Episode 28 リア充の陥穽にはまるのか?
リア充の聖地、浦安549ランドへ行った豪太郎は、そこで玲との親睦を深める。とはいえ二人とも赤面したままでさしたる進展はなかったのだが。一方でその翌日、大門くんとらぶちゃんが別れたという噂が校内に流れていたのだった。
ランド行きから数日が経過した。
豪太郎はサイコパスではない玲と同じときを過ごし、いつの間にかそれが自然なことになっていた。
いくら超奥手とはいってもずっと顔を合わせていればおのずと慣れてきてしまうものだ。
こんがらがった縄の結び目をひとつずつ解いていくように、豪太郎と玲の間は少し、また少しと硬さが取れていった。相変わらず会話はほとんどないものの、お互いに向ける表情は随分自然な雰囲気になっていったのだ。
気がかりといえば、最近は睦美がすっかり近づかなくなっていたところだった。
だが豪太郎は彼女の存在を意図的に考えないようにしていた。
今、この瞬間を楽しむこと。
どうにもならないことは気にしないのが一番。
彼の周りには、いつのまにか他の級友も集まるようになっていた。
豪太郎はシュレーディンガー計測器のディスプレイをぼんやりと眺める。
ニューロフィードバックのトレーニングはすっかり習慣になってきて、もはや呼吸をするように淀みなく脳波をコントロールできるようになっていた。
その効果があってか、最近はワームホールの発生はゼロである。
そして、豪太郎の平静と同調するかのように一徹と涼子も大人しくなっていた。
「(……これでいい。これでいいんだ)」
いかにもリア充ですといった学校生活。
次第にだが、クラスの人気者になりつつある。
体育の時間でも別人のようにパフォーマンスが上がり、バスケの試合では豪太郎にパスが集まる集まる。
「イェ~~イ!」
それまでは挨拶すらしたことのなかった強面体育会系男子とハイタッチ。
パスと見せかけたフェイントからの3ポイントゴールは、リングにかすりもせずネットをサッと揺らしていた。バスケ部員でさえ溜息を洩らす見事なショットだ。
「やるね、金剛丸くん。……でも負けないよ!」
悔しそうな素振りを見せる対戦相手の大門くんに向かって、豪太郎は余裕の笑みを返した。
「ディーフェンス!!」豪太郎が叫ぶと、
「「「「ディーフェンス!!」」」」チームメイトが応じる。
同じチームのバスケ部員を差し置いて、実質キャプテン状態である。
そして試合に勝利した豪太郎は、立役者としてチームメイトから祝福を受ける。
ふいに隣のコートにいる玲と眼が合った。
豪太郎は自然な感じで手を上げる。
玲は、キョドリながらも控えめに手を振ってくれた。
そうしている間にも顔を真っ赤にしながらも、チラチラを自分に眼を向けてくる。
ああ、やっぱり可愛いななどと思っていると、背中をドンと叩かれた。
「この、モテ男が!」
「よせよ、はははっ」
強面体育会系男子の冷やかしを軽くいなす豪太郎。
「やるじゃない、あの子ったら!」
腰に手を当てて試合を観ている涼子が感心していた。
そんな彼女も体操着姿なのだが、なぜか下はブルマ。色は紺だ。
二次元好きなメガネ男子どもの視線を一身に集めているのだった。
すべてが順風満帆である。だが、この一年で身についてしまった習慣はなかなか取れるものではなかった。
教室で、廊下で、トイレで。
つい周囲を見回してしまう豪太郎がいた。
むろん、そこに自分をストーキングしている二次元美少女キャラは存在しない。
そして痛バレという恐怖から解放されたことを思い出し、豪太郎は安堵の息をつく。
そう。もう心配などしなくていいのだ。
なにかのはずみで自分が痛恋人オーナーであると知れてしまい、ドヘンタイ扱いされた挙げ句に登校拒否→高校中退という悪夢とは無縁なのだ。
豪太郎に痛彼女がいたことを知っているのは睦美と真実ちゃんだけ。
睦美がカミングアウトする可能性は皆無だし、真実ちゃんがわざわざそのことを口外するとも考えられない。
我が身の安全を再確認してほっと一息つく。
そんなときである。
決まって睦美と眼が合ってしまうのだ。
睦美は、いつも冷ややかな視線を投げかけてくる。
そして豪太郎は彼女を黙殺する。
話しかけようにも、なにをどう話していいのかまるで思いつかない。
豪太郎は睦美が近づいてこない理由を知っていた。
痛恋人オーナー専用SNS“痛コミュ”の都立中島高校分科コミュニティでは、豪太郎のアカウントは停止状態にあるはずだ。痛子がいない以上、アクセスすることすらできない。
睦美は唐揚げパーティのときになにかがあったと察しているのだろう。
そして豪太郎が痛恋人をなんらかの理由で放棄していることもわかっているはずだ。
キッと睨め付けてくる睦美は、どこか怒っているようでいながら、同時に突き放しているようでもあった。
豪太郎は自然な動きで彼女から視線を外す。
いずれにしても睦美が自分たちを避けている以上、豪太郎から歩み寄ったところで得るものがあるとも思えなかった。
いっぽうで、
――なにかが物足りない――
ついそんなふうに思ってしまう。
それは、無理もない話だった。
この一年間、ずっと痛子に振り回されっぱなしで、痛バレの恐怖にひたすら怯え続けてきたのだ。
いきなり強度のストレスから解放されてどこか拍子抜けしてしまったのは仕方のないこと。
体に染みついてしまった警戒はおいそれと消えてはくれない。
しかし、それも時間が解決してくれるはず。
今はまだ、新しいバランスを取れていないにすぎないのだ。
豪太郎は確かめるように、あるいは自分を納得させるようにもう一度周囲を見回した。
やはり、そこに痛子の姿はない。
悪辣な表情を浮かべながら自分だけにわかるような形でストーキングしている彼女は、もういない。
これでいい。
これでいい。
これでいい。
これでいい。
裸ランドセルに激しく心揺さぶられたのも、今にして思えばただの気の迷いのはず。
痛恋人という二次元情報体が、持ち主の潜在意識を刺激していたにすぎないのだ。
仮に自分がロリコンで、小学五年生のいたいけな少女にあられもない格好をさせ、その羞恥のさまを愛でる紳士であったとしても、それはあくまでも“潜在的な”願望にすぎないのだ。
そしてそんな願望は理性の力でいくらでも抑えることが可能なのだ。
そのようにして、睦美を除いた六人での行動が続いていった。
なにもなかったかのように、ごくごく自然に。
結局――豪太郎は思った。大門くんとらぶちゃんが別れたという噂はガセだったのだろうと。
でなければいつもいつも律儀に二人で豪太郎たちに付き合うはずもないのだ。
六人で放課後に行くカラオケやファミレスやゲーセン。
ただ意味もなく公園でどうでもいいような会話に耽ったり、コンビニで買い食いしたり。
緩やかに、穏やかにながれていく楽しい時間。
脅威はなく、むしろ守られているとすら感じてしまう安心感。
でもやっぱり、なにかが足りない。
一人でいるときに忍び寄ってくるそんな思いを、豪太郎は首を振って打ち消す。
そして意識をムリヤリにシュレーディンガー計測器へと向かわせる。
大きく息をすって、ゆっくりと吐き出す。
リラックスする状態を常にイメージして、脳波をアルファ波へもっていく。
痛子を意識の外に追いやり、豪太郎はリア充の仮面を被る。
「最近ほんとうに楽しそうじゃない?」
むしろ否定的な口調で睦美は訊ねてきた。
なんの前振りもなく、唐突に。
廊下には他に誰もいなかった。
豪太郎が一人になるのを待っていたかのようなタイミングだった。
ムスッとした表情にぶっきらぼうな物言い。
性格だけなら嫁にしたいナンバーワンという評価を根底から覆すような無愛想さ。
もっとも、今さら驚きはしない。
すでに睦美=mionと知っている豪太郎にとっては、態度の悪い睦美のほうがむしろデフォなのだ。
「でも眼が死んでる」
平板な口調の低い声。
「ハイスペックな人気者のくせに、表面上ヘラヘラ笑ってるだけで、ゼンゼン楽しそうじゃない。心がそこにない」
図星だった。
「わかんないのよ!」
睦美は急に声を荒げた。その転調が豪太郎の意識に刺さる。
「どうしてなのよっ!?」
「な、なにが?」
「だって」
唇を噛んでから、睦美は息を吸う。憤りを押さえつけるかのように。
「痛恋人と一緒になって、忘れられるなんてできるはずない」
豪太郎は無言のまま、リアクションを保留する。
「あんな素敵な毎日を捨て去るなんてできるわけない」
その怒り、そして不信は、もっともなものだった
ひとたび痛恋人のオーナーとなったら、二度と一般人には戻れないのだ。
睦美はそれをよく知っていた。
だからなぜ豪太郎が呆気なく足を洗ったのか、まるで理解できないのだ。
「でも……、」
豪太郎はそこでようやく口を開いた。そして自分自身に言い聞かせるように語る。
「でも、怯えなくていい。痛バレの恐怖に怯えなくてもいいんだ」
「そ、そんな……!?」
豪太郎はゆっくりと溜息をついてから、睦美に優しい眼を向けた。
「榎本さんのこと、内緒にしておくから心配しなくていいよ」
ハッとした表情を見せる睦美。しかしその表情はやがて怒りに包まれてく。
「死ねよ!」
睦美は、背中を向けた。
「このニセモノがっ!」
声が震えていた。
不自然なまでにか細く見えてしまう睦美の後ろ姿。
彼女はそれきり振り返ることもなく、廊下の奥へ消えていった。
睦美の言葉は、ずっと喉に刺さった魚の骨のように豪太郎に纏わりついていた。
それなりに傷ついていたのも事実だが、それ以上にいっさい反論できなかった、いや、反論しようとしなかった自分自身に豪太郎はショックを受けていたのだ。
だから、つい気を紛らわそうとしていらないことを言ってしまう。
「でもよかったよ」
いつものようにファミレスのテーブルで並んで座っている大門くんとらぶちゃんを見ながら、豪太郎は敢えて安堵してみせた。
「二人が別れたって噂があったから」
しかし、そこで奇妙な沈黙が周囲を支配する。
「って、あれ?」
大門くんとらぶちゃんは黙ったまま。なぜか頷きもしないのだった。
「こうしていつも一緒なんだから、そんなことないよね?」
どこか、胸のざわつきを覚えながらも、豪太郎は訊ねる。
「ちがうの」
応えたのはらぶちゃんが先だった。
普段はただニコニコと微笑んでいるだけで、ただそれだけなのに周りの誰もを幸せにしてしまう超絶癒やし系の彼女は、思ったよりもしっかりした口調でそう言ったのだ。
「あたしたち、付き合うのやめたの」
「――えっ?」
豪太郎だけでなく、その場にいた一徹も、そして涼子も眼を点にして硬直していた。
玲にいたっては口をポカンと開けて、完全に呼吸すら忘れている様子だ。
「もうやめたんだ」
むしろすがすがしい表情で大門くんは語った。
「偽装恋愛は、終わりにしたんだ」
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