第69話 竜神の間の異変
時は、殺し屋〝天使と悪魔〟襲来の翌日。
場所は、竜宮の一角、『新生の間』の最奥部。
長い夜が明けてしばしの時が立ち、普段ならそろそろ朝稽古を切り上げようかという時間だが、今日のランスは、ブーツと
壁にあいている穴に安置されている卵が燐光を放つ間隔は、昨日とさほど変わらない。その上で、四肢と言わず、首、尻尾、背中の両翼まで、でろ~ん、と伸ばしている
万能の神器〔
幼竜達の寝息だけが聞こえてくるこの静かで穏やかな時間がもうしばらく続く――かと思いきや、
「いたっ」
「みっけたー」
ランスは、後ろから聞こえてきたそんな声で、下ろしていた
瞑想中は、無意識での超反応で回避・迎撃ができるよう、自身を中心に直径およそ7メートルまで範囲を絞って精度を上げている。そのため【空識覚】では捕捉できていなかったが、頭部に装着してプレートを鉄兜の
足早に歩み寄ってくる二人の少女は、先日、ランス達を竜宮の門の前から媛巫女の
そして、彼女達に抱っこされているのは、【弱体化】で小型犬サイズになっている8頭の
先程の声の主は、その小翼竜達で、昨日はまだくぅくぅ鳴いているだけだったが、もう言葉を話せるまで慣れたようだ。
組んでいた脚を解いて立ち上がり、振り返って〔
『おはようございます、ランス・ゴッドスピード様』
そう挨拶して頭を下げる。そして、媛巫女が呼んでいるから来てほしい、という
おそらく、捜してほしいと頼まれた老賢竜が超感覚で見付け、教えてもらった媛巫女が迎えを頼んでそこまでの案内を付けたのだろう。
どうにも落ち着かないが、そんな事はおくびにも出さず、断る理由もないので承知した旨を
スピアとパイクはこのまま寝かせておこうと思ったのだが、
「いっしょいくー」
「いく~」
そう言って、半分
スピアは、早速もぞもぞ動いて寝る体勢を整え、いつもは抱っこすると躰を起こして顎を肩に乗っけてくるパイクも、両腕の中で器用に丸まって目を閉じる。
そして、小さな
「えッ!?」
「媛巫女様ッ!?」
そこは、謁見の間の奥。
少女巫女達は、隠し通路のような場所を進んだ玉座の裏側にある媛巫女専用と思しき手すり付きの階段、その3段目に腰を下ろし、両膝を抱え、
そして、そんな媛巫女の躰の陰にいたため気付くのが遅れたらしく、エメラルドのサラサラでもふもふな小翼竜――小さくなった
呼ばれて顔を上げ、ランスの姿を見付けた
「ランス様…………わたくしは、いったいどうすればいいのですか?」
そう言われても、『何を』の部分が分からずランスが沈黙していると、抱っこされたまま動かないパイクを見て、バッ、と
「パイクくん、どうしたんですか? それに、スピアちゃんは?」
自分の事など差し置いて幼竜達の事を心配し始め、
「ただの寝不足です」
それを聞いて、スピアは背中のフードの中にいる事を知ると、ほっ、と胸を撫で下ろし…………自分の問題を思い出してため息をついた。
情緒不安定なリーネは、階段にお座りしている
少女巫女達はここまでらしく、ずっと抱っこされてきた2頭の小翼竜は、自分の脚で、テッテッテッテッ、と元気に駆けて行き、ランスもリーネの後に続いた。
軽快な小翼竜達とは対照的にリーネの足取りは重く、結構な時間をかけてようやくたどり着いた『竜神の間』。
そこで目の当たりにした光景に、流石のランスも目を見開いた。
それは何故か?
まず、昨日
それだけでも十分驚くに
「本来なら、
そこで、元気に飛んだり
「みんなの遊び場になっちゃいました……。ここは『竜神の間』なのに……、聖域なのに……」
途方に暮れたように呟くリーネ。
〝
「…………」
先程の質問の『何を』の部分は分かったものの、明らかに聴く相手を間違えている。どう考えても、自分が判断すべき事柄ではない。
ただ、それでも再度意見を求められたなら、気にする必要はない、と答えるだろう。
何故なら、この場所が『竜神の間』と呼ばれ、聖域とされている理由として考えられるのは、主に二つ。
一つは、神に等しい力を有する聖母竜と老賢竜達を
一つは、この場所には何か秘密があり、聖母竜と老賢竜達がそれを護っているから。
例えそのどちらであったとしても、この場所の主、または番人である聖母竜と老賢竜達がこの状況を良しとしている以上、人には現状を受け入れる事しかできない。
それに、何より問題なのは、リーネに気付いている様子がないという事だ。
あそこで今、追いかけっこをしていたり、遊び疲れてひっくり返っていたり、まだ躰の縮尺に慣れていないらしく距離感がつかめず
聖母竜も、老賢竜達も、自分が得た喜びを子や
だがしかし、結果的に、
この事に気付いた時、リーネは、大差ないと開き直るか、それとも、重責に苦しむか……
それに、国家を運営する者は、自国を守るため他国に対抗し得る戦力を持ちたがる。
もし、他国がグランディアの大幅な戦力の増大を知ったら……
「ランス様。わたしは……やっぱり、みんなの名前を考えたり、ここに住み着くようなら、
その平和な内容の質問は完全に想定外だったため
「……うぅ~……」
名付けを苦手としているランスは、あそこにいる小翼竜達全ての名前を考える事を想像して思わず
――それはさておき。
『竜神の間』は、本来、媛巫女にのみ立ち入りが許されている場所。だからこそ、小さくなった
そんなランスの意見に、リーネは、確かにそうですね、と同意し、更に、経験の少ない若輩である自分にではなく信頼するに足る有識者に相談する事を勧めると、これにも、分かりました、そうします、と言って頷いた。
その後は……
別の眷属の
眠い目をこすりつつフードの中から出てきたスピアや、頭を振って眠気を払ったパイクが、ごしゅじんとは比べ物にならない社交性を発揮してあっという間に仲良くなったり、
スピアとパイクにお願いされて、ランスがコートのポケットから取り出した特別製の
知性まで【弱体化】しているという事はないと思うのだが、そんな遊びで大いに盛り上がったり、
やはり小さくなっていても翼竜で、5~6頭で一つのグループを作り、グループごとに舞い上がって、飛んで行く石を追いかける姿とその凄まじい速度が、多連装ポッドから発射された小型誘導ミサイルみたいだったり、
その遊びに混ざらず眺めているだけのグリューネを、リーネが、スピアの許可を得てランスから借りたブラシでブラッシングしたら、ものすごく気に入って気持ちよさそうに目を細めたり、
……などといった事をしている内に時は流れ。
ランスは、そろそろ行く
かつてそこにあったのは、魔王討伐後の魔王城の全施設や遺産を総合的に管理すると同時に、地上で残存していた魔王軍と完全なる決着を付けるために
そして、現在は、装飾を
そんな総合管理局に出頭したランスが通されたのは、
廊下に並ぶドアの一つを開けて入ると、そこには
今その部屋にいるのは、四人と2頭。
応接セットの二つ並ぶ一人掛けのソファー、その一方に座っているのは、この部屋の主であるエリザベート。その後ろには、保安官代理の二人、リアとブレアが
そして、エリザベートが話し始めようと口を開いたちょうどその時、コンコン、とドアがノックされ、返事を待たずに入ってきたのは《トレイター保安官事務所》の所長――レヴェッカで、
「5分前だから待たせた事にはならないわね」
そう言いつつ歩いてきて、エリザベートの隣、空いていた一人掛けのソファーに腰を下ろした。
「何で来たのよ。来なくていい、って連絡したはずよ」
「今朝になって一方的にね。だからその理由を訊きに来たのよ。――でもその前に」
レヴェッカは、視線を隣のエリザベートから正面のランスへ移し、
「ねぇ、ランス君。ひょっとして、媛巫女様に会った?」
その問いに、はい、と答えると、女性陣は揃って目を
「今、媛巫女様が綺麗なエメラルドの小さなドラゴンを抱っこしていた、とか、その周りに別の小さなドラゴンが8頭いた、って噂になってて、もの凄い騒ぎになってるんだけど、じゃあやっぱり――」
「――ちょっとッ! 余計な話は後にして」
エリザベートは、そう言って話を
「〝牙城の主〟とその一味全員の死亡が確認された」
「はぁッ!?」
「局長の指示で出動した特殊部隊が
「始まってる、って――」
「――私は外されたからこれ以上の事は分からない」
「外されたッ!? 何でよッ!? これは私達の……」
そんな二人の言い争いのような会話を聞くとはなしに聞きながら、ランスは、穏やかに寝息を立てているパイクを撫でる。さも無関係であるかのように。
集団での犯行だと思われる――確かにそう思うだろう。普通は、単独で敵地へ侵入し、奪った敵の武器で殲滅したなどとは考えない。
それに、常識的に考えれば不可能だ。
昨夜、彼女達と別れた後から日付が変わるまでのわずかな時間で、ランス・ゴッドスピードに賞金を
その上、依頼を受けて賞金を懸け殺せと命じた〝牙城の主〟と、殺し屋を差し向けたその幹部を敵と断定し、速やかにとある迷宮区の奥の拠点へ向かい、武器を手に襲い掛かってきた配下達を
例えランスであっても、天空城の主としての権限で、管理者の機能を自由に使う事ができなければ不可能だった。
それを――自分が天空城の主だという事を、天空城の管理者という存在を、隠さなければならなかったため、ランス・ゴッドスピードにはそれを実行する事が可能だと知られる訳にはいかない。故に、敵地での戦闘では敵の得物を奪って使用した。
師匠との任務の際、目立たないよう移動しようとすると
スピアとパイクの寝不足は、城館地下の私室で先に休んでいて良いと言っても一緒に行くと言ってきかず、自分達の無事を知らせるため『新生の間』の動けない
「――とにかく! 依頼しようとしていた件は片付いてしまった。それに、捜査協力を依頼しても彼には受ける事ができない。そして、貴女にはこれからする話を聞く資格がない」
強引に口論を終わらせ、退室を促すエリザベート。
レヴェッカは、
「…………了解」
それだけ言って席を立ち、部屋を出て行った。
ドアが閉まったのを見届け、一つ息をつくエリザベート。
そして、彼女の話は感謝から始まった。
まずは、こうして要請に応じて出頭した事に対しての。
次は、以前レヴェッカから聞いたが、改めて、調査が難航していた『虚実の迷宮』、その最奥部に築かれた悪の巣窟、通称『迷賊の牙城』までの道順が記されている地図を提供した事に対しての。
それから、それを入手した経緯について訊きたそうな様子を見せつつもそうはせず、本題に入る前に、と前置きして、
「貴方は、『裏碧天祭』というものをご存知ですか?」
そんな問いを放った。
「いいえ」
「昔から、『学生達を利用した代理戦争だ』という批判の声が少なからずある碧天祭ですが…………事実、国家間の問題や争いを平和的に解決する手段として利用されています」
ただ、世間一般の人々はもちろん、当の学生達はその事を知らない。知る必要がない。政治家達にどのような思惑があろうと、親善を目的とし、互いの国の威信と名誉をかけて技を競い合い、高め合う――それで良い。
問題は別のところにある。それは――
「学生達の成績が国益にかかわる。だからこそ、自国の利益のため、妨害工作を行なう者達が現れました」
他国の学生が競技で使用する道具に細工する、盗む、破壊する、果てには競技に出場する選手を
「学生達の努力や情熱を、その瞬間のために費やした時間を、積み上げてきたものを、大人達の都合でふいにされる――そんな事があって良いはずがない」
とはいえ、事は国益にかかわる。それ故に、やめろと言ってやめる訳がない。
「そこで、とある人物がこう言ったそうです。――『やるならルールを守ってやれ』と」
記録にその人物の名は残っていないそうだが、とにかく、その言葉から、碧天祭の裏で工作員達のルールに
つまり――
「自国の学生達を護りつつ他国の学生達を妨害する工作員達、通称『
そのルールは、学生に直接危害を加えてはならない、観光客など関係のない者を巻き込んではならない…………など、罰則を含め必要最低限のものだけで、それを守っている限り、
浮遊島オルタンシアには、大円形闘技場や武道館など競技場以外にも、山岳地帯や湖沼地帯、砂漠など様々な環境を再現した会場が無数にあり、公的には、ランダムやくじ引きで決まるという事になっている試合会場や予選後に行なわれる本戦の組み合わせは、その実、フーリガン達の戦い――敵メンバーや敵チームの撃破数、味方メンバーの残存数などによって決められる。
要するに、A国のフーリガン達が、勝っていれば、A国の学生達は得意とする会場、有利な組み合わせで試合に
更に、学生達の競技での賭博行為は禁止されているが、ダメだと言っても隠れてやる奴はどうしても出てくる。しかも、学生達を上回る実力者同士がぶつかり合う裏碧天祭は、金と
それ故に、今度は、ランスに差し向けられた殺し屋達のような、そのフーリガン達を支援するために陰で動く者達まで現れた。
――それはさておき。
「ここからが本題なのですが……」
そう前置きしたエリザベートは、わずかな変化も見逃すまいと、ランスの瞳や表情を観ながら、
「貴方が、リーベーラ国立魔法学園のフーリガン、その全員の
そう問われたランスの脳裏を
「ブレア」
エリザベートが、ランスから目を離さず腹心の部下を促す。
すると、
しかし、全員失踪というのはどういう事なのか?
魔族の男性三人は討ち果たしたが、宝具人の女性四人は
「…………」
「…………、
瞳の動きや表情からは何も読み取れず、小さく諦めの息をついてから確認するように言うエリザベート。
「リア」
呼ばれて
それを受け取ったエリザベートは、確認のためその書面に目を通してから視線をランスに戻し、念を押すように言う。
「貴方は、もう裏碧天祭に
どうやらそうらしい。
自分は、師匠の教えに
しかし、あの言動からして本当にその自覚があったのかは
要するに、
彼らの失踪が事件として扱われているなら、自分はこれから重要参考人として、または容疑者として取り調べを受ける事になるのだろう、そう予想したランスだったが……
「グランディア政府は、媛巫女様の意向もあって、
どうにもそんな感じではない。
エリザベートは、手にしていた紙をテーブルに置き、くるっ、と180度回転させたその紙を、スッ、とランスのほうへテーブルの中ほどまで滑らせ、手を離す。
「そこで、――ランス・ゴッドスピード、貴方に依頼します。リーベーラ国立魔法学園のフーリガン、その代理としてこの裏碧天祭に参加して下さい」
依頼人の氏名を記入する場所は
指名依頼の場合、ギルドが意図的に依頼者の名前をスパルトイに伝えない事はあるものの、原則としてギルドは
つまり、これは、ギルドを
仕事の内容を記入する
そして――
「もし、その依頼を受けず、参加を拒否した場合、正常な実行の
ランスは、視線を、書面からエリザベートへ向ける。
よく観察しなくとも、
ならば、今、彼女に何を言ってもどうにもならない。
「…………」
以前、レヴェッカが警告してくれた。
そして、グランディア政府内にも総合管理局と考えを同じくする者達がいる。
だが、世界最大の組織であるギルド《竜の顎》に身分を保証され、上級スパルトイとしての特権を有するため表立って手を出せない。
しかし、スパルトイがギルドを介さず依頼を受けた場合は全て自己責任。
そこで、この機会を利用して、断れない状況を作った上でギルドを介さず非公式に依頼し、魔王候補を、国家の脅威を排除する――そんなところだろう。
遅かれ早かれこうなるだろうと覚悟はしていた。
複数の神器と宝具、2頭の
取り込め。それが無理なら殺せ――どこの国でも考える事は同じだ。
「…………返事を聞かせてくれる?」
無表情で無反応なランスに
本来であれば、こんな依頼を受ける道理はない。無視してグランディアを出国してしまえば良い。
しかし、結局はただ墓穴を掘っただけ。そんなものはそもそも必要なかった。
何故なら、新しい家族が
その上、引き受けなかった場合は、いつどこでフーリガン達の襲撃を受けるか分からず、関係のない人々を巻き込んでしまう恐れがあり、『新生の間』の卵が狙われる可能性すらある。しかし、それを防ぐために始まった裏碧天祭に参加すれば、魔族を
ならば、返事は決まっている。
「了解しました。この依頼、お引き受けします」
総合管理局、グランディア政府、魔王候補が起こした事件によって損害を
だが、戦闘になってしまえば関係ない。
――敵に槍を打ち込む。
ただそれだけだ。
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