第54話 グラスを買おう

 美味しい昼食を堪能して、のんびり食後のお茶も頂いて、それでもリノンを迎えに行くにはまだ早い。


 そこで、ランスは幼竜達と酒を買いに行く事にした。


 ご隠居達においとまする旨を伝えて丸太造りの小屋ローランのダイニングキッチンを後にし、珍しくはしゃいでいる小地竜パイクと、一緒に跳ね回る小飛竜スピアなだめつつ、表に停めていたクルーズ・フォームの〔汎用特殊大型自動二輪車ユナイテッド〕に乗り、見送りは無用だと伝えたのに表に出てきてくれた子猫ミーヤを抱いたソフィアと先生、ご隠居、ご老公に見送られて出発する。


 向かうは、階層ごとに小都市が収まるほど巨大な塔の内部にある、グランディア最大の複合商業施設。


 ご隠居曰く、その一等地にあるフィードゥキア商会の百貨店デパートには酒屋も入っており、世界中の酒を扱っているとの事。


 移動中、いつもならそこはスピアの定位置なのだが、今ランスの前に乗って〔ユナイテッド〕の風防カウルに両前足を掛けているのはパイクで、スピアは後ろで後ろ向きに乗り、背後から前へ流れて行くいつもと違う見え方の景色を楽しんでいる。


 そして、それは巨塔上部の浮遊島ロコモスまで来た時の事。


 巨塔の内部へ下りるルート上にはグランディア最大のビジネス街があり――


「――ごしゅじんっ!」


 そこを通過中、流れて行く景色を眺めていたスピアが唐突に声を上げて背中に飛び付いてきた。


 助けを求める声が聞こえたのかと思いきや、ランスは【精神感応】で伝えられたその内容に頬を緩めて了解した旨を返し、車線を変更して〔ユナイテッド〕をUターンさせる。


「がぅう?」


 前だけ見ていたパイクはどうして引き返すのかと戸惑いの声を漏らし、振り返ってごしゅじんを見上げ……ランスが〔ユナイテッド〕を停めたのは、先進的な街並みの中にあってレトロな雰囲気をかもし出す赤レンガの建物の前。


 四階建てと言うのか三階半建てと言うのか、看板を見ると、半地下の1階は酒場バー、2階は酒屋。その酒屋で扱っているのは酒類だけではないようで、短い階段を上がった所にあるショーウィンドウには大小様々なグラスが展示されている。


 走行中にスピアが目を留めたのはそれで、今向かっている百貨店にもあるだろうと思いつつもランスがここに〔ユナイテッド〕を停めた理由わけは、


「かう こっぷ」

「がうがうっ!」


 翁が使っていたような酒を飲むためのグラスを買うため。


 スピアがごしゅじんの肩の上から説明すると、パイクは戸惑いから一転、瞳を煌めかせて尻尾をフリフリし、揃って店の前の歩道へ飛び降りるなり駆けてそのまま2階への階段を跳ねるように上って行く。


「ごしゅじんっ ごしゅじんっ」

「ごぉ~しゅじ~んっ」


 このグランディアでも珍しい〔ユナイテッド〕は人目をくため、それなりに人通りが多い場所に路上駐車しておくと人だかりができてしまうかもしれない。


 そこで、〔ユナイテッド〕から降りたランスが格納庫として使っている〔収納品目録〕に収納すると、楽しみ過ぎてそのわずかな間も待ちきれないらしい幼竜達はドアの前でピョンピョン跳ねてごしゅじんをかし――


「……え? えぇっ!?」


 表が騒がしいのに気付いて何事か確認するために出てきたのだろう。カランカランッ、とベルの音を響かせてドアが開き、店内から姿を現した女性が、ぬいぐるみのような生き物たちを発見して目を丸くし――見知らぬ人間の出現に、スピアとパイクは脱兎の如くごしゅじんの許へ駆け戻った。




 店内に並ぶ、酒、酒、酒。


 ビール、ワイン、ウィスキー、ブランデー、ラム、ウォッカ、ジン、メスカル……などなど。ランスは、酒にこれほどの種類があるとは思いもしなかった。


 そもそも酒というのは、大きく醸造酒、蒸留酒、混成酒の三つに分けられるらしい。


 そんな基礎から教えてくれたのは、先程ドアを開けて顔を出したヒューマンの女性で、彼女は『リニス・ウィルコックス』と名乗った。


 歳は20代前半で、髪は毛先が肩に触れない程度に整え、清潔感漂うカジュアルな装いにこの店のロゴが入ったエプロンをしている。


「ようこそ、《ウィルコックス酒店》へ!」


 彼女が営業スマイルで戸惑いを押し隠し、スピアを肩に乗せてパイクを抱っこしたランスを店内へ迎え入れたのが、およそ30分前の事。


「どのようなものをお探しですか?」


 他に客のいない店内で、何かを手に取るでもなくうろうろフラフラしているのを見兼ねたらしく、彼女からランスにそう声をかけた。


 その時までは確かに二人の関係は、一見客いちげんきゃくと店員以外の何ものでもなかったのだが、


「仕事の後、格別の一杯を飲むためのグラスを探しています」


 ランスがそう真面目に答え、スピアがきゅいきゅい、パイクががうがう頷く。すると、リニスはぽかんとした後、ぷっ、と噴き出し、きょとんとするランス達に失礼を謝罪してから態度を軟化させた。


 グラスもまた実に大小様々な形があり、リニスに好きな酒を問われたランスは、飲んだ事がないと答え、それ一つで様々な酒を楽しめるグラスはないかと問われたリニスがランスにすすめたのは、オールド・ファッションド・グラス――通称『ロックグラス』。


 すると、ランスはして迷う事もなく、口が広く背が低い円筒形で装飾がない、透明なガラス製のシンプルなものを選び、渋い、という評価を得た。


 その一方で、スピアとパイクが少し迷った末に選んだのは、ランスが選んだロックグラスを縮小したような『ショットグラス』。


 それは、アルコール度数が高い酒をストレートで飲むためのグラスで、小型なのは、グイッ、と一口で飲むためらしい。


 スピアとパイクがそんなグラスを選んだのは、今のサイズのちいさいままでも持ちやすいから。


 横に長い会計カウンターの端で向かい合ってお座りし、両前足でショットグラスを持ち上げ、ごしゅじんもっ、と促して三つのグラスを、キンッ、と軽く合わせる。


「かんぱいっ」

「かんぱ~いっ」

「乾杯」


 リニスは、楽しそうに飲む真似をする幼竜達を見て、可愛過ぎる……~ッ!! と身悶えし、幼竜達に付き合ってしっかり飲む真似をするランスには好意的な笑みを向けた。


 ――それはさておき。


 問題はグラス選びの後。


 《ウィルコックス酒店》では、グラスだけではなく酒も置いている――というか、酒類をあきなかたわらグラスも扱っている。


 百貨店へ向かっていたのは酒を買うため。そして、百貨店で買わなければならない理由も、この店で買ってはならない理由もない。


 そんな訳で、三つのグラスと一緒に酒も買う事にしたのだが……


「がうぅ~…… がうぅ~……」


 天井に届く大きな棚が並び、所狭しと様々な酒が並ぶ店内は、パイクにとって夢の国かと思いきや、どうやら迷いの森だったらしい。


 瞳をキラキラさせていたのは最初だけで、今はどれを購入するか悩みながら【重力操作】であっちへふよふよ、こっちへフラフラ飛び回っている。


 当初、ランスはこの店にある酒を全種類1本ずつ買えば良いだろう思っていたのだが、資産運用と貯蓄に熱心なドラゴンが難色を示したため、この店の売れ筋トップ10を全て1本ずつと、他にランスとスピアとパイクで1本ずつ選ぶ事に。


 まず、スピアが迷わず飛び付いたのは、リニスの祖父が洒落しゃれで置いていたという蛇酒。


 鋭い牙を剥いた野太い毒蛇が一匹丸ごと大きなびんの底でとぐろを巻いていて、気付けや滋養強壮などの薬効があらしい。リニスが、本当にそれで良いのかと何度も確認しつつも、中の蛇が空気に触れないところまで飲んでからラム酒を継ぎ足せば3回くらいまで薬効が期待できる、と教えてくれた。スピアは舌なめずりしてそのじっくり酒に漬かった蛇を食べる気満々だ。


 次に選んだのはランスで、スピアが選んだ蛇酒に継ぎ足すラム酒にした。そのまま飲まずに継ぎ足しても、蛇が入っているといないとでは味が違うのか飲み比べてみても良い。


 それとは別に、酒を初めて飲んだ感動で我を忘れたパイクが衝動的に飲み干してしまった二本、その翁からもらい受けた空瓶をリニスに見せて同じものはないかと訊き、40年物のウィスキーのほうはなかったが、翁が飲んでいたほうはあったのでそれも購入する。


 そして現在、ランスとスピアは、パイクが迷いに迷っている一方で、昼は父親が任されているこの酒店で、夜は下の酒場《エノテラ・ストリクタ》でオーナーの祖父を手伝いながらソムリエを目指して勉強しているというリニスに、酒の種類や、ストレート、ロック、水割り、お湯割り、カクテルなど様々な飲み方についてのレクチャーを受けている。


 それから程なくして、未だに悩んでいるパイクをよそに、話の内容は、飲むなら知っておいたほうが良い事に。


「飲む前に、チーズや牛乳……牛の乳を?」

「はい。乳製品にはアルコールの刺激から胃腸の粘膜を保護する効果があると言われているんです」


 獣の乳を飲むという習慣はないが、チーズはサンドイッチの具として薄くスライスしたものをよく食べる。


「分かりました。酒を飲む前にはチーズを食べるようにします」

「牛乳は、骨を丈夫にしてくれるので、お酒を飲む前に限らず普段から飲んだほうが良いんですよ?」

「骨を丈夫に?」


 チーズだけで良いだろうと思っていたが、それを聞いて、ランスは牛乳を飲もうと決めた。


 やがて話は、飲酒運転はダメ、薬と一緒に飲んではダメ、いっき飲みはダメ、飲み過ぎはダメ……など、やってはいけない事に。


 途中、見兼ねたリニスが幾つか試飲できるものがあるとすすめてくれたのだが、パイクは一仕事終えるまで飲まないと断り、話を聞くのに飽きていたスピアはこの機に昼寝するためごしゅじんのロングコートのフードの中へ。


 聴くのがランスだけでも話は再開され、内容は、楽しく飲めるのはほろ酔いまで、大量の飲酒を続けるのは生活習慣病のもと……など、注意すべき事になって……


「がうぅ~…… がうぅ~……」


 リニスの話が一通り終わってもまだパイクは悩んでいる。


 ただ悩み苦しんでいる訳ではなく、困ってしまう程たくさんある事を喜び、選ぶのを楽しんでもいるようなのでかさず見守っていたが、もう良いだろう。


 宙を漂っていたところをひょいと捕まえてどれにするか訊くと、パイクが選んだのは、翁へのお詫びの品と同じウィスキーだった。


 格別かどうか確かめるには別の時に飲んだ事がある酒である必要がある――そう考えて、あれも良さそうこれも飲んでみたいと思い悩んでいたのは嘘ではないが、今回買うものについては早い段階で決めていたらしい。


「ありがとうございました。またのご来店をお待ち申し上げております」


 そう丁寧にお辞儀をしてから、ふと表情を緩め、


「祖父にスピアちゃんとパイクくんの事を話して問題なく入店できるようにしておくので、美味しいお酒を飲みに下のお店にも来て下さい」


 そう言って微笑むリニスに見送られて、ランス達は《ウィルコックス酒店》を後にした。




 絶えず移動し続ける天空都市国家グランディアがあるのは、地表からおよそ20キロ離れた空の上。だが、同じ高度で横から観るとシャボン玉のように見える結界の効果で、その中の気圧は地上と変わりなく、各浮遊島で上を見上げれば青い空があり、夕暮れ時には茜色に染まり、夜には雲一つない満天に星々が広がる。


 そんなグランディアの空が、茜色から夜空への美しいグラデーションに染まる頃。


 ランスは、階層ごとに小都市が収まるほど巨大な塔の内部に存在する複合商業施設、その上層に位置する未だに手付かずの遺跡――迷宮区の中で最も濃い謎に包まれた場所と言われている通称『迷わずの迷路』の入口に立っていた。


 何故そんな場所にいるのか?


 それは、成り行きとしか言いようがない。


 順を追って説明すると――


 《ウィルコックス酒店》を後にしたランス達は、当初の予定通り百貨店にも寄り、例の40年物のウィスキーはそこにもなかったが、どこそこの有名レストランで提供されているハウスワインと紹介されていた、世間一般で美味しいと評価されているらしいお手頃価格のワインを数本購入した。


 その後、ミューエンバーグ家の家令に教えられた場所――複合商業施設の一画、グランディアでも五本の指に入る高級ホテル《ロイヤルグランディア》でリノンと再会する事ができたのだが……話が妙な方向へ転がり出したのはその後から。


 グランディア四大大祭の一つである『碧天祭』とは、学生達が主役の祭典で、年に一度、選び抜かれた各国を代表する学生達が、かつて勇者が魔王を討った天上の国へ昇り、親善を目的としつつも学校対抗の形で覇を競う世界大会。


 通常、出場する学生達とその関係者は、開催期間中の滞在費をグランディアがまかなう浮遊島『オルタンシア』にある選手村に入るのだが、イルシオン皇国の学生代表達は例年通り自国の費用で《ロイヤルグランディア》に宿泊する事が決まっていた。


 今日、来週の頭から始まるという碧天祭に出場するために入国したイルシオンの学生達は、幾つかのグループに分かれてグランディアを観光する事になっていて、リノンが友人2名と共に碧天祭実行委員会から任されたのはそのガイド。


 ランス、スピア、パイクが、クルーズ・フォームの〔ユナイテッド〕をホテルの正面玄関が見える位置に停めて乗ったまま待っていたところに、一般のものより車体が前後に長い運転手付き高級乗用車ハイヤーで、リノン達とイルシオンの学生達が戻ってきた。


 その時はまだ友人2名と共に手伝いの最中。そちらを優先させなければならなかったリノンは、ランスとスピア、それからパイクへの再会と初対面の挨拶をやむを得ず簡潔に済ませると、今噂の竜飼師に会いたがっている人達がいると話し、ランスに、会ってあげてくれませんか? と頼んだ。


 普段であれば断るところだが、ランスが受けたレヴェッカの依頼は、リノンとの約束の履行と、その要望に可能な限り応える事。それ故に、是非もない。


 ランスは、リノンの頼みを承諾し、ホテルのロビーで、今日リノンがガイドを務めた学生グループのまとめ役、『ローデン公爵公女・オーラヴ子爵・ユリアーナ・デュノワ』と面会した。


 その際の一幕は割愛するとして、ユリアーナと別れた後、その面会の前に本日の役目から解放されていたリノンと合流するため、待ってると言っていたロビーの一画にあるラウンジへ向かうと、そこでリノンと友人2名が、彼女達と同じくガイドをして戻ってきたと思しき同じ学校の制服を身に纏った男子3名と険悪な雰囲気で対峙していた。


 そこにランスが姿を現すと、少年達は、特にその中の一人は〝再来の勇者〟と謳われる竜飼師とスパルトイに対して強い反感を抱いているらしく、所詮しょせんは噂とランスをき下ろし、ランスは平然と聞き流していたのだが、何も知らないくせにどうしてそんなひどい事が言えるのかと間に割って入ったリノンと口喧嘩になり……その挙句の果てが現在の状況。


 要するに、売り言葉に買い言葉でリノンが口にした事が嘘ではないと証明するため、少年が出した試練にランスが挑む事になったのだ。


 その時、もしランスが達成できなければ自分が何でも一ついう事をきくという旨の約束までしてしまい、少年達が先にホテルから出て行った後、友人達にらしくないと言われてハッと我に返ったリノンは、深呼吸して自分を落ち着かせると、ムキになってしまった自分が情けないと悔し涙を必死にこらえていた――が、それも束の間。ごしゅじんのためによくぞ言ったとばかりにスピアとパイクがきゅーきゅーがぅがぅ慰めため、程なく笑顔に。


 ――何はともあれ。


 今、ランス、スピア、パイクと一緒にいるのは、学校の制服姿のリノンと彼女の同級生達。〔ユナイテッド〕は〔収納品目録〕の中。


 ここまで昇降機エレベーターと徒歩で移動する間に、ランスに少年達の事を、いじわるですごく嫌なやつら、と教えたのは、ショートカットでボーイッシュな『シュノー』。ランスの袖をチョンチョンと引っ張って、たぶんランスさんのことが嫌いなんじゃなくて、リノンちゃんの事が好きなんだと思います、とこっそり耳打ちしたのは、艶やかな長い髪をゆったりとした三つ編みにした『アイリーン』。


 ランスは、何故それが自分を誹謗中傷する理由になるのかと内心で首を傾げつつ、抱っこして、こちらの右肩に顎を乗っけているパイクの背中を、ぽん、ぽん……、とゆっくり撫でる。


 こうしているから今は落ち着いているが、抱き上げるまではごしゅじんをけなされたと腹を立て、ホテルの外で待っていた少年達を見付けるなり睨み付け、牙を剥いて唸ってどうしようもなかった。リノン以外の少年少女の好奇の視線から逃げてフードの中に隠れているスピアも、自分も、何を言われようと気にしないと分かってはいても苛々いらいらが抑えられないらしい。


 少女達は、ランスの肩に顎を乗っけて尻尾をゆらゆらさせているパイクを見てかわいいかわいいとひそひそ言い合っているが、少年達はビビり切って移動中も一定の距離を置き、


「おい――」

「――グルルルルル」


 三人の中でリノンと言い合いをしていた少年が何か言おうとしたようだが、即座に反応したパイクに唸られ、ビクッ、と震えあがって口をつぐんでしまった。


 パイクの背中を撫でて落ち着かせながら、進むよう促そうとしたのだろうと察し、ランスは迷路に一歩足を踏み入れる。


 その瞬間、前方、ランスの胸の高さにバスケットボール大の光の玉が忽然と出現した。


「この迷宮区が『迷わずの迷路』って呼ばれているのは、この光の玉のあとについていくと、罠のない安全なルートで出口まで通りぬけることができるからなんです」

「だから、迷宮区の中でここだけが観光地になってるんだよ。中に入って安全に見学することができる魔王城時代の遺跡だって」

「でも、人気にんきはないんです。人が出入りするたびに変化するっていっても、見ためはかわらないし、ずぅ――~っと同じような通路をすすむだけだから」


 光の玉の周りに集まって口々にこの迷宮区についてランスに教える少女達。


「それだけじゃ――」

「――グルルルルル」


 しばらく少年達の話は聞けそうにない。ランスは、パイクの背中をぽんぽん撫でて落ち着かせながら内心でため息をついた。


「実はね、この『迷わずの迷路』には、魔王や魔王軍幹部の部屋があるんじゃないか、っていわれてるんだよ」

「魔王の……」


 表面上は平静を装っていても、嫌な予感がしてならない。


 そんなランスをよそに、こうやって、と言いながらシュノーが光の玉に触れると、それは空中を滑るように通路の奥へ向かって進み、ある程度進んだところでついてくるのを待つかのように止まった。


「わたしたちがさわっても、まっすぐ出口に案内されるだけなんだけど、魔王とか魔王軍の幹部がこれにさわると、自分の部屋や専用の研究室に案内されるじゃないかっていわれてるんだよ」


 ね? と同意を求められたアイリーンは、うん、と頷き、


「それが、今もここだけが変化し続けていて、ここだけにこんな仕掛けがある理由なんじゃないか、って、前に社会科見学でクラスのみんなときた時、プロのガイドさんがいってました」


 アイリーンは躊躇ためらいつつも、それに、と続け、


「光の玉のガイドなしにこの迷路を突破できたのは、伝説の勇者様たちだけで、ガイドを無視してすすんだ宝探しトレジャーハンターが、何人もでてこないまま行方不明になっている、とも……」

「フンっ、怖気おじけづ――」

「――グルルルルル」


 ――何はともあれ。


 こんな所で立ち尽くしていても何の解決にもならない。


 一行は先へ進み、光の玉に触れたシュノーを先頭に、少女達、ランス達と続き、少年達も距離を保ったままついて行った。




 『迷わずの迷路』の道幅は一車線の道路ほど。床も、天井も、左右の壁も、同じサイズの正方形の石板が延々と並んで通路を形作っている。光源はガイドの光の玉だけで、眩しくはないが前後石板3枚分の範囲を照らし出し、その外側は闇に覆われてもう入口が見えない。


「きゅきゅう」

「…………」


 この空間には霊気マナが全く存在しないらしい。フードの中から肩の上に出てきて迷路を観察し始めたスピアからの報告に、ランスは〔収納品目録〕から〔万里眼鏡〕を取り出して装着し、プレートを下ろした。


 どちらも正常に機能する。【空識覚】の維持も問題ない。


 それが確認できてランスが内心で安堵する一方、その際の、カシャンッ、という音で、以前に来た事があるからか、それまで平然としていた少年少女達の表情が強張った。


「ど、どうしたんですか?」


 リノンに問われ、ランスがスピアに教えてもらった事を伝えると、


「ひょっとして、迷路の外より中のほうがさむいような気がするのは、そのせいでしょうか?」


 迷路の外と中で気温の差は感じない。おそらく、それを聞いて二の腕をさする少女達には体外霊気感受性マナ・センシビリティがあるのだろう。自分にはない感覚なので、ランスには、分からない、としか答えられなかった。


 そして、しばらく真っ直ぐの一本道だったが、ついに突当りに行き着いた。そこで道が左右に分かれている。


 光の玉は左の道へ。


 しかし、一行は突当りで足を止め、床にパイクを下ろしたランスが躰を向けたのは右の道。


「おいっ!」

「――グルルルルル」


 流石に慣れたのか、リノンと言い合いをしていた少年は、ひるみこそしたものの、ぐっ、と踏み止まり、


「さ、〝再来の勇者〟の噂はおおげさなつくり話だと認めて、ミューエンバーグが今後いっさい俺にさからわないと約束するなら、やめてもかまわないぞ!」


 それに言い返そうと口を開いたリノンの機先を制し、ぽんっ、と少女の頭に手を乗せるランス。


 〝再来の勇者〟の噂が本当で、実力が本物なら、伝説の勇者と同じ事ができるはず――本来であれば、そんな少年の妄言に付き合ってやる義理も、おかす必要のない危険に飛び込む道理もない。


 だが、ランスが受けたレヴェッカの依頼は、リノンとの約束の履行と、その要望に可能な限り応える事。リノンが、ランスさんならできますッ! と応じてしまったのだから是非もない。


「や――~っ! いっしょいくっ いっしょいくぅ――~っ!!」


 肩の上のスピアをひょいと捕まえると、置いて行かれそうな気配を察したらしくジタバタ暴れ始めたが、


「リノンを頼む」


 そう口にしつつ【精神感応】で、戻りが遅くなるようなら自分の代わりに家へ送り届けてほしい、と頼み、スピアとパイクに任せておけば安心だ、と伝える。すると、ものすごく不服そうだがとりあえずジタバタするのはやめたので、リノンに預けた。


「あ、あの、ランスさん……~っ!」


 言葉を詰まらせたリノンは、やめて、と言おうとしたのか、それとも、気を付けて、と言おうとしたのか……


「…………」


 ランスは無言のまま一つ頷き、


 (――兵は神速を貴ぶ)


 スピアを抱っこしたリノン、その足元のパイク、心配そうにも不安げにも見えるシュノーとアイリーンの視線を背中に感じながら迷いのない足取りで、一歩、二歩、三歩……、と光の玉のガイドとは逆の道へ歩を進め――ジャキンッ、と床から飛び出してきた先端を円錐状にとがらせただけの石槍を、くるっ、と回り込むようにかわした。


 その瞬間を目の当たりにした見送る者達の中から、ヒィッ!? と悲鳴が上がる。


 それをよそに、意識を本来の速度域に戻したランスは臆する事なく、床、天井、左右の壁から次々と飛び出してくる石槍をアクロバットのような体捌きで躱しながら進み続け、あっという間に光の玉が照らす範囲を出てその姿が闇の中へ消えた。


 ジャキンッジャキンッガッジャキンッジャキンッジャキンッズガンッガコンッジャキンッジャキンッ…………連続する発動した罠が立てているであろう音がどんどん遠ざかって行く。


「…………、――あっ!?」


 それに気をとられていたリノンのすきいて自分を抱えている腕から抜け出したスピアが、間髪入れずその後に続いたパイクが、飛び出したままの石槍の隙間を駆け抜け、ごしゅじんを追って闇の中へ。


「スピアちゃんダメっ!! 待ってッ! 戻ってきてッ! スピアちゃ――~んッ!! パイクくぅ――~んッ!!」


 リノンと一緒にシュノー、アイリーンも必死に呼びかけるが、幼竜達が戻ってくる気配はなく、罠が作動した際の音もどんどん小さくなり……やがて光の玉が照らし出す範囲の石槍がスルスルと引っ込んで飛び出してきた穴が見えなくなった。


『…………』


 そこにあるのは元通りの光景。


 違うのは、槍使いの竜飼師と幼竜達の姿がない事だけ。


 まるで始めからランス達などいなかったかのように振舞う迷路の静寂が、呆然と立ち尽くす少年少女達を包み込んだ。

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