第12話 鷹の眼

6日前――セクマディ―魔王の城。


「魔王様!!魔物共が逃げていきますっ!!」


魔王と呼ばれた者は、頭の先から爪先まで黒鉄のフルプレートに身を包み素顔の見えない男は、深々と玉座に腰掛けたまま伝令に駆け込んできた兵士を見下ろした。


「……好きにさせよ」


魔王は動揺一つする事なく言うと、興味が無さそうに手をひらひらと振りつつ途中で手を振るのを止め、フルプレートだというのに足を組み、器用にその上で頬杖をつく。そしてふと思いついたように問いかけた。


「少し噂を聞いたのだが…ここ最近、我が魔王軍の兵達を騒がせる者達が出たそうだな?」



魔王の問い掛けに、伝令兵は片膝を着いたまま頭を下げる。


「はっ!、何分詳しい事はまだ分かってはおりません!…ですが聖騎士団とだけは聞いております…噂ではバズズ将軍が敗れたのも聖騎士団だったとか…」


魔王はいたって冷静、否、どこか楽しんでいるような雰囲気を醸し出し、貧乏揺すりのように左右に身体を震わせる。


「ほう…それだけ力ある者に討たれたのだ、バズズの奴も本望だったろうな…して、その聖騎士団とは?…」


しかし、伝令兵は期待に添える事を拒む様に、首を横に振る。


「それが…これはネビル・アグネシアにいる内通者からの情報に過ぎず…何分、戦場で立ち会った魔王軍は壊滅しているようでして、人数は疎か…詳しい事はまだ…」



その返答に、魔王は実に気分を害されたような不満げな溜め息を漏らす。


「【鷹の眼】を呼べ」


「既に…御前に」


魔王の一言で、まるで初めからいたかのように何処からともなく前に現れ、膝を折ったのは幼さを残す顔立ちに、東洋の出身を思わせる黒い髪にキツネのように薄い目をした少年――質素な革の鎧に上から紺のマントを羽織り、その背には小柄な体格には会わない大弓を担いでいた。


「…今までの会話は聞いていたか?盗み聞きとは関心せんな…」


魔王の冗談まじりに問えば、鷹の眼と呼ばれた少年は顔を上げて小さく頷いた。


「ならば話は早い…今よりネビル・アグネシアに乗り込み、聖騎士団についての情報を厚めよ…接触し、可能なら仲間に…拒んだら殺せ」


「御意のままに」



そして鷹の眼と呼ばれた少年は、まるで初めからその場には居なかったかのように気配を消した…。




それから10日後―ネビル・アグネシア―


「すみません、聖騎士団…とは何ですか?」


首尾よくネビル・アグネシアに侵入した鷹の眼は、名を偽り、東洋からの流れものに扮して侵入していた。此処まで、特に異常は見受けられない。あったとするならば、入国の際に名前を問うだけという不思議な検問が行われていた事位である。そうしと鷹の眼は、聖騎士団に憧れる少年を装い、手頃な兵士を捕まえて尋ねた。



「なんだ?坊主…聖騎士団を知らないのか?」



兵士は目は細くキツネのような印象の鷹の眼の外見と問いかけに首をかしげ、怪しむ様な目付きで鷹の眼を見つめる。



「お前…、何処から来たんだ?見ない顔だな」


そう言われた鷹の眼は、自分の腰に差した刀を掴んで抜き、差し出した。


「ほう…そりゃ東洋の刀って奴だな、てえ事は東洋からの流れ者か?…珍しい事もあるんだなぁ…あっちは鎖国していて出国だって厳しいらしいのに」


勿体付ける様な言い回しをしつつも、男は鋭い眼光で鷹の眼を観察していた…が、その内にどうやら警戒が溶けたらしく男の肩から力が抜ける。


「…よし、教えてやるよ」


そういうと兵士は鷹の眼に、聖騎士団について彼の知りうる限りを教えてくれた…もっとも彼のような下っ端が知ること等この街の人間ならば誰でも知っているニュースにすぎないが…。


「聖騎士団…団員四名…」


鷹の眼は、口に出しながらもメモ帳に、兵士から聞いた聖騎士団の構成人数を聞くなりその少なさに驚き、愕然とした。


「たった四人の騎士にバズズ将軍が?…」


鷹の眼は驚きで開いてしまう口元を押さえながらも収集した中央の噴水広場で兵士達が集めた情報を確認する。


「聖騎士団を指揮するのは、今は亡きゲノム王国の王子【エリオール・ド・ゲノムⅣ世】…現在聖騎士団は、遠征先のアレクセイから帰国し、石地区に設けられたゲノム王国軍専用の駐屯地に在中」


メモ帳を書き終えた鷹の眼は立ち上がり、メンバーを詳しく調べるためにまずはそれぞれがよく顔を出す場所に足を運ぶことにした。


「おにーちゃん」



突然声をかけられた鷹の眼は跳ね上がり、背後を振り返る。そこには腰程までの緑掛かった不思議な色をした長く美しい黒髪に、白に青の縁取りをしたワンピース姿に身をやつした同年代位の女の子がいた。その小さな手には鷹の眼の財布が握られている。


「落としたよっ」



青く透き通る瞳に天使の様な整った顔立ちから放たれる屈託のない笑顔に、その属性に耐性がない鷹の眼は思わず視線を反らしてしまう。


「どーしたの?」


少女は不思議そうに首を傾げている、鷹の眼は思わず反応してしまった事に動揺しながらも少女の瞳を注視する。


「?…」


困惑する少女の目に敵意の色は見当たらず、鷹の眼は財布を受け取る。


「ありがとう、助かります」


「気を付けてよね!」


少女はぺちりと小さな手で鷹の眼の尻を叩き、アイスクリーム屋の方へ駆けていった。


「……」


不覚にも、一目惚れだった…鷹の眼は叩かれたヶ所を何度も撫でつつも、小さな溜め息を吐いて思考を切り替えた鷹の眼は、アグネシア石地区にある救護所へ向かった―。



場所は石地区の中央、その広間に白い天幕があった、外にはベンチが配置してあり沢山の市民が行列を作り並んでいる。此処では聖騎士団員、魔法使いマリアが回復の魔法を使い、アグネシアの市民を治療しているのだという。



「次の方どうぞ〜」


そうこうしていると、天幕の中から透き通るような間延びした少女の声が通り抜け、天幕の中から声の主たる紫がかった白髪にクリーム色のローブという格好をした少女が顔を出すなり、ぐったりとベンチに座っていた青年の側へ行き、頭に手を当てるなり青年が青く光る。


「…うおおお!!みなぎるううううおあああああああ!!!!」


青年はシャツを破り捨てて逞しく雄叫びを挙げ、走ってどこかへ行ってしまう。


「あれが、魔法か…マリア」



魔法を初めて見た鷹の眼は、一種の感動を覚えつつメモ帳に情報を記入し、カメラという都会の機会でマリアを撮影、速やかにその場を立ち去る。


「わっ!!」



突然、目の前に何かが飛び込み鷹の眼と衝突した。それは先程の少女、鷹の眼に当たった少女は弾かれて尻餅を付いた。


「だ…大丈夫かい?」


偶然?と考えながらも鷹の眼は、尻餅をついて涙目になっている少女に手を貸し立たせる。


「気をつけなさいよっ!!もう!!」

少女は鷹の眼を見ずに焦った様子で身体を叩いてから、また風のように走って行った。


「………まさか、ね」


鷹の眼はまさか自分がスパイだという事がバレているのでは?という不安に襲われる。しかし瞬間的にその思考を頭から追い出した。何故ならば…


「……あんなに可愛い女の子が、そんな事出来る筈ないもんな…」


惚れていた…鷹の眼はついついそんなふうにいいつつ叩かれた部分を撫でながら口元を笑わせた。



「?」



マリアは急にキョロキョロし、背伸びして辺りを見回す。


「あれ?いま…隊長がいたような…」


「マリア先生…早く治しておくれ」


不穏な気配に表情を歪めるマリアだったが、考える暇なく、次の老人を支えて奥へ連れていく。


「つぎは…」



次に鷹の眼がやって来たのは石地区で唯一の酒が飲める店である。


「いらっしゃいませっ」


中に入ると、入り口にいた給仕服の女性が声を掛けてくる。昼時だからか中は込みあっており、給仕服の女性や男性が慌ただしく駆け回り、食事を配給している、そんな中で一際目立つ鍛えぬかれた大きな身体をした男が一人、だらしなくカウンターにつっぷした姿勢で座っている。それは鷹の眼もよく知る人物であった。



「やはりラルフ・ブラッドマン!?…ヤツが大人しく仕えているのか?……いったい聖騎士団のトップとは……」



【狂戦士】誰の指示も従わず、敵味方関係無しに殺し尽くすラルフ・ブラットマンに指揮官達がつけたあだ名である。そんな彼の悪名はセグマディにいた鷹の眼の耳にも届いており、その余りの暴虐無尽ぶりに困り果てた魔王の側近からの命令で彼を監視する時期もあった位なのだ。


「……」


ラルフが魔王軍を裏切ったことは知ってはいたが、どんな指揮官でも使いこなすことができなかったラルフを見事に従える指揮官とはどんな人物なのか…鷹の眼はそんな想像をしながら、酒場を後にした。


「…ふう…柄じゃねーわな」


ラルフはマスターから受け取った酒のグラスを一気に仰いで飲み干すと、席を立った。




ラルフ、マリアと順に偵察を済ませた鷹の眼は、噴水広場へと戻って来ていた、三人目の聖騎士団員を待ち伏せする為だ。


「グリフォード・ロベルト…通称【迅雷】…」


鷹の眼は一般人を装って噴水に付けられたベンチに腰掛け、屋台で買った焼肉の串をかじりながら、グリフォードの様子をうかがう。


「グリフォード様ぁ、受け取ってください〜」


年齢を問わない女性の群れが、警護中らしいグリフォードを取り囲んでは騒いでいる。


「…ふむ」


メモ帳を取り終え、最後に…この聖騎士団を束ねる隊長の情報を纏める。名前は不明、性別は女だという…民間人からいくら聞いてもそれ位しか有効な情報は手に入らなかったあとは、素手で魔族の王、ゼリム・リット・レオナルドを素手で倒したという伝説もある。

「使えない情報ばかりだ…」


鷹の眼はため息混じりに立ち上がり、城へ向かおうとした、その時……。



「調べ物は終わったかしら?」



声に気付いた時、既に彼女は隣に座っていた…。それは先程から何度もあった少女だった。鷹の眼は驚きに薄い目を見開き、少女をまじまじと見てしまう。長い髪に幼さを残す顔立ちは美少女といってもいいほどに美しく…思わず見惚れてしまう程だ…しかし、そんなことそんなことよりも…鷹の眼は心臓が高鳴り、動かない唇を何とか開らかせた。



「自己紹介…よろしいですか?」


その言葉に、少女は小悪魔のような笑みを浮かべて胸を張る。


「フリル・フロル…聖騎士団の隊長よ、あんたは鷹の眼よね?」


そこで鷹の眼は瞬時に悟る、自分の行動がいつの間にか監視され続けていたことに。鷹の眼は口惜しさに歯を食い縛りフリルを睨みつけた。


「まあ、まちなさいよ…いまからガチでやりあうのも悪く無いけどさ、少しだけ話そうじゃない…どうせあんたに勝ち目は無いんだし」


唯我独尊とはこの事だ、ふてぶてしくも隣に座ったままのフリルは嫌味な笑みを浮かべ、鷹の眼の様子を実に満足そうに見つめている。


「よお、鷹の眼」


少女のみに気を取られていたその間に、彼の周りにはは左にラルフ、そして右にマリアがおり、背後の噴水ごしから殺気を感じる事に、背後も先程通り過ぎた筈のグリフォードに塞がれているのだと悟る。


「た…鷹の眼?何ですかそれ?」


鷹の眼はとぼけると、ラルフは眉をしかめ身を乗り出す。


「待ちなさいラルフ…焦る必要は無いわ」


ラルフが何かをする前に何故かフリルが手で彼を制止した。



「な!…なにいってんだ隊長!!こいつは…」



「ラルフ、アイスクリーム食べたい!あたしサイダー味ね」


フリルはびしりとアイスクリームの店を指差した。


「いやっ…でも」



「ほら、行きますよ」


ラルフは何か言いたげな顔をする、が、その手をマリアに掴まれて連れて行かれた。


「グリフォード、あんたも警護に戻りなさい…」



フリルの一声で、聖騎士団の三人は鷹の眼を押さえていた囲いを外していく。こんな人に常識は通用しない、鷹の眼は観念した…。


「……いつ、ボクがスパイだと気付いていたんです?」


鷹の眼は小さくつぶやくと、フリルは頷く。


「入国した時♪スパイをやるならもう少し自分に目を向けて目立たない事ね…」



鷹の眼はフリルに敵意が見当たらないのに少しだけ疑問に思いながらも空を仰いだ。


「……なっ…でも」


フリルは楽しそうに足をパタパタ動かしながら。


「あなたが入国した時に名前、聞かれたっしょ?」


フリルは懐から一枚の紙を取り出すと、親切にも差し出してくる。鷹の眼は奪いとるように紙を取り中身を見ると、今度こそ驚愕に目を見開いた。



それは、確かに名簿だった。鷹の眼にとっては、あくまで入国に必要な手続きとして入国の際に受けた質問に過ぎなかった、一見は単純に名前を言えと言われ、聞いた兵士が名前を書くだけの単純作業だった。しかし名簿の端には人種という欄があり、そこに東洋人と書かれている事に気付く。


「現在東洋とその周辺の近隣諸国は鎖国状態でしてね?、周辺大陸や自国からの船の出入りをしていないの。つまりこの時期に東洋人が海路からやって来るのならば…海に出る手段がある港を持っている街から出るしかない。そしてアグネシアとアレクセイ王国を除けば全て魔王の領土となっている現状から、貴方と貴方を乗せてきた船の乗組員は全て魔王軍であると断定するのは必然よ、それに検問に当たってたあたしの部下達は、みんな元は魔王軍なのよ?。海路だろうが陸路だろうが魔王軍の部隊であることなんてすぐわかる。さらに、東洋人でピエールなんて名前もいないしねえ?…因みにあたしが此処まで特定するきっかけになったのは名前よ?」



たったそれだけで看破されたのか!?鷹の眼は自らの単純なミスともいえないミスに冷や汗を垂らす。これが聖騎士団の隊長…このちいさな女の子の持つ推理力と感の鋭さは、魔王軍の軍師とて太刀打ちできないだろう…。


「……」


鷹の眼は悔し紛れに名簿をフリルに突き返すと、彼女はそれを丁寧に受け取る。


「で?、用件は何かしら」


唐突に切り出してきた質問の意味が、鷹の眼には分からなかった。鷹の眼の反応からそういう雰囲気を感じ取ったからか、フリルはため息混じりに言った。



「わざわざ武器も持たずに部下を下がらせてまで接触してあげたんだから、何も無いなんて無いでしょ?魔王様からの有難いお言葉をお聞かせ願いたいわね?」


「えぇと…」


「はい!、解ったからいいわ。答えはNO、次はあたしからの要望いいかし…」



フリルの見事な言い回しでさっさと先送りにされてしまう、しかし、その一瞬、ほんの僅かな隙を見せた途端、鷹の眼は素早く立ち上がりながら腰の刀を抜き放ち、フリルの首へと走らせた。


「…!!?」


驚きの声を漏らしたのは鷹の眼の方だった。普通ならこの愛らしい少女の首を空に飛ばしてお終いだった筈だ、だが刃はフリルの首を跳ねることなく途中で止められた…。それも親指と人差し指のみで刃を摘み、受けとめていた事に鷹の眼は驚愕する。


「せっかち…ねっ!」


次の瞬間には小さな手が刃を掴んでねじりこみ、刀を引いてフリルの手を切り裂く暇も無いままに、鷹の眼の小柄な身体が宙を舞い、地面に叩きつけられて刀を手放してしまう。


「がはあ!!」



それは鮮やかで優美な…不思議な投げ技だった。背中を地面ち叩きつけられ息も出来ずに呻く鷹の眼に、フリルは涼しげな顔で座ったまま見下ろしている。手を浅く切った様で、奪った刀を膝に置き、右手で左手を抑えて止血していた。


「う〜ん!…まだ未熟、だけど見所があるわっ。あなた、聖騎士団に!…」


フリルが何かを言いだす前に、鷹の眼は足をもつれさせながら慌てて逃げだした。


「…やーい振られてやんのっ」



タイミングを計るかのようにアイスクリームショップからラルフとマリアが戻ってくると、ラルフは嫌味を口に出す。


「…隊長、追わなくていいんですか?」


マリアの問いに、事も無げにフリルは首を横に振りながら膝の刀を地面に突き刺すと、ラルフからサイダーシャーベットを奪うようにとった。


「いいのよ、別に!」


そう言いつつも、悔しそうな顔を浮かべてシャーベットにかじりつく。


「…おいおい隊長…」


「なによっ、追わないっていったでしょ?」


同じ事を聞かれ苛立ったフリルは頬を膨らませてラルフを睨む。だがラルフはそうじゃないと苦笑しながら首を横に振り、手を差し出してくる。


「金」フリルは左手にいつの間にか持っていたメモ帳を乗せる。


「お金なんて無いわっ」


シャーベットの色のように、涼しげに言った。そんな態度をしめすフリルに、ラルフは手に置かれたメモ帳をマリアに渡すなり怒りを顕にした。


「はあ!?ざけんなよガキ!!今すぐ払えこらっ!!払えなきゃ身体で払え!!」


ラルフは遠慮なくアイスをマリアに渡してフリルの胸ぐらを掴もうとする。


「はっ!?何を言ってんのよ!!あたしが貢がれてやったのっ!、普通なら…」

ラルフの手を掴み、牽制するように牙を向く。



「ざけんなくらっ!!オメエ!アグネシア王からふんだくった金あったろうが!!あれどうしたんだよ!!」


言い掛けたフリルの身体を、両手が捕まれたまま揺らす。


「し!!資金が足りないからっ!!エリオール様に挙げちゃったの!!」


「あああ!!!」


そこにマリアが割り込み、ラルフにアイスとメモ帳を突き出して入れ代わるようにフリルの左手を掴み開かせる。フリルの小さな手の平は、刀により浅く切り裂かれて一筋の紅い線が引かれている。



「あ…マリア…これはその…」


「………フリルちゃん、正座♪…しよっか」


「……はいっ」



そんな賑やかなやり取りの中で、何とか逃げる事が出来た鷹の眼は裏路地にいた…久しぶりの長い長い全力疾走にゼェゼェと荒い呼吸を吐きながら、背中を建物に寄せて沈むように座り込む。自分は偵察と諜報の任を受け海路より数人でこの街へ侵入した…つもりだった。だが、彼女の言う事を信じるのならば。


彼女は初めから自分の存在を知り、初めから尾行していたという事になる。そうなれば他に入った数人はもう生きてはいないと想像せざるおえない…。そしていまも自分は彼女の掌で踊らされているのだと考えると、屈辱と恥辱による苛立ちが募ってくる。彼は激しく何度も何度も壁に拳を叩きつけ唇を噛み締めた。


「…ぐっ…う」



物心付いた時から東洋の暗殺者として教育を受け。魔王軍に入ってからは、一年と半年もの間、魔王の為にと高度な侵入を繰り返し、国を破滅させてきたのだ。他にも他国の戦場ではその王国が誇る様々な勇将を何人も暗殺して来たのだ。鷹の眼には少なからずとも、暗殺者としてプライドがあったのだ…今、そのプライドをズタズタに切り刻まれた鷹の眼は疲れ果てて崩れるように壁に背中を預けた。


「ふう…」


何とか呼吸で怒り浸透だった頭に新鮮な酸素を取り込むことで落ち着き、一先ず仕入れる事の出来た情報を魔王に送らなければならない、と、懐に手を入れる。

「え?…」


メモ帳が、無い…いつの間にか盗まれていた事に気付く。


「しかし…」


まだ終わってはいない、鷹の眼は…袖口から別のメモ帳を取出しペンを走らせ、書き終えるなり口笛を吹く。入国の際に一緒に連れてきた伝書鳩だ…。しかし…。



「……おかしい…」


新たな事に気が付いた、自分の持ってきた鳥が…いつまでたっても現れないのだ。鷹の眼の連れてきた鳥は、【迷彩鷹】と呼ばれる鷹であり、姿は疎か気配すら絶てる鷹である…今まで彼の命令を破った事のない相棒だった…。



「よ〜しよし…いいこですね、君は何処から来たのかな〜」


鷹の眼から見える位置を、聖騎士団の一人、マリアが通って行った。その肩には鷹の眼の相棒だった迷彩鷹の姿がある。迷彩と言えど、それは警戒している間であり、警戒していなければ姿を現すのが迷彩鷹の特徴だ…鷹の眼は今まで、相棒の姿を見た事がなかった。しかし、マリアの肩には呑気に迷彩を解除し、鮮やかなグリーン色の姿を曝した相棒の姿がある。


「迷彩鷹は龍の森に多く生息しており、当然の如くウィプルの民も、警戒用として沢山飼ってるんだって、マリアが居てくれて助かったわ〜……」


相棒を奪われた喪失感に気を取られたことはホンの数秒でしかない……だが彼が気がつくと隣にフリルがいた。何故か目が赤い…。


「あ、これ返すね」


フリルは体育座りで座っており、後ろに手を回すと先程フリルに奪われた刀を差し出して来る。だが鷹の眼はもう会話どころでは無かった、心臓が飛び出そうになる程に驚き、生存本能に従い疲労で動きたくないと音を上げる足に、鞭打つように懸命に走り逃走していた。


『とにかくどこか身を隠さないと…』


鷹の眼の頭の中はそのことだけを考え、隠れる場所を求め彼は街の中を駆け回る。


「刀ッ!!」


しかし…尽く、鷹の眼が行く場所にはフリルが先回りしており、鷹の眼はアグネシアの全地区を全力で走り回る事になった…。


「いた?」


「いや、見失ったな…」


「そう、それじゃっ…帰りましょ」


夕方、貴族達が住まう花地区の橋の下に身を隠していた鷹の眼は、何とかフリルの目を誤魔化す事が出来た事を確認する、そして4人の足音が遠ざかるのを確認するなり、深い安堵のため息を漏らした。


「はぁ…なんなんだ、あの化け物は…」



漸く訪れた平和に、ついに気を抜いた鷹の眼は安堵の溜息を吐いてその場に倒れこむ。


「わっすれっもの〜!」



完全に気を抜いた鷹の眼の耳にフリルの声が耳に飛び込み、同時に橋の上から刀が落ちてきて地面に突き刺さる。


「……」


鷹の眼は今度こそフリルの気配が無くなるのを確認するなり、刀の側に行く。刀には、金貨と紙が貼り付けられており、金貨を剥がして手に取る。


「アグネシア金貨…?」



ネビルアグネシアでは、一枚あれば二日間は飲み歩ける程の額の金貨だった。


そして紙を剥がして裏返す。それには…『野宿は感心しないわね、この金貨で宿に泊まって疲れを癒しなさい♪byフリル』と書かれていた。



鷹の眼は地面に突き刺さった刀を引き抜く。来たときよりも刃が煌めいている…恐らく取られている間に砥石に掛けられていたのだろう。


「絶対に逃げ切れない…ならば…」



そして決心がつき、煌めく刄を鞘に納めた…『暗殺するしかない』。




その夜―一際豪華な宿から出てきた鷹の眼は、背後からの不意打ちで寝かした見張りを退かし、誰もいない矢倉に登ると、背中の大弓に手を回し、矢倉に設置されていた矢を抜いて構えると、彼の能力【鷹の眼】を発動させた。【鷹の眼】とは、彼の視界を拡張する望遠鏡のような能力で、彼の眼は距離がいくらあろうとも『見る』ことができる。それだけではない、その距離に必要な筋力や風の方向等も自動的に悟る事が出来き、対象の行動予測も簡単に映す事が出来る。



風の抵抗に従い、横向きに弓を構え、矢を置く…。その能力を使えば、フリルと言えど…しかし『いない』…誰が?…フリル・フロル。いくら顔を左右に振って見回しても、何処にもいないのだ、小さいから見逃している?否…鷹の眼は如何なる対象も逃さない…例え蟻とて範囲30キロの中ならば、数える事はおろか矢を必中させる事も容易い。何故?…自分のいる矢倉の位置は、背後には城壁しかないのだ…だから。ふと、何かを感じ鷹の眼は後ろを振り向いた。



「やあっ」



『いない』原因がわかった……彼女はずっと、【鷹の眼の後ろにいた】から。


「おおおおっ!!!!」


吠える鷹の眼、振り返り、後ろ向きに矢倉から飛びながらフリルに向かって矢を放つ。


「あら!…凄いわね」



フリルは称賛しながら矢を右手で掴み取ると後を追って飛ぶ。


「化け物め!!」



鷹の眼は悪態をつきながら重力落下に従いつつ次々に矢を放つ。しかしフリルは、飛んでくる矢を次々に体捌きと両手を使って後方へ流し、直撃コースの矢を掴み取る。


「っ!!」


先に着地した鷹の眼は大弓を背中に回して刀を抜き放つなりフリルの落下地点へと走り、空中で無防備であろうフリルの腹を袈裟に切り裂くように振り上げる。


「ふふっ」


フリルは余裕を見せるなりその身体が不自然に浮き上がり、袈裟に振り上げた刀が空を切る。


「なっ!!」


驚愕に目を見開く鷹の眼の目に小さな女の子の靴の裏が迫る。


「ごっ!!」


空中から重力を伴いながら放たれた蹴りにそこまでの威力はないだろう、しかし鷹の眼はダメージを最小限に抑えるべく、当たってノックバックする身体を重力に任せて倒し、バック転で飛び下がって衝撃を流す。


「東洋の体術ね!素晴らしいわ!」


綺麗に着地を決めたフリルはニヤケて馬鹿にするような拍手をする。


「僕を!愚弄するのか!!」


激怒に身を任せた鷹の眼はフリルの動きを見ながら刀を上段に構えて斬り込み、稲妻の様なスピードで刀を振り回す…だが、怒りに身を任せた一撃など、フリルに当たるはずがない。フリルはヒラヒラと風に舞う枯れ葉のように刀を紙一重に避け、丁寧に流しながらわざと刀の得意な距離を保ちながら避けて避けて避けまくる。


「っ!遊ぶなっ!!」



ついには烈火の気合いと共に刀を真上に大きく振り上げる。


「が・ら・あ・き!」


フリルはすれ違うように彼の腹を軽くぺしりと叩く。

【ズドンッ!】



軽い打撃から放たれる凄まじい衝撃が濁流の水が如く皮の鎧を貫いて筋肉の繊維を擦り抜けて内臓を叩く。

「ごっ…が…」


鷹の眼は刀を取り落として地面に膝をつく、そして両手で腹を庇うようにして蹲った。


「あなた、名前は?」


終わりか…と身構えた彼に降り注いだのは、身体を破壊し尽くす一撃でも、首を跳ねとばす斬撃でもない、ただただ慈愛に満ちた声だった。



「…知っているはずだ」


痛みに顔をしかめながらも吐き捨てるように叫ぶ。


「私が聞きたいのは…【本当の名前】よ?まさか…鷹の眼なんて厨二臭〜い名前が本名じゃないでしょ?」


フリルの問いかければ彼は答えられなかった……彼は東洋の暗殺者として名前を与えられず、鷹の眼としか呼ばれた事がなかったからだ。


「ふむ…」


その様子を見て悟ったらしいフリルは目を瞑り言葉を続ける。


「大方は予想がつくわ。この戦ばかりの世の中では珍しくもないことだけれど…親を知らず、自分を知らず、名前すら知らない…ただただ戦場の武器として育てられた子供って訳でしょ?…」


同情ではない、フリルは冷酷な目付きで鷹の眼を見下ろし、拳を振りかぶる…。

「!!」


今度こそ終わりか、鷹の眼は目をきつく閉じて最後の瞬間を待つ。だが…何時までたっても彼女は拳を振り下ろしては来ない。鷹の眼は恐る恐る目を開く。そこには、小さな女の子の、開かれた小さな手があった。


「聖騎士団に入りなさい…【名前】をあげるわ、あなたの本当の名前を…」


鷹の眼と呼ばれた少年は目を見開き、フリルと見つめ会う。


「馬鹿ですか!?わたしは!暗殺者として育てられた魔王の駒です!!あなたを殺す為に今だって…」


「だから?、裏切ったって構わないし…それ位根性がないと聖騎士団の隊員は勤まらないわ?なんせあたしの部隊に雑魚はいないんだからっ」


自信満々に言い放つフリルの姿は、生まれて物心ついた時に優しくしてくれた女性に似ていた。



「あなたの名前は、そうねぇ…弓と書いて(キュウ)なんかどうかしら?」


弓と呼ばれた少年は、厳しい訓練で押しつぶして抑えていた感情を抑え切ることは出来ず、その瞳からとめどない涙を流していた。


「あ〜あ〜…泣くんじゃないわよ…暗殺者が情けないわね〜」


フリルは腰を下ろし、無防備にも前傾姿勢で少年の目尻から涙を拭う。今、刀を振れば…この厄介この上ない聖騎士団の隊長を切り捨てる事が出来るであろう。しかし、少年は刀を振るう事が出来なかった…手に力が入らないのだ…少年の体が刀を振るう事を拒んでいるのだ。


「弓という名…確かに…受け取りました…」



次の瞬間には刀を鞘へと納めて服従を示す体勢で跪く。そして背中の大弓を回してフリルの足元へ置いた。


「歓迎するわ弓!」


フリルの一声を聞くなり弓は顔を上げ、自分が誠に仕えるべき君主で有るフリルを見上げる。



「ようこそ、聖騎士団へ」



場所は変わり、セクマディ―魔王の城―


「魔王様!鷹の眼より手紙が来ました!」


その一報を聞くなり、魔王は心待ちにしていたかのように立ち上がり、膝を折る兵士から手紙を乱雑に奪い取ると、荒々しく手紙を広げる。


手紙の内容は、『鷹の眼は、美味しくいただきました、今後はわたしの聖騎士団のために使わせて頂きます…首を洗ってまってろクソ野郎、聖騎士団隊長フリル・フロルより愛を込めて』。読み終えた魔王は、動揺したように震えだした。


「…魔王さま?」


伝令の兵士は不安そうに魔王へ目を向け、それに気付いた魔王は手紙を隠すように懐にしまい席へと戻る。


「よい…下がれ」


「はっ…」


衛兵は頭を下げて出てゆき、暗い広間に魔王だけが残る。その中で魔王は自らを偽るヘルムを外した。



「…相変わらず君は可愛いな…」


魔王は手紙に添えられていた写真を見下ろす、緑掛かった長い黒髪に青い瞳の可愛らしい女の子が、鷹の眼の肩を抱いて憎たらしい程に決まっているピースサインを決めており、魔王は初めて緩やかな笑みを浮かべ、そして立ち上がった。



『どちらへ?』


突然、影の中から牛の様な顔をした男が姿を現す。


「少し出てくる…」



魔王は平然と答えながらフルプレートの鎧を身体から外して乱雑に床に投げ、投げられたフルプレートを牛の男が身につけていく。



『一目惚れですか?我が主』


フルプレート姿になった男の問いに、魔王は首を横に振る。


「この世界で二番目に大切な、妹が迎えに来たみたいなんでね…会いに行かねばならんだろう?…」


『程々になさってくださいよ?、わが主人』


フルプレートの男が玉座に腰掛ける頃には、魔王の姿は消えていた。



「ハッ…クチュ!」


ベッドに入り、寝ようとしていたフリルがくしゃみをすると身震いしながら窓から夜空を見上げる。


「隊長?…明日は早いんですから…寝なくちゃ」


隣に寝ていたマリアははよ来いと言いたげにパスパスシーツを叩く。


「…わかってるわよ!……なんかいやな予感が…」


そう不安に嘯くフリル、だがその瞬間にはマリアの手が触手のように伸びてフリルをシーツの中に引きずり込む。


「ち!!ちょっ!!マリアぁ〜!!」


バタバタしようとするフリルをマリアの身体が優しく包み込む。


「はいはい…恐くない恐くない」


マリアは優しく耳元に囁い来ると、フリルはゆっくりと瞼が重くなり、そのまま眠りの世界へ…落ちた。


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