第53話 酒との遭遇

 このログハウスは、料理を趣味とするご老公のためのもので、通称を『ローランのダイニングキッチン』というらしい。


 そして、それは、そんなご老公が昼食を作り始め、ソフィアが先生おかあさんを呼びに地下へ向かった後の出来事。


 そうするよう勧められ、丸テーブルのほうの椅子をカウンターに持ってきて席に着いたランスが、両手でそれぞれ小飛竜スピア子猫ミーヤを構っていると、小地竜パイクは何か気になる事があるようで、トテトテトテ……、とカウンターテーブルの上をおきなのほうへ向かい……


「ん? 何じゃ?」

「な~に それ?」


 翁が手にしているロックグラスに顔を寄せてスンスン匂いを嗅ぎ、その中で揺れる琥珀色の液体について質問した。


「酒を知らんのか?」

「さけ?」


 翁は、パイクが小首を傾げたのを見ると、ふむ、とひげを撫で……ぐいっ、とあおって空にすると、酒瓶の栓を開けて新たにぐ。そして、そのグラスをパイクの前に置いた。


 翁がどんなつもりでそんな事をしたのかは分からない。だが――


「ごしゅじん?」


 振り返ってごしゅじんにお伺いを立てるパイク。


 自分は酒をたしなまない。故に、パイクだけではなくスピアも飲んだ事がない。師匠が二日酔いで苦しむ姿を何度も見ているので、今後も酒を飲むつもりはなかった。おそらく、こんな機会でもなければ酒に接する事はないだろう。


 興味があり、機会に恵まれたなら、何でも試してみれば良い。ランスはそう考えて、うずうずそわそわしている幼竜に向かって頷いた。


「いただきます」


 グラスの前でお座りし、翁にそう言ってから琥珀色の液体に顔を近付け、ぺろっ、と舐めた――次の瞬間、くわっ、と目を見開いたパイクの全身の毛が、ぶわっ、と逆立った。


 そして、ブルブルブルッ、と身震いすると、おもむろにグラスを両前足で器用に掴み、持ち上げて琥珀色の液体を口内へ流し込み、あっと言う間に飲み干して、


「おかわりっ」


 すぐさま次を要求する。


「お? お、おう」


 動揺を隠せない様子の翁がウィスキーを注ぐと、パイクは、ぐいっ、といっきに飲み干して、


「おかわりっ」

「お、おい、ちょっと待て。酒ってのはだな、もっと香りと味と風情を味わいながら――」

「――おっ かっ わっ りぃっ!」

「うっ!? ぬぅ……」


 なりは小さくとも眼光にうかがわれた竜族ドラゴンの力の片鱗に気圧けおされ、うめきつつ泣く泣く次を注ぐ翁。


 そして、それもまた一瞬で飲み干され、


「おかわりっ!」

「ま、待て待て待て! 竜族ドラゴンが急性アルコール中毒で倒れたなんて話を聞いた事はねぇが、酒と女は覚え始めが危な――」

「――おっ かっ わっ りぃっ!」


 グラスを突き出され、うぐっ、と酒瓶を抱えて仰け反った翁は、ちょっとした好奇心から墓穴を掘ってしまった事を悟り、飼い主に助けを求めようと視線を逸らした――その瞬間、


「うおっ!? あっ、ちょっと待てッ! あっ…あぁ~――…」


 パイクは【念動力】で酒瓶をひったくり、キュポンッ、と栓を開け、瓶の口をくわえ様に上向いて逆さまにし、ドボドボドボ……、と中身を全て飲み干した。


 翁は、その香りも、味も、風情も、味わっている様子のない、排水口に捨てているかのような飲みっぷりに嘆きの声を漏らし…………空瓶を脇に置いた幼竜、その視線が後ろの棚へ向けられたのを見て震えあがり、


「頼むッ! もう勘弁してくれッ! わしの楽しみを――あぁッ!?」


 棚に並んでいる酒瓶、その中で最も目立っているウィスキーのボトルが【念動力】によって浮かび上がったのを見て目を剥いた。


「ま、待てッ! 待ってくれッ! それは取って置きの――あっ…あぁ~――…」


 翁は、ドボドボドボ……、と減って行くのを愕然と見詰めながら、


「……樽の中で過ごした40年と……800万が、一瞬で……」

「―――~っ!?」


 その嘆きに反応したのは、パイクではなく、スピア。


 スピアも酒には興味がある。だが、ころんと仰向けになってごしゅじんにお腹を撫でてもらっている今は動く気になれなかった。


 しかし、それを聞いた瞬間、ごしゅじんの手をね除けて起き上がると、浮かび上がった次の酒瓶を【念動力】で棚へ押し戻す。


「なんでっ!?」


 興奮して冷静さを失っているパイクは憤慨し、


「だめっ!!」

「どしてっ!?」


 このままどちらも譲らず喧嘩へ突入する――かと思いきや、


「ごしゅじん ずっといっしょ ――しさんうんようっ!」

「がうぅっ!?」


 スピアの口から出た予想外の言葉、それに対するパイクの思いがけない反応に、老人達と家妖精の兄妹は目をみはり、ただダメだと言っても聞き入れないだろうと察してどう説得したものか考えていたランスは苦笑した。




 スピアからあの少ない言葉と一緒に、思念で、人間の一生は自分達のそれと比べてあまりにも短く、ごしゅじんと少しでも長く一緒にいるためには、資産を運用して貯えを少しでも増やしておく必要があるらしいのだが、お酒は高価なものらしく、それをどんどん飲むと貯えが減り、ごしゅじんと一緒にいられる時間が短くなる……といったような事を伝えられたパイクは、正直なところ、よく分からなかった。


 だがしかし、『ごしゅじんと一緒にいられる時間が短くなる』というただ一点だけは、よく分からなかった、で済ます事など到底できず、


「がうぅ~…… がうぅ~……」


 答えは既に出ている。だが、どうしても諦めきれないパイクは、心底弱り切った様子で、既に飲み干してテーブルに置いた酒瓶とごしゅじんとの間で何度も視線を往復させ……


「……がうっ」


 一同が固唾を呑んで見守る中、未練を断ち切るかのように顔を逸らし、右前足で酒瓶を突き放した。


 その選択に、どこからともなく感嘆するような、称賛するような声が漏れ聞こえてくる。


 そんな中、ランスは、とぼとぼと帰ってきたパイクを抱き上げた。


 椅子に座ったまま両手で抱っこし、【精神感応】で意思疎通するのにそうする必要はないのだが、何となく、おでことおでこを触れ合わせる。


 そして、まぶたを閉じて伝えたのは、禁酒させるつもりも、する必要もないという事と、師匠と過ごした任務終了後のひと時の記憶。


〝くぅうぅ~――――~ッ!! はぁ~っ、やはり仕事後の一杯は格別だなっ!〟


「がう? しごとあと いっぱい かくべつ?」

「師匠はそう言っていたよ」


 ランスは頷き、パイクをテーブルに下ろすと、お座りした幼竜の喉や横顔を撫でながら【精神感応】で語り掛ける。


 先程のような飲み方をしていては、スピアの言う通り、今ある資産全てが酒代として消えるのにさほど時間は掛からないだろう。だが、酒もピンキリ。手頃な価格で美味い酒だってあるだろうし、しっかり働いて稼げば大きく資産を減らす事なく高級なお酒だって買える。


 それに、極端な事を言ってしまうと、餓喰吸収能力を発現させたパイク達は、ほっするままに飲み続け、この世に存在する全ての酒を一滴残らず飲み干す事ができる。しかし、際限なく飲み続けられるからこそ満ち足りる事はない。


 だからこそ――


「酒の飲み方を考えないとな」


 今日これで最後、ではなく、これからも美味しく、楽しく、酒とつき合って行くために。


「がうがうっ!」


 嬉しそうに尻尾をパタパタ振りながら頷いたパイクをランスが両手でわしゃわしゃ撫でると、撫でられながら手にじゃれついてきたので更に撫で回した。


 そして、次にスピアを招き、やはりそうする必要はないのだが、何となく額を合わせ、瞼を閉じて見せたのは、


〝お前と酒を飲める日が楽しみだ〟


 笑みを浮かべてそう言ってくれた師匠の記憶。叶える事ができなかった願い。


 当時は未成年で、軍幼年学校の生徒は飲酒が禁止されていたため、結局、師匠と酒を酌み交わす事は叶わなかった。しかし、あの時の師匠の表情や雰囲気から、おそらく、『一緒に酒を飲む』という行為には、ただの飲酒という以上の意味があるのだと思われる。


 それ故に――


「スピアとパイクと一緒になら、俺も飲んでみようかな」


 師匠をしのび、叶わなかった特別なひと時を新たな家族と過ごすために。


 どう説得したものか考えてこの事を思い出すまでそんなつもりは全くなかったのだが、今はそう思う。


「きゅう~っ」


 一度はダメだとパイクを止めたスピアも、そういう事なら、と納得してくれた。


 そのついでに、資産運用について、そこまで気にする必要はないと思っているという事も伝えておく。


 人里で生きて行くなら、確かにあったほうが良いだろう。しかし、そこにこだわらなければ、生存術サバイバル熟達者エキスパートであるため、何所であろうとおのが身一つで生きて行く事ができる。


 その上更に、スピアとパイクが一緒なのだ。この世の何所でも好きな場所へ行き、好きなように生きて行く事ができるだろう。その証拠に、生きては還れないと言われているレムリディア大陸の大樹海、そこでのサバイバル生活すら苦にせず、平然と生還している。


 それ故に、あるに越した事はないが、なくなったらなくなったで構わない。


「きゅきゅう~」


 すると、スピアのほうからこちらの掌に頭をすり寄せてきた。


 分かったのか分からないのか判然としない反応だが……まぁ、とりあえず、右手で喉や頭を撫でつつ左手で毛を梳くように背中を撫でると、またころんと転がってお腹を見せてきたので、掌全体を使って温めるように撫でる。


 そうしていると、ミーヤまでが構って構ってと躰をすり寄せて来て、珍しく右肩の上に登ってきたパイクが横顔にぴとっと躰を寄り添わせてきた。


 きゅうきゅうがうがうミャーミャー小動物達にまとわりつかれるランス。


 そんな少年を、梁の上から眺めている家妖精の兄妹は未知の生命体を観察するかのように凝視し、ご隠居は思わず笑みを浮かべて、ご老公は奇跡を目の当たりにしたかのように息を飲んで、翁は束の間悲嘆を忘れて、これが今何かと話題の規格外と称される前代未聞の竜飼師ドラゴンブリーダーか、と言葉もなく見詰めていた。




「申し訳ありませんでした」

「ごめんなさい」


 話がまとまって幼竜達と子猫が落ち着いたところで、ランスは席を立ち、パイクと共に謝罪する。


 そんな少年と幼竜に対して、翁は、原因を作ったのは自分だと言い、もう済んじまった事だと言って許した。


 そして、賠償方法は翁が世捨て人である事を考慮し、金銭ではなく現物のほうが良いだろうと考え、空の酒瓶を頂戴して同じものを探し出して届ける事を提案すると、


「それでも構わんが、別のものでも良いぞ」

「別のもの?」

「その土地へおもむかなければ手に入らん、名産品や地酒だ」


「めーさんひん?」

「じじゃけ~?」


 小首を傾げるスピアとパイクに、【精神感応】で、特産物や名物とも言われるその土地の名高い産物や、その土地で採れたもので作られた酒の事だと伝える。


 すると、パイクはやはり各地の地酒に興味を示したが、スピアは行った先にある物よりそこへ行くという旅の要素に興味を示した。


 だからという訳ではないが、ランスが了解した旨を伝えると、


「それなら、私も頼めないかな?」


 そう言い出したのはご老公で、


「店には出回らないような珍しい食材を手に入れる機会に恵まれたなら、是非お願いしたい。もちろん、そのために費用が掛かったなら、その分とお礼を支払わせてもらうよ」

「店には出回らない食材……」


 それなら問題ないので引き受けた。


 現に今も〔収納品目録〕の一つに備蓄されている。この中に収納されていると時間が経過しないため腐る事がない。とはいえ、正直なところ大量にあり過ぎて持て余していた。


 そこで、今も提供できる事を告げると、是非、との事なので、最もストックが多いものを早速〔収納品目録〕から取り出すと、


「こ、これは……いったい何の肉なんだい?」


 どうやら期待していたものではなかったらしい。ご老公は、厨房中央の広い調理台の上に出現した猪一頭に相当する巨大な肉塊を前にして引いており、


「レムリディア大陸の大樹海に生息する猪型怪物モンスターの肉です」


 それを聞くと、ご隠居や翁までが目を剥いた。


「君は怪物をしょくすのかい?」


 怪物化した動物の肉は食べられない――それが世間の常識。


 だが、ランスは、はい、と頷き、


「肉体を変質させたものや、霊力で身体強化している通常の怪物は食べられません。ですが、生体力場フィールドを有するに至った怪物は別です。元は肉食や雑食の獣でも、生命を維持するための食事が必要なくなり、反撃を受ける危険を冒してまで他の動物を捕食する事がなくなるため、野生動物の肉ジビエ特有の臭みは控えめで、自重じじゅうを筋骨ではなく生体力場で支えているため肉質は非常に軟らかく、豊富に霊力を含みます」


 話を聞いた三賢人は、目から鱗が落ちた思いで巨大な肉塊に目を向け、


「なるほど……。うむ、物は試しと言うからね」


 ご老公は、まずシンプルに塩コショウのみで食べてみる事に。ご隠居と翁も味見を希望したため、包丁で一口大に切り取った3切れの肉をフライパンで焼く。


 そして、程よく焼き上がった肉を三人で試食すると、


「ふむ、食えるな」


 翁の感想はそれだけだったが、なかなか気に入った様子で、


「とても軟らかく、上質な豚肉よりも旨味が強い。臭みも決して嫌な臭みではないし……これは料理人の腕の見せどころだな」


 そうご隠居に言われたご老公は、じっくりと肉を味わってから頷き、


「それにしても、実に素晴らしい。この歳になってもまだ新たな発見に出会えるなんて」


 そう言って大袈裟な身振り手振りで感動を表すと、せっかくだからとこの肉を使って一品追加する事に。


 必要な分を切り取ると、食糧庫代わり使っているらしいご老公所有の〔収納品目録〕に残りをしまい、調理を再開した。


 この厨房に揃えられている設備もそうだが、調理の腕も趣味の域に留まるものではなく、一流料理人のような手際で食材を加工して行き、ティムエルとアナピヤ――家妖精の兄妹が同時並行で複数の料理を作るご老公をサポートする。


 『家妖精』とも言われる『ブラウニー族』は、多くの妖精族が生き延びるために身を隠す事を選ぶ中、他種族との共存共栄を選んだ氏族で、一定範囲内の空間の掌握と管理に長けた能力を有している。


 調理器具が意思を持ったかのように宙に浮かんで動くのも、皿が勝手に棚から出てきて並べられるもの、【念動力】ではなく、掌握した一定範囲内――屋内の空間を操作して行っているようだ。


 ――何はともあれ。


 ご老公とティムエル、アナピヤの見事な仕事ぶりは見ていて飽きる事がなく、スピアとパイクもテーブルの上で立ち上がって一段高くなっているカウンターに両前足をつき、身を乗り出すようにして観賞している。


 そうしている内に、ソフィアと一緒に先生がやってきて席に着いた。


 ランスは、ミーヤを抱っこしているソフィアやご隠居から、近況や今造ろうとしているという木の上の家ツリーハウスの話を聞きながら料理ができるのを待つ。


 そして、きょうされた昼食は盛り付けまで素晴らしく、これを崩してしまっても良いのかと躊躇ためらいを覚えもしたが、まずスピアに食べさせると、んまいっ、と瞳をきらめかせ、パイクに食べさせると、んまんま、と初めて酒を飲んだ時ほどの衝撃は覚えなかったようで、自分も頂いてみると、とても美味しかった。


「…………」


 とても美味しい――その感想に嘘偽りはない、のだが……正直なところ、手が込んでいる上、味付けが繊細過ぎて、肉以外、自分が何を食べているのか、ランスにはよく分からなかった。

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