第31話 三本の槍
そこは、浮遊島グリスィナの外縁部に数箇所ある飛行船の係留施設の一つ。
岸壁というより断崖絶壁に張り付くようにして存在する立体的な係留施設は、上下へ移動するための階段、横へ移動するための通路、壁から垂直に空中へ伸びる浮桟橋など、全てがエッフェル塔のような風の影響を受けにくい細い鉄骨を編み込むように組み合わせた構造体でできている。
その浮遊橋の一つに、全金属飛行船に偽装された潜空艇に偽装してあるシャーロット号が横付けされ、停泊し……
「――いるかァッ!? ランス・ゴッドスピードォ――~ッ!!」
突如シャーロット号の酒場のようなキャビンにそんな大声が響き渡り、三人掛けのソファーで昼寝をしていたティファニア、一人用のソファーに腰掛けて読書していたフィーリア、椅子に座って丸テーブルに足を上げ、回るシーリングファンを見上げてぼぉ~~っとしていたレヴェッカは、ビクンッ、と躰を跳ねさせた。
揃って声がしたほうに顔を向けると、そこにいたのは紅の翼竜ゼファードのパートナー、意志が強そうな目許と眉が印象的な凛とした美しい面差しの竜騎士。
「またかよッ!? ――おいロッタッ! こいつを入れるなって言っといただろッ!」
ティファニアが怒鳴ると、投影されたシャーロットはにっこりと微笑み、
「エレナ様は、皆様の数少ないご友人のお一人だと窺っておりますので――」
『――違うッ!!』
「数少なくねぇし、こいつはただの幼馴染みで友人じゃねぇッ!」
「私は誉れ高き聖竜騎士団の一員だッ! 暴力団構成員の友人などいて堪るかッ!」
「――あァッ!?」
「――はッ!? こんな事をしている場合じゃ……ッ! ランス・ゴッドスピードとスピアちゃんとあの幼竜はどこに……ッ!?」
「いないわよ、今はね。いずれは《
レヴェッカは、足をテーブルから降ろしながら言い、それを聞いて出て行こうとするエレナを呼び止めた。
「何をそんなに焦ってるの?」
「焦りもしますよッ! あれからもう二ヶ月ッ! 認定試験の期限は今日なんですよッ!? それなのに、空港で問い合わせたら大型のチャーター便が入港する予定はないないと言われて……ッ!」
「チャーター便?」
「全竜族中、最長というなら
確かに、その規模のものをグランディアへ上げようとするなら、全金属飛行船では厳しい。大型の輸送用潜空艇をチャーターする必要があるだろう。
「それでなんで
「他に捜す当てがなかったからですッ!」
やけくそ気味にそう言ってから、エレナは近くの椅子に、ドサッ、と座り込み、
「……いったい何を考えているんだ? お爺様の言葉は……想いは……まったく届かなかったのか……?」
そのまま頭を抱え込んでしまった。
レヴェッカ、ティファニア、フィーリアは顔を見合わせ、
「いったい何を考えているんだ、って、それは協会の会長のほうでしょう?」
「そもそも、同じ期間育てて、もし仮に幾つかの権能を発現させていたとして、それでスピアちゃんを育てたという証明になるんですか?」
育成能力とその幼竜を育てたという事実は認められたとしても、というフィーリアのもっともな疑問に、エレナは、ふっ、と笑って言った。
「なるはずがない」
「じゃあ、どうして……?」
「全てはランス・ゴッドスピードを貶めるための策略だ。会長は、優秀な人だと言われているし、実績がそれを証明している。だが、あの人は選民思想に染まりきっている」
「それってつまり、グランディアの民以外が
「おそらく」
「無理難題を吹っかけて試験を不合格にする事で、
「バカバカし過ぎて笑えるだろう? 更に笑える事に、会長は自分が無茶苦茶な事を言っているという自覚があったらしい。自分の要求を呑ませるために理論武装していたようだが、ランス・ゴッドスピードが一切異議を申し立てる事なく承知したせいで戸惑いを隠せていなかったそうだ」
ははは……、と力なく笑ったエレナだったが、
「……この
声を震わせ、何かを堪えるように歯を食い縛る。そんなエレナの様子に、レヴェッカ、ティファニア、フィーリアは顔を見合わせ、掛ける言葉を探し……そして、ティファニアが口を開きかけたちょうどその時、シャーロットが来客を告げた。
「やっぱりここだった……ッ!」
キャビンに駆け込んできたのは、鱗が青みがかった紫の翼竜のパートナーでありエレナの親友の――
「シャリア? どうしてここに――」
〔インナーウェア〕と躰の前面に防御を集中させた軽装を纏った、青い瞳、肩にかからない長さに整えられた紫銀の髪、怜悧な美貌の女性竜騎士――『シャリア』が、親友の疑問を遮るように報せる。
「――ランス・ゴッドスピードが戻ってきた!」
「~~~~ッ!?」
エレナは、落ち込んでいた様子から一転、飛び跳ねるように席から立ち上がった。
そこは、浮遊島フィリラの外縁部にある空港のような施設。団員やグランディアの民には『
竜飼師と竜騎士、その候補生と彼らを支える業者など、許可ある者以外は立ち入りが禁止されている事を知っているはずなのに、連れて行け、としがみ付いて離れないティファニアとレヴェッカをどうにかこうにか引き剥がして本部に戻ったエレナとシャリアは、その足で発着場へ。
そこには既に、以前と同じく数頭の翼竜の向こうに人だかりができていて妙にざわついている。エレナとシャリアがそれを強引に掻き分けて一番前へ出ると、審議とは名ばかりの茶番に付き合わされた時と同じ場所にランスの姿があった。
足を肩幅に開き、後ろで手を組んだ、いわゆる『休め』の体勢で
「……ま、まさか……あれが……?」
「……あの幼竜……なの?」
搾り出すようにそれだけ呟いたきり言葉を失うエレナとシャリア。
サイズはふた回り以上小さく、小型犬か、成長したら大きくなりそうだなと予感させる少し足の大きな大型犬の子犬のような体格で、鼻っ面から頭部までは金属か磁器のような質感の甲殻に覆われ、長い尻尾と後足の膝から先は蛇のような鱗で覆われているが、他はふさふさの体毛で覆われている。
そこにかつての幼竜の面影は皆無だった。
他の竜飼師や竜騎士達も二人と同じ疑問を抱いているらしく、知り合いや隣り合った人とその事について話しており…………程なくして、前回同様、竜騎士達の中で一番立派な全身甲冑を身に纏った青年と秘書と思しき数名の男女を引き連れた一人の老人の登場で、人々が、シ――…ン、と静まり返る。
「あ、あれが……~ッ!? 間違いないのかッ!?」
後ろに控えていた竜騎士が会長の問いに、はい、と答え、
「騎乗している騎士に確認しました。【
「――そんな事は分かっているッ!!」
竜騎士は、失礼致しました、と引き下がり、会長は歯軋りせんばかりの様子だったが、何とか己を落ち着かせた――が、
「それでは、審査を始めましょうか」
遅れてやってきた――というより会長が先走っただけなのだが――
――何はともあれ。
始める前に紹介された審査員は5名。
一人目は、竜飼師協会会長ゲオルグ・アレクルド。
二人目は、同会副会長モーリス・オールドフィールド。
三人目は、『ご隠居』ことフィードゥキア商会の元会長にして竜飼師協会名誉顧問アルフォンス・ミューエンバーグ。
四人目は、茶の髪に白が混じる軍服姿の偉丈夫――グランディア聖竜騎士団の長、軍将『オルテマルト・ロウ』。
最後は、前の4人を聴衆に紹介した後、自ら名乗った立派な全身甲冑を身に纏う青年――グランディア聖竜騎士団の若き団将『ダルトン・ハーディング』。
そして、受験者は、ランス・ゴッドスピードとスピア、そして、大地に君臨する攻殻竜の眷属である幼き地竜。名は――
「『パイク』」
「がうっ」
竜飼師協会の長を務める者が竜族について詳しくないはずがない。
それを了解したランスが促すと、パイクは返事をして、テッテッテッテ……、と人がいないほうへ駆けて行き、皆が――一人はその可愛らしいしぐさに興奮して鼻血を噴き、もう一人は親友にポケットティッシュを差し出していたりしたが――小さな地竜の後ろ姿を目で追う。
そして、十分離れると、パイクは足を止めて振り返り――【弱体化】を解除し、一瞬にして本来の姿へ。
その体長は既に20メートルを超え、首は短く、尻尾は長く、四本足。がっしりとした体格はイヌ科の獣に似て、明らかに巨体を支えるためのものではなく高速で疾駆するための筋肉を備えた太い四肢は凄まじい膂力と瞬発力を予感させ、前足は鋭い爪を出し入れできるネコ科の大型肉食獣に似て、後足は膝から先が鋭利な鉤爪を備えた恐竜に似る。全体的に短めの体毛で覆われているが、大蛇のような長い尻尾は鱗で覆われ、頭部と手足が洗練された装甲のような硬皮と甲殻で
二ヶ月前、
更に――
「スピア」
「きゅいっ」
ランスの傍らから飛び立ったスピアは、高く舞い上がってから空中で形態変化。ごしゅじんと空を飛ぶ時はだいたい10メートル前後だが、パイクの隣に降り立った飛竜の体長は優に20メートルを超えている。これが今のスピア本来の大きさ。
ランスはその2頭の前へ移動し、スピアとパイクはごしゅじんが気を付けするのに合わせてお座りする。
審査員が揃い、受験者の準備が整い、この2頭を前にしてランス・ゴッドスピードの竜族育成能力の有無を審査しようというバカバカしさに人々が白ける微妙な空気の中、ついに竜飼師認定試験の合否を決定する異例の公開審査が始まった。
グランディア聖竜騎士団の軍将は何故か諦観の境地といった表情で、団将の視線はスピアとパイクの間で行ったり来たり。ご隠居は穏やかに微笑んでおり、モーリス副会長も笑みを浮かべているものの眉はハの字になっている。
そして、ゲオルグ会長は、直立不動のランスを不倶戴天の仇敵と対峙したかのように睨んでいたが……やがて大きく息を吸い、長く吐いて自分を落ち着けると、束の間、唇を歪めて暗い笑みを浮かべた。まるで、何をしても無駄だと嘲笑うかのように……。
一方、そもそも合格だろうと不合格だろうと一向に構わないランスは平然としたもので、
「ランス・ゴッドスピード、――
前回と同じ求めに、何気なくコートの右袖を捲くる。
「んなッ!? な、なァ……~ッ!?」
その前腕部にある、地を踏み締める竜を意匠化したような血盟紋が露わになった途端、会長は目を剥き、前回を上回る動揺が審査員と聴衆に広がった。
その理由が、今ならランスにも分かる。
竜族にとって、生きる者が亡き者を食べ、自らの一部として生きて行く――それが最高の弔い方。
そして、人の血を飲み、自らの一部として共に生きて行く――それが竜族にとって最上級の人への親愛と敬意の表し方。
通常、人と竜との契約は、人から求め、竜がそれを受け入れるため、契約の証は竜の躰に現れる。だが、その逆――上位種族である竜から求め、劣等種族である人が受け入れた場合、契約の証は人の躰に現れる。
つまり、この両腕にある血盟紋が、スピアとパイクからの限りない親愛と敬意の証だという事を、ランスはモーリス副会長にもらった本で知った。
竜騎士ダルトンが聴衆を鎮め、副会長に促されて会長が審査を進行する。
「では、貴殿がその
その本によると、通常、竜飼師認定試験は1年かけて実施され、候補生は毎月、竜の健康診断を行ない、体長、体重、牙の数、爪の伸び具合、鱗や皮膚の状態……などなど様々な記録をとり、1枚を協会に提出し、1枚を自分で保管する。それをまとめたものが『育てたという確かな証』。
だが、今回は期間がたった二ヶ月である事。その上、パイクの成長記録をとってもスピアを育てたという証明にはならない事などを理由に、前回試験について質問した際、
「不要であるとの言質を得ています」
「では、貴殿がその
通常、試験を受けるのは、クリオヴォイス学院で資格ありと認められた竜飼師候補生であり、一人の竜飼師が指導教官を務める。その人物が『確かに育てたという事を知る証人』になるのだが、ランスにはそのような人物が存在しない。それ故に、前回試験について質問した際、
「不要であるとの言質を得ています」
それは何故かと言うと、当時のパイクが生後一ヶ月に満たない幼竜だったという事を竜飼師協会の会長が保障すると宣言しており、現在のパイクが確かにあの時の幼竜だという事を、【精神感応】で個体識別したこの場にいる力の意味を知る聖母竜の眷属達が保障してくれるからだ。
「では、――結果を伝える」
それを聞いて、ランスは、竜飼師認定試験というのはこういうものなのか、としか思わなかったが、一斉にざわつく聴衆や怪訝そうにする3名の審査員の様子を見ると、どうやらそうでもないらしい。
「ランス・ゴッドスピード。貴殿は、――不合格だ」
それを聞いて、ランスは、そうか、としか思わなかったが、
「会長。当然、理由を説明して頂けるのでしょうね?」
口調こそ穏やかながら、モーリス副会長の表情は険しい。口にこそしないが、ご隠居とロウ軍将も説明を求めており、どうやら竜騎士ダルトンだけはこの結末を予想していたのか、それとも知っていたのか、静かに事の成り行きを見守っている。
「理由は、能力不足だ」
「能力不足?」
「――人は竜を助け、竜は人を助ける。人類と竜族との間に結ばれた大協約に
それ故に、と会長は続けた。
「
「スピア殿には――」
「――試験を受けるに際して預かった
「お、お前と言う奴は……~ッ!」
「言葉を慎めッ! 試験のルールは事前に説明した。それを聞いて異議を唱えず、このルールで試験を受ける事を承諾したのは奴だ」
会長と副会長が口論する様子を、ランスは他人事のように眺めていた。
会長が自分を竜飼師にしたくないようだという事は分かる。そして、力の意味を知る聖母竜とその眷属以外の
ランスは合否に興味がなく、スピアはその事を知っているのであくびをしている。だが、パイクは我慢の限界が近付いていた。自身が、ではなくごしゅじんが能力不足だと貶された事に腹を立てており、今にも唸り出しそうだ。
会長と副会長の口論は周囲へ広がり、審査員の5名ばかりか聴衆までがランスの合否を巡って意見を戦わせ騒然となっている。
「――一つよろしいですか?」
ランスがそう言って手を上げると、視線がいっきに集中し、それまでの喧騒が嘘だったかのように静まった。
「何かね?」
自分は
「誤解があるようなので訂正させて頂いてもよろしいですか?」
誤解? と怪訝そうに問う会長に対して、ランスは、はい、と答え、許可を得てから、
「パイク」
【精神感応】でのごしゅじんの指示に従い、立ち上がったパイクは――そのまま浮遊島フィリラから飛び降りた。
それで、あッ!? という声が上がり騒然となったのも束の間、えッ!? と己の目を疑うような声が上がり、
「ま、まさか……これは……【
翼のない体長20メートルを超える
「――パイクは飛行が可能です。グランディアと地上の往復など造作もありません」
有しているという説はよく聞かれるが、実際に確認された事は一度もなかった
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