第40話 誰に助けを求めるか
――コン、コン
それに、はい、と応じたのは、クオレで、
「あまり時間がないので単刀直入に言う。よく聞いてくれ」
その声は、あのトレンチコートの男性のもの。
ランスは、装着している〔
「次の駅に到着すれば、そこのお嬢さんの命を狙っている
それだけ言って、ドアの向こう側の気配が遠ざかって行った。
それから5分後。
またドアをノックする音が響く。
先程よりやや荒いノックに対して、はい、とクオレが応じると、
「何をしているんだッ!? これ以上街に近付くと、飛び降りても望遠鏡や【遠視】で発見されるぞッ!」
その声には多分に焦りが含まれていて、
「余計なお世話だ」
そう答えたクオレの声は落ち着き払っている。
「俺は君達の味方だ。無事に国外へ逃がす
「無駄だ。――この件には魔女が関与している」
「なにッ!?」
その声には、本気で驚いている響きがあった。
「占いによる人捜しは魔女の
「だから諦める、と?」
「バカを言うな。無駄にもがき足掻いて、どこから見ているとも知れない奴らを喜ばせてやる道理はないというだけだ」
「…………切り抜ける策がある、という事か」
「そちらには関係のない事だ」
「俺は――」
「――どの道もう手遅れなのだろう?」
こうして話している間にも、列車は次の駅がある都市へ近付いている。
ドア一枚隔てた通路で、トレンチコートの男性は、クソッ、と小さく吐き捨てて離れて行った。
「これで良かったんだな?」
そうクオレに問われたランスは、〔万里眼鏡〕をはずしながら、
「結果は出てみなければ分かりません」
「それは、失敗する可能性もあるという事か?」
「皆無ではありません」
「失敗した場合はどうする?」
「次の手を打ちます。それが失敗した場合は更に次の手を」
目の前の少年スパルトイは常と変わらず平静で淡々と言葉を紡ぎ、ふと傍らに目を向けると、今のドア越しの話を聞いていたはずのソフィアも不思議と怖がっていない。彼の左右でシートに伏せている2頭の幼竜はごしゅじんの太腿に顎を乗せてリラックスしきっており、クオレはなんだか緊張しているのがバカバカしくなって肩の力を抜いた。
「君に任せる」
そう言ってから、ふとこう付け加えた。
「信頼しているよ」
それに対して、ランスは一言。
「恐縮です」
その生真面目な様子が妙におかしくて、これから死地となるかもしれない場所へ赴くというのに、クオレは思わず笑ってしまった。
――コン、コン
シャーディ駅に到着した列車の個室席に、ドアをノックする音が響く。
ランスは、それに、はい、と応じ、
「警察だ。ドアを開けろ」
横柄な物言いに気分を害する事なく、はい、と応じて席を立ち、ドアを開け――わずかに空いた隙間に、ガッ、と固いブーツの爪先が突っ込まれた。
そして、ドアを掴んだ手によって勢いよくこじ開けられ、間髪入れず拳銃を構えたもう一人の武装警官がランスを脇へ突き飛ばすようにして個室席へ踏み込み、
「――なッ!?」
驚きの声を上げる。
それはおそらく、期待に反してそこにはランス以外の姿がなかったからだろう。
「……貴様一人か?」
ランスが非武装である事、抵抗する
「ご覧の通りです」
「バステトとヒューマンの少女が一緒だったはずだッ! どこへ行ったッ!?」
「何故自分にそのような質問をするのですか?」
「質問しているのはこちらだッ! 無駄口を叩かず訊かれた事にだけ正直に答えろッ!」
「そうですか。では、知っているともいないとも答えるつもりはありません」
「では貴様を公務執行妨害並びに犯人
後から入ってきたほうがそう言いつつ手錠を取り出し、もう一人がまた拳銃をランスに突きつける。
そんな武装警官達の行動を、すっ、と手を上げて制し、ランスが突っかかってきたほうではなく落ち着きがあるほうの武装警官に手渡したのは、乗車券と――スパルトイのライセンス。
「レベル……Ⅶッ!?」
「えッ!?」
スパルトイは、『上級』とも呼ばれる『Lv・Ⅶ』に至ると、各国の王侯貴族からの依頼を任されるようになる。そうなると様々な機密に携わる事が珍しくなくなり、時には国家の代表として振舞う事すら求められる。
それ故に、重い守秘義務が課せられ、同時に、中級とは一線を画す特権・免責を与えられる。
その一つが、抑留・拘禁の禁止。
つまり、警官であれ保安官であれ、正式な令状なしに
「スパルトイがLv・Ⅶ以上であった場合、その依頼の遂行を妨げた者は、各法令で処罰の対象となる。――あなた方の姓名、所属、階級を述べて下さい」
ランスが淡々と告げると、武装警官は乗車券とライセンスをランスに突き返し、失礼致しましたッ! と敬礼して逃げるように立ち去った。
これが、国境を越えて莫大な数の拠点・人員を有し、陰で『
目立つ言動や虎の威を
――何はともあれ。
それ以降、カーテンを閉めていない車窓の外から通行人を装って中の様子を窺ったり、遠距離から
結局、ランス達を乗せた列車は定刻よりだいぶ遅れてシャーディ駅を出発した。
スピアは、都市から十分離れた所で、ごしゅじんを除く全員分の【光子操作】による不可視化を解除し、
「ご苦労様」
「だいじょぶっ ぜんぜんっ」
ランスは、頑張ってくれたスピアを抱っこして感謝を伝え、たくさんなでなでして
「大した度胸だな。私は気が気でなかったよ。姿を隠していても魔女には私達の位置が分かっていたはずだからな」
そう言って安堵の息を吐き、気疲れしている事が窺える眉尻を下げた弱々しい笑みを浮かべるクオレ。そんなバステトと対照的に、する事がなくて退屈だったらしいパイクとソフィアは、ごしゅじんの隣で丸くなり、クオレに寄りかかって、どちらも安らかな寝息を立てている。
「なかなかの綱渡りだったと思うのだが、何故この作戦を?」
トレンチコートの男性を利用したほうが安全だったのではないか、と言外に問うクオレに対して、ランスはきゅーきゅー手にじゃれついてくるスピアを撫で回しながら、
「理由は主に三つ。一つは、無理がきかない
それに対してクオレが口を開きかけ――ランスが、すっ、と手を上げてそれを制止したのと、きゅーきゅーごしゅじんの手にじゃれついていたスピアが黙り、寝ていたパイクが首をもたげ、揃って同じほうを向いたのはほぼ同時だった。
そして、束の間の静寂の後、
「いったいどんなマジックを使ったんだ?」
ドアの向こうから聞こえてきた声は、トレンチコートの男性のもの。
「まぁ、そんな事より、――多少の変更を余儀なくされたがやるべき事は変わらない。そっちは、エルハイアの空港から
クオレが、何故だ、と問うと、上司の命令だ、という身も蓋もない答えが返ってきた。
「それと、話は変わるが……銃撃戦に巻き込まれた少女は命を取り留めたそうだ。応急処置が適切だったおかげで、な。病院へ搬送され、もう意識が戻ったらしい」
言うだけ言ってトレンチコートの男性はドアから離れ……立ち去り際に、感謝する、という言葉がかすかに聞こえてきた。
「君は……あの時『助けを求める声が聞こえた』と言っていたが、まさか、本当に助けを求める者全員の許へ
クオレは、感心を通り越して呆れ果てたように言い、
「全員ではありません」
ランスは、膝の上で仰向けにしたスピアのぷにぷにのお腹を撫でつつ、パイクの首を抓むようにマッサージしながら、それを否定する。
「それはどういう事か、もし良ければ聞かせてくれないか? 君の事だから、助ける相手を選り好みするとは思えないし……」
「スピアとパイクは、神に助けを求めている場合や特定の人物の助けを待っている場合、それを俺に報せません」
そうと知ったのは、以前、メルカ市から見える山で薬草の採取を行っていた際、崖から滑り落ちて身動き取れなくなっていた遭難者を救助した時の事。
その時は、人の声が聞こえたような気がしたんだけど、とランスが訊くまで、スピアは遭難者の存在を知っていても報せようとはしなかった。
それで何故かと尋ねてみると、『その者がそう望んでいるから』という旨の答えが返ってきた。その者は、『助かる事』を望んでいるのではなく『神の助けを得る事』を望んで祈っている。つまり、ごしゅじんに助けてもらう事を望んではいない、と。
ランスは、そうなのだろうか? と首を傾げたが、パイクはスピアの意見を全面的に支持している。
リノンの場合は、信奉する神や両親、祖父、従姉妹の保安官の名を呼び、その助けを待ち、だが待ちきれず、それが『誰でもいいから助けて』になっていたからこそスピアはごしゅじんに報せた。ソフィアの場合も、流れ弾を受けた少女の母親の場合もそうだ。
その他、スピアとパイクは、ごしゅじんに何ができて何ができないか、または何を苦手としているかだいたい分かっているため、悪戯がばれて怒り狂う親から逃げ惑う子供の悲鳴、翌日決めるつもりのデートに着て行く服が決められない女性の咆哮、夫婦喧嘩で妻に蹂躙される浮気夫の絶叫、借金の返済日が迫っているのにお金が用意できていない商人の悲嘆、仕事の残業で徹夜が確定したギルド職員の叫喚…………などなど、助けを求める声は世の中に溢れているが、ごしゅじんにはどうしようもないものを報せて困らせるつもりはない。
それ故に、助けを求める声の数より、実際に現場へ急行する数はだいぶ少なく、助けが間に合う事は更に少ない。
――それはさておき。
「神へ救いを求める声は、例え神に届いていたとしても、
妙に感慨深げに呟いて、自分に寄りかかって眠るソフィアの頬を撫でるクオレ。
救いを求める事など許されない者達の中で育ったせいで神へ祈る事を知らず、助けを求められる相手など他にいない――そんなソフィアの声に応えてくれた者がいる。
「――ありがとう」
「…………?」
「君がいてくれてよかった。本当に、心からそう思う」
何故クオレが笑っているのか、ランスには分からなかった。だが、不思議と悪い気はしなかったので、
「どういたしまして」
そう真面目にそう返すと、
「……ぷふっ」
何故かクオレは噴き出して、すまない、と謝りながら笑い続け……
訳が分からないランスは、スピア、パイクと顔を見合わせて小首を傾げた。
翌日、昇ってきた太陽が東の稜線から離れた頃。
夜通し走り続けた汽車が、ついに空港がある都市――エルハイアに入った。
そして、駅に到着するまであと十数分という所で、個室席に、コン、コン、とドアをノックする音が響き、
「俺の仲間が
ちなみに、『エプロン』とは、前掛けではなく、空港ターミナルビルに隣接する飛行場の中で乗員・乗客の乗降、貨物の積み降ろし、燃料の補給、簡易な点検整備などのために飛行船を駐機する場所の事。
「――空港内での検査が徹底している分、それ以降は
返事を待たず、前置きなしにそこまで語ってから、同行してくれるな? とドア越しに確認してくるトレンチコートの男性。
「違う答えを期待してもう一度訊く。――何故だ?」
「目的は、クレイグ・ハミルトン博士――その
『殺害』と聞いて、ソフィアは泣きそうな顔を俯け、クオレは
「同行してくれるな?」
重ねて確認してくる声に、クオレは、チラッ、とランスに視線を送るが、既に〔万里眼鏡〕を装着して下ろされたプレートで顔の上半分が隠れてしまっているため表情が分からない。
「…………分かった」
クオレは決断し、ランスは異論を唱えなかった。
駅に近付いたのだろう。列車が徐々に減速する。
個室席のドアを開けると、通路には安物のスーツとトレンチコートを身に纏った男性の姿が。
「私は『クオレ』。この
ちなみに、スピアとパイクは既に【光子操作】と【認識不可】で姿を隠している。
「俺の事は『ディラン』と呼んでくれ。短い付き合いになるだろうが、よろしく頼む」
トレンチコートの男性――『ディラン』はそう言って手を差し出し、クオレは握手に応じた。
「信じてもらえた、って事で良いのか?」
次に、そう問いかけつつランスに向かって手を差し出した――が、
「いいえ」
ランスは握手に応じず、
「そうか。だがまぁ、口をきいてもらえたから一歩前進だな」
ディランはそう言って手を引っ込める。
ソフィアに握手を求めなかったのは、その異能を知っているからか、それとも自分に怯えてクオレの背に隠れていたからか……
――何はともあれ。
ディランが先導し、フードと
列車は、常人が飛び降りてもまぁ死にはしないだろうという所まで速度を落としていて、
「ついてきてくれ」
そう言い置いてディランが飛び降り、ソフィアを背負ったクオレ、ランスが続き、危なげなく着地するとそのまま駆け足。レールから離れて出入りを禁止する金網のフェンスまで走る。そして、ディランが何を探しているのかと思えば、フェンスの一部に人ひとりが何とか通れる程度の大きさの半円形に切り取って針金で留めてある箇所があり、そこを潜って線路内から外へ出た。
ランスはプレートを額に上げ、ロングコートのフードを目深に被って少々目立つ〔万里眼鏡〕を隠し、一行は、幅の狭い道が入り組む雑然とした街中を少なくない人の流れに紛れて進み…………
「…………。――予定変更だ」
歩みを止めないままディランが唐突にそんな事を言い出した。
「どうした?」
「チケットを受け取るはずだった場所に仲間がいなかった」
どうやら不測の事態が発生したらしい。
「プランBだ。このまま
「いや、当初の予定通り空港へ向かえ」
ディランは、クオレの要求を、ダメだ、とにべもなく却下し、
「チケットがなければ
それとも何か良い案があるのか? と問われたクオレは低い声で唸り、意見を聞こうとランスに視線を送った――が、ぼぉ……~っ、としていてこちらを見ていなかった。
だが、一見そうとしか思えなくともそんなはずがない。まだ短い付き合いだが断言できる。
事実その通りで、自分の周囲は【空識覚】で把握しつつ、その目は【感覚共有】で元気に飛び跳ね駆け回って大胆かつ慎重に偵察中のスピア、パイクと視覚を共有し、情報収集の真っ最中。
「……分かった」
致し方ないと、クオレは了解した旨を伝えた。
そして、ディラン、クオレ、ソフィアはそのまま人の流れに紛れて進み――
「――――ッ!」
ランスは一人、おもむろに脇の路地へ。
人目がない事を確認すると〔万里眼鏡〕のプレートを下ろしてフードを脱ぎ、跳躍から狭い路地の左右の壁を蹴り三角飛びの連続で屋上へ。直後、〝
「ごしゅじ~んっ」
【認識不可】を解除しているパイクと合流したのは、駅に隣接する倉庫区画、その中の大きく『5』と書いてある倉庫の屋根の上。
スピアは天高く舞い上がって地上を俯瞰し、その目と耳で、パイクは地上を駆け、屋根から屋根へ飛び移り、その鼻と耳で、情報を収集していた。
そして、ランスが護衛対象から離れてまでここにやってきたのは、強い血の臭いを辿って見付けた、と報せてきたパイクとの視覚共有で気になるものを見たから。
現在、この建物の中に生体反応はないとの事。ランスは感謝を込めて撫でて労ってから、捷勁法の〝軽捷〟で体重を軽減し、パイクに続いて
中は暗いが〔万里眼鏡〕の【暗視】で問題なく見え……発見したのは、躰を椅子に縛り付けられ、頭に布袋を被せられている男性の死体。
一目見ただけで分かる。手酷く拷問された挙句に殺されたようだ。
だが、気になったのはこれではない。
ランスは
その上には灰皿があり、火が消え切っていない
「…………」
山盛りの吸殻の上で燃え残っていた紙切れ――上質な紙に特徴的な絵柄と文字の羅列が見受けられる本来の大きさの三分の一程になってしまったそれは、飛行船のチケットだった。
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