Episode 26.5 黒井玲という少女

 合同体育祭のことはいまでもはっきり憶えてる。

 三年前に区が実験的におこなった大会だった。なにか問題があって一回だけで終わっちゃったみたい。

 仲良しのなっちゃんは陸上部の飛鳥くんの大ファンだった。

 同じクラスの飛鳥くんはワイルドな感じのイケメンさん。

 ちょっとワルそうな雰囲気で女子からかなりモテてた。

 しかも陸上部のエースで100m走の代表。

 将来はオリンピック狙えるかもなんて期待されてた。

 隣でなっちゃんがすっごく甲高い声援を上げる中(こういうの黄色い声援っていうんだって)、合同体育祭の100m走第一レースが始まった。

 号砲が鳴り、歓声は一瞬で消えてしまった。

 悲鳴すら上がらなかった。

 誰もが勝利を確信していた飛鳥くんは、二位。

 それもトップとは絶対的な差を付けられての二着。

 大人と子どもというよりは、アスリート対赤ん坊ってくらい差がついていた。


 第一レースの勝者は、金剛丸豪太郎くんという人だった。

 なんかすっごく物騒な名前。

 隣の中学の男子。もちろん聞いたことなんてなかった。

 なっちゃんの話では、金剛丸くんのタイムは7秒台だったみたい。でも、計測の人がビックリしてストップウォッチを押すのが遅れてたみたいで、ほんとは5秒切ってるって噂。


 すごいよね。というか、人?

 人間離れにもほどがあるというか、非常識きわまりない?って感じ。


 結局飛鳥くんはそのときのショックが強すぎたみたいで、陸上を辞めてしまって。

不良の人たちと仲良くなったみたい。

 真っ赤な髪の彼女ができて、なっちゃんはすっごくショック受けてた。

 飛鳥くんがタバコとかケンカでよく補導されてるって聞くようになったのは、そのすぐ後のこと。


 なっちゃんとは同じ都立中島高校に入った。

 偏差値はちょうど50くらいの、ほんとにほどほどって難易度の高校。

 高校入学と同時に飛鳥くんのことはすっかり忘れちゃったみたいで、なっちゃんは今、大門くんに夢中。金剛丸くんについてはそれでも恨んだままで、あんまりいいイメージはもってないみたい。これって逆恨みなんだよねって思うけど、それは言わないことにしてる。


 でも、彼ってそんなに酷い人なのかな?


 確かに人間離れしてるというか、もはや人間業ではない気もするけど。

 見てるといつもビクビクしてて、すっごく気が弱そう。

 悪人って感じではゼンゼンないの。


 あと、なっちゃんの話だと、同じクラスにお父さんがいるんだって!

 お父さんだよ、お父さん!

 お父さんがクラスメイト……。

 信じられない。

 もしわたしのお父さんがおんなじクラスだったらゼッタイ

 お母さんならどうかな? ……やっぱりいやかも。


 その金剛丸くんのお父さんって、いっつもセクハラばっかりしてるみたい。

 よかったよ、同じクラスじゃなくって。

 そんなわけで、わたしは金剛丸豪太郎くんとはまったく縁のない高校生活を送るものだと思ってた。そう考えるのがふつうだし、同じクラスの子もやっぱりそんな感じ。

 だって、どう考えてもヘンな人だし、お父さんはセクハラ大魔王だし。


 七月のある日。でもわたしの価値観が少しだけ変わってしまった。

 学校に行く用があって、制服姿で都立黒塚公園を歩いてたときに、わたしは目撃してしまったの。

 遠くに金剛丸くんとお父さんがいるって、わかってた。

 なんかお父さんがすっごい勢いで怒鳴ってて、でもそれはいつも学校でもそうだからまあいいかなって。

 そうしたらお父さんこっちの方、指差してきて。

 なんだろ?って思ったすぐあとに、今度は金剛丸くんがすっごい勢いで走ってきたの。

 ダメ、見ちゃダメ。

 眼を合わせちゃいけない。

 あの二人に関わったらタイヘンなことになるって、みんなの常識。

 気づかないフリ。気づかないフリ。

 そうしたら金剛丸くんが飛んだの。

 んだではなくて、んだって感じ。

 自衛隊の戦闘機とか、離陸する瞬間ってあんなふうなのかな。

 金剛丸くんは超人的な勢いで宙に浮いて、わたしのすぐ頭の上を通り過ぎていった。

 一瞬だけ眼が合った気がした。

 ううん。気のせいなんかじゃない。はっきり眼が合った。

 金剛丸くんの顔はオニそのものだった。鬼神……?

 でも、不思議と怖くはなかった。

 だって、そこには悪意が少しも感じられなかったから。

 真剣そのものだったから。

 懸命に、一心不乱に、……一意専心?

 空中の金剛丸くんは野球のグローブをまっすぐに突き出して、空から落ちてきたなにか――なにかすっごく不気味で不吉なものをキャッチした。

 わたし思った。


 かっこいい。

 イチローみたいって。


 あんなふうに美しく飛んで、あんなふうに美しくキャッチできるなんて。

芸術って思ったくらい。


 そのあと金剛丸くんは地面をバウンドして、なんだかすっごく痛そうだった。

「ぎょぇええええええええええええええええ――ッ!!」って悲鳴を上げてた。

 ふつうだったら死んでるよね、ゼッタイ。

 ゼッタイ死んでる。

 でも金剛丸くんは落ちてきた何かを離さないでいた。

 骨とか折れても不思議なかったけど、ゼンゼンそんな感じじゃなかった。

 おかしいよね。……おかしい、ゼッタイ。


 でも、それから何日か経って気づいたの。

 あれってもしかして、わたしを助けてくれたんじゃないのかなって。

 だって、あのヘンな物体、ゼッタイわたしに向かって落ちてたはずだから。

 それを金剛丸くんが芸術的なキャッチで助けてくれたんだ。

 そうじゃなかったら、きっとわたし死んでたかも。

 とくに根拠とかないんだけど、たぶんそう。

 わたし、怖くなってそのまま逃げちゃったけど。

 もしかして、お礼とか言ったほうがよかったのかな……?


 いつからだったのかな。

 わたしはすっごく気になっていた。気になって気になって気になって。

 金剛丸くんの、あの人間離れした動きが見たくてしかたないの。

 だって、気になるじゃない? 気になるよね?

 それで、気がついたらわたし、金剛丸くんのこと見張ってた。

 いつも彼の家のそばで待ってたの。時間があれば昼も夜も。

 あの“状態”になる瞬間を期待して。

 でもそれは、そんなに珍しいことではないとすぐわかった。

 だいたい、二日か三日に一度くらいのペース。

 結構あるよね。

 たいへんそう。

 でもわたしもたいへん。だっていつ起こるかわかんないんだから。

 ずっと見張ってないと。おかげで毎日寝不足よ。

 なっちゃんには、ばかなことやめなよって言われるけど、だって見たいんだもん。

 金剛丸くんの、美しい跳躍を。

 常識破れな運動能力を。

 神がかり的な突破力を。


 この気持ちってなに?

 恋じゃない。恋じゃないことはたしか。

 たしかなはず。

 たしかなはずなんだけど。


 チュパカブラと格闘してたときは、ほんとにハラハラしちゃったけど。

 思わず声を出して応援しそうになっちゃったけど。

 金剛丸くんはなんとか戦いに勝ったみたいで、ほっとした。


「どんな人が好みなんですか?」

 廊下で金剛丸くんを監視していたら、お父さんに声をかけられてしまった。

 セクハラ大魔王は、噂とは違ってジェントルマンな感じだった。

 でも、なっちゃんが言ってた。紳士とかいてヘンタイって読むんだって!

 それと、最初はソフトな感じで、様子を見ながらどんどん攻めてくるんだって。

 大人のテクニックっていうみたい。

 怖かったけど、そう、これはチャンスよって自分に言い聞かせた。

「あの……」わたしは勇気を出して訊いてみた。「どんな人が(金剛丸くんの)好みなんですか?」


 きゃーきゃーきゃー! 訊いちゃった。どうしよう。バレたかな。バレバレよね?


 お父さん、それなりに経験積んでるはずだから、ゼッタイわかってるはず。

「えっと」お父さんはビックリした顔を見せて、「(おいらの)好みねえ……」

 アゴに手を当てて考え込んでから、

「そうだな。えっと峰不二子ちゃん、みたいな?」

「……みねふじこ……ちゃん、ですか?」

 だれそれ?

「そうそう。ザ・悪女って感じ」

「はあ……」

「なに考えてるかわかんないミステリアスな瞳が、もう(オジサン的に)痺れまくりぃッ!!」

 お父さんは、やれボンキュボンだの、ライダースーツのジッパーを下ろすと実はブラ着けてない的な感じがどうとかこうとか、これは「はいてない」よりポイント高いとかなんとか。

 それと、まったく関係ないけど女の子は黒髪ロングが最高!みたいなことも言ってた。

 それで、わたしの理解できない言葉をすごい勢いで並べ立ててた。


 その日の晩、頭の中を整理して結論としては、


 ・悪女

 ・ミステリアスな瞳

 ・危険な雰囲気

 ・黒髪ロング


 という方向性が決まったのでした。

 悪女っていったら悪いことだから、アンチ物理学?

 ミステリアスなら、小悪魔系メイク?

 危険っていったら塩素系のドメスティックと酸性の酸ポール混ぜたら超危険よね?

 黒髪ロングは、とりあえずウィッグが家にあったからそれを採用ということで。


 いつしかわたしは“サイコパス”って呼ばれるようになってたの。

 略して“パス”だって。

 それからなっちゃんも引きぎみで、みんながいる場所では話しかけてくれなくなった。

 でも大丈夫。だってこれが金剛丸くんの好みなんだから!

 でも金剛丸くんはどう見ても奥手。

 そしてわたしもすっごい奥手。

 どうしよう。

 お話なんてできるのかな?


 二年生のクラス替え。

 いちおう、将来の進路を反映したものだったけど。

 なんとなんとなんと!

 金剛丸くんと同じクラスになったのでした。

 これはうれしいです。

 神様ありがとうございます。

 あと大門くんも同じクラスで、なっちゃんからはすごく羨ましがられた。

 ちなみになっちゃんは隣の隣のクラス。

 たまに遊びに来てくれるんだけど、お目当ては大門くん。

 バレバレなんですからね!


 同じクラスになって、毎日が金剛丸くんの監視Day!

 でもそこからもう一歩が出せないでいたの。

 そんなときに、凉子さんが転校してきた。

 制服がブレザーの中島高校なのに、なぜかセーラー服。

 それもすっごく短いスカートで、上着も短いからおへそも丸見え。

 でも脚がすっごくきれい。

 ウェストもキュッって感じで、女子の憧れって体型。

 はいてる下着がちょっと刺激的すぎるのが問題だと思うんですけど……。

 その凉子さんが転校してきた夜、またあれが起こったの。

 金剛丸くんは公園の地面にいきなり現れた穴に落ちそうになったけど、女の人に助けてもらって。女の人はなぜか逃げていっちゃったんだけど、金剛丸くんはそのあとご両親となにか話をしていた。

 今になって思えば、あのとき凉子さんは気づいていたんだ。

 わたしが隠れて見ていたことを。

 だからその翌日、凉子さんはわたしを捕まえて金剛丸くんの前に連れていった。

 なにか金剛丸くんには彼女が必要とかいって、わたしと榎本さんのどちらかを選べって話になっていった。

 わたしの頭の中は真っ白だった。

 だって、金剛丸くんがすぐ目の前にいるんだもの。

 どうしよう……!?

 どうしようどうしようどうしよう……!?

 でも、こんなときこそスマイルよ。

 そう、悪女スマイル。

 毎日部屋の鏡を相手に練習してきた悪女スマイルを、今こそ金剛丸くんに見せつけるのよ!


 ………………。

 でもなにか違う感じ。金剛丸くんが固まってる。

 まだ成分が足りないのかな?

 接近すればするほど、金剛丸くんが困った感じになっていく。

 だったら、トークで勝負よ!

 得意のアンチ物理学トークで、彼の心をく・ぎ・づ・け!


 ………………。

 そんな感じでアプローチしたんだけど、なんかゼンゼン違うって感じで。

 ほんとは、わかってたの。

 わかってたのよ。

 これってゼッタイ間違いだって。

 でも、もうあとには退けないってのも正直なとこ。

 そんなふうに迷いながら何日も過ごしていると、凉子さんが声をかけてくれた。


 そして――


 一徹さんがぼこぼこにされて、

 わたしはメイクとウィッグを取られて

 金剛丸くんはあの公園の出来事を思い出してくれた。

 やっと、やっと、やっと――思い出してくれた。

 でもなぜなのかな?

 彼の姿が霞んで見える。

 それにわたし、声が掠れてる。


 後ろからそっと抱きしめられた。

 涼子さんだ。

 涼子さんは優しく囁いた。

「ありがとね、玲ちゃん」

 涼子さんは、わたしだけに聞こえるように、小さい小さい声で、

「ありがとね。豪太郎を見ていてくれて」

 不思議な感じ。

 とっても安心する。

 優しさが全身を満たしていくような感覚。

 だって、凉子さんは知っているから。

 わたし以上に、わたしの想いをわかってくれているから。

 凉子さんはうしろから頬ずりしてきて、わたしは彼女が微笑んでいるのがわかった。

 優しい息づかい。やっぱり凉子さんって、お母さんなんだな。

「ありがとね。豪太郎を好きになってくれて」

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