Each Desire

雨想 奏

第1章 粉雪が舞う中


 そろそろ見納めかもしれない小粒な雪がはらはらと舞う、二月も終わりに差しかかった土曜の夜。

 私は、東京の千代田区にある自宅マンションのリビングで、暖房を適度に利かせながら、窓際の仕事デスクの前で、推理作家として、ノートPCと向かいあいながら、執筆に勤しんでいた。

 と、

『インテルメッツォ OP.118―2』――

 ブラームス作の、穏やかで心癒やされるピアノ演奏が、ノートPCの内蔵スピーカーから流れてきた。

 同時に、鈴を鳴らしたような短い電子音とともに、バックグラウンドで起動させていたコミュニケーション・ソフトウェアが、ディスプレイの端に小窓をポップアップさせた。

 忙しなくキーボードを打っていた手でマウスを操作し、ブラウザを開く。『ビデオで応答』のボタンをクリック。回線がつながり、ウインドウに、ビデオ通話を持ちかけてきた相手の顔が映し出された。

「ウサギ、今、時間あるか?」

 顔を見せるなり、ウルフが尋ねてきた。

 ウルフというのは、彼のニックネームで、押塚洋一おしづかよういちという名前の、男やもめな三十六歳。長野県の茅野市で革職人をしている。最初に出会った時は、そのウルフというニックネームに相応しい、職人気質の古風な男気を感じさせる印象で、体つきもがっちりと筋骨たくましい。

 一見ちょっと近寄りがたさがあるんだけれど、実際話してみると分かると思うけれど、面倒見が良い、少し歳の離れたお兄さんって感じ。

 その生やした逆三角の顎髭は、洒落てはいるけれどくせっ毛で、いつも左右どちらかにぴょこんとその先端をくねらせていることから、思わず、逆立ちしたキューピーちゃんの髪の毛を連想してしまう。

 そんな、見た目とは違うギャップを感じることができる部分があったおかげで、こうして、互いにニックネームで呼び合う仲になるのを手助けしてくれたように思う。

「今、仕事中」

 ブラインドタッチの手を休めることなく、短く答えた。

 執筆モードに入っている時は、どうしても対応がそっけなくなってしまう。

 因みに、私達が今ビデオ通話で使っているコミュニケーションソフトウェアは、《AirFreendsエアフリーエンズ》といい、ネットを通じて互いの顔を見ながら通話を楽しんだり、インスタントメッセージを送ったりができるというもの、ユーザーからは、《エアフリ》の略称で親しまれている。

「《リゼルヴィア》さ。この前のバージョンアップで、新しいミッションが追加されただろ? それを一緒に進めようと思ったんだけど、仕事中だったか」

 ウルフと私は、波乱に富んだ冒険の旅が繰り広げられる、《リゼルヴィアオンライン》――通称《リゼルヴィア》の名で、多くのネットゲーマーたちを楽しませているMMORPG内で結成された、《ホーリーノエル》というコミュニティのメンバー同士。

 ウサギやウルフというのは、その《リゼルヴィア》内での、それぞれのハンドルネーム、『白兎しろうさぎ』と『StrayWolfストレイウォルフ』からきている。《ホーリーノエル》では、《エアフリ》で互いにそれらの愛称で呼び合って会話しながらのプレイというのが通例だ。

 ただ、ウルフは顔を見せながらだけど、私は自分の本名と顔を明かさないことにしているから、彼が見ているブラウザには、推理作家としての私の、デビュー当時からのファンでいてくれている女性に描いてもらった、可愛らしい白い兎のイラストが映されているだけだけれど。

「物書きってのも大変だな。こんな週末の夜にまで仕事しなきゃいけないなんて」

 ウルフが慮るように続ける。

「締め切りが近いからね」

「今日は無理そうか?」

「もう少しで一区切りつきそうだから、それからでよければ、ちょっとだけ待っていてくれないかな?」

「オーケー。その間、音楽でも聴いて暇潰してるよ」

 それから、私はしばらくの間、ビデオを介しての通話状態を維持したまま、執筆を続けた。

 二十分ほどで、課していたノルマをこなすことができた私は、長時間座りっぱなしで凝り固まっていた身体を伸ばしながら、

「お待たせ、終わったよ」

「ご苦労さん」

 とウルフは労いの言葉を向けてから、

「いやー、にしても、やっぱツェッペリンはいいわー。今日の昼、リマスター版の二枚組ベストアルバム買ってきたんだよ」

「ウルフさんは、無類のロック愛好家だからね」

 ツェッペリンとは、彼が崇拝してやまない、六十~七十年代にかけて活躍したブリティッシュ・ロックバンドらしい。以前彼から、熱っぽくそう教えられたことがある。

「ウサギも、クラシック一辺倒じゃなくて、たまには別のジャンルの曲も聴いてみたらどうだ? ロックはいいぜ。ただ、日本の歌謡ロックなんてのはもちろん問題外だし、洋楽でも、七十年代までに限るけどな」

「うーん・・・・・・」

 私は思案げに唸りながら、遠慮がちに、

「ロックは騒がしい感じがして、ちょっと苦手だな」

「そうかあ?」

 とウルフが目を眇める。

「俺にしてみれば、クラシックの方が、ちょっと大人しすぎるだけって思えるけどな。聴いてて退屈しないか? ゆっくりなテンポで、ピアノをポロンポロンってやられてると、眠気に襲われてしかたない」

「クラシックにも、躍動的な曲はたくさんあるよ。今度そういう曲をセレクトして、MP3のデータにしてメールで送ってあげようか。それを聴いたら、ウルフさんもクラシックに目覚めるかも」

「ないない」

 とウルフは片手をひらひらと振りながら、

「俺は、生涯ロック一筋って決めてるからな。他のジャンルに浮気するなんてあり得ないって。クラシックに限らず、ポップスにしろジャズにしろ、だ」

「だよね」

 そうくると分かっていたから、すんなりと頷ける。

「それに、音楽は、自分の好きな曲を聴くのが一番だからね」

「だな。俺のロック友達に、『これだけは聴いとけ』なんて周りに押しつけがましく薦めようとするやつがいるけど、それは違うよな。そういうやつに限って、オタク的な知識ばっかりの頭でっかちで、音楽の一番大事な部分ってやつを分かってなかったりするんだよな」

 ウルフがそう持論を述べたところで、ディスプレイの端に、他のメンバーがオンラインになったことを示すポップアップ通知が浮かんできた。

「マシュー君だね」

「無視しろ、見なかったことにするんだ」

 ウルフが、露骨に顔をしかめながら声をひそめる。

「のけものにするなんて、可哀想じゃない」

 私は苦笑しつつ返すと、そのマシューに、グループ通話に加わるように通知を送った。

 コール音が三回鳴った後、通信がつながり、

「じゃじゃじゃじゃーん、マシュー参上なりー」

 と《エアフリ》のブラウザに、和やかに笑みながら、赤ちゃんをあやすように、顔の前で両手を広げているマシューが映し出された。

 彼は、京都府京都市でアパート住まいをしている、先月めでたく成人を迎えた、某有名国立大学の二年生。本名は、八重畑瑛太やえはたえいた。軽い調子でネットスラングを使ったりして戯けてみせることが多いけれど、その知能偏差値は高い。

 ゲームマニアを自称していて、大学では、ゲームを研究するサークル(研究と言っても、ただ集まって一緒にゲームをプレイして楽しむのが主な活動らしいけれど)に所属している。いつ勉強してるいのか疑わしくなるほどに、日夜ゲーム三昧。

 『マシュー』というのは、彼のハンドルネーム『マシュマロ天国』から。そのハンドルネームが示すとおり、マシュマロが大好物らしく(彼曰く、自分の主食とのことだ)、そのマシュマロをほおばりながらというのが、彼のプレイスタイル。

 今日もご多分にもれずというように、マシュマロの菓子袋を手元に置いているマシューに、

「マシュー君、こんばんわ」

「ウサギさん、こnこんー。今北産業いまきたさんぎょうよろ」

 マシューが、さっそくネットスラングで返してきた。

 出会った最初の頃は、その意味をよく理解できずに会話が成立しなかったことも多かったけれど、私もそれから色々と勉強して、今ではそういったネットスラングを使われても、どんな意味なのかだいたい把握できるようになった。

 今使った『今北産業』を例に挙げると、『今来たばかりだから三行以内でどういう状況なのか説明よろしく』というような意味になる。

 ただ、自己流アレンジを利かせすぎてしまうところもあり、いまだに、宇宙人か古代人が使っていたんじゃないか、みたいに思える意味不明な言い回しも多いんだけれど。

「お前、いいかげん、そのふざけたしゃべり方やめろ」

 とウルフが鼻白むようにして突きつけた。

 その反応からも分かるように、軽い性格でしゃべり方こんな風なマシューと、フランクではあるけれど、本質的には硬派で男気を尊重するウルフとは、あまり噛み合いがよくない。

「ウサギさん、僕がいない間、ウルフさんにセクハラされなかった?」

 とマシューは心配げにすると、芝居がかった所作で、両手で身体を抱くようにして身を震わせながら、

「赤ずきんちゃんならぬ、白ウサギちゃん。油断させておいて、狼が頭からガブリ。おーこわ、おーこわ、おそろしやー」

「だまれ、このマシュマロ中毒」

 ウルフが不愉快極まりなさそうに、一喝する。

 私は、そんないつものお決まりのようなやりとりに、思わずため息を吐きながら、

「私たち、新しく追加されたミッションに、今から挑戦するつもりでいたの。マシュー君も、一緒にどう?」

おkおけ。ご一緒するでござるよ」

「ミカもオンラインになったみたいだな。呼ぶか」

 とウルフ。

 私のディスプレイにも、そのことを知らせるポップアップが浮かんだところだ。

 程なく、鮮やかな花柄の布製マスクを嵌めた、ミカの色白な細面が、《エアフリ》のブラウザに映し出された。

「こんばんは」

 ミカが、持ち前の、女性としては少し低めのハスキィボイスで挨拶する。

「おう、こんばんはな」

 とウルフ。

「こんばんは、ミカちゃん」

 と私。

「こんばんわんこそば、特盛り出前いっちょですー」

 マシューだけが、オリジナリティが溢れかえったような挨拶を返した。

 彼女も、《ホーリーノエル》のメンバーで、本名は相坂裕美あいさかひろみ。年齢は私より一つ年下の二十七歳。東京の新宿区でマンション住まいをしていて、職業は、女性にしては珍しいコンピュータプログラマ。

 ゲーム内で演じる、後方支援が主な吟遊詩人のように、彼女自身も、古きよき大和撫子を思わせる、控え目でおっとりとした性格。

 ハンドルネームが、《クレセントムーン》で、訳すと『三日月』になることから、『ミカ』というニックネームで呼ばれている。

 花粉症持ちらしく、常にお手製だという布で編まれた立体型のマスクを嵌めていて、素顔を全部晒すことは稀だけれど(最近街中でよく見かけるマスク女子になるわけだ)、その上にぱっちりと覗く目や、軽くウェーブしたボブヘアだけでも、その可愛らしさが十分に窺える。

 裁縫以外に、ヘアピンを蒐集する趣味もあって、今日そのボブヘアの前髪をとめている可愛らしい三日月のヘアピンも、その内の一つだろう。

 彼女のコレクションは幾つか見たことがあるけれど、ハンドルネームにそう名づけていることからも分かるように、その三日月型のものがお気に入りらしく、嵌めている頻度が一番高い。

 マシューがマシュマロ好きなように、甘い物が大好きだという彼女は、いつも飴玉を頬ばっている。

「今から俺達、新規に追加されたミッションを薦めようとしてたところなんだ。ミカも一緒にやるか?」

 ウルフが誘いかけると、

「うん」

 マスク女子のミカは、こくりと頷いた。

「よし、各アイテムやら自装備やらを整えたら、始めるぞ」

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