Episode 27 「アヴァリスッ――ッ!!」一徹は叫んだ。

 不気味なサイコパス少女、黒井玲。だが邪眼メイクとマットな黒髪ロングのウィッグをとられたら、中身は地味な美形少女だった。輝きを欠くくすんだ肌と自信なさげな視線、そして前下がりのショートボブ。その見た目は豪太郎にとってドストライクにもほどがあるというものだった。しかも豪太郎に気があるのがバレバレである。

 すわ、待望の春到来か――?


 普段は教室の隅っこでアニメやゲームの話ばかりで地味に盛り上がっているメガネ男子どもから感嘆の声が沸き上がっていた。

「見るでござるよ。あれこそまさに隠れ美少女ではござらぬか!?」

「これはしたりっ! 鳩ヶ谷氏もよく見るでござる」

 いつもは周囲の反応を気遣って小声で会話をしている彼らだが、このときばかりは興奮を抑えきれず、ついつい声のトーンも高くなってしまう。

「ふっ……。我が輩、密かにチェックしていたでござるよ」

 そのうちの一人、鳩ヶ谷生徒が得意げに語った。

「なんとッ! 鳩ヶ谷氏、それはまことか?」

「実は一年のときに同じクラスでな。彼女は隠れ美少女と認識チェックしておったのだ」

「ぐぬぬ! 黙っていたとは人が悪いにもほどがあるぞ、鳩ヶ谷氏ぃッ!」

「ふふふ。心眼をもってすれば、これしきのこと造作もないはず!」

 黒井玲ファンクラブ誕生の瞬間だった。

 構成員は二次元美少女愛好家ばかり。

 もっとも、彼らの熱い想いは誕生と同時に報われないことが確定していたわけだが。


 右手で玲を抱きながら、涼子は左の人差し指で豪太郎をビシッと差した。

「女の子の気持ち、ちゃんと応えないとお母ちゃん許さないからねっ!」

 挑発的な瞳で豪太郎を睨みつける。右の口角を吊り上げながら。

 それは、豪太郎に逃げるなよと脅していると同時に、(精神的な意味での)春の到来を祝福するものでもあった。

 血まみれで床に沈んでいる父一徹も、ブルブルと手を震わせながらかろうじてサムアップして豪太郎に微笑んだ。

 もっとも、顔中に刻み込まれたナックルブローのせいでその表情を読むのはひどく難しかった。

 いずれにしても(豪太郎側の)親公認であることに違いなし。

 新カップルの誕生を、その場にいる全員が疑おうとはしなかった。

 同時に、睦美と豪太郎の関係がどうなってしまうのか、誰もが怖くて口に出せなかった。


 翌日。

「くはぁッ!!」

 思わずヘンな声を上げたのは豪太郎。

 目の前に立っている玲は、昨日とは違っているところがあった。

「ヘン……かな?」

 それまでの邪悪な低い声とは違う、消え入りそうなほどか細い声音。

 自信なさそうに眼を伏せながらもチラチラと遠慮がちに視線を向けてくる。そのいかにも気弱な感じがまたなんとも!

 羞恥に頬がほんのりと桜色に染まっていて、そんな恥ずかしがり屋さん的な部分もたまらないわけで。


 本日の玲はメガネをかけていた。


 メガネである。

 それも銀縁の、見るからに無難といった形の普通フレーム。

 レンズのカーブは結構きついみたいで、視力の悪さをうかがわせる。極度の近眼か?

 実は“悪女”になると決めてから彼女はずっとコンタクトをしていたのだが、結構苦痛だったらしい。

 そこでコンタクトをやめてメガネにしないかと提案したのが涼子だった。

 息子の嗜好を知り尽くした母親としての計算ずくである。

 超ツヤ髪地味系メガネ美少女。しかも奥手の恥ずかしがり屋さん。

 次々と追加されていく玲の属性に豪太郎はすっかりブチ抜かれていた。

 隠れ黒井玲ファンクラブは心の中で盛大な喝采を送っていたが、なぜか豪太郎にだけはその歓声が耳に響き渡ってくるのだ。

「……ッ!」

「メガネ、超似合うし」

「……ッ!」

「あと、なんかすっごく奥手って感じが超いい! かわゆすぎる!」

「……ッ!」

「なにからなにまでぜ~んぶ超弩級のストライク! マジもうメロッメロ!」

「……ッ!」

「こんな素敵すぎる娘が自分に気があるとか、これチートにもほどがあるんじゃね!?」


 固まったままの豪太郎のすぐ横で、一徹が豪太郎心の叫びを勝手に創作していた。

 面白半分に適当を言ってるだけなのだが、困ったことにそのすべては豪太郎の心情を正確に、いや精確に代弁するものだった。

 本音を暴露された豪太郎の顔がみるみる赤くなっていく。

 何百メートル全力ダッシュしたらそこまでなるんだというくらいの赤面である。

 そんな豪太郎の反応に釣られるように玲も顔を下に向け、両耳が熱を持っていく。

 奥手同士がくっつくとこうなる、といういい見本サンプルであった。

「こりゃ酒がうまくなるぞ」

「ご飯三杯は確定ね」

 よくわからない感想を洩らしながらも、奥手カップルを祝福する一徹と涼子。

「じゃあさ!」

 そこで涼子はなにか企んでます的な笑みを貼りつかせた。

「今度の土曜日、みんなで行こっか!」


 そして迎えた次の土曜日。

 早起きを強いられた豪太郎とその仲間達は浦安の地に立っていた。

 メンバーは6人。

 涼子は一応睦美にも声をかけていたのだが、彼女は用があるとうい理由でこのイベントには不参加だった。

 そんなわけで実に平和な形で三組のカップルができあがっていた。

 一徹と涼子という夫婦。

 大門くんとらぶちゃんという学校イチのキラキラカップル。

 そして消去法的かつなし崩し的、つまりは強制的に豪太郎と玲の奥手カップルが爆誕。

 六人はマジェスティックなゲートの前に立つ。

 そこは七つの大罪がひとつ“アヴァリス”を体現せし、魔法と夢の王国。

 浦安549ランド。

 ちなみにすぐ隣は浦安549シーだ。

 シーでは昼から酒が飲めるので一徹はシーを強行に主張したのだが、涼子の鶴の一声であっけなく却下となっていた。


 日本のテーマパークにおいて桁違いの集客を誇るこの施設は、異次元の収益を上げながらも毎年のように値上げに次ぐ値上げを繰り返し、信者どもにお布施増を強要してきた。

 だが、それでもまだまだゼンゼン足りないとばかりに今度は従業員の数を減らしてコスト削減に精を出し、テーマパークの生命線ともいえる顧客満足度をモリモリ削っていくアグレッシブさを見せつけていたのだ。

 それでも信者は嬉々としてお賽銭を落としつづけてくれる。

 まさに、収奪の構造である。

 ちなみに魔法と夢の王国を名乗りながら、真の妖精さん(或いは魔法使い)を見かけないような気がするのはご愛敬というものだ。

 涼子から鬼のようなプレッシャーを受けて六人分の1日パスを自腹で購入ふたんさせられた一徹は悲嘆にくれながら天を仰いだ。ちなみに総費用は4万円を超えている。これだけの金額があれば赤羽でどれだけ安酒が飲めるというのか――?


「アヴァリスッ――ッ!!」一徹は叫んだ。


 なぜそこまでアヴァリスに徹することができるのかと絶望しながら。

 たった6人でこの料金ってあり得ないだろうと嘆きながら。

 どうせ中入ってもずっと待ってるだけだろうと儚みながら。

 一徹は、その飽くなき金銭追求欲に驚愕していた。

 そんな圧倒的な力に呑み込まれるだけの無力な自分への憐れみが止まらない。

 そしてその首筋を、涼子の美しい延髄斬りがヒットする。

「ふざけてないでとっとと行くわよ、お父ちゃん!」


 そのようなわけでトリプルデート的な一日が始まった。

 大半は人気アトラクションの待ちで、2時間待ち、3時間待ちは当たり前。

 半強制的に生まれたカップリングのせいで、豪太郎はずっと玲のすぐ横にいることになった。

 が、会話が盛り上がらない。

 というか成立しない。

「(……お、おかしいッ!)」

 じっとりと焦り始める豪太郎。

 シュレーディンガー計測器によってすっかりコミュニケーション上手になっていたはずなのだが、豪太郎には女子との交際経験という絶対値がまるっと欠如していた。

 大門んく相手ならさらりと展開できる会話も、相手が女子となると話はまったく別なのだ。

 しかも玲は地味系美少女。

 超ドストライクであるがゆえに、豪太郎はむしろ身動きがとれない。金縛り状態である。

 これが睦美であるならば、ゼンゼンその気がないのでリラックスして話ができただろう。

 きっと盛り上げることもできたはずだし笑いだって取れたはず。

 しかし、相手が限りなく本命という状況下、豪太郎はムダに慎重になってしまう。

 結果、これまで通りのチキン野郎に戻っていて、うまく接することができないでいた。

「今日、かわいいカッコしてる……ね?」

 勇気を振り絞ってそんなふうに言ってみるものの、玲の格好は白のブラウス、微妙に長いスカートと薄手のカーディガン。いわゆる地味女子ルックである。

「そ、そんなこと……」

 むしろ玲は恥ずかしがってしまい、雰囲気は却って気まずい方向へ。

 しかもその隣で別次元の輝きを見せているのは田柄愛聖翼らぶちゃん

 どうということのないユニグレーのロングTシャツ姿なのだが、彼女が着ているとそれだけでやたら眩しく見えてしまう。そして寄り添うように立つのは超イケメンの大門くん。

 強烈なコントラストは気の弱い豪太郎と玲にとって、むしろ罰ゲームに近いものだった。


 豪太郎と玲はひたすら気後れしつつ、その会話も延々と空回り。

 背後からは一徹が「手つなげ、手つなげ」とチャチャを入れてくる。

 なんともいたたまれない空気の中、救いの手を差し伸べてきたのは涼子だった。

「玲ちゃん、これ似合うんじゃない?」

 玲の返事を待たず、頭に買ってきたばかりのブツをつけていく。

「は、それはッ!」

 ネズミミカチューシャであった。

 世界一邪悪で強突く張りな超人気キャラクター、マネーマウスの耳を模したそのカチューシャは、いい年こいて装備していると痛いことこの上ない呪いのアイテム。

 だが、玲が装着すると――

「か、かわいい~~~~~~~~~~~~~~ッ!!」

 我を忘れて絶叫する豪太郎。そんな豪太郎の大喜びに顔を真っ赤にして恥じらう玲。玲のリアクションにズキュンとなりつつも「あ、言っちゃった」的な後悔と恥ずかしさに身もだえする豪太郎。そして涼子が次の燃料をブチ込み、豪太郎が絶叫して以下繰り返しエンドレスループ……


 豪太郎にとってはなんとも心臓に悪い一日であった。

 しかし、こんなドキドキも悪くない。そう思えるようには成長したのだ。


 翌日――

 大門くんとらぶちゃんの超絶キラキラカップルが別れたという噂が学校中に流れていた。

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