Episode 30 ガンマ線バースト様のご到来
痛子は再会するなり豪太郎を(精神的な意味で)押し倒し、“スッキリ”行為におよんだ。
夜明け前の静かな時間帯。
豪太郎はぼんやりと考える。
忘れようとしていた気持ちが、一瞬にしてウソになっていた。
ドラッグにハマるのって、たぶんこんな感じなのだろう。
強烈にすぎる脳内麻薬の分泌は、一度知ってしまうとなかなか振り切れるものではない。
潜在意識を揺さぶる痛彼女の、主に性的な刺激は持ち主の心を変成させていくほどの力を持っているのだ。
たった数日でその依存症を絶つことなど、できるはずもなかった。
豪太郎はそれを理解した上で、しかしそれでも微笑まずにはいられない。
痛子の帰還を喜ばずにはいられないのだ。
ベッドの上では満足げに寝息を立てている痛子。
豪太郎は柔らかそうな頬に指を伸ばしてみる。
二次元情報体である痛子に触れることはできない。
画像を補正するように痛子の顔が歪んで見える。
もしこの頬に触れることができるなら――豪太郎はそんなことを考えてしまう。
マシュマロのように柔らかいのだろうか。
柔らかそうな髪を撫でたら、愛しさに満たされていくのか。
そのか細い肩を抱き締めたら、強く守りたいと願ってしまうのか。
「おはよう、金剛丸くん」
学校で、以前までと同じように気さくに声をかけてきたのは睦美だった。
「あ、おはよう。……榎本さん?」
睦美は一瞬だけ、それも豪太郎にだけわかるように腹黒そうな嗤いを浮かべる。
しかし、すぐにいつも感じのいい笑顔に切り替えた。
そして、なにごともなかったかのように涼子たちとの会話に興じていく。
一徹も涼子もそんな睦美をなんとなく受け容れていた。
少し前までの、いつも通りの光景。
どこか安心しながらも、豪太郎は心構えだけはしておくように自分へ言い聞かせる。
副作用はすぐに現れた。
それは数学の授業中。担任でもある鈴木教諭が板書するチョークの音がカツカツと響くそのさなか、
「豪太郎ぉおおおおおおおおおおお――ッ!!」
教室の引き戸がブッ壊れる勢いで一徹が飛び込んできた。
「行くぞ、豪太郎ッ!!」
クワッと眼を見開き、昔の劇画ふうのワイルドすぎる眉を吊り上げる。
「(……うわっ、さっそくかよ)」
ご無沙汰になりつつあった“お約束”に豪太郎は眉をしかめた。
「(……ま、自業自得なんだけどね。で、今度はどこ連れてかれるんだ?)」
荒々しく豪太郎の手首を掴む一徹。
「ていうかなにゆえに白衣ッ!?」
一徹は白衣を羽織っていた。
なぜか首には聴診器がぶら下がっている。
理科の実験などではない。どう見ても医者である。だがなぜ?
一徹は、しかしいつものように豪太郎を引き摺り回しはせず、硬直したまま豪太郎を見つめていた。
「な、なに……?」
まったく動き出さないどころか変な眼で自分を見ている父親の姿に、豪太郎は不安を覚え始める。
たらり、たらりとイヤな感じの汗が一徹の額を伝っていた。
「ん……?」
強烈な違和感があった。
「なに!?」
思わず声に出してしまう。
なにかがおかしい。なにかが致命的に間違っている気がする。
数秒が経過し、豪太郎はその現実を突きつけられる。
「って、オレ沈んでる?」
父一徹との距離感はそのままに、豪太郎は自分の位置が低くなっているのを悟ったのだ。
「って、なんで?」
慌てて下を向くと、
「おわわわわあわわわわわ――わわッ!!
下半身が消滅していた。
「オ、オレの脚が、脚がぁああああああああッ!!」
叫んでいる間にも体がモリモリ減っていく。
やがて豪太郎の
「そ、そこだけは、そこだけはぁあああああ――ッ!!」
「ていうかなんで痛くないし?」
そうこうしているうちに豪太郎の腹部も、胸部もなくなっていき、ついには頭だけとなってしまった。もはや首がないので目玉だけを動かして一徹を見ると、一徹も同じように怯えているのがわかる。
なにが怖いかというと、一徹が恐怖で一言も発していないところだった。それほどなのか?
豪太郎は頭半分という状態になり、やがてその視界が下から消えていった。
「(……あれ、ここどこ?)」
と思うものの声が出なかった。
同時に呼吸ができないことを知る。
一瞬にして様変わりしていた周囲の光景。
赤い空、赤茶色の大地、そして頼りない恒星の光。
全身を捉える極端な冷気。凍えるとかいうレベルではない。
周囲には生命の気配がまるで感じられなかった。
「(……なんだかとってもヤバイ気が……)」
慌てて隣にいる一徹を見ると、一徹は空気を求めて苦悶の表情を浮かべながら天を指さす。
釣られて見上げる豪太郎。
天空から強烈な光が迫ってきていた。
いや、強烈などという生やさしいものではなかった。
――光に
思ったのではなく、知った。
反射的に死を覚悟した瞬間、圧倒的な光量が豪太郎を蹂躙する。
可視光だけではない。それよりもずっと周波数の高い、危険な電磁波が膨大な塊となって照射されてきていたのだ。
「(……オレ、終わた)」
豪太郎は激しい目眩に襲われた。
「ぶはぁあ――ッ!」
床に手をつき、大きく息を吸い込む。
欠乏していた酸素を補うために、何度も荒い呼吸を繰り返す。
光の暴力に晒された視野が戻るのには少しばかり時間がかかりそうだった。
眼を開いているはずなのに、黒い靄がかかったようになにひとつ見ることができないのだ。
しかし極限の冷気は感じられず、ひんやりとした床の感触が、豪太郎に教えてくれる。
ここが教室であるということを。
「いったいなにが?」
のろのろと回復していく視力を、ほっそりとしたシルエットに向ける。
「GRBよ」
その声はすぐに答えた。母凉子のものだった。
「じーあーるびー?」聞き慣れない言葉を繰り返す豪太郎。
「GRB……ガンマ線バーストのことね」
「はあ……」聞いたことのない言葉だった。
「ようするに」凉子は説明した。「大質量星……ま、大きい太陽みたいな?――がブラックホールに変わる時に、回転軸方向に噴出されるエネルギーや物資がぶつかりあってできる衝撃波が生み出す大量のガンマ線の放射のことよ」
豪太郎にはなにがなんだかサッパリだった。
だがなんだかとってもヤバそうということだけは理解できた。
「バースト自体はたいした時間じゃないわ。10秒とか、20秒とか。でも、それだけで地球の半分は丸焦げになっちゃうし、大気が跡形もなく吹き飛ばされちゃう」
淡々とした口調で、凉子はおっそろしいことを口にしていた。
「人類滅亡、みたいな?」
「……」
「というか地球上の生命体ほとんど全滅、みたいな?」
「それがオレを直撃してきたと……」
「そうそう」凉子は首肯する。「わかってるじゃない!」
「で、地球を守るため、一瞬だけどこかへワープしたと?」
「量子テレポートね」すかさず訂正する凉子。
ワープと量子テレポートの違いは、今の豪太郎にはわからない。だが、
「それはそれとして……」
ゆっくり戻りつつある豪太郎の視力は、ぼんやりとだが、それがなにかを識別することができるようになっていた。
「なにゆえにナース服?」
「――っ!」言葉を詰まらせる凉子。
それもそのはず。
彼女の格好はというと、やけにピッチリと体にフィットした、超ミニスカナース服。
ほっそりとした脚を包むのは白のガーターストッキング。
スカートが短すぎるせいで、ストッキングの届かない太もも部分が僅かに露出しているというエロスな格好だ。
今ではすっかり使われなくなったナース
足許にはご丁寧にもナースシューズ。
そして直径30cmはある巨大な注射器を抱えているのだ。
誰がどう見ても
それを証明するように、クラスの男子生徒ほぼ全員が顔を赤らめながらも、視線を外すことができないでいた。
今夜のおかずにしようというのか、こっそりとスマホで撮影しようとしているメガネ男子もちらほらと。
「(……そういえばお父さんさっき)」
豪太郎は思い出した。
それを確認するように、父一徹に眼を向ける。
数学の授業が始まるなり、一徹は具合が悪いと言いだして、保健室に行っていた。
だがどういうわけだか白衣を羽織り、首から聴診器をぶら提げている。
「さっきお父さんが……」
「だからお父ちゃんだろうがッ!!」
豪太郎は一徹の喝を黙殺した。
「さっき父さんが心配だって保健室に行ったと思ったら……」ジト目全開でエロナースのコスプレをしている母親を見やる豪太郎。「なにやってたわけ!?」
凉子はサッと眼を逸らした。
「なにやってたわけ!」豪太郎は追求をやめない。「あとそのでっかい注射器、なんに使ってたわけ?」
「いやぁ、よかったよ……」
一徹はそこでバタリと仰向けに倒れると、そんなことを口にした。
一瞬遅れて凉子が反応を見せた。彼女はすぐに倒れた一徹の側に駆け寄ると、
「うん、がんばったね。がんばったよお父ちゃん」
やたらと一徹をねぎらうのだった。どうみても不自然な光景に豪太郎は、
「空々しい」
思わず本音を洩らしてしまう。
「がんばった、がんばったよね!」
凉子はなおも白々しく一徹の頭を“いい子いい子”と撫でる。
豪太郎の注視を無視するように、視線がそこかしこを漂っていた。
「ごまかしてる……」
普段のヘンタイプレイはともかくとして、その実態をクラス全員の前にさらけ出してしまっているのだ。豪太郎の憤りはもっともなものだった。
「あの……、お父さん、お母さん?」
ここでおずおずと話しかけてきたのは鈴木教諭だった。
「あの、保健室で、あの、そのような行為は……、あの、自粛というか遠慮していただかないと……」
なんとも奥歯に大量の物が挟まったかのような話し方だった。
「生徒たちもいますので、悪影響が……。その、そういった営みはご家庭内でとどめて……」
さすがに “保健室プレイ”はダメとは言いにくく、実に婉曲な表現を注意深く選んでいく鈴木教諭。
「な、なんのことかしら? お母ちゃんサッパリわかんないんだけど」
だが凉子はあくまでもスッとぼける。
「いやぁ、うまくいってよかったぜ」そこで一徹が実にわざとらしく声を上げた。「初めての量子レポートだろ? しかも行き先が系外惑星ってとこも超プレッシャーだったけど、うまくいってなによりだよ!」
「そ、そうね! そうよね!」
凉子の頬を伝う冷や汗を豪太郎は見逃していない。
「だが、おかげでガンマ線バーストが地球に直撃しなかったわけだ。結果オーライだよな?」
「だよね! 上出来よね!」
お互い眼を泳がせながら自らのおこないをごまかそうとしている中年夫婦に、豪太郎はもういいやと諦め気分になっていた。
しかし、そこでふと別の疑問が生じるのだった。
「ねえ、ところでこれってなに?」
教室内にうず高く堆積されている粒状の物質。
そういえば“量子テレポート”とやらをしている瞬間に発生していたような。
ぶすぶすと煙を立てながら、なんとも不快な臭いを周囲に撒き散らしているのだ。
「えっと水35リットル、炭素20kg、アンモニア4リットル、石灰1.5kg……みたいな?」
「いやそれ『ハガレン』だから!」
などとツッコミながらも、豪太郎はそれがなんであるのかなんとなくわかってしまう。
「えっと、これって」
それは、つい先ほどまで自分と父一徹を構成していた物質に他ならなかった。
それが量子テレポートをおこなう素粒子レベルでのスキャンに耐えきれず、破壊された残りカスだ。
「ということは、アレ……かな?」
豪太郎の中で、なんともイヤな考えが浮かんでしまっていた。
「オレってもしかして、一回死んだの?」
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