第3話 少年と少女

 男の子も女の子も普通の民衆の着るようなものではなさそうだし、何より腕輪や首飾りなどの装飾品をしている。どこかの貴族か商人の子供だろうか。


 見た感じだけれど、気が強い女の子に男の子が引っ張り回されているという印象がある。……男性社会の中で女の子の方が強いなんて、まだ子供だから許されるのだろうけど。

 視界の端っこで、さっきのお店のおじさんがなにやら慌てて飛び出してきたのが見えた。


 夏樹が穏やかに、

 「夏樹といいます。おっしゃるように一ヶ月ほどまえに、遙か東方よりこの島に来たところですよ。……こちらが妻の春香です」

と挨拶すると、女の子はうなづいて、

 「私はアリア。こっちはテセウス。アテナイから来たの。……って、そんなことより、遙か東方ってアッシリアより向こうなの?」

と尋ねてきた。


 それを聞いた夏樹は少し警戒しながらも、

 「はい。アッシリアより向こう。エラムのさらに、さらに向こうですよ」

と答える。

 とたんに女の子は目を輝かせて、「すごい!」と小さくつぶやいた。


 ……夏樹が警戒するのもわかる。私にはわからない地名だけど、この子、世界地理の感覚を持っている。明らかに支配者階級かそれに近い子供だ。

 うん? まてよ。アリアにテセウス? どこかで聞いたことがあるような……。


 私がそんな事を考えているうちに、アリアは、駆けつけたおじさんに向かって、

 「私たち、二日ほどこの人たちのところに行ってくるから。よろしく伝えておいて」

と告げた。


 「「「え?」」」

 私たちとおじさんとが同時に素っ頓狂な声を上げた。何を言ったのか理解するのに時間がかかる。


 フリーズしていたおじさんが気を取り戻して、

 「ちょ、ちょとお待ちください。それは……」

と言いかけると、アリアがじろっとおじさんを見てから、隣の男の子に、

 「テセウス! あなたからも何とか言いなさい!」

と強く命令すると、男の子は申し訳なさそうに、

 「あ、ああ。……悪いけど、ペイリトオスにそう言っておいて。二日後には必ず戻るよ」

とおじさんに言う。


 けれども、おじさんは引き下がらない。

 「し、しかし、他国の者の所に行かれて、もしものことがあったら何とします!」

とテセウスに迫るが、アリアはおじさんの手をぱしんと叩いて、

 「そういうときの為にペイリトオスがいるじゃない。……まあ、この二人なら大丈夫よ。お人好しそうだし」

と私たちを指さした。


 私も夏樹も二人して、ヒクヒクと頬が引きつっているのがわかる。

 夏樹が心のこもっていない笑顔を見せながら、 

 「おじさん。俺たちはアポロナスの近くの入り江に住んでいる。2日後に向かえに来てくれるとうれしいかな」

と言うと、アリアはおじさんの返事も待たず話は終わったとばかりに、「じゃあ、決まりね!」とテセウスの手を取った。

 まったくこの子は……。


 おじさんは夏樹の耳元に口を寄せると、

 「もうこうなったら、お嬢はテコでも動かない。……いいか。くれぐれも頼むぞ。この二人に何かあったら戦争になるからな。それから俺の名はゲオルギウスだ」

と言った。

 私は思わず直接おじさんに、

 「っていうか、この二人って誰?」

ときいてしまった。おじさんは声のトーンを小さくして、

 「アテナイの王アイゲウス様の息子と、その婚約者のアリアドネ様だ」

と教えてくれた。


 はっ? 王様の息子と婚約者? それにアリアドネって? えええ!



――――。

 二人を荷台に載せて、私たちの馬車は進む。

 幸いなことに特に何事もなく入り江に戻ってくることができた。


 太陽がすでに西へと傾き、オレンジ色に染まる入り江。小道を馬車がゆっくりと下りていく。

 荷台から身を乗り出したアリアが、入り江と私たちの家を見て、

 「へぇ。なかなか良さそうなところね」

と言う。


 アリアは、ナクソスの港での我が儘な態度とは打って変わり、ここまでの道中もどこか浮かれたような様子で、周りの景色を見ながらずっとおしゃべりをしていた。

 私たちには敬語禁止と言ってきて、「アリア」と呼ぶようにとのこと。きっと愛称なんだと思う。


 ……おそらく普段は家の中に閉じこもっていて、外にお出かけするにもお付きの人とかがいたのだろう。

 この若さで窮屈な生活をしている。そう思うと少しかわいそうに思う。

 とはいっても同情されるのは嫌いでしょうね。この性格だと。


 私は荷台を振り返り、つとめて明るい声で、

 「手入れするのに苦労したのよ? まあ、短い間ですけどゆっくりしてくださいな」

と言うと、二人とも素直にうなづいた。


 家の前に到着して二人が荷台から下りると、馬車は夏樹に任せて、私が二人を連れて先にリビングに案内することにした。

 まだ外の陽が残っているうちに玄関横のランプに火をともし、二人を中庭の見えるリビングに連れていく。


 二人に作り置きの水出しハーブティーを出してから、

 「悪いけど、馬車から荷物を下ろさないと夕飯の準備ができないから、ちょっと待っててね」

と告げて、裏口から外に出る。


 かたわらに立てかけてある荷車を押しながら馬車に向かう。

 夏樹がすでに荷物を玄関先に下ろしてくれていて、今は馬具を外して、放牧している山羊たちと一緒に馬を畜舎に入れているところだった。


 玄関先の荷物を荷車に載せて、夏樹に「早くしてね!」と呼びかける。

 「すぐ行くよ」と手を振る夏樹に微笑んで、荷車を押して裏口に向かった。


 裏口の扉を開けると、キッチンの中を二人がうろうろを動き回っていた。

 あちゃぁ。氷室は勝手に開けられないようになっているけど……。思わず冷や汗が背中を流れる。

 キッチンには、胡椒とか、数種類の包丁とか、明らかにこの時代のギリシャに無いものが揃っているのよ。


 アリアは目を輝かせながら台所を見て回り、テセウスは「だめだよぉ」と言いながらついて回っている。

 ……典型的なヘタレ男、結婚したら奥さんの尻に敷かれるタイプと見た。

 でも今はしっかり捕まえておいて欲しかった。


 内心の焦りを表面に出さないように、

 「なにしてんの?」

と声をかけると、アリアが水道代わりの壺を見て、

 「ね、これってすごいわね! 誰が考えたの?」

ときいてきた。


 あれ? もしかしてこれもオーバーテクノロジーだったかしら?


 いぶかしく思いながらも、

 「二人で試行錯誤して作ったのよ。こうすると便利でしょ?」

と言うと、何が琴線に触れたのかわからないけど、

 「これが異国の知恵って奴ね!」

と一人で完結している。


 う~ん。アテナイなんかだと、水路とかありそうだけどな。それの応用ってことでごまかせるよね?


 ……この分だとお風呂は要注意かも。

 興奮しているアリアを見て、内心で不安がふくれあがっていく。いつ自分が知らないところでやらかさないか心配になる。


 ……夏樹。早く戻ってきて!

と思ったとき、とつぜん後ろから、

 「ただいま!」

と夏樹の声がして、「ひゃっ」とビックリして飛び上がった。

 「もう! 驚かさないでよ!」

と言いながら、軽く夏樹の上腕を叩く。

 ごめんごめんと言う夏樹の手には、荷車に乗せていたお米の袋をもっていた。


 テセウスとアリアに台所から出て行ってもらい、順番に夏樹から荷物を受け取り、それぞれ収蔵庫に入れていく。

 最後のオリーブオイルの入った取って付きの壺アンフォラを受け取ると、夏樹は、

 「じゃあ、ちょっとお風呂の準備してくるから」と小さい声で告げて、裏口から出て行こうとする。

 「……ま、待って! 行かないで!」

と思わず呼び止めると、困ったように微笑みながら、

 「しょうがないなぁ。寂しんぼさんめ」と私の頬にキスをしてくれた。

 いや、そうじゃないんだけどね……。


 夏樹が私にキスをするところを目撃したテセウスとアリアが、赤くなりながらチラチラとこちらを見ている。

 うん。視線が痛いけれど、無視をして晩ご飯の準備をはじめましょう。


 私がご飯の準備を始めると、なぜか三人ともカウンターから何を作るのかのぞき込んでいる。

 なにこの緊張感。夏樹まで何故にのぞき込んでいるのかしらね。


 まあいいかと苦笑しながら、

 「時間がかかるよ?」

と言いながら、野菜と燻製のお肉と昨日釣り上げたスズキを取り出す。


 まずタマネギを洗って、食べやすい大きさに切る。かまどに火を入れてお鍋を載せ、オリーブオイルを垂らしてじっくりと炒める。

 透明になってきたらお水を入れて、お湯が湧くまでそのままにしておく。


 その間にスズキの鱗をとって洗い、三枚に下ろして人数分の切り身に分ける。そこに塩をすり込んで、フキンで水気を取っておく。


 お鍋が煮えてきたら燻製のお肉をナイフで削りながら入れて、セロリとハーブを投入。ある程度、味がなじんできたころにまろやかさを出すために山羊のチーズを少し入れ、最後にお塩で味を調える。


 つづいてフライパンを火に掛けてオリーブオイルを多めに入れて熱し、スズキの切り身を皮の方から炒める。

 ジュッといい音がすると、テセウスとアリアがゴクリとつばを飲み込んだ。

 しばらくは軽くヘラで切り身をおさえたり、熱々のオリーブオイルをすくっては切り身にかける。


 火も通ってきて、そろそろいいかなってところで切り身をひっくり返し、

 「さあ行くわよ」

と調理を見続ける二人にほほえみかけて、さっと白ワインをかけてフライパンをちょっとだけ傾ける。

 するとワインのアルコール分に火がついて、ぼっと火が燃え上がり、二人が、

 「「わっ」」

と驚きの声を上げた。

 そのまま得意そうな表情をしながらフランベするが、アルコール分がさほど高くはないのですぐに火が消えた。

 まあ、視覚効果は充分でしょう。


 大皿に切り身を並べて上から熱々のオリーブオイルを少しかけ、切ったレモンを添えて完成。

 夏樹にお願いしてダイニングに運んでもらい、ついでにアリアに人数分のコップと作り置きの水出しハーブティーの瓶を持って行ってもらった。

 お鍋のスープもいいころなので取り分けてカウンターに置き、「これをお願い」とテセウスに言う。

 王子らしく戸惑っているテセウスに微笑みながら、「よろしく」と任せた。


 私は手を洗ってから、食事の量が足りなかった時のために、ピスタチオとハーブ漬けの燻製肉、山羊のチーズを用意して、三人の後からダイニングに向かった。


 さっそく私と夏樹が並んで座り、向かい側にアリアとテセウスが並んで座る。

 ハーブティーで乾杯してから、にぎやかな食事が始まった。


 さっそくスズキのポワレを口にした二人が、

 「「おいしい!」」

と異口同音に感嘆の声を上げた。


 単にオリーブオイルで焼いただけなんだけどね。

 それでも喜んでもらえてうれしいので、微笑んで、

 「お口に合ったようでよかったわ」

といいながら、静かにハーブティーを口にする。


――――。

 アリアが私たちに東方の話をせがむ。テセウスも無言だけど期待しているみたいだ。


 夏樹はすこし考えて、

 「そうだなあ……。アッシリアの向こう、エラムをさらに向こうに進む。ずっとずっと行くと、大きな山々の姿が見えてくる。

 夏でも雪を冠し、旅人の侵入を拒むまさに神々の住所にふさわしい山々がそびえているんだ」


 アリアは少し考えて、

 「そこってオリュンポスよりも高いの?」

 「う~ん。まだオリュンポスを見たことがないからわからないけど……。あるいはそうかもしれないね」

 「へえ。とすると、ティターン神族やウラノス神が住んでいたところかも」

 「ははは。だけど、俺たちは山には入らずに裾を北にぐるっとまわるかたちで旅をしたんだ。乾燥した風の大地を進んで、時には山賊や猛獣に襲われたりしてね」


 夏樹の話を聞く二人の表情がコロコロと変わって面白い。きっとこれが素の表情なのでしょうね。


 微笑みながら一緒に夏樹の話に耳を傾け、一段落したところで、

 「そういえばお二人さんは将来、結婚するのよね?」

と言うと、アリアが照れたようにそっぽを向いて、

 「テセウスったらあまりにも女の子にモテないから。私が結婚してあげるのよ」

とぶっきらぼうに言う。

 その隣でテセウスが、

 「いや、だって近寄ってくる女の子をアリアがにらみつけるから……」

と小さくつぶやいた。


 くははは。なるほどなるほど。……いやあ、甘酸っぱくていいわねぇ。


 内心でそう考えていると、アリアがじろっと私と夏樹を見て、

 「二人してニヤニヤしてるけど、何か文句あるわけ?」

 思わず「ぷっ」と吹き出してしまった。が、夏樹は落ちついて、

 「いやいや。……テセウスは愛されてるなぁって思っただけさ」

とアリアをなだめる。

 「そうよ。私に感謝しなさいよね」

と言うアリアに、「あはは……」と笑いながらも、満更でもなさそうなテセウス。


 この二人。いい夫婦になりそうね。

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