Episode 05 むくつけき中年夫婦の朝ベーゼとスカート短すぎの転校生

「うへぇ……」

 朝一からイヤな情景を目撃してしまい、豪太郎は顔をしかめる。

 ブチュチュッという生々しい音が聞こえてきそうなほどの濃厚な朝チュー。

 モンスター同士の性愛行為に見えるそれは、金剛丸家の玄関先で毎朝繰り広げられる光景だ。

 実に仲むつまじい夫婦愛ではある。

 が、ビジュアル的に耐えられる代物ではなかった。

 どちらもだらしなく太った中高年体型。

 母は瞼の上にたまった脂肪が重たそうで、おかげで普段の表情が読めない。やたら肥大化した全身と妙に荒れた肌。服がすぐきつくなるせいで、最近はジャージ姿しか見たことがなかった。それも豪太郎が中学時代に着ていた体育用のジャージだ。女としての緊張感はもはや微塵も感じられない。

 父は後退した額が実に眩しい。見るからに粘っこそうな脂が浮いている皮膚と、たるんだ二重アゴ。せり出した下腹はいつ弾け飛ぶか分からないほどパンパンに膨らんでいる。スーツ姿が凛々しいどころか、滑稽でしかない。

 それでも昔はかなりイケていたという。

 父曰く、若かりし日の母は誰もが羨むクールビューティだったとかなんとか。

 母曰く、若かりし日の父は劇画に出てくるようなワイルドガイだったとかなんとか。

「(……クールビューティとワイルドガイね……)」

 豪太郎はいま見たばかりの光景をなかったことにして団地の階段を降りていく。

 外に出ると待っていたのは一徹。

 ひしゃげたフレームを強引に直したらしいママチャリにまたがり、荷台をアゴで差す。

 一徹はやたら濃くて不自然に逆立っている眉を片方だけ吊り上げて笑った。

「はあ……」

 溜息を盛大に吐きながら豪太郎は自転車の後ろに乗る。


「ねえ、由美ちゃん。膝裏、間近で見ていい?」

「な、なに言ってんですか!」

「ね、頼むよ。由美ちゃんのってプックリしてて萌えるんだよね」

「やめてくださいって!」

「いいじゃんいいじゃん。あ、そういえば膝裏のこと“ひかがみ”っていうの知ってた? あと膝裏の匂いも嗅いでもいい?」

「いいかげんにしてくださいよ、もう……」

“セクハラ大魔王”の二つ名を戴く一徹は、息をするようにセクハラをする。

 さすがに校内でお触りはマズイと知っているので、もっぱら言葉責めに終始しているのだが。

 本人に言わせると最初は軽い内容から始めて、だんだんディープなものへと慣れさせていくのだという。それぞれの相手に合わせて進めていくさじ加減が“セクハラの妙”だとかなんとか。

 だが、既にそんなセクハラ現場を気にする豪太郎ではなかった。

 クラスのみんなは豪太郎と一徹を同一視しているので、今さら豪太郎が一徹を止めようとしたところで意味などないのだ。

 それよりも――

「(……イヤな予感しかしないし)」

 豪太郎は教室の一番後ろに置かれていた机と椅子を見ながら、不吉な予兆に身構えていた。


「あー、転校生を紹介する」

予想通りというべきか、担当の鈴木教諭は教室に入ってくるなりそう告げてきた。

「(……やはりそうきたか)」

 豪太郎の所属するクラスは他よりも若干人数が多い。

 仮に転校生が認められるとしても、他のクラスに割り当てられるべきだろう。

 なのにわざわざ意図したように自分のところにやってきている。

「はあ……」

 一拍遅れて教室に入ってきたのは女子だった。


 ――おぉっ!


男子生徒どもがにわかにどよめく。だが、

「(……なぜにセーラー服!?)」

 豪太郎の通う都立中島高校の制服は、男女ともにブレザーである。

 男子はネクタイ、女子はリボン。ボトムスはチェック柄。まあ一般的な制服だ。

 だが入ってきた女子はセーラー服。

「(……スカート短っ! それに――)」

 上着の丈がどうみても短すぎて、少し動くだけでもへそが見えてしまいそうなほど。

 それはすらりとした体型の、はっきりいって美人だった。

 ほっそりとした輪郭の顔に、少し吊り上がった切れ長の瞳。

 筋の通った鼻と薄く形のいい唇。

 丸い額を引き立てる横分けワンレングスボブが実によく似合っている。

 理知的な雰囲気の持ち主だった。

「(……これが、クールビューティってやつなのか?)」

 紹介された転校生は少しハスキーな声を響かせた。

「荻野目凉子で~す。よろしくね!」

「(……ダブルピースって……)」

 見た目のクールさとは裏腹に、妙な軽さがこの転校生にはあった。

 規格外の新人にクラス中はちょっとした躁状態に突入していた。


 落ち着かない空気のまま迎えた最初の休み時間。

 最初に動いたのはクラス最強のツートップ女子。

 黒髪ロングの大人系美女と、超絶癒やし系のふわくしゅボブ。

 二人は転校生に話しかけ、あっという間に盛り上がっていく。

 もっともおもに話しかけているのは黒髪ロングの方で、ふわくしゅはただニコニコとうなずいているばかり。

 だが、転校生はたまにチラリチラリと豪太郎へ視線を送ってくる。

 その度に落ち着かなくなってしまった豪太郎は、ムダに咳払いをしてしまう。

 いっぽう、セクハラ大魔王の一徹は転校生が来てからずっと無言を貫いていた。

 こちらも思い出したように転校生に視線を向けるが、特になにをするというでもない。

 ツートップ女子の強固なガードによって、凉子に話しかけることができた男子はいなかった。

 転校生はあっちのグループで決まりか――誰もがそう結論づけた放課後。

 黙ったままの一徹が勢いよく立ち上がる。

 一徹は、早足で転校生に近づき、すぐ横で仁王立ち。


 ――えっ、いきなりセクハラ!?

 

 教室内に走る緊張。豪太郎は反射的に身構えていた。

 突っ立ったままの一徹は、息を吸い込んでから大声を出す。

「帰るぞッ!」

「は、はいっ」

 転校生が椅子を後ろにバタンと倒しながら、弾かれたように立ち上がった。


 ――えぇええええええっ!


 全員が呆気に取られているさなか、二人はいそいそと教室を出ていく。

「マジかよ?」

「ていうかスゴくね?」

「よくわかんないけど、なんか素敵ぃ!」

 様々な反応を引き起こしつつも、やがてその空気は一つの方向へ収斂されていく。


 ――ていうか、いいのかこれ?


 大勢の視線が豪太郎を射貫いていた。

「さ、ささ、帰らなくっちゃ……ね」

 わざとらしく立ち去ろうとする豪太郎の肩を、クラスメートの男子がガシッとつかんだ。

「なあ、マズくねえのか?」

「いや、そういわれても……」

 すると廊下から声が響いてきた。

『見ろよ、転校生が腕にしがみついてるぜ』

『いきなりかよ』

『もしかして伝説の誕生?』

 そんな中、豪太郎を包囲する人数は増えるばかり。

「そんなこと、オレに訊かれても……」

 弱々しく応じる豪太郎だが、そこで誰かが甲高い声を張り上げた。

「あ、なあんだ、そういうことか!」

 その反応に全員がハッとする。

「あ、そうか」

「そういうことね」

 クラス内で高まっていた緊張は一気に解消。

 普段のまったりとした空気に戻っていった。

 豪太郎の肩を掴んでいた男子は、そこで手を離してからポンと背中を叩いた。

「だったら最初から言えって」

「(……そんなことオレに言われたって)」

 結局、周囲になにも言えないまま、豪太郎は教室を立ち去った。


 とはいえそのまま家に帰る気にもなれず、豪太郎はいま図書室にいた。

 なんとなく物理学の本棚の前に立ち、量子論とかの本の背表紙を眼で追う。

 本を取り出して読むなどとはせず、ただ時間を潰すだけ。

「あ、金剛丸くん」

 明るく声をかけられ、豪太郎は振り向いた。

 立っていたのはクラスの女子。

「あれ、どうしたの?」

 その女子が左腕に巻いている腕章に眼を留めると、豪太郎は訊ねた。

「メグちゃんが具合悪くなったみたいで……」

「代わりに図書委員、手伝ってるんだ?」

 うん、とうなずく少女の名は榎本睦美むつみ

 豪太郎に気安く声をかけてくれる、クラスでただ一人の少女だ。

 クリッとした瞳は愛らしく、顔の造作も悪くはない。

 明るく気さくで、人のイヤがることも率先しておこなうしっかりさん。

 性格だけなら嫁にしたい女子ナンバーワンともいわれている。

 だが、彼女が男子からもてるということはなかった。

 それは彼女の体型に原因がある。


 榎本睦美は太っていた。


 それも、バスト・ウェスト・ヒップがほぼ同サイズというズンドウ体型。

 手首足首もぷっくり膨らんでいて、ボンレスハムを思わせる形状だ。

 おまけに首回りの脂肪がハンパなく、動くたびにプルプル震えて、そのさまはジャバ・ザ・ハット様的な異世界生物を想像させる。

 かなりのお太りさんでもオッケーという強者デブセンでさえ、裸足で逃げ出す残念体型なのだ。


「今日はビックリしちゃったよ」

 睦美は屈託なく笑った。

 その笑みに対して、豪太郎は溜息で応える。

一徹おとうさんの他に、凉子おかあさんまでクラスメートになるなんて!」

「まさか二人揃うとは、オレも思ってなかったし……」

 睦美は楽しげに声を立てて笑う。嫌味を感じさせない自然な笑い声だった。

 だが、ミディアムショートの内巻きボブで巧妙に隠されていたアゴの脂肪が姿を現し、プルンプルンと有機的に揺れているのが見えてしまう。豪太郎が現実に引き戻される瞬間だ。

「異時間同位体っていうんだっけ?」

 好奇心も露わに、睦美は瞳を輝かせた。

「ご両親と同じクラスって、どんな感じなの?」

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