第93話 良い変化 悪い変化

 ギャングやマフィアは、縄張なわばり意識が非常に強い。


 そして、それは、国、都市、警察官や保安官もまたしかり。


 物的証拠を手にリムサルエンデ警察署に乗り込んだ《トレイター保安官事務所》の所長、リンスレット保安官レヴェッカは、ふところから取り出した通信用霊装で、署長を始めとする汚職警官達を逮捕したむねを報告した。


 すると、実はその時、都市上空、人々の目が届かない雲の上で待機していた一隻いっせきの潜空艇から十数名の男女が次々と飛び降り、【飛行】や【浮遊】の法呪を行使して警察署の入口前に降り立ち、そのまま続々と中へ。


 彼らは、本日からリムサルエンデ警察署の機能の正常化が完了して新たな署長が着任するまでの間、その職務を代行するためにやってきた、本局保安官マーシャルエリザベート・ログレスの部下、男性の保安官代理マーシャル・デピュティが率いるグループ


 犯罪は、警察側の事情など考慮せずに起きる。


 警察が機能しなければ、治安は更に悪化する。


 ゆえに、彼らのような存在が必要になる。


 本来であれば、《トレイター保安官事務所》がになうべき役割なのだが、少人数であり、また、マルバハル共和国に巣食う麻薬関連企業連合カルテルを壊滅させるという仕事が後にひかえているため、レヴェッカは事情を説明して協力を要請し、エリザベートはそれを承諾した。


 そんな事情を知ったなら、始めから保安官代理率いる班が乗り込めばよかったのでは、という疑問や、人数が多い彼らのほうがカルテルを担当すべきなのでは、といった意見が出てきそうだが、それにはもちろん理由がある。


 簡単に言ってしまうと――


 前者に関しては、政治的な問題で、天空都市国家グランディアの総合管理局ピースメーカーとマルバハル共和国のマルバハル連邦警察、国と国、組織と組織の間に複雑な取り決めが存在するがゆえに、本局勤めの保安官マーシャルやその代理デピュティが何の相談や報告もなく他の国や組織の縄張りで活動した、というより、独自に捜査していた保安官事務所の捜査官シェリフからの要請で動いた、という形が望ましかったから。


 後者に関しては、良い印象を持たれていないという自覚がある総合管理局が、ランス・ゴッドスピードがらみの案件だと知っておよごしになり、結局、上層部と中間管理職エリザベートが《トレイター保安官事務所レヴェッカ》に任せまるなげする事を選んだから。


 そのような訳で、保安官代理ひきいる班への引継ぎを済ませた後、《トレイター保安官事務所》は自由に動けるようになるため、カルテルを壊滅させるべく、マルバハル共和国の首都リルルカへ向かう事になっていた――のだが……




 時は少しさかのぼり、《トレイター保安官事務所》が踏み込んだ事でリムサルエンデ警察の署内で混乱が生じていた頃。


 警察署そこでの用をませたランス、小白飛竜スピア小地竜パイク小天竜フラメア小飛竜ピルムは、一緒に行くというニーナ、小鳳凰竜キースと共に、改めて依頼を達成したむねを報告するため、貧民街にある孤児院へ向かっていた。


 移動はもちろん〔汎用特殊大型自動二輪車ユナイテッド〕に乗って。


 額に装着している〔万里眼鏡マルチスコープ〕のプレートを鉄兜の目庇まびさしのように下ろしているランスがハンドルをにぎり、その後ろに乗っているニーナが先輩の腰に両手を回してつかまり、スピアは風防カウルに両前足をかけて、フラメアはランスのすぐ前で器用にお座りしている。後ろに取り付けたサドルバッグの上、ちょっとした荷物を積み込めるスペースでは、パイク、ピルム、キースが並んで進行方向に対して後ろ向きにお座りし、〔ユナイテッド〕が進む事で後ろから前へと流れて行く景色をく事なくながめていた。


 そして、レヴェッカが署長室へ踏み込んだのとほぼ同時刻。


「ごしゅじんっ!」

「――――っ」


 唐突にパイクが声を上げた。


 ランスは即座におうじ、〔万里眼鏡〕の【全方位視野】で周囲の安全を確認した上で、〔ユナイテッド〕の前輪ブレーキをかけ、後輪をすべらせて半回転。


 ニーナはれる事ができず、ひィ――~ッ!? と悲鳴を上げ慌てて先輩の腰にしがみつくが、幼竜達は慣れたもので、平然と車体につかまって体を固定している。


 そして、来た道を戻って〔ユナイテッド〕が停車したのは、屋台で酒やジュース、つまみや駄菓子などを売っているどこにでもありそうな露店の前。


 そこでは、実年齢より老けて見える人の良さそうな店主が、にこにこと笑いながら、五人の子供に飴玉あめだまを一つずつ配っていた。


 気に入ったのなら次は買ってくれよ、と話しかけ、一緒に遊んでいたらしい人間や亜人種の少年少女は、それを嬉しそうに受け取って、つつみ紙をき、口に入れようとした――が、屋台のすぐそばで巨大な自動二輪車オートバイが粉塵を巻き上げつつ急停車した音に驚き、全員、その場で躰を強張こわばらせた。


 〔ユナイテッド〕から降り、屋台の正面から近付き、横から裏へ回り込み、店主と子供達に歩み寄るランス。


「そのあめを」


 いつも夏のように気温が高いリムサルエンデで、ロングコートをまとい、見慣れない巨大なオートバイに乗り、不思議な可愛い生き物をつれている。


 そんな人物が何者なのか、子供達でも知っていた。


 だからこそ、おびえつつも言われるがまま、今まさに食べようとしていた飴玉を、自分達の前に差し出された右のてのひらの上に置く。


 ランスは、その場で地面に片膝をつき、サッ、と駆け寄ってきたパイクに確認してもらう。


 すると、すんっ、とにおいをいですぐ、がう、と頷いた。


 ランスは立ち上がり、


「――食べろ」


 その飴玉を店主に向かって突き出す。


「い、いや、あっしは今、ほら、この通り食べていすから」


 ロングコート姿であせ一ついていないランスの前で、店主は、ダラダラとあご先からしたたり落ちる程の汗を掻きながらガタガタ震えつつ口を開けて見せ…………過度の緊張のせいで強張ったしたの上から地面へ、ポトッ、と飴玉が落ちた。


「食べろ」

「い、いや、ですから――ぁがッ!?」


 ランスは、左手で店主のあごつかんで無理やり口を開かせると、前歯が折れようと知った事ではないと言わんばかりの勢いで五つの飴玉をその中へたたき込み、そのまま右手で店主の口をふさぐ。


 そして、店主はその手を引きがそうとジタバタ必死に足掻あがくものの微動だにせず、ランスは、モゴモゴうめきながら血走った目でうったえてくる卑怯で下劣な男の眼差しを、〔万里眼鏡〕のプレート越しに受け止めて平然と無視し……


「…………ぷはっ!? おぐぇえぇえええええぇ――――~ッ!!!!」


 数秒後、ランスが両手を離すと、解放された店主は、勢いよく前にかがみ込み、土下座するような格好で、口内に溜まった唾液だえき共々五つの飴玉を吐き出した。


 それを見て言葉を失っていた子供達は、


麻薬ドラッグ入りの飴玉だ」


 それを聞いて愕然がくぜんとし、


「で、でも、くれるまえに、おじちゃんもたべて……」

「見た目は同じ、麻薬が入っていない飴を食べて見せる事で安心させて、麻薬入りの飴を食べさせる。そうして薬物中毒になった子供に、ドラッグを買う金が欲しいならはたらけ、と言ってドラッグを売らせる。――犯罪者はそうやって子供を麻薬の売人に仕立て上げるんだ」


 そんな被害者こども達が、親や親戚しんせきに相談できず、または相談できる親や親戚がおらず、代わりに頼ったり、身を寄せ合って結成されるのが若年者の犯罪集団ギャングであり、その末路まつろは、廃人か、刑務所を出たり入ったりするケチな犯罪者か、マフィアに拾われてファミリーの一員となるか…………おもての社会に復帰できる者は、残念な事に、とても少ない。


 そして、同じ境遇の年少者を食い物にするタチの悪いギャングや、この店主のような、麻薬関連企業連合カルテル末端構成員したっぱが何故そんな事をするのかというと、理由は主に一つ。


 それは、自分に課せられた販売ノルマを達成するため。


 本当に、そんな事のために、何も知らない少年少女をだまし、おとしめ、夢や未来をうばい、破滅させる。


 例え、かつては未成年の被害者でも、今は成人した犯罪者。ランスが、そんなギャングやマフィアを駆逐くちくし、幼竜達ドラゴンの嗅覚をりて麻薬を一掃いっそう、製造工場や倉庫ごとはらって見せしめとしたため、孤児院がある貧民街周辺では見かけなくなったが、別の街区では、まだこういったやからがうろついている。


 だから――


「友達に教えてあげてほしい。こういうやつらがいるから、知らない人からもらったものを食べてはいけないよ、と」


 ランスは、下ろしていた〔万里眼鏡〕のプレートを、カシャンッ、と上げ、少年少女、一人一人と目を合わせてそう語り掛けた。


 〔ユナイテッド〕で走行中にパイクがぎ取ったのは、麻薬常用者特有の体臭。飴玉に混入されていた麻薬――『ハピネス』自体は無味無臭だが、人には分からずとも竜族ドラゴンの嗅覚はあざむけない。


 ゆえに、ランスは、その飴を検査せずとも確信をもってそう言う事ができる。


 そして、子供達は、今の店主の姿を見て、それが本当の事だと確信したのだろう。真剣な表情で頷くと、きびすを返すなり走って行った。


「…………」


 ランスは、少年少女の背中を見送り…………ゆっくりと振り返る。


 すると、二人の目が合い、隠し持っていたナイフをそっと抜き放って両手で握り締めていた店主が、ビクッ、と躰を強張らせて目をき…………ポトッ、とナイフが震える両手から地面に落下した。


「…………」


 これは本来、自分の仕事ではない。


 だが、見て見ぬ振りをせず行動したからには始末をつけなければならない。


 ランスは、絶望に打ちひしがれている店主を麻薬所持の現行犯で逮捕・拘束する――その直前、


「ごしゅじんっ!」

「――――っ」


 唐突にスピアが声を上げた。


 ランスとパイクは、即座に応じて振り返り――


「たべていい?」


 露店に陳列されている他の商品にも麻薬が混入されていないか調べる――というていで物色していたスピアに訊かれ、


「…………」


 思考が空回りし、躰の動きが止まる。


 目だけ動かすと、スピアだけではなく、フラメアとキースも、ピルムにいたってはもう南国のフルーツをかかえて、返事を待っている。


 様々な状況を想定し、想定外の事態が起こる事をも想定して備えているがゆえに、自分の知覚範囲外からの遠距離攻撃や、空間の裏側からの奇襲であっても対処する事が可能だった。


 しかし、その何という事のない質問に対する回答は用意されておらず…………他の店で買ってあげるから犯罪者の店で買うのはやめよう、という返事を絞り出すのに、速度の特化修練を受けた者とは思えない程の時間を要した。




 あともう少し遅ければレヴェッカ達が保安官代理率いる班に引き継ぎを終えていた――そんなタイミングでリムサルエンデ警察署にまた案件を一つ放り込み、約束通りいくつかの露店で買い物をしてから、ランス達は、貧民街にある孤児院へ。


 かつて、この一帯は、ギャングが我が物顔で闊歩かっぽし、縄張りあらそいで人が死に、おもての通りで堂々と麻薬の売買が行われ、路肩では何人もの重度の麻薬中毒者ジャンキーが死体のように横たわり、薄暗い路地では盗品の売買が行われ、街頭には借金苦しゃっきんくで躰を売る女性が立っている…………そんな、警察官が足を踏み入れるのを躊躇ためらうような犯罪が多発する危険地帯だった。


 しかし、今ではそういった者達の替わりに子供の姿があり、笑い声が響いている。ここのほうが安全だから、と他の街区から引っ越してきた者もいるらしい。


 だが、そんな変化を、リムサルエンデ市の人々すべてが歓迎しているかというと、そうではない。


 何故なら、盗品の売人や娼婦などは、仕事を変えた訳ではなく、『〝血道の主ブラッディロード〟の縄張りシマで許可なく商売をすると、所場ショバ代に命を求められる。それはマフィアですら例外ではなく、その時は、血の雨が降って道は赤い河となり、積み上げられたしかばねの山はドラゴンの炎で焼き尽くされた』などという噂がまことしやかにささやかれているのに加え、麻薬の売人が街から消えいなくなったという事実と、今も手付かずのままとなっている焦土と化したとあるマフィアの首領ドン邸宅跡が真実味を増幅させた結果、命がしい、怖過こわすぎて商売ができない、と別の場所へ移っただけ。客は、売る者がいないから他の買える場所へ行っただけ。


 それはつまり、他の街区の人々が、貧民街ゴミために捨ててふたをし、見ないようにしてきたもの、知らない振りをしてきたもの、それら全てが自分達の街に移ってきてしまったという事。


 そんな事態を歓迎する者がいるはずもない。


 教会付属の孤児院で働く若い女性神官が提出し、ギルド《竜の顎》の掲示板に張り出されたまま忘れ去られていた一枚の依頼書――それが槍使いの竜飼師と幼竜達の目に留まった瞬間から始まった変化の波が、今、リムサルエンデ市全体をみ込もうとしている。


 ――それはさておき。


 リムサルエンデは、ムー山脈やその向こうの大樹海を目指す、先祖の故郷へかえる事を望む者達や冒険者、探検隊の中継基地としておこされ、それが発展して今に至る。


 清麗神系の教会は、その教えを伝え、広め、いのりをささげるための場所であると同時に、薬を処方する薬局であり、法呪や練法で傷をいやす施術院でもある。


 それゆえに、冒険の成否にかかわらず、帰還者の中に怪我人がいた場合を想定してすぐ運び込めるようにと、教会は、大森海側の城壁に近い場所に建設され、村から町へ、町から都市へと発展するにともなって、改築され、増築され、一度は老朽化ろうきゅうかを理由になおされて今の建物すがたとなった。


 つまり、今でこそこの辺りは『貧民街』などと呼ばれている犯罪多発地帯だったが、昔からそうだった訳でも、わざわざそんな場所を選んで教会を建てた訳でもない。


 孤児院があるのは、そんな教会の裏手。


 広い敷地はグルリと高いへいかこわれ、ギャングやマフィアがこの辺りを縄張りとしていたころは、教会用と孤児院用、二箇所の門のとびらは固く閉ざされて、警備をになう神官戦士達が敷地内を巡回じゅんかいしていた。


 しかし、今では、近所の子供達がいつでも遊びに来られるようにと開け放たれており、外側からでは見えない位置で遊んでいるのだろう、少年少女達の元気な声が聞こえてくる。


 この状況を、ニーナは好意的に見ている。だが――


「…………」


 ランスは、余人には分からない程度にだが、まゆをひそめた。


 それは、門の周辺に神官戦士の姿が見当たらないから。


 以前、ランスは、依頼人とその上司である前院長に、依頼を達成した事を報告した際、その一環として、遂行中に得た情報――壊滅させたギャングとつながりがある某マフィアついてしらせ、万が一に備えて孤児院の警備に引退したスパルトイをやとい常駐させてはどうかと提案した事がある。


 前院長は、それを真摯しんしに受け止め、教会側に許可を求めた。


 しかし、教会のトップである神官ちょうと、警備を任されている神官戦士のおさは、それを許可しなかった。


 寄付金が集まらず経費が不足していて雇用こようしようにも賃金をはらえない、とか、神官戦士達がいるため不要、などと理由はいくつかげられたが、実情は、やとった者が内側から強盗などを引き入れるかもしれないと懸念けねんし恐れたからであり、教会の勢力範囲内に武力を有する者が自分達以外にいるという状況を許容できなかったから。


 かつて、この一帯は貧民街と呼ばれる犯罪多発地帯。この街で生きる人々の心はすさみ、また、神官戦士達かれらの心も荒んでいた。信じる事を止めてうたがい、信者に対しても身体検査を徹底し、討伐依頼で傷を負ったスパルトイが運ばれてきた際も、門のすぐ側にある預かり所で武装を全て預けるまでそれ以上先へ進む事を決して許さなかった。


 そして、辺境の都市の小さな教会に配備されている神官戦士の数は少なく、警備は教会側に重点が置かれていたため孤児院側の警備はおろそかになり…………ある日、ギャングを壊滅させたランス・ゴッドスピードに対する報復と警告を兼ねて、前院長はマフィアが放った殺し屋に殺害された。


 そのマフィアと殺し屋はもう存在せず、治安は良くなってきているとはいえ、用心が足りない――そう思いつつ、ランスが、幼竜達、ニーナ、〔ユナイテッド〕と共に敷地内へ入ろうとしたちょうどその時、


「――あっ!」


 元気な声が聞こえてくるほうへ向かっていた年少組の数人、その中の男の子が、門の所にいる男の人と女の人、それに、小さくて可愛い生き物5頭と自走するオートバイに気付き、――みんなのほうを向いて両手を口の左右にえ、思いっきりさけんだ。


「ドラゴンジャンケンきたぁ――――~っ!!」




 言うまでもないとは思うが、ランスは、ドラゴンジャンケンをしに来た訳ではない。


 幼竜達も、自分達はドラゴンジャンケンではなくドラゴンだ、とか、仕事で来たのであってドラゴンジャンケンしに来た訳じゃない、とか、名前を忘れられた? と少し残念そうだったり、ちゃんと覚えてもらわなきゃ、と意気込んだり、きゅうきゅうがおがおくぉくぉみゃうみゃう言っていた――が、わらわら集まってきた子供達に懇願されたのに加え、現王者チャンピオンいどまれては受けない訳にいかないと、参戦を承知し、おねぇちゃんもいっしょにしよ、と小さな女の子に誘われて断れなかったニーナも巻き込んで、急遽きゅうきょ、ドラゴンジャンケン選手権大会チャンピオンシップが開催される事に。


『どらごんじゃんけん?』

『ドラゴンジャンケーンっ!!』


 ランスは、そんな幼竜達と子供達の元気いっぱいな声を背中で聞きながら、あの男の子の声で来訪者に気付きわざわざ表に出てきて迎えてくれた若い女性神官――『セイナ』と共に孤児院の中へ。


 種族は人間ヒューマン。歳の頃は二十歳はたち前後。前院長の遺志を継ぎ、その若さで孤児院の院長をつとめる彼女こそ、決死の覚悟で《竜の顎ギルド》に依頼書を提出した女性神官その人。


 ランスが孤児院にやってきたのは、彼女セイナに、依頼が達成された事を認めるサインをもらうため。


 余談になるが、ギルドが一度認可した依頼を、受けたスパルトイが達成したと報告したのちにそれが不十分・未解決だった事が判明した場合、その依頼を受けた本人に限り、再度って今度こそ達成しました、という事後報告が認められている。


 ただ、達成したと報告したのに不完全・未解決だった、という事実は、評価を下げ、昇格レベルアップに影響をおよぼすため、ほとんどのスパルトイはその事実を認めない。故に、この方法が用いられる事は極めて少ない。


 では、何故ランスは、毎回、その事後報告をしているのかというと、それが本来おこなうべき正しい手続きだからであり、昇格に興味がないから。そして、ランス・ゴッドスピードのせいで貧民街から移ってきた売人や娼婦が自分達の街で商売を始めて迷惑している、といったたぐい苦情クレームの処理をギルドに任せる事ができるからでもある。


「ランス様のおかげで、この街は、以前とは比べ物にならないほど安全で穏やかになりました」


 ランスは、セイナの近況報告せけんばなしを聞きながら、孤児院の廊下を進み、院長室へ。


 せまくはないが広くもなく、贅沢とは無縁で、調度はつくえ、椅子、書類を納めるたななど必要な物だけ。いろどりと呼べるのは机の一輪挿いちりんざしにけられたつつましやかな花のみ――そんな院長室で依頼完了のサインをもらう。


 ちなみに、今回のような場合、事後報告に使用するのは、ギルドの掲示板に張られている依頼書ではなく、依頼人が記入してギルドに提出する申し込み用紙。


 セイナからそれを受け取り、必要な項目すべてに記入がある事を確認する。


 不備はない。これで、ここに来た目的は達成した――のだが……


『ド~ラゴ~ンジャンケンっ、ジャンケンっ、ぽんっ!』


 開け放たれて白いカーテンが揺れている窓の向こうから、元気な子供達の声がかすかに聞こえてくる。


 大会が終了して新たな王者が誕生するまで、まだ時間がかかりそうだ。


 幼竜達と子供達が楽しそうにしている。人と竜との間をつなぐ竜飼師として、現状、それを無理に止めさせなければならない理由はない。


 ならば――


厨房キッチンを貸してもらいたいのですが、かまいませんか?」


 材料は、露店で買ったものがまだ残っている。


 ランスは、以前メルカ市で大会が開催された際、自分は何をしていたか、スピア達に何を求められたかを参考にしてどう行動すべきかを判断し、セイナに許可をもらうと、新たな王者と参加者達の健闘をたたえるため、ささやかな祝勝会の準備を始めた。




 孤児院を後にしたランス達は、次に、ギルド《竜の顎》のリムサルエンデ支部へ。


 目的は、セイナからサインをもらった書類を提出し、不十分だった依頼を改めて受けて達成したむねを報告するため。


 大通りの目立つ場所にたたずむその建物は、マルバハル共和国における本部である首都リルルカのギルド会館よりも大きく、2階建てだが天井が高く通常の3階建てほどの高さがあり、珍しい事に、1階が、広いフロアに無数のテーブルと椅子のセットが並ぶ食事処けん酒場になっていて、その壁の2面がドーンっと、パーティやクランのメンバー募集、情報提供を求める張り紙、依頼書などが張り出される掲示板になっており、ギルドの受付カウンターや事務所は2階にある。


 一応補足しておくと、倒した怪物モンスターをそのまま持って行くと無駄なく素材をいでくれたり、狩った動物を持って行くと食材に加工してくれたりする解体場や、その他の持ち込んだ素材を鑑定して値段をつけてくれる買取所をね、採取してきたものの数を確認したり、モンスターを討伐した証拠となる部位を確認して依頼達成のサインをくれる通称『出張所』は、門の近くにある別の建物。


 おもてに駐車しておくと、むやみに注目を集め、時にはぬすもうとする不届き者が現れるため、〔ユナイテッド〕は格納庫として使用している〔収納品目録インベントリー〕に収納し、〔万里眼鏡〕のプレートを額に上げてから、ランスは、幼竜達やニーナと共にギルド会館の中へ。


 【弱体化】して小さくなっている時は気も小さくなるらしく、警戒心が強くなって人見知りするスピア、パイク、フラメア。ピルムも、相手が子供なら平気なのだが、見知らぬ大人になるとビクビクして落ち着きがなくなる。


 なので、ギルド会館のように人が大勢いる場所に来ると、決まって、スピアはロングコートのフードの中にもぐり込んでかくれ、フラメアはマフラーのようにごしゅじんランスの首に巻き付き、ピルムは抱っこしてもらってヒシッとしがみ付いて、パイクは、警察犬か盲導犬のように、横にピタッとついて歩き、足を止めるとお座りする。


 本日も、会館1階の食事処兼酒場は盛況だったが、そんなランス達と肩にキースを乗せたニーナの姿に気付くと、まるでしおが引くかのように、騒がしかった店内が静まり返り……


「――ランス・ゴッドスピードっ!」


 そんな中、ガタッ、と勢いよく後ろに引かれた椅子の脚と床がこすれた音が響き、一人の男性が席から立ち上がった。


「今日は会えそうな気がしたんだ。待っていて良かったよっ!」


 人間ヒューマンの男性で、年の頃は20代前半。


 今日は仕事をするつもりがないのだろう。この辺りの気候に合ったラフな着衣には、鎧と擦れてできた跡が見受けられるものの今は身に付けておらず、左手に篭手こてのみ装備し、腰に巻いた幅広のベルトの左側では剣帯けんたいのみが揺れ、立ち上がる際、テーブルに立てかけていた両手持ちの長剣バスタードソードを手に取り、左手でたずさえたまま近付いてくる。


 その長剣は、おそらく宝具。だが、鞘は宝具ではない。それ用に特注であつらえた物だろう。装飾は剣のつかつばと統一感があって良くできているが、複数の神器・宝具を所有するランスには、気配でそれが察せられた。


 彼は、適当な距離を置いて足を止め、ランスに向かって〔ライセンス〕を提示する。


 そこに表示されていたのは、所属するパーティの等級を示す『rank・A』。更に、透明なプレートを納めた銀のケースに三つある指紋サイズの小さな魔法陣、その一つに触れ、表示を身分証に切り替えて、


「俺は『エルセム』。クラン〈開拓者〉で第2班を預かっている者だ」


 スパルトイの流儀にのっとった名乗りに対して、ランスもまた〔ライセンス〕を取り出し、個人の等級を示す『Lv・Ⅶ』の表示を見せてから身分証に切り替えて、


「『ランス・ゴッドスピード』。槍使いの竜飼師ドラゴンブリーダーです」


 二人は同時に〔ライセンス〕をしまい、君は? と彼――エルセムにたずねられたニーナは、慌てて〔ライセンス〕を取り出し、『Lv・Ⅲ』の表示を見せてから身分証に切り替えて名乗り、竜飼師でランス先輩の後輩です、と自己紹介した。


「〈開拓者おれたち〉は、君がことわった護衛依頼を受けて、大海とムー山脈を越え、大海を目指す事になった。そこで、向こう側の事を知っている君にいておきたい事があって、ずっとさがしていたんだ」


 エルセムは、そう友好的フレンドリーに言って、仲間三人の姿がある自分達のテーブルにランスとニーナをさそう――が、


「お断りします」


 ランスは、即答した。


「…………、理由を聞かせてもらえるかな?」


 笑みを消し、真剣な表情で問うエルセム。


 それに対して、ランスは、いつも通り平然と、


「〈開拓者あなたがた〉の事は、交流がある部族から聞いていました。この都市での評価も知っています。それらをかんがみて決めました」


 〈開拓者〉は、比較的長い歴史を持つクランで、未知や冒険を求める者達の集団。ムー山脈の最高峰――ラ・ムーの征服せいふくや大樹海への進出などを目標にかかげると同時に、その名の通り、ただ行くだけではなく、自分達の後に続けるようにと、安全なルートを開拓すべく日夜活動している。


 そんな彼らが開拓したルート上には、無数の部族の集落があるのだが、そこを中継基地として利用するため、住民との交渉材料に、槍、ナイフ、弓など獣人の戦士が好む武器や便利な道具、森の中では手に入らない食材や調味料・香辛料、嗜好品など、原始に近い生活を送る彼らにとって珍しい品々や外の文化を無分別むふんべつに持ち込んだ。


 その結果――


 〈開拓者〉と接触した部族の集落では、外の世界にあこがれをいだいて、または、より便利な暮らしを求めて集落を出て行く者、外の文化に感化されて伝統をないがしろにする者が増加しているらしい。


 他にも、彼らによって比較的安全なルートがひらかれた事で、大森海に足を踏み入れるスパルトイが急増し、それまで部族の生活を支えていた森の恵みを勝手にって行ってしまうが事が問題になっている。


 リムサルエンデ市で開催される大市場バザールは有名だが、そもそも、各部族がわざわざ民芸品などを都市に持ち込んで売っているのは、そんなスパルトイの問題行動で困窮こんきゅうし、大市場で森にはない貨幣おかねを手に入れて食料を購入しなければ、生活できなくなってしまったからだ。


 現在、大森海で暮らす部族の半数近くがたりったりの状況におちいっており、それが、伝統的な生活様式を捨てて急速な近代化を促進させる原因にもなっている。


 そして、貨幣さえあれば何でも手に入れられる事を知った部族の中に現れた。


 ――高額で売買されるがゆえに、違法薬物ドラッグの原料となる事を承知の上で、問題の植物の栽培に手を出す者達が。


 話が少しれてしまったが、要するに、クラン〈開拓者〉は、彼のパーティランクを見れば察しが付くように、スパルトイの活動と都市の発展に貢献したと評価される一方で、奴らのせいで大森海もりの秩序が乱れた、と、外の世界もりのそととの接触をこばんでいる複数の部族から目のかたきにされている。


「俺は、その良し悪しを判断する立場にない。故に、〈開拓者あなたがた〉の行ないについて意見するつもりはありません。そして、協力するつもりもありません」


 そう言ってから、失礼します、とげ、返事を待たずに身をひるがえし、上に続く階段へ。パイクはもちろん、ニーナも遅れる事なく先輩に続く。


 受付カウンターの窓口で勤務していた女性職員は、ランスの姿を認めた瞬間から妙に緊張していたが、手続きは問題なく完了した。


 これでもうここに用はない。来た道のりを戻って2階から1階へ。


 すると、階段を下り切った所に、まだエルセムの姿があった。


「実は、話を聞くだけではなく、本番前……依頼者グループを連れて行く前に、俺達だけで行って現地を調査する予定で、その際、君に案内ガイドを頼もうと思っていたんだが…………それはあきらめるよ」


 訊いてもいないのにそう告白し、だが、と続け、


「依頼をキャンセルする事はできない。君の協力があろうとなかろうと、俺達は行く。依頼人とその仲間の命を守るのは当然として、俺達も死ぬつもりはない。全員で生きてかえるために、できる事はすべてする。いや、しなければならないッ! ――だから、話だけは聞かせてほしい。全員の命がかっているんだ。これだけは諦める訳にいかない」


 そう熱く語った。


 そして、それに対して、ランスが答える――その直前、


「ごしゅじんっ!」

「――――っ」


 唐突にフラメアが声を上げた。


 しかも、ビクンッ、と頭を跳ね上げたのは、今まで微動だにせずマフラーになりきっていた小天竜だけではなく、ニーナの肩にとまっているキースもまた同様の反応を示している。


 ちなみに、フードの中のスピア、抱っこされているピルム、足元のパイクもまた、ビクッ、と身体をふるわせたが、こちらはただフラメアの声に驚いただけ。


 それはつまり、幼竜達の中で、フラメアとキースだけが何かを感知したという事。


「くりゅっ くぅ~りゅっ」

「…………」


 フラメアが言うには、同属間で行なわれる思念伝達で、現在、契約者パートナー共々郊外の人目につかない場所で待機している紅翼竜ゼファード紫翼竜アルフリードしらせてきた、との事。


 それは、本当にランス達だったのか、それともエレナ達だったのかはさだかでないが、突然森から現れた猿の獣人が、飛行する2頭のドラゴンを見て知り合いの竜飼師達だと思った、と話し、助けを求めている、という内容で……


「どうかし――」

「――急用ができました」


 エルセムの問いをみなまで聞かずに答え、止める間もなくその脇を、すっ、と通り抜けて表へ向かうランス。


 ギルド会館を出た所で〔収納品目録〕から〔ユナイテッド〕を取り出し、乗って〔万里眼鏡〕のプレートを、カシャンッ、と下ろす。


 フードから出てきたスピアや飛び乗ったパイク、ピルムとキースも定位置につき、最後にニーナが乗ったところで〔ユナイテッド〕が急発進。都市の外へ出るため一番近い大門を目指してぐんぐん加速して行く。


「くぅりゅっ くりゅりゅ~ぅう」


 現在、エレナとシャリアがその猿の獣人から話を聞いているところで、ゼファードが逐次ちくじ追加の情報を伝えてくれている。


 その内容を、肩に乗ったままのフラメアから伝え聞き……


「…………」


 ランスは、〔万里眼鏡〕のプレートの下で眉をひそめた。


 その猿の獣人いわく、『〝獣王〟の配下』と名乗る者に、『レムリディア大陸われわれのくにから異種族を駆除し、押し付けられた宗教と文明を一掃し、本来るべき姿を取り戻すための戦いが始まる。〝獣王〟陛下のもと参集さんしゅうせよ』とせまられ、それを断ったら集落むらが襲われた、との事。


 できる事には限りがある。また、できる事だったとしても応じられない場合がある。


 だが、助けを求める者がいると知ってしまった以上、知らなかった事にはできない。


 ランスは、現在受けている依頼を遂行するための作戦プラン、その変更を検討しながら、以前マルバハル共和国の首都リルルカで会った『〝覇王〟の配下』と名乗る者との関連も視野に入れつつ、この事を報告するため、今回の依頼が達成されるまででいいから、とレヴェッカに渡されていた通信用霊装を〔収納品目録〕から取り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る