Episode 02 二次元嫁のコスプレ趣味がいささか強烈にすぎるわけだが

 ホログラフィック原理を応用して作られた二次元恋人。

 それは変態の証であると世間では認識されていて、持ち主は侮蔑の対象となる。

 極端な話、社会的な地位すら失うこともあるのだ。

 その日、サッカー部の長身イケメンが実は痛彼女持ちであるのがバレてしまい、彼の輝かしい未来は失われてしまった。恐らく引きこもりの末に学校を自主退学することになるだろう。

 痛バレという最悪の出来事は、しかしいつ豪太郎に降りかかるのか分かったものではないのだ。


「ただいま、痛子」

 誰もいないはずの自室に戻った豪太郎は部屋の隅にある洋服ダンスに声をかけた。

ピッタリと閉じられている扉。その僅かな隙間からニュッと頭と眼が出てくる。

「ゴーくん、お帰りなさいですぅ」

「お帰りなさいじゃねえよ」豪太郎は溜息混じりに抗議した。「学校来んなっていつも言ってんじゃねえか!」

「今日は壮絶な痛バレが見られましたねぇ」

 豪太郎の文句などどこ吹く風とばかりに無邪気に笑う。

 水色の髪を揺らす、青い瞳の少女。

 その顔はアニメ『魔導少女まど☆マジ』主人公の親友キャラ、美貴元さやちゃんだ。

「美少女かと思った? 残念、さやちゃんでした♪」でお馴染みのさやちゃんだ。

 病気でバイオリンが弾けなくなってしまった幼馴染みの少年を治すことと引換えに魔導少女になってしまった健気な女の子のさやちゃんだ。

 その結果友だちに幼馴染みをかっさらわれてしまう悲劇のヒロインの、さやちゃんだ。

 だが性格はさやちゃんとは激しく異なる。まったくの別人格だった。

 自らを痛子と名乗るその痛彼女は、一年前に豪太郎の部屋へやって来た。

 高校の入学祝いにとアマザン通販で買ってもらったヘッドマウントディスプレイのおまけである。

 最初は左右非対称アシンメトリーのショートヘアだったのだが、最近は髪が伸びてセミロングになっている。

 160cmあった身長は、一年の間に少し縮んでいるようだ。

 それに伴って体型も幼いものに逆行している。

 デフォルトの服装は青色を基調とした肩出し魔法少女コスチュームに白マント。得物は剣。

 だが、部屋にいる時の痛子がその格好をしていることはあまりなかった。

「痛子、ゴーくんが帰ってくるのを今か今かと待ち構えてたですよぉ」

「な、なんだよ?」

「今日も痛子、ゴーくんをメロメロにさせるのですよぉ」

「ってまさか、また買ったのか?」

「今日の痛子はいつもとは違いますよぉ」

 不敵に笑うと、痛子はスルリとタンスの隙間から体を出してきた。

「じゃーん」

 両手を水平に伸ばして、痛子はくるくると体を回転させる。

「な――ッ!」

「ねえ、どうかなぁ? ……ゴーくん?」

 少し恥ずかしそうに上目遣いで豪太郎を見つめてくる痛子。

 身に纏っているのは紺色のスクール水着。胸元は手書きで「いたこ」のネーム札。背中に背負っているのは赤のランドセル。足許は紺色のハイソックスと先端が赤いラバーの上履きバレーシューズ。シューズのつま先にもご丁寧に手書きで「いたこ」と記してあった。

「マ、マニアックすぎるだろ、それ?」

 豪太郎は思わず眼を泳がせる。

「(……ほとんどエロゲじゃねえかよ、そのかっこ?)」

 そんな反応をしながらも、頭の中では計算が止まらない。

「(……確かクラッシックタイプのスク水(紺)は12,800円。手書きネーム札のオプションは3,800円。ハイソックス(紺)は780円で、上履きシューズは2,800円だったっけかな? あと、ランドセルは59,800円もするんじゃ?)」

 課金アイテムはマニアックなものほど高価格となる。

 ちなみにスクール水着(白)はプレミアム扱いで22,800円だ。

「でもぉ、ゴーくんの眼、痛子に釘付けだよぉ?」

「い、いや! そんなことはなななななななな、ないぞ?」

「ゴーくん、うそつきですねぇ?」

 ニヤニヤと趣味の悪い笑みのまま、痛子は豪太郎の隣にちょこんと座る。

「こんな恥ずかしいかっこ、ゴーくんの前だけなんだからぁ?」

「い、いや、頼んでないし!」

「またまた、ご冗談をぉ」

「それに、そんなに課金アイテム買って、クレジットどうするんだよ?」

「痛子は特別ですから大丈夫ですよぉ」

「はあ……」

 これまで痛子の購入した課金アイテムは結構な量になっていた。

 正規に費用を払っていたらとんでもない重課金ユーザー扱いだ。

「だから、安心して痛子とレッツプレイだよぉ、ゴーくん?」

 豪太郎の反応など気にもせず、痛子はすりすりとにじり寄ってきた。

「ささ、ゴーくん、痛子と“スッキリ”しようよぉ?」

「いや、ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと……」

 両目を閉じて唇を突き出してくる痛子の顔が、眼前に迫ってくる。

 二次元キャラとはいえ、結構なインパクトだ。

 豪太郎の胸がキュッとなる。

「ゴーくんの荒々しい息づかいに、痛子も盛り上がってきましたよぉ。ささ、レッツプレイなのですぅ」

 その誘惑に抗いきれず、豪太郎は両目を閉じる。


 金剛丸豪太郎――。

 地味めな彼女を欲する内気な高校二年生。

 彼には恋人を作ることができない事情があった。

 それはいま豪太郎に迫りつつある痛彼女の存在だ。

 四六時中ストーカーのごとくつきまとう痛子の裏をかいて女の子を誘うなど、とてもできることではなかった。

 仮にそれがうまくいったとしても、キレた痛子が痛バレを引き起こすのは火を見るよりも明らかだ。今日目撃したばかりの、松島くんの“みうちゃん”のように、公衆の面前で「ゴーくん」なんて呼ばれたら、それだけで彼の高校生生活は終わってしまう。

 だが豪太郎の悩みはそれだけではなかった。

 痛子の唇がもう少しで触れそうな距離にあったその瞬間――


「豪太郎おおおおおおおおおお――ッ!!」

 怒号ともに騒音が迫ってくる。

「痛子!」

 叫びに応じて痛子はコマンドを詠唱した。

「痛子、インビジブルモード実行……です」

 バタンと乱暴に開け放たれるドア。転げ込むように闖入してきた一徹は強引に豪太郎の手首を掴んだ。

 間一髪のタイミングで痛子は一次元の棒状となり、そこから収縮してゼロ次元の点状となって視界から消え去った。

 スクール水着姿の痛子を一徹に見られずに済んだことに、まずはほっと一安心。

 豪太郎は、一徹だけには痛子の存在を知られたくはなかったのだ。

 だがそれですべてが済んだわけではない。

「来い、豪太郎!」

 有無を言わさずに豪太郎を引っ立てると、一徹は豪太郎を引き摺って外に出る。

 豪太郎の家は中島平団地五階の一室。

 かつては東洋一と謳われたこともある巨大団地だ。

 その団地の階段を裸足のまま全力疾走を強いられる。

「ちょ、せめて靴くらい……」

「いいからとっとと来るんだ!」

 一徹は一気に地上へと転び出ると、金剛丸家のママチャリにまたがった。

「さっさと乗りやがれッ!」

 豪太郎が溜息をつきながら荷台に乗ると同時に、一徹は自転車を走らせた。

「しっかりつかまってろよ!」

「う、うん……」

 立ちこぎでフル加速を開始。

 黄色いセンターライン上をまっすぐに走り、盛大なクラクションを鳴らされるも一顧だにしない。赤信号を堂々と無視して中島警察署の前をそのまま通過し、北へ向かう。陸送のトラックがバンバン行き交う国道十七号にはS字を描きながら突っ込んでいき、数々のスキール音を背後に残して強行突破。そのままの勢いで荒川の土手まで到着したのだ。


 豪太郎が彼女を作れないもうひとつの理由。それはこの一徹だった。

 授業中だろうが、就寝中だろうが、排便中だろうが、あるいは健全なる高校生男子の密やかな営みの真っ最中だろうがお構いなし。

 突然絶叫すると同時に豪太郎を引き摺り回し、人気のない場所へ連れ出してしまうのだ。

 高校入学初日のオリエンテーション。豪太郎の一つ前の席に座っていたのが一徹だ。

 以来、一徹はことあるごとに豪太郎を連れ回していた。

 そのせいで級友たちは豪太郎に引き気味で、表面的な付き合いのまま。

 おまけに一徹の二つ名は“セクハラ大魔王”。

 まるで息をするように女子にセクハラをする迷惑な人間だった。

 そんな一徹につきまとわれている豪太郎は、完全に変人の仲間扱いされていた。

 彼女どころか友人が一人も作れないのは、この一徹のせいでもあった。


「ほれっ」

 一徹は土手の途中で自転車を降りると、顎でサドルを差した。

 運転交替という意味を察した豪太郎は、しぶしぶとサドルにまたがる。

「なんでまた……」

 豪太郎の嘆きを聞きもせず、一徹は命令してくる。

「川っぺりに出たら右折だ。すぐ行ったところに陸上のトラックがあるから、そこで止まれ」

 一方的にそう告げると、一徹は荷台に乗ってカウントを始めた。

「三、二、一……ってうわぁああああああああああああ――ッ!!」

 カウントゼロと同時に、豪太郎に異変が起こる。

完全同期状態コインシデンス

 鬼の形相でおぞましい雄叫びを上げると、豪太郎はペダルを踏み込んだ。

 異様に膨れあがった大腿四頭筋と下腿三頭筋。

 人としてあり得ない膂力でもって土手を急加速していく。

 二人乗りの自転車は一瞬宙に浮かび、反対側の傾斜へ向かって突っ込んでいった。

「ぎゃっ!」

 後輪が着地した瞬間、一徹は思わず絶句。

 荷台から伝わるショックをもろに受け、尾てい骨に耐えがたい痛みを受けていた。

 涙目になりながらも、一徹は振り飛ばされないように必死で荷台にしがみつく。

「うぉおおおおおおおおお」

 鬼神と化した豪太郎は凄まじい勢いで後輪をスライドさせながら強引に右折。

 カウンターを当てつつ尋常でない加速を続けていた。

 下ハン握って全力スプリント中のロードバイク乗りをあっさりと抜き去ると安物のママチャリが厭な感じで震え始め、耳を覆う風切り音が聴覚を塞ぐ。

「よし、そろそろ陸上トラックだぞ……って」

「うぉおおおおおおおおお」

 尚も加速を続ける豪太郎。恐らく時速は六十キロに達しようとしていた。

 今の豪太郎は聞く耳を持っちゃいなかった。

 一徹はチッと舌打ちをすると、強引に体を左に傾けていく。

 強制的に進路変更されたママチャリはそのまま陸上トラックに突入。一徹が中央のピッチ上でなだれ込むように倒れ、その反動で倒された自転車が地面に弾かれて宙を舞う。

 投げ出された豪太郎は顔面から芝の上へダイブ。派手に飛散する土煙。

 その瞬間、 “完全同期状態コインシデンス”が解除され、豪太郎は正気を取り戻す。

「って、なんでオレがこんなとこまで……」

「あっちだ」

 慌てて駆け寄ってきた一徹の指さす方向に眼を向けると――、

 天空より凄まじい速度で飛来してくる物体を、豪太郎は他人事のように眺めていた。

「あ――。なんか、落ちてくてるね。ていうか、ヤバくね?」

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