第55話 天空城の主

 ランスは光の玉ガイドがない闇の中、自身を中心に展開している球形の【空識覚】で範囲内の状況と進路上にある罠を事前に把握しつつ、『迷わずの迷路』と呼ばれているらしい迷宮区を突き進む。


 これまでに確認できた罠は5種類。


 上下左右、突当りでは正面からも飛び出してくる石槍。


 合掌するように勢いよく左右から同時に迫る壁。


 空気圧で発射されたような勢いで落ちてくる天井。


 縦か横で真っ二つに割れるように口を開ける落とし穴。


 そして、本命と思しき肉眼では視認できない紋様――触れた瞬間に発動すると思われる術的な罠。


 通常、侵入者用の罠は判り難く不規則に配置するものだが、この迷宮区は、解除方法のない前4種の罠が通路を埋め尽くし、その中に紛れるようにして不規則に肉眼では視認できない本命の術的罠が配置されている。


 〔万里眼鏡マルチスコープ〕は【霊視】と【暗視】を重複発動させる事が可能だが、【暗視】は使わない。それは、そのほうが肉眼では確認できない紋様、術的罠の存在が闇の中でよりくっきりと浮かび上がって視えるからだ。


 リノン達と別れた後は、一本道だが正方形の石板3枚以上直線が続く事はなく、右へ左へとカクカク折れ曲がるクランクが続き、意識を本来の速度域に戻しているランスには迫る罠がスローモーションのように見えているため回避するのは容易たやすく、壁を、天井を、〝踏空〟で空中を、時には飛び出してきた石槍をも足場として蹴って進み――


(ダメだったか……)


 後を追ってくる幼竜達の気配に胸中でため息をつく。


 先に受けたレヴェッカの依頼を優先させたが、ミューエンバーグ家の家令に任された以上、リノンを家へ送り届けねばならない。だからこそ、いざと言う時の備えにスピアとパイクを残したのだが……。


「…………」


 またいたった突当りの分岐点。幸いそこには罠がなく、足を止めて振り返り待っていると、


「ごしゅじんっ」


 追い付いた小飛竜スピアがごしゅじんに飛び付いて、ひしっ、としがみ付き、小地竜パイクはその前で、ピシッ、と気を付けするように綺麗なお座りをする。


 どうやら、スピアは頼まれたのにそれを放ってついてきてしまった事を悪いとは思っていないようだ。むしろ、置いて行こうとした事に対して怒っているようですらある。その一方、パイクは悪いと思っているようで、黙って見ているとご機嫌取りな感じで尻尾をフリフリし始めた。


「はぁ~……」


 こうなる予感がなかったと言えば嘘になる。ランスは仕方ないと諦めのため息をつき、思考を『迷わずの迷宮』の攻略に切り替えた。


「…………」


 【空識覚】で左右の道を調べると、右側の道には罠がなく、左側の道にはここまでと同様に罠が満載。


 普通なら安全な道を選ぶだろう。だが……


(罠が、侵入者の進行をはばむためのものだとするなら……)


 罠がない事こそが出口から遠ざけ永遠に彷徨さまよわせるための罠であり、罠がある通路の先にこそ終着点ゴールがあるのではないだろうか?


 どちらへ進むか? ――思案したのは一瞬。


 師匠が言っていた。――〝死に最も遠いのは、大鎌を構えた死神のふところだ〟と。


「行こう」

「きゅいっ」

「がうっ」


 ランスは臆さず、数多あまたの罠が待ち受ける左の道へ飛び込んだ。




 ――リノン達と別れてからおよそ5分。


「――――ッ!?」


 途中から現れ始めた階段で上下しつつ、迷わず罠がある道を選び、止まる事なく進み続けてきたが、新たに表れた突当りの分岐点で足を止めた。


 それは何故か?


 左右、どちらの道にも罠がなかったからだ。


 ここまでの論理で判断するなら、どちらも罠という事になる。


「…………」


 右か、左か、考えてみたものの答えを出すために必要な判断材料がない。


 そこで、ランスは竜族ドラゴンの超感覚を頼ろうと意見を訊くために振り返り――


「――――ッ!」


 そこにもう一つ、道を発見した。


 スピアとパイクは、正方形の石板一つ分空けず後に続き、今はすぐ後ろ、同じ石板の上で自分が道を選ぶのを待っている。


 罠は通過した後しばらくすると元の状態に戻るため、どちらの道が正しいのかと考えている間に、今通って来た道は元通りの光景を取り戻しており……


「…………」


 まさか、と思いつつも、ランスは今通過したばかり道へ。


 来た時、そこには罠があった。


 戻っても、やはりそこには罠がある。


 だが――


「――――ッ!」


 軍幼年学校での訓練と師匠との修行によって、一度通った道を忘れないランスは、迷路が変化している事に気付き、ここまでの判断基準が正しかった事を確信した。


 つまり、魔王城と呼ばれていた頃から今なお変化し続けているというこの迷宮区には、戻る道など存在しない。それが前であれ、後ろであれ、進む道しかないのだ。




 ――リノン達と別れてからおよそ15分。


「――――ッ!」


 体操選手や軽業師が脱帽の高速アクロバットのような挙動の連続で全ての罠をことごとく回避し、伝説の勇者以外、光の玉のガイドなく突破した事がないと言われている迷宮区を休みなく驚異的なスピードで進み続け…………ランスはついにドアを発見した。


 だからと言って気は抜かず、スピア、パイクと慎重に近寄り、突当りにあるドアに妙な仕掛けがない事を【空識覚】で確認してからノブに手をかける――その直前、


「…………」


 ふと手を止めた。


 罠がない事こそが出口から遠ざけ永遠に彷徨さまよわせるための罠であり、罠がある通路の先にこそ終着点ゴールがある――この論理でここまできた。


 だが、最後の罠――落とし穴を〝踏空〟でかわしてから、このドアまでの石板2枚分、それに、このドアにも


 【空識覚】をドアの向こう側まで広げて調べてみると、どうやら公園のような場所に出るようなのだが……


「スピア、パイク」

「きゅうきゅう」

「がおがお」


 首を左右に振る幼竜達。スピアとパイクにも危険を感知できないという事は、どうやら本当にただの出口らしい。


 このドアを開けて潜れば、そこがグランディアのどの辺りかは分からないが、この迷路からは抜け出せるのだろう。しかし――


(本当にそうなのか?)


 それは、言わば特殊な訓練を受けた兵士のさが。状況が不自然であるという事は何者かの作為が働いているというあかしであり、不審感を覚えた以上、それをそのまま放置する事はできない。


「…………」


 ランスはドアノブに向かって伸ばした手を戻し、きびすを返してドアに背を向け、集中力と精度をより高めた【空識覚】で調べながら道を戻る。


 そして、落とし穴のきわに立ち、まさかと思いつつも知覚範囲を球形から変形させて底へ向かって広げ…………見付けた。


 落とし穴の底のほうに、横へ続く隠し通路があるのを。


 ランス、スピア、パイクは、顔を見合わせて頷き合うと、ここまで信じてきた判断基準にしたがい、罠がない通路の先のドアではなく、罠がある道おとしあなを選ぶ。


 両手でそれぞれスピアとパイクを小脇に抱え、一度は〝踏空〟で躱した罠の上へ。ガコンッ、と何かが外れる音が響くと同時に石板が真っ二つに割れ、ランスと幼竜達は穴に落ち…………数秒間の自由落下後、練法【落下速度制御】で減速。壁を蹴った反動で反対側の壁をすり抜けてその先――視覚をあざむく幻覚で隠蔽された通路に飛び込み着地した。


(ここは……)


 どうやら、ここは既に『迷わずの迷路』と呼ばれている迷宮区とは別の区画エリアらしい。横幅や天井までの高さは変わらないが、上下左右前後に延々と正方形の石板が並んでいた迷路とは異なり、継ぎ目一つない白い通路の先に書籍が並ぶ本棚が確認できる。


 その瞬間、ランスはふとある可能性に思い至り、床に下ろしたスピア、パイクと共に進んで広い空間に出た時、それは確信に変わった。


 ランスの目的は、この迷宮区を突破する事であり、ゴールは出口。しかし、本来それが目的なら光の玉のガイドに従えば良い。故に、そんな理由で危険をおかす者はいない。では、あえて危険を冒そうという者達のゴールは何所どこで目的は何かというと、それは、シュノーが言っていた魔王や魔王軍幹部の部屋や研究室であり、そこにあると期待される宝だろう。


 つまり、正しい選択をする事で辿り着くゴールは、宝であって、出口ではない。


 要するに、ランスは前提を間違えていたのだ。


 宝具〔万里眼鏡〕があり、固有練法【空識覚】があり、継戦能力にけた捷勁法の使い手であり、起動した罠がスローモーションのように見える世界屈指の速さ自慢スピードスターであるランスは無傷で突破したが、『迷わずの迷路』は伝説の勇者以外、光の玉ガイドなしに通過できた者がいないと言われている迷宮区。宝探しトレジャーハンター達にとっては、あの通路の先のドアこそ誤った選択。まさに罠がない事こそが罠。ゴールを素通りさせて外へ放り出す、並々ならぬ苦労や仲間の犠牲……全てを無駄にさせる悪意に満ちた最悪の仕掛けだ。


 しかし、ランス達にとっては、調べて出した結論通り、目指していたただの出口ゴールだったという事で……


「…………」


 光源は見当たらないが、部屋全体が間接照明のような柔らかな明かりで照らし出されており、振り返ると案の定、既に戻る道は失われ、始めからそこに通路などなかったかのように壁があるのみ。


「ごしゅじん?」

「がう?」


 スピアとパイクは、何故か小さくため息をついたごしゅじんが肩を落しているのを見て、不思議そうに首を傾げた。




 ――〔ようこそ〕〔貴方の来訪を歓迎します〕


 前触れもなくランスの頭の中に直接響いたのは、男声とも女声とも言えない無機質な音声。感触としては【念話】に近い。


「…………」


 表面上は完璧に平静を装い、この部屋に入る前から【空識覚】を展開しているランスは、〔万里眼鏡〕を【霊視】モードのままゆっくりと室内を見回した。


 しかし、語り掛けてきた存在を発見できない。


 【精神感応】で訊くと、スピアとパイクは無機質な音声を聞いておらず、竜族の超感覚でも捕捉できないとの事。


〔貴方の姓名を述べて下さい〕

「…………」


 ランスは無言のまま適当に歩を進める。そして、行動する自分に対しての反応を窺ったが…………何もない。


〔貴方の姓名を述べて下さい〕


 ただどこからともなく一定の間隔でそう繰り返すのみ。話がそこから先へ進まない。


 それなら、とランスはその無機質な音声を無視して出口を探す事にした――が、結果から言ってしまうと、発見できなかった。


 静謐せいひつな雰囲気が漂うこの場所は、書斎、蔵書部屋、資料室などと言うよりも図書館と呼ぶべき規模があり、ランス達が最初に足を踏み入れたフロア、書き物をしながら大判の本を数冊開いたまま並べられるほど大きなデスクと椅子がある階から3階まで吹き抜けになっていて、各階にはそれぞれ数十もの本棚が整然と並び、その全てに蔵書が納められている。更にその階から下にフロアが二つあり、そちらには魔導書と呼ばれるような強い力が宿る書物を管理するためのものらしく、封印も兼ねていると思しき一冊ずつ安置する書架が等間隔に並んでいた。


 一通り探した後、他に方法はなさそうだ、とデスクの前で腹をくくるランスをよそに、スピアとパイクは、無闇矢鱈むやみやたらと元気よく縦横無尽に走り回っている。散歩でたまに行く大草原や果てしない荒野でもよくこうなるのだが、どうにも目の前に誰もいない広い場所があると無性むしょうに走り出したくなるらしい。


 物を壊したり、本を破いたりする訳ではなく誰の迷惑にもならないので、ランスはとりあえず、魔導書などきけんぶつがある下の階にはいかないようにだけ注意しておいた。


 ――それはさておき。


〔貴方の姓名を述べて下さい〕


 既に戻る道はなく、出口も見付けられない。どうやらこの求めに応じなければ、話も、先へも進めないらしい。


〔貴方の姓名を述べて下さい〕

「ランス・ゴッドスピード」


 もう何度目か数えていないが、問われるのを待って答える。すると――


〔登録が完了しました〕〔これより天空城のマスター ランス・ゴッドスピード にお仕え致します〕


 話は前へ、というか、妙な方向へ進んだ。


 『天空城』とは、おそらく、かつて人々が魔王城と呼んだこの場所の正式名称で、現在のグランディアの事だろう。


「主になるつもりはない」

〔前任者の死亡が確認されているため有資格者が自動的に登録されました〕〔変更する場合〕〔後任の有資格者への継承手続きを実行して下さい〕


 その方法を問うと、後任者を天空城の中枢に位置する〔コア〕の前へ連れて行かなければならないらしい。


 つまり、今はどうにもならない。


 そこで、思考を切り替え、外へ出る方法を問う。


 すると、不可能だという答えが返ってきた。


 それは何故かと問い、話をまとめると――


 天空城は自力で解消できない二つの大きな問題を抱えていた。


 一つは、主の不在。


 一つは、城館内の第5研究室で発生中の非常事態。


 研究室で問題が発生した場合、それを外部へ漏出させないための処置として、城館内は自動的に外界から隔絶される。そういう仕組みシステムらしい。


 しかし、主の不在は最優先で解消すべき問題。


 それ故に、天空城の城館――浮遊島ロコモスの中央に存在する歴史的建造物いせきとその地下に広がる空間は、内へ入る事はできても外へは出られない状態だった。


 そして、前者が解消されたため、現在は入る事も出る事もできない状態になっており、無機質な音声の正体である天空城の人造精霊――名称『管理者』にはシステムに干渉する権限はなく、それは主となったランスが口頭で命じただけで変更できるものではないとの事。


「第5研究室で発生中の非常事態とは?」


 こんな所で、やれ、できない、と押し問答を繰り返しても時間の無駄だと判断し、そう尋ねると、


〔創造主が構想し製作に着手したものの完成には至らなかった神器が暴走しています〕


 そんな答えが返ってきた。


 否も応もない。リノンの願いを叶え、彼女を家へ送り届け、依頼を達成するために、まずは障害を排除し、ここから脱出する。


「問題を解消するための手段は?」

〔十分な量の霊力を注ぎ込み神器を完成させて下さい〕


 ランスは神器の斧槍を召喚し、


「これで破壊する事は?」

〔可能です〕〔――警告〕〔破壊時に爆発する恐れがあります〕〔情報が不足しているため被害の規模を予測できません〕


 斧槍を送還してから、


「完成に必要とされる霊力の量は?」

〔回答不能〕〔情報が不足しています〕

「第5研究室までの移動方法は?」

〔【転位罠トランスポーター】を布設し出現座標を第5研究室前に再設定します〕


 その直後、ランスの前の床に出現したのは、迷宮区にあった術的罠の紋様と同じもののように見える。しかし、〔万里眼鏡〕のプレートを上げて確認すると、それとは違って目の前のものは肉眼で視認できる。


 それについて問いただすと、種類が複数ある術的罠の中の一つ、現在は『迷宮区』と呼ばれている許可なき者の城館への侵入を阻止するための施設に仕掛けられているものと同じ、侵入者を城外へ強制転位させる【転位罠】だという答えが返ってきた。ただし、この罠は基本的に出現地点がランダムに設定されグランディア以外の何所へ放り出されるか分からないが、管理者は任意の地点に布設、除去、出現座標の再設定が可能との事。


 要するに、本来は敵を排除するために用意された機能だが、それを布設する管理者に命令する事ができる主は、その機能を移動のために利用する事ができるらしい。


「暴走している未完成の神器についての情報をあるだけ、それと、現場の状況を可能な限り詳しく知りたい」


 すると、〔収納品目録〕の仮想操作画面ウィンドウのような画面が5枚、空中に投影された。その内の2枚には未完成の神器に関する資料が表示され、3枚に現在の第5研究室の様子が別々の角度から映し出されている。


 〔収納品目録〕のウィンドウとは違ってイメージしただけでは操作できず、ランスが投影された画面に手指で触れて操作し必要な情報を収集していると、ごしゅじんが何かをしているのに気付いて幼竜達が戻ってきた。スピアはランスの肩の上に舞い降り、パイクは脚から反対側の肩の上までよじ登る。


 そして、飽きたスピアがかまってアピールを始めそうな気配を漂わせ出した頃、だからという訳ではないが、ランスは手で、サッ、と投影された画面を払って消し、床にある【転位罠】の紋様の上へと歩を進めた。

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