Episode 15 お姫様抱っこはブヨッとした感触?

 少年野球のグラウンドを占拠した一徹は、そこで天空を見上げる。降ってきたのは宇宙ゴキブリ――フォン・ノイマン・マシンの亜種だ。次から次へとボトボトと落ちてくるゴキの一体が、大門くんに襲いかかる。ベルトのバックルをスパッと噛み千切っていたのだ。


「な、な、な、な……、なんすかこれ?」

 尻餅をついたまま、大門くんが情けない声を上げる。

 さすがのイケメンもこの状況に冷静でいられるはずもなかった。

 涼子は鋭い動き出しでホウキを振り上げると、ゴキをピンポイントで一掃。

 飛ばされていったゴキを迎えたのは、一徹の大根斬りだった。

「どぅわああああああ――ッ!」

 気合一閃。振り下ろされた金属バットの先端が飛来してくるゴキを捉え、次の瞬間にゴキは土のグラウンドに埋まっていた。

 だが安心したのは束の間のこと。

 なんと豪太郎たちの足許をカサカサと這い回っていたゴキたちが、まるで統率の取れた集団のように一方向へと向かい始めたのだ。

「だ、大門くんが……危ない!」

 ベルトのバックルに噛みついていた個体は、それが鉄であることを識別。そして大門くんを採取対象であると結論づけた。

 認識された情報は瞬時に他の個体すべてに共有され、彼らは大門くんを一次的に狙う対象と設定したのだった。

「あとどれくらい、お父ちゃん!」

 鋭い涼子の問いかけに、一徹は歯噛みしながら応じる。

「32秒だ」

「そ、そんなに!?」悄然とする涼子。

 一徹も涼子も、それだけの時間があれば大門くんが文字通り跡形もなく喰らい尽くされてしまうと知っていた。筋肉や臓器だけでなく、彼を構成する骨や髪、そして身に着けている服まで、すべてがゴキを複製するための材料となってしまうと。


 フォン・ノイマン・マシン――数学者ジョン・フォン・ノイマンによって提案された、自己増殖する機械である。ちなみにフォン・ノイマンは二十世紀において最も重要な数学者の一人とされていて、現在普及しているほとんどのコンピュータがフォン・ノイマン型と呼ばれているくらい、現代社会に偉大な足跡を残した人物だ。

 そのフォン・ノイマン・マシンは宇宙に打ち上げられると、行く先々の星で資源とエネルギーを奪い、自身の忠実なコピーを作っていくことで増殖していく。計算によると天の河銀河全体を制覇するのにわずか4~500万年しかかからないという。直径10万光年、厚さ1000光年、恒星の数だけでも2000億とか3000億とか言われている天の川銀河を、たったそれだけの期間で制圧するというのだ。まさに、1匹いたら30匹はいると思えと言われるアレなみに、いやそれ以上の繁殖力だ。

 フォン・ノイマン・マシンの繁殖力を支えるのは人口知能と微細化技術、そして物質形成技術。適した環境に一体あれば、それだけで自身の複製を始めてしまい、ひとたび増殖に成功すると、あとは指数関数的にその数を増加させていく。

 今現在、天空からボトボトと落下するG状のソレは、まさにフォン・ノイマン・マシンの亜種であった。一体ごとの知能はさほど優れたものではないが、彼らは独自の通信能力を有し、グリッドコンピューティングのごとく情報を並行処理する機能を備えていた。一体がターゲットを選定すると、全個体が一斉に襲いかかるという統率力を有しているのだ。


 困ったことに、彼らにはリーダーたる個体が存在していなかった。

 全体で共有した情報を全体で並列処理し、統一した意思決定をおこなう。そのためどの個体が損傷を受けても全体の影響を免れるようになっている。

 集団の数が一定規模を超えると、彼らはいくつかのグループに分かれ、それぞれの使命を果たすことになる。引き続き資源とエネルギーを採取するもの、個体を製造する工場を作ってその管理運営をおこなうもの、そして宇宙空間へ飛び立つための母船を建造するものに。

 統率された集団としてそれぞれの作業効率を最適化していき、星の略奪を加速化させていく。

 彼らの目的はたった二つ。増殖すること、そして降り立った星の資源をすべて喰らい尽くすこと。その二つに特化しているが故に、行動に迷いなどなく、また加減というものを知らない。感情を持たない軍隊アリのごとく、圧倒的な勢いで惑星を制圧していくだけなのだ。


 少年野球グラウンドにいるゴキは、まだ数量としては少ないものだ。

 だがそのうちのたった一匹でさえ逃してしまえば、あっという間に複製が開始されてしまう。それこそ、そこらへんの植え込みにでも逃げられてしまえば、即人類滅亡につながってしまうのだ。

 いま、彼らは大門くんという人間をターゲットとして選定していた。

 大門くんを襲い、その肉体を喰らい尽くした後で、今度は別の人間を襲うようになるだろう。この国の人口がゼロになるまで、たいした時間もかからないはずだ。同時に彼らは周囲に鉄の存在が溢れていることに気がつく。最初に狙われるのは人間が使っている機械や施設だろう。自動車などは彼らにとって最高のエサになるはずだ。一方で大量の資源を求めて地中へも進出していく。高度なAIを持つ彼らは処理能力を拡張させて、人類の行動を次々と把握していく。島国であるこの国以外にも国家があることを知れば、海を渡って大陸という大陸を席巻していくだろう。

 やがて地表をまるごと採取され尽くした地球には、なにも残らなくなってしまう。

 膨大な量の海水ですら、彼らのリソースとして使い果たされてしまうのだ。

 生命が――少なくても知的生命体が発展する可能性はゼロになる。


 だから、たった一匹であってもゴキを逃すことはできなかった。

 また、彼らに人間の“味”を教えることもあってはならないのだ。

 いま、一徹たちが持ちこたえなければならない時間は32秒。統率されたゴキを前にして絶望的とも言えるほどの長い時間だった。

「きゃぁああああああああ――っ!!」

 ゴキに包囲された大門くんの姿に、睦美が金切り声を上げる。


 その瞬間、

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――ッ!!」

 豪太郎が、鬼と化していた。

 見開いた両眼を真っ赤に充血させ、二本の金属バットを天に掲げる。

 きつく握り締めたバットのグリップは、強烈な握力によって既に変形していた。

「んぐぅああああああああああああああああああ――ッ!!」

 豪太郎は二本のバットを構えたまま飛翔。大門くんの前に着地すると同時に、両方のバットを振り下ろすのだった。

 腹の底に響く野太い振動が空気を揺さぶり、直後にごぉおおおおんという低い衝撃音が足許を揺らす。

 何十匹ものゴキが反動で宙に舞った。

「がぁあああああああああ――ッ!!」

 鬼神の表情で豪太郎は雄叫びを上げる。

 そして、左右の手に持つバットをそれぞれに振り下ろしていくのだった。

 バットの先端が正確にゴキの中心点を射抜き、一体、また一体と無力化していく。

 しかも一秒間に左右それぞれ5発ずつという驚異的なペースで、である。

 母涼子がさっと動き、腰を抜かしている状態の大門くんの頭を抱え、その両眼を手の平で隠す。

 “完全同期状態コインシデンス”の豪太郎。その異形を思わせる圧倒的な殺意と常人離れした破壊力は、人の心に激しい心的外傷トラウマを残しかねない。

 このシーンをまともに見続けてしまったら、大門くんの精神が極限の恐怖で壊れてしまいかねなかった。

 もっとも肝心の涼子といえば、これを役得とばかりに頬を染め、大門くんの頭をぎゅっと抱きしめていたりするのだが。

「がぁあああああああああ――ッ!!」

 殺戮マシンのごとくゴキを圧殺していく豪太郎。

 毛髪は逆立ち、膨れ上がった筋肉で身に着けているシャツもズボンもはち切れそうになっていた。

 荒ぶる鬼神の裁きである。

 一分もかからずにゴキは全数が破壊され、大門くんのベルトに食いつこうとしていた最後の一匹を右手で掴み取ると、豪太郎は親指と人差し指だけでその個体をぐしゃりと潰したのだった。

「――ッ!!」

 一徹が、涼子が、そして大門くんの頭を抱く涼子にキッとしていた睦美が驚愕する。

 視界を覆われていた大門くんでさえ、その気配に打ち震えてしまう。

 だが、なぜか玲だけは笑っていた。それも、とてつもなく嬉しそうに。


「ぎょぇえええええええう――ッ!!」

 宇宙ゴキの全滅を肌で感じると、豪太郎は奇声を発して真後ろへ昏倒。

 その周囲には金属バットでえぐり取られた大穴が何十個も連なっていた。

 グラウンドを修復して野球ができるようになるまで、もしかしたら結構な時間がかかってしまうかもしれない。

「ずらかるぞ」低い声で呟いたのは一徹だった。「アンチ物理規制委員会のヤツらが来ると厄介だからな」

「そうね」頷く涼子。「早くしましょ」

 頷くと一徹は、仰向けに倒れている豪太郎の首根っこをつかんで、ズルズルと引き摺り出した。同時に涼子も大門くんからいやいや手を離すとすたすた歩き始める。パクッた自転車はそのまま放置していく気らしい。

「アンタたちも急いで。連中に捕まったらちょっと厄介だからね」

「はあ……」

 言われるがままに動き出す大門くんと玲。だが、

「きゃっ!」

 声だけ聞くとかわいらしい悲鳴とともに、ドスンという重低音がグラウンド内に響き渡る。

「いったぁーいっ!」

 グラウンドにできた穴に足を引っかけてしまったのか、睦美が派手に転んでいたのだ

「大丈夫、睦美ちゃん?」

 涼子が駆け寄るも、睦美は顔を歪めたまま答えることができない。

「歩ける?」

 涼子の手を借りて立ち上がろうとするが、睦美は痛さに耐えきれずまたしても倒れてしまう。

 一徹が顔を顰めながら周囲を見回した。

 まず間違いなくこの事象は彼らに観測されているはず。委員会の調査部隊がここに到着するまで2~3分もかからないだろう。

 だが、自らの体重が仇になり歩行困難となってしまった睦美を置いていけるはずもなく――


 辛うじてい意識を繋いでいる豪太郎と、その首根っこを引き摺っている一徹、そして大門くんがそれぞれに眼を合わせる。

 奇妙な、そしていたたまれない沈黙を経て、大門くんが立ち上がった。

「ちょっとごめんね」

 大門くんは大きく息を吸い込むと、睦美のそばでかがみ込んでから左腕を彼女の膝裏に、右手を背中に回す。

「ま、まさか――ッ!!」

 思わず声を上げてしまったのは一徹。

 大門くんはかがんだ状態からぐっと力を入れて一気に両足を伸ばす。

「(……持ち上がる……のか?)」

 睦美の体重は推定では85kg。さすがに本人に数値を聞くわけにはいかないが、しかしどう考えても大門くんよりは重そうに見えるのだ。そんな、自重より重たい人間を大門くんは爽やかな笑みのまま、お姫様抱っこをしてのけていた。

「(……うげぇえええ!)」

 睦美の首回りについたジャバザ・ハット様的な皮下脂肪やボンレスハム状の手首、足首をリアルに想像してしまう豪太郎。

「(……ブヨッとしてて気持ち悪そう……)」

 豪太郎は朦朧とした意識の中、そんなことを思うのだった。

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