Episode 25 豪太郎の過去と、二本のグラフが示すもの

 豪太郎の中の優先順位は節操もなく二次元から三次元へ、小五からお姉さんにシフトしつつあった。そして真実ちゃんから授かったシュレーディンガー計測器のおかげで、まったくの別人のように振る舞ってしまい、一晩でリア充に入れ替わったかのよう。こうかはばつぐんだ!


 豪太郎の部屋の押し入れには、数々の戦利品が封印されていた。

 封印とはいっても、ダンボール箱にガムテープで塞いでいる程度のモノだが、豪太郎はそれを誰かに見せることもなければ、一人ひっそりと取り出すこともなかった。

 箱の中にあるのは書道コンクールの金賞賞状、写生会の特選メダル、某飲料メーカー主催の川柳コンテストでグランプリを受賞したときのトロフィー……。作文コンテストでなんとか大臣賞とやらも勝ち取ったことすらある。

 しかしその実績はどれも一度かぎり。継続性というものがまったくなかった。

 そして、成果が文芸関係に偏っているのは、それが単に一回こっきりの勝負であることと、表彰されやすい分野であるためにすぎなかった。

 豪太郎は、体育実技においても突発的な能力を発揮することがたまにだがあった。

 近隣の中学校が集まっておこなう合同運動会の当日。教師の手違いで100m走最速グループに入れられてしまったことがあった。初戦の隣レーンにいたのは全国を狙えると期待されていた最速ランナー(女子のファン多数)。しかし豪太郎は圧倒的な差でブッチ切ってしまい、黄色い声援を絶望の悲鳴に変えてしまったのだ。記録はワールドレコード間違いなしという非常識なものだったが、あまりにも桁外れの数値であったため、計測ミスとして処理されてしまった。尚、最速ランナーと期待されていた少年は、豪太郎に負けたショックがたたってすっかりやさぐれてしまい、ヤンキー化してずいぶん周囲に迷惑をかけているそうだ。

 また、中学校内でのサッカー大会では準決勝の終了間際、僅か五分の間にハットトリックを決め、ドラマチックな逆転劇を演出。一躍ヒーローの座に躍り出たのだった。

 柔道の授業では体重100キロを超える同級生を神速で投げ飛ばし、あわや病院送りにするところだった。

 問題は、豪太郎の躍進が続かないというところにあった。

 100m走の第二レースでは中学生の標準的なタイムにすらおよばない遅さで最下位敗退。

 サッカー大会の決勝では次々とパスが集まってくるものの、そのどれもまともにさばくことができず、凡ミスの山を築いていった。

 柔道ではどうみても自分より貧弱な相手に完璧な一本背負いを決められ、受け身もろくに取れずに泡を吹いて保健室へ直行。

 要するに、豪太郎の輝きは一瞬でしかなく、継続性も一貫性も完全に欠けているのだ。

 それは本人のワームホール体質によるものなのだが、本人すら知らなかったことに周囲が理解を示せたはずもなく、結果として豪太郎は不真面目なヤツという烙印を押されることになってしまった。

 つまり、やればできるのにすぐ手を抜いてしまういい加減な人間であると。

 周囲を期待させるだけ期待させておいて、ここ一番でミスをしてみせるふざけたヤツだと。

 そのせいで豪太郎はどれほど教師から説教をくらい、嫌味を言われ続けてきたことか。

 それが自分の本意でないと言ったところで、誰も分かってはくれなかったのだ。


 そんなトラウマ級の経験を積み重ねていく中で、豪太郎はできるだけ目立たないように、地味でいるようになってしまった。

 もともと快活という方ではなかったが、極端に引っ込み思案になり、人との接触を無意識のうちに避けることを常とするようになったのだ。女の子には興味があったが、話しかけることなどできもせず、高校に入ってからも誰とでも(表面上は)親しくする榎本睦美がかろうじて相手をしてくれるにすぎなかった。豪太郎は、実質的にはボッチだった。

 もっとも、高校入学と同時にクラスに入り込んできた一徹につきまとわれていたせいで、一人になる時間などまるっきりなかったのだが。それでも友だちがいないという事実に変わりはなかった。


「たった一日でこれか……」

 豪太郎は手に持ったシュレーディンガー計測器をマジマジと見つめていた。

「たしか、効果が出るのに一週間くらいはかかるって、お姉ぇが言ってたけど」

 ディスプレイに表示されている二本の曲線。

 覗き込んできたのは大門くんだった。

「ほんとに効果ありそうだね?」

 これまた爽やかな笑みで応じてしまう豪太郎。自分が自分でないみたいだ。


 前日。

 真実ちゃんはシュレーディンガー計測器に表示されている二本のグラフを指さしながら説明した。

「これが豪太郎の精神状態とパフォーマンスレベルを示す数値だ」

 高い位置を微妙に上下している曲線と、一点だけが極端に高くなっているが、それ以外はほぼゼロに近い位置を走っている曲線の二本。

「上にあるのが豪太郎の脳波レベル。これは常に高い周波数になっていて、ずっとガンマ波のまま。つまり、不必要に緊張しているということ。いっぽう下の曲線は、パフォーマンスレベルを示している。一ヶ所だけが極点に高くなっているが、それ以外は極めて低い座標を差している。このピークがグラフ中央に位置した瞬間、“完全同期状態コインシデンス”に入って驚異的な能力を発揮する」

「なるほどね」凉子がうなずいた。

「逆に言うと、この高すぎるピーク値とバランスを取るために、普段の数値は極端に低いものになっているわけだ」

「そういうことか」妙に納得する一徹。「だからコイツはなにやってもダメだと」

「その通り。数値的には無能と称しても差し支えないかと」

「うわ、ひどッ!!」情け容赦のない評価に豪太郎は涙目になっていた。

「しかしパフォーマンスレベル全体の平均はむしろ一般レベルよりも高め。なのでこの数値をうまくコントロールすれば、かなりの改善が見られるはず」

「へえ……」一徹は半信半疑という眼で真実ちゃんを見やる。

「ワームホール体質の持主は、おおむねこのような傾向を持っている。脳波がアルファ波やベータ波になることはまれで、常にガンマ波で高止まりしたまま。それが無用な緊張感を生み、集中力を乱す。結果パフォーマンスレベルが不必要なまでに引き下げられてしまうのだ。そのしわ寄せが高いピーク値を生み出し、“完全同期状態コインシデンス”を引き起こす。この異常はしばしばワームホール生成を伴い、我々人類にとって危機的な状況がもたらされることになる」

「「なるほど……!」」自ら身に覚えがあるせいか、やがて納得していく一徹と凉子だった。

「そこで開発されたのが、このシュレーディンガー計測器だ。これはニューロフィードバック治療をベースに設計されているもので――」

「ニューロフィードバック……?」聞き慣れない言葉に、豪太郎は首を傾げた。

「脳波の状態を本人にモニターさせ、望ましい脳波にもっていくことで症状を改善させる――精神障害への治療としても注目されていた技術だ」

「そんなものがあったんだ」

 真実ちゃんはいつもの硬い表情の中にも、僅かな笑みを浮かべた。

「技術自体は1960年代からある、新しいとは言えないモノだ。アンチ物理規制委員会はこの技術がワームホール体質の改善に使えると判断し、これまで研究を続けてきた」

「じゃあ、この機械って」

「脳波がアルファ波になるようにコントロールするための装置と理解してもらえばいい。信じられないかもしれないが、脳波というモノは意識で制御することが可能だ。それはこれまでのバイオフィードバック研究によって明らかになっている」

「それで、いよいよ投入可能になったと」

 一徹の問いかけに真実は頷いた。

「いくつかの課題は残ってはいるものの、この状況下、ゴーちゃ……じゃなくて豪太郎には早急に導入すべしというのが規制委の結論」

「なるほど」

 キーッと金切り声を上げる凉子を無視して豪太郎はうなずいた。

「もちろん、脳波のコントロールは一朝一夕にできるものではない。しかし、集中しておこなえば、一週間もかからずにある程度の改善は見込めるはず」

「うん、分かったよ真実お姉ぇ。で、どうすれば?」

 “お姉ぇ”の一言にかぁああっと顔を赤らめ、動揺を露わにしてしまう真実ちゃん。

「ごごごごっごご豪太郎には常にこここの脳波グラフをみみみみ見ていて欲しい……の」こほんと可愛らしい咳払いを一つ。「そして、この曲線が下に下がった時のイメージをできるだけ保つようにしてもらいたいのだ」

「それだけで?」

 真実ちゃんのおかっぱボブがふわりと上下する。

「脳波を低くするイメージを常に保つ。それだけと思えるかもしれないが、しかしそれがニューロフィードバック療法で実施されている手法なのだ。少し時間はかかるが、これは多くの人間が成功させている。豪太郎は脳波のコントロールを身につけなければならないのだ」

 そのようにして豪太郎の元に、シュレーディンガー計測器が残されたのだった。


「なんか、この石持ってれば大金持ちになれるとかって広告あるよね?」

 突然のたとえに不思議そうな顔を見せながらも、大門くんは応じた。

「あ、ああ。雑誌の裏表紙とかにある……」

「そうそう。札束風呂に入って、女の人何人もはべらせてるハーレム的な」

「あ、あるね」

「もうそんな感じ。……これはチートと言わざるを得ない!」

 冗談まじりの口調で豪太郎がそう言うと、大門くんは笑いながら受け流した。

「ま、でもよかったよ」大門くんは爽やかに白い歯を見せた。「金剛丸くんがクラスに馴染んでくれればって、ずっと思ってたし」

「うん。ありがとう」

 相手の眼をしっかりと見ながら礼を言う。

 豪太郎にとってはドラマのワンシーンみたいだった。

 だが豪太郎はそこで大門くんの視線がチラリと向かう先を意識してしまう。

 余裕があるといろいろと気がついてしまうものだ。

 大門くんが見ているのは、

「(……って、パス?)」

 なんで大門くんが黒井玲などという不気味少女サイコパスをチラ見していたのか、さっぱり見当がつかない豪太郎だった。

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