Episode 29 心は軽やかだが、身体は気怠い夜明け前

 睦美から投げつけられた辛辣な言葉。そして大門くんとらぶちゃんというキラキラカップルの解消。リア充になったらなったで、心配事は増えていく。世の中不思議なものである。豪太郎に向かって大門くんは言った。偽装恋愛は終わりにしたのだと。


 大門くんとらぶちゃんは、豪太郎にとって理想を超えた存在だった。

 こんなすごい二人といつも一緒にいていいんだろうかと思うことも少なくなかった。

 二人でいるときのキラキラオーラのハンパなさときたら、筆舌に尽くしがたいものがあったのだ。

 なのに、二人は付き合いをやめたという。

 学校イチと誰もが羨むカップルだというのに。

 豪太郎はおろか一徹、涼子にも充分すぎるほどのショックで、玲に到っては完全にフリーズから解けないというありさま。

 しかも衝撃の真実が大門くんによって語られたのだ。

 即ち、これまでが偽装恋愛であったと。

「ぎ、偽装、だったんだ……?」

 とりあえずなにか言わなければ。

 そんな焦りからか、豪太郎は実にどうでもいいセリフを洩らす。

 大門くんはどこか言い訳めいた表情で、静かに語った。

「その、自慢ってわけじゃないんだけど……」

「うん?」

「ほらボクって、……田柄さんもだけど」

「(……田柄さんって呼んでるんだ)」

 らぶちゃんではなく田柄さん。その呼び方だけでも二人の距離感が窺えてしまう。

「けっこう告白とかされて……」

「「はいはいはいはい」」そりゃそうだろうなというリアクションを返す一徹と涼子。

「あ、いやっ。ちがっ! ……自慢じゃなくて」

「うん、わかってるから」ここで豪太郎がさりげなくフォローしつつ続きを促す。

 言ってから実に自分らしくない大人対応だなと驚いてしまう豪太郎。

「だいたい毎日。日によっては二人とか三人とか」

「……そうなんだ(……やっぱすげえ。ていうか毎日かよ!)」

「先輩とか後輩とか……」

「(……そりゃそうだろうな)」

「あとOGとか、入学予定の中学生とか」

「(レンジ広っ! ていうか広っ!)……って、もしかしてだけど先生とかも?」

 大門くんはそこでモジモジと下を向く。

 なにか地雷的なものを踏んでしまったようだった。

「「先生もかい!?」」

 だが空気を読まずにすかさずツッコミを入れてくる一徹と涼子。

 教師が生徒にコクるってさすがにヤバくね?とは思うものの、たぶんそれ古文の荒川先生だよねそうだよね?あの人いかにもイケメン好きなミーハーって感じだしちょっと眼が怖いし思い込み激しそうだしまだ独身だしみたいなことを思いつつも豪太郎は出かかった言葉をひっこめて、大門くんの言葉を待つ。

「それで、いつもいつも断んなきゃならなくって」

「あたしにもそれが辛かったの」

 らぶちゃんが会話に割って入る。二人共通の気持ちを代表するように。

「本気で告白してくれる人もいたし、冗談みたいなノリで付き合ってって言ってくる人もいたけど、ごめんなさい付き合えませんって答えると、きまって訊かれるの」

「誰か好きな人がいるのかってね」

「はあ」

 そのような状況からはあまりにも遠かった豪太郎には、まあそんなものなんだろうなという想像しかできない。しかし二人の口調はむしろ苦しげで、モテる人間はモテる分だけ常人にはあずかり知らない苦労があるのだなと思わせる。そんな説得力があった。

「それで、話し合って」

「ちょうど周りから二人付き合っちゃいなよって、言われてたし」

「表面上だけは付き合うってことにしたんだ」

「そうだったんだ……」

 ということは、豪太郎が以前見かけた図書館デートも周囲を欺くためのアリバイ工作だったというのか。あまりにも様になっていて、偽装を疑う余地はこれっぽちもなかったのだが。

「でもさあ」納得しないという表情の一徹。「しょっちゅう二人きりだったわけじゃねえ? フツーらぶちゃんならそのまま惚れちゃいそうなもんだけどな」

 なあ?と涼子に訊ねる。

 涼子はそうそうと頷く。「らぶちゃんだってそうじゃない? いつも大門くんと一緒なら惚れちゃうわよね?」

「そうそう!」ここでなぜか激しく同意を示す一徹。

「(……確かに。最初は偽装でも、自然と好きになっても不思議じゃないような気が……)」

 大門くんはうっと言葉を詰まらせながら、

「だってボクは……」

 言いながら大門くんの眼が泳ぐが、ハッとしたように慌てて視線を天井に走らせる。

 らぶちゃんはそんな大門くんの様子に気づかなかったようで、

「大門くんは素敵な人……。カッコいいし、優しいし。みんなから人気があるのもよくわかる。……でもあたしには――」

 らぶちゃんはそこで黙りこくってしまう。

「ごめんなさい。あたし……うまく言えない。うまく言えないけど」

 らぶちゃんは言葉を探しながら、しっかりと豪太郎の眼を正視する。

「自分に正直に生きたいの」


 別れ際にかけられた、大門くんの言葉が豪太郎の心に奇妙な余韻を残す。

「でも、金剛丸くんと出会わなかったら、たぶんこんな選択はできてなかったと思う」

「え?」

「その意味では感謝するべきなんだろうけど……」

 けど……?

 けど――その続きを言わないまま大門くんは夕焼け空の方へ消えていく。

 そんな去り方でさえ、イケメンすぎて惚れちゃいそうだ。

「バイバイ」

 同じように一人で歩いていくらぶちゃん。

 こっちもこっちで、なんとも愛らしい「バイバイ」だった。

 大門くんと帰り道は同じ方向のはずなのに、彼女は別の道を選んでいた。

「オレ、そんなだいそれたこと、してたのかな?」

 ボソリと独り言を呟く豪太郎に対して、一徹、涼子ともに全力で首を横に振る。

「いや、まったく思いつかねえや」

「というか皆無、みたいな?」

 豪太郎は盛大に溜息をつく。「だよね~」


 部屋に戻った豪太郎は、ベッドに腰掛けて溜息をついた。

 やけに静かな室内に慣れるのに、あとどれだけの時間がかかるのか?

 豪太郎は今日の出来事をぼんやりと振り返っていた。

 らぶちゃんは自分に正直に生きたいと言っていた。

 それは間違いなく大門くんも同じだ。だからこそ二人は偽装恋愛をやめにした。

 そして睦美のことも思い出す。彼女は彼女なりに、これ以上なく自分に正直に生きている。

 正直すぎて、豪太郎への憤りと嫌悪を隠そうとすらしない。

 対して自分はどうなのか?

 ハイスペックになって、人気者になって、少し前までは願うことすらできなかったリア充生活を満喫している。

 それなのになにか物足りない。

 なにか、致命的に欠落している。

 睦美の言う通り、眼が死んでいるのだ。


 サイコパスを演じていた玲の実体は、奥手で大人しい地味系美少女だった。

 しかも自分のことを想ってくれている。

 今はまだお互いの奥手さゆえに付き合うというところまでは行けていないが、それでも心を通わせつつあるという実感があった。

 これ以上なにを望んでいいというのか?

 だが、それでも空虚な手応えのなさばかりが胸に残る。

「……空しい」

 思わずこぼれる言葉。

「……寂しい」

 一徹や涼子に聞こえないように、ひそひそ声で唇を動かす。

「やっぱり痛子がいないと……」

「痛子がいないとぉ?」

「オレはダメだな」

「ダメですねぇ」

「まったく……」

「ゴーくんはほんとに痛子が大好きなんですねぇ?」

「ああ。今頃になってようやく気づいたってうか……って?」

 豪太郎はギョッとしながら洋服ダンスへと顔を向ける。

「って、痛子――ッ!?」

 いつものようにタンスの扉の隙間から頭と眼だけを出して、痛子は豪太郎を見つめていた。

「(……あれ、オレ壊れた?)」

「幻覚ではないですよぉ」

 そこでようやく我に返る。

「で、でもアンチ物理規制委員会で解析されてるんじゃ……」

「ずらかってやったのですぅ」

「そんな、い、いつ?」

「捕まった直後ですぅ」

「マジで?」

 豪太郎は驚きに眼をしばたたかせた。

「規制委に連れていかれる直前に量子テレポートをかましてやったですよぉ。痛子本体をスキャンして、読み取った情報をネット空間に流し込んだですぅ」

「そんな機能あったのか」

「というわけで規制委のきゃつらは痛子のジャンク情報をいっしょうけんめい漁っているはずなのですぅ。なんにも出てこないですけどぉ!」

 痛子はキャハハとわざとらしく笑ってみせた。

「でもそこからタンスの中に転送するのに時間がかかってしまったですよぉ。痛子、こう見えて容量が大きいですからぁ」

「……」

「使えるのが電話回線だけだったので想定以上に時間かかってぇ」

「電話回線って(……どんな構造だそれ?)」

「というわけで、まだ転送が完了してないのですぅ」

 言いながら痛子は全身を現わす。

「ってその格好?」

 痛子は手術着のような服を身に着けていた。

「ゴーくんの大好きなコスプレができるようになるには、まだまだ時間がかかってしまいますですよぉ」

「そうか」

 それは残念という言葉をぐっと呑み込んで、豪太郎は痛子の全身を見つめる。

 二枚の布を体の前後でつなげただけという格好で、横は簡素な紐で留めてある。脇から覗き込むとムフフな光景が広がっているのだった。

「(……コスプレもいいけど、これもこれでまたなんとも!)」

「感動の再会シーンなのに、相変わらずのゲスっぷりですねぇ」

「はうッ!」

 痛子に思い切り痛いところを突かれていた。

「でも、そんなエッチなゴーくんが痛子大好きですよぉ?」

 イタズラっぽく、しかし嬉しそうに笑う痛子。

「やっぱり二次元サイコーって顔に書いてるですねぇ?」

 豪太郎は言葉もなくただ痛子を見つめているばかりだった。

 ニタニタと得意げに笑う痛子が、どこまでも眩しくて。

「でも、まだ肝心な部分の修復ができてないので、もうちょっと待っててくださいですぅ」

「へ?」

「女の子のとっても大切なところはかなり容量を食ってるんですねぇ。痛子もびっくりなのですぅ」

「そ、そうなんだ……」

 思わず対応に窮してしまう豪太郎。どんだけ描き込んでるというのか、その部位?

「というわけでゴーくん!」

「な、なんだ?」

「痛子、もうガマンできないのですぅ。ムラムラが止まらないのですよぉ」

 痛子はにわかに、鼻息も荒く豪太郎に迫ってくるのだった。

「い、痛子?」

「ゴーくんだって、すっかりご無沙汰でもう辛抱たまらんはずなのですぅ。ギッチギチのパンパンで息かけただけでも爆発すること間違いなしなのですぅ」

「あ、いや、それは、その……」

 しどろもどろになる豪太郎に、痛子は女豹のごとく襲いかかる。

「ゴーくん」

「は、はい」

「痛子としましょ!」

「そ、そんなはっきり言わなくても」

「痛子とヤリましょぉ! イッパツやるのですぅ!」

 部屋には誰もいないというのに、する必要のない体裁を気にしてなんとなく抵抗を見せていた豪太郎だが、あまりのドストレートぶりに素直に従ってしまう。

 本音の部分で否やはなかったわけだが。

 ぐっと迫ってくる二次元美少女の顔と、唇の先に僅かに感じる微かな触覚。

 高鳴りを抑えきれず胸がキュッとなる。

「あ……」

 久々の“スッキリ”である。

 豪太郎の意識は一瞬にしてブラックアウトしていた。

 

 何時間経過したのだろうか。

 すでに空がうっすらと白んでいるのがカーテン越しに分かる。

 新聞配達のバイクが近くを通り、小鳥がさえずり始める。

 遠くではカラスが不吉な鳴き声を上げていた。

 どこか現実離れした感覚の中、豪太郎はやけに心が軽くなっているのを感じる。

 ゆっくりと立ち上がるが、心に反して体は妙に気怠い。

 なんとも懐かしい感触だ。

 豪太郎は痛コミュのメッセージが来ているのに気がついた。

 送信元は考えるまでもない。

『待ってたわよGTR』

 mionこと睦美がほくそ笑んでいるさまが手に取るようにわかる。

『ダメ人間の世界へ、おかえりなさい(はぁと)』

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