第39話 笑った

〝任務とはいえ、大勢殺した俺は地獄に落ちるだろうが、まぁ、それも悪くない〟


 何かの折に、師匠がそう話していたのを覚えている。何故なら――


〝地獄にいるのは悪魔と悪人だけだ。頭を空っぽにして技に身を委ねても、無辜むこの民を巻き添えにしちまう事だけはないからな〟


 それを聞いて、確かにその通りだ、と思ったからだ。


 それなのに、


「ありがとうございますッ!! あなたは娘の命の恩人だッ!」

「ありがとうございます……~ッ! 本当に……本当に……~っ!!」


 こんなにも感謝されてしまったら、地獄に行けないかもしれない――などと一瞬考えて、それはないなと首を横に振った。


「これはあくまで応急処置です。次の駅に着き次第病院へ搬送し、医師に診せて下さい」


 練法の【念動力】【洗浄】【縫合念糸】【応急処置】などを駆使し、銃撃戦に巻き込まれて負傷した少女の体内に留まっていた弾丸を摘出した後、傷を適切に処置したランスは、涙ながらに感謝の言葉を繰り返す両親にそう告げる。


 それから、父親の右脇腹――弾丸がかすめるように肉を抉った傷を【洗浄】し、【応急処置】のフィルムを貼り付けて止血した。


 【空識覚】を展開して車内に残っている人々の状態をまとめて確認すると、打撲や捻挫など怪我人は少なくないが、急ぎ治療を必要としたのはこの2名のみ。そして、死者は、帝国陸軍即応レンジャー部隊隊員と思しき男達だけ。


 その内の一人、不意打ちで倒された者は気絶しているだけで、絞め落とされた者と一度ノックアウトされた二人は意識を取り戻して戦闘に復帰したらしく、最初に発砲した者を含む他二人と共に射殺されている。


 親子の傷や現状などから察するに、二人を襲った弾丸は男達の一人がトレンチコートの男性に向かって発砲したもの。彼が身を護るため咄嗟に弾いたものが不運にも当たってしまった、といったところだろう。


 混乱していたはずの車内で民間人を誤射する事も流れ弾で傷付ける事もなかったのだから、どちらも銃の腕は悪くなかったようだ。


「――――ッ!」


 姿を隠して戦闘を観るよう送り出したスピアとパイクが、【精神感応】で終わった事を報せてきた。


 結果は、状況が変化し、美女と紳士が撤退。列車から飛び降りたとの事。


「あっ、そう言えば、まだお名前を……」


 一命を取り留めた娘の頬や頭をさも愛しげに撫でていた母親がふとその事に思い至り、顔を上げて車内を捜したが……その時にはもう、娘の命の恩人の姿は車内から忽然と消え失せていた。




 ――時は少しばかりさかのぼる。


 トレンチコートの男性、ドレスコートの美女、インバネスの紳士が、11号車の屋根を舞台に戦闘を開始した。


 そして、始めこそ、ドレスコートの美女とインバネスの紳士がトレンチコートの男性を前後、または左右から攻める2対1の様相を呈していたが、


「――〝女切り裂き魔ジル・ザ・リッパー〟と〝疫病より殺す騎士ペイルライダー〟か」

『――――ッ!』


 わずかな間隙にトレンチコートの男性が呟いた二つの通り名。それを耳にした美女と紳士がバックステップで距離を取った。


「まさかこんな所でお目にかかる事になろうとは」


 一息で呼吸を整えたトレンチコートの男性は、寒風吹き荒ぶ中、額に浮かんだ汗を拭おうともせず、両名を警戒しつつ片方の口角を吊り上げる。


 それに対して、


「そういう貴方は何所どこ何方どなた?」


 美女が妖艶な笑みを浮かべて尋ねると、


「名乗るほどの者じゃない。ただの使いっ走りだ、――やんごとなきお方の、な」

「やんごとなきお方……」


 美女と紳士が怪訝そうにする一方、トレンチコートの男性は、へらっ、と力の抜けた笑みを浮かべ、


「そんな事よりも、――御両人、ここは一つ、この上司の命令には逆らえない勤労者を憐れんで退いては下さいませんか?」


 美女は答えず、ただにっこりと微笑み、それを見たトレンチコートの男性は眉尻を下げて、やっぱりダメか、と力のない笑みを浮かべる。


 そして、美女と紳士は一瞬視線を交わし――紳士がその場から更にバックステップ。11号車から10号車まで下がると洗練された所作で剣を納め、トンッ、と屋根に仕込み杖ステッキをついた。


 それは、勝算が、二人で余力を残しつつ状況的有利に戦うより、一人が同士討ちを気にせず本気を出すほうが高いと判断しての行動。


 その時、【光子操作】による透明化と【認識不可】で姿を隠し、そこでお座りして観戦していた小飛竜スピア小地竜パイクが慌てて避けたというのは余談だ。


「まったく、あんた達と戦っても戦わなくても、もらえる給料は変わらないってのに」


 トレンチコートの男性はやれやれと首を横に振りつつぼやき――表情を引き締める。


 一方の美女は、獲物をなぶる猫を彷彿とさせる笑みを浮かべ、相手の出方を窺いつつジリジリと距離を詰めて行き……


「――待て」


 まさに一触即発という雰囲気の中、唐突に響いたインバネスの紳士の声で、美女が詰めていた分だけまたバックステップで距離を取った。


「邪魔が入った。一旦退くぞ」


 美女はトレンチコートの男性を警戒しつつ紳士の視線を追って振り返り――ため息を一つ。そして、


「ここは一つ、貴方のお願いを聞き入れて退いてあげる。だから、次は私のお願いを聞いてね? 必ずよ?」


 美女は意外なほど似合う可愛らしい笑みを浮かべてそう言うと、終始生真面目な表情を崩さなかった紳士と共に走行中の列車の屋根から飛び降り、線路脇の森の中へ消えた。


「まったく、何が『貴方のお願いを聞き入れて……』だ」


 などと、しばらくぼやいていたが、一息ついて頭を切り換え、


「さて、どうしたものか……」


 考えを巡らせつつ何気なく周囲を見回して、


「―――~ッ!?」


 反射的に身構えた。


 それは、同じ11号車の屋根の端で、〔万里眼鏡マルチスコープ〕を装着し銀槍を携えたロングコート姿の少年が静かに佇んでいたからだ。




 10号車との間から11号車の屋根へ上がったランスが見ているのは、驚いているトレンチコートの男性――ではなく、その遥か後方。


 通ってきた線路レールに沿って視線を遠ざけて行くと……そこには猛然と追いかけてくる装甲列車の姿が。


 あれは、エスタ駅に停車していたあの強襲輸送列車――で間違いないはずだが、車両の数が倍近く増えている。


 どうやら、先にホームを占領していた強襲輸送列車に、増援を積載して到着した強襲輸送列車を連結して追ってきたようだ。


 そして、ドレスコートの美女とインバネスの紳士――〝女切り裂き魔〟と〝疫病より殺す騎士〟と呼ばれていた二人は、あれに気付いて撤退した。だとすると……


「――ちょっと待ったッ! 俺は君達の敵じゃないッ!」


 自動式拳銃オートマチックと魔導機巧が搭載された小剣ショートソードをトレンチコートの下に納めて両手を上げた男が、ランスの思考をさまたげるようなタイミングで、吹き抜けて行く風に負けないよう声を張り上げる。


「俺は君達の味方だ! 信じてくれ! いや、今は信じてくれなくても構わないがとにかく攻撃はしないでくれ! この通り、こちらに戦う意思はないッ! ――ってオイオイオイっ!?」


 ランスが構わず銀槍を携えたまま滑るように前進すると、トレンチコートの男性は慌てて後退あとずさりながら、


「聞こえていない訳じゃないんだろッ!? なぁッ!?」

「…………」


 ランスは無言のまま歩を進め……屋根の端まで追い詰められたトレンチコートの男性は、何だってんだチクショーっ、と小さく悪態をきつつ11両目と12両目の間に飛び降りた。


 そのまま前進したランスは、攻撃してきたら即座に迎撃できるよう細心の注意を払っている事などおくびにも出さず、一等客車にのみ備わっている狭い露台のような場所から見上げている男性の頭上を飛び越えて12両目の屋根へ移る。そして、列車の最後尾まで進んで足を止めた。


 そんなごしゅじんの左右の足に寄り添うように控えているスピアとパイクが未だに姿を隠したままなのは、一度下に逃げたトレンチコートの男性がまた屋根に上がって近付いてきていたからだ。


「この列車に追い付こうとしているのなら汽笛を鳴らせば良い。向こうは軍用列車。こちらが停車を促す汽笛を無視するはずがない」


 トレンチコートの男性はロングコートの少年の背に向かって声をかけるが、ランスは振り返らない。彼の動向は〔万里眼鏡〕の【全方位視野】で見えているため、その必要がないからだ。


「こちらの列車が徐々に速度を落としている事に気付いているか? それは、この先に渓谷があるからだ」

「…………」

線路レールはそこを避けるように手前で大きくカーブしている。速度を落とさずに突っ込めば、脱線して谷底へ真っ逆さま。それなのに向こうは速度を落とすどころか加速している」

「…………」

「奴らはこの列車に追突させ、減速させずそのまま渓谷に突っ込ませて崖下へ突き落とすつもりだ」


 それを聞いたランスは、非常に高価な軍用列車でこちらの列車に乗っている大勢の民間人と共に心中しんじゅうするつもりだ、と言い換えられるその判断を疑わしく思った――が、あちらに心中するつもりなど毛頭ないという事はすぐに分かった。


 今後ろから迫っている列車は、蒸気機関車を先頭とした1本の列車の後ろに、もう1本の蒸気機関車を先頭とした列車が連結されている。


 その連結が今、解除された。


 当然、全ての人員を後ろの列車に退避させているだろう。先頭の蒸気機関車のかまは既に目一杯かれているらしく、前の列車は徐々に加速し、後ろの列車は徐々に減速し、前後の列車の間が徐々に開いて行く。線路が緩くカーブしているため、その様子が見て取れた。


 この段に至れば疑いようがない。追ってきた者達はあの列車をこちらへぶつけるつもりだ。そして、彼の言うように、この先に渓谷と急なカーブがあるのなら、崖下へ転落する事になる。――大勢の無辜の民を巻き添えにして。


「…………」


 こちらが減速しているのに対して向こうは加速しているため、双方の間の距離はどんどん縮まり、小さく見えていた鋼鉄の塊が徐々に大きくなっていく。


 どう行動するのが最善なのか、それは分からない。だが、


 ――〝巧遅こうち拙速せっそくかず〟


 ランスはその教えにしたがい、迅速に行動を起こす。


「だから、君の連れ達にこの事を報せて早急に退避すべきだ……って、なんだそれは?」


 銀槍を左手で持ったランスが右手でポケットから取り出したのは、〔五つの石〕と名付けられた霊装の特殊な投石紐スリング


 一本一本に特殊な加工を施した糸を帆布のように織り込んだ布製で、投石を挟む中央部分だけが幅の広い帯状、それ以外は複雑に編み込まれた紐状で、両端を合わせて握ると一つのグリップになるようになっており、片側だけ人差し指から小指までの四本を通す穴が設けられている。その両端を合わせて持ったランスが、投石の色を強くイメージしつつ霊力を込めると、投石紐が作る輪を簡易召喚陣として帯状の中央部分にゴルフボール大の白い投石――『氷の石』が出現した。


「そんなものでいったい何を――」


 後ろで乗客達を見捨てて自分達だけ逃げろと言っていた男が何か言っているが、ランスは気にせず右手で投石がセットされた紐を振り回しに回して過剰なまでに勢いをつけ…………タイミングを見計らって、パッ、と片側を離した。


 低い放物線を描いて飛んで行く白い投石は、捷勁法による強化に加え、特殊な投石紐の性能と積み重ねた練習の成果が遺憾なく発揮されて時速300キロを超える初速で投じられ、線路をまっすぐ進んで100メートル程のところまで迫っていた強襲輸送列車の上部、煙を噴き出している煙突の根元に狙い違わず直撃し――迸った凄まじいまでの閃光が世界を一瞬白く染め上げた。


「いったい何が……ん? あれは……まさか、こおっているのか?」


 それが、霊装〔五つの石〕の一つ、『氷の石』の力。着弾点を中心に直径およそ5メートル内の熱を強制的に奪い、その範囲内をおよそ-273℃まで低下させ、吸収した熱を光に変換して放出する。


 強襲輸送列車も、動力のない車両を牽引しているのは先頭の蒸気機関車。魔導式とはいっても基本は同じ。かまで水を沸騰させ発生した蒸気の圧力で動いている。故に、罐が冷やされて水を蒸発させられなければ蒸気機関車は動かない。


 それに、おそらく罐でガンガン火を焚いて熱くなっていたところを急激に冷やされた事で、特にその範囲内と範囲外の境目は熱衝撃破壊で車体に亀裂が入っているはず。そうであれば、解凍されてもそこから蒸気が漏れて必要な圧力が得られないため、もう使い物にならないだろう――と想定していたのだが、


「――――ッ!」


 強襲輸送列車内で致命的な不具合が生じたらしい。その内部から爆発というよりは銃声や砲撃音に近い轟音が響き渡った直後、移動する城塞のような鋼鉄の塊が脱線して横転し……壮絶な事故へ発展した。


「…………」


 一番穏便な方法を選んだつもりだったのだが……致し方ない。想定外は常に起こり得る。


「…………あっ、オイっ!?」


 目の前で発生した大惨事に唖然呆然となっていたトレンチコートの男性は、投石紐をポケットにしまったロングコートの少年が、虚空に足を踏み出すようにして最後尾から飛び降りた、というより落下したのを見て慌てて屋根の端まで駆け寄り……


 一方のランスは、飛び降りてトレンチコートの男の視界から外れると同時に〝控えろ〟と念じて銀槍を送還し、一等客車にのみ備わっている狭い露台のような場所に着地すると、そこにあるドアを開けてから、自分に続いて飛び降り落下中に透明化と【認識不可】を解いたスピアとパイクを両手でそれぞれ受け止め、そのまま何事もなかったかのように12両目の車内へ。


 トレンチコートの男性が屋根の端から見下ろした時、そこに槍を手にしたロングコートの少年の姿はなく、パタン、とドアが閉まった音が聞こえてきた。


 その直後、脱線した強襲輸送列車の向こう側から甲高い金属同士が、おそらく車輪と線路レールが激しくこすれる音が響いてきて…………急制動ブレーキをかけるタイミングが遅かったのだろう。後続の列車が脱線した列車に突っ込んだと思しき轟音が響いてきた。




「先程聞こえた音はそれか……」


 そこは、12両目の一等客室、個室席コンパートメントの一つ。


 スピア、パイクと共に無事自分の席に戻ったランスは、依頼人に事の顛末てんまつを報告し、ソフィアと共にそれを聞いたクオレは、そう呟きつつ頷いた。


 その後――


「それで、その男、信用できると思うか?」


 トレンチコートの男性について問われたランスは、


「できるかできないか以前に、信用しません」

「それは何故?」

「〝利用はしても信用はするな〟と教えられているからです」

「……なら君は、誰も信用しないのか?」

「はい」

「その子らもか?」


 そう言って、クオレはランスの右隣にいる幼竜達に目を向け、


「スピアとパイクの事は信頼しています」

「なるほど……『信用』はしなくても『信頼』はするんだな」


 クオレはどこか安堵するように言ってから、話をトレンチコートの男性の事に戻し、


「それで、その男は利用できそうか?」

「それを判断するには情報が不足しています」

「では、君の勘で良い。第一印象で判断すると?」

「できません」

「できない? 何故?」

「〝人を見た目で判断するな〟と教えられているからです」


 ランスは真面目な顔で回答し、クオレは、それが冗談か本気で言っているのか分からず束の間ぽかんとし……


「…………そ、そうか」


 その挙句にどうにか絞り出したのがそれだった。


 結局、この話は、向こうから接触してくる可能性が高いため、クオレが会って判断するという事に。


 そして、話を終えたランスが隣に目を向けると、向かい合う形でお座りしているスピアとパイクが、お互いの事を見ているのではなく、どちらも自分の肉球てのひらを見ていて……


「おっ!」


 静かに何をしているかと思えば、どうやら早速一緒に修行していたようだ。


 〝女切り裂き魔〟と呼ばれていたドレスコートの美女が使用していた霊装、その能力を模倣し、前足の指先に収束・形成した生体力場の刃が爪のように、にゅっ、と現れ――


「――ん?」


 よく見ると違った。小さい時のスピアとパイクの前足は猫に似て、見た目だけではなく猫のように爪を出し入れする事ができる。もう修得してしまったのかと一瞬感心したが、それは爪状に形成された力場の刃ではなく、ただ爪を出しただけだった。


「…………」


 いったい何をしているのかとランスが静かに見守っていると、そんなランスの様子に気付いたクオレとソフィアも気になったようで、じぃ~~っ、と幼竜達を見詰め……。


 小さい時は特に敏感なスピアとパイクにしては珍しく、そんな三人の視線に気付く様子もなく、何やら真剣な表情で爪を出し入れしている。


 そんな幼竜達を見ていて、ランスはふと自分が勘違いしていた事に気が付いた。


 スピアとパイクも既に修得している〝竜尾衝しっぽアタック〟を繰り出す時、ごく自然に生体力場を操って尻尾の先端を保護すると同時に強化している。


 その事を知っているからこそ、この技術もすぐ使いこなせるだろうと思っていたのだが、どうやら〝竜尾衝りゅうびしょう〟を繰り出す時は、捷勁法使いが修行で会得し意識的に行っている事を聖人セイントは感覚的にできてしまうのと同じように、生体力場を意識的に操作していた訳ではなかったようだ。


 霊力の制御は【精神感応】と【感覚共有】ですでに伝授してあり、実際、霊力強化を使いこなしている。だが、ランス自身に生体力場がないため、その操作を教えていない、というか、教えられない。


 それ故に、スピアとパイクは今、戸惑い、悩みながら、自分達でどうすればできるのか必死に考えている。


 それで今、爪を出し入れしているのは、おそらく、彼女が指先から爪を出しているように見えたのだろう。自分達もそうすれば力場の刃を出せるのではないかと思いつき、試してみているのだが、何度やっても出てくるのは爪だけで……


「きゅぅ……?」

「がぅ……?」


 それはいったい何度目だったか。幼竜達は、にゅっ、と爪を出すと、そのまま途方に暮れたような顔を見合わせた。


 スピアとパイクはふざけてなどおらず、真剣に悩んでいる。だが、はたから見ると、その様子は何とも可愛らしく、ユーモラスで……


「…………ぷっ」

『―――~ッッッ!!!?』


 それを聞いて、反射的に振り向き目撃して、スピア、パイク、それにソフィアとクオレまでが目を真ん丸に見開いた。そして――


「わらったっ! ごしゅじんっ わらったっ!」

「わらったっ! わらったっ! わらったっ!」


 ランスは、座席の上でぴょんぴょん飛び跳ねている幼竜達が、困っている自分達を見てわらった、と怒っているのではなく、笑顔を見る事ができた、と純粋に喜んでいるのだという事が分かって唖然とし、


「君は、そんな風に笑うんだな」


 優しい笑みを浮かべているクオレにそんな事を言われて、今まで自らの表情など意識した事がなかったランスは、思わず己の顔に触れて、


「俺が笑うのってそんなに珍しい?」


 そんなに大喜びする程の事なのかと訊いてみると、


「ほほえみ ぷっ こえ ない あんまり」

「にこにこ~」


 今回が初めてというのではなく、あんまり、という事なら、確かにそうかもしれないと思わなくもない。


『ごしゅじんっ』


 スピアとパイクに声を揃えて呼ばれ、記憶を探っていたランスが、ん? とそちらを振り向くと、幼竜達はお座りした状態から抱っこを催促するように両前足を上げていて――にゅっ、と爪を出した。


「…………」

『…………』


 その状態を維持したまま、じぃ~~っ、と見詰め続ける幼竜達と目をパチパチさせているごしゅじんの間に微妙な空気が流れ……


「…………はははっ」

『ちがぁ―――~うっっっ!!』


 何を求められているのかを何となく察して期待に応えようとしたランスだったが、凄まじいまでの不満の声を浴びて軽く仰け反った。


 そして、幼竜達はランスに飛び付くとそのまま肩までよじ登り、


「ここ こう もっとこう」

「こ~んなかんじ~」


 スピアとパイクは、爪が当たらないよう気を付けつつ、左右からごしゅじんの顔にぷにぷにの肉球を押し付け、口許や目許を横に引っ張って笑顔の指導をし、


「…………」


 顔を揉んだりこねたり引っ張ったりされているランスは、気の済むようにさせようとされるに任せ――


「……ぷふっ」


 どこからともなくそんな小さな笑い声が聞こえてきた。


 ランス、スピア、パイク、クオレの視線が少女に集中し、ソフィアは、サッ、と顔を背ける。


『…………』


 その個室席コンパートメントに微妙な空気が流れ……


 何を思ったのか、スピアとパイクは顔を見合わせて――一緒に左右から思いっきりごしゅじんの顔を引っ張った。


「………~ッ!?」


 ランスは、自分が何故こんな目にあっているのか理解できないまま、とりあえずそんな扱いに耐え、


『――ぶふっ!!』


 横に広げられたランスの顔を見て、ソフィアとクオレが堪らずに噴き出した。


 個室席に二人の楽しげな笑い声が響き渡る。


 それは一番望んでいた笑顔ではなかったが、スピアとパイクはどこか満足気で、ランスはそんな幼竜達をそっと撫でながら、穏やかな表情で小さく口の両端を吊り上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る