第87話 ばいばい じゃないの

 《トレイター保安官事務所》が所有する飛行船――という事になっている、長い楕円形の気嚢きのうの下に船がられたレトロな飛行船を彷彿ほうふつとさせる潜空艇、シャーロット号の広々とした居住区画キャビン


 現在、そのフロア全体のおよそ3分の2、強いこだわりが感じられる木の風合いが生かされたレトロな酒場バーのような空間のほうで、ティファニア、フィーリア、エレナとシャリアがニーナから話を聞き、残りの3分の1、長方形のテーブルとソファーのセットが置かれた応接室のような空間のほうで、クオレ、ソフィア、猫耳尻尾少女ミーヤ小白飛竜スピア小地竜パイク小天竜フラメア小飛竜ピルム小鳳凰竜キースが、メイド服姿のシャルロッテに給仕してもらってティータイムを楽しんでいる。


 そして、そうこうしている間も、ランスとレヴェッカは、フロアのすみのほうで麻薬の密売ルートと警察の汚職に関する話をし、エルネストは所長のとなりで二人の話に黙って耳をかたむけ……


「――シャルロッテロッテ船長ゼロスに準備するように伝えておいて。行き先は、レムリディア大陸のマルバハル共和国」


 話が終わると、レヴェッカは早速振り向いてそう指示を出した。


 それに対して、はーい、と答えるシャルロッテ。しかし、それきりで特に何もせず給仕に戻ってしまう。


 それは、レヴェッカの発言が、この船体ふねの意識である上の姉シャーロットに聞かせるためのものだったのだという事を、直接伝えないのは、部外者で上の姉の存在を知らないソフィアやミーヤ、正式な所員ではない実習生のエルネストがいるからだという事を、承知しているから。


「マルバハル共和国か……」


 エルネストが、いまだ見ぬ地に思いをせ、


「マルバハルに……っていうより、レムリディアに降りるのは初めてか」


 ティファニアがとなりの幼馴染みにして親友でもある同僚に話しかけると、男性恐怖症の気があるフィーリアは、エルネストのほうを見ないようにしつつ、うん、と頷いた。


 そして、それを聞いていたレヴェッカは、うんうん、と頷き、


「そうですッ! マルバハル共和国は私達にとって不慣ふなれな土地ッ! そして、担当する事になったのは、ランス君達がせず関わってしまって捨て置けない案件ッ! ――という事で、今回はッ! なんとッ! ランス君達との合同捜査よッ!!」


 満面の笑みを浮かべてそう宣言するレヴェッカ。その様子を見て、ティファニアとフィーリアは、どうせ〝槍使いの竜飼師で保安官助手〟の誕生に一歩近付いた、とでも考えてるんだろうな、と察しつつ……ふと何かが引っかかった。


 それは、特に付き合いが長い二人だからこそおぼえたかすかな違和感で、何と言うか、陽気に振舞う事で正反対の感情を隠そうとしているかのような……


 その一方で――


「ニーナ」


 カウンターテーブルの前に並んでいるスツール、その一つに座っている後輩ニーナは、名前を呼ばれて躰ごと振り返り、先輩ランスが、バーカウンターの奥、酒瓶が並んでいるスペースよりまだ空きスペースのほうが広いたなのほうへ顔を向けているのを見て、


「あっ、お土産みやげっ! 忘れてましたっ!」


 そう言うなり、霊的な経路パスを構築してある〔収納品目録インベントリー〕を思念イメージで操作しつつ、肩から斜めに掛けている大きめのショルダーバッグを腰の後ろから回してひざの上に乗せ、その中から取り出すていで、次々と酒瓶をカウンターに並べていく。それらは、透明や琥珀色など中身もそのびん自体の色もそれぞれ異なっていて、


「こっちは先輩達が味で選んだので、こっちは私が瓶で選んだやつです。見栄みばえがいいのを選んでくれ、って、飲み終わってからも棚に並べて飾っておけるようにって事だったんですねぇ」

「わぁ~っ! ありがとうございますッ! マスター、きっと喜びますよっ!」


 応接室のようなほうからパタパタ小走りにやってきたシャルロッテが満面の笑みで二人にお礼を述べ、ニーナが、どういたしまして、と笑みを返したのに対して、ランスは、小さく会釈えしゃくしたのみ。


 話は少し飛ぶが、この後の予定は、まず、竜宮で用事を済ませ、次に、三賢人が隠れ住む木の上の家ツリーハウスたずねる事になっている。そして、ランスは当初、約束していた地酒――以前パイクはおきなが楽しみにしていたお酒を飲み干してしまった事があり、そのおびとして約束した――のみを購入するつもりだった。しかし、ニーナが保安官事務所への手土産だと勘違いしたので、そちらの分も購入する事に。


 そんな経緯で持ち込んだ代物なので、喜んでもらえたなら何より、だが、お礼を言われるような事ではない、と思っている。それが、普段なら、どういたしまして、と返すぐらいはするランスの反応がいつもに増して素っ気ない理由だった。


 ――何はともあれ。


 《トレイター保安官事務所》での用事はんだ。


 それで、おいとましようとランスが長方形のテーブルのほうへ幼竜達を迎えに行くと、


「ごしゅじんっ おいしーよっ」

「ふる~つたるとっ」

「ごしゅじんのぶんー」

「みるくてぃーもあるのっ」


 自分の分はみなで食べて良いと伝えておいたのだが、取っておいてくれたらしい。


 テーブルの上で、スピアが、まねき猫のように前足で、こっちこっちっ、と招き、パイクが、両前足でフルーツタルトを乗せた小皿を押してすすめ、フラメアがフォークを差し出して、ピルムがティーカップの脇で万歳バンザイするように両前足を大きく振っている。


 ランスは、座らずこのまま行くつもりだったのだが、幼竜達があまりにも熱心に勧めるので、クオレ、ソフィア、ミーヤが並んで座っているソファーの対面、スピア達がテーブルの上にいるのでいていたソファーに腰を下ろした。


 すぐ出発するつもりだったようだし、あまり味わわずなかば飲み込むようにぱくぱく早食いしてしまうんだろうな――という過半数の予想に反して、ランスは、まずミルクティーで口内と咽喉のどうるおしてから、フルーツタルトを乗せた小皿を手に取り、フラメアから受け取ったフォークで一口分を切り分ける。


 その際、本当に何気なく、捷勁法〝疏通〟でフォークに勁力を通し、タルトと接触する部分に表出させた極小の〝顕刃〟で切断したのだが、そうと気付いた者は一人もなく、切り分けたほうを普通に刺して口内へ。


 スピア、パイク、フラメア、ピルム、それにキースはよくある事なのでまだ分かるのだが、何故かこの場にいる全員の視線を感じつつ、妙な緊張感がただよう不自然な静寂の中で、それらを気にせずよくんで味わい…………口の中の物がなくなったタイミングで、


「おいしい?」


 スピアにそう訊かれたので、


「美味しい」


 頷きつつそう答える。


 すると、どういう訳か喜ぶ幼竜達。それはよくある事なのだが、何故かこの場の雰囲気が、ほっ、と弛緩しかんするのを感じて、いったい何なんだ? とランスは内心で首を傾げた。




 自分達は既に食べ終わっているので、ごしゅじんが食べるのを見ている幼竜達。


 別に欲しがっている訳ではないという事は分かっていたが、ランスは、残りを手早く六等分し、異様に綺麗な切断面を見せるフルーツタルトをテンポよくその鼻先に差し出す。すると、スピア、パイク、フラメア、ピルム、キースは、なかば反射的に、ぱくっ、と食べ、最後の一つを自分の口へ。


 みんなでモグモグし、ミルクティーもいただいて、


「ご馳走様ちそうさまでした」

『ごちそうさまでしたっ』


 そんなゴッドスピードさんの食事風景が垣間見かいまみえた一幕の後、


「そろそろ失礼します」


 席を立ち、そう告げておいとましようとするランス。


 フラメアは、すかさずテーブルの上からジャンプしてごしゅじんの腰のあたりに飛び付き、そのままスルスルじ登って肩の上へ。パイクは、テーブルから床へ下りるとたたずんでいるごしゅじんの脚の隣でお座りし、スピアは、飛び降りるなり出入口のほうへいち早くけだし、ピルムは、途中までそんなスピアについて行ってからまだごしゅじんが動いていない事に気付くと立ち止まってその間でオロオロする。


 そして――


「ねー様、なにしてるですか? ミャーたちも行くですよっ」


 ソファーから立ち上がった猫耳尻尾の少女ミーヤが、やっと再会できたねー様の手を引いて立ち上がらせようとし、ソフィアが、え? と戸惑いの声を上げた。


「ねー様に見せてあげたいものがたくさんあるんですっ! ランス様たちがつくったおうちとか、大樹海ジャングルの中にあるものすごく大きなジャングルジムとか、お空にとどきそうなほど大きなドラゴンの木とか――」

「――ミーヤ」


 もう聞き慣れた声に呼ばれて振り返る、本来の飼い主を困らせているという事に気付いていない人の姿をした子猫。


 その一方で、ランスは、今になってようやく、自分が誤解していたのだという事に気が付いた。


 ミーヤは、ずっとソフィアに会いたがっていた。だが、それは、帰りたい、元の生活に戻りたいというのではなく、ソフィアを迎えに行きたい、そして、一緒に探検や冒険をしたいという事だったのだ。


 しかし――


「ソフィアにはソフィアの生活がある。俺達と一緒には行けない」

「……え? ……ねー様がいっしょに行けないなら、ミャーは……」

「ソフィアと、家に帰るんだ」


 それを聞き、そして、どういう事かを理解して目を見開くミーヤ。


 それを察したランスは、そのままきびすを返し――


「ミャーは……ッ! ミャーは、ねー様といっしょにいたいですっ! ――でも、ランス様たちともいっしょにいたいのです……~っ!」


 目に涙を浮かべたミーヤは、その背中に向かって、バイバイなんてやですぅ……~っ、とうったえ、ギュッ、と自分のスカートをにぎめた。


「ミーヤ……」


 ソフィアは、お母さんやご隠居達が、自分を学校に通わせるためにいろいろしてくれたらしいという事を知っている。だからこそ、ミーヤの願いをかなえてあげたい、それだけではなく、純粋に一緒に行ってみたいという思いはあっても、大切な人達の想いを無下むげにするような選択をする事ができず、おろおろしながらその後ろ姿を見守り……


「それが叶う機会があるかもしれない。でも、それは今じゃない」


 ランスは、足を止めて振り返り、ミーヤの目を真っ直ぐに見詰めて、


「俺達と一緒でなければ見る事ができない景色を見て、できない事を体験した。次は、ソフィアと一緒に、俺達と一緒では見る事ができない景色を見て、できない事を体験してくると良い」

「またねー」


 ごしゅじんの肩の上にいるフラメアが、そう言って片前足を振ると、


「ばいばい じゃないの またね なのっ」


 出入口の近くにいるピルムも、後ろ足で立ち上がるとそう言って万歳バンザイするように両前足を上げて大きく振り、パイクは、尻尾を大きく揺らしただけであえて別れの言葉は告げずにごしゅじんの後に続く。


 そして、ランスがキャビンから出ようとしたちょうどその時、一足先にさっさと通路へ出てシャーロット号の出入口へ向かっていたが、ふとした拍子ひょうしに誰も来ていない事に気付いたスピアが戻って来て、キャビンに漂う妙な雰囲気に気付き、きゅい? と小首を傾げた。




 その後、シャーロット号から降りたのは、ランス達だけではなく、他に2組。


 一組ひとくみは、ソフィア、ミーヤ、クオレ、それにエルネスト。


 この顔ぶれは、元々ソフィアとミーヤを、ご隠居が母娘のために用意した帰るべき場所、学園島とも呼ばれる浮遊島マグノリアにある家まで送って行く事になっていたクオレに、保安官養成学校の授業の一環で自動車運転免許を取得したエルネストが、練習を兼ねて事務所備品の軍用自動四輪駆動車ジープで送って行くと言い出した結果。


 もう一組は、ニーナとキース、それにエレナとシャリア。


 媛巫女リーネ聖母竜グリューネに召喚された人はランスのみ。そこで、ニーナはキースと共に、エレナとシャリアの要請にこたえて竜飼師協会本部へ向かう事に。


 原則として、天空都市国家グランディアを構成する浮遊島の上空を飛行する事は禁止されている。それ故に、エレナ、シャリア、肩にキースを乗せたニーナは、大型乗合自動車バス路面電車トラム、あとは徒歩で移動し、ランス達も本来なら〔汎用特殊大型自動二輪車ユナイテッド〕での移動になるところだが、今回は、竜宮へ向かう都合上、飛行する許可を得ている。


 そんな訳で、ランスは、パイク、フラメア、ピルムと共に体長10メートル程の翼竜に形態変化したスピアの背に乗り、


「――ランス先輩ッ!」


 ニーナに呼ばれて振り返った。


「用事が済んだ後に、合流する時間と場所を決めておきましょう!」


 地面と翼竜の背の上では高低差があるため、ニーナがやや声を張ってそう提案すると、


「必要ない」


 ランスの声量はいつも通りだが、不思議なほどよく通ってニーナの耳に届き、


「必要はないかもしれませんけど、やっぱり決めておいたほうが良いと思います!」


 ニーナは、先輩が、必要ない、と言った理由を、聖母竜の眷属同士であるキースとフラメアをかいしていつでも連絡を取り合う事ができるからだと考えた。


 その提案は、だからこそのもので、決めておけば、ランスがそれを守ろうとするため、不測の事態が発生しない限りその時間と場所で合流する事ができる。しかし、決めておかないと、用事が済んだ後は幼竜達、特にスピアの気まぐれに付き合って行動するであろう事が目に見えており、そうなると、こちらからの呼びかけに対してこたえてもらえない可能性が出てくるため、いつどこで合流できるか分からない。


 だが、ランスがそう言った理由は、ニーナの予想とはことなっていて――


「これからどうするかは、自分で決めるんだ」

「えっ? それって、どういう……?」


 自分の表情かおが強張っているのを自覚しつつそう訊くニーナに対して、ランスは、ひたいに装着している〔万里眼鏡マルチスコープ〕のプレートを鉄兜の目庇まびさしのように、カシャンッ、と下ろして、


「指導はこれにて終了。俺が、ニーナに、竜飼師として教えられる事はもう何もない」

「そ、そんな……そんな事ないですッ! 私は先輩に教えてもらいたい事がまだまだたくさんありますッ!」

「そうだ! 異例の事とは言え、いくらなんでも一般的な竜飼師ドラゴンブリーダーが指導を受ける期間と比べて短過ぎるッ!」


 そうニーナを援護する発言をしたのはエレナ。だが、


「指導する内容や期間など、全て俺に一任されています」


 竜宮の一角だが竜飼師協会が管理している『新生の間』で、会長から直接依頼されて引き受けると決めた後、依頼内容を確認した際、そこには、会長とニーナの他にエレナとシャリアもいた。ゆえに、知らないはずはない。


「待ってランスくんッ! きみの後輩になったニーナが、どんな役割を期待されているか、ニーナから聞いて知っているか、察しているんでしょうッ!?」


 シャリアが言う通り、竜飼師協会や聖竜騎士団、いてはグランディア政府がニーナに何を期待しているか察していたし、隠すつもりはないと彼女自身の口から聞かされている。しかし、


「それは依頼にふくまれていません」


 依頼は、ニーナの指導。そして、その終了を告げるべき相手は、指導を受けていたニーナであって、依頼者である会長への報告義務はない。


 つまり、ニーナにそれを告げた今、依頼は達成された。


「ばいばーい」

「ばいばい ニーナっ またね キースっ」

「なんで私だけバイバイなのッ!?」


 フラメアとピルムが前足を振ると、何やらニーナが騒いでいたが、大樹海ではそれが日常茶飯事だったので、ランスはして気にせず、


「目的を達成しろ。クリアヴォイス学院に入学したのは何のためだ?」

「そ、それは……っ!」


 認定試験に合格して資格を取得し、候補生から正式な竜飼師ドラゴンブリーダーになるため。


 ニーナは、『竜族を育てたという確かな証』としてキースの成長記録を取り続けてきたし、前述した通り、指導内容や期間など全て一任されていたので、1年に満たなくとも問題はない。あの公開審査は異例の事で、依頼者と指導者の名前が『確かに育てたという事を知る証人』として書類に記録されているため、審査に参加する必要はない。


 ニーナと鳳凰竜に【転生】したキースの実力なら、難なく合格するだろう。


 そして、その目的を達成した後でどうするかは、ニーナとキース次第しだい


「――行こう」


 白い翼竜は、当惑や焦燥がにじむ顔を見合わせているエレナとシャリア、それに、クオレと、別れをしんで涙をこらえていたミーヤ、もらい泣きしていたソフィアまでが、慌てふためくニーナの必死さに若干じゃっかん引いているのを尻目に、片翼手を振るキースとジープの運転席から手を振るエルネストに見送られて、シャーロット号が停泊している浮桟橋うきさんばしから飛び立った。

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