第8話 捨てる神あれば拾う神あり

 時は、メルカ市を出発した日の日没直後。

 場所は、山裾から海にかけて広がる人里離れた森の中。


「むぅ~~っ」


 リノンはむくれていた。


 それは、始まったと思った冒険の旅が、明日にはもう終わってしまうからだ。もっとたくさんのドキドキやワクワクがあると思っていたのに……。


 偏にその原因はリノンにある。リノンが凄い凄いとスピアを褒めちぎった結果、いい気になって調子に乗ったスピアが本気を出してぶっ飛ばしたのだ。


 スピアが護ってくれていたおかげで風の影響をほとんど受けていなかったため、おそらくリノンは、自分達が音速を超えていた事に気付いていないだろう。


 アクロバット飛行をするなど目的地を目指してずっと真っ直ぐ飛んでいた訳ではなく、ランスが体力を温存するように言って減速したが、結局、広大なエルヴァロン大陸のほぼ中央から端の海岸まで半日足らずで移動してしまった。


 一度トイレ休憩を挟んだ他はずっとスピアの背に乗っていただけ。海岸線が見えた時点でリノンが慌てて止めなければ、今日中に旅が終わっていただろう。


 空を飛ぶ竜の背中で摂った朝食は、味気ない携帯食だったのに大満足だった。


 ランスは『お花摘み』と言っても理解できず、『化粧直し』と言い直せば、化粧してないのに? と首を傾げられ、結局、恥を忍んで『おトイレに行きたい』と言わされた事も、旅の恥は掻き捨てと言うし、いい思い出だと言えなくもない。


 冒険らしい事がしたいと我が儘を言って、野営の準備や森での食料集め、狩り、自分達で作った道具でのバーベキューなど、貴重な体験をする事ができた。


 グランディア行きの飛行船から拉致されて、怖い目に合い、辛い思いもした。けれど、ランスとスピアのおかげでそれすらも家族やお友達に話せる思い出になった。


 だからこそ、日が暮れて明日にはもう終わってしまうのだと思うと、もっともっといろいろな事を経験する事ができたのではないかと考えると……


「むぅ~~っ」


 リノンは頬っぺたを膨らませる。


 夕食の片づけを終えたランスと、大きな翼竜のまま伏せて楽にしているスピアは、どうすれば良いかの分からず顔を見合わせた。




「ランスさんとスピアちゃんの事をもっと知りたいです!」


 リノンが唐突にそんな事を言い出したので、細い枝を折って焚き火に放り込んだランスは、急にどうしたのかと戸惑い……あぁ、と合点がいったように頷いた。


 スパルトイには依頼人にライセンスを提示する義務がある。それをまだ果たしていなかった事に思い至り、表示をLvから身分証明書IDに変更して差し出すと、リノンは、そういう事じゃないんですけど……、と言いつつも受け取り、


「えッ!? ランスさん一五歳だったんですかッ!?」


 そんな事で驚かれるとは思っていなかったランスが戸惑いつつも頷くと、


「まだ未成年なのに、どうしてスパルトイになれたんですか?」

「エゼアルシルトの法では、満一五歳以上が成人とされているから」


 それを聞いたリノンはランスに尊敬の眼差しを向け、


「すごいです! グランディアうちだとまだハイスクールに通っている歳なのに……」


 どう反応すれば良いのか分からず、ランスは細い枝を折って焚き火にべた。


「教えて下さい、ランスさんの事を。私を救ってくれた恩人の事をもっと知りたいんです」

「そう言われてもなぁ……」


 誰かに身の上話をした事など一度もない。見出された当時、師匠に尋ねられた事はある。だが、その頃は自分の事など何も分からず話せる事は何もなかった。


 それに、もう辞めたとはいえ軍事に関わる事を民間人リノンに話す訳にいかない。とはいえ、物心ついた頃にはもう軍幼年学校で訓練を受けていた身。話せるような事が思いつかず……


「あっ! 大丈夫ですよ。わたしは商家の娘ですから、顧客情報はたとえ相手がお役人であっても漏らしたりしません」


 何を勘違いしたのか、リノンが真剣な表情でそんな事を口にし、右手の人差し指だけを立てて自分の唇に当てる。


 ランスはそんな少女の言動に思わず微苦笑し、


「じゃあ、質疑応答の形にしよう。リノンの質問に対して答えられるものにだけ答えるよ」


 ランスが、どうぞ、と促すと、リノンはどれから訊こうか少し悩んでから、


「ランスさんは、どうしてそんなに強いんですか?」

「強い? 俺が?」

「だって、遺跡では銃で武装していた誘拐犯からわたしを助け出してくれました。メルカ市でも護ってくれましたし」


 勝敗を決するのは技量だと師匠に教え込まれた。


 事実、強い者が勝つとは限らない。


 何故なら、弱者が強者の理不尽な暴力に抗うために編み出した技巧――それこそが武術だからだ。


 それに、武術に限らずとも弱者が強者を倒す方法など幾らでもある。


 それ故に、自分が強いと思った事など一度もないランスが不思議そうに首を傾げると、


「ごしゅじん つおいっ すごぉ――~くっ つぉおおおおおおおおおおぉ――――~いぃっっっ!!!!」


 スピアが突然立ち上がり、ごしゅじんの凄さを表現しようと両翼を思いっきり広げ、グォオォオオオオオオオオオオォ――――~ッッッ!!!! と星空に向かって力の限り咆吼した。


 まるで森が悲鳴を上げて恐れ慄くかのように、驚いた鳥達が鳴き声を上げながら、バサバサバサバサ……ッ!! と一斉に空へ飛び立ち、獣達が仲間に逃走を促す鳴き声を上げながら、ドドドドドドドド……ッ!! と地を轟かせて一斉に逃げ出し、目の当たりにした最強種族ドラゴンの圧倒的な迫力にリノンが本気で怯え、ランスが慌ててなだめにかかる。


 程なくして、虫すらいなくなった森は静寂に包まれ、パチッ、パチパチッ、という焚き火の音が妙に大きく聞こえ……本能的な恐怖に襲われた後だけに、形態変化してランスの膝の上で抱っこされ、お腹を撫でてもらって気持ち良さそうにしている可愛い小飛竜スピアを見るリノンの目は複雑だった。


 ――何はともあれ。


「自分を強いと思った事は一度もないけど、まぁ、長くやってるから……」


 そう言って、傍らに置いている銀槍に目を向けるランス。


「どうして槍を選んだんですか? 前に学校のクラブ活動で『槍は用途が単純で、誰にでも扱う事ができる雑兵の武器だから……』っていう話を聞いた事があって……」


 そこまで言ってしまってから申し訳なさそうに、ごめんなさい、と謝るリノンに、気にしなくて良いと笑いかけ、


「槍を選んだって言うか、『俺の弟子になるか?』って声を掛けてくれた人が槍の達人だったんだ」

「じゃあ、ランスさんには槍の才能があったんですね!」

「才能? いや、そう呼べるものは何一つ持ってない、本当にどうしようもない奴だよ、俺は」


 だから軍に預けられたおやにすてられたんだろうな、と内心で独り言ち、自嘲して、


「その上、師匠が言うには持って生まれたリズム感がかなり独特らしくてね。昔は他人ひとと呼吸を合わせるとか、タイミングを揃えるって事がどうしてもできなくて……」


 集団行動はまさに壊滅的。行進では手足の動きを周りと揃える事ができず、運搬作業では、せーのっ、と声を掛け合っても早かったり遅かったり。呼吸のリズムまで違っているらしく、教官の命令に対する返事や敬礼を揃える事すらできなかった。


 軍幼年学校では班での行動が基本。自分が合わせられないばかりに連帯責任で班の全員にペナルティーが科せられ、毎日毎日、これ以上ないほど真剣にやっていたのだが、ふざけんなッ!! いい加減にしてくれよッ!! などなどと散々になじられた。


「あの、ランスさん……?」


 いつの間にか塞ぎ込んでいたらしい。気遣わしげなリノンの声で、はっ、と我に返り、苦笑してなんでもないとごまかし、


「でも、不幸中の幸いって言うのかな? そんな風に悪目立ちしていたからこそ師匠の目に止まったんだから」


 ある日、ついに班の仲間達の我慢が限界を超えたらしく、原因であるこいつが訓練に参加できなければペナルティーを科せられる事はない、という子供の浅はかな考えで、階段の上から突き落とされ、死にかけた。


 家族に必要とされず、新しい家族だと思っていた仲間達にまで不要どころか邪魔だと切り捨てられ、本当に自分は誰にも必要とされない、存在する価値のない人間なんだと思うと躰の芯が冷えて何も感じなくなり、何故か分からないが涙が溢れて止まらず……そんな時に出会ったのだ、師匠と。


 その人は、それまでドクターとナース以外に誰一人訪れる者のなかった軍の病院の一室にふらりと現れ、ベッドに寝かされていた自分に向かって言った。


〝お前の特異なリズム感こせいは武器になる〟


 そして、誰からも見捨てられた子供を引き取り、世界的に見ても非常に少ない医療系法呪【生存回帰リバイブ】の使い手をつれてきて全快させ、弟子として育て始めた。


 結論から言ってしまうと、師匠のその見立ては正鵠を射ていたのだろう。


 自分には槍術の才能もなかったが、生まれ持った独特なリズム感は、他人とは致命的なまでに噛み合わないらしく、相手が攻撃してくるタイミングは手に取るように分かるのに、相手にはこちらのタイミングが掴めないようなのだ。


 国王と師匠のめいで槍を執った事は数知れず。そのほとんどの場合、訓練通り何も考えずただ真っ直ぐに突くだけで、相手は反応する事すらできず、胸に開いた傷口あなや喉から溢れ出る血を見て目を見開き、驚愕の表情で倒れ伏した。


「そのお師匠様からランスさんが教えていただいた槍術は、なんという流派なんですか?」


 話題を自分の事から、修めた槍術の事へ。ランスは、自分より小さな女の子に気を使わせてしまったな、と軽い自己嫌悪を覚えつつ、


「――カラドボルグ」

「カラド…ボルグ……?」

「古い言葉で、『硬い稲妻』って意味らしい」

「硬い稲妻……ということは、天空神様の神殿に伝わる武術の一つなんですか?」


 『天空神』とは、死して世界を生んだ始祖神の子とされる神の内の一柱、風と雷を司る神であり、正義を司る法の神でもある。


 ランスは首を横に振り、


「槍術を嗜む人でもほとんど知らないんじゃないかな? 知っていたとしても、カビが生えた骨董品とか、田舎槍術って笑うだろうね」


 仕方のない事だ。何せ、全槍術流派に共通する『刺突つき』『打ち下ろす』『薙ぎ払う』――この三手しかないのだから。


「でも、俺はこの槍術が気に入ってるんだ」


 師匠と出会ってから訓練は他の生徒達と別になり、それに伴って座学を受けていた教場きょうじょうも移されたため、学内で遠目に見かける事はあっても、自分を階段から突き落とした元班員達と言葉を交わす機会は二度と訪れなかった。


 生活は激変し、座学よりも師匠との訓練が優先され、基本の反復練習を重視する古流槍術カラドボルグと平行して、霊力そのものを肉体に直接作用させて強化する技法――『捷勁法』を修め、器具は用いず自然の中でランニングを中心とした肉体的鍛錬を行ないながら、生き延びるための知恵と技術――『生存術』を学び……それを五年ほど続け、一〇歳になる頃から練習の合間に他の技を教えてもらうようになった。体内霊力オドに余裕が出てきて、使えると便利だから、と練法を教わり始めたのもこの頃だ。


 ちなみに、カイルや他の知り合いができたのは、師匠の弟子になった後の事。


 光陰矢の如し。一五歳になった自分は、師匠とこの槍術のおかげで、少しばかり特別な兵士になった。そして、ずっと兵士として生きて行くのだと思っていたのだが……。


「それに、修めていたのがこの槍術じゃなかったら、スピアを助けられなかったかもしれないし」

「きゅいきゅいっ」

「あっ、聞かせて下さい! ランスさんとスピアちゃんの出会いのお話!」


 露骨だったかなと思いつつ、リノンが話題転換に乗ってくれたので話をする。ついこの間の事なのにもうずいぶん昔の事のように思える、森の中の細い道を歩いていたら突然空から白い幼竜が落ちてきた時の話を。




 ――翌日。


 先に起きたランスはリノンが目を覚ますまで槍の稽古を行い、本日の行程を考えてスピアの負担を少しでも軽くしようと、銀槍――神器〔貫き徹す虹擲の穿棘ティタノクトノン〕に〝控えろ〟と命じて異空間に収納する。


 そして、みんなで朝食を摂り、お茶で一服してから出発した。


 ランスとリノンを背に乗せたスピアは、天高く舞い上がり、高度をぐんぐん上げて行く。


「……あの、ランスさんとスピアちゃんを信じていない訳じゃないんですけど、本当に大丈夫なんですか?」

「スピアが大丈夫だって言ってるから大丈夫」

「いえ、スピアちゃんじゃなくて、私達が……」


 それはどういう事かと考え、導き出された答えは、


「高山病の心配をしてるのか」


 それは、頭痛や吐き気、耳鳴り、動悸、目眩など、急な気圧の変化や酸素の欠乏のために起こる病的症状の事。


「はい。だから、飛行船の場合は何日もかけてゆっくり上がっていくんです。それに、空気がどんどん薄くなって人が凍ってしまうくらい寒くなるから、内と外の空気の流れを完全に遮断できる特別な飛行船じゃないとグランディアまでは上がれないって……」


 だからこそ、リノンは空港までスピアに乗って移動し、そこから飛行船を利用するものだと思い込んでいたのだが……。


「なるほど。それは分かった。けど、それなら噂に聞くグランディアの竜騎士ドラゴンナイトは?」

「竜騎士のみなさんは特別なんです。鎧の下に特殊なインナーウェアを着ていて、それにパートナーもグランディア生まれだから……」


 ランスは、なるほど、と頷き、もう一度【精神感応】で訊いてみる。すると、スピアから変わらず自信満々の答えが返ってきた。


「スピアは大丈夫だって言ってる。俺も大丈夫だと思う。けど、依頼人リノンを不安にさせるのは本意じゃない。だから、リノンの意見に従うよ。このまま向かっても良いし、引き返して空港へ向かい、飛行船でグランディアを目指しても良い」


 決断を委ねられたリノンは、戸惑い、考え、迷い…………決めた。


「このまま向かって下さい! わたしは、ランスさんとスピアちゃんを信じます!」


 ランスは、了解、と頷き、スピアはより一層力強く羽ばたいて、グンッ、と高度を上げる。既に地上は遥か遠く、雲海の隙間を抜けて更に上へ。


「方向は合ってます。このまま進んで下さい」


 手にしている懐中時計サイズの羅針盤を見ながら言うリノン。


 何の支えもなしに空中に浮かぶ島――『浮遊島』自体は珍しくない。しかし、雲海以上の高さに存在し、その上、絶えず移動し続けているのは天空都市国家グランディアのみ。


 リノンが手にしている羅針盤は、グランディア国民の証であり、その針は常に帰るべき故郷の方向を指し示している。


 ランスとリノンを背に乗せたスピアはそれを頼りに飛び、雲すら遥か下へ置き去りにして更に上へ上へと昇って行く。


 世界は青く、青く……どこまでも青く澄み渡り、とても静かで――


「……あれ? 寒くない? それに、耳もキーンてならない……?」


 今更になって、リノンが不思議そうに首を傾げながらそんな事を言い出した。


 それは、スピアが自分の生体力場フィールドでランスとリノンを包み込み護っているからで、


「スピアを信じたリノンの決断は正しかったな」

「はいッ!」


 『生体力場フィールド』とは、物理的には自重を支えられないほど大型の怪物モンスターが有する不可視の力場の事。自らの肉体を維持し保護するというだけでなく、外敵の攻撃を防ぐバリアのような効果も備えている。


 スピアの場合は、喰らった怪物の中にこれを有する通称〝力場持ち〟がいて、餓喰吸収能力で我がものとした。大丈夫だと自信満々だったのはこれがあればこそ。スピアの霊力が尽きない限りたとえ真空状態でも問題なく生存できる。


 ちなみに、防御系法呪の【守護力場フィールド】は術理を以ってこれを再現したものだと云われている。


 ――それはさておき。


「――ん?」


 ある高度に到達した時、それは忽然と視界に現れた。まだかなり距離があるため、空の青に滲んだ小さな黒い染みのように見える。


 そこで、〔収納品目録インベントリー〕から〔万里眼鏡マルチスコープ〕を取り出して装着し、額のプレートを鉄兜の目庇まびさしのように、カシャンッ、と下ろして【遠視】機能を使う。すると、それ全体がすっぽりとシャボン玉のような球体に包まれているのが確認できた。


 この大空には視線を遮るものは何もなく、進むべき方角はリノンの羅針盤で分かっていた。それなのに見付けられなかったのは何故か?


 それはおそらく、そのシャボン玉のような球体に光を吸収、屈折、反射するなどして下からは見えなくする効果があるからだ。リノンの肌の白さや人が生活している事、樹木も見受けられる事などから察するに、断熱や過分な紫外線をカットする効果、気圧を地上に近い状態に保つ効果などもあるのだろう。


「あれが……」


 ランスの呟きに、はいッ! と満面の笑みを浮かべて頷くリノン。


 かつては天空より地上を支配した超弩級空中機動要塞『魔王城』と呼ばれ、現在はシェリフを束ねる超国家機関『総合管理局ピースメーカー』の本部がある歴史的巨大建造物――


「――天空都市国家『グランディア』ですッ!」

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