Episode 31 豪太郎は三度死ぬ……のか?

 量子テレポートによってガンマ線バーストの地球直撃を回避した豪太郎と一徹。教室内で堆積されている残骸的な粒子は、つい先ほどまで豪太郎と一徹を構成していた物質のなれの果てだ。


 それでこそ、それでこそ金剛丸くんよ!

 地味系美少女、黒井玲。彼女は心の中で絶叫する。

 ここ数日はこれといった事象も発生しなかったせいで平和そのものであった。

 それ自体悪くないはずなのに、玲にはどこか物足りなさがあったのだ。

 今、量子テレポートなどという離れ業を二度もやってみせた豪太郎の特異体質に、玲は改めて思う――これこそ金剛丸豪太郎であると。

 普段は自信なさげな目つきとくすんだ顔色のせいですっかり周囲の風景に溶け込んでしまっている美顔が、奇蹟の輝きを放つ。

 重ねた手の平を胸に当て、頬を染めつつも愛しさに眼を輝かせる。

 彼女は無意識のうちに、満面のときめき顔をさらしていた。

 黒井玲隠れファンクラブのメガネ男子、鳩ヶ谷少年に回復不能な衝撃を刻みつけているとはつゆ知らず――。


 そんな熱い視線が向けられている豪太郎の意識は、煙を上げつつも嫌ぁな臭いを放つ物質に向けられていた。

 見てるだけで気味が悪くなってしまう代物だが好奇心に抗えきれず、敢えて手を伸ばしてすくってみる。

 この世のモノとは思いがたい感触だった。それは手の平で存在そのものを諦めたかのようにハラハラと崩れて、人間の触覚では感知できないほどの微弱な気流に乗って空中に霧散していく。

 肺に吸い込んだからかなりヤバイことになりそうだな、PMいくつだ?などとどうでもいい考えが頭を過ぎった。

 しかしそれは、少し前までの自分自身をなしていた物質。というか自分そのもの。

 豪太郎はもう一度訊ねた。

「オレもしかして死んじゃってたの? じゃあ今いるオレってオレじゃないってこと?」

 いったん自分が消滅して、別の物質によって再構成されたと考えるなら、確かに死んだということになる。

「まあ、そう考えることもできるわね」涼子はしれっと応えた。

「な、な、な、な……」あまりにあっさりとそう応えられて、豪太郎は眼を剥く。

「ま、しかしだな」同じ境遇にあるはずなのに一徹はやけに落ち着いていた。「情報的に完全に同一なんだから、オメエはオメエ自身ってことだ」

「そうよ豪太郎。つまんねえこと気にしちゃダメ。あのブライアン・グリーンだって言ってるんだから。情報的に等しければ完全に同一人物……みたいな?」

「そういうことだ。カンペキにデータを読み取って、そのまんま移し替えてんだからさ、まったくノープロブレムってことだ!」

 ドンと胸を張る一徹に隠れるように、凉子は小声で不吉なことを口走っていた。

「まあ、ちょっとだけ読み損ねちゃったけどね」

 テヘっと笑って舌を出す。

「(……いやてへぺろじゃねえし!)」


 ガンマ線バーストとやらは相当ヤバイものだったらしく、その直撃を躱すために豪太郎は系外惑星にテレポートさせられた。

 例のワームホール体質とやらのせいで、バーストが豪太郎に照準を合わせていたからだ。

 精確なタイミングでテレポートを敢行し、照射される向きを他へ移すことができた。おかげで地球の生態系は守られた。そして名も知らない系外惑星はガンマ線を主成分とする超危険な電磁波に灼かれ、今頃はどうなっているのやら。

 とはいえ、大気がなかったようなので、生命体の絶滅などは心配する必要はなかったのだろう。

 もっとも、何億年かしたら生命が育まれていた星だったかもしれないという可能性も否定しきれないのだが。

 それにしても、心の中にモヤッとした気持ち悪さが残る。

 量子テレポートする際、自分を構成する物質が完全に変わっているのだ。

 よせばいいのに豪太郎はここで気がついてしまう。自分はこの短い時間の間に量子テレポートを二度も敢行させられていたということを。

 つまり、考えようによってはこの時点で二回死んだことになる。

 少なくともあと一回は死ぬわけだから、これをカウントすると都合三回は死ぬ計算になるわけで。

 そんな豪太郎の思索は、突然の衝撃によって中断を余儀なくされた。

 

 ドガッと空気が揺さぶられ、ガラスの割れる甲高い音が続く。

 教室の引き戸が吹き飛んでいたのだ。

「――ッ!」

 宙を滑空する扉の直撃を受けた鈴木教諭が昏倒する。

 額からはおびただしい量の鮮血が流れていた。

 戸を蹴り飛ばしたのはおかっぱボブの委員長フェイス。

 本当に大人か?と疑うほどに背が低い割に胸部はむしろ暴力的なボリューミーさ。

 真実ちゃんは本日も短いタイトスカートで、太めのももを惜しげなく晒していた。

 戸を蹴散らしたままの姿勢で、ちょっと身を低くしたら白い布地が見えそうな勢いである。

 だがその姿に豪太郎は癒されるどころか、縮み上がってしまう。

「ひぃ……」

 真実ちゃんはスンゴい勢いで睨んでいた。

 もう、視線に物理的な力があったら、そのレーザービームで豪太郎など三回くらいは消し炭にされているほどだ。

 もはや量子テレポート云々など気にしている場合ではなかった。

「どういうことだ!」

 物凄くドスの利いた低い声で真実ちゃんは豪太郎に迫ってきた。

 今まで散々怖い顔をされてきたが、今回はまた別格だった。

「(……こ、怖ぇえええ――ッ!)」

 危うくオシッコを漏らしそうになくらいだ。

 真実ちゃんは豪太郎の肩をグッとつかむ。

 そのまま肩の骨がパキッと割れるんじゃないかというくらいの握力で、激しすぎる痛みに豪太郎は悲鳴が出ない。

「監視用の計器すべての数値が振り切れていた」

 憤りをムリヤリに押さえ込むように、真実ちゃんは声を震わせる。

「想定を超える異変。我々の体制は大幅な修正を強いられることになった」

 豪太郎の肩をつかむのとは別の手が持っていたのは、豪太郎監視用の計器――シュレーディンガー計測器の親機だった。

「こりゃあいったい……!」

 思わず息を呑む一徹と、口をポカンと開けたまま固まっている涼子。

 計器のモニターが示す二本のグラフ。

 豪太郎のパフォーマンスレベルが極限まで落ち込んでいた。以前の通常値よりも更に悪い数値だ。

「ってこりゃ、どういうことだ? 痛子じゃねえんだろ?」

「(……あれ?)」豪太郎はとてつもない違和感に包まれる。「(……今お父さん、痛子って言った?)」

 真実ちゃんは首を横に振った。

「痛子はサスペンドモードのまま、規制委で解析中」

「痛子じゃないっていうならなんなのよ?」凉子が真実ちゃんに不満をぶつける。「ガンマ線バーストよ、ガンマ線バーストっ!! わかってんの――っ?」

「(……あれあれあれあれあれ?)」

 父一徹も母凉子も、痛子を当たり前の存在として扱っているのだ。

「(……もしかして、ずっと前からバレてたの?)」

 豪太郎の心臓がギュギュギュッと締め付けられる。

 いきなり押し寄せてきた極度の緊張に、眩暈を感じてしまうのだ。

「もっとも、どういうわけか情報の損傷が激しく、復旧に手間取っている」

「そうなのか」

「ゆえに、」真実ちゃんが一瞬だけ豪太郎に視線を向けた、気がした。「今回の件は痛子とは無関係と考えられるだろう」

「……」呆然と口を動かせない一徹、そして涼子。

 豪太郎は焦りの表情を読まれないように、俯いてみせる。

「今回の事象についてはさらなる調査が必要」

 真実ちゃんは怒気に満ちた声でそう言い残すと教室の出口に進んでいった。

 吹き飛ばされた戸の巻き添えを食った鈴木教諭にも、保健室プレイに興じていた一徹と涼子の服装コスプレにもこれといった意識を向けず、不機嫌な足音を響かせて。

 両親に痛彼女のことがバレていたのは相当にショックだったが、しかしこのヘンタイ二人にどう思われたところで今はどうでもいい。

 問題は、今痛子が自分の部屋にいると知られないこと。

 豪太郎がもっとも注意すべき相手は真実ちゃんなのだ。

 ちょっと太めの後ろ姿をが遠ざかっていく。

 とりあえず危機を脱した――そう思ってホッと一息つこうとしたところ、豪太郎は強烈な殺意に射すくめられる。

 見られていた。

 鬼の形相をした真実ちゃんに視られていたのだ。

 背後がグゴゴゴゴゴゴと燃えさかっているような怒りの波動が全身に襲いかかっている。

「(……もしかして、もしかして?)」

 真実ちゃんは不機嫌な足音だけを残して、廊下の向こうに消えていった。


「ただいま~」

 家に帰ると、相変わらず病院服的な格好の痛子が出迎えてくれた。

「おかえりなさいですぅ、ゴーくん」

 心なしか布面積が小さくなっているような気もするのだが、豪太郎は敢えて意識しない、フリをする。

 だが、前後に二枚の布をはさんだだけという簡素すぎる格好に思いがけない欲情を催してしまい、豪太郎はチラ見が止まらなかった。

「(……わざとか? わざとなのか?)」

 痛子は豪太郎が帰ってくると、落ち着かないように体を捻ってみせたり、わざと横向きになってみたりといった動作を繰り返していた。

 その度に布地だけでは隠しきれない小五ボディの肝心な部分が横から見えそうになったり、見えなかったり。いわゆるチラリズムである。

「痛子、転送がうまくいっていないみたいでぇ、布面積が小さくなってしまったですよぉ」

 そんな豪太郎の視線を意識してか、痛子は言い訳っぽく語るが、その眼はどう見てもなにかを隠しているのがバレバレである。

「(……わざとだ。ゼッタイわざとだ)」

 すっかり痛子の術中にはまってしまっている豪太郎は、じゃあ布取ったらどうなる?などと邪念に満たされていった。

 ところで肝心な部分の修復は済んでいるのだろうか。

 相当に容量を食うという話だが。

 布地の向こうを透視しようとするかのように、気がつくと眼を皿にしている。

「もしかしてゴーくん、痛子をヒン剥こうとしてるですかぁ?」

 痛子は嬉しそうに怯えてみせた。

「局部の復旧はまだなのですが、それでもいいというのならぁ!」

 むしろ痛子はやる気まんまんだった。

 いや、それはそれでいいのか?

 全年齢的な感じでむしろ好都合なのか?

 豪太郎はゴクリと生唾を呑み込む。こっちも準備万端であった。

「でもぉ」そこで痛子はじらすように囁いた。「その前に痛子といいことしませんかぁ?」

 いつものように“スッキリ”のお誘いをかけてくる痛子。

「痛子は欲しがり屋さんなのですよぉ」

「そ、そうだな……ハッ!」

 籠絡されかけていた豪太郎は、そこで慌てて首を振る。

「ダメ!」

「えぇえええ?」呆然とする痛子。「ゴーくん、なんでですかぁ?」

「だって――」

 本日発生したガンマ線バーストと今朝未明にまでおよんだ超濃厚“スッキリ”はどう考えても因果関係がありまくりだった。

 ここで欲望に屈して“スッキリ”してしまっては、次にいったいどんなとてつもない事象が起こるというのか。

「今日死にそうになったし――」

 考えようによっては実際に死んでいたわけでもあるのだが。

「ダメったらダメ!」

「ぶーぶー」

 痛子は唇を尖らせて抗議のブーイングを上げていた。


「――ッ!!」

 夜中、豪太郎はふいに目を醒ます。

「この感覚は……!?」

 やけに心が軽かった。

 そして、恐る恐る立ち上がると、不自然なほど体が重い。

「って、まさか?」

 慌てて見回すと、同じベッドですーすーと寝息を立てているのは痛子。

 どう考えても“スッキリ”しましたという事後の光景だ。

「おかしい……」

 豪太郎は懸命に記憶を探る。

 いつまでもブーイングをやめない痛子を黙殺して、豪太郎は“スッキリ”なしで就寝したはずだった。

 少なくとも痛子に“スッキリ”を許可していないことは確かだ。

 そして痛子は豪太郎の同意なくことにおよぶことはない。というかできないはずなのだ。

 だからこそ痛子は執拗なまでに“スッキリ”の許可を求めてきたのだ。

 なのに――

「……もう食べられないですよぉ……」

 いかにもな寝言を洩らしながら、満足げな寝顔をさらしている痛子。

「(……まさか、自分の意思でヤッた?)」

 そんな不安を抱くさなか、ドアの向こうから不吉な騒音が押し寄せてくる。

 考えるまでもない。一徹だ。

 いつにない緊張で身構える豪太郎。

 ドアを開くと同時に転がり込んできた一徹。

「フガフガフガガガ……フガガガ――ッ!!」

 その光景に豪太郎は金縛りに遭っていた。

「フガ、フガ、フガガ、フガガガフガフガアアアアア――ッ!!」

 父一徹が身につけているのは黒ラバー地のブーメランパンツ。

 首輪、手枷、そして口にはボールギャク。

 どうりでろくに口をきけないわけだ。

「フガガ、フガフフ、フガフガフガアアアフガガ……」

 ボールギャグで口が開きっぱなしの一徹はダラダラと涎を垂れ流していた。


 ――ビシッ――


 鋭いムチの音が耳朶を斬り裂く。

 ビクッとなって振り向くと、廊下に立っていたのは女王様姿の母涼子。

 革のレオタードと、二の腕まで伸びるラバーの手袋。

 高さ20cmはありそうなハイヒールに網タイツ。

 もちろんガーターストラップも装着。

 そして目元にはドロンジョ様風のアイマスク。

「そ、それだけは……、そのプレイだけはカンベンしてほしかったぁ――ッ!!」

 豪太郎の情けない悲鳴が夜中の団地に空しく響いていた。

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