Episode 32 便器に頭から飛び込んだことも、いつの日かいい思い出に……
豪太郎の意思に反してなされていた痛子の“スッキリ”。おかげでまたしても事象が発生してしまったわけだが、部屋に飛び込んできた一徹はドMの格好。そして背後に控えるはどう見ても性的な意味での女王様を演じている凉子。そのプレイだけはカンベンしてほしかったと嘆く豪太郎だった。
豪太郎の両親はどうやら禁断のプレイに興じていたようだった。
以前からうっすらと父一徹にはMの傾向があるんじゃないかと睨んでいたのだが、まるっきりその通りだった。もっとも、そのことに微塵も驚きを感じていない自分自身がなによりショックだったわけだが。
そして母凉子はというと、
――ビシッ――
再び激しくムチで床を打つ。
そのいかにも痛そうな響きに、豪太郎の背筋は自然と伸びていた。
「早くなさい、このオスブタどもがっ!」
「ひ、ひぃいいいいい――ッ!」
まともに打たれたら皮膚がペリッとめくれるんじゃないかというほどの一本ムチが床にたたきつけられる。豪太郎と一徹が女王様に追い立てられていった先はトイレだった。
便器の中に見えるのは、毎度お馴染みのワームホール。
「も、もしかして……」豪太郎はおずおずと訊ねた。「この中に飛び込め……と?」
――ビシッビシッ――
奴隷風情が質問とはなにごと?とばかりの二連発。
豪太郎は気がつくと便器の中にダイブしていた。それも頭から。
「うわぁあああああああ――ッ!」
身体が変に圧縮されたような感覚を経て、豪太郎は地面に転がっていた。
反射的に立ち上がり、慌てて周囲を見まわす。
幸いなことに呼吸はできていた。
空気があるって素晴らしい! などと非常に切実だが同時にどうでもいいことを考えながらも、やけに酸素濃度が追いような気もする。
「(……そういえば酸素が多すぎても体によくないってどっかで聞いたような気が……)」
どうやらそこは地球ではない惑星のようだった。
繁茂している植物。周辺を飛び交う虫的な生物。
視界に入り込んでくる光景は、どこか決定的に異なるものの、それでいて地球によく似ている。
液体の水があって、大型の生命体が活動できる酸素がそこにはあった。
恒星からは近すぎもせず遠すぎもせず。ほどよい距離=ハビタブルゾーンに位置する地球型の惑星。体にかかる重力もほどよいもので、これなら人類が移住しても差し支えないかもしれない。むろん、そこに辿り着ければの話ではあるが。
「フガァガガガガ、フガガ、フガガガガァガガ~~~~」
隣で発せられた奇声に、豪太郎は我に返った。
一徹は拘束された両手を天に向けている。
非常に既視感のあるその光景に眉をしかめつつも豪太郎は空を見上げた。
中空で輝いているのは、星系の中心にある恒星。
その内部で発生している核融合エネルギーが生み出す光と熱が、今いる惑星に恵みを与えているのだ。
「ん?」
恒星の光が一瞬だか歪んで見えた。
まるで、人の眼には視認できないなにかが通り過ぎたような気がしたのだ。
それは、膨大な質量が生み出す時間と空間の歪み――即ち重力だった。
強烈な重力は光の進路を曲げてしまう。
豪太郎はその影響を垣間見てしまったのだ。
効果はすぐには現れない。
しかし豪太郎は肌で感じてしまう。
たった今発生した事象は、この星――人類が呼吸できるという類い希なる存在――に、致命的な出来事であったことに。
「フガ、フガガガ、フガガ、フガフガフガガガ~~~~」
よだれをダラダラと垂れ流しながら、なにを言っているのかサッパリわからない一徹。
――お戻りなさい――
有無を言わさない命令口調が天頂からエコー付きで響いてきた。
「フガガガ~~~~~!」
直後、一徹がズルズルと引き摺られていった。
見ると、その足首には荒縄が結び付けられていて、ワームホールの向こうから引っ張られていたのだ。
「――ッ!」
一徹の手が豪太郎の両足首をガシッとつかむ。
両手を拘束されているにもかかわらず器用なものだ。
「ちょ、ちょちょちょちょ、ちょっと――ッ!」
行きとは違って、ジワリジワリとワームホールの中へ吸い込まれていくのだった。
「便器は、便器の中は……いやぁああああああああ~~~~~~ッ!!」
またしても全身にのしかかる圧力。体が変形しているのではないかという違和感。
次の瞬間、豪太郎は便器の中。
普段なら排泄物が浮かぶ水中に頭だけを出していた。
「な、なんだったの今の!?」
トイレ水で濡れた髪を振り回しながら、豪太郎は凉子に訊く。
とりあえず便器から排出されたという屈辱的な事態を忘れるように。
「原始ブラックホールね」
ムチを片手に凉子は答えた。
ドロンジョ様風のアイマスク。その眼が陶然としていることに豪太郎は気づいてしまっていた。
「もしかして、そのプレイ気に入ったの?」
――ビシッビシッビシッ――
肯定、である。
「(……すっげぇ気にいたんだ。気に入ったんだ!)」
凉子があごをクイッと動かすと、四つん這いの一徹が嬉々として近づいてくる。
「さっき豪太郎とお父ちゃんが行ってたのは、地球からかなり離れた距離にある系外惑星よ」
一徹の上に馬乗りになりながら凉子は説明した。
「水もあって酸素もあるっていう、ゴルデロックスゾーンみたいな……? まあ、貴重な星だったわけね」
「だった……?」
「そうよ。その星を襲ったのが原始ブラックホール」
「……」
「強力な重力のせいで光が歪んで見えたはずよ。原始ブラックホールは宇宙の誕生とほぼ同時期に生まれた超小型のブラックホールで、すんごい速度で宇宙空間を移動しているだろうって、予測されてたの」
「はあ……。で、ソイツがオレを狙ってたと」
凉子は尊大な感じで頷いた。
女王様としての振るまいがすっかり板についている。
「それでワームホールを使ってオレとお父さんを移動させたんだ」
「フガガッ、フガガガガッガ、フガ――ッ!!」
一徹がなにやら真顔で怒鳴っていたが、凉子の鋭いムチがそれを抑えつける。
「お黙りなさい、このブタヤロウが――っ!」
「うわぁっ! ノリノリだし……」
「それで――」
なおも説明を続ける凉子。
ドロンジョ様風のアイマスクの向こうで、凉子の瞳が怪しく光っていた。
「(……イッちゃってるよ。マジでこの人、イッっちゃてるし!)」
正直、豪太郎は引いていた。引きまくっていた。
もう事象についての説明なんてどうでもよくなっていた。
「ついさっき、地球にとって太陽的な星の近くをその原始ブラックホールが通過したの。もちろん、すぐに影響を感じることはできないけど、確実にその星系の重力バランスが崩れてしまったわ。アンタたちがさっきいた惑星は軌道から弾き出されてしまって、宇宙空間をあてどもなくさまよっていく。恒星の光と熱が届かなくなってしまうからやがて凍った星になって、生命体は存在できなくなるわ。いずれどこか別の恒星に飲まれてしまうかもしれないし、ブラックホールに吸い寄せられてしまうかもしれない」
「こ、怖っ」
「ひとつ重要なのは、今の行動で地球が太陽軌道から放り出される危機は避けられたんだけど」
「だけど?」
「人類は将来の移住先候補を失ってしまったってこと」
「マジ?」
「そうよ。火星みたいな星を地球っぽくすること……テラフォーミングって言ったかしら?、……の厄介さを考えれば、ちょっといじるだけで居住可能になる星は本当に貴重だったんだけどね。まあしかたないわよね?」
「はあ……」
「とにかく危機が去ってよかったわ。豪太郎、お母ちゃんとお父ちゃんは取り込んでるから、アンタはとっとと寝なさい!」
言いながら凉子は一徹の首輪にリードを繋げる。
「明日、寝坊するんじゃないわよ!」
飼い犬のように嬉々として付き従う一徹の後ろ姿を、豪太郎は無言のまま見送る。
ブーメランパンツの後ろ側、排泄器官のあたりには不自然な膨らみが……。
「(……なに突っ込まれてんだか……)」
豪太郎はやるせなかった。
酷くやるせなかったのだ。
前髪からタラリと落ちていく水滴。
バスタオルに手を伸ばしかけた豪太郎は慌てて首を横に振った。
「ま、まずはシャワーを浴びなくっちゃ」
一応、汚物が溜まっていたわけではないのだが、精神的なダメージは大きかった。
なにしろトイレ水に浸かっていたのだから。
熱いシャワーを浴びながら、豪太郎は考える。
便器に頭から飛び込んだことも、いつの日かいい思い出になってくれるのだろうかと。
「んわけねえだろうが――ッ!」
そう言い捨てる豪太郎だった。
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