニヤニヤしてる!」

と突っ込んだ。


 「あはは。ごめ~ん。……でもさ。あれくらいの年の男の子は仕方ないと思うよ。夏樹以外は」

 「それはそうだけど。納得がいかない。ってか、さらっと惚気のろけたわね」


 「下手に抑圧しちゃってさ。幼女スキーとか、熟女スキーになっちゃうと困るし、ある程度は見逃してあげたら?」

 「しかも惚気はスルーだよ! それに、よ、幼女スキー? 熟女? そ、それって困る!」

 「でしょ? ……そう考えるとさ。たしかにアリアがバストアップ体操するのが一番の正解だね」


 アリアはため息をつきながら、自分の胸を見下ろして、

 「はあぁぁ。どれくらいかかるのかなぁ」

と言うので、私はアリアに身を寄せて、耳元で、

 「彼氏に触ってもらうと大きくなるという説もあるけど……」

とぼそっというと、真っ赤になって「な、なななな!」と叫んだ。

 うん。いい反応!


 笑いながらすぐに「下世話な迷信だけどね」とばらしたら、「このおっ!」とお湯を引っかけられた。


――――。

 お風呂上がりにアリアとリビングの籐のソファでまったりとしていると、

 「ふうぅぅ」

と言いながら、お風呂を済ませたテセウスもやってきた。

 黙ってアリアが端っこによると、当然のように空いたところにテセウスが座る。


 ……息がぴったりなところは、私と夏樹みたいよね。

 そう思いながら、ハーブティーをテセウスに入れてあげる。


 テーブルの上のお皿には、お手製のジャム入りクッキーが並んでいる。

 テセウスがそれを見て、

 「これって一口サイズのピタパン?」

と手にとって、珍しそうに眺めた。

 アリアは何故か自慢するように、「食べてみたら?」とテセウスに言う。それ作ったの私なんだけどね。


 一口食べたテセウスが、

 「これ、おいしい」

と驚愕の表情で手にしたクッキーを見つめた。

 アリアが、

 「さすがは世界は広いわ。お茶にぴったりよね」

と言うとテセウスもうなづいて、

 「なかに果物のジャムを練り込んでいるのか……。なるほど」

と分析している。


 このクッキーは、山羊のバターを使用して、小麦粉とブドウのジャム、そして蜂蜜を練り込んで焼いたものだ。もちろん、夏樹の好みの逸品です。

 なかなか好評なようで、さっきアリアから作り方を教えて欲しいとお願いされたので、明日一緒に作る約束をしている。


 その後、お風呂からあがってきた夏樹も交えておしゃべりをして、明日は入り江の砂浜へ行くことに決定した。

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