Episode 23 思ったほど柔らかくなかった件について
一徹と凉子をワームホールに釘付けにした真実ちゃんは、キッチンで豪太郎と二人きり。状況をわきまえずに舞い上がりかけてしまう豪太郎。だがそこで真実ちゃんが呼びだしたのはインビジブルモードで隠れていた痛子だった。真実ちゃんは痛子のことを知っていたというのか?
鬼の形相が豪太郎の全身を絡め捕る。
「(……怖っ! ていうか怖えよ!)」
ヘビに睨まれたカエルのごとく身動きひとつ取れない豪太郎。だが真実ちゃんはプイッと視線を痛子へと戻すのだった。
「(……もしかして軽蔑された? オレ軽蔑されてる!?)」
基本的に怖いばっかりの真実ちゃんではあったが、そんな彼女にもヘンタイ認定されるというのは、一男子として抵抗を感じずにはいられない。
「確認するまでもないが、一応シリアルは見せてもらおう」
真実ちゃんは痛子の左足の裏を向けさせると、そこに記されているコードを読み取った。
「そんなとこにシリアルコードが……」
それまで意識したことのなかった痛子のシリアルコード。豪太郎はそれが左足の裏に記載されていることすら知らなかった。
コードは“Dev0000002”。
それが通常のコードでないことは説明されなくてもわかってしまう。
「これをどうやって入手した?」
怒りの情念をかろうじて抑えた声で真実ちゃんが訊ねる。
「……」
「だから、どうやって入手したというのだ――っ!?」
答えを躊躇する豪太郎に、イラつきが洩れ出る荒い口調で再び問うてきた。
研ぎ澄まされたナイフのような眼光が豪太郎を射すくめる。
その視線に籠められているのは強烈にすぎるほどの情念か。
まるで豪太郎の逃走を阻止するかのように。
まるで豪太郎の虚偽を許さないかのように。
逃げ切れない――そう観念する豪太郎。
だが、同時に不思議に感じてもしまう。
なぜ、いつも真実ちゃんはそんなに怒っているのだろうか。
なぜ、そこまで必死なのかと。
その姿はどこか彼女に不似合いで、ともすれば滑稽にさえ見えてしまうというのに。
「えっと……」恐々と口を開いた。「ネット通販のおまけでついてきたもので……」
「おまけで……?」
予想外の返答に真実ちゃんの眼が点になる。
それまでのおっそろしい顔が一転して優しそうなものになっていた。
「はっ!」だが慌てて表情を元に戻す。
取り繕ったように柳眉を逆立てると、豪太郎に詰問するのだった。
「両親からもらったのではなく、おまけでついてきたというのだな?」
「……はい」
「ふむ」険しい顔を維持したまま、真実ちゃんは考え込んだ。「つまり、キサマの意思で購入したものでもなければ、与えられたものでもないと」
「あの、だからおまけだって」
「おまけでこんなものが来るとでも思っていたのか?」
呆れたような口調だが威圧感は維持したまま。
「確かに……言われてみれば……」
「これに埋め込まれているのは開発者コード。間違ってもキャンペーンプレゼントに使用されるものでもなければ、誤って物流倉庫に紛れ込むこともない。これは製品ですらないのだからな」
「じゃ、じゃあ……」
「なんらかの意思をもってこの場所へ来たというのでなければ、これの存在を説明することはできないだろう」
「意思?」
「まあいい」
真実ちゃんはそこでジットリとした視線を送ってきた。
「それでキサマはこれと特殊な行為におよんでいた。……違うか?」
「――はッ!!(……なぜそれを!!)」
「いかがわしいおこないを!!」
「……!?」
「親にも言えない営みを!」
「(……営みって……!!)」
「していたのだな」もはや疑問形ですらなかった。
眼の焦点を失ってたらたらと冷や汗を流し続ける姿は、肯定以外のなにものでもない。
痛子との“スッキリ”は絶対に誰にも知られたくない秘密だったのに。
なんともあっさりと真実ちゃんにバレてしまったのだ。
「終わた。……オレ、終わた」
どこかで聴いたこのセリフ。まさか自分自身が口にすることになるとは!
もはや“スッキリ”がバレてしまった以上、ただのヘンタイでは済まされない。
快楽の報いは、いまここに破滅という形で訪れようとしているかに見えた。
「つまりキサマはその“痛彼女”と特殊な行為におよんでいた。それも数え切れないほどの回数を」
「――ハッ!」
「やってやってやってやって、やりまくっていたのだな?」
「……くっ」
「やりまくっていたのだな?」
真実ちゃんのような委員長タイプの女性が『やりまくって』なんて口にすると、それだけで淫靡に感じてしまうのはなぜだろうか? もしかしてこれがギャップ萌え?
そんな実にどうでもいい考えが脳裡を過ぎるが、真実ちゃんの迫力に圧されて豪太郎は我に返る。
「……す、すいま……しぇん」
火が噴き出しそうなほど頬と耳が真っ赤に染まっていた。恥ずかしいにもほどがあるというものだ。おかげで声が上擦って、また噛んでしまった。
「今は時間がない。よって要点だけを告げる」だが真実ちゃんは淡々と告げた。「キサマとこれとの特殊行為は各所でワームホールを生成していた。そのひとつが今キサマの洋服ダンスの中にあり、太陽黒点の異常発生を引き起こしている。その事象がもたらす被害は先ほど言った通り。したがって」
真実ちゃんは痛子を無表情に見つめる。
「キサマにはこれに対するサスペンドモードの実行を要求する」
「そんな……!?」
サスペンドモード。それは痛恋人の行動を一時的に強制停止させるコマンドだ。
痛恋人が暴走し、特に痛バレの危機に陥ってしまった場合の緊急避難的な措置である。
だがサスペンドモードは痛恋人をかなり“傷つけて”しまうらしく、これを連発すると痛恋人は家出してしまうと言われていた。
二次元の情報体に過ぎない痛恋人が傷つくというのは考えられない話だが、荒川界隈ではサスペンドモードに耐えきれなくなった痛恋人が流れ着き、野良痛恋人の集落ができているとかなんとか。痛恋人にとってサスペンドは、DVにも等しい蛮行なのだ。
もちろん、豪太郎は痛子にたいしてそんなことを一度たりとも実行したことはなかった。
「断るというなら――」真実ちゃんの冷たい声がキッチンに響く。「キサマの部屋へ踏み込んで箱を回収するだけだ」
「箱を――ッ!?」
「先ほど見たところ、ベッドの下にあるようだったが」
「な、なぜそれを?」
「あまりうまい隠し場所とは言えないようだが」
「……クッ!」
「カンの鋭い母親ならとっくに見つけていただろう」
「(……じゃあ、もしかしてお母さんはとっくに……! ってそれヤバッ!!)」
動揺に激しく揺れ動く豪太郎。真実ちゃんはたたみかけてきた。
「いずれにしてもクラスメートにバレるのはよろしくないだろう。ならばキサマがなすことはただ一つ」
「そ、そんな……」
「いいですよぉ、痛子は」
突然。それまで無言を続けていた痛子が口を開いた。
「痛子、ゴーくんには迷惑をかけたくないのですぅ」
「痛子?」
「ゴーくん。痛子に命令するのですぅ」
言いながら痛子は左胸の絆創膏を剥がす仕草をしてみせた。
「そ、それはッ!」
絆創膏ペリッを思い出して、豪太郎は思わず前屈みになってしまう。
いや、こんな状況でなぜ活性化するし? とは思いつつも“反応”を抑えるには豪太郎は若すぎた。
なにより、その記憶はあまりにもフレッシュでかつ生々しかったのだ。
「ふふふっ!」痛子は無邪気に笑った。「ゴーくんの困った顔、痛子けっこう好きなのですよぉ?」
痛子は笑った。
それはどこかムリしたような、不自然さを感じさせる笑顔だった。
「痛子……」
「さ、ゴーくん。コマンドを言うのです」
「わかった……」
豪太郎は蚊の泣くような小声で告げる。“サスペンドモード”と。
「――ッ!」
コマンドを口にした直後、痛子がフリーズしていた。
見開いた瞳と半開きのままの口。
まるでなにかを言いかけたまま、すべてが強制停止されていたのだ。
めまぐるしく変わっていた表情は一点で静止したまま。
今、痛子に時間の流れはなかった。
これでは紙に描かれた絵となんら変わりがない。
その姿は、なぜか豪太郎に“遺影”というものを思い起こさせるのだった。
「ふむ」真実ちゃんは頷くと、サスペンドモード状態の痛子をくるくると丸めていった。
触れられないはずの二次元キャラを、ポスターやカレンダーのように丸めてから輪ゴムで留める。
「これで事態は収束した。協力に礼を言おう」
痛子を完全にモノ扱いして平然としている真実ちゃん。
それは、豪太郎に動かしがたい事実を突きつけていた。
即ち、痛子は決して
感情を持っているように見えても、そう見せるために作られていたことを。
突飛なコスプレをしてみせたり、自分を監視して困らせてみたり、腹黒い一面を見せてみたり、あられもない格好で挑発してきてみたり……。
すべてはプログラムに従っただけの行動。
持ち主の潜在意識に則った、少しだけ想定外の恋人を演じていたにすぎないのだ。
結局のところ、痛子は二次元情報体でしかなかった。
それは、ホログラフィック原理を応用したテクノロジーの一つ。
それ以上でもそれ以下でもないということだ。
そんな痛子を本気で隠そうとしたり、欲情してみたり。
“スッキリ”の直前、唇が触れそうになる瞬間にドキドキしてみたり。
この一年間の行動そのものが、豪太郎の中で次から次へと溢れかえる。
「痛子は、……痛子はどうなるんです……か?」不安そうな顔で訊ねる豪太郎。
「研究所で解析をおこなう。どのような理由で事象を発生させたのか知る必要があるからな」
「その、そのあとは?」
「無論、処理する。これ以上ワームホールを発生されても厄介なだけだ」
やけに――やけに冷たく響く真実ちゃんの声。
そこには不自然なまでに感情が排除されていたことを豪太郎はまだ知らない。
「あ……」
がっくりと膝をつく豪太郎。
意識の中からまるで核を抜き去られたように、思考が停止してしまう。
あるのは喪失感、ただそれだけ。
焦点の合わない瞳を宙に漂わせる。豪太郎は呼吸すら忘れていた。
――痛子を失ってしまった――
それは、まったく予期することのなかった喪失感だった。
例えば、家族を失ったところでここまで動揺するだろうか。
これほどまでに、心が止まってしまうのだろうか。
「――!」
そこで豪太郎を包み込む未知の、とても温かい感触。
「えっ!?」
膝立ちの豪太郎を、真実ちゃんが正面から抱き締めていたのだ。
「(……こ、これは! この感触はッ!!)」
豊かすぎる双丘に顔を埋める形になっていた。
まさにショック療法。
豪太郎の気を逸らすのに、これ以上の方法はなかっただろう。
そして現実に引き戻された豪太郎は奇妙な感覚を認識する。
ふわっふわの柔らかい感触に包まれた、……わけではなかった!
真実ちゃんのかちっとしたスーツに、その豊か過ぎる胸部をしっかりと包み込むワイヤー入りのブラジャー。
ブラカップの感触はむしろ固め。
ふわとろというよりは、カフッという感じだ。
しかし湿気を帯びた体熱とむせかえるような大人の女の匂い。
「でもなんか幸せ……」
豪太郎は、思わずそんなことを口走ってしまう。
「二次元情報体のことなんか忘れなさい」
それは、これまでのただ怖いばっかりの真実ちゃんではなく、まるで親切で弟思いの姉といった物言いだった。
「お姉さん……?」
真実ちゃんは、ここでまたしても体を震わせる。
だが、そこで恥じらいがちな声を上げるのだった。
「あの、よかったら……お姉ちゃんって呼んでもいいの……よ?」
「お姉――ちゃん?」
「はうん!」
真実ちゃんの全身が歓喜に震えているのを、豪太郎は豊かな胸部を通じて感じていた。
体温が二度か三度は上がったようにも思える。
太めの柔らかな身体から発せられる体熱と発汗。
その甘い感触が豪太郎を突き動かす。
無意識のうちに、豪太郎は真実ちゃんの腰に両手を回していた。
「真実お姉ちゃん!」キュッと抱き締めながらそう叫ぶと、
「はぁあああんっ!」
歓喜の声が耳朶を打つ。
そこで豪太郎は先達の教えを思い出してしまうのだった。
――自分がされて嬉しいことを人にしてあげなさい――
自分が嬉しかったこととはなにか?
答えはすぐに出た。
強く息を吸い込むと、豪太郎は勇気を出して呼びかける。
「お姉ぇ!」
「はうぁっ!」
「真実お姉ぇ!!」
「はぅはぅうううううん――っ!」
凄まじい反応であった。
敏感にもほどがあるというものだ。
女の人って性感帯をつかれるとこんな感じなのかなと思いつつも、豪太郎はここで確信する。
「(……お姉さん、
豪太郎の喪失感は、誠に遺憾ながらとっくに雲散霧消していたのだった。
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