第69話 竜神の間の異変

 時は、殺し屋〝天使と悪魔〟襲来の翌日。


 場所は、竜宮の一角、『新生の間』の最奥部。


 長い夜が明けてしばしの時が立ち、普段ならそろそろ朝稽古を切り上げようかという時間だが、今日のランスは、ブーツと靴下くつしたを脱いで自分の前にそろえて置き、地面に直接腰を下ろして結跏趺坐けっかふざし、孵化ふかの準備を始めた力の意味を知る聖母竜マザードラゴンの卵の前で瞑想している。


 壁にあいている穴に安置されている卵が燐光を放つ間隔は、昨日とさほど変わらない。その上で、四肢と言わず、首、尻尾、背中の両翼まで、でろ~ん、と伸ばしている小飛竜スピアがまるで卵に布をかけるかのように乗っかってねむっており、同じく穴の中に入り込んでいる小地竜パイクは、卵にぴったり寄せた躰を、びろ~ん、と伸ばして寝息を立てている。


 万能の神器〔宿りしものミスティルテイン〕の分身体に睡眠が必要なのか知らないが、今は同化している本体に戻っていて静かだ。


 ログレス保安官エリザベートとの約束の時間は、午前10時。


 幼竜達の寝息だけが聞こえてくるこの静かで穏やかな時間がもうしばらく続く――かと思いきや、


「いたっ」

「みっけたー」


 ランスは、後ろから聞こえてきたそんな声で、下ろしていたまぶたを持ち上げた。


 瞑想中は、無意識での超反応で回避・迎撃ができるよう、自身を中心に直径およそ7メートルまで範囲を絞って精度を上げている。そのため【空識覚】では捕捉できていなかったが、頭部に装着してプレートを鉄兜の目庇まびさしのように下ろしたままの〔万里眼鏡〕の能力――【全方位視野】で、顔は正面を向いたまま後ろから近付いてくる者達の存在を視認できた。


 足早に歩み寄ってくる二人の少女は、先日、ランス達を竜宮の門の前から媛巫女のもとまで案内した巫女達。


 そして、彼女達に抱っこされているのは、【弱体化】で小型犬サイズになっている8頭の老賢竜エルダー・ドラゴンの内の2頭。


 先程の声の主は、その小翼竜達で、昨日はまだくぅくぅ鳴いているだけだったが、もう言葉を話せるまで慣れたようだ。


 組んでいた脚を解いて立ち上がり、振り返って〔万里眼鏡マルチスコープ〕のプレートを、カシャンッ、と額に上げるランス。その前までやってきた少女巫女達は、わずかに乱れていた息と姿勢を整えてから、


『おはようございます、ランス・ゴッドスピード様』


 そう挨拶して頭を下げる。そして、媛巫女が呼んでいるから来てほしい、というむねを、まるで貴人に対するかのような丁寧ていねい過ぎるほど丁寧な言葉遣いで伝えてきた。


 おそらく、捜してほしいと頼まれた老賢竜が超感覚で見付け、教えてもらった媛巫女が迎えを頼んでそこまでの案内を付けたのだろう。


 どうにも落ち着かないが、そんな事はおくびにも出さず、断る理由もないので承知した旨をつたえ、練法で衣服ごと全身を【洗浄】し、仮想画面の操作で〔収納品目録インベントリー〕に脱いだ靴下をしまい、新しい靴下を取り出し、それとブーツを履いて身支度を整える。


 スピアとパイクはこのまま寝かせておこうと思ったのだが、


「いっしょいくー」

「いく~」


 そう言って、半分まぶたが落ちたまま小さな躰を重そうに持ち上げたので、パイクを抱っこしてから背中を卵に近付ける。すると、スピアは、ずるっ、と卵の上から滑り落ちるようにしてロングコートのフードの中に、ぽすっ、と納まった。


 スピアは、早速もぞもぞ動いて寝る体勢を整え、いつもは抱っこすると躰を起こして顎を肩に乗っけてくるパイクも、両腕の中で器用に丸まって目を閉じる。


 そして、小さな竜族ドラゴン達を抱えた少年と少女達は『新生の間』を後にした。




「えッ!?」

「媛巫女様ッ!?」


 そこは、謁見の間の奥。


 少女巫女達は、隠し通路のような場所を進んだ玉座の裏側にある媛巫女専用と思しき手すり付きの階段、その3段目に腰を下ろし、両膝を抱え、うつむいて膝頭ひざがしらに額を乗せている媛巫女を発見して本気で驚いていた。それから察するに、先日と同じ場所で待っている事になっていたのだろう。


 そして、そんな媛巫女の躰の陰にいたため気付くのが遅れたらしく、エメラルドのサラサラでもふもふな小翼竜――小さくなった聖母竜マザードラゴンがお座りしているのを見付けて声にならない悲鳴を上げ、抱っこしていた小翼竜達をそっとその場に降ろすなり慌てて平伏した。


 呼ばれて顔を上げ、ランスの姿を見付けた媛巫女リーネは、眉尻を下げた心底弱り切った表情で、


「ランス様…………わたくしは、いったいどうすればいいのですか?」


 そう言われても、『何を』の部分が分からずランスが沈黙していると、抱っこされたまま動かないパイクを見て、バッ、とねるように勢いよく立ち上がり、


「パイクくん、どうしたんですか? それに、スピアちゃんは?」


 自分の事など差し置いて幼竜達の事を心配し始め、


「ただの寝不足です」


 それを聞いて、スピアは背中のフードの中にいる事を知ると、ほっ、と胸を撫で下ろし…………自分の問題を思い出してため息をついた。


 情緒不安定なリーネは、階段にお座りしている聖母竜グリューネを抱っこすると、どうか一緒に来てください、と絞り出すように言い、重い足取りで奥へ向かって歩き出す。


 少女巫女達はここまでらしく、ずっと抱っこされてきた2頭の小翼竜は、自分の脚で、テッテッテッテッ、と元気に駆けて行き、ランスもリーネの後に続いた。


 軽快な小翼竜達とは対照的にリーネの足取りは重く、結構な時間をかけてようやくたどり着いた『竜神の間』。


 そこで目の当たりにした光景に、流石のランスも目を見開いた。


 それは何故か?


 まず、昨日おとずれた時には、ここまでずっと続いている芝生グリーンのカーペットが終わっているその先、ガクンと10メートルほど地面が下がっているそこからは、土の大地と無数の巨岩の上を巨樹の根と緑のこけが覆っているだけの大円形闘技場に匹敵する広大な空間だったのだが、今はそのど真ん中に、5本とも高さが違う奇妙な枝ぶりの木々と、移動されたり積み上げられたりしている巨岩で作られた、まるでフィールドアスレチックのようなものが存在している。


 それだけでも十分驚くにあたいするが――


「本来なら、微睡まどろみの中で自然へ溶け込むように生を終えて卵に転生するはずだった準老賢竜エルダーたちや、それに近い成竜たちが、みんな起きてきて、ここに集まっちゃったんです」


 そこで、元気に飛んだりねたり駆け回ったりよじ登ったり……楽しそうに遊んでいるのは、なんと無数の、見える範囲だけでも10や20ではすまない小翼竜達だった。


「みんなの遊び場になっちゃいました……。ここは『竜神の間』なのに……、聖域なのに……」


 途方に暮れたように呟くリーネ。


 〝竜を統べる者ドラグナー〟の権能で、本来るべき場所へ帰れ、と命令すれば済む話だと思うのだが、それをしないのは、できないのは、静かに死を待つだけだった小翼竜ドラゴン達が本当に生き生きとして楽しそうにしているからだろう。


「…………」


 先程の質問の『何を』の部分は分かったものの、明らかに聴く相手を間違えている。どう考えても、自分が判断すべき事柄ではない。


 ただ、それでも再度意見を求められたなら、気にする必要はない、と答えるだろう。


 何故なら、この場所が『竜神の間』と呼ばれ、聖域とされている理由として考えられるのは、主に二つ。


 一つは、神に等しい力を有する聖母竜と老賢竜達をまつるための場所だから。


 一つは、この場所には何か秘密があり、聖母竜と老賢竜達がそれを護っているから。


 例えそのどちらであったとしても、この場所の主、または番人である聖母竜と老賢竜達がこの状況を良しとしている以上、人には現状を受け入れる事しかできない。


 それに、何より問題なのは、リーネに気付いている様子がないという事だ。


 あそこで今、追いかけっこをしていたり、遊び疲れてひっくり返っていたり、まだ躰の縮尺に慣れていないらしく距離感がつかめずび移ろうとした場所に届かなくて落っこちたり……童心に返ってあっちへちょろちょろ、こっちへちょろちょろ、観ていて微笑ましい小翼竜達は、見た目こそ小さいものの幼竜ではない。千年に迫る、千年を超える、長い時をて力を蓄えた強大な竜族ドラゴン達なのだ。


 聖母竜も、老賢竜達も、自分が得た喜びを子や弟妹きょうだいに教えただけで他意はないのだろう。


 だがしかし、結果的に、微睡まどろみの中で自然へ溶け込むように生を終えて卵に転生するはずだった竜族ドラゴン達――本来なら表に現れる事なく消えて行くはずだった戦力を呼び覚まし、〝竜を統べる者〟としての権能を預かる当代の媛巫女であるリーネが、歴代の媛巫女達がになっていたものとは比べ物にならない絶大な力と責任を背負う事になってしまった。


 この事に気付いた時、リーネは、大差ないと開き直るか、それとも、重責に苦しむか……


 それに、国家を運営する者は、自国を守るため他国に対抗し得る戦力を持ちたがる。


 もし、他国がグランディアの大幅な戦力の増大を知ったら……


「ランス様。わたしは……やっぱり、みんなの名前を考えたり、ここに住み着くようなら、巣箱おうちを用意してもらったりしたほうがいいんでしょうか?」


 その平和な内容の質問は完全に想定外だったため咄嗟とっさに答える事ができず、その上、自分もまた孵化すうまれてくる幼竜の名前を考えなければならないのだという事に思い至り……


「……うぅ~……」


 名付けを苦手としているランスは、あそこにいる小翼竜達全ての名前を考える事を想像して思わずうめき声をもららした。


 ――それはさておき。


 『竜神の間』は、本来、媛巫女にのみ立ち入りが許されている場所。だからこそ、小さくなった竜族ドラゴン達が、ここで何を造ろうと、どう遊ぼうと、仮に住み着いたとしても、他への影響はない。遊び場を求めて街へ行かれる事を考えれば、むしろここでやってもらったほうがありがたい。


 そんなランスの意見に、リーネは、確かにそうですね、と同意し、更に、経験の少ない若輩である自分にではなく信頼するに足る有識者に相談する事を勧めると、これにも、分かりました、そうします、と言って頷いた。


 その後は……


 別の眷属の竜族ドラゴンがいる事に気付いた小翼竜達がむらがってきたり、


 眠い目をこすりつつフードの中から出てきたスピアや、頭を振って眠気を払ったパイクが、ごしゅじんとは比べ物にならない社交性を発揮してあっという間に仲良くなったり、


 スピアとパイクにお願いされて、ランスがコートのポケットから取り出した特別製の投石紐スリングで、求められるままそこいらで拾ってきた無数の石を次々と全力投擲とうてきし、小翼竜達がひろいに行って戻ってくる遊びを始めたり、


 知性まで【弱体化】しているという事はないと思うのだが、そんな遊びで大いに盛り上がったり、


 やはり小さくなっていても翼竜で、5~6頭で一つのグループを作り、グループごとに舞い上がって、飛んで行く石を追いかける姿とその凄まじい速度が、多連装ポッドから発射された小型誘導ミサイルみたいだったり、


 その遊びに混ざらず眺めているだけのグリューネを、リーネが、スピアの許可を得てランスから借りたブラシでブラッシングしたら、ものすごく気に入って気持ちよさそうに目を細めたり、


 ……などといった事をしている内に時は流れ。


 ランスは、そろそろ行くむねを伝えた途端、まるで電池が切れたかのように眠ってしまったスピアとパイクを抱え、リーネとグリューネ、それに8頭の老賢竜エルダーを始めとした小翼竜達に見送られて『竜神の間』を後にした。




 総合管理局ピースメーカーの本部があるのは、天空都市国家グランディアの中枢であり、他に国会議事堂や最高裁判所など国家機関が存在する浮遊島『フリサンセモ』。


 かつてそこにあったのは、魔王討伐後の魔王城の全施設や遺産を総合的に管理すると同時に、地上で残存していた魔王軍と完全なる決着を付けるためにもうけられた勇者達の拠点。


 そして、現在は、装飾をはいした重厚で巨大な箱型の建造物――国と地域を越えて犯罪者と戦う保安官の総本山に姿を変え、今を生きる人々を守り、平和な未来を作らんとするその精神と共に、『ピースメーカー』の名を引き継いでいる。


 そんな総合管理局に出頭したランスが通されたのは、保安官マーシャルエリザベート・ログレスの執務室オフィス


 廊下に並ぶドアの一つを開けて入ると、そこには保安官代理マーシャル・デピュティ達と事務員達のデスクが並び、その奥に、応接室を兼ねる保安官マーシャルの執務室がある。


 今その部屋にいるのは、四人と2頭。


 応接セットの二つ並ぶ一人掛けのソファー、その一方に座っているのは、この部屋の主であるエリザベート。その後ろには、保安官代理の二人、リアとブレアがひかえている。


 あいだに長方形のテーブルを挟み、対面の三人掛けのソファー、その中央に席を勧められたランスが腰を下ろし、その右側で躰を横たえたパイクが背中をごしゅじんの太腿にぴったりくっつけ四肢を伸ばして寝息を立てており、スピアはずっとフードの中で夢の中。


 そして、エリザベートが話し始めようと口を開いたちょうどその時、コンコン、とドアがノックされ、返事を待たずに入ってきたのは《トレイター保安官事務所》の所長――レヴェッカで、


「5分前だから待たせた事にはならないわね」


 そう言いつつ歩いてきて、エリザベートの隣、空いていた一人掛けのソファーに腰を下ろした。


「何で来たのよ。来なくていい、って連絡したはずよ」

「今朝になって一方的にね。だからその理由を訊きに来たのよ。――でもその前に」


 レヴェッカは、視線を隣のエリザベートから正面のランスへ移し、


「ねぇ、ランス君。ひょっとして、媛巫女様に会った?」


 その問いに、はい、と答えると、女性陣は揃って目をみはり、


「今、媛巫女様が綺麗なエメラルドの小さなドラゴンを抱っこしていた、とか、その周りに別の小さなドラゴンが8頭いた、って噂になってて、もの凄い騒ぎになってるんだけど、じゃあやっぱり――」

「――ちょっとッ! 余計な話は後にして」


 エリザベートは、そう言って話をさえぎると、一つため息をついてからレヴェッカに向かって、


「〝牙城の主〟とその一味全員の死亡が確認された」

「はぁッ!?」

「局長の指示で出動した特殊部隊が拠点アジトに突入した時にはもう全滅していて、集団グループでの犯行だと思われるが特定する証拠は何もなし。牙城から守りの薄い別の拠点へ移ったところを狙った敵対組織の犯行、または時期的に、ちょっかいをかけられたフーリガンの逆襲という可能性も視野に入れて捜査が始まってる」

「始まってる、って――」

「――私は外されたからこれ以上の事は分からない」

「外されたッ!? 何でよッ!? これは私達の……」


 そんな二人の言い争いのような会話を聞くとはなしに聞きながら、ランスは、穏やかに寝息を立てているパイクを撫でる。さも無関係であるかのように。


 集団での犯行だと思われる――確かにそう思うだろう。普通は、単独で敵地へ侵入し、奪った敵の武器で殲滅したなどとは考えない。


 それに、常識的に考えれば不可能だ。


 昨夜、彼女達と別れた後から日付が変わるまでのわずかな時間で、ランス・ゴッドスピードに賞金をけたのが、エリザベートやレヴェッカ達が家宅捜索ガサいれする直前に牙城から逃げ出し落ち延びた通称〝牙城の主〟だという事を突き止め、殺し屋〝天使と悪魔〟に仕事を依頼したのが、〝牙城の主〟が逃げ込んだ別の迷宮区にある拠点アジトを任されていた幹部の一人だという事を特定し、用意された大金を〝牙城の主〟に渡して標的ランスに賞金を懸け始末するよう依頼したのが、グランディアのとある議員の側近だという事まで調べ上げるなど。


 その上、依頼を受けて賞金を懸け殺せと命じた〝牙城の主〟と、殺し屋を差し向けたその幹部を敵と断定し、速やかにとある迷宮区の奥の拠点へ向かい、武器を手に襲い掛かってきた配下達を掃討そうとうし、〝牙城の主〟を仕留めて死亡を確認した後、その場所を示した地図と、拠点で入手した議員が犯罪者とつながっている証拠を、本日の未明に総合管理局局長の秘書の机の上に置いておく――そんな事ができるとは誰も思わないだろう。


 例えランスであっても、天空城の主としての権限で、管理者の機能を自由に使う事ができなければ不可能だった。


 それを――自分が天空城の主だという事を、天空城の管理者という存在を、隠さなければならなかったため、ランス・ゴッドスピードにはそれを実行する事が可能だと知られる訳にはいかない。故に、敵地での戦闘では敵の得物を奪って使用した。


 師匠との任務の際、目立たないよう移動しようとすると長物ながものは邪魔なため、現地で槍を調達できない場合は、棒でも、食事用のナイフでも、使えるものは何でも使った。故に、それは今更どうという事はない。だが、やはり槍を手にした場合より時間がかかってしまった。


 スピアとパイクの寝不足は、城館地下の私室で先に休んでいて良いと言っても一緒に行くと言ってきかず、自分達の無事を知らせるため『新生の間』の動けないかぞくもとに到着するまで、休みなくランスと行動を共にしていたからで……


「――とにかく! 依頼しようとしていた件は片付いてしまった。それに、捜査協力を依頼しても彼には受ける事ができない。そして、貴女にはこれからする話を聞く資格がない」


 強引に口論を終わらせ、退室を促すエリザベート。


 レヴェッカは、にらむと言う程ではないが、強い眼差しを幼馴染に向け……


「…………了解」


 それだけ言って席を立ち、部屋を出て行った。




 ドアが閉まったのを見届け、一つ息をつくエリザベート。


 そして、彼女の話は感謝から始まった。


 まずは、こうして要請に応じて出頭した事に対しての。


 次は、以前レヴェッカから聞いたが、改めて、調査が難航していた『虚実の迷宮』、その最奥部に築かれた悪の巣窟、通称『迷賊の牙城』までの道順が記されている地図を提供した事に対しての。


 それから、それを入手した経緯について訊きたそうな様子を見せつつもそうはせず、本題に入る前に、と前置きして、


「貴方は、『碧天祭』というものをご存知ですか?」


 そんな問いを放った。


「いいえ」

「昔から、『学生達を利用した代理戦争だ』という批判の声が少なからずある碧天祭ですが…………事実、国家間の問題や争いを平和的に解決する手段として利用されています」


 ただ、世間一般の人々はもちろん、当の学生達はその事を知らない。知る必要がない。政治家達にどのような思惑があろうと、親善を目的とし、互いの国の威信と名誉をかけて技を競い合い、高め合う――それで良い。


 問題は別のところにある。それは――


「学生達の成績が国益にかかわる。だからこそ、自国の利益のため、妨害工作を行なう者達が現れました」


 他国の学生が競技で使用する道具に細工する、盗む、破壊する、果てには競技に出場する選手をおどして出場を辞退させる、直接的に危害を加えて出場できなくする……などなど。過去には、工作員同士の戦闘に巻き込まれて観光客が死傷する事件まで発生した。


「学生達の努力や情熱を、その瞬間のために費やした時間を、積み上げてきたものを、大人達の都合でふいにされる――そんな事があって良いはずがない」


 とはいえ、事は国益にかかわる。それ故に、やめろと言ってやめる訳がない。


「そこで、とある人物がこう言ったそうです。――『やるならルールを守ってやれ』と」


 記録にその人物の名は残っていないそうだが、とにかく、その言葉から、碧天祭の裏で工作員達のルールにのっとった戦いが始まったと伝わっているらしい。


 つまり――


「自国の学生達を護りつつ他国の学生達を妨害する工作員達、通称『過剰な支持者フーリガン』達による攻防戦、――それが『裏碧天祭』です」


 そのルールは、学生に直接危害を加えてはならない、観光客など関係のない者を巻き込んではならない…………など、罰則を含め必要最低限のものだけで、それを守っている限り、総合管理局ピースメーカーはフーリガン達の暗闘を黙認する。


 浮遊島オルタンシアには、大円形闘技場や武道館など競技場以外にも、山岳地帯や湖沼地帯、砂漠など様々な環境を再現した会場が無数にあり、公的には、ランダムやくじ引きで決まるという事になっている試合会場や予選後に行なわれる本戦の組み合わせは、その実、フーリガン達の戦い――敵メンバーや敵チームの撃破数、味方メンバーの残存数などによって決められる。


 要するに、A国のフーリガン達が、勝っていれば、A国の学生達は得意とする会場、有利な組み合わせで試合にのぞむ事ができ、負けていれば、苦手とする会場、不利な組み合わせでの試合をいられる。


 更に、学生達の競技での賭博行為は禁止されているが、ダメだと言っても隠れてやる奴はどうしても出てくる。しかも、学生達を上回る実力者同士がぶつかり合う裏碧天祭は、金とひまを持てあました者達にとって最高の見世物で、碧天祭の開催期間中には莫大な額の金が動く。


 それ故に、今度は、ランスに差し向けられた殺し屋達のような、そのフーリガン達を支援するために陰で動く者達まで現れた。


 ――それはさておき。


「ここからが本題なのですが……」


 そう前置きしたエリザベートは、わずかな変化も見逃すまいと、ランスの瞳や表情を観ながら、


「貴方が、リーベーラ国立魔法学園のフーリガン、その全員の失踪しっそうに関与しているというのは事実ですか?」


 そう問われたランスの脳裏をよぎったのは、魔王城・城館跡に来なければミューエンバーグ家の人々を皆殺しにすると脅迫してきた、あの3名の魔族と4名の宝具人ミストルティン


「ブレア」


 エリザベートが、ランスから目を離さず腹心の部下を促す。


 すると、鉱物系人種ドヴェルグの女性保安官代理が手にしていたファイルを開き、七人分の名前を読み上げる。それらはどれも聞き覚えのない名前だったが、その後に口頭で伝えられた年齢や背格好、髪や瞳の色などの特徴は、ランスの脳裏を過ったあの7名と一致していた。


 しかし、全員失踪というのはどういう事なのか?


 魔族の男性三人は討ち果たしたが、宝具人の女性四人はみずからの脚であの場から立ち去った。彼女達は、いったい何所に……


「…………」

「…………、NOノーと言わないという事は、全く思い当たらないという訳ではないようですね」


 瞳の動きや表情からは何も読み取れず、小さく諦めの息をついてから確認するように言うエリザベート。


「リア」


 呼ばれて植物系人種アールヴの女性保安官代理が手にしていたファイルを開き、はい、とそこから抜き出した1枚の用紙を直属の上司に手渡した。


 それを受け取ったエリザベートは、確認のためその書面に目を通してから視線をランスに戻し、念を押すように言う。


「貴方は、もう裏碧天祭にかかわっている」


 どうやらそうらしい。


 自分は、師匠の教えにしたがい、関係のない者を巻き込んだ彼らてきを、殺そうとしてきたかれらを、返り討ちにした。


 しかし、あの言動からして本当にその自覚があったのかはうたがわしいが、事実、彼らはリーベーラ国立魔法学園のフーリガンだった。


 要するに、陥れはめられたのだ。あの場を御膳立てした組織か、その組織に命令を下した何者かに。


 彼らの失踪が事件として扱われているなら、自分はこれから重要参考人として、または容疑者として取り調べを受ける事になるのだろう、そう予想したランスだったが……


「グランディア政府は、媛巫女様の意向もあって、あらためた魔族の世界への復帰を支援する事を決定しました。しかし、その矢先に、その先駆けであるリーベーラ国立魔法学園の生徒達は、部外者の介入によってフーリガン達が行方ゆくえ知れずになった事で苦境に立たされています」


 どうにもそんな感じではない。


 エリザベートは、手にしていた紙をテーブルに置き、くるっ、と180度回転させたその紙を、スッ、とランスのほうへテーブルの中ほどまで滑らせ、手を離す。


 うながされてその紙を手に取り、書面に目を向けると、それは、ギルド《竜の顎》で使われている依頼者が仕事の内容を書き込むための用紙で、


「そこで、――ランス・ゴッドスピード、貴方に依頼します。リーベーラ国立魔法学園のフーリガン、その代理としてこの裏碧天祭に参加して下さい」


 依頼人の氏名を記入する場所は空欄くうらんになっている。


 指名依頼の場合、ギルドが意図的に依頼者の名前をスパルトイに伝えない事はあるものの、原則としてギルドは匿名とくめいでの依頼を受け付けない。


 つまり、これは、ギルドをかいさない非公式の依頼。


 仕事の内容を記入するらんには、今エリザベートが口にした事がもう少し詳しく書き込まれている。だが、報酬に関する記述は一切ない。


 そして――


「もし、その依頼を受けず、参加を拒否した場合、正常な実行のさまたげになると判断し、裏碧天祭を一時中止した上で全フーリガンを動員し、貴方を排除します」


 ランスは、視線を、書面からエリザベートへ向ける。


 よく観察しなくとも、彼女エリザベートはそう通達するよう上司から命令されただけなのだと察する事ができる。更に、その上司はもっと上から命令されたのだろう。


 ならば、今、彼女に何を言ってもどうにもならない。


「…………」


 以前、レヴェッカが警告してくれた。総合管理局ピースメーカーは、ランス・ゴッドスピードが魔王に、〝世界の敵〟に成りおおせるのではないかと危惧きぐし、危機感をつのらせ、いずれ必ず動く、と。


 そして、グランディア政府内にも総合管理局と考えを同じくする者達がいる。


 だが、世界最大の組織であるギルド《竜の顎》に身分を保証され、上級スパルトイとしての特権を有するため表立って手を出せない。


 しかし、スパルトイがギルドを介さず依頼を受けた場合は全て自己責任。


 そこで、この機会を利用して、断れない状況を作った上でギルドを介さず非公式に依頼し、魔王候補を、国家の脅威を排除する――そんなところだろう。


 遅かれ早かれこうなるだろうと覚悟はしていた。


 複数の神器と宝具、2頭の竜族ドラゴン……個人としてはあり得ないほど強大な力を預かりながら、どの国に属さない、言い換えると、どの国にとっても敵になり得る存在を、ただ放置するはずがない。


 取り込め。それが無理なら殺せ――どこの国でも考える事は同じだ。


「…………返事を聞かせてくれる?」


 無表情で無反応なランスにれたのか、催促するエリザベート。


 本来であれば、こんな依頼を受ける道理はない。無視してグランディアを出国してしまえば良い。


 とある議員トカゲのしっぽが、金を用意し、側近を使って〝牙城の主〟に、標的は一般人を自分の巻き添えにする事を嫌う、と吹き込み、賞金を懸けさせ、犯罪者に自国の民を人質に取らせたのはそれゆえ。ランスをグランディアから逃がさないための策だった。


 しかし、結局はただ墓穴を掘っただけ。そんなものはそもそも必要なかった。


 何故なら、新しい家族が孵化すうまれてくるまで、グランディアを離れられないからだ。


 その上、引き受けなかった場合は、いつどこでフーリガン達の襲撃を受けるか分からず、関係のない人々を巻き込んでしまう恐れがあり、『新生の間』の卵が狙われる可能性すらある。しかし、それを防ぐために始まった裏碧天祭に参加すれば、魔族を擁護ようごする魔王候補として執拗に狙われる事になるだろうが、巻き添えを気にする必要はなくなる。


 ならば、返事は決まっている。


「了解しました。この依頼、お引き受けします」


 総合管理局、グランディア政府、魔王候補が起こした事件によって損害をこうむった国々、そうでなくとも要請に応じて一時的に共闘する事をフーリガン達に許可した国々、魔族の事情に通じグランディア政府と最果ての島アーカイレムに封じられた魔族との間を取り持った第三者、それに、おそらく高みの見物を決め込んでいる魔王候補、あるいは候補達…………無数の思惑が複雑に絡み合っていて、とても把握する事などできない。


 だが、戦闘になってしまえば関係ない。


 ――敵に槍を打ち込む。


 ただそれだけだ。

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