第92話 五つの大陸の一つ レムリディア

 この世界には、数多あまたの島々、そして、五つの大陸がある。


 最も小さい、妖精族や古代種が現存する神秘の『ヘスペルニア大陸』。


 自然の力をその身に宿すアールヴやドヴェルグ達によって分割統治されている『ニライカナン大陸』。


 いにしえの竜と同じく、人と化すすべを得た古代種と人間が交わって誕生した鳥獣系人種ネフィリムによって分割統治されている『アムリタスカ大陸』。


 人間ヒューマンによって分割統治されている『エルヴァロン大陸』。


 最も大きい、高い知能を獲得して人のように進化した異種族――ルーガルーやバステトなど各部族によって分割統治される『レムリディア大陸』。


 これら五つの大陸が存在している事自体は、千年以上前から変わらない。


 だが、そこで生きる人々は違う。


 彼らが現在の大陸にいるのは、今からさかのぼる事およそ千年の昔――魔王国時代に、意思の疎通そつうが困難な種族、恭順きょうじゅんこばんだ種族をほろぼし、さからう同族達を粛清しゅくせいし、世界の統一を成し遂げた魔王によって、滅亡か、存続か、選択をせまられ、まるでおりで区切る事によって肉食獣と草食獣が同じ敷地内で共存する事を可能にした動物園のように、み分けを強制された結果。


 それはつまり、生きるためにむを得ず、生まれた土地を、故郷を捨てて別の土地へ移り住んだ者達がいたという事。


 そのほとんどは、新しい土地に根を下ろし、今現在も種を存続させている。


 だが、竜と人の勇者達によって魔王が討たれ、栄華を極めた魔王国が滅亡して以降、自分達の根源ルーツ辿たどり、かつて先祖が生きていた土地へかえった者も少なくない。


 そして、還る事を切望しながら、それがかなわずにいる者もまた……。


 移住させられた土地から故郷へ還る事を望む者と、移住先の地で生まれそこを故郷として生きる者。


 そんな人々の土地問題は世界の各地で起きている。


 その中で、今、最も事態が深刻化していると言われているのが、レムリディア大陸の玄関口とも称される、海洋貿易の中継点として発達し続けている途上国、他の大陸からの移民達によって作られた多種多民族国家――マルバハル共和国だった。




 横に長いレムリディア大陸の南西部。西から東へ向かって緩く弧を描く世界最大の山岳地帯であり、8000メートル級の山々が連なり、最高峰の聖なる山『ラ・ムー』は9000メートルに達する『ムー山脈』の南側。レムリディア大陸で最大級の港湾施設を有するマルバハル共和国の首都『リルルカ』から遠く離れた辺境にある、ムー山脈のふもとから広がる大海に最も近い都市。


 それが、城郭都市『リムサルエンデ』。


 怪物モンスターの襲撃に備えた8メートルに迫る防壁と、大森海や広大な平原、西の大湿地帯を生活圏とする各部族が持ち寄った品々を売る大市場バザールが有名で、大森海の深部や、更にその奥のムー山脈へいどまんとするスパルトイや探検家を支えるために商業と工業が発展し、ギルド《竜の顎》の建物は首都にある本部よりも大きく、海外からの資本の投入で首都が目覚ましい発展を遂げる前まで、マルバハルで最も大きな町だった。


 そんな、ビルと呼ばれるような高層の建築物はなく、まさに地方で一番大きな町といった景観が広がるリムサルエンデ市には、物騒ぶっそうな名前で呼ばれている道がある。


「ここが噂の〝血塗れの道ブラッドロード〟?」

「やっぱり、実際に血塗まみれって訳じゃないんだな」


 ひたいに浮かんだあせをハンカチでぬぐっているレヴェッカに続いてそう言ったのは、炎天下でも平然としているティファニア。


 そこは、警察署前の大通り。


 広さはだいたい三車線分ほど。舗装はされておらず、地系の法呪か練法でならされたと思しき硬い土がき出しの地面は、通行量の多さゆえか、この道ができてから一度も補修していないからか、車輪でけずられたのであろう緩やかなへこみがいくつも並行へいこうに続いていてたいらではない。


 首都の発展にともなって自動車オートモービルも輸入されているらしく、時折ときおり、中古と思しき廃車寸前の輸送車輌トラックが走っているのを見かけるものの、まだまだ馬や小型陸亜竜が引く荷車のほうが多い。


 そんな道の路肩に、一台の軍用自動四輪駆動車ジープが停車している。


 運転席に座っているのは保安官養成学校の実習生であるエルネスト。助手席に座っているのは《トレイター保安官事務所》の所長であるレヴェッカで、後ろの席に座っているのはティファニアとフィーリア、それに、特例で機会を与えてくれたお歴々の期待にこたえ、即行で竜飼師認定試験に合格して追い付いたニーナ。その肩にはハヤブササイズに【弱体化】している小鳳凰竜キースの姿がある。


 首都リルルカの気候は、常夏とこなつの熱帯。リムサルエンデ市このあたりも、冬に多少すずしくなる程度の亜熱帯。


 それ故に、みなそれぞれ薄着になっている。


 レヴェッカは、拳銃二丁を納めたホルスター、マガジンポーチなどが取り付けられたハーネスを隠すために上着が必要なため、普段のロングジャケットから薄手のジャケットに。


 ティファニア、エルネスト、ニーナは、上着ジャケットを脱いでおり、フィーリアは、相変あいかわらずの神官衣ローブ姿だが生地が薄手のものに変わっている。


 そして、武器は、レヴェッカ以外、護身用を兼ねて折り畳み式の多目的ナイフを所持している程度。


 それは、保安官助手アシスタント・シェリフがあくまでも保安官に雇われた民間人であり、候補生のエルネスト共々、原則として街中で武器を装備する事が禁止されているから。


 ニーナはベルトに大振りのサバイバルナイフをげているが、修行期間中にスパルトイのライセンスを取得しているので、スリーブに納まっていれば問題ない。


 実のところ、ティファニアとフィーリアは、保安官助手であると同時に、利便性から《竜の顎》で登録を済ませているスパルトイ。なので、収納用鞄ケースに入れていれば持ち歩いても問題ないのだが、二人の武器はどちらも大型で、そんな物を持ち歩くと目立って行動に支障をきたしかねない。


 そこで、現在、所員の主武装は全て、所長レヴェッカが持っているランスからの寄付の一部で購入した〔収納品目録インベントリー〕に収納されている。


 もっとも、まだ珍しい自動車、それも軍用車輛に乗っている地元民が見れば余所者だという事が一目瞭然な男女五人――しかも中の一人は肩に派手な鳥のような生き物を乗せている――は、十分過ぎるほど目立ってしまっているのだが……


 ――それはさておき。


「なんでそう呼ばれているのか知ってる?」


 現在、待ち合わせの場所でランス達の到着を待っている最中さいちゅうで、何もする事がなく退屈たいくつだったからだろう。レヴェッカが、斜め前方、警察署のほうを見ながら、誰にともなく割とどうでも良さそうに訊くと、それにこたえたのはニーナで、


「昔は、流血沙汰りゅうけつざたが絶えなかったそうです。マフィアとか、ギャングとかが、捜査の妨害や仲間を逮捕された報復に警察官を刺したり、留置場から刑務所に護送される犯罪者なかまを取り戻そうと、警察署から出てきたところを襲撃したり。警察署長が犯罪組織からお金を受け取って、要請があり次第、逮捕した犯罪者を釈放しゃくほうするようになってからそういう事はなくなったそうですけど……」


 忌々いまいましげに、チッ、と舌打ちするレヴェッカ。


 その一方で、


「じゃあ今は?」


 やはり退屈していたからだろう。ティファニアが、晴れ渡った空をあおぎ見ながら割とどうでも良さそうに訊くと、


「えぇ~と……、少し長くなりますよ?」


 束の間、目を泳がせたニーナはそう断りを入れ、構わないというむねの返事を受けてから話し始めた。




「大海で修行するの、私は初めてだったんですけど、ランス先輩達は二度目らしくて、前も、修行しながらでもできる依頼を受けたり、達成した事を報告するために、リムサルエンデ市ここ首都リルルカの《竜の顎ギルド》に足を運んでいたそうなんですけど……」


 きっかけは、一枚の依頼書。


 レベル指定のない依頼書が張り出されている掲示板にあったそれは、誰も受ける者がいないせいで長く張り出されたままになっていた結果、古びて変色してしまった不人気依頼の一つ。


 ランスは、スパルトイを名乗る以上、可能なら仕事をしなければならない、と考え、大樹海でもできる無期限の採取依頼を受けようとしていたのだが、拠点をレムリディア大陸に移す前に活動していたメルカ市では、そういう依頼を片っ端から片付けていたため、ごしゅじんに選択を任されているスピアとパイクの目は自然とそれらに向けられた。


 そして、幼竜達の目に留まったその依頼書には、


『子供達に麻薬を売りつける悪い奴らを退治して下さい』


 そう書いてあり、最後に、こう書きえられていた。


 ――『誰か、助けて』と。


 後になって分かる事だが、その依頼書は、教会付属の孤児院で働く若い女性神官が、ギャングからの嫌がらせを受ける事を、最悪の場合、殺される事をも覚悟してギルドに提出したもので、凶悪な犯罪組織と裏で不可侵ふかしんの約定を結ぶ事によってこの都市で活動するスパルトイ達の最低限の安全を守っていた《竜の顎》が、現状を受け入れるしかないのだと、自分達でできる事以外はあきらめるしかないのだと理解させるために、それが彼女の身のためだと考えて受け取り、張り出したまま放置していたものだった。


 しかし、結果から言ってしまうと、ギルドは、その考えが間違いだったのだと思い知る事になる。


 何故なら、その書面から聞こえてくる悲痛なに応える者がいたからだ。


「ランス先輩達は、その依頼を受けて、孤児院がある一帯を縄張りとするギャングを壊滅させたそうです」

「サラッと言ってくれるなぁ……」


 それがどれ程の危険と困難をはらむ行動であったかを想像してまゆをハの字にしたエルネストが、思わずといった様子でハンドルにあごを乗せてひとち、ニーナは更に続ける。


「そして、殺傷許可のない犯人は可能な限り逮捕して裁判を受けさせ罪をつぐなわせなければならない、って、無力化したギャングを、彼らが所有していたトラックの荷台に詰め込んで警察署に運んだそうなんです。生きていると〔収納品目録インベントリー〕にしまえないから。――で、トラックが通り過ぎた後には、荷台からしたたり落ちた血が点々てんてんと警察署まで続いていたらしくて……」

「それで〝血塗れの道ブラッドロード〟、か」


 そう呼ばれる理由に納得したらしいティファニアがそう呟くと、ニーナは、はい、と頷きつつも、こう補足した。


「そんな事が何回もあったから、またそう呼ばれるようになったそうです」

『何回も?』


 振り向いてニーナを見つつ声をそろえたのは、ティファニアとエルネスト。


 一方、そうだろうな、という表情としているのは、レヴェッカとフィーリア。


 ニーナは、はい、と頷いてから、


「壊滅したギャングの縄張りを取り込んだ地元のマフィアとか、カルテル? とか、シンジケート? とか、違いはよく分からないんですけど、ランス先輩達が潰しても潰しても、次来た時には新しい麻薬を扱う組織の末端が入り込んでいて……」


 そのたびに、警察署へ続く大通りに犯罪者達の血が染み込み、結果、〝血塗れの道〟と呼ばれるようになった。


 そして――


「『マフィア』って、犯罪組織の事だと思っていたんですけど、本当は、警察が頼りにならないからって、地元住民を守るために組織された自警団の事らしいんです。だから、武器をたくさん隠し持っている以外には、麻薬とか人身売買とか……そういう犯罪に手を染めないマフィアもあって、この前聞いたうわさだと、先輩は、そんなマフィアから、〝血道の主ブラッディロード〟とか〝エゼアルシルトの死神〟って呼ばれて畏怖いふされているって……」


 ニーナがそんな話をしていたちょうどのその時、後部の荷台にほろが取り付けられている大型トラックが、ジープの後方から走ってきて脇を通り過ぎて行った。


 今話題にのぼっていた内容が内容だけに、みなが何気なくトラックの後ろ姿と地面に目を向けると……


「あっ、そうです! ちょうどこんな感じに血が……」

『――えッ!?』


 驚きの声をそろえて前のめりになる一同。


 あわてて点々と血の染みが残る地面からトラックのほうへ目を向けると、視線をさえぎる荷台のほろの上で、こちらに向かって大きく小さな前足を振っている小飛竜ピルムの姿を見付け……


 エルネストは、所長レヴェッカかされてエンジンをかけるなりジープを発進させ、警察署敷地内へ入って行ったトラックを追いかけた。




 トラックの車内は二人乗り。シートは、運転席と助手席に分かれておらずベンチのようにつながっていて、当然、片側、丸いハンドルやシフトレバー、アクセル、ブレーキ、クラッチ――三つのペダルなど操縦装置があるほうが運転席。


 左右両側の窓を開け放っている車内にいるのは、ランスと小白飛竜スピア小地竜パイク。他の二頭は車外に出ていて、小天竜フラメアは屋根の上で標章エンブレムのようにポーズを決めて前を見据えたまま動かず、小飛竜ピルムは後部の荷台を覆う幌の上で街の景色をながめている。


 運転しているのはもちろんランス。となりに置いている革張りの鍵付きアタッシェケースをはさんで、助手席側では、シートの上に乗って後ろ足で立っているパイクが、両前足をドアに掛けて窓から顔を出し、亜熱帯の風に目を細めている。


 そして、スピアはというと、まるでラート――大きな二本の鉄の輪を平行につないだ器具を用いて様々な体操を行なう競技――でもするかのように、オートバイ〔ユナイテッド〕のものとは違う丸いハンドルの内側で両手足を突っ張っている。道を曲がるためにハンドルをきったり戻したりする時、まさにラートのようにクルクル回るのが楽しいらしい。


 しっかり前方まえを見て運転していると、尻尾でハンドルを握る手をペチペチ叩いてくる。それで、致し方なく目を手元に移すと、スピアは、得意げな顔でこちらを見ていて尻尾をゆらゆらさせる。


 このトラックは〔汎用特殊大型自動二輪車ユナイテッド〕と違って自分で走ってはくれない。なので、ランスとしては運転に集中させてほしいところなのだが……


 結局、退屈だからとかまってアピールが始まるよりはましだと考え、苦笑しつつもスピアの好きなようにさせておき…………ランスが運転するトラックは事故を起こす事なく警察署に到着した。


 敷地内に入り、堂々としょの正面出入口前に駐車し、アタッシェケースをたずさえてトラックから降りる。


 続いてスピアとパイクが車内から地面へ飛び降り、ランスがドアを閉めた時には、警察署の出入口を警備していた二人の制服警官の一方が来訪者の存在を伝えるために署内へけ込んで行き――トラックの後ろに、追い付いてきた軍用自動四輪駆動車ジープが停車した。


 そして――


「――ランス先輩ッ!」


 ニーナが、ジープから飛び降りるなり駆け寄ってきて、


「目的、達成しましたッ!! 竜飼師ドラゴンブリーダー認定試験に合格しましたッ!!」


 そう言いつつ両手で広げて目の前に突き出してきたのは、ランスも持っている認定証。


「だから、ランス先輩達の側でもっと学ばせてもらっても良いですよねッ!?」

ことわ――」

「――断られても絶対ついて行きますからッ!!」


 みなまで聞かず、決意の表情でそう宣言するニーナ。


 それに対して、ランスは平然とただ一言。


「そうか」


 それだけで、ニーナは、ぱっ、と笑みを咲かせ、本当に嬉しそうに、はいッ!! と頷いた。


「…………」


 これは想定の範囲内。なので、ランスは、ひとまず、いたかたなしと諦めて放置する事に。


 ニーナは、足手纏あしでまといではあるものの、手はあまり掛からない。


 『本来の竜飼師は非戦闘職なんです』と言って、槍の使い方を教えろとか手合わせを望んでくるような事はなく、あくまで竜飼師の後輩として振舞い、最低限の護身術を含む竜飼師に必要だと思われる技術の修行をせば、真面目に取り組み、泣いたり泣き言をらしたりはするものの、時間をかけてでもしっかりやりげ、見てまなぼうとする姿勢にも好感が持てる。


 それに何より――


「おもしろかった? しけんっ」

「おめでと~」

「おつかれー」

「おいわいするのっ」


 スピアとパイク、それに、屋根や幌から降りてきたフラメアとピルムが、ニーナの肩から地面に降りたキースをかこんで声をかけている。


 滅多めったに尻尾を振らないキースがフリフリしている事からも分かる通り、幼竜達は仲が良い。


 みなが喜ぶなら、それが一番。


 もし、どうしようもないほど邪魔になるようなら、その時に対処すれば良い。




 ニーナとランスの話が済んだころ、ジープから降りたティファニアは、脇目もふらず幼竜達のもとへ。


「君たちはモフモフなのに元気だねぇ~」


 ひざかかえるようにしてしゃがみ込み、にこにこと満面の笑みを浮かべて小さくて可愛い幼竜達に話しかけ、


うちのモフモフクオレは、暑いのが苦手らしくてぶっ倒れちゃったよ」


 そう言って一つため息をつく。


 それが、《トレイター保安官事務所》の一員、白獅子の獣人女性バステトのクオレがこの場にいない理由で、今頃は、上空20キロに存在する天空都市国家グランディアと地上を行き来するために必要不可欠な気密性と空調設備がそろっているシャーロット号、その自室か居住空間キャビンでぐったりしているだろうとの事。


 このレムリディア大陸には、世界最大のバステトの集落が存在する。


 だが、クオレが生まれ育ったのは、エルヴァロン大陸のオートラクシア帝国、その中でも雪が珍しくない寒い地方。


 それ故に、生まれ故郷の環境に適応したクオレには、例え他のバステト達が苦にしなくとも、亜熱帯の気候は耐え難いものなのだろう。


「小さくなれるから、いつでもどこへでもランス君と一緒に行けるしね」


 そう言ったのは、ティファニアのとなりで同じようにしゃがみ込んだフィーリア。


 実は、エレナとシャリア、そして、契約竜パートナー紅翼竜ゼファード紫翼竜アルフリードも来ているのだが、両竜は【弱体化】すちいさくなることができず、地上では翼竜ドラゴン偽翼竜ワイバーンの区別がつかない者が珍しくなく竜達だけだと攻撃を受ける恐れがあるため、現在、契約者共々郊外の人目につかない場所で待機している。


「ランス君は、そんな格好かっこうで暑くないの?」


 いつものロングコート姿であせ一ついていないランスに声をかけたのは、エルネストを後ろに連れて歩いてきたレヴェッカ。


 訊くべき事は他にあるだろうに、思わずといった様子で発した第一声がそれで、


「耐えられないほどではありません」


 対するランスは、平然とそう返しつつ、レヴェッカに向かってアタッシェケースを差し出した。


「新たに確保した証拠品です」


 それは、麻薬カルテルがこの街に送り込んだ下部組織、ランスが今朝壊滅させたその拠点で発見したもので、構成員と汚職警官のつながりを証明する根拠となり、裁判で有罪にするための材料。警察側が裏切れないよう犯罪者側が用意していた、いわゆる万が一の保険であり、ランスにとっては無用の長物ちょうぶつ


 それを受け取ったレヴェッカは、チラッ、と幌が掛かっているトラックの荷台に目を向けてから、


「不気味なうめき声が聞こえてくるんだけど…………この荷台に積まれている奴らが扱っていた商品は?」


 そう問われて、ランスが、所有する〔収納品目録インベントリー〕の一つから取り出したのは、無数のパッケージ。


 それらは、透明な袋と透明なフィルムラップで大量の乾燥した植物の葉を梱包こんぽうしたもので、総重量はおよそ60キログラム


 レヴェッカは、ざっと見て中身は全て同じようだという事を確認すると、山積みにされた大小無数のパッケージの中から片手で持てる小さなものを手に取り、ふところから取り出した折り畳み式ナイフの刃で透明なフィルムとふくろに切り目を入れ、そこから一抓ひとつまみ取り出して葉の種類を確認する。


「――『アルカイク』ね」


 『アルカイク』とは、背の低い木の名前で、覚醒剤、アヘン、ヘロイン、コカイン、マリファナ…………違法薬物は多々あれど、今、最も問題視もんだいしされているのが、この植物を原料とする麻薬ドラッグ。生の葉は『フレッシュ』、乾燥させたものは『ドライ』と呼ばれており、葉にふくまれる鎮痛・催眠成分等を抽出したものは『ハピネス』、木から分泌される樹脂を粉末にしたものは『スマイル』と呼ばれている。


 そうこうしている内に、警察署内から年配の制服警官を先頭に数名が足早に表へ出てきて――


「あとは任せて」


 それを見たレヴェッカが保安官の顔で言い、ランスは頷いた。




 そこは、リムサルエンデ警察署の署長室。


 種族は人間ヒューマンで、年齢は50代なかば。男性で、恰幅かっぷくが良く、日に焼けたはだあぶらぎっていると表現すべきか迷うほどつややかで、両手の指や手首、胸元では、金の指環やブレスレット、ネックレスなどなど成金趣味丸出しな装飾品がきらめいている。


 そんな、リムサルエンデ警察署の署長は、広い仕事机デスクの上に並べたプレゼントの宝飾品アクセサリーながめながら、それらを受け取って喜ぶ愛人達の様子を想像してニマニマしていた――が、それもドアをノックする音が聞こえるまでの事。


「またか……~ッ!」


 入ってきた薬物銃器対策課で主任を務める私服警官――部下の一人であり共犯者の表情を見た時点で嫌な予感を覚え、ランス・ゴッドスピードの名を聞いた瞬間にそれが確信に変わり、署長は盛大に顔をしかめた。


 物的証拠と犯人をそろえて持ってくる。――それ自体は構わない。


 何故なら、その必要があれば、取引している組織から保釈金が支払われる。つまり、臨時収入ボーナスを得る良い機会だからだ。


 事実、薬物銃器対策課の私服警官達が丁寧に指導してやっているというのに、禁止した地区エリアで商売していた売人を、捜査課の私服警官達が逮捕してくる事があるのだが、それを止めろと命令した事はない。


 だが、ランス・ゴッドスピードの場合は話が違う。


 何故なら、やつは保釈金を支払う組織を壊滅させてしまうため、臨時収入は得られず、逮捕、起訴など通常の面倒な手続きに加えて、必要なら口封じなどを命じなければならない。更に、街の勢力図が変わる事でのゴタゴタが予想され、そうなれば普段守ってもらっている恩を忘れた住民からの苦情クレームが殺到し、地元有権者達の署長じぶんに対する印象が悪化すれば、治安が更に乱れた事の責任を問われてこの地位から追われかねないからだ。


「…………、やはり、何か手を打たねばならんか……」


 ランス・ゴッドスピードは、スパルトイであって、警察官でなければ保安官でもない。つまり、犯罪を取り締まる立場にない。


 それをわきまえているからなのか、目的はあくまで依頼の達成――麻薬そのものとその密造・密売に関わる者の排除であって、他の事件に首を突っ込んだり、署長じぶん以下警察官の汚職を告発したりしようなどというつもりはないらしい。


 ならば、みずから火に飛び込むような真似はすまいと今日まで放置してきたが……


「……だが、どうする?」


 最初にギャングがつぶされた後、協定を結んでいた当時この街で三本の指に入る勢力をほこっていたマフィアの一つが、報復と警告をねて、奴と関係のある孤児院の院長を殺害するという事件があった。


 その結果、その一家ファミリーは一夜にして壊滅。実行犯と、院長を殺せと命じた幹部、首領ドン、その他、武器を持って抵抗した構成員多数が死亡。邸宅と麻薬の密造に使用されていた建物は凶悪なドラゴンによって焼き払われた。


 今なお、目隠しのフェンスで囲われている焦土と化したその場所に近寄る者はなく、責めを負うべきは命令を下した者であり、命令に従ったものが罪に問われる事はない――そう言って見逃された者達もいたが、当時の惨劇を目の当たりにしてこの街に残っている者は一人もない。


 そして、この街のマフィアは、ランス・ゴッドスピードと麻薬から完全に手を引き、以降、不干渉の姿勢をつらぬいている。


 使えるとすれば、その事を知って、この街の麻薬市場を独占できると欲をかき、後から後からいて出るおろか者共と、そいつらがやとっている用心棒くらいだが……


「――失礼」


 署長が、頭を抱えてこれ以上ないほど真剣な表情で思案していると、コンコンッ、と署長室のドアをノックする音がひびき――返事を待たずに若い女が入ってきた。


「署員ではないな。誰だ貴様は?」


 誰何すいかする主任と、そのかげで愛人達へのプレゼントを急いで隠している署長に向かって、女は、手にした二つ折りのパスケースを開き、上半分のバストアップ写真付きの身分証と下半分の中央にある金色に煌く五芒星をこちらに見せながら名乗った。


「私は《トレイター保安官事務所》の所長、『レヴェッカ・リンスレット』です」


 総合管理局ピースメーカーは、国際犯罪および国際犯罪者に関する情報を収集・管理し、それを各国の騎士団や警察組織と共有化する役目をになっており、保安官は、世界中で捜査活動を行なう権限を有している。


 署長と主任は、部下からランス・ゴッドスピードが来たとしか聞いていなかったため、空から下りてきた厄介者シェリフの登場に動揺を隠せず、


「《トレイター保安官事務所》……~ッ!?」


 その名を聞いた主任の脳裏のうりよぎったのは、いくつもの噂。


 この世界から犯罪者を根絶やしにすると公言している、とか、いち保安官事務所とは思えぬほどの武力で壊滅させた犯罪組織は数知れない、とか、凶悪な犯罪者以上に職をけがす警察官や保安官を蛇蝎だかつごとみ嫌い、権限を有してはいても、その国の警察組織に合同捜査を依頼し、犯罪者の身柄を拘束するのはその国家の警察である事が望ましいとされているにもかかわらず、検挙するにる証拠が揃い次第しだいそれが何者であっても逮捕し、抵抗するようであれば情け容赦のなくせる事から、《トレイター事務所》と呼ばれている…………などなど。


 それに対して、


「トレイター……保安官……? ――――~ッ!」


 はっ、と息を呑んだ署長が思い出したのは――


「『トレイター』の名に聞き覚えが?」


 その反応を見逃さなかったレヴェッカが問うと、署長は、知らん、と目をらしてしらを切った――が、


「懲戒免職と無期懲役は確実」そう言いながらランスから受け取ったアタッシェケースデスクに置き「死刑にならなければ、凶悪な囚人達と死ぬまで仲良く刑務所おりの中で過ごす事になる。老後を少しでも快適なものにしたいとは思いませんか?」


 署長は、額に嫌な汗をにじませながら、ぅぐっ、とうめき……


「……噂を、聞いた事があるだけだ」

「それはどのような?」

「……総合管理局ピースメーカーが裏で麻薬関連企業連合カルテルとつながっている、などという根も葉もない噂を真に受けてさぐっている保安官シェリフがいる、と。その保安官の名前が、確か、トレイター……ッ!?」


 それを聞いたレヴェッカは、激しい感情を押し隠す仮面のような無表情で、


「ご存知ですか? ――その噂ががわで流れていたものだという事を」

「…………~ッ!?」


 レヴェッカは、ずいっ、と身を乗り出し、


「貴方は、その噂を誰から――」

「――知らんッ! ……もう忘れた。何年前の事だったかもおぼえていない」


 皆まで聞かず顔をそむける署長。それに対して、レヴェッカは、


「そうですか」


 それだけ言うと、一呼吸の間を置いて、それまでの会話はなかったかのような態度で淡々たんたんと、極めて事務的に掛けられている容疑をべた上で、保安官の権限をって逮捕するむねを告げ――


しかるべきむくいを受けるが良い、――この全警察官の面汚しがッ!!」


 最後に、最大限の侮蔑ぶべつと憎悪を込めて吐き捨てた。

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