Episode 13 一徹は耳に挟んでいた万札を腰元にねじ込んだ
父一徹と母涼子に加えて睦美と怜の四人と昼食をともにすることになった豪太郎。一見すると両手に花ともいえるわけだが、間違っても浮かれる状況ではなかった。サイコパスと噂される玲は豪太郎に超接近しつつホログラフィック原理について語る。そして物理法則をくつがえそうとするアンチ物理学でただ一つ実現されたもの、それが痛恋人だというのだ。
「痛恋人システムは、実現されたアンチ物理学のただ一つの事例――」
玲は邪悪な瞳を怪しく光らせた。
「それは二次元境界面を近似的にシミュレートした情報体。プランク長のサイズを諦め、1c㎡あたり10の32乗ビットにまで情報を圧縮させ、疑似ホログラムを脳に認識させることに成功した」
「はあ……」
「その情報体は人間の脳に偽りの電気的信号を与え、結果誰もが二次元恋人の存在を知覚することができるようになっている」
「……」
「一説によると――」玲は四白眼で豪太郎を見つめる。「ある家庭の主婦がレジ打ちのパート中に原理を思いつき、その夫が勤務中に仕事をサボタージュしながら実現化したといわれている」
なんとも間抜けな経緯に豪太郎は若干ながら脱力する。
「夫の会社はそのことをめざとく見つけ出し、新規事業としてビジネス・スキームに組み込む。マネタイズに成功したその企業の景況は、知られている通り」
「そうなんだ」
「痛恋人を販売している企業は高収益を享受しているものの、核となる技術を開発した夫は部長代理から部長心得へ“出世”したのみ。聞くところによると一ヶ月の収入が7,000円ほど上がっただけという――」
「詳しいんだな……」
少し呆れたような口調で一徹が言う。
「すべて、ネットに書かれている内容」
「ふうん。……ま、そういうことにしとくか」
そこで昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
にわかに緊張感が高まりつつあった中、チャイムに救われて豪太郎はホッと一息。
「――って?」
しかしその瞬間、またしても大門くんと眼が合ってしまうのだ。
2~3秒の間、大門くんは豪太郎と視線を合わせたことに気づかなかったようで、そのことを意識すると慌てて顔を背けるのだった。
午後の授業も豪太郎は上の空で黒板の字を眼で追っているフリをしていた。
「(……オレ、なんか気に障ることでもしちゃったかな?)」
豪太郎は大門くんの行動が気になってしかたなかった。
大門くんは性格も温厚で、不必要に誰かを攻撃するということは決してない。
なんといってもクラス一の人気者。間違っても敵にしたくない相手である。特に豪太郎のような友だちもいない、無力な
こうしている間にもチラチラと感じてしまう大門くんの視線を表面上は気づかない顔をしながら、豪太郎は思考を回らせる。
言われるまでもなく、今日は朝から騒ぎすぎだった。
もちろん、豪太郎が自分の意思で悪目立ちしているというわけではない。
むしろ父一徹と母涼子のムチャ振りで迷惑を被っているというのが実情だ。
だが、端から見ているとそうは思われない、というのもあり得る話だった。
「(……クラスの和を乱してるって思われちゃたのかな?)」
しかし相手は睦美と玲。どちらに転んだとしても、クラスの誰一人として羨むことなどないのだ。
「(……いや、むしろ逆?)」
本来ならば男子からろくに相手にされない睦美と玲をフィーチャーしてしまったことが、却って気に障ったというのだろうか?
やはり下の人間は下の人間らしく、大人しく静かにしていろということなのだろうか?
うだうだと豪太郎は思い悩む。
豪太郎のごときクラス最底辺の男子は、やはり彼女を作るとか騒いではいけないのだろう、などと。
いつもとは異なる緊張感のまま迎えた放課後。
「カラオケ行こっ!」
形のいい額を光らせながら、涼子が涼しげな瞳を細めた。
吊り上げた右の口角が、なにか企んでいるのをはっきりと感じさせるのだった。
「おっ、カラオケいいね!」
わざとらしく――実にわざとらしく一徹ものってきた。
「ほら、なんていうか。『好きっていいなさいヨ。』みたいな?」
「ああ、女子向けコミックにありがちだよな。リア充って放課後にカラオケ行くんだろ?」
いかにもたったいま思いつきました的な凉子の発言に対して、一徹はタイミングよく合いの手を入れる。
「本気チューしちゃうのか?」
「……ばかっ!」
「(……授業中に決めたんだろうな)」
ジト目で無言の抗議を送る豪太郎を無視して、一徹と凉子は話を進めていった。
「睦美ちゃんの分は、パパが出してあげるからな」
「パ、パパって……!」
凉子も凉子で玲にアプローチをかけていく。
「玲ちゃんも当然いくわよね? お母ちゃんが玲ちゃんの分は払ってあげるからね!」
「はい……」
「――」
特に抵抗も見せず、唯々諾々と従おうとする睦美と玲。
「(……なぜ二人とも断らないし――!?)」」
だが注意して見ると、睦美は困惑を隠しきれないでいた。
性格のいい彼女のことだから、はっきり断れないのだろう。
相手が一徹なら、それも分からないでもない。
なんというか、さすがは(性格だけなら)ヨメにしたいナンバーワンである。
だが問題は玲のほうだった。
邪悪な眼で豪太郎を見据えたまま、彼女はカラオケ行きに抵抗しないのだ。
既にカバンを持っていつでも外に出られる体勢を整えているくらいだ。
「(……むしろやる気まんまん?)」
「ってわけで、」一徹が豪太郎に訊ねる。「どっかいい店知ってるだろ?」
「ええ!?」
「おいおい、なんだよ? こっそり一人カラオケとか行ってんじゃねえの?」
「いや行かないし。一人カラオケとか行ってないからね!」
一徹はチッと舌打ちを一つ。「なんだよ、使えねえな」
その脇では涼子がスマホを取り出して調べ始めていた。
保護者扱いの涼子も一徹も、校内でスマホを使ってもおとがめナシなのだ。
涼子は慣れた手つきで検索を開始していた。
「やたら操作慣れてるし!」
豪太郎は思わず唸ってしまう。
文字入力速度は、どう見ても豪太郎よりずっと上だった。
まるで本物の女子高生みたいに凄まじい速度だ。
「い、いつの間に……?」
しかしそこは所詮というべきか、中身は48のBBA。検索はできても知りたい情報に辿り着くのは手間取ってしまうのだった。
「ちょっと、なんかお母ちゃんわけわかんないんだけど、わけわかんないんだけど?」
なぜかキレ気味である。
そっと足音を忍ばせながら後退しようとする豪太郎。
すると、そのすぐ背後からなんとも涼やかな声が紡がれてくるのだった。
「駅裏のシンク・シンク・シンクがいいですよ」
救世主の御言葉に導かれるように、五人の視線がそこへ向けられていく。
大門
「僕も一緒にいっていいですか?」
天上からイケメンオーラが神々しく降り注いでくる。
「そうよね。人数多いほうが、楽しいものね」
それまでの困惑を隠しきれない表情を一変させて、睦美が心底嬉しそうな笑みを浮かべた。
小声で『みょんみょん』という奇声を発しながら。
五人がそのオーラに圧倒されるまま、大門くんの参加が決定されたのだった。
「よろしく、金剛丸くん!」
大門くんが優しく豪太郎の肩を叩いた。
「こ、こちらこっ……こそ……」
ただそれだけなのに豪太郎は舞い上がってしまい、思わずどもってしまうのだった。
まるで憧れのセレブに突然親しく接してもらったようなサプライズだった。
都立中島高校の門を抜けて、都営二田線新中島平駅へ向かう豪太郎たち一行。
父一徹と母凉子の組み合わせは別として、豪太郎、睦美、玲、そして大門くん――
どう見てもバランスの悪いパーティだった。
学園都市でいうならば、レベル0の無能力者が豪太郎。睦美はかろうじて超能力が使えるレベル1といったところか。玲はもしかしたらレベル3くらいはいっているかもしれない。
そして大門くん――どう考えても
大門くんは慣れた感じで店の受付を済ませると、マイクの入ったカゴを持って個室へと向かっていった。完全に“おまかせ”状態になった五人はその後を黙ってついていく。
五人が大門くんの存在に感謝するようになるまで、時間はかからなかった。
彼は一言でいうならば、盛り上げ上手の仕切り上手だった。
豪太郎たちがカラオケにまったく慣れていないのを瞬時に察すると、歌う順番を決めてくれたり、選曲に悩んでいるとお薦めをアドバイスしてくれたり。かと思うと店の受付からマラカスなんぞを借りてきて、ノリノリで盛り上げてくれるのだった。
そんな躁状態の中、豪太郎はひとり冷や汗を垂らし続けていた。
個室の壁には不自然なポスターが一枚。
劇場版『魔導少女まど☆マジ』の宣伝ポスターだ。
注意して見ると脇役のはずの“さやちゃん”が、なぜか二人。
一人は設定通りの隠れ豊乳中学生。
そのすぐ隣でシレッとダブルピースしているのは小学校五年生体型の、もう一人の“さやちゃん”。
「(……監視されてるよ!)」豪太郎は顔を引き攣らせていた。「(……ガッツリ監視されてるよオレ!)」
豪太郎以外のメンバーがノリノリに盛り上がっているまさにその真っ最中。
突然歌うのを止めた一徹は、静かにマイクをテーブルに置いた。
タイミングを合わせるかのように、凉子が演奏の停止ボタンを押す。
「
一徹は耳に挟んでいた万札を取り出すと、大門くんのズボンとシャツの間にねじ込むのだった。
「これで会計しといてくれねえか?」
困惑する大門くんを尻目に一徹は立ち上がった。そして絶叫。
「豪太郎ぉおおおおおおおおお――ッ!」
「ってまた?」
凉子がたっと立ち上がり、個室の出口に向かうと、豪太郎の手首をつかんだ一徹がそれに続く。
「とっとと来やがれ――ッ!!」
「こ、こんどはなにぃいいい!?」
「ゴキブリが来やがるんだよぉおおおおおお――ッ!」
飲食物を扱うカラオケ店内において、一徹はなんとも迷惑なセリフを絶叫するのだった。
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