第86話 なんだかとってもファンタジー
《トレイター保安官事務所》が所有する飛行船――という事になっている、長い楕円形の気嚢の下に船が吊られたレトロな飛行船を彷彿とさせる潜空艇、シャーロット号の広々とした
現在、そのフロア全体のおよそ3分の1、長方形のテーブルとソファーのセットが置かれた応接室のような空間にいるのは、ソファーに並んで座っているクオレとソフィア、それから少女の
その他は全員、残り3分の2、強いこだわりが感じられる木の風合いが生かされたレトロな
ランスとニーナは、バーカウンターを背にしてその前に並んでいるスツールの中央辺りの2席に並んで座り、エルネストは少し離れたカウンター席の奥から2番目。クラシックなメイド服姿のシャルロッテは、カウンターの内側。レヴェッカ、ティファニア、フィーリア、エレナ、シャリアは、丸テーブルを
そして、今日はこの後、予定がある。故に、ここでの用件はまだ済んでいないのに、もう行こうとごね始めていたのだが、
「きゅ~……」
今は、ランスの躰の正中線の左側、太腿の上で両後ろ足を投げ出すような格好で座るように抱っこされ、ぷにぷにのお腹を
そして、そのうとうとがうつったのか、ランスの躰の正中線の右側、人の手のように五本の指がある両
――それはさておき。
「ランス君って、
「そうじゃないでしょうッ!?」
スピア、パイク、フラメア、ピルム、それにキースも見てから、レヴェッカが真剣な表情で問い、ランスがそれに答える――直前、椅子から
そして、ふざけないで下さいッ! とレヴェッカに注意してから、立ったまま、
「『ピルム』と呼んでいたその
「事実です」
エレナの問いに、平然と答えるランス。
隠そうという
椅子に座り直したエレナ、それにシャリアも、その事を
「あ、あの……~っ!」
ランスの
「ランス先輩は、知らないんだと思います。
事実、ランスは知らなかった。だが、その口振りからしてニーナは……
「ジェノサイドドラゴンの食性は肉食で、新鮮な肉を好む。しかし、『破滅のオーラ』とも呼ばれるほど濃密な魔力を
エレナは、ニーナに向かって、そうだ、と頷いてから、
「
「なら、もう問題ないじゃない」
そう発言したのはレヴェッカで、
「ピルムちゃんからは、まるで魔力を感じない。これなら普通に獲物を
それに対して、そうじゃないんです、と言って首を横に振るシャリア。
「問題は、ピルムちゃんではなく、竜騎士や竜飼師のほうなんです」
「と言うと?」
「エレナが言った通り、
「人の一生は竜のそれと比べて圧倒的に短く、ランスがこの世を去った後もピルムちゃんが人類に対して友好的だという保証はどこにもない。だからこそ、ランスが存命中は大丈夫だと考える者は、おそらく一人もいない。将来
そう話したエレナは、幼馴染み達が今まで見た事がないほど深刻な表情で、
「聖竜騎士団と竜飼師協会がピルムちゃんの存在を知れば、必ず即座に処分するよう要求してくる。
話のあまりの規模の大きさに、息苦しささえ感じる重い空気がキャビンに立ち込め、
「どうしてそんなに
よほど口にしたくなかったのか、エレナはピルムから顔を背けつつまるで血を吐くように言い、
「そ、そんな……、わ、私は……ただ……」
こんな事になるなんて、とか、あの時ちゃんと私が教えていれば、などと考えているのだろう。うわ言のようにそう漏らすニーナの顔からはすっかり血の気が引いて青白く、まるで
他の面々も、似たり寄ったりの深刻な表情を浮かべており――
「……ちょっと、ランス君? ――今君の話をしているんですけどッ!?」
ただ一人、ランスだけはまるで他人事のように
「それで、どうするつもりなの?」
ランスはいたって平常運転。なのに、自分は深刻な顔をしている――それが馬鹿らしくなったレヴェッカが、一つ息をつき、気持ちを切り替えてから
「どうとは?」
「聖竜騎士団と竜飼師協会がピルムちゃんを処分しろって要求を突き付けてきたら、ランス君はどうするつもりなの?」
「拒否します」
「全世界がお前の敵になるかもしれないんだぞッ!?」
「俺は何者とも敵対しません。ただ、相手が何者であれ、〝敵〟として襲い掛かってきた者には槍を打ち込む、――それだけです」
「事態の深刻さがまるで理解できていない――なんて事はまずないわね、君の場合は。そうでしょう?」
感情に任せて口を開きかけたエレナの機先を制する形で言い放つレヴェッカ。そして、ドラゴンマニアで生真面目な竜騎士が、出かかった言葉を飲み込んだ所で、
「何とかなる、なんて楽観するような
「この後、竜宮へ
『――――~ッ!?』
聖母竜が命じれば、眷属の竜達全てが従う。
媛巫女の言葉には、竜騎士・竜飼師達に対して絶大な影響力がある。
その事を知る者達が、グランディア国民にとって直接言葉を交わす事など
「公算はあるのか?」
どうやら、これから直接会って交渉するつもりなのだと考えたらしいエレナの問いに、ランスは、視線を自分の両脚に向け――
『――なッ!?』
両脚の膝下外側に一つずつ、ズボン越しに浮かび上がった二つの血盟紋を見て、既に知っていた幼竜達とニーナと
「フラメアから伝えてもらっただけではなく、既にピルムは、俺とフラメアを介して
――
――
――
――
五大竜王と称され、神にも等しいと
「……それって、もう話はついてるって事なんじゃないの?」
「何か
いち早く復帰したレヴェッカに続いてシャリアが尋ねると、
「ピルムの事を話した後、直接会って伝えなければならない事がある、と
一方的にそう通達されたきりなので、現時点では、それがピルムに関する事なのか、そうではないのか、良い事なのか、悪い事なのかすら分からない。
ただ、何となく嫌な予感がする。
そして、嫌な予感に限ってよく当たる。
それに、眷属竜達は
「それが何であれ、結局は、同じ事です」
「同じ事?」
ランスは、そっと置いておかれるよりこうして触れ合っているほうが落ち着くらしい、
「〝できる〟か〝できない〟か、ではなく、〝やる〟か〝やらない〟か。人が勝手に
何故なら――
「俺は、槍使いの
気負う事もなく、ただ事実を事実として告げるランス。
すると、今までずっと身動ぎせず天井の一点を見詰め続けていたフラメアが突然動き出し、ごしゅじん首に自分の長い尻尾と身体を巻き付けるかのようにくるりと一周してからその
「次は、こちらの番ですね」
この話は終わったと判断したランスがそう確認すると、
「えぇ~っ、交互に質問するなんてルール決めてないし、この場はランス君に質問するために用意したもので――」
などとレヴェッカが何か言っていたが、ランスはそれに構わず、
「――マルバハル共和国における麻薬の密売ルートと警察の汚職に関して、質問というより、相談したい事があります」
その発言で、レヴェッカの眼差しと顔つきが
そして、ここには部外者もいるから、と部屋の
「きゅう」
なでなでの手を止めた途端、うとうとしていたスピアがぱっちりと目を開けてその小さな片
そこで――
「おやつにしよう」
『おやつ?』
そう提案すると、スピアはもちろん、すやすや寝ていたはずのピルムまでぱちっと目を開けて、肩の上のフラメアや、脚の脇でお座りしているパイク、ニーナの肩の上のキースも期待の目を向けてきて、ソフィアの膝の上に居座っていた
幼竜達と子猫に何が良いか尋ねるランス。すると、カウンターの内側で話を聞いていたシャルロッテが、三時のおやつには少し早いもののお客様に喜んでもらおうと思って用意していたフルーツタルトがある、といった
そんな訳で、ランスとレヴェッカ、それにエルネストは、フロアの隅に移動させた丸テーブルのほうへ。
一方のバーカウンターのテーブルの上では、スピア、パイク、フラメア、ピルム、キース、ミーヤ――小さなもふもふ達が横一列に並び、後ろ足で立ち上がって、一段高くなっているカウンターに両前足と両翼手をつき、シャルロッテがいるその内側を
残りは、ほくほく顔でその後ろ姿を飽く事なく眺めながら、
「マルバハルって、『レムリディア大陸の玄関口』とか言われてる国だったっけ?」
視線を可愛いもふもふ達に固定したまま訊いたティファニアの
「海洋貿易の中継点として発展目覚ましい途上国で、他の大陸からの移民達によって作られた多種多民族国家」
「そんな新興国での麻薬や汚職の情報を、なんで、現地の部族も足を
反対側の隣にいるニーナにそう訊いてから、今日が初対面だった事を思い出してお互いに簡単な自己紹介した後、
「当初予定していた二ヶ月を過ぎた頃から、『レベルに応じた特権が与えられる〔ライセンス〕を所持し、スパルトイを名乗る以上、仕事をしなければならない』って、首都の《
「ちょっとって――」
「――それも大事な事なのだろうが」
そう話に割って入ってきたのは、ニーナの隣で同じように可愛いもふもふ達の後ろ姿に視線を固定しているエレナで、まだ
「先に訊かせてくれ。何故、ランスが知らないようだと
「それは……」
ニーナは、ピルムの背中を見詰めながら、その時の事を語り始めた。
「巨大な卵を見付けたのは、修行と
「ちょっと待って。突っ込み所が多過ぎる」
「お散歩で、大樹海を横断したんですか? 一度入ったら生きて戻れないと言われているあの大樹海を?」
「しかも、お散歩で、と言うからには、上空を飛んで行ったのではなく、踏破したのか? 強大な
「大樹海の遺跡って、ひょっとして魔王国時代に魔王によって滅ぼされた民の? それの『2番目』って事は、1番目があるって事で……いったい幾つの遺跡を発見したの?」
「えぇ~と……遺跡は全部で五つ発見して、地上や樹上を移動して横断しようとしたんですけど、その時は結局しなかったんです。気分屋のスピア先輩の興味が、遺跡の探検のほうに向いてしまったので」
『スピア先輩?』
「あっ、はい。ランス先輩、スピア先輩、パイク先輩です。フラメアちゃんとピルムちゃんは私とキースの同期ということで……」
そんな感じで話は方々へ飛び、本題が遅々として進まないので、今はとりあえず大樹海での修行の日々や大冒険に関しては割愛し、整理して簡単にまとめると――
まず、遺跡を発見した。その周囲には、民家や人々の生活を
次に、内部を探検してみると、宗教的な偶像や装飾は見当たらず、数箇所で壁画らしきものを見付けたものの、顔料が
更に調べてみると、地下へ続く洞窟の入口を
その後、ランスは、
パイクの【
そして、そこで巨大な卵を発見し――
「なんだか不穏な気配が
「破裂?」
「はい。
それ
しかし、ニーナはそう話した上で
「私と、まだピルムちゃんじゃなかった
それでも全く怖くなかったという訳ではなかったのだが、すぐ驚愕に変わった。それは
『竜の
「はい、それはもう
【弱体化】して、猫サイズだったスピア、大型犬の子犬ほどのパイク、中肉中背の
滅魔竜の眷属は、引き継いだ知識から判断したのか、本能的に一番弱そうな生物を選んだのか、人間に向かって
地上へ続くトンネルと大空洞の連絡口にいたニーナにも、蹴りが直撃した打撃音と、打ち上げられた下顎に並ぶ歯と上顎に並ぶ歯がぶつかり合った、ガチンッ、という激突音が重なって聞こえた――が、それで終わりではなかった。
ランスは、
「それって、【
「ランス君って、捷勁法の、軽く速く、のほうだけじゃなくて、重く硬く、のほうまでそんなレベルで
驚きを通り越して
――それはさておき。
滅魔竜の眷属は、まるで振り返ったらそこにあった電柱に激突した酔っぱらいのおっさんのような無様さで横転し――
「ランス先輩は〔
残心を
「あの時は、言う必要はないなって思ったんです。抵抗する意思を奪い、追い詰めてから、むやみに苦痛を与えないよう確実に止めを刺すつもりなんだろうなって思ったから。でも、今考えてみると、槍を使わずに蹴っていた時点で、保護すると決めていたんだと思います」
非常識な竜飼師は、
「私は驚いて、保護するつもりなんですか、って訊いたんですけど、先輩は『やるべき事をやる。俺は槍使いの
それに、
なので、もう余計な口出しをしない事にして…………今に至る。
「当時の私には、
シャルロッテが、バーカウンターのテーブルは位置が高い上に幅が狭いため危ないかもしれないと配慮し、
「でも、そのせいでこんな事になるなんて……」
口ではそう言いつつ深刻そうな表情で、はぁ……、とため息をつきながら、小皿に取り分けられた自分の分のフルーツタルトをホークで一口大に切り分けて食べるニーナ。
その様子だけで、ニーナに何を教えられようと……、という
「ん~……、私でも言えないかなぁ……」
そう言ったシャリアの
「……確かに、竜飼師とは、竜に教え、
うぅ~……、と
「ランス君を攻撃したのに、スピアちゃん達は怒らなかったんですか?」
そんなフィーリアの質問に対して、ニーナは、はい、と答えてから少し遠い目をして、
「スピア先輩とパイク先輩、それにフラメアちゃんが、人間の中にそんなのがいるなんて普通思わないよね、って感じのすごく同情的な雰囲気で、まだピルムちゃんじゃなかった竜族を見ていたのが、すごく印象に残ってます」
それを想像して、フィーリアとシャリアがコメントに困っていると、
「…………常識って、なんなんだろうな?」
既に自分の分のスイーツを食べ終え、紅茶も飲み干し、バーカウンターに背を向けてテーブルに
「
「肉食で、新鮮な肉を好む……?」
質問の
「めちゃくちゃ美味しそうにフルーツタルト食べてるんですけど」
壁で区切られていない応接室のほうでは、人間と見分けがつかない
普段は、テーブルの上に犯罪者の資料を並べたり、非情で凄惨な事件の話をしたりする場所が、今は笑顔であふれ、なんだかとってもファンタジーな空間になっていた。
「
『…………』
「それに、あのかわいいの、みんな異なる竜王の眷属らしいんだけど、あんなに仲が良いものなの?」
そこにはもう、今までの常識など呆気なく崩れ去って影も形もなかった。
だが、それで戸惑ったり困惑したりするばかりかというと、そうでもない。
むしろ、ニーナとフィーリアはほっこりし、少し眉尻が下がっているもののピルムを見詰めるシャリアの表情は
「非常識だ、って言ってランスを今ある常識の
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