第2章 美貌のチェシャ
私達は、始めてから二時間程で、新規ミッションを終えた。
先週のバージョンアップで新たに追加されたそのミッションは、《エイギスの塔》というダンジョンに赴いて、そこで、全五章ある一連の繋がりをもったミッションを第一章からこなしていく、というものだった。
事前に攻略サイトで調べていた情報によると、最終章では、その《エイギスの塔》の最上層で、手強いボスモンスターと対戦しなければならないということだったけれど、私達が進めたのは、半分強の第三章中盤ぐらいまで。
それぞれのキャラクターが、度重なる戦闘で疲弊しきっていて、丁度一区切りついたわけだしと、今日のところは、街に戻らせて休ませることにしよう、となったのだ。
そうして、私達が《エイギスの塔》から街へと帰還し、休息をとったりをし終えたところで、それを見計らったかのように、《ホーリーノエル》の最後の一人であるチェシャが、グループ通話に加わってきた。
「みんな揃ってるみたいね」
チェシャの澄んでいてよく通る声が、内蔵スピーカーから届いてきた。
彼女が、《ホーリーノエル》を結成したリーダーで、都(つ)野(の)國(くに)屋(や)アリスという、中々他にはいない珍しい名前を持つ、私と同じ二八歳の女性。住まいは、東京都墨田区にあるマンション。
《
今から三ヶ月程まえのクリスマス・イヴに、《ホーリーノエル》を結成したのは彼女だけれど、《リゼルヴィア》は、引退というわけではないけれど、その頃からもうほとんどプレイしていない。なのに、コミュニティを結成したのは、ただ誰かとの楽しい時間がすごせたらと考えてのことらしい。
なので、こうして、メンバー同士のグループ通話には、頻繁に参加しているというわけ。
「ウルフさん、マシュー君、喧嘩せずに楽しめてる?」
とそのチェシャ。
「もちのロンより証拠に、僕は平和主義者ですから。和(やわらぎ)を以て貴しとし、忤(さか)ふること無きを宗とせよ』」
柔軟織り交ぜた言葉づかいで答えるマシュー。
「こいつの軽口に本気で相手してたら、疲れてしょうがないからな。適当に相手してやってるよ」
ウルフは答えると、
「そんなことより、プロフィール画像、コジロウのに変えたんだな」
チェシャは、私と同じで、他のメンバーに自分の顔を明かしていない。こうしたビデオ通話での自分の顔を映し出す枠には、写真やイラストだったりを表示させるのが常だ。
今映っているのは、彼女が飼っている、額にハート型の珍しい模様がある、コジロウと名づけられた愛らしいチワワを映した写真だ。
「今日はコジロウの誕生日だからね。せっかくウルフさんがお手製の誕生日プレゼントを届けてくれたわけだから、それを嵌めたコジロウを、皆にお披露目しようと思って」
写真で見るコジロウの首には、革製の首輪が嵌められている。先週のビデオ通話で、革職人であるウルフが、コジロウの誕生日プレゼントに贈ると言っていたものだ。その写真では見えづらいけれど、『KOJIROU』という英字による刻印がされているとも聞いている。
「気合い入れて作ったからな。我ながら、中々の出来だと思うぜ」
とウルフが誇らしげに。
「うん、ありがとね。コジロウも気に入ってくれてるみたい」
と嬉しそうなチェシャ。
「そりゃよかった。頑張った甲斐があったってもんだ」
「それで、皆は今まで何やってたの? また浮遊大陸での素材集めの続き?」
「いや、新しく追加されたミッション進めてた。切りのいいとこまで進められたから、街まで戻って休んでたとこだったんだ」
「チェシャは何してたの?」
と私。
「ワインを飲みながら、ベランダで夜景を眺めてたわ」
「優雅な一時ってやつだな。舞台女優に似合いそうなシチュエーションだ」
ウルフは、皮肉をこめたように言うと、
「ワインなんて洒落たもんばっか飲んでないで、たまには、俺みたいに焼酎飲んでみろよ。米だろうが芋だろうがなんでもいいからさ。心の底から熱くなれるぜ」
「いやよ」
チェシャが、露骨に尖った声で返した。ブラウザに顔は映っていないけれど、思いっきり眉をひそめていそうだ。
「私、お酒はワインだけって決めてるの。それに、自分の嗜好を他人にとやかく言われたくないわ」
「そう言うと思ったよ」
ウルフはその反応を楽しむように、意地悪く喉の奥でくつくつと笑いながら、
「まあ、チェシャに焼酎は似合わないって俺も思うしな」
「チェシャさん、前に、自分の部屋からスカイツリーが見えるって言ってたよね?」
とマシューが、大好物のマシュマロをもぐもぐと頬ばりながら。
「もうすぐ一般にお披露目ってことだけど、どんな感じ?」
「夜間にライトアップされたりして、とても綺麗よ。映像で見せてあげられないのが残念だけどね」
チェシャは答えてから、
「ところで、五月のゴールデンウィークに予定してる東京での最初のオフ会のことだけど、集まるカラオケ屋さんの予約がとれたから、一応皆に伝えておこうと思って」
「気が早いな。まだ二ヶ月以上先のことだろ?」
とウルフ。
「結構人気あるお店だから、ゴールデンウィークってこともあるし、予約が埋まっちゃってたら困るでしょ? 予約とった時にも、もう半数以上埋まってたのよ?」
「ま、安心できるに越したことはないよな」
ウルフは返してから、
「ところでさ、オフ会するのはいいんだけど、チェシャもウサギも、出席は無理なんだろ? リーダーのいないオフ会なんて、ちょっと寂しすぎやしないか?」
「私としても、ミカを誘って息抜き程度の気持ちで結成した《ホーリーノエル》が、結成して三ヶ月程度の内に、メンバーもこんなに増えて賑やかになったんだから、オフ会で、皆と直に顔を合わせたいって気持ちがないわけじゃないわ」
「だろ? だったら――」
「でもね」
チェシャは言葉を被せて遮ると、
「私は、自分の顔を皆には決して明かさない、って決めてるの。私の美貌は、私の演技を観にきてくれる皆のためにある。だから私は、ウェブ上では決して素顔を晒さない」
「それに、『私の美貌を前にしたら、ウルフやマシューが、私に惚れちゃう可能性大だからね』、だろ?」
「ふふ」
チェシャが笑いを零れさせながら、
「分かってるじゃない」
「相変わらずの自信家であらせられることだ」
とウルフは肩を竦めてから、
「ウサギはどうなんだ、やっぱり無理なのか?」
「私、リアルな人づきあいが苦手だから・・・・・・、皆には悪いけど、やっぱり顔出しはパスさせてもらいたいな」
申し訳なさげに答える私。
「そうか・・・・・・」
とウルフはがっかりしたように肩を落とすと、
「ウサギにいたっては、本名さえ匿してるわけだからな。俺達の中に、仲間の個人情報を利用して悪巧みするようなやつなんているわけないんだから、そろそろ本名を明かしてくれたっていいんじゃないか?」
「うん・・・・・・、だけど、色々あって・・・・・・」
私は、どう答えたものかと、言葉を濁すしかなかった。
「本名を明かしてくれさえすれば、ウサギにも、誕生日に、名前入りの革製品を贈ってやれるんだけどな」
「むむむっ、分かったっ! マシュー氏には、ビビッときたでござるよ! 長きに渡る大いなる謎が、ついに今解き明かされますたっ! キリッ!」
とマシューは、眼鏡のブリッジを指でくいと押し上げると、
「めっさ恥ずかしい名前なんだ。花子とか、妹子とか・・・・・・いやいや、もしか、明太子とか」
それには思わず失笑しながら、
「何、明太子って」
「我が故郷の味、明太子、ああ・・・・・・また実家から贈ってこないかなあ・・・・・・」
と眼鏡の奥の目を細めながら、故郷の地福岡へと思いを馳せるマシュー。
「お前は、マシュマロだけ食ってりゃ幸せだったんじゃなかったのかよ」
ウルフがすかさず突っこむと、
「マシュマロはマシュマロ。明太子は明太子。どちらが欠けても、僕を語ることはできないのだ」
「そーかよ、好きにしてくれ」
ウルフは軽くあしらってから、
「それで、前言ってたみたいに、チェシャとウサギは、《エアフリ》越しに出席ってことになるのか?」
「ええ、そうさせてもらうわ」
チェシャは答えると、私に、
「ウサギも、そうするわよね?」
「うん、そうさせてもらう」
「そっか。まあ、それは仕方ないとしてだ。オフ会で集まる店のことだけどさ。予約とってもらったばかりでなんだけど、やっぱり今からでも居酒屋に変えないか?」
「カラオケでもお酒は飲めるわよ」
とチェシャ。
「いや、そういうことじゃなくてさ。なんていうか・・・・・・、雰囲気の問題ってやつなんだよ」
チェシャは「うーん」と唸ると、
「だけど、多数決でもう決まってることだしね。ミカもウサギもマシューも、カラオケの方がいいのよね?」
「私もカラオケの方がいいな」
と私。
「私も、かな」
ミカが控え目に続く。
「ウルフさん、数で負けてるんだから、潔く白旗上げないと」
とマシュー。
「お前、男なら、居酒屋で決まりだろ」
とウルフが睨むような目つきで。
「僕はいつだって、か弱い女性の味方だよ」
とマシューはやれやれと言ったように頭を振ると、
「誰が好き好んで、むさくるしいおっさいサイドにつくっていうの、常考でしょ。それに、居酒屋ってあんまり好きじゃないんだよね。酔っ払いが裸になりだして奇行に出たりして、カオスになったりもするし」
「・・・・・・九州男児は、死んだな・・・・・・」
嘆くようにウルフが呟いた時、「ほーーーーっこり動画っ!」という、間の抜けた感を前面に押し出した女性によるアナウンスが届いてきた。「《スカイクラッド》が、午前零時ぐらいをお伝えします」と別の落ち着いた声で続く。
いつもマシューが、バックグラウンドで起動させている、緩みきったのが売りの《ほっこり動画》の時報を同じように聞いたチェシャが、
「もうそんな時間なんだ。最後にインしといてなんだけど、今日はここらへんでお開きにしようか」
「そうだな、そうするか。そろそろ眠くなってきたとこだしな」
ウルフは頷いてから、
「それじゃあ、俺はここらで落ちるよ。明日は日曜だから、また明日ってことになるかな。皆、お疲れさーん」
「お疲れさま」
とチェシャ。
「乙―」
とマシュー。
「お疲れさまー、また明日ねー」
と私。
「お疲れさまでした」
とミカ。
それぞれが言ってグループ通話を抜けていき、その日の《ホーリーノエル》の歓談は、そこで終わった。
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