Episode 39 真実ちゃんのキャラ崩壊

 真実ちゃんは痛恋人のテストユーザーとして二次元恋人との愛を育んでいた。彼女の相手だったのは痛男という名の開発モデル。それは豪太郎をモデルにして作られたものだったのだ。


「痛恋人のテストユーザーになった理由は、特になかった。ただなんとなく。だが、箱のスイッチを入れた瞬間のことは今でもはっきりと憶えている」

 真実ちゃんは豪太郎を抱きしめたまま、遠くを見るような眼で語り始めた。

「別に年下が趣味だと意識したことはなかったが、初めて見た痛男に私は衝撃を受けた。……それは、弟の姿を思い出させたのだ」

「……弟、さん?」

 真実ちゃんは深く息を吐く。

「小学校六年の時に両親が離婚して、私は父に、弟は母に引き取られていった。特に仲がいいというわけではなかったが、いざ離れてしまうとやはり寂しさというか、なにか欠けてしまったという感じは確かにあった。そして別々に暮らしていくうちに、だんだん心の隔たりを感じるようになってしまった。思春期の男の子と女の子だから、それは当然なのだが。そして姉弟で会うことも少なくなっていったのだ。そんなふうにすれ違ったまま、弟は事故で死んでしまった」

「……!」

「そのことについて、もちろん私なりに悲しんだ。でも、心の奥底には弟に対するもっと強い気持ちが残っていたのだろう。痛男はそんな私の隠れた感情を読み取ったのか、年下という設定で登場したのだ」

 痛子が豪太郎の潜在的な好みに対応して少しずつ小学校五年生の見た目に変わっていったように、痛男は最初から真実ちゃんの心の奥底に隠れている願望を読み取り、年下の男の子として現れたのだ。

「私は、自分でも驚くほど呆気なく恋に落ちた。そして痛男との関係にのめり込んでいったのだ。……でも、幸福な時間は長く続かなかった。痛男は危機的な事象を招き続けた挙げ句に自壊してしまったのだ。……ちょうど、今ここで静止している痛子のように」

 豪太郎は無言のまま、ベッドで仰向けになっている痛子を見やった。

 まるで会話の途中でいきなり強制停止されたかのように口を開け、眼を見開いたままで止まっている痛子を。

「私は、あのときの悲劇を二度と繰り返させないために、アンチ物理規制委員会に入った。そして担当となった最初の重要案件がゴーちゃん、あなたの監視だった」

「オ、オレ……?」

「初めてあなたを見たときのこと、よく憶えてるわ」

「あ、あの荒川の?」

「そうよ、ゴーちゃん。あなた、自転車で転んで土埃まみれになって、その後一徹さんに言われるままに隕石を拾い集めちゃって……」

 豪太郎はその日の情景をありありと思い出す。

 初めて見たときの印象を。

 額に突きつけられた銃口の冷たさを。

 踵を返した時の、どこか間抜けで様になっていなかった様子を。

「痛男と瓜二つのあなたを見て、運命が残酷だと思ったわ。でも、同時に心の中で抑えきれない昂ぶりがあって……。それを隠そうとしていっしょうけんめいに頑張って頑張って怖いお姉さんを演じてきたのに……」

「ま、真実お姉ぇ?」

 お姉ぇという言葉に、真実ちゃんは「はうん」と反応してしまう。

「あ~~~~~ん、ゴメンね、ゴメンねぇゴーちゃん!」

 ボロボロと決壊しつつあった感情の防波堤が、トドメの一撃おねぇで一気に押し流されてしまっていた。

「ゴメンねゴメンねゴメンね~~~。お姉ちゃん、ゴーちゃんも痛子も救えなかったのよ~~~~」

 もう、それまでとはまるで別人のように盛大に泣き出してしまったのだ。

 あまりの変節っぷりに硬直するばかりの豪太郎。

 その横では反応を忘れて間抜けに口を開いたままの睦美。

 ウワンウワンと泣き続ける真実ちゃんを一徹と涼子が苦笑いしながら見つめていた。

「あ~あ、すっかりキャラ崩壊しちまったよ、真実ちゃん。ま、ここまでか?」

「でも、真実ちゃんの割にはよく頑張ってたんじゃない?」

「ああ、健闘したってとこだな」

「うん。頑張った、頑張った」

 そこで生暖かい拍手をする一徹と涼子。

「え……、そんなキャラだったんですか?」

 若干顔を引き攣らせたまま、睦美が訊ねた。

「だって真実ちゃんだぜ?」

「そうよ、真実ちゃんなんだから」

「よくわかんないですけど、その返事がすべてって気がします」

 ちっとも説明になっていないが、睦美は強引に自分を納得させることにした。

「元々頭はすんげえ良かったから、東大法学部行ったのは別に不思議じゃあなかったんだがな」

「その後アンチ物理規制委員会に入ったのは、ちょっとビックリだったけどね」

「でも、あの、凉子さんあの人のことすっごく嫌ってるみたいでしたけど……」

 睦美の素朴な疑問を、一徹は豪快に笑い飛ばす。

「あ、そりゃあムリもねえって。だって真実ちゃん、大人になってから急にオッパ――」

 次の瞬間、睦美の視界から一徹が消えていた。

 涼子の裏拳が炸裂し、一徹は床に沈んでいたのだ。

「気にしなくていいから」妙に抑揚に欠ける口調で涼子は言った。

「は、はあ……」困惑を声に出す睦美。

「気にしなくていいからねっ!」すると涼子はややキレ気味に凄む。

 往事をリアルに想像させる、ドスの利いた低い声と研ぎ澄まされた日本刀のような眼光。

「はいわかりました」睦美は身の危険を察して素直に応じるのだった。

 胸についての話題は涼子には禁句。そのことを改めて心に刻み込む睦美だった。


「ゴメンねゴーちゃん、ゴメンねゴメンね~~~~」

 尚も泣き続ける真実ちゃん。

 もう涙と鼻水で豪太郎の肩はグッチョグチョになっていた。

 だが豪太郎は優しげに微笑んだ。

「今まで、ホントにありがとう」

 豪太郎にはわかる。

 真実ちゃんが見ていたのは、壊れた痛男の幻影としての豪太郎。

 亡くしてしまった弟さんの身代わりを求めていたのだ。

 でも、運動場でワームホールに落ちそうになったところを救ってもらったことや、初めてサスペンドモードを実行した時に優しくしてくれたことや、絶対に救ってやると言ってくれたことを豪太郎が忘れられるはずもなかった。

「ずっとオレと痛子のために頑張ってくれてたんだよね」

「うわぁあああ~~~ん、ゴーちゃあああああああん」

「オレ、お姉さんと会えてホントによかった」

「ゴーちゃんゴーちゃんゴーちゃんゴーちゃん~~~~~~」

 豪太郎は自分にしがみついている真実ちゃんをゆっくりと引きはがす。

「このまま、ずっとこうしていたいけど……」

 そしてティッシュで彼女の顔を拭いてあげるのだった。

「あったかくって、柔らかくて、いい匂いがして……。真実お姉ぇみたいなお姉ちゃんがいたら、最高だと思う」

「ゴーちゃん……!」

 感極まった真実ちゃんの両眼が大きく見開かれた。

 そこにはっきりと見えていたのは底知れない歓喜……というかときめき。

「なるほどな」床に沈んでいた一徹が、そこでボソリと呟いた。「豊満な姉と、ロリ体型の妹。それがテメエの理想像か、ごうたろ――」

 一徹の顔は容赦ないストンピングで潰されていた。

「ヘンなチャチャ入れないっ!!」


 部屋のカーペットに沈んだ父親をあっさり黙殺すると、豪太郎は真実ちゃんを正面から見つめた。

「真実お姉ぇ、お願いがあるんだ」

「な~にゴーちゃん。お姉ちゃんになんでも言って言って言って?」

「あの、シュレーディンガー計測器の親機を……貸してもらえると」

「うんうんうん。いいわよゴーちゃん。それくらいどうってことないからね!」

 真実ちゃんは嬉々としてバッグからシュレーディンガー計測器(親機)を取り出した。

 確かそれはかなりヤバいレベルの極秘アイテムのはずだったような……。

「ありがとう真実お姉ぇ! こっちの方が画面が大きいから見やすいんだ」

 言いながら親機を受け取ると、豪太郎は装置を起ち上げて自分自身の確率波を表示させた。

「うんうんうん。いいのよゴーちゃん」

 真実ちゃんはうっとりしながら豪太郎と一緒になって画面を覗き込んだ。

 やや近すぎる頬の熱っぽい気配を感じながら豪太郎はグラフを眼で追う。

 豪太郎のパフォーマンスレベルは相変わらず低いまま。

 むしろマイナスという状態だ。

 その反動のように一点だけが激しく上昇しているのだが、それは画面端でかろうじて捉えられる位置にあった。豪太郎が与えられていた子機ではここまでの表示ができなかったのだ。

 豪太郎は自らのピーク値を確認すると、ベッドの下にかがみ込む。

「ゴーちゃん、もしかして……?」

 豪太郎が取り出したのは痛恋人の“箱”。

 購入後にこのスイッチをONにすると痛恋人が持ち主の脳スキャンを開始し、潜在的に欲していた恋人の姿として顕現する。例えば、痛バレして登校拒否状態になってしまった、元サッカー部のディフェンスリーダー松島くんの痛彼女がすごいお太りさんであったように……。

 そしてこのスイッチをOFFにすると痛恋人は消去され、その個体が経験していた記憶は一切が破棄される。再びスイッチを入れたとしてもまっさらなデフォルト状態の痛恋人が現れて、新規購入時と同じように脳スキャンを開始するのだ。

 このスイッチはいわば、究極のリセットボタンと言えた。

 痛恋人オーナーがこのスイッチに手をかけるのはよっぽどのことだ。普通に考えれば絶対にない状況である。そうであるが故に横で見ていた睦美のショックはただならぬものがあった。

「こ、金剛丸くん? あなたまさか――!?」

 豪太郎はあっさりと頷いた。

「今、痛子のせいで大変なことになってるんだ。オレがなんとかしなくちゃ」

「ダメよ――っ!」顔を真っ赤にして睦美は叫んでいた。「そんなことダメ、ゼッタイ!」

 信じられないという表情が瞬時に憤怒へと変わり、睦美は声を限りに絶叫した。

「今まで大切にしてたんでしょ!? 愛してたんじゃないの!? それって恋人を殺すのとおんなじなのよ。そんなこといいわけないじゃないの――っ!!」

「でも……」豪太郎はあくまでも落ち着いた口調で応じた。「痛子を止めないと、世界が滅んじゃうから」

「そ、そんな、なに言ってんのよ!」

 なにバカなことを……と反論しかけて睦美は周囲の空気を感じてしまう。

 今豪太郎が言っていることをこの部屋にいる他の誰もが否定しようとしていないのだ。

「って、もしかして……?」

 豪太郎はゆっくりと首肯してからカーテンを開けた。

 窓の向こうに見えるのは煌々と輝く金色の星。

 太陽光を反射して美しく光るその惑星に描かれている巨大な二次元女子の顔は――

「金剛丸くんの……痛彼女いたこちゃん?」

「あの星は幻影なんかじゃないんだ。例によってオレと痛子が呼び込んじまった、危機的な事象なんだ」

「……そんな!」

「だから、オレが、オレ自身の手でなんとかしなくっちゃならないんだ」

 豪太郎は親指を箱のスイッチにかけて、部屋の隅にある洋服ダンスを睨みつけた。

「そのために、あの星にいる痛子と会わなくっちゃならないんだ。このワームホールを通って――!」

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