Episode 22 CME(=コロナ大量放出)発生以上の危機でござるよ?

 鶏のもも肉6kgは無事参加者の胃袋に収まった。そんなパーティの場に予期せぬ来訪者、真実ちゃんの姿が。彼女の言うことにはCMEとやらが発生するらしい。そうなると発電所とか送電設備が地球規模で破壊されてしまうのだ。人類にとってかなりクリティカルな状況になりそうなわけだが、その原因は豪太郎の部屋のワームホールにあるという。


 真実ちゃんは確信に満ちた足取りで豪太郎の部屋に向かってズカズカと歩き出す。

「ま、待って!」慌てて後を追う豪太郎。

 洋服ダンスのワームホールについてはもちろん分かってはいた。

 だがその部屋には絶対に誰にも見られたくない存在がいるのだ。

 痛子が今現在いる場所は豪太郎の部屋以外にはあり得なかった。

 豪太郎は恐怖に駆られて追いすがる。

 百歩譲って、真実ちゃんと(すでに相互痛バレ関係の)睦美にバレるのはまだいいとしよう。

 だが、普段からなにをしかけてくるのか分からない両親、雲の上ともいえる存在の大門くん、さして意識してはいないものの一応は女の子の玲、そしてまさかのらぶちゃん……。

 彼らに自分が痛恋人持ちヘンタイであると知られてしまうのはあんまりにもあんまりだった。それはつまり、平和な?高校生活からの一発レッドカードを意味しているのだ。

「お、お姉さん待って!」

 実に情けない声で懇願する。

 真実ちゃんは一瞬体をビクッと震わせたものの、まるでなにかを振り切るかのように前へ進み、ドアノブに手をかけた。

「お姉さん、お願い!」

 真実ちゃんはもう一度全身をビクリとさせるが、そのまま勢いをつけてドアを開ける。そして、まったく躊躇いなく中へ入っていった。

「(……ヤバイ、これはマジヤバい!)」豪太郎の額からどばどばと冷や汗が噴き出す。

 CMEだかなんだか知らないが、そんなものとは比べものにならないほどの、絶体絶命のピンチだった。

「(……このままじゃ痛バレが、痛バレがぁああああああ――ッ!)」

 そんな豪太郎の焦燥など一顧だにせず真実ちゃんは室内を見まわした。

 普段から一徹の襲撃に遭いまくりの豪太郎の部屋は、高校生男子としては驚くほど整理整頓されていた。いつもとの違いといえば、床やシーツにこびりついた血痕くらいだ。もちろんそれは刃傷沙汰といった物騒なものではなく、豪太郎が興奮のあまり噴き出してしまった鼻血の痕でしかないのだが。ちなみに鼻血の件は凉子に言い出すことができなかったため自分で消すしかなかったのだが、中途半端な処理のままだった。

 異様とも思える血痕を気にもせず、真実ちゃんはまっすぐに洋服ダンスに向かい、その扉を引っ張った。

「あ、ああああああ……」

 豪太郎が絶望に満たされた悲鳴を上げる中、洋服ダンスの中が詳らかにされたのだ。

「なんてこった……」目の前の光景が信じられないばかりに一徹が呟いた。

「いったいどういうことっ!」凉子が両手で口を押える。

 タンスの中に痛子の姿はなかった。

 だがこれが幸いかというと、決してそうは言い切れない。

「まさかこんなとこにワームホールができてやがったなんて」

「なんでお母ちゃん、見逃してたのかしら!」

 大きすぎるショックに絶句してしまう一徹と凉子。

 なにごとかと駆けつけてきたクラスメートたちも同じように部屋を覗きこみ、

「えっと、これってなんなんですか?」大門くんが素直に疑問を口にすると、

「相当、深いみたいなんですけど」睦美がボソリと呟いた。

「これはワームホールだ」真実ちゃんの冷たい声が彼らの疑問に応じた。「時間や空間の制約を超越して別の場所へ繋がることのできる、抜け穴のようなものだ。こんなサイズでも無限大に近いくらいのエネルギーがなければ維持できない。つまり、それだけ莫大な力がこのワームホールを維持するために費やされている。そして――」

 厳しい視線を暗黒の空間に向ける。

「このワームホールの先に太陽黒点の異常発生を引き起こす因子があるとアンチ物理規制委員会は考えている」

 真実ちゃんはゆっくりと一徹、そして涼子を見やった。

「あなたたちならばこのワームホールを塞ぐことが可能であるのを、私は知っている」

「――ッ!」思わず体を強張らせてしまう一徹と凉子。

 表情こそポーカーフェースを維持してはいるが、二人の緊張を豪太郎は察してしまう。


 真実ちゃんはゆっくりとした足取りで部屋の出口に向かった。少し意外な行動にその場の全員が虚を突かれた形になったその瞬間、彼女は大門くんの肩に手をかけた。

「えっ……?」

 戸惑う大門くんを冷たい表情で見据えたまま、真実ちゃんは大門くんの肩をつかんでから、さっと体を入れ替える。同時に右足の裏で大門くんの背中を押し出すように蹴り飛ばしたのだった。

「あ、あああああああ――ッ!」

 勢いをつけて倒れそうになってしまう大門くん。床の上に転びかけたのだが、彼の身体はふわりと持ち上がっていた。宙を舞う埃が掃除機に吸い込まれていくように、大門くんが洋服ダンスへと引き寄せられていったのだ。

「「大門くん!!」」

 急激に低下していく周囲の気圧。

 それまで無音を貫いていたワームホールが、なりふり構わぬとばかりに周囲のすべてを吸い込み始めていたのだ。

 まるで獲物を捉えた獣がその牙を剥き出しにするように――

 室内の空気を吸い込む勢いが轟音を立てながら一気に加速し、全員の聴覚を封じていく。

 なにかにつかまっていないと、その場にいる誰もが引きずり込まれてしまいそうなほどの風圧だ。

「危ない!」

 刹那の判断で飛び込んでいったのは一徹と凉子。

 二人はワームホールの吸引力を自らの助走に転化させて、大門くんを救いに向かった。

 ワームホールの直前まで躍り出ると、全力で横向きに踏み出すことでそのベクトルを脇に逸らす。息の合ったコンビネーションで二人はタンスの両脇に回り込んだ。

「つかまって!」

 大門くんの左手を凉子が、右手を一徹がつかみとり、辛うじて“落下”を食い止める。

 だがそれでもピンチを脱することはできず、大門くんの下半身は洋服ダンスの中に飲まれたまま。

 大門くんの瞳が驚愕に染まる。

 あまりに予想外の展開に言葉はおろか悲鳴さえ上がることができないのだ。

 いや、それどころか一徹と凉子の手を握り返すこともままならない。

「――ッ!!」

 豪太郎の中をイヤな記憶がフラッシュバックする。

 すぐ足許にある強力な重力源によって、自らが呑み込まれそうになるあの恐怖だ。

 事態を把握できないままに、大門くんが頬を引き攣らせていく。

 今まさにこの瞬間、彼は強烈な重力が生み出す潮汐力を全身で感じているに違いなかった。

 つま先に向かうほど加速度的に強くなっていく、あの不自然な重力の差を。

 そしてその奥で待ち構えている重力の井戸、漆黒の深淵を。


「たいへんっ! 大門くんが!!」

「来るな――ッ!」

 慌てて駆け寄ろうとする睦美を制したのは一徹だった。

「きゃっ!」

 だがその切迫した表情と怒鳴り声に睦美は萎縮してしまい、体がよろけてしまう。

「――なッ!!

 このままではそのズンドウボディが三人に襲いかかってくる。

 一徹と凉子が眼を見開き、衝撃に耐えようとしたその瞬間。

 睦美の巨体を引き留めたのは真実ちゃんだった。

 彼女は睦美の二の腕をつかむと、そのブヨッとした感触に怯みもしないで体を横に回転させる。勢いをつけるために空いている手でドア脇の柱を押すようにして、睦美を横投げにしたのだ。

 投げ飛ばされた睦美は反対側の壁に背中からブチ当たり、ドスンという重低音の振動が11階建ての団地棟全体を鈍く揺らした。

「いったぁああああいっ!」

 倒れた睦美のスカートがめくれ上がり、あられもない姿が晒されていた。

 下着こそ見えなかったものの、豪太郎は思わず顔をしかめてしまう。

 なんというか、ただ太いだけでなんの魅力も感じられない太ももだったのだ。

 おまけにセルライトがいい感じに発生していて、触った感触も実に悪そうだった。

 多少太めでもオッケーなんじゃないかなと思い始めていた今日この頃の豪太郎だったが、睦美の腿は初心者の彼にとってはハードルが高すぎたようだ。


 投げ飛ばした睦美を醒めた瞳で見下ろしている真実ちゃん。

 ただ無慈悲なだけの所作に思えるのだが、

「助かったよ」吐息を洩らしながら礼を言うのは一徹。

 もし睦美の巨体が勢いをつけて吸い込まれてきたら、さすがに一徹と凉子は耐えられず、大門くんもろとも四人がワームホールの中へ飲まれていたことだろう。


 真実ちゃんはその場で凍りついている玲とらぶちゃんに冷たく言い放った。

「ここで見張っていろ。もしあの二人が危なくなったら大声で呼ぶように」

 そして豪太郎の首根っこをつかんでキッチンへと向かい始めた。

「あっ、あわ、あわわわ――ッ!」

 シャツの襟ぐりを引かれた豪太郎は情けない奇声を上げながら、ズルズルと引っ張られていくだけだった。


 キッチンでちょっと太めのお姉さんと二人きり。

 状況が状況だというのに、豪太郎は奇妙な興奮を禁じ得なかった。

「(……いや、違う! そうじゃなくてッ!)」我に返って自分を叱咤する。

 自分の頬をペシッと叩いて、正気を保とうとした。

 いっぽう真実ちゃんはそんな豪太郎を見もしないで周囲を窺っていた。

「いるのだろう? 出てくるんだ」

 そして誰もいない空間に呼びかけるのだった。

 数秒待つが反応はなかった。

「わかっているのだぞ」

 すべてお見通しと言わんばかりの口調に観念したのか、

「……バレてしまいましたぁ」

 なにもないはずの場所から唐突に響いてきたのは痛子の声。

「痛子、インビジブルモード解除……です」

 ゼロ次元の点状から、一次元の線状に、そして二次元平面へと展開されていく痛子の容姿。

 豪太郎がほっとしたことに、彼女は肩出し魔法少女コスチュームというデフォルトの格好だった。

「(……よかった! 裸ランじゃなかったよ!)」

 なんとも的外れな安堵をつく。が、そこで気がついてしまうのだった。

「(……ってお姉さん、痛子のこと……?)」

 真実ちゃんは痛子の存在を知っていたのか、その登場にまったく驚きを見せなかった。

 代わりに、憤怒のオーラを一段と強めていったのだ。

 憤りに満ちた視線がゆっくりと動き、やがて豪太郎に突き刺さる。

「にゃ、にゃんでしょう……か……?」

 恐怖にすくみ上がったせいで、思わず噛んでしまう豪太郎だった。

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