第91話 変わったもの 変わらないもの

 天空都市国家グランディアを構成する浮遊島の一つ、ロコモスの中央に存在する歴史的建造物いせきであり、観光名所でもある『魔王城・城館跡』。その地下に存在する広大な空間――現在では唯一本来の名称である『天空城』と呼べる場所の主であるランスの私室のインテリアに、複数の記念コインを並べて飾る事ができるケースとそこに納められた1枚のコイン、名状しがたい形状のオブジェの小型模型ミニチュア、綺麗に片付けられた水彩画セットとまぁまぁの出来らしい抽象画よくわからないえ、それに、食べ終わってからっぽになった絵画でいろどられた四角いクッキーのかんが加わってから一夜明けて。


 時は、早朝。学園島とも呼ばれる浮遊島マグノリアの寄宿舎に入っている生徒なら、ギリギリまで寝ていたいとまだベッドにいる者がいてもおかしくない時間。自宅から運転手付きの自動四輪車オートモービルかよっているリノンにとってはいつも家を出る時刻。


 場所は、グランディアを形作る浮遊島の一つ、高級住宅街が広がる浮遊島オルヒデアにあるミューエンバーグ邸の玄関前。


 リノンが、いつも通り使用人が開けてくれたとびらから表へ出ると、そこには見慣れた自動四輪車が止まっていて――


「――え? ランスさんッ!?」


 その後ろには、〔汎用特殊大型自動二輪車ユナイテッド〕と、そのわきたたずんでいるランスの姿があり、


「スピアちゃんっ! パイクくんっ!」


 もちろん一緒に白小飛竜スピア小地竜パイクの姿があって、


「――えっ? えっ! えぇッ!?」


 更に、初対面の小天竜フラメア小飛竜ピルムの姿が。


 リノンは、幼竜達に向かってまっしぐらに駆け寄り、スピア、パイク、フラメアは一目散いちもくさんに逃げだしたが、みゃ? みゃ? と戸惑って逃げ遅れたピルムだけがつかまった。


 かわいいかわいいと抱っこしてナデナデして頬ずりして……ピルムは嫌がっていないが、その様子を〔ユナイテッド〕の陰からうかがっている他の3頭は、あれが自分だったらと想像しておののいている。


「ランスさんっ、この子と、そっちの緑の子はどうしたんですかっ!?」

「フラメアは、グランディア生まれで、ピルムは、レムリディアの大樹海で拾ったんだ」


 ランスが、2頭を新しく加わった家族だと紹介すると、リノンは、めちゃくちゃうらやましがった。


「あっ、そうだっ! この間お客様にいただいた、ものすごくおいしいお菓子がまだあるんだけど……」

『おかし?』


 抱っこされているピルムだけではなく、スピア、パイク、フラメアもその言葉に反応し、隠れていた〔ユナイテッド〕の陰からノコノコと出てきて……


「食べたい?」

『たべるっ!』


 もうもらえるものだと思ってリノンの前で横一列に並ぶ3頭――だが、


「お菓子を食べられるのは勝者だけです」


 リノンはそう言い放ち、抱っこしていたピルムを地面に降ろすと、


「勝負の方法は…………分かってるよね?」


 お菓子があるのは家の中。家の中に入るには玄関を通らねばならず、しかし、リノンが扉の前で立ちはだかっている。


 そんな少女に対して、キランッ、とひとみに理解の光をともした幼竜達は、しかたないから付き合ってやるか、とでも言わんばかりの表情を浮かべつつ、スクッと後ろ足で立ち上がった。


 そして、リノンはたたかう意思の有無を問う。


・ドラゴンジャンケン?」

『はいぱーっ!?』


 目を見開いて驚きの声をそろえる幼竜達。


 何だそれはと動揺し、はいぱー? はいぱー? と顔を見合わせてたずね合うスピア、パイク、フラメア、ピルム。だが、みな首を横に振るばかり。揃ってごしゅじんのほうを見ても、首を横に振っているし、〔ユナイテッド〕のほうを見ても、存じ上げません、との事。


 ならばと幼竜達が揃ってリノンのほうを見ると、唯一ハイパー・ドラゴンジャンケンなるものの事を知る少女は、


「ハイパー・ドラゴンジャンケンは、先に3回勝ったひとの勝ち。勝つのがむずかしいぶん、ふつうのドラゴンジャンケンで勝ったときよりも大きな喜びをえることができる。――それがハイパー・ドラゴンジャンケンなのですっ!」


 そう得意げに説明し、


『…………』


 それを聞いた幼竜達の瞳から、しおが引くように、興味の光が消えせた。


 それに気付かず、リノンは再度う。


「ハイパー・ドラゴンジャンケン?」

『やー』

「えっ? ど、どうしてっ!?」


 どうやら断られるとは思ってもみなかったらしいリノンが動揺もあらわに尋ねると、


「じゃねんをかんじるー」


 フラメアが答えて、スピア、パイク、ピルムが揃ってコクコク頷いた。


「じゃねん……って邪念? 邪念ってどういうことッ!?」


 リノンが訊いても、幼竜達は、じゃねんっ、じゃねん~、じゃねんー、かんじるのっ、と言ったりコクコク頷くばかり。


 それではどうしても納得できない。そこで、ランスにたずねると、


「勝負に余計なものを持ち込んでいる、別の思惑があると思う、と」


 そう通訳されて、うっ、とあからさまに動揺するリノン。


 ランスは思った。おそらく、ぬいぐるみのような幼竜達モフモフがぴょこぴょこ動く様子を、できるだけ多く、長く、見ていたいと思って考えたんだろうな、と。


 幼竜達にとって、ドラゴンジャンケンは、勝敗によって何かを決めるための手段であって遊びではない。ゆえに、ただドラゴンジャンケンをしようとさそってもことわられてしまうし、もう一回と言うと嫌がられてしまう。そこで、お菓子を得るためという理由を用意し、ハイパー・ドラゴンジャンケンを考案したのだろう。


「邪念じゃないよ! 純粋にスピアちゃんたちとハイパー・ドラゴンジャンケンしたいだけなんだからっ!」


 だからハイパー・ドラゴンジャンケンしよう、いっしょうけんめい考えたんだよ、とお願いするも、やー、とつれなく断られ、


「どらごんじゃんけん?」


 スピア達から、ドラゴンジャンケンなら受けてあげてもいいよ、との申し出に、まだハイパー・ドラゴンジャンケンに未練があるらしいリノンが、うぅ~っ、となやんでいると、


「お嬢様」


 今までもくしてひかえていた自動四輪車の運転手が声をかけた。


 何でも、もうそろそろ出発しないと遅刻してしまうらしい。


「だめっ ちこくっ」

「じかんまもる~」

「またこんどー」

「がまんするのっ おかし」


 幼竜達の言葉がリノンの未練を断ち切り、少女はがっくりと肩を落として、はい、と頷いた。


 夜にはまた別の予定があるものの、それまでは未定。なので、学校から帰ってきたら一緒に遊んだりいろいろな話を聞かせてほしい、というリノンのうったえに、ランスが承知したむねを伝えると、少女は後ろ髪を引かれつつも車に乗り込む――直前、


「――あっ、そうだ!」


 何か思い出したらしい。


「今、うちに、ランスさんのことをずっと探してた、っていうお客様がおとまりになっているんです」


 何でも、もう2ヶ月近くも逗留とうりゅうしているらしい。


 それを告げると急いで乗り込み、走り出した車の中から窓越しにずっと手を振り続けるリノン。


 幼竜達はそれに手を振り返し、ランスも、手を振りこそしないものの、車に乗って学校へ向かう少女を見送り…………見えなくなったところで振り返った。


 すると、そこには、玄関から出た所で佇む二人の女性の姿が。


 使用人が気をかせて、自分達の来訪をしらせたのだろう。


 待ちきれずにここまで足を運んだと思しき彼女達こそ、ご隠居とリノンがランスに伝えたミューエンバーグ邸に滞在している客人であり、グランディア政府がその動向を監視している人物達。


 その二人は――


「お久しぶり。イルシオンの皇宮以来ですね」


 エゼアルシルトで軍事クーデターが起きた日、王命によりランスが命懸けで隣国に亡命させた元王女と元近衛騎士――ラセリアとセシリアだった。




 イルシオン皇国の要人としてグランディアに入国したと話に聞いている二人は、どちらも飾り気はないが生地も仕立ても上等で上品な衣服を身に着けており、ラセリアはスカートにタイツを合わせ、美術品としての刀剣を収納する専用のケースをたずさえているセシリアはパンツスタイル。


 ランスは、そのよそおいに見覚えがあった。


 おそらく、似たものではない。エゼアルシルトの王都郊外にあるフィードゥキア商会の支店で用意してもらった衣服、あれを意図して身に着けているのだろう。


「貴方が何も言わずに姿を消してから、こちらにもいろいろありましたが……風の噂で、貴方が、グランディアにのぼ竜騎士ドラゴンナイトになった、と聞いた時には驚きました」


 そういうラセリアは、以前より少しせたようで、記憶の中の彼女よりはかなく見える。


竜騎士ドラゴンナイトではありません。竜飼師ドラゴンブリーダーです」


 ランスがそう指摘すると、ラセリアは、戸惑いをにじませつつ、訂正して謝罪の言葉をべた。


 そんな元王女の後ろにひかえていた元近衛騎士がとなりに進み出て、


「話は屋内なかで。――構わないな?」


 家の中に入るよう主をうながしてから、ランスに向かって言うセシリア。


 それは、確認するようでいて確認ではない。暗に、ついて来い、という命令。


 それに対して、


「いいえ。ここでませて下さい」


 用件を察しているランスは、淡々たんたんとそう返した。


 元より長居するつもりはなく、今も姿を隠して様子をうかがっている者共にこちらの考えを聞かせるにも、おもてのほうが好都合。


 そんな思惑を【精神感応】で伝えられているが故に、ピルムこそまだごしゅじんの右脚のかげに隠れて、ひしっ、としがみ付いているものの、するするするっとごしゅじんの肩までよじ登ったフラメアはロングコートのフードの中に潜り込み、スピアとパイクに至ってはもう〔ユナイテッド〕に乗って待っている。


「――無礼者ッ!! 貴様ッ! 王家に対する忠誠を忘れたかッ!?」


 以前より表情がけわしくなっているように見受けられたが、激昂げっこうして怒鳴り散らすセシリアには、苛立いらだちや不満、焦燥しょうそうなどがけて見える。


 それに対して、


「自分が忠誠を誓ったのは、アルクストⅩⅢ世陛下であって、王家に対してではありません」


 ランスは平然とそう返した。


 通常、エゼアルシルト軍に限らず、戦争を経験した事がある国では、『〝人〟ではなく〝国〟につかえろ』と――真に守るべきは国王ではなく国民であり国土である、と兵に教育する。


 戦争になり、そして、王が討たれたからと言って、必ずかたきを討て、最後の一兵まで戦え、などと降服せず怒りと憎しみをいだいて戦い続けたりすれば、その後に待っているのは、新たな支配者達が新たに手に入れた土地を安心して統治するために行なう粛清しゅくせいという名の大量虐殺や執拗しつような弾圧であり、残るのは、度重たびかさなる戦闘に巻き込まれて命を落とした国民の亡骸と血に染まり荒廃した国土。


 それで良いはずがない。


 ゆえに、万が一にも敗北したなら、生き残った者は遺恨を水に流し、新たな支配者に仕え、国民と国土を守れ、と教育される。


 ランスも、軍幼年学校ではそう教えられた。


 しかし、師匠から言われていたのは、その逆。〝国ではなく人に仕えろ〟、〝忠臣は二君に仕えず〟、〝王ではなくアルクスト個人の槍になれ〟……など。


 だからこそ、あの時、既に趨勢すうせいが決していたにもかかわらずアルクストⅩⅢ世の命令をはいし、現在、判断にきゅうするといまだに命令が欲しいと思う事があっても、誰にも仕えていないのだ。


 しかし、そうとは知るよしもないセシリアは、ただの無礼と受け取ったらしく柳眉りゅうびを更にり上げ――


さ――」

「――セシリア」


 主が、側近の言葉を制止した。


「貴方に心からの感謝を。その揺るぎのない忠誠心がなければ、今、私達はこうして生きてはいなかったでしょう」


 ラセリアは、セシリアを後ろへ下がらせると、みずからは一歩前へ進み出て、亡き父王の忠臣と対峙し――


「――帝国オートラクシア皇国イルシオンに侵攻しました」


 ご存知ですね? と問う。


 それに対して、ランスは頷いた。


 レムリディア大陸の大樹海で行なった約五ヶ月の修行中、訳あってまちおもむくたびに、エルヴァロン大陸で戦争が始まった、というそれ関連のうわさを耳にした。


 何でも、今まで見た事もないような新兵器を続々と投入し、次々にイルシオンの要衝を陥落させ、現在では、既に皇国の領土のおよそ半分を手中に収めているとか。


「では、今ちまたまことしやかにささやかれているこんな噂をご存知ですか? ――オートラクシアにエゼアルシルトへ侵攻しようとする気配がないのは、ランス・ゴッドスピードの参戦を恐れているからだ、と」

「…………」


 元は王国の少年兵であり、両国の間にある緩衝地帯にはレムリディア大陸へ移る前に活動の拠点としていたメルカ市があって、その周辺では度々たびたび飛行する白い翼竜ドラゴンが目撃されている。


 戦略上の理由や国家間での交渉の結果だと思われるが、碧天祭に関わった者が上に進言した可能性を考慮すると、根も葉もない噂とは言い切れない。


「エゼアルシルトは、助けを求めたイルシオンを見捨て、援軍要請を断りました。お父様が御存命であれば、そのような無慈悲な真似をお許しにはならなかったでしょう」

「…………」


 確かに、なによりも戦争を嫌い、戦術と戦略にうとい陛下は、情に流されて十分な支援物資と共に援軍を送っただろう。そして、その結果、大勢の兵士達――エゼアルシルト国民が異国の地で命を散らし、敵に組みしたが故にとオートラクシアに侵略する口実を与える事になる。


 だからこそ、オートラクシアとイルシオンの開戦を予期した者達が、クーデターを起こしたのだ。


「今現在、イルシオンからの申し立てによって、グランディア政府の要請で聖竜騎士団から派遣された調停のための使節団が地上に降りているため、戦闘は停止していますが……まず間違いなく失敗に終わるでしょう」

「…………」


 確かに、そうなるだろう。


 何故なら、オートラクシアには負ける理由がない。


 今、戦争をしているのは、かつて、法呪の力で支配していた者達の国と、法呪が使えないというだけの理由で、見下され、しいたげられ、支配されていた者達がのがれててた国――変わろうとしなかった国と、変わろうと努力し続けて十分に力をたくわえた国。


 現在までにげた戦果で敗北はないと確信するに至り、遺恨を晴らすため、イルシオンを完全に滅ぼすつもりで戦争を始めたオートラクシアに、途中で止める理由はない。


「今こそ手を取り合ってオートラクシアの無法を正さねばならないというのに、エゼアルシルトは、イルシオンからの呼びかけに対して無視を続けています。このままではイルシオンは滅ぼされてしまう。そうなれば、次にねらわれるのはエゼアルシルト。皇国を呑み込んで強大になった帝国に勝てるはずがないというのに……」

「…………」


 〝怪物身中の虫〟という言葉がある。それは、内部にいて恩恵を受けながら害を成すものの例えなのだが、おそらく、エゼアルシルトは、想定以上に上手く行き過ぎて急速に大きくなり過ぎた帝国の内部に、かつての自分のような〝特別な兵士〟を既に送り込んでいる。そして、新兵器の情報を収集しつつ内情を探り、時には事故に偽装して頭が回る者を始末する事で統制を乱し、更に、そこにある物、そこにいる人を利用して内部分裂を誘発させる。そうして内部の対処に追われ、外部に手が回らなくなったところで軍を動かし、領土をかすめ取るつもりだ。


 今頃、軍部は無理のない範囲での国土の拡大を画策し、貴族達はエルヴァロン大陸の統一などと大言壮語を吐いている事だろう。


「だから、私は決めたのですっ!」


 そう言って、ラセリアは、自分の胸に当てた右の拳を包む左手にギュッと力を込め、


「イルシオンで有志をつのり、『正統王国軍』を組織して王都まで攻め上り、正統な王位継承者として簒奪者さんだつしゃから玉座を奪い返すとっ!」

「…………」


 紅潮した感動の面持ちでうっすらと目に涙すら浮かべているセシリアに対して、ランスは、無言、無表情で無反応。


 それから、主従は口々に、民もそれを望んでいる……、とか、陛下の無念を晴らすために仇討ちを……、とか、帝国に対抗するにはこれしか方法が……、とか、女王に即位したあかつきには……、とか、いろいろ言っていたが――


「…………」


 ランスの心には、何も響かなかった。


 それは、彼女達の口から出た言葉が、彼女たち自身の言葉ではないから。


 おそらく、他人に言い聞かされた言葉を鵜呑うのみにしたのだろう。


「……ですから、エルヴァロン大陸で生きる全ての人々の安寧のため、いては父が愛したエゼアルシルトをよみがえらすために、――貴方の力を貸して下さいッ!」


 決然とした面持ちでそう言って、ラセリアは、父王の忠臣だと信じる元少年兵に向かって手を差し出し――


「お断りします」


 ランスは即答した。どうやら彼女達は知らないようだが、これに関しては、竜飼師として、まよう余地がない。


 それに対して、セシリアは、怒りを遥かに通り越して唖然呆然とし、


「……それは何故か、理由を聞かせていただけますか?」


 王家に忠誠を誓っていた訳ではないという発言と、これまでの無言・無反応から、ある程度この返事を覚悟していたのだろう。側近よりはショックが少ない様子のラセリアが、差し出した手を戻しつつ悲しげな表情で問うと、


「大協約で禁じられているからです。竜族ドラゴンを人同士の戦争で戦力として利用する事はできません」


 例外は、聖母竜とその眷属達の巣があるこのグランディアに他国が侵略戦争を仕掛けてきた場合など。


 それを聞いたラセリアは愕然とし、


「……で、では、皇国の竜騎士達は……?」

「自分が知る限り、彼らが使役するのは偽翼竜ワイバーンであって、竜族ドラゴンではありません」


 それを聞いて絶句した。


「また、竜騎士ドラゴンナイト竜飼師ドラゴンブリーダーに戦争への参加を要請する事も大協約に違反する行為です。場合によっては、注意勧告では済まず、罪に問われる事もあります。留意りゅういして下さい」


 茫然自失といったていのラセリアの口から、では…私達は何のために…このような遥か空の上にまで……、とそんなつぶやきが漏れたが、それは自分に対する質問ではないと判断したランスは、用件は以上ですか? と問い、無言を肯定と受け取ってきびすを返した。


 そして、〔ユナイテッド〕のハンドルをつかみ、シートにまたがるため片足を上げようとしたその時、


「――私はッ!!」とラセリアが声を上げ「……私は、女王になりますっ! あの時、私達を逃がして生き長らえさせたお父様の遺志をいでっ! 例え貴方の助けを得られずとも、こころざしを同じくする人々と共に力を合わせてっ!」

「…………」


 そうですか、と普段の自分なら頷いていただろう。だが……


 ランスは、掴んでいた〔ユナイテッド〕のハンドルを放し、躰ごと主君の御息女のほうへ振り向くと――


「あの時、陛下が自分に何とお命じになられたか、おぼえていらっしゃいますか?」


 え? と目を見張るラセリアに対して、ランスは淡々たんたんと、自分は今でもはっきりと覚えています、そう伝えてから、


「あの時、陛下は自分にこうお命じになりました。『我が娘ラセリアを守り、イルシオン皇国にとついだ我が妹、フレデリカ皇后のもとへ無事送り届けよ』と。――『我が娘』を、とそうおおせになったのです。我が後継者、でも、未来の女王、でもなく、ただ、を、と」


 おそらくは、自分達を受け入れてくれた皇国に恩を返すために、と一度決心してしてしまっている以上、貴女達は王侯貴族達にだまされ、そそのかされ、いいように利用されている、と言っても聞き入れられる心理状態ではないだろう。


 ならば、とランスは動揺するラセリアの目を真っ直ぐに見詰めて、


「世の平安を望み、民の平穏を願い、誰よりも平和を愛された陛下が、最期さいごに父として娘を逃がした陛下が、将兵や民草こくみんに犠牲をい国土を荒廃させる戦争を始める事を、貴女がいくさのぞむ事を、望んでいる、――本当にそう思われるのですか?」

「――~ッ!?  ……そ、それは……~っ」

「御息女であらせられる貴女こそ、誰よりもご理解なさっているはずです。陛下の御心――」

「――だまれ黙れ黙れェッ!!」


 怒りの形相で声を荒げたセシリアは、カッカッカッ、と足音高く真っ直ぐ足早に距離を詰め、


いち兵卒の分際で陛下の御心を語るなッ!!」


 大きく振り上げた右手を力任せに勢いよく振り下ろし――


 ――パァアァンッ!


 高らかに響き渡ったのは、平手でランスの頬を張り飛ばした音――ではなく、フードの中から素早く飛び出したフラメアが、直撃する寸前のところでセシリアの手を尻尾で打ち払った音。


「シャアァ――ッ!!」


 可愛い見た目とは裏腹に鋭い牙を備えるオコジョのような姿の小天竜フラメア威嚇いかくされ、セシリアは、くっ、とうめきつつ、尻尾で打たれて痛む右手を左手で押さえながら数歩後退あとずさり、


「良いんだ」


 らしくもなく僭越せんえつが過ぎたと反省しつつ、ランスは、フラメアの頭や背中をでてなだめながら言い聞かせた。


 動揺を隠せず、言葉もないラセリア。セシリアが激昂したのも、結局のところ、決心を揺らがせる意見に対して、返す言葉がなかったからだろう。


 もう、聞く事はなく、話す事もない。そう判断したランスは〔ユナイテッド〕に乗り、取り付けてある後ろのサドルバッグの上に移動したパイクの替わりに抱き上げたピルムを自分の後ろシートに乗せ、ヘルメット代わりという訳でもないが、ひたいに装着している〔万里眼鏡マルチスコープ〕のプレートを鉄兜の目庇まびさしのように、カシャンッ、と下ろした。


「――ランスっ!」


 〔ユナイテッド〕を発進させる直前、ラセリアの呼び声がランスを引き留め、


竜飼師ドラゴンブリーダーとしての貴方がダメだとしても、槍兵ランサーとしての貴方なら、私に力を貸してくれますか? 絶望で閉ざされていたあの部屋で活路を切り開き、私達をイルシオンの皇宮まで送り届けてくれたあの時のように……」

「…………」


 それは無理な話だ。


 何故なら、自分が行けば、幼竜達もついてくる。


 自分は、槍使いの竜飼師。もうただの槍使いには戻れない。戻ろうとも思わない。


「私は、信じて待ちます。貴方が来てくれるのを」


 ラセリアは、両手を胸の前で組み合わせて祈るように、あるいは、自分に言い聞かせるように言い、


「…………」


 自分は、未だに目的がなければ動けない。そして、行動するための依頼もくてきも、自分では選べず幼竜達みんなに選んでもらっている。そんなおのれに言えた義理ではないという事、また、それを判断する立場にない事は重々承知している。だが……


「貴女の計画は、高い確率で失敗する事が予想されます。多くの血が流れる事をいとうのであれば、グランディアに亡命し、このままイルシオンへは戻らない事を推奨します」


 ランスは、やはりらしくない、と思いつつそれだけ告げると、振り返る事なく〔ユナイテッド〕を発進させた。




 ――その後。


 ランス達は、遥かなる天空を絶えず移動し続ける天空都市国家グランディアの位置が、ちょうど話題になったエルヴァロン大陸の上空だったため、常人には耐えられない超高高度からのスカイダイビングを楽しんで、そのままメルカ市へ。


 現在も独立自治が保たれている交易の要衝であるこの城郭都市には、ランス、スピア、パイクの知人が多い。


 ランスは、愛想こそないものの、確かな仕事と誠実な人柄で好感を持たれ、人見知りするものの、一度打ち解けると無自覚に愛想を振り撒くスピアとパイクは人気にんきがある。


 雑用系の依頼で知り合った人々や、大通り商店街の面々、随獣パートナーと共に宿泊する事ができる調教師テイマー御用達の宿屋《鴛鴦亭》をいとなむ主とその家族や、常連の顔見知り達。


 スピアとパイクが、そんな優しくしてくれた人達や仲良くなった随獣達に挨拶あいさつして回ったせいで、久しぶりだと歓迎されてちょっとした騒ぎになってしまったが……


 ――何はともあれ。


 ランス達は、共にドラゴンジャンケンを開発した子供達がいる孤児院へ。


 依頼で屋根を修理したのが縁で、スピアとパイクが子供達と仲良くなった事もあって、運営資金や食料を援助するようになり、その関係は今も続いている。


 今日もまた、ランスが建物を修理したり院長達の話を聞いたりしていた一方で、幼竜達は、開催されたリーグ戦方式のドラゴンジャンケン選手権大会チャンピオンシップに参加し、子供達と熾烈なたたかいを繰り広げた。


 そんな風に正午をぎるまでごしたランス達は、別れを惜しまれつつメルカ市を後にし、本来の大きさ――今回の修行でまた成長して40メートルに迫る翼竜に形態変化したスピアの背に乗り、ここに我在りと知らしめようとするかのように悠然と空へ舞い上がってグランディアへ。


 大人しく待っじっとしていられない幼竜がいるので、空中散歩と〔ユナイテッド〕に乗ってのツーリングで時間を調節し、午後の授業が終わる頃を見計らってリノンを迎えに学園島にある国立マグノリア学園に行くと、期せずして、随獣――今では意図して『使い魔』という言葉は使わない――と認められた子猫ミーヤを連れたソフィアと再会し、リノンとクラスメイトだという事が発覚した。おそらく、これもまたご隠居の配慮によるものだろう。


 日が暮れるまで子猫や少女達と少々騒がしくも平和なひと時を過ごした後、夜になると、ランス達は、以前、自分達専用のグラスを購入した《ウィルコックス酒店》の下、半地下の酒場《エノテラ・ストリクタ》へ。


 それは、酒類について丁寧に教えてくれた女性――昼は父親が任されている上の酒店で、夜は下の酒場でオーナーの祖父を手伝いながらソムリエを目指して勉強しているリニスとの約束があったからでもあるが、最高に美味うまい一杯のため、依頼を受けて仕事を始めたら終わるまで飲まない、と決めているパイクに付き合って、しばしの飲み納めをするため。


 店は、グランディアではまだ成人の年齢に達していないランスと小さな幼竜ドラゴン達という奇妙な客をこころよく受け入れ、普段は担い手ランスと融合している本体に意識を戻している神器〔宿りしものミスティルテイン〕の人化した分身体――ミスティも、遅れてやってきたパーティの一員というていくわわって、楽しくも穏やかな時間を過ごした。


 そして、翌日。


 ランス、パイク、フラメア、ピルムは、体長10メートル程の翼竜に形態変化したスピアの背に乗って、シャーロット号で先行している《トレイター保安官事務所》と合流するため、レムリディア大陸の新興国――マルバハル共和国を目指してグランディアから飛び立った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る