第8話 和睦

「…はっ…」


フリルが目を覚ますと、見慣れない豪華な絵が描かれた天井が視界をうめつくす、それは五つの首を持った巨大な龍と戦う戦士達の姿が描かれていた…。一人は人間、一つは天使、一頭は獣…同時に意識が広がり、柔らかいベッドの心地よい感触と、久しぶりの熟睡からくる気だるい感覚に眉をひそませた。



「…起きましたか?」


と、視界の端からマリアの笑顔が顔を覗き込む。



「…………」



「…?」


フリルは暫くぼーっとマリアを見つめていれば、マリアは不思議そうに首を傾げた。


「大丈夫ですか?何処か痛いところとかありますか?」



マリアはフリルの額に手をあて、自分の額にも手を乗せることで熱を確かめた。


「まりあ…」


唐突にフリルはつぶやいた。


「あたし…死んだの?」



フリルの呟きにマリアは思わず吹き出してから首を横に振り。乱れたシーツを治してくれる。


「そんな訳ないじゃないですか…全く」


マリアは、まるで母親のように困り顔を浮かべて寄り添うように椅子を手繰り寄せ座る。


「…どういう…こと?…あたしは…」


魔族の王であるゼリムと戦っていた筈…と、身体を起しながら言おうとした。



「っ!?まだ動いちゃだめですよ!!」




マリアが怒鳴るように叫べば、途端にフリルの身体に強烈な痛みが駆け巡った。


「いっ!!いたいっ!!!」



フリルは途端に顔を苦痛に歪めてベッドに沈む、そこで初めて肌に貼りつく包帯の感触に気付き、それが全身にまかれている事に気が付いた。


「だから言ったじゃないですか!!まったく!!」



マリアは怒りを露にしながらもフリルの身体に手を貸して、そっと体を起こさせ、背後の背もたれに枕を重ねてその上に体重を預けさせた。


「そ…そんな…事言ったって〜…」


フリルは注射を打たれた子供のように、痛みでろくに身動きせず涙目になって訴えた。


「…それより…ここは?…」


フリルはゆっくりベッドから身体を起こして聞けば、マリアはキョトンとしてから大きな息を吐き出し、近場の椅子を手繰り寄せて腰を降ろす。



「ゼリム様の屋敷ですよ?…覚えていませんか?…」


と怪訝そうにマリアは顔を寄せれば、フリルは顔をしかめる。



「あたしは、ゼリムに敗けた筈よ…?」



フリルは不思議そうに呟きながらマリアを見れば、マリアはポカンと口を開けており、フリルは首を傾げる。


「本当に覚えてないんですか?…」


マリアは信じられないとでもいうかのように聞き返せば、フリルは一気に不快で顔を染める。



「くどいわね!何がっ…いっ!!」



衝動的に殴ろうとしたフリルだったが、身体が激痛に拘束され、動けずにムッとマリアを睨み付けた。

「隊長はもう少しで、ゼリム様を殺してしまうところだったんですよ?…」


マリアの言葉を聞いて、フリルは不快な感覚にとらわれる。


「あたし…が?…」



フリルは顔に手をかざして前髪をかきあげる、そして深呼吸をしながら冷静に考える…自分がゼリムを殺そうとした…。


【ドバン!!】



轟音と共に勢い良く扉が開き、ゼリムが入ってきた。


『侵害だな、わたしが殺される訳がなかろう?…』



強気にふんぞり返ったゼリムであったが、その顔は痛々しい青アザを作り片目を眼帯で隠すように覆い、両腕を肩からたすき掛けした布で胸の前に吊るし、豪華な衣服の中という中には包帯がのぞいている。


「あたしに止めをさしに来たのかしら?…」



フリルは側までやってきたゼリムに警戒心を露にして睨み付ければ、ゼリムは嫌味でも言いたげに鼻で笑う。


『いや?…違う、戦いに来たのではない…』




「っ…じゃあ何しに来たのよっ…」



フリルは即座に突き放すようにいうと、突然横からマリアがフリルの頬をつねってきた。



「い!!」


かなり強い力で引っ張られ、痛がりなフリルは否応なしに顔を振り向かされてしまう。



「いらい!!何すんのよー!!」


「痛くて当然です!!ゼリム様に謝りなさい!!」


なんで?フリルは目にそんな色を映す。



『マリア、気にしなくていいぞー?…』


そうマリアに言えば、マリアはフリルの頬を解放する。



「うぐぅ…ひどぃ…」


フリルは赤く晴れた頬をいつまでも擦り、涙を滲ませながらマリアを見れば、マリアは両手を腰に当てる。



「隊長が半日でそこまで回復できたのはゼリム様が血液を与えてくれたからなんです…本当に回復魔法だけなら一年は寝たきりになるくらいの重傷だったんですからね!」


フリルは改めてゼリムを見れば、ゼリムは照れ臭そうに苦笑を浮かべていた。



『別に、怒っておらん…単純に気紛れだ〜』



それを聞いたマリアは、怒っていた顔を緩めて立ち上がり、椅子をゼリムに譲る、だがゼリムは首を横に振り、フリルのベッドに腰を下ろした。



「なら…なんの用なのよ、惨めなあたしを笑いにきたのかしら?」



フリルは諦めたように目を座らせれば、ゼリムは頭の耳をピンと尖らせる。



『ほう!それもいいなァ…ありがとう可愛くて綺麗なゼリム様と崇めてもいいぞ!?』



そう言ってゼリムは砕けてボロボロな歯を見せて嫌味に笑う。


「誰がっ!!……つうっ」


フリルは思い切り怒鳴ろうとするが、痛みで身体が動かず形のいい丸顔を真っ赤にするだけに止めた。



『…怪我人が無茶をするもんじゃないぞ〜?なんなら抱っこしてやろうか〜?』



ゼリムはニヤニヤと眺めながら言えば、遂にフリルは我慢の限界になったようだ。



「表でろ!!!この野良犬!!」


フリルは痛みを忘れてゼリムに掴み掛かれば、ゼリムも殺気立つ。


『上等だァ!!!クソガキ!!今度は確実に殺してやる!!』



互いに怪我が有るにも関わらず顔をぶつけ合う。


『お嬢様っ!!』


そこへ扉の外にいたらしいエデンが飛び込んで来て、マリアは瞬時にフリルの肩を掴んで引き、エデンもゼリムを掴んで引かせた。


「い!!痛い!!痛いわマリア!!」


フリルが痛みで足をばたつかせれば、マリアはフリルから手を離してゼリムに向き直る。


「そ!!それで?ゼリム様はなにをしにここに?」


マリアは空気を、ゼリムはエデンの手を跳ねとばして頷いた。



『おお…そうだった』



そこで今思い出したかのように呟けばフリルに顔を向ける。



『フリル、その怪我はどれくらいで動けるようになる?…』



その言葉に、フリルは勘ぐるような顔をしたが諦めてため息を吐き出す。



「…3日あれば、走れる位にはなると思うけど…それがどうしたの?」


聞けば、ゼリムは腕を組みつつエデンを一瞥し、何故かエデンは不満げな顔をしている。それからもう一度フリルに顔を向けた。


『ならば3日、ここに滞在するがいい』



ゼリムがそんな事を口走れば、フリルは驚きに目を見開いた。



「ちょ!ちょっと待ってよ!なに!?…何を考えて…?」


フリルはゼリムがそんな事を言いだすとは夢にも思わず、聞き返せば、ゼリムは首を傾げた。


『いくら敵だったとはいえ、怪我をして弱った子鹿を外に放り出すなんてわたしには出来ん』



「ゼリム様は、隊長を心配しているんですよ」



マリアがストレートに通訳すれば、ゼリムは一気に真っ赤になり尻尾を振る。


『ち!!ちがーう!!わたしの獲物を下らん奴らにやりたくないだけだっ!!勘違いするでないぞっ!!』


子供のように否定を示せば、マリアはクスクスと笑った。



『某は…やはり反対ですな…』



エデンは反対の様子で静かに呟けば、ゼリムはうんざりしたように頭をかいた。

『まだ言っているのかあ?…もう決めた事だ、わたしには貴様と議論している無駄な時間はないぞ…』


ゼリムの声音がピリピリとしたものに変わり、フリルの背筋に鳥肌が立つことにより理解する。


『ですがお嬢様、人間は弱い…50と少しで召されます…あまり深く関われば、またあの時のよう…』


【ドォンッ!!】


エデンは言葉を続ける事は出来なかった、何故なら気付いた時には壁に叩きつけられていたからだ。


『殺すぞ貴様…』


ゼリムは怒りで瞳を真っ赤に輝かせながらエデンに歩み寄り繋がったばかりの腕でネクタイを掴み強引に引き立たされる。


『殺されても構いませぬ…某は!!お嬢様の悲しみに暮れる姿など見たくない!!!あのような姿を見せられる位ならば!死んだほうがましですなっ!!……』


エデンはゼリムの手を掴み、立ち上がりながらゼリムを突飛ばした。



『ぐ!…貴様ァ…』


怪我をしたゼリムに避ける統べはなく、床に尻餅を着いて睨み付ける。



『…それにお嬢様、人間を屋敷で匿えば、部下の指揮にも多少の影響が現れます…だから、今一度お考え下さい』


『下らん!』




ゼリムはエデンの心配を一撃で切り捨て鼻で笑った。



『気に喰わぬのならば私を殺すのだな!!…今ならチャンスだぞ?軟弱な貴様の剣でも簡単に狩れる、そら…さっさと首をとるがよい』



ゼリムはエデンに易々と首を差し出せば、エデンは静かに首を横に振る。



『それは…できませぬ…』


するとゼリムは馬鹿らしいと鼻で笑い、さっさとフリルのベッドに腰掛けた。


『すまんな…』



ゼリムはフリルとマリアに対して言いながら頭を下げた。



「い…いいわよ…あたしは別に…」


フリルは敵対していた事が嘘だったかのような心境になり、それはマリアも同じだったようで、困惑の表情を浮かべている。だがエデンは今尚、不満を浮かべており、ゼリムはため息を吐き出した。



『エデン、わたしはただ考え無しに人間と仲良しになりたい訳ではないぞ?』


ゼリムがそう切り出せば、その場にいた全員の注目を浴びる。


『ど…どう?…』


エデンは動揺した様子で首を傾げていた。


『貴様も昨晩の戦いで人間に敗れ【魔物は絶対に人間には勝てない】ということがわかったであろ?、人間とはそれ程に強いのだよ』


その言葉に、エデンは尻尾を立たせて強く反論を示した。



『そんなバカな事が!!領主であるあなたがそんな弱気でどうするのですか!!!』



『断じて弱気ではない!!』


ゼリムはピシャリとエデンを遮り黙らせる。



『事実を言っているだけだよ、思い出せ!!【天界の雷】すら退却に追いやった母様を負かしたのは何だった?…昨晩わたしをこんなにしたのは何だった!?』



『そ…それは!!』



エデンは途端に口籠もり、目を反らす。


『…わたしは人間と手を取る事で得たいものがある、人間にあって我々には無い物だ』



エデンは首を傾げ、ゼリムに注目すれば、ゼリムはフリルに目を向ける。


『我々に無いものは知恵だ…わたしはそれを魔界に手に入れたい』


ゼリムはそうしおらしくなれば、エデンは乱れたネクタイを正し、必死に動揺を減らそうと髭をなぞる。


『ち…知恵…?』


しかし動揺を押さえ切れずに漏らしたエデンは、絶句して歩み寄る。



『何を言いだすと思えば…死ぬ事もなく老いることのない強靭な肉体を持ち、どんな物でも砕く力を備えた我らに…知恵等必要ありませぬ!』



ゼリムを嘲笑うように怒鳴るエデンに、ゼリムはため息を吐き出しながら首を横に振る。



『なら聞くが…死ぬ事も老いることもなく、無敵の力を持っている筈の貴様が…なぜ、グリフォードという小僧に負けたのだ?』



『そっそれは!!…』


言い訳がましいエデンに対して、ゼリムは手を開いて肩を竦めるような仕草をした。



『どうした?…わたしが納得出来る理由を言ってみろよ…早く言え!!』


途端に口籠もるエデン、そんな口喧嘩にいい加減うんざりしたフリルは自ら手を挙げた。




「ゼリムは…別に魔族が人間に完璧に劣っているなんて言ってないのよ。ゼリムは領主として今の魔界に足りないものを他種族から取り入れ、魔界を衰退させないようにしたいと思ってるわけ…そのついでに人間と和解して仲良くできたら無益な犠牲を出さなくなっていいなー平和だなーっ…て言いたいわけよ」



するとエデンが噛み付くようにフリルを睨み、黒い影から刀を引き抜いた。


『何も知らぬ小娘が知った口を!!人間と仲良くだと!!?二度とそのような戯れ言が吐けぬよう!その舌を引き抜いて…』


『その通りだ』


ゼリムはエデンとフリルの間にわってはいり静かにそう言った。


『お嬢様…』


今にも踏み込もうとしていたエデンは、刀を取り落としてゼリムを見つめていた。



『エデン、一つ教えてやるぞ…魔界は今のままでは、いずれ天界と同じように滅びを迎える事になるぞ』



その言葉にエデンは目を見開けば、含み笑いを浮かべる。


『ほろびる?魔界が?…死の概念がない魔界が?…』

エデンは信じられぬと髭を撫でて動揺を鎮めようとした。ゼリムは大きく頷く。


『わたしが信用出来ないなら母様に聞いてみろ、母様も同じ事を言うぞ』



ゼリムは確信を持った瞳でエデンを見つめて言えば、エデンは顎に手をあてて渋い顔をする。


『王が…そのような四迷ごとを!?…まさか…』



エデンは本気で信じられないと言う表情だった。が、ゼリムは最早エデンの相手に飽きたという様子でフリルを見る。



『わたしは民達が滅びるのを黙って見ている積もりはない…それが例え魔界全てがわたしの敵になろうと、…わたしは魔界と人の世を統合する…それが魔界に明日を与えると信じている…だから…』


「しっかり領主やってんのね〜…正直意外だわ…」


フリルは空気を打ち壊すように寝転がる。


「た…隊長!」



さすがに空気を読むマリアだったがゼリムはというと。


『ふ!ふはははははっ!』



大声で笑いだし腹を抱えて足をばたつかせ始めた。




『そうだ!、でもなぁ、わたしは頭が悪いからな…またしょうもない戦争が始まるかもしれんのが心配でならんー…』


ゼリムは諦めたようすで耳をくしゃりと折れば、フリルは鼻で笑う。



「あんたの目が黒い内は…そんな事にはならないわよ、そんな事になるのだとすれば問題は人間になるっつーの…」


フリルは人間を否定するような皮肉を言えば、ゼリムは声を殺してけたけた笑う。



『そうだなっ!』


フリルとゼリムはここで初めて波長が合う事を共感したのを確かめれば、ゼリムは立ち上がる。


『よし、という訳で3日の滞在を許可する!以上っ!』



『ちょっ!お嬢様!!まだお話は…』



『煩い!黙れ!どっか行けカス!!』


ゼリムはしつこく食い下がるエデンの顔を掴んで窓の外へと投げ捨てる。



『3日の間は静かにしておけよ〜』



扉をしめることなくさっさと出ていった。


「はあ…やっと静かになった…」


フリルはため息を吐き出して額にはりつく前髪を退かして力を抜く。



「ふふ、お疲れさまです」


マリアはニコニコしながらも近場のリンゴを手に取り、ナイフで剥き出し。その笑顔にフリルは不信に感じてキョトンとする。


「何よ…へらへらしちゃって」


と文句を言えば、ただマリアは首を横に振った。


「いえ、流石は隊長ですねって…」



それだけ言われれば、フリルは顔を不満そうに歪める。


「はぁ?…意味わかんないんだけど…」



そしてベッドに寝たまま肩の力を抜いて何時ものように唇を尖らせて寝返りを打つ。


「リンゴの他にもなにか食べますか?」



不貞腐れたフリルを微笑ましく見ながら問えば、


「……ワサビ……」


と一言だけつぶやいた。



「…………それは果物じゃありませんよね?」



その日は、アグネシアに来て、最も安らげる平和な1日……なはずだった―。



「そういえば、グリフォードとラルフは?」



フリルは今更思い出すなり口に出せば、マリアはニコニコ笑顔でリンゴを剥きながら向かいのベッドを顎で指す。


「…お二方共、キーンさんやドラクルさんと飲んだくれてそこで酔い潰れてます」



マリアの指した方に顔を向けたフリルは、酒臭い男二人が幸せそうに眠る姿を見て、満足そうに満面の笑みを浮かべた。



「マリア…殺さない程度に痛め付けなさい」


「えっ!?いいんですか〜?それじゃっ遠慮なくっ」



その後、ゼリムの屋敷から若い男の悲鳴が二つ、こだましたという。


夜―夕食時


フリルは、エデンにより渡された車椅子をマリアに押してもらい、昨晩戦いの場となった食堂へとやって来た。昨晩の内にかなり壊れた筈の食堂が、否―食堂だけでなく建物そのものが、昨日の一件がまるで嘘だったかのように新築されていた事にフリルは驚いた。



『おう!遅かったなぁ!』


昨晩までの殺伐とした気配とは打って変わり、和やかな雰囲気のゼリムが、長机ではなく大きな丸机の周りを今か今かと回りながら待っており、二人が来るや瞳をキラキラ輝かせた。

『んむ?―小僧が二人おらんが…』


ゼリムはそう、キョロキョロ視線を泳がせて姿が見えない二人を探す。フリルはマリアに視線を投げ掛け、頷いたマリアは笑顔のまま前に出る。


「二人共、昨晩までのお酒で酔い潰れていますから、連れて来ませんでした」



『そうか?、それなら仕方あるまい…酒の酔いは武に長けた英雄をも打ち倒す力が有るとは良く言われたものだからな〜攻める訳にもいくまい』



ゼリムは深く言及する事無く、うんうんと頷き、尻尾を振りながら自分の席に座った。



『さっさと座るがいい、フリル、今日は机を蹴飛ばしてくれるなよ?』


「毎日やってるみたいに言わないで欲しいわ…」



侵害ね…とフリルは不満げに立ち上がり、椅子へと乗り移ると気だるそうに背もたれに体重を預け、マリアはその隣に腰掛ける。



『本来なら怪我人のお前に無理をさせて食堂に来させる必要は無かったのだがな、敗者は勝者に飯を奢る。これは我が一族の掟だ、悪く思うなよ〜?』


ゼリムはそう言って笑いかければフリルは不満げに顔を顰める。


「今日は先に食べてないのね…」



そう皮肉を言うフリル、対してゼリムは気にせず頬杖を付く。


『なに、飯を食う前に少しだけ話がしたかったからな〜。それに、酒を飲みながらみんなでつつく鍋は最高なのだろう?…』


ゼリムはそう言って後ろの壁画を見上げた。


「その壁画…もしかして【レオン・リット・レオナルド】?…」



ゼリムは振り返りながら小さく頷いた。


『それも聞きたかったのだ、何故お前がこいつを知っている?こいつが生きていたのは今から千年近く前なのだが…』


「あたしの国じゃ、名前を知らない人間なんていないわ?…電気を作り、水を利用した無限発電機関を開発するヒントとなった人なんだもの…」



フリルは自慢気にそう言うと、ゼリムは何処か誇らしそうにし、不思議と人間否定派なエデンも、後ろで満足そうな態度を見せた。


『そうか、お前は奴の出身地の出だったか…そんなに有名な奴だったならば知っていて当然だな…』




ゼリムはゆっくりと立ち上がり、小さく頭を下げた。


『そうとは知らず、度々の無礼を詫びよう…済まなかった』


ゼリムが素直に頭を下げれば、流石のフリルも不機嫌なままではいられず、頬をかいた。



「まあ…呼び捨てで怒るぐらいだから…大切な人なんだろうとは思ってたけど」


フリルはやりづらそうに口籠もれば、ゼリムは小さく頷いた。


『うむ…わたしの最初で最後の夫さ、もう1000年以上前だが…1日として忘れた事はない…』


ゼリムは辛そうに俯き、傍にいたエデンが気遣うように肩に手を置く。


『お嬢様はレオン殿をえらく敬愛しておりましたからな…失礼ながら某としては…お嬢様を此処まで悲しませたあの小僧の魂をあの世から引き摺り戻して土下座させてやりたいところですがな…』


毒を持つ言葉、しかしその表情は人間に対しては否定的なエデンのものではなかった。それはまるでレオンという人間だけは認めるようで、その表情は誇らしげであり辛そうでもあった。


『そんな事をしても奴は喜ばんよ…』


ゼリムは穏やかに言いながら肩のエデンの手を、大丈夫だ、と軽く払う。



『人間は弱い…たった50年で死ぬ、ちょっとしたことで直ぐに病気になる、ちょっと病気が悪化したらすぐに死ぬ…』


ゼリムは最愛の者の最期を思い出し、その瞼からたった一滴の涙を溢した。


『だが、その儚さこそ美しく、人間という生き物に興味を沸かせる…わたしは人間が大好きだ。しかし、のっけから敵である事が定着している人間を【大好きだ!】等と言っているような王に、誰もついては来ない…そんな事はわたしだって分かっているさ』


ため息を吐きだして自らを蔑むように目を閉じ、頬杖をついてから真っ直ぐにフリルに目線を向ける。


『…だが、お前との出会いで決心が着いた…』



その言葉にマリアは笑顔でフリルを見る。フリルは頷き確認をとる。


「では…?」


ゼリムは欠けた鮫のような歯を見せてニヤケて見せた。


『魔界は全総力を挙げアグネシアに協力する事にしよう…』



それにはエデンは驚きの顔を浮かべる。



『ぜ!!全っ!!!?』


『エデン、少し黙れ』


エデンの言おうとしていた事を、塞ぎ頬杖を外して背もたれに寄りかかりフリルを睨む。


「では、ゲノム王国代表フリル・フロルはウィンホーバロンの申し出を拒否致します。」



フリルはきっぱりとゼリムの発言を拒否し。それに対してゼリムもマリアも首を傾げて怪訝な顔をした。




「あんた…んな事をしたらアグネシアに降伏したようなものじゃないの?、魔界の民達を捨て駒にする気なのかしら?」


『そっ!、そんな訳あるかっ!!わたしはお前達に…』



ゼリムは思わず机を叩いて立ち上がり、怒るよりも恥ずかしそうな仕草で顔を反らした。


『…わたしの!!友達になって欲しいのだ!!』


真摯な言葉に、フリルは腕を組み首を横に振る。


「…なら、あたしがウィンホーバロンからの要求をのむために条件を追加するわ」



そうフリルは立ち上がると、ゼリムとエデンの顔を合わせ、怪訝な顔を浮かべていた。


「まず魔界の全総力なんて必要ない、あたしらに必要なのは兵力じゃないからね。そして、アグネシアには一切協力しない事ね」するとゼリムはポカーンと口を開けた。


『なっ…なんだ?それは…お前達はアグネシアからの来たのであろう?…』



途端にフリルは不機嫌な表情となり顔を顰める。



「あたしはアグネシア代表だなんて一度だって口にして無いわよ?」


するとゼリムはパチパチ瞬きしてから理解を求めマリアに顔を向けた。


「隊長はアグネシアの王が嫌いなんです、だからアグネシアのために動いている訳ではありません。」



「当然、あんなロリコンジジイの下で働くなんて反吐が出るわ」



フリルは本気で嫌がる仕草を見せれば、ゼリムはカタカタと笑いだす。


『本当に面白い奴だな…お前は、しかし、ならばお前達は何故…何をしに此処へ来たのだ?魔界の兵力さえあれば不利な戦争も優位になるであろう?』


フリルは眉をひそめて苦笑しつつ腕を組む。



「確かに、兵力のみなら戦況を大きく覆すかもしれないわね」



『どう言うことだ?…魔界の全兵力等なくとも…魔界の部隊は優秀だ!たかだか人間の集まっただけの烏合の衆に負けるとでも!?貴様は魔界をっ!!……』


なんだと思っている!?ゼリムは怒りに任せて机を叩き、いつ飛び掛かっても可笑しくない程に激昂していた。だが、直ぐに目を見開き口を塞いで席に座る。




「わかった?そうよ、あたし達には魔物の使い方が分からない…そして魔物達もあたし達の使い方は分からない…訓練すれば何とかはなるかもしれないよ?でもそんな時間を相手が与えてくれるとは思わない…あたしが敵の大将なら魔界と人間が手を組んだという情報がでたらその日の内に総攻撃をかけるわね…」



フリルはそう言って立ち上がれば、ゼリムはちんぷんかんぷんな様子で耳を畳んで首を傾げる。


『な…何がなんだか…』



『つまりは、数だけ多くても駄目という訳ですぞ…戦に勝つにはそれ以上に味方との連携を必要とする…ですな?フリル殿』


エデンに意見を投げ掛けられたフリルは大きく頷く。



『そ!!そんな事は分かっておったわ!!馬鹿め!!わざと!わざと言ってみたのだー!』


ゼリムはしったかぶりにツンッと身構える。


『ですが、フリル殿…アグネシアには一切協力しないというのは何故ですかな?お嬢様もおっしゃっていましたが、フリル殿達はアグネシアからのお客だったのでは?…あなた様程のお方が、一時の感情だけでそのような発言をするとは…某には考えられませぬ』


エデンは淡々と考察を述べれば、フリルは口元を笑わせて席に座り足を組んだ。


「アグネシアはあたし達がウィンホーバロンに来ている事なんか知らないし、ウィンホーバロンが協力してくれるなんて知ったら、魔界だけに戦線を任せて兵力を出さなくなるのは…此迄の戦闘から見える兵士たちの動きを見れば明白…。そんな連中に魔物達を無制限に協力させる訳にはいかないわ」



『そ…そこまで行くともう何がなんだか…つ!つまり我々は何をしたらよいのだ!?』



ゼリムはうがーと唸りながら頭を抱えてしまった。



「初めから言ってたじゃない、魔王軍に組する魔物達を引かせるだけよ…」



ゼリムは目をパチパチとしながらもエデンと顔を見合わせる。



『そ…それでは…なんというか…そんな程度の低い事の為にわざわざ貴様はそんな怪我をしたのか?』


「ええ、どっかの犬っころがあたしの顔を見るなり喧嘩ごしになったりしなかったら、もっと円滑に話は進んだんだけどね?」


フリルはニコニコ笑いながら皮肉たっぷりに言えば、エデンがクツクツと笑いだした、フリルの予想ではゼリムは怒りに任せて反論するかと思っていたが、予想とは逆に萎れてしまった。その表情は今にも泣き出しそうなのだからフリルは苦笑してしまう。



「……だから、お詫びといっちゃなんだけどあたし達のゲノム王国と友好国になって…苦しみを分かち合って貰いたいなーっとか思ってたのよねー?」


フリルは思わせ振りに言えば、途端に萎れていたゼリムは息を吹き返して耳をピコンと立ち上げる。


『よかろう!!、ウィンホーバロンとゲノム王国は良き友好国になる事を認めるぞっ!!魔界全部が友好国でも構わんがなー!!』




ゼリムはそう尻尾を振り興奮を露にしていた。



「んな簡単に魔界全部と人間が仲良しに馴れるわけないでしょ?当然差別や問題も生じるわ…だから、小さいところから少しずつ輪を広げて行くのよ。それにゲノム王国はまだ国じゃあ無いから今すぐって訳でもないしね?あんたの民達も、その程度の狭い地域くらいなら…って人間がみたい興味本位で認めると思うし…ね?」


フリルはエデンに意見を求めるように振れば、エデンはすっかり信頼した様子で何度も何度も頷いていた。


『確かに、それならば某も吝かではありませんな…』



人間否定派だったエデンは掌を返すようにフリルに勝算したような口調を洩らし、姿勢を正した。



『…お嬢様の愚行とも取れる申し出を拒否して下さった事も重ね…感謝いたします…』



『失敬な奴だな!愚行とはなんだ愚行とは!』


ゼリムは不機嫌そうにボロボロな牙をむき出しに机を叩き喚きたてる。


『…まるでわたしが馬鹿みたいではないか〜!不愉快だっ!!』



「ええ、馬鹿ね」


フリルがキッパリと言いえば、ゼリムはすかさず立ち上がる。


『なんだとぉっ!?殴るぞお前ー!!』


しかしフリルはやる気もなさそうに手をヒラヒラ振るえば、ゼリムはムスッとして睨んできた。



「だってあんたはそれでいいかもしんないけど、国民は違うでしょうが…暴動が起きて死者がいっぱいでるかもしれないじゃない?」


そう言ってエデンを指差せば、ゼリムはエデンに目を向ける。


『はい…某も狂気の沙汰かと思い…肝を冷やしましたぞ…』



途端にゼリムににらまれてエデンは毛を逆立てて畏まりながら言葉を紡ぐ。


『暴動どころか、ゼリア女王が王位を投げ捨てた時同様…魔界は戦争になります…』


『むぅ…』


戦争と聞いて、ゼリムも思うところはある様子でいじけるように席に着き耳を畳んだ。



「…でもゼリムだって民の事を確り考えてるのよ?、だって魔物達がこのままでは滅亡するかもしれないって思ったから、人間の知恵に身を委ねてでも共存しようとしてたんだから…間違っていたわけじゃないよ?」



『そ…そうなの?…』


ゼリムはすっかり傷心したようすでまるで躾けられた子供のような潤んだ瞳を向けて来る。



「そ、そうよ?でも言い方が悪いわよね?ゼリムがいったとおりにしたら、なんか降伏したとか負けましたたって認めているみたいじゃない?」



『確かに!、そう聞くとなんかムカつくなっ!!…』


ゼリムはフリルの言葉に頷き肯定を示す。



『流石は無名の英雄の御子息ですな…某は感服するばかりですな』


エデンは満足気に相槌を打てば、フリルは含み笑いを浮かべて首を横に振る。そんな様子で会話が止まり、ゼリムはキョロキョロとしだした。




『ふ!二人でわいわいとっ話すな!?待て!!わたしを仲間はずれにするなぁっ!!』


後者が本音だろう、フリルはそう感じても悪態をつきそうになる口を紡いだ。


「あの〜」


今まで聞くに撤して黙っていたマリアが恐縮しながら手を挙げ注目を浴びる。




「話は変わりますが…どうやって魔王についた魔物を帰還させるおつもりなのですか?」



それを聞いた途端、賑やかだったゼリムはため息と共に目を伏せ席についた。



『エデン、食事を持って来い…いい加減腹が減ったぞ』


ゼリムが言えば、エデンは無言で一礼して闇の中に消えてゆく。


「あっ…あの…」



何が不味い事を言ったかと顔色を伺い言い掛けるマリアだが、フリルが服を摘んでくいくいと引く、見ればフリルが無言でマリアを睨んでおり、マリアは黙ってゼリムを見ればゼリムは苦笑する。


『内容は明かすことは出来ない…わたしも上手くいくとは思っていないからな〜…ま、明日になったらわかるさ…』



ゼリムはそれだけ言うと、丁度いいタイミングでエデンがフリルが二人は入りそうな大きな土鍋を持って来て丸机に台座を委託し、取り皿を配る。



「すっごい鍋ね…」


フリルは思わず息を飲めば、エデンは自慢気にネクタイを締めなおす。


『勿論にございます…本日の鍋は、腕に縒りをかけてつくりましたからな…』


エデンはそう言いながら土鍋の蓋を挙げると、白い湯気が立ち込め、野菜や魚、肉といった物の煮える香りや香味料等の食欲を駆り立てられる香が立ち込め、二日間ろくに食べなかったフリルの腹を空腹を告げる虫が泣き喚いた。


『うおあー!!鍋だ!鍋だ!』


ゼリムは子供のように無駄にはしゃぎながら席を飛び上がりかなり乱雑にナプキンを首に巻いてエデンの傍へ行く。


「ま!待ちなさいよ、あんた歯がボロボロな状態でご飯食べれるの!?」


フリルに待ったを掛けられたゼリムはチッチと指と尻尾を振る。


『ばーかめ!わたしは魔族だぞ!?夜になれば枯渇していた魔力や再生速度が元に戻るのだ!』



ニマリと笑えばボロボロと歯が抜け落ち、瞬く間に白銀に見間違える程に美しい歯に生え変わる。



『牙は折れても、強くなって生え変わる…レオンは昔魔力が枯渇して弱った私をそう言って励ましてくれた…』


そうしてゼリムはくしゃりと泣きそうになる顔を横に振って振り払い鍋にねらいを定めた。


『よし!そんなことより今は鍋だー!』


はしゃいだゼリムは袖を捲り素手を鍋の中に突っ込もうとしていた。



「ちょ!!待ちなさいよっ!!」


『そ!!そうですお嬢様っ!!』


それをエデンとフリルが止め、楽しい鍋会が始まった。


「……なあ、ラルフ…」


わいわいとした賑やかな声が風にのり部屋にいた二人の男の部屋に届く、そこには散々ボコボコにされた二人の男が、乱雑な手当てを施されたままベッドに転がっていた。


「なんだ?…グリフォード」


二人の男は、痛みで顔が引きつり青アザだらけの顔を見合わせた。



「今度、あの二人に仕返ししましょう…」



グリフォードから出た意外な一言にラルフは目を丸くするも、ニヘラと笑う。



「ああ…泣かそう…痛め付けよう…」


共感した二人の腹の中で、虫が鳴く。



「おなか…減りましたね…」


「あぁ……そうだな…」



二人はため息混じりに言って、目を閉じた…。



翌日―フリルは一人、ゼリムに連れられてウィンホーバロンの中で一際高い丘を登っていた。


『なんだ?もうへばったのか?フリル〜』


元気に走るような速度で前を歩くゼリムが振り返ると、後ろには息を切らして汗だくのフリルが怨めしそうな目を向けている。



「…うっさい…あたしは怪我人なのよ!?…いきなり山歩きさせるアホがどこにいんの…よっ…」



怒鳴ってから全身をじわじわとチクチクした痛みがぶり返し、怒鳴る事ができなくなり、黙ってしまう。初めはマリアがフリルをおぶって行く!と言って聞かなかったのだが、ゼリムにフリル1人で!と念を押されてしまい、フリルは山歩きするはめとなった。


「っあ!……」


ついに地面に膝をついたフリルは、地面に両手をついてから息を吐き出しながら身体の重さを自覚する。



「…もう…だめ…」



フリルは身体を横たわらせてしまった。実際はただの山道などフリルにとっては全力疾走しても息一つ切らす事無くこなせるのでありバテるレベルではない。だがフリルは現在、本来なら歩く事が出来ない程の大怪我をしており、歩く度に身体中を激痛が走る。それでも尚、無理をして歩く度に傷を庇っていれば消耗するのは明白と言えただろう。


「はぁ…はぁ…」


あまりにきつそうなフリルに見兼ねたゼリムは流石に気の毒と思ったのか耳を畳んでからため息を漏らした。


『情けない奴だ…』



ゼリムはフリルに歩み寄るなり、手慣れた手つきで上半身を起こさせる。




「何よ…」




フリルはそう睨む、が、対してゼリムはそんなフリルに背中を向ける。


『ほれ、おぶってやる〜』


ゼリムは尻尾をワサワサと揺らしながら子供をあやすかのように、実に楽しげに言ってきた。


「いらないわよっ!」


フリルは素直にならずにそう言いながら顔を背ければ、ゼリムは半ば強引にフリルを抱き上げ、さっさとおぶると変わらない速度で歩きだした。


『あんまり時間もないしな…落ちないようにわたしの首に手を回すんだぞ』


フリルはやむなくゼリムの言うままに首に手を回すと、ゼリムはゆっくりとペースを上げだした。ゼリムは実に背負うのに慣れており、一切の揺れや不快な感触を与える事無く、人間にはない暖かさが、不思議とフリルに安心感を与えてきた。



『…重いな…』


ゼリムは歩きながら何気なく呟いた。


「は?重くないわよ!じまんじゃないけど23キロより上にいったことないんだからね!?」




心外とばかりにまくし立てるフリルの反論にゼリムは顔を向けて目を細めた。


『体重ではないさ…』



「じ…じゃあ!どういう重いよっ!」



フリルの問い掛けにゼリムは顎を杓らせてから諦めるように首を横に振る。


『わからんっ…上手く言葉にできん…』


ゼリムが淋しそうに言うと、フリルは突然反論を止め、大人しくなる。


「……」


『…?…フリル?…』


ゼリムは不思議に思い背に顔を向ければ、フリルは目を閉じて妖精か何かと見間違えるような愛くるしい寝顔で、静かな寝息を立てていた。




『……全く、ガキめ…』


ゼリムはそう言いながらも、万更でもなさそうに笑顔を溢して丘を登って行った。





フリルが目を覚ますと鮮やかなオレンジが空を埋めていた。


『起きたか〜?』



そんなフリルの目の端から、ゼリムの顔が現れ、その顔は何処か卑しく歪んでいる。


「…えっ…えっと…いま…何時?…あたし…いつまで…」



フリルは呟きながら柔らかく心地のよい感触に再び睡魔に襲われそうになりなってしまう。



『重いから早く退け〜』


ゼリムの膝だった事に気付いた時には遅かった、ゼリムに半ば強引に上半身を起こされ、フリルは軋むような体の痛みで脳が覚醒する。



「あれっ…お腹の減り具合を考えると…いま昼?…でも」



『おい』


フリルの考察をゼリムが一言で止めた、見ればゼリムは律儀に正座しておりちょこんと座ったその図は非常に絵になる。


『お前、わたしに何か言う事があるんじゃないか?』


ゼリムは何処か偉そうに正座したままの膝を指差した。


「ご…ごめん、ありがとう…」


うむ、とゼリムはゆっくり立ち上がれば、痺れたのか足を延ばすように背伸びをし、改めてフリルはあたりを見回す。



「あたし、何時間寝ていたの?」



フリルに聞かれればゼリムは腕を組み首を傾げる。



『ほんの一時間かそこらだが?』


何を言ってるんだ?と、不思議がるゼリムの視線を受けながらも、フリルは考えに没頭する。


「………」


フリルはもう一度辺りを見回す、あたりは夕暮れだからである。朝早くから起こされたフリルが一時間やそこらで夕暮れには成らないのは普通である。



『ここは、魔界が見渡せる丘だ…』



フリルの気配を察した様子で、ゼリムが呟けばフリルは改めてまわりを見回した、しかし周囲はただ夕暮れに染まる空であり、ウィンホーバロンの景色が広がっているだけに過ぎない。


『貴様の目は節穴か?、本当に空は夕暮れに染まってるか?、本当にウィンホーバロンの景色か?…確り双眼で見抜くんだ。』


ゼリムにうんざりした様子で言われて、フリルは思考に疑問を浮かべて三度、周囲に目を向ける。すると途端に、今までの景色が変わってゆく。


「なに…これ?」



フリルは驚きに目を見開く。夕暮れに染まっていた空は、真っ赤に染まる空だったのだ。深紅に煌めく太陽の光が、ドス黒い大地を虚ろに照らし。ウィンホーバロンと思われていた街並は似ても総てが違う別の街へと変化していた。



『魔界を見渡せる丘と言ったろ?聞いてないのか貴様は…』




「それは知ってるわよ!でも何で魔界がこんなところにあるの?」




反発したフリルの動揺も無理もなく、見兼ねたゼリムはため息混じりに肩の力を抜く。


『なんだ貴様、そんな事も知らないのか…?』


するとゼリムは実に得意気に腕を組んで偉そうに胸を張る。



「わるかったわね…」



フリルは唇を尖らせてムッとすれば、それを見たゼリムはますます興奮して尻尾をわさわさ振りだした。



『魔界とは貴様たち人界の裏側に存在する世界だ、だから何処にあっても可笑しくはないのさ』



「平行世界って奴?…」


フリルが頭のなかから取り出した言葉に、ゼリムは頭の上に?を浮かべて首を傾げつつも頷く。


『ま、まあ…そんなものだな、だから!!何処にでもいるし何処にもいない、凄く近いし、凄く遠い…』


「へえ…なら人間を滅ぼそうと思えば、何時でも滅ぼせたのね…」


フリルはなんとなく頷きながら呟けば、ゼリムは首を傾げる。


『む?何故だ?』



ゼリムの予想外な反応にフリルは目を丸くしていた。


「だって平行世界なんだから、いくらだって好きなときに奇襲できるじゃないの…」


『それは出来ない…人間にルールが有るように魔物にもルールがある…いくら知恵の足りない我々とて、それ位の事は考えに至る…しかし実行出来ないのは、ルール違反だからだ…』



ゼリムは言いながらもおもむろに服に手をかけ、あろう事かバサバサと脱ぎだした。


「んなっ!?」



慌てて反応するフリルだがゼリムは気にしない。


『マリアがどうやって魔王から魔物達を連れ戻すのか聞いてきただろ〜?』



ゼリムは脱いだ衣類を乱雑に地面へ放り、大きく背筋を伸ばした。


「……それと脱ぐのとなんの関係があるの?」



そう言いながらも、一糸纏わぬゼリムの裸体が曝され。その純白の白さと美しさにフリルは思わず見惚れてしまった。そんなフリルを見てゼリムは鼻で笑う。



『脱がないと破れてしまうからな〜…わたしは夢魔族では無いから服などを存在の力で表現することは出来ないのでな』



変身する気ね、そう意識したフリルは生唾を飲み込んみ。隠すつもりもさらさら無い様子のゼリムの小さく薄くも美しい身体を見つめた。


『なんだ、そんなにじろじろ見られると少し恥ずかしくなるではないか』


わざとらしくポーズを取るゼリムに、知るか、と頭の中でそう呟きながら視線を反らした。


「別に…肌とか白くて羨ましいなって思っただけよ」

途端にゼリムはニヤニヤと優位に立った事を確信するような嫌味な笑いを浮かべた。



『なら、お前も脱ぐかぁ?風が気持ちいいぞー!』



等と言いながら手をわきわき動かしつつ歩み寄るゼリムにフリルは思わずケガも忘れて飛び退いた。



「い!!いいわよっ!こっちくんなっ!!」


フリルが拒絶を示すと、ゼリムはつまらなそうに唇を尖らせた。


『なんだ…素材は悪く無いのに残念だなあ…』



「あ…あたしの幼児体系を見て喜ぶ奴はいないわよっ!」


何故だか一瞬揺らぎそうになったフリルは首を必死に振ることで思考を止めた。するとゼリムは珍しく反発の顔色を見せた。



『まさか、レオンはツルペタの方がいいと豪語していたぞ?なんつーか…スク水なる名前の衣類をわたしに着せたがっていたしな』



「レオンさんってロリコンだったの?…少しショックだわ…」


フリルの言葉にゼリムは?を頭の上に並べて首を傾げた。



『なら!露出すればそのまな板も大きくなるぞ〜?』


「ほっ!ホント!?」


と、フリルは思わず上着に手をかけてしまいそうになるが、すぐにゼリムの嘘だと感付きキッと睨む。


「だっ!騙されないわよ!!」



ゼリムは実に残念そうにため息を吐き出すと、フリルに背を向けて切り立った丘へ歩みを進めていく。


「それで?脱ぐのと魔物を魔王から引かせるのは何の関係があるの?」



そう聞きながら、フリルは頭の片隅で何が行われるか…既に予想がついていた。ゼリムは得意げな顔で振り返る。



『……まあ見ていろ』


それだけ言うと大きく息を吸い込んで、フリルに背を向け四つんばいになり、尻尾をピーンと天に突き上げる。



その突如、ゼリムの白い肌という肌から青銀に輝く体毛が一気に生えだし、途端にフリルの背筋をビリビリとした寒気が駆け巡る。




突然の空気の変化…それはフリルと同じぐらい小さな身体から発生していた。その身体は空気を入れられた風船のように大きく巨大に膨らんでいき、巨大で毛深いシルエットへと変わって行く。


「………」


フリルはただそれを無言で見つめていた。そして情けない事に脅えていたのだ、本当に自分はこれと対峙していたのか?と…一昨晩の出来事を思い出し、そして魔界を締める王にして最強の存在であるフェンリルの登場を迎えたのだ。



フェンリルとなったゼリムは、切り立った丘のに四つの足で確りと立ち、魔界の全てが見渡した、直後に大きく息を吸い込んだ…そして。


【ウオオオオオオオオオンッ】


それは遠吠えといえる行為なのだが、此れ程までに巨大な物体の遠吠えは、壮絶極まりないものであった。大地が音で振動する程の声量の遠吠えが、空に輝く赤い月に反射し、波のように広がりエコーや言霊が何度も繰り返される事で、遠くへ…魔界全域に運んでゆく。



【ザァッ】


遠吠えの言霊が静まると、その場の総てが騒めくような気配が一気にあふれ出てくる。


「こ…これは?」



エデンに付き添って食器洗いを手伝っていたマリアは突然の気配の変化に手を止めて窓の外に顔を向ける。


「おい!なんだこりゃ」


そこへ食堂にいたラルフや外で剣を素振りしていたグリフォードも、気配の変化を感じ、動揺した様子で厨房に駆け込んできた。



『王の咆哮…【上弦の月】にございます…』



エデンは、誇らしげに手を止める事無く動かしながら呟いた。


「王…ではゼリム様…の?」



マリアが聞き返せば、エデンは洗う手を止めてマリアに顔を向ける。


『王が赤月に向かい吠える時…それは魔界にとって集結を意味いたします…』


「集結!?…」


飛び出す程の勢いでグリフォードが叫び、マリアも反応する。


「ゼリム様が言っていた、魔王から魔物達を連れ戻す方法って…」


エデンは頷いた。それでも食器洗いをする手は止めず、当たり前の事のように気にも止めない。


『ええ、魔物総てをここ、ウィンホーバロンに集結させるのでございます、恐らく裁判とでも言って、魔王に組み従えた者共を断罪するおつもりにございましょう…』



ため息混じりに呟き、はじめて食器から手を離すと、窓の外に顔を向けた。


『ゼリア王妃に敗けぬ立派な上弦の月でございますな…いやはや、お嬢様は某が気付かぬ間にどんどんご立派になられる…これは、そろそろ某もお役ご免ですかな…』



エデンは冗談に口を歪ませて笑い、手を焼いていた筈のゼリムの立派な咆哮に目を細めた。



一つ吠えるのを終えたゼリムは、ちゃっちゃと人間の姿へともどると振り返る、背後ではフリルが耳を塞いだまま硬直していた。


『フリル!平気かー?』


ゼリムはフリルに駆け寄れば、フリルは気絶しているようであり、揺らしてやる。


「は…今のなに?」


取り戻したフリルはキョロキョロしながら、耳鳴りで痛む鼓膜に顔を歪める。


『なにって、世界に散らばる魔物共に、今すぐここへ来いと言っただけさ…』


ゼリムの言葉にフリルは何かを意図し、真っすぐにゼリムを見つめた。


「…ゼリム、この戦争に介入するつもりなの?」



だが、ゼリムは首を横に振り、厳しい表情となる。


『…人間でありながら自らを魔王等と称す馬鹿者に騙された憐れな民達の目を覚まさせてやるのさ、そして言ってやる…お前達の主はわたしだ!とな』


ゼリムは嘆願きり終えるなり退屈そうに背伸びし、自らが脱ぎ捨てた服を掴んで乱雑に着付ける。ボタンは付け違え、綺麗な下着を皺くちゃにし



「だああ!」


我慢出来なくなったフリルは、疲労も痛みも忘れて弾けるようにゼリムに掴み掛かった。



『な!なんだいきなり!?』


「うっさい!大人しくなさい!」



『うっ…うむ』


反発しようともしたが、猛然と乱れた衣服を直すフリルに黙らされて大人しくなる。


『フリル…』



「後ろ向いて?…」


ぽつりと呟いたゼリムに背を向けさせ、背中の身だしなみを整える。


「で?…なによ」


それからフリルはゆっくりと地面に腰をおろして聞き返すと、ゼリムはゆっくりと振り返る。



『もう少しだけ、付き合えるか?』


この時のゼリムの表情は、昨日までのゼリムの表情ではなかった、それはまるで何かを決心したような……フリルには、素直に頷くしか出来なかった。



『…うむ』


ゼリムも頷けば、またもフリルの脇に手を入れて軽々と立たせてから背負い、再び歩きだす。切り立った岸壁へ…。


「ちょ!ゼリム!?落ちるよ!!?ストップー!!」


気付いたフリルは必死にゼリムに叫び、背中を叩く…だが、ゼリムは何も言わずに魔界の見える丘から踏み出した。


「うわあああ!!!」



今のフリルにレイヴンを扱う自信は無い、レイヴンがなければフリルはただのか弱い少女に過ぎず、丘から地面に飛び降りれば当然死ぬ…フリルは両手で目を覆い顔を背けた。


「…………」


しかし、いつまで立っても重力落下の感覚は訪れず、フリルは身体が何ともない事に目を覆っていた手を退かした。


『なにをびびってるんだ?』


ゼリムはみっともない、と漏らしてクックッと背中を揺らして笑った。


「う!…うっさいわね!!」



顔を真っ赤に染めたフリルは反論しようとした。しかし、周囲の見慣れた景色に怒り心頭だった熱が冷めた。


「え…?ここ」



そこには自分達が朝に出たはずの屋敷があった。


「あれ?…いつ…」


帰って来た?と言い掛けたフリルは、明らかな違いに目を擦る。あの屋敷に全体を取り囲む花畑などあっただろうか?…。


『おーい!だれかいないか!』


気にせずゼリムが誰かを呼べば、花畑の中から小さな女の子がひょっこりと顔を出した。




女の子の頭にはゼリムのような鋭く尖った耳があり、黄金色の目に悪そうな髪色が太陽の光に反射している。女の子はゼリムと瓜二つだった。そして声の出所を探していた女の子の顔が此方を向き、ゼリムに気付いた途端に獣のような警戒の表情からパアッと明るい笑顔に変わる。


『母様だー!!』


女の子はそう叫びながら瞬時に立ち上がり、花畑を踏み荒らして走ってくる。


『こらミリ!花畑を踏み荒らすな〜』


ゼリムが女の子の名を呼べば、ミリと呼ばれた女の子は笑顔でゼリムを迎える。



『花なんて一杯あるもん、すぐに生え変わるんだからいいの!!それよりお帰りー!!』


身体いっぱいに使って声を張り、嬉しさを顕にしたミリは飛び付こうとしてから、ゼリムの背後に背負われたフリルに目を向けて警戒しだす。


『それだーれー?』


ミリは幼いながらも立派な牙を出して睨んでくれば。ゼリムはフリルを花畑の上へと落とした。


『わたしの人間の友達だー、挨拶しろ』



『ふえ!?人間!?これが人間〜!?』



ミリは素早く警戒を解いて興味深そうにフリルに身体を寄せてくる。


「フリルよ…」


自己紹介をすればミリは頷いた。


『そいつはミリ、わたしの娘だ…ミリ、カインとレオンを呼んでこいついでに花薬草の蜜も欲しいな』


ゼリムに言われれば、ミリは頷いて屋敷に向かって子供とは思えない俊敏な早さで駆けて行った。


「あ…あの子は?」



『わたしの子だよ…わたしとレオンのな…』



フリルが反応するよりも早く、ミリが二人の少年と青年の手を引いて連れ出してくる。瞬く間に目の前にやってきたのはメガネをかけた小柄な中性的少年と、鋭い目付きをした犬耳の青年だった。


『わたしの息子のカインとレオンだ』


ゼリムは二人の前に行けばフリルに紹介しようとすれば、レオンと呼ばれた青年が一歩前へと踏み出した。


『母さん』


鋭い目付きの青年レオンは、殺気立ってゼリムを睨む。


『なんだ?…』


ゼリムは惚けたように言えば、レオンは不快に表情を歪めた。



『なんだ?…じゃないですよ…なぜこんな時期に集結を!?何故人間がここにいるんですか!?』


レオンは激昂していた、その熱と勢いに任せて怒鳴り散らせば、ゼリムは耳を畳む事無く鼻で笑う。



『子が母の意思に意見をのべるなっ…そして奴はわたしの友達だ、なんか文句があるか?』



ゼリムは冷たくそう告げれば、レオンは鮫のような歯を剥き出しで前に出る。



『大有りです!!この時期への集結ならともかく!!人間をこの敷地に入れて他の魔物にこの敷地がばれたらどうするのですか!!?…何を考えているんですかあんたは!!!』


レオンの叫びにゼリムは冷たい表情のまま首を横に振る。




『母に口答えか…レオン、偉くなったなー』


ゼリムはみるみるうちに殺気立ち、多くは語らぬと睨み合いを始める。


「や!止めなよ兄さん!!」


気弱そうな少年カインは兄とゼリムの間に割って入り、フリルとゼリムを交互に見る。


『退いてろ!!おれはこの人からなっ…』


言葉では強気に叫ぶレオンだが、実力でカインを退かそうとはしなかった。



「ゼリム、喧嘩はあとでやんなさいよ…そんなものを見せたくてここにあたしを連れてきた訳じゃあないでしょ?」



フリルはそう言ってうんざりしたように口を挟めばゼリムに目を向けた。


『済まん、見苦しいものを見せたな…レオン!後でみっちりお仕置きだからな!』


ゼリムがそう怒鳴れば、レオンは一度フリルを見てから舌打ちをして、一人屋敷に帰って行ってしまう。



『お前達も屋敷に戻っているがいい…』


ゼリムはそう指示すれば、カインは素直に頷き走って屋敷に帰っていき。ミリは茶色い瓶をゼリムへと手渡す。


『母様…また来てくれる?』


ミリはまだ甘えたい盛りなのか、フリルがいる前で甘えるのを遠慮した様子を見せる。


『ああ、いい子にしていれば夜にでも来るさ』



それを聞いたミリは喜びで顔をいっぱいに満たして頷く。


『うん!!』


それから振り返る事無く屋敷に向かった。


「一緒に居させてあげても良かったんじゃない?」


フリルはミリの後ろ姿を見ながら聞けばゼリムは首を横に振る。


『いや…いい』



ゼリムは顔を向けずに右手の指で傍の植え込みを差す。そこには透き通った黒曜石の板が無造作に突き刺さっており、魔族の字が並んでいる。


『あの子達は…奴とわたしとの間に生まれた愛の結晶だ…』


フリルは、驚きと共にゼリムの背中に目を向けた。


「…あんた子持ちだったのね…ならそれはレオン・レオナルドのお墓ね?」




『うむ…魔族に恋した憐れな男だよ…飛び切り馬鹿で…どじで、間抜けで…とても優しい奴だった…』


ゼリムは決して此方を振り返ろうとはしない、ため息にもにた嗚咽が微かに響けばフリルは深くは突っ込まず、黙った。



『わたしや奴はいいかもしれんが…あの子達は不運だな…人でも魔でもない子供達…人間からも魔物からも敵だ…わたしが産まなければ…あの子達は苦しむことは無かっただろう…』



ゼリムはそう告げて、両手で大きく目の位置を擦ると、より優しい笑顔で振り返り深く息を吸い込んでその場に寝そべる。



「成る程ね…あなたが人間と仲良くしたがってたのは…あの子達の為?」



フリルの問いにゼリムは大きく頷いて言った。


『そうだ…わたしは一刻も早く、人間と魔物が仲良くなってくれる事を願っているのだ…私的な要求になるが…あの子達が外を思い切り笑顔で走り回れるような…幸せな世界を…わたしは残してやりたい』


ゼリムの言葉を聞いたフリルも、ゼリムに習って地面に寝そべり、心地よくそよぐ風に身を委ねた。


「ここ…気持ちいね…」


フリルはそう言えばゼリムはフン、と誇らしげに鼻息を漏らす。



『だろ〜?なーんにもない日はここで風を感じながら寝るに限る…』



フリルはその意見に賛成し、目を閉じた。



「ねえゼリム?」


フリルが唐突に聞いて、ゼリムは上体を起こす


「なんで魔物は人を襲うの?」



フリルに聞かれてゼリムは目を伏せる。


『理由は多々あるなぁ…腹が減っている時に目の前にいたのが人間だったから襲って食うというのが大半…だが…』


ゼリムは考える様に顎下に手を触れてとても言い辛そうに苦笑する。



『人間を食べると、凄まじい魔力が手に入るという噂があってな…』


ゼリムはやる気の無さそうな声色のままだった。


『実際のところは単なる迷信だよ…人間の肉なんて不味過ぎる上に、食った所で栄養の足しにもならん…』


ゼリムはまるで食べた事があるような口振りで苦汁を舐めたような顔をしていた。フリルは今一度ゆっくり寝そべり穏やかな風に身を委ねる。


「…ゼリム…あたしは、人間と魔物は友達になれるって信じてるわ…」



それだけ言うと、ゼリムの返答を待たずに意識を寸断し、眠りについた。



その日、フリルが街に帰って来たのは夜だった、夕食を食べたフリルを突然、ラルフが呼び止めたのだ。


「どうかしたの?」


フリルは余りに深刻そうなラルフの顔に、思わずマリアに顔色を伺う。


「少し話がしたい…出来れば二人きりで…」


ラルフの言葉と表情には何処と無く落ち着きは無く、フリルもマリアもなにやらいやな予感が胸の中に渦を巻く感覚に捉われた。


「いいわ、部屋で話を聞く事に」



「悪い…」



マリアから車椅子ごとフリルを奪い取ったラルフは、そのまま屋敷の馬鹿でかい広場までやってきた。


「何処に連れ込まれるのかと思ったら…で?なんなの?」


ラルフはキョロキョロと何度も周りを確認してから今一度フリルと向き直る。



「わりい、隊長…あんたに言わなきゃならない情報があったのを、わすれちまっていたんだ…」


「求婚とかなら駄目よ?」


「んな事するか!!」


ラルフは真剣に怒鳴り返して来るのを見て、フリルは彼を茶化すのを止めた。


「エリオール達が危ないかもしれない…」


その言葉に、フリルは目を鋭く細めて身を乗り出し言った。



「…根拠があるのね?」


ラルフは大きく頷く。


「魔王には、鷹の眼っていう名前の側近がいるんだ…奴の能力はその名のとおり…視力の強化…噂じゃ数十キロ先の景色を洩れなく見渡せるって話だ…奴が異変に気付いて偵察に赴いていたら…」


フリルは形のいい顎に手を当てて小さなため息を漏らす。


「確かに…それが本当なら厄介ね…既に偵察部隊をアグネシアに向けて出発させていてもおかしく無いわね」


フリルも冷静に状況を判断して行くと、事の重大差に顔を顰めていた。


「今すぐ戻ろう…そうすれば大部隊が押し寄せる前に反撃準備が整える事が出来る」


ラルフの判断は正しい、確かに今、ネビルアグネシアに大部隊が押し寄せたら…一人一人が勇猛な親衛隊であっても数で劣り、ネビルアグネシアの弱小兵士達が持ち堪えられるとは到底思えない…そこで思考を打ち切ったフリルは階段上の部屋を睨んだ。


「マリア!グリフォード!!聞いてるんでしょ!?出て来なさい!!」


フリルが声を荒げれば、マリアとグリフォードが同時に身を乗り出す。


「ち…取り敢えず部屋に戻ろうぜ…こうなっちゃ仕方ねえからな」


ラルフは腑甲斐なさそうに舌打ちし不満をいっぱいにしていた、彼は彼なりに仲間に配慮したのだ…いらない恐怖や焦りを与えてはならない…と、しかしこうも聞かれてしまっては配慮は無駄であった。



「あの…べ!別に盗み聞きするつもりは…」



「いいから部屋に行くぞっ!」


ラルフは声を張り上げフリルを押して部屋へ向かって行く、マリアとグリフォードは申し訳無さそうに追従した。


「じゃあマリア、地図をお願い…」


部屋に戻ったフリル達の前にマリアが魔法で造り出した巨大な地図を出現させ4人が取り囲むテーブルに拡げられた。


「グリフォード、ラルフはセグマディの位置と今分かっているだけの敵拠点の場所に印をつけて?」




ラルフとグリフォードは静かに頷き、単純な作業を黙々とこなせば、巨大なグリーンティアの大陸に扇形に分散する数多の拠点が姿を現した。


「西側の海岸線には魔王軍は展開していないの?」




フリルの問いに、グリフォードとラルフは頷く。


「海岸線西側には精霊都市アレクセイが有り…周囲にはアレクセイの拠点が展開しています」



グリフォードは青い印をつけて、小規模な拠点を書いていく。



「アレクセイ?」


フリルは首を傾げてラルフを見れば、ラルフは頷く。


「この大陸であくまで中立を語る国さ…堅牢な城門と勇猛果敢な精鋭に守られてる…」



ラルフはいい印象が無い様子で、フリルを睨む。


「手を組もうってんなら止めとけ?あいつらは何処の誰とも組まないからな」



「そうね…籠城してるような国に、無理して戦って貰おうとは思わないわ」



フリルは何度も頷き掛けてから、グリフォードに顔を向ける。



「何か…策はある?」


フリルに聞かれれば、グリフォードは難しい顔をする。


「隊長の怪我が万全だったのであれば…」


地図のウィンホーバロンの位置に指を置き、近場に隣接して存在する3拠点を大きく囲む。


「ここの3拠点を襲撃して派手な煙を上げ、アレクセイの進攻を警戒させる事が可能だったとは思います」


「成る程…確かに3拠点が壊滅に近い打撃を受けたって報告がセグマディに行けば…敵はネビルアグネシアなんて弱小な国を視野に留める事は出来なくなる…いい作戦ね…」


フリルは珍しくグリフォードを誉めれば、グリフォードは僅かに頬を赤らめた。


「ですが、隊長の今の状況では…戦力の知れない3拠点に攻撃を仕掛けたとしても壊滅的大打撃を与えられるとは思えません…」


「馬鹿ね!平気よ!!こんな…」


言い掛けた途中でマリアに背中を触られて、フリルは瞬時に身体を弾けさせた。


「いっ!!」


「何処が大丈夫なんですか!全く!」


フリルはぶすっと唇を尖らせた。


「国を失おうと…今後の戦を考えれば隊長の戦力を失う訳には行きません。ならば隊長の戦力を温存し、療養に努める事が重要と…わたしは考えます」



「あ!あたしはそんなに!」


反発しようとしたフリルより早くラルフが机を派手に打っ叩いてフリルを怯ませる。


「今の隊長は正直戦闘に出られても邪魔になるだけだ…それぐらいいくら馬鹿なあんたでも分かるだろ!」

思い切り怒鳴られたフリルは、途端に真っ赤になる。


「ば!!馬鹿ですってえ!!?」



『何を騒いどるか〜時間を見ろ時間を!!』



ゼリムが寝ぐせでぐちゃぐちゃにしながら部屋に飛び込んで来た。


「あ…う…ごめん…」



フリルは直ぐに小さくなり、ぐったりと車椅子に沈んでしまい涙目で愚図りだした。



『…なんかあったのか?』

ゼリムはきょとーんとして、傷心のフリルを眺める。


「いえ…少し口論になりまして…」


マリアはゼリムの頭の耳に小さく囁けば、ゼリムはふむふむ頷いた。



『そりゃラルフの小僧が正しいだろ、車椅子に乗るだけでぜはぜはするような奴が前線にいられたら迷惑以外なんでもなかろ?』



「うわーーーん!!!」


フリルは馬鹿みたいに声を張り上げて本気で泣き出してしまい、ラルフもグリフォードもどん引きした様子で顔を見合わせた。


「もう!ゼリムさん!とどめを刺さないで下さいよ!!」


『むお!!わたしか!!?わたしが悪いのか!?これ!!!』


ゼリムを気にも止めずにマリアはフリルを慰めにかかり、相手にされなくなったゼリムは頬をかいた。


『ま…まあ…程々にな…』


逆に傷心になってしまったゼリムは部屋に戻ろうとした振り返り際、机の上に拡げられた地図をちらりと見てから、何事もなく外へ出ていった。



「うぐ…まりぁ…ラルフに…ラルフに馬鹿っで言われた〜」


「大丈夫大丈夫、ラルフはもっと馬鹿ですよ?ほら、ラルフって実はギャノンエイプの親戚ですから」


ギャノンエイプとは、龍の森とよばれる巨大な森林が広がる北側に生息する醜悪な猿の事である。



「…俺、なんかマリアにひでえことしたか?」



ラルフはそう愚痴り、グリフォードに抗議の目を向けたが、グリフォードは何やらにやついていた…その視線の先には何もない。


翌日―ウィンホーバロン滞在期間を1日残し、フリル達は手早く荷造りをしていた所に、ゼリムがやってきた。


「なんだお前達、何処に行く気だ?」


フリルはゼリムに目を向けると、顔を顰める。


「国に敵の部隊が侵攻するかもしれなくてね…早めにここを出る事にしたの」



それを聞いたゼリムは突然のように口を引き裂いて笑った。



『だめだ、出国は許さん』

ぴしゃりとゼリムが言えば、フリル達は同時に顔をゼリムに集中させる。



『わたしは約束を違えるのが大嫌いだ。だから3日と言ったら3日なのだよ―』


「そんな―!国を見殺しにしろって言うの!!?」


フリルの反発にゼリムは眉をひそめフリルを上から下まで眺めた。


『文句があるなら私を倒す事だな…四対一でも構わんぞ?…』


ゼリムの瞳は本気そのものであり、今のフリルにゼリムを黙らせるだけの戦闘力は残されてはいなかった。


『ふん…』


うつむいた全員に背を向けながらゼリムが部屋から出かける。


『ああ…そうそう…昨晩貴様達が騒いでいたせいで眠れなくてな〜…あんまりにもむしゃくしゃしたからこの辺を歩いていた人間を纏めて壊滅させてしまったよ五千と少しばかりいたのだが…あれはお前達の仲間か?』


ゼリムは思わせ振りに振り返ったゼリムの言葉に、その場にいた全員は顔を驚きに変えた。



「―え!…」



そのような真夜中にアグネシアの部隊が歩いているわけが無い、フリルは直後に悟る…ゼリムは昨晩の自分たちの話しを聞いていたのだ、そして入って来て地図を確認して凡その目星をつけ、一人…否、一頭…ウィンホーバロンを出てゲノムに向かって進軍していた先見部隊を壊滅させていたのだ…僅か数時間の短期間の内に…よくよく見れば、ゼリムの服装は、ついさっき着付けられたばかりの新しさが見受けられていた。フリルが何かを言おうとしたつかの間、ゼリムはスカートを捲り、中から黒い物体を取出してフリルに投げつける。


「うわ!」


避けようと身を捩ったフリルの前にラルフが割り込んで受け止めると、それを見て驚愕する。


「隊長…こいつは魔王軍の精鋭部隊が着けている黒鉄甲冑の破片だぜ」


ラルフは黒い鎧の破片をフリルの顔の前に曝せば、フリルはまじまじと眺めた。


『精鋭部隊?その割りにはなんともだらしない連中だったなあ〜わたしを見た途端、恐怖で喚きながら逃げ惑っていたぞ…。まあ、容赦無く狩ったが〜…ああ、もしかしたら1人位逃がしているかもしれん〜…なんかむかついてきたな!!よし!今日は西側を根城にしている人間共を襲ってくるかな〜!』



「あの…ゼリムっ!」



フリルは行こうとするゼリムを呼び止めると、ゼリムは振り返ってニマリと笑った。



『思い上がるなよフリル…わたしは、ただ領主として。我が領域を脅かす敵を排除しているだけにすぎん…礼を言われる筋合いもないし馴れ合うつもりもない…エデン!人間狩りだ!ついてこい!』


厳しく言い放ち、顔を向けずにそのまま去っていき、扉の外にいたらしいエデンは苦笑しながら現れてフリルに一礼だけすると、フリルの後についていった。



「ありがとう…ゼリム」



フリルは小さく小声で呟けば、改めてグリフォード達3人に顔を向ける。


「聞いてのとおりよ、ゼリムが暴れ回ってくれたお陰で敵は兵力の補充と強化を測るべく無作為な攻撃部隊を送られる事は当分無いと思うわ…ゼリムの言葉に甘えて今はゆっくり休んで明日の旅立ちに備えましょ?」


フリルの言葉にグリフォードとマリアは納得して直ぐに頷く、が、ラルフはどうやら不安を表情に残していた。



「悔しいけど…確かにいまのあたしに全力で戦える程の体力はない…悪いけど、後一日だけ…付き合って貰える?」



そう、フリルは今迄の言葉を一切覆し、にっこりと笑った。



そして―翌日。



「さあ!帰り仕度よ!!」


4日ぶりとも言える態度で胸を張り昨日までの弱気で健気な雰囲気を地面に叩きつけ踏み躙るような元気を見せ付けたフリルは、大きな瞼を爛々と輝かせ、てきぱきと荷物をリュックサックに放り込んでいた。


「「「はあ」」」


マリア、ラルフ、グリフォードは揃ってため息を吐き出した。三人共、朝早くから叩き起こされ長旅に備える為の食料や水の調達に走り回されたのだ…マリアは少し呆れた様子でフリルに視線を送る。



「隊長?…まだ完治した訳じゃあ無いんですから、少しは大人しくですね?」



「何を甘い事を言ってるのっ!!今!あたしの身体は猛烈な運動不足を訴えて悲鳴を挙げてるわ!!」


フリルはそう切り出して、手をわななかせ、そして自分のベッドに置かれた背納を背負う。


「い!!…」


しかし、途端にカバンをベッドに投げ捨て肩を抑える。


「た…隊長!」


マリアは慌てて駆け寄れば、フリルの服の内側で包帯が赤く滲んで行くのが分かる。当然だ、とマリアは思う…フリルの肩と背中に負った傷は深く損壊が酷かった、今元気に騒げるフリルの回復力も不思議ではあるが…いまだに治りきるはずがないのだ。


「まったく…無茶はだめです…」


マリアはフリルの背納から水筒だけ取出し、フリルの首から下げさせると、同時に背納をラルフに投げた。


「そうだぜ、ガキはガキらしく水筒一個がお似合いだ」


もともとから軽いフリルの背納を右腕にぶら下げたラルフは、悔しそうに睨むフリルにそう苦笑を返した。


「うっさい!あたしは…いぃっ!!」


言い返したフリルは痛みで体をよじる。有無を言わさずマリアが包帯の上から回復魔法をかけたからだ。



「にしても帰るったって…どうやって帰る気なんだ?」



ラルフが何気なく聞けば、フリルはキョトンと振り返った。


「?…歩くに決まってるじゃないの、やーねー」



フリルは当然と言いたげな顔をし、途端にラルフは額を手で押さえてマリアに目を向ける。



「ここにテレポールはないですよ?」



マリアは涼しげに言い、彼女も歩く気でいるように見え。ラルフはがっくりと肩を落としてうなだれる。



「まあいい訓練じゃないですか」



グリフォードは既にフリルのペースに慣れた様子で、歩く気満々の様子を伺わせる。


「あのなぁ!馬で4日もかかる道なんだぞ!!?歩きで帰ったら何日かかると思ってやがるんだ!?」



痺れを切らせたラルフは、いつになく真剣に意見を記せば。対してフリルは欠伸する程の余裕を見せる。



「心配せずとも、ゼリムのお陰で魔王は当分アグネシアには進攻して来たりはしないんだから、焦って帰る必要はないわよ?」


ラルフは不満気に顔を歪めた。


「何でそう言い切れる?分かんねえだろうがっ!」



「エデンさんの使い魔の視覚を見せてもらってたからっ!!」


フリルは元気にラルフの意見を捻り潰して胸を張る。

「なっ!?…」



余りの驚きに目を丸くしたラルフは、思わずフリルを殴りたくなる衝動にかられ、手を振り上げる寸前で押し留めた。


「いや〜…使い魔って便利よね〜…ああやって視覚を映して偵察出来たら大いに戦略が広がるわよね〜」


フリルはそう、不思議な体験をしたかのように、マリアに言えば、一緒にいたらしいマリアも笑顔で頷く。

「そうですね、今度わたしも使えるように勉強しておきますよ」



マリアがそんな事を言うものだから、フリルは上機嫌に万歳してまで喜びを露にする。


「でもよっ!…」




あくまでも譲ろうとしないラルフ…そこへ、窓から光の玉が飛んできて全員の間へと割り込む。


「なにこれ!!」


フリルは興味深そうに光の玉を見上げれば、光の玉はマリアに向かい、胸のなかへ収まる。



「あ、エリオール様からの伝言ですよ〜?」



「「「エリオール様の!!?」」」



三人が驚きに声を揃えれば、マリアは気にせず光の玉から紙を取り出してフリルに差し出す。



「これは、伝書鳩みたいな魔法です…簡単な手紙のやり取りが出来るんですよ〜」


「成る程、それで里の仲間と連絡を取り合っていたんですね?」


グリフォードは素直に賞賛し、マリアは照れ臭そうにしながらも、いつまでたってもフリルが手紙を受け取らない事に気付き、目を向ける。


「……読んで」


フリルは受け取らずにそう言ってきた。その表情は何かを隠しているように曇っていたのだが…マリアは気にせずに頷き、紙を広げた。


「まずは魔界との会談の成功を賞賛す、アグネシアは現在の所異常なし…」


実に胆略的な文章に、マリアは苦笑を漏らしながら、さらに下へ目を送り


「精霊都市アレクセイが魔王軍駆逐隊を編成し、魔王軍の掃討作戦を開始するとの密書が私だけに送られて来た。聖騎士団は直ちに、アレクセイの戦列に加わり援護するべし…だそうです」





マリアは読み終えるとグリフォードとラルフは腕を組む。


「アレクセイがとうとう動きますか…となると、指揮はグレゴリウス将軍が取るのでしょうな…」


グリフォードはそう呟き、何処か誇らしげに言えば、マリアは首をかしげた。


「【アレクセイ】ってなんですか?」


マリアがそう言えば、それにはラルフが応える。


「アレクセイってのは鉄壁の城壁と優秀ぞろいの騎士達に護られたアグネシア唯一の中立国だ。魔王軍は何度もあの城壁の攻略に乗り出したが…城と城壁の向こうに水を独占され、それ以外は見晴らしのいい草原しかない地形に恵まれていてな…攻略は不可能とされてるぜ」


「そして尚且つ、アレクセイを指揮するのは蒼獅子と呼ばれる猛将にして我が師【グレゴリウス】将軍です」


グリフォードがその言葉を口に出せば、マリアとフリルは同時に首を傾げた。


「そのグレゴリウスってのはそんなに凄いの…?」


フリルはラルフに顔を向けて聞けば、ラルフは一瞬顔を顰める。



「凄いなんてもんじゃねえ、【聖なる護り】なんつう最強の能力を持ちながら文武両道で…ゲノム王国の猛将【剛腕アドレー】を除けば、現時点でアグネシア最強の騎士だ…」



結構な有名人らしく、ラルフとグリフォードの哀れむような視線がフリルの顔に向けられる。フリルは形のいい顎に手を当てて首をかしげていた。



「…なんでそんな人が戦線に出るのにあたしらが必要なのかしら…」


フリルはそう言うなり立ち上がる。


「隊長?…」



マリアが聞けばフリルは小さく頷く。


「…スッゴい嫌な予感…」


フリルの予感はよくあたる、グリフォードやラルフも不安げに頷いた。


「マリア、取り敢えず親衛隊に指示を出したいわ…あたしの言葉を手紙に書いて頂戴?」


「え?…はい、わかりました」



何故かフリルは、文字を読むことも書くこともしない…マリアは少し不思議に感じながらも、言われた通りに頷き、机へ向かった。



『なんだきさまらー!まだいたのかー!』



暫くしてゼリムが部屋に飛び込んできた、ゼリムは何時もと変わらない豪華な衣服に身を包み、尻尾をわさわさ振りながら何処か嬉しそうだ。


『まったく…3日までと言ったのに何故まだいるのだあ?…いや!言わなくて良い!わたしはそんなに狭い良心では無いからな〜!!』


要するにゼリムは長く居座っても構わない…と言ってくれているのだが、フリルもマリア達でも…これ以上ゼリム達に迷惑をかけるつもりは無かった。


「アレクセイへの経路を確認してたのよ、あと30分もしたら出るわ?」


そう言うとゼリムの尻尾がだらしなく下がり、どことなく悲しげな目を向けてくる…そのまま瞳がうるうるとしだした。


「こ!…今度はあんたがあたし達の所に遊びに来ればいいわ?歓迎するからさ…ね?」




するとゼリムは、零れ落ちそうだった涙をぐっと拭い去り、ニヤリと笑う。


『約束だぞ、絶対だぞ?』


小さな子供のようにいい次には小さな袋をフリルに投げ付けてきて、フリルは反射的に受け取る。



『それをやるからさっさとウィンホーバロン領から出ろ…』



ゼリムが差し出した小さな袋の中には小さな笛が4つ入っていた。



「なにこの笛…」


フリルは笛の一つを取り出せば、他の三人も興味深そうに覗き込む。



「ただの笛…ですよね?」


グリフォードの発言にゼリムは鼻で笑い得意気に腕を組む。



『それは死霊馬しりょうばを呼ぶ笛だー』



聞き慣れない言葉にフリル達はこぞって首をかしげ、怪訝な目で笛を睨んだ。


「なに?その死霊馬って」


フリルが聞くと、ゼリムは耳と尻尾をフリフリと動かし優越感に浸ったような態度を見せる。


『疲れる事、餓える事、死ぬ事のない馬さ、そしてそれはその馬を呼ぶ笛さ…』



途端、フリル達の視線を集めたゼリムは大きな咳払いをする。




『足が必要なのであろっ!いいからさっさとウィンホーバロンから出ていくがいいっ』



怒鳴るように叫んで背を向けたゼリムに、フリルは前に歩み出て手を差し出す。

『な!…なんだその手は…』



「ありがとう!ゼリム!」



フリルの本心からの言葉を直に受けたゼリムは、顔を横に振りながら体を向けなおし、最後の抵抗として顔を背ける。


『と…友達なら…これくらい当り前だ…』


ゼリムは素直にフリルの手を受け取って、何時までも握手を交わしていた。



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