第86話 なんだかとってもファンタジー

 《トレイター保安官事務所》が所有する飛行船――という事になっている、長い楕円形の気嚢の下に船が吊られたレトロな飛行船を彷彿とさせる潜空艇、シャーロット号の広々とした居住区画キャビン


 現在、そのフロア全体のおよそ3分の1、長方形のテーブルとソファーのセットが置かれた応接室のような空間にいるのは、ソファーに並んで座っているクオレとソフィア、それから少女のひざの上に居座いすわっている子猫ミーヤだけ。


 その他は全員、残り3分の2、強いこだわりが感じられる木の風合いが生かされたレトロな酒場バーのような空間のほうにいる。


 ランスとニーナは、バーカウンターを背にしてその前に並んでいるスツールの中央辺りの2席に並んで座り、エルネストは少し離れたカウンター席の奥から2番目。クラシックなメイド服姿のシャルロッテは、カウンターの内側。レヴェッカ、ティファニア、フィーリア、エレナ、シャリアは、丸テーブルを退かした場所に椅子だけ持ってきて、二人の竜飼師を半円形にかこむような位置に置いて座っている。


 小翼竜キース契約者ニーナの肩の上。小飛竜達スピアとピルムはごしゅじんのひざの上。ごしゅじんの肩の上にいる小天竜フラメアは、剥製はくせいかと思ってしまうほど完全に動きを止めて天井の一点を見詰め続けており、小地竜パイクゆかについているごしゅじんの足の脇で綺麗なお座りをしている。


 腕白わんぱくなスピアは、長い間同じ場所でじっとしていられず、複数の予定がある場合は次々と消化して早く達成したがるため、その傾向がより強くなる。


 そして、今日はこの後、予定がある。故に、ここでの用件はまだ済んでいないのに、もう行こうとごね始めていたのだが、


「きゅ~……」


 今は、ランスの躰の正中線の左側、太腿の上で両後ろ足を投げ出すような格好で座るように抱っこされ、ぷにぷにのお腹をてのひらで温めるようにでてもらって気持ちよさそうにうとうとしている。


 そして、そのうとうとがうつったのか、ランスの躰の正中線の右側、人の手のように五本の指がある両前足て、ヒシッ、とごしゅじんのお腹にしがみついているピルムも、まぶたが重そうにしている。


 ――それはさておき。


「ランス君って、竜族ドラゴンを、っちゃくて可愛いもふもふにしなきゃ気が済まない人なの?」

「そうじゃないでしょうッ!?」


 スピア、パイク、フラメア、ピルム、それにキースも見てから、レヴェッカが真剣な表情で問い、ランスがそれに答える――直前、椅子からねるように立ち上がったエレナがえるように突っ込みを入れた。


 そして、ふざけないで下さいッ! とレヴェッカに注意してから、立ったまま、


「『ピルム』と呼んでいたその竜族が、破壊を創造する滅魔竜ジェノサイドドラゴンの眷属だというのは、本当なのか?」

「事実です」


 エレナの問いに、平然と答えるランス。


 隠そうという素振そぶりも、後ろめたく思っている様子もない。


 椅子に座り直したエレナ、それにシャリアも、その事を怪訝けげんに思いつつ更に質問を続けようとして、


「あ、あの……~っ!」


 ランスのとなりに座っているニーナが、まるでこうなる事を予想していたかのような顔で手をげ、発言する許可を求めた。そして、


「ランス先輩は、知らないんだと思います。滅魔竜の眷属ジェノサイドドラゴンが、竜騎士ドラゴンナイト竜飼師ドラゴンブリーダーにとっての最優先討伐対象だという事を。私達にとっては常識でも、先輩は学院でまなんでいませんから」


 事実、ランスは知らなかった。だが、その口振りからしてニーナは……


「ジェノサイドドラゴンの食性は肉食で、新鮮な肉を好む。しかし、『破滅のオーラ』とも呼ばれるほど濃密な魔力をび、その波動をつねに放っているため、気配に敏感な動物や怪物モンスターは逃げ出してしまい、そのせいでエサが取れない。それゆえに、大勢が集まって生活し、築かれた壁の内側にいれば大丈夫だと危機感が薄く、故郷やその土地に執着しゅうちゃくして動かず、逃げ出しても足が遅く追いつくのが容易で、しかも弱い……人を襲うようになる」


 エレナは、ニーナに向かって、そうだ、と頷いてから、


竜族ドラゴンは、同属どうぞく間で知識が共有され、親から子へ引き継がれる。空腹感から獲物に関する知識が呼び起こされれば人里へ姿を現すようになり、人を喰い、味を覚え、狩りやすい獲物だという事を実感すると、人しか襲わなくなる。だからこそ、人の世で破壊と殺戮を繰り返す人喰い竜――滅魔竜の眷属ジェノサイドドラゴンは、全ての竜騎士、竜飼師にとっての最優先討伐対象なんだ」

「なら、もう問題ないじゃない」


 そう発言したのはレヴェッカで、


「ピルムちゃんからは、まるで魔力を感じない。これなら普通に獲物をれるから人を襲う理由がない。現に、ティファうちのおバカがバカ笑いでおどろかしても、危害を加えるような行動をとらなかったし」


 それに対して、そうじゃないんです、と言って首を横に振るシャリア。


「問題は、ピルムちゃんではなく、竜騎士や竜飼師のほうなんです」

「と言うと?」

「エレナが言った通り、竜族ドラゴンは、同属間で知識が共有され、親から子へ引き継がれる。それは、竜騎士や竜飼師に関する知識が、という事が、ピルムちゃんにも引き継がれているという事」

「人の一生は竜のそれと比べて圧倒的に短く、ランスがこの世を去った後もピルムちゃんが人類に対して友好的だという保証はどこにもない。だからこそ、ランスが存命中は大丈夫だと考える者は、おそらく一人もいない。将来猛威もういを振るう恐れがあるまわしき災厄が、人の手で、それもを示した、護られながら育っていると考えるはず」


 そう話したエレナは、幼馴染み達が今まで見た事がないほど深刻な表情で、


「聖竜騎士団と竜飼師協会がピルムちゃんの存在を知れば、必ず即座に処分するよう要求してくる。こばめば、全ての竜騎士や竜飼師が……いや、最悪の場合、滅魔竜ジェノサイドドラゴンの脅威を知る全ての国々、――全世界がランスの敵になる」


 話のあまりの規模の大きさに、息苦しささえ感じる重い空気がキャビンに立ち込め、


「どうしてそんなになつかれる前に……情がうつってしまう前に討伐してしまわなかったんだ……ッ!?」


 よほど口にしたくなかったのか、エレナはピルムから顔を背けつつまるで血を吐くように言い、


「そ、そんな……、わ、私は……ただ……」


 こんな事になるなんて、とか、あの時ちゃんと私が教えていれば、などと考えているのだろう。うわ言のようにそう漏らすニーナの顔からはすっかり血の気が引いて青白く、まるでこごえたかのようにカタカタ小刻みに躰を震わせている。


 他の面々も、似たり寄ったりの深刻な表情を浮かべており――


「……ちょっと、ランス君? ――今君の話をしているんですけどッ!?」


 ただ一人、ランスだけはまるで他人事のように泰然たいぜんと、スピアのお腹をなでなでし続けながら、すっかりまぶたが落ちてしまったピルムの眉間みけんから頭に掛けてを親指ででていた。




「それで、どうするつもりなの?」


 ランスはいたって平常運転。なのに、自分は深刻な顔をしている――それが馬鹿らしくなったレヴェッカが、一つ息をつき、気持ちを切り替えてからたずねると、


「どうとは?」

「聖竜騎士団と竜飼師協会がピルムちゃんを処分しろって要求を突き付けてきたら、ランス君はどうするつもりなの?」

「拒否します」

「全世界がお前の敵になるかもしれないんだぞッ!?」


 詰問きつもんするような調子で言う深刻な表情のエレナ。だが、ランスはやはり平然と、


「俺は何者とも敵対しません。ただ、、〝敵〟として襲い掛かってきた者には槍を打ち込む、――それだけです」

「事態の深刻さがまるで理解できていない――なんて事はまずないわね、君の場合は。そうでしょう?」


 感情に任せて口を開きかけたエレナの機先を制する形で言い放つレヴェッカ。そして、ドラゴンマニアで生真面目な竜騎士が、出かかった言葉を飲み込んだ所で、


「何とかなる、なんて楽観するような性質たちでもないでしょうし……実際のところ、この事態にどう対処するつもりなの?」


 みなの視線が集まる中、ランスは、自分の肩の上で今もまだ身動みじろぎせず天井の一点を見詰め続けている小天竜にチラッと目を向けてから、


「この後、竜宮へおもむくのは、フラメアを媛巫女と力の意味を知る聖母竜マザードラゴンに会わせるためだけではありません」

『――――~ッ!?』


 聖母竜が命じれば、眷属の竜達全てが従う。


 媛巫女の言葉には、竜騎士・竜飼師達に対して絶大な影響力がある。


 その事を知る者達が、グランディア国民にとって直接言葉を交わす事などかなわない雲の上の存在であるからこそ、盲点もうてんを突かれた思いで息を飲み、


「公算はあるのか?」


 どうやら、これから直接会って交渉するつもりなのだと考えたらしいエレナの問いに、ランスは、視線を自分の両脚に向け――


『――なッ!?』


 両脚の膝下外側に一つずつ、ズボン越しに浮かび上がったを見て、既に知っていた幼竜達とニーナと子猫ミーヤを除く一同が度肝どぎもを抜かれる中、ランスは相変わらずの調子で、はい、と頷いた。


「フラメアから伝えてもらっただけではなく、既にピルムは、俺とフラメアを介して聖母竜マザードラゴンと意思の疎通を行なっています」


 ――不羈奔放なる風詠竜イノセントドラゴン


 ――大地に君臨する攻殻竜フォートレスドラゴン


 ――力の意味を知る聖母竜マザードラゴン


 ――破壊を創造する滅魔竜ジェノサイドドラゴン


 五大竜王と称され、神にも等しいとうたわれる強大な竜達の中の四頭、そのそれぞれの眷属と血の盟約を交わしている――その衝撃的過ぎる事実を知って、エレナは完全に思考停止して硬直フリーズし、


「……それって、もう話はついてるって事なんじゃないの?」

「何か懸念けねんがあるんですか?」


 いち早く復帰したレヴェッカに続いてシャリアが尋ねると、


「ピルムの事を話した後、直接会って伝えなければならない事がある、とわれました」


 一方的にそう通達されたきりなので、現時点では、それがピルムに関する事なのか、そうではないのか、良い事なのか、悪い事なのかすら分からない。


 ただ、何となく嫌な予感がする。


 そして、嫌な予感に限ってよく当たる。


 それに、眷属竜達は聖母竜グリューネしたがうとしても、竜騎士や竜飼師達に対して、媛巫女リーネの一声にそこまでの強制力はない。表向きは従うだろう。直接的な干渉はひかえるかもしれない。だとしても、裏から、間接的に、信じて疑わないおのれの正義をつらぬこうとする者、それを他者にいる者が、必ず現れる。


 ゆえに――


「それが何であれ、結局は、同じ事です」

「同じ事?」


 ランスは、そっと置いておかれるよりこうして触れ合っているほうが落ち着くらしい、うとうとドラゴンスピアと、すやすやドラゴンピルムを、優しく温めるように撫でながら――


「〝できる〟か〝できない〟か、ではなく、〝やる〟か〝やらない〟か。人が勝手に破壊を創造する滅魔竜ジェノサイドドラゴンと呼ぶ竜、その眷属である幼竜を保護すると決めた時、ニーナに何を教えられようと、例え世界の全てが敵になるかもしれないとしても、関係ありません。やるべき事をやる、――ただそれだけです」


 何故なら――


「俺は、槍使いの竜飼師ドラゴンブリーダーですから」


 気負う事もなく、ただ事実を事実として告げるランス。


 すると、今までずっと身動ぎせず天井の一点を見詰め続けていたフラメアが突然動き出し、ごしゅじん首に自分の長い尻尾と身体を巻き付けるかのようにくるりと一周してからそのほほに頭をすり寄せ、お利口にお座りしていたパイクが、ちょっと脇にずれてごしゅじんの脚にピトッと身体を寄せた。




「次は、こちらの番ですね」


 この話は終わったと判断したランスがそう確認すると、


「えぇ~っ、交互に質問するなんてルール決めてないし、この場はランス君に質問するために用意したもので――」


 などとレヴェッカが何か言っていたが、ランスはそれに構わず、


「――マルバハル共和国における麻薬の密売ルートと警察の汚職に関して、質問というより、相談したい事があります」


 その発言で、レヴェッカの眼差しと顔つきが保安官シェリフのものになった。


 そして、ここには部外者もいるから、と部屋のすみへ移動する事になったのだが、


「きゅう」


 なでなでの手を止めた途端、うとうとしていたスピアがぱっちりと目を開けてその小さな片前足で手をおさえ、もっと、と催促してきた。


 そこで――


「おやつにしよう」

『おやつ?』


 そう提案すると、スピアはもちろん、すやすや寝ていたはずのピルムまでぱちっと目を開けて、肩の上のフラメアや、脚の脇でお座りしているパイク、ニーナの肩の上のキースも期待の目を向けてきて、ソフィアの膝の上に居座っていた子猫ミーヤまで、ダッ、と駆け寄ってきた。


 幼竜達と子猫に何が良いか尋ねるランス。すると、カウンターの内側で話を聞いていたシャルロッテが、三時のおやつには少し早いもののお客様に喜んでもらおうと思って用意していたフルーツタルトがある、といったむねを申し出てくれた。


 そんな訳で、ランスとレヴェッカ、それにエルネストは、フロアの隅に移動させた丸テーブルのほうへ。


 一方のバーカウンターのテーブルの上では、スピア、パイク、フラメア、ピルム、キース、ミーヤ――小さなもふもふ達が横一列に並び、後ろ足で立ち上がって、一段高くなっているカウンターに両前足と両翼手をつき、シャルロッテがいるその内側をのぞき込みながら同じようなタイミングで尻尾を左右にゆらゆらさせている。


 残りは、ほくほく顔でその後ろ姿を飽く事なく眺めながら、


「マルバハルって、『レムリディア大陸の玄関口』とか言われてる国だったっけ?」


 視線を可愛いもふもふ達に固定したまま訊いたティファニアのとなりで、同じような体勢のフィーリアが、そう、と頷き、


「海洋貿易の中継点として発展目覚ましい途上国で、他の大陸からの移民達によって作られた多種多民族国家」

「そんな新興国での麻薬や汚職の情報を、なんで、現地の部族も足をみ入れないっていう大樹海で山篭りしてたはずのランスが持ってるんだ?」


 反対側の隣にいるニーナにそう訊いてから、今日が初対面だった事を思い出してお互いに簡単な自己紹介した後、


「当初予定していた二ヶ月を過ぎた頃から、『レベルに応じた特権が与えられる〔ライセンス〕を所持し、スパルトイを名乗る以上、仕事をしなければならない』って、首都の《竜の顎ギルド》まで大樹海で修行しながらでもできる採取系の依頼を受けに行ったり、調味料やお酒を調達したりするために町や部族の村に行ったりする事があったんですけど、その時に、ちょっと……」

「ちょっとって――」

「――それも大事な事なのだろうが」


 そう話に割って入ってきたのは、ニーナの隣で同じように可愛いもふもふ達の後ろ姿に視線を固定しているエレナで、まだ威嚇いかくの件を引きずっているのか、決して鼻血がれないよう人差し指と親指で鼻を強くつまんでいるため、少々聞き取り辛く、本人も話し辛そうに、


「先に訊かせてくれ。何故、ランスが知らないようだとさっしていたのにジェノサイドドラゴンについて教えなかった?」

「それは……」


 ニーナは、ピルムの背中を見詰めながら、その時の事を語り始めた。




「巨大な卵を見付けたのは、修行と幼竜達みんなのお散歩を兼ねて大樹海を横断しようとした時に発見した、2番目の遺跡の地下でした」

「ちょっと待って。突っ込み所が多過ぎる」

「お散歩で、大樹海を横断したんですか? 一度入ったら生きて戻れないと言われているあの大樹海を?」

「しかも、お散歩で、と言うからには、上空を飛んで行ったのではなく、踏破したのか? 強大な怪物モンスターひしめく世界最大の秘境を?」

「大樹海の遺跡って、ひょっとして魔王国時代に魔王によって滅ぼされた民の? それの『2番目』って事は、1番目があるって事で……いったい幾つの遺跡を発見したの?」

「えぇ~と……遺跡は全部で五つ発見して、地上や樹上を移動して横断しようとしたんですけど、その時は結局しなかったんです。気分屋のスピア先輩の興味が、遺跡の探検のほうに向いてしまったので」

『スピア先輩?』

「あっ、はい。ランス先輩、スピア先輩、パイク先輩です。フラメアちゃんとピルムちゃんは私とキースの同期ということで……」


 そんな感じで話は方々へ飛び、本題が遅々として進まないので、今はとりあえず大樹海での修行の日々や大冒険に関しては割愛し、整理して簡単にまとめると――


 まず、遺跡を発見した。その周囲には、民家や人々の生活をうかがわせる建物の痕跡はなく、一見したところ寺院のような印象を受けた。


 次に、内部を探検してみると、宗教的な偶像や装飾は見当たらず、数箇所で壁画らしきものを見付けたものの、顔料ががれ落ちていて何がえがかれていたのか判別できず、武器庫が見付かった事で、とりでだった可能性が出てきた。


 更に調べてみると、地下へ続く洞窟の入口をふさぐ形で建造されたものだという事が分かり、この建造物自体が地下にある何かを隔離するための封印である可能性が濃厚に。


 その後、ランスは、さわらぬ神にたたりなしと地上部分を見物するにとどめるべきだと判断し、ニーナはその意見に賛成したのだが、好奇心旺盛おうせいな幼竜達のお願いに折れて、結局、地下へ。


 パイクの【地形操作アースコントロール】で、洞窟の入口をふさいでいた巨大な一枚岩にあなを開け、完全に埋め立てられていた洞窟内の土砂を退かし…………辿たどり着いたのは、遺跡の地下に存在していた大空洞。


 そして、そこで巨大な卵を発見し――


「なんだか不穏な気配がただっているような気がして怖かったので、私はキースと空洞の出入口の所で待っていたんですけど、スピア先輩にはやくはやくってかされて、ランス先輩とパイク先輩とフラメアちゃんがその巨大な卵に近寄って行って…………なんとっ! 何の前触れもなく突然破裂したんです、卵がっ!」

「破裂?」

「はい。からが割れるって感じじゃなくて、水風船が割れるような感じでした! そして、その瞬間、それまでは全く感じなかったのに、魔力がいっきに、学院がすっぽり収まってしまうんじゃないかっていうくらい大きな空洞全体に広がったんです!」


 それゆえに、かえった時点で体長は既に成体の翼竜と同じくらい10メートルほどもあり、それぞれ五本の指を備えた両手を地面について二本の腕と二本の後ろ足で躰を起こし、背中に一対の皮膜の翼を備えたその姿をの当たりにした瞬間、滅魔竜の眷属ジェノサイドドラゴンだという事が分かった。


 しかし、ニーナはそう話した上でかたる。世間で言われているように、その存在を前にしても、己の死を確信したり、絶望してひざくっしたりする事はなかった、と。何故なら――


「私と、まだピルムちゃんじゃなかった竜族ドラゴンとの間には、ランス先輩の背中があったので」


 それでも全く怖くなかったという訳ではなかったのだが、すぐ驚愕に変わった。それは何故なぜかというと――


『竜のあごり上げた?』

「はい、それはもう痛烈つうれつに」


 【弱体化】して、猫サイズだったスピア、大型犬の子犬ほどのパイク、中肉中背の人間ランス、この時まだ弱体化できていなかったフラメア。


 滅魔竜の眷属は、引き継いだ知識から判断したのか、本能的に一番弱そうな生物を選んだのか、人間に向かって猛進もうしんし、大きく口を開いてらいつく――寸前、直下から直上へ、常人の目には蹴り足がき消えたようにうつる程の高速でね上げられた右足が、口を開くために下りてきた竜の下顎したあごを蹴り上げた。


 地上へ続くトンネルと大空洞の連絡口にいたニーナにも、蹴りが直撃した打撃音と、打ち上げられた下顎に並ぶ歯と上顎に並ぶ歯がぶつかり合った、ガチンッ、という激突音が重なって聞こえた――が、それで終わりではなかった。


 ランスは、軸足じくあしかかとを内側へ90度回転させる事で躰を横へ向け、蹴り足を振り上げた時と等速で地面に降ろすと同時に重心も落とし、加重しつつみずからを鋼のかたまりと化さしめる〝剛勁〟を行使。長大な金属のくいを地中へ深々と打ち込んだかのような轟音と共にその足元で放射状に亀裂がはしり――〝靠撃たいあたり〟を繰り出したような体勢の2メートルに届かない人体が、右足で下顎の中心より左側を蹴られた事でやや右斜め上へのけけ反るように頭部を跳ね上げつつ猛進の勢いのまま倒れ込んできたおよそ10メートルの竜の巨体を、その場で微動だにせず弾き返した。


「それって、【守護力場フィールド】や【シールド】なしの生身で、信号を無視して突っ込んできたトラックを弾き返すようなもんだろ? 作り話ホラじゃないなら人間やめてるぞ」

「ランス君って、捷勁法の、軽く速く、のほうだけじゃなくて、重く硬く、のほうまでそんなレベルでおさめているんですか?」


 驚きを通り越してあきてたように言うティファニアに続いて、研鑽錬磨された技術に対し敬意をにじませるフィーリア。


 ――それはさておき。


 滅魔竜の眷属は、まるで振り返ったらそこにあった電柱に激突した酔っぱらいのおっさんのような無様さで横転し――


「ランス先輩は〔万里眼鏡マルチスコープ〕のプレートを下ろしていたんですけど、その場から動かずに見下ろしてくる先輩の事がめちゃくちゃ怖かったんでしょうね。軽い脳震盪のうしんとうを起こしていたんだと思うんですけど、ふらふら起き上がったら、『尻尾しっぽいて逃げる』っていうのはこういう事なんだなぁ、って感じで逃げ出して……」


 残心をいたランスは歩いてその後を追い、奥へ追い詰められた幼竜は、少しでも離れようと壁に身体を押し付けながら必死に威嚇いかくし――


「あの時は、言う必要はないなって思ったんです。抵抗する意思を奪い、追い詰めてから、むやみに苦痛を与えないよう確実に止めを刺すつもりなんだろうなって思ったから。でも、今考えてみると、槍を使わずに蹴っていた時点で、保護すると決めていたんだと思います」


 非常識な竜飼師は、威嚇それに構わず近付くと、情けのないへっぴり腰で咆え続けなきわめいていた幼い滅魔竜に、〔収納品目録インベントリー〕から取り出した首を落して血抜きしただけの怪物モンスターの肉を与えた。『たくさん食べて、大きく、賢く、健やかに育てよ』と声をかけながら。


「私は驚いて、保護するつもりなんですか、って訊いたんですけど、先輩は『やるべき事をやる。俺は槍使いの竜飼師ドラゴンブリーダーだ』って。そう言われちゃうと、もう何も言えなくなっちゃって……」


 それに、格好いい先輩ランスがどう思っていようと滅魔竜が竜飼師に従うとは思えず、そうだった場合、生ける災厄を野放しにするような無責任な人物ではないという事、その気になれば瞬殺し得る実力を有している事は疑う余地がない。


 なので、もう余計な口出しをしない事にして…………今に至る。




「当時の私には、滅魔竜の眷属ジェノサイドドラゴンが、まるでカルガモのひなみたいに、竜飼師ひとの後ろをついて歩くようになるなんて想像できませんでしたし、スピア先輩達の真似をして【弱体化】したり、自分から契約したいって言い出したりした時にはもう、ランス先輩の指示には、それがどんなものであれ、黙ってしたがおうと心に決めました」


 シャルロッテが、バーカウンターのテーブルは位置が高い上に幅が狭いため危ないかもしれないと配慮し、幼竜達と子猫かわいいもふもふたちを応接室のような空間のほうへ連れて行ったため、現在、入れ替わるように、シャリア、エレナ、ニーナ、ティファニア、フィーリアがカウンターで席に着いており、


「でも、そのせいでこんな事になるなんて……」


 口ではそう言いつつ深刻そうな表情で、はぁ……、とため息をつきながら、小皿に取り分けられた自分の分のフルーツタルトをホークで一口大に切り分けて食べるニーナ。


 その様子だけで、ニーナに何を教えられようと……、という先輩ランスの言葉を素直に受け入れ、もう気にしない事にしているのがうかがえる。


「ん~……、私でも言えないかなぁ……」


 そう言ったシャリアのとなりでは、


「……確かに、竜飼師とは、竜に教え、はぐくむもの……。だが、私も竜騎士の端くれッ! 今は協会に出向しているとはいえ、聖竜騎士団に所属する者として最優先討伐対象を見過ごす事は……、でもピルムちゃんを討つ事なんて……」


 うぅ~……、とうなりながらエレナが頭を抱え、


「ランス君を攻撃したのに、スピアちゃん達は怒らなかったんですか?」


 そんなフィーリアの質問に対して、ニーナは、はい、と答えてから少し遠い目をして、


「スピア先輩とパイク先輩、それにフラメアちゃんが、人間の中にそんなのがいるなんて普通思わないよね、って感じのすごく同情的な雰囲気で、まだピルムちゃんじゃなかった竜族を見ていたのが、すごく印象に残ってます」


 それを想像して、フィーリアとシャリアがコメントに困っていると、


「…………常識って、なんなんだろうな?」


 既に自分の分のスイーツを食べ終え、紅茶も飲み干し、バーカウンターに背を向けてテーブルにひじをついているティファニアが、唐突に、しみじみと、そんな事を言い出した。更に続けて、


滅魔竜の眷属ジェノサイドドラゴンの食性って、何て言ってた?」

「肉食で、新鮮な肉を好む……?」


 質問の意図いとが分からないままフィーリアがそう答えると、ティファニアは、ん、と顎で後ろを見るようにうながし、エレナとシャリア、それにニーナもつられるように振り返ると――


「めちゃくちゃ美味しそうにフルーツタルト食べてるんですけど」


 壁で区切られていない応接室のほうでは、人間と見分けがつかない自動人形オートマタであるメイド服姿のシャルロッテが給仕し、白獅子の獣人女性であるクオレ、神秘的な雰囲気をただよわせる銀髪銀眼の少女ソフィア、猫耳尻尾の少女に【変化】しているミーヤが並んでソファーに座って、小飛竜スピア小地竜パイクオコジョっぽいのフラメアアライグマっぽいのピルム鳥っぽいのキース――可愛いもふもふ達は長方形のテーブルの上でお座りし、フルーツタルトを味わいながらおしゃべりして、ティータイムを楽しんでいる。


 普段は、テーブルの上に犯罪者の資料を並べたり、非情で凄惨な事件の話をしたりする場所が、今は笑顔であふれ、なんだかとってもファンタジーな空間になっていた。


最強種族ドラゴンってさ、っちゃくて、モフモフで、かわいくて、子供と一緒にスイーツ食べたり、紅茶をもらえるならミルクティーでフルーツタルトが甘いから砂糖はいらないって注文したりする生物だったっけ?」

『…………』

「それに、あのかわいいの、みんな異なる竜王の眷属らしいんだけど、あんなに仲が良いものなの?」


 そこにはもう、今までの常識など呆気なく崩れ去って影も形もなかった。


 だが、それで戸惑ったり困惑したりするばかりかというと、そうでもない。


 むしろ、ニーナとフィーリアはほっこりし、少し眉尻が下がっているもののピルムを見詰めるシャリアの表情はやわらいでいて、エレナにはいたっては、感動の面持ちで涙と鼻血を流しながら、とうとい……~っ! と繰り返しつぶやき続けている。


「非常識だ、って言ってランスを今ある常識のわくめ込もうとするより、こっちを常識にしたほうが絶対に良いと思う」


 はなから返答を期待していなかったティファニアの結論に、ニーナとフィーリアは賛成を表明し、元竜飼師の竜騎士達も反論できなかった。

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