第7話 彼女達は……?

 宿屋と酒場と役所が一つになったような施設――ギルド《竜の顎》で〔収納鞄〕と共にライセンスを提出すると、確認作業にしばらくかかると言われた。そこで、宿屋と職員用の食堂を兼ねる酒場へ行き、リノンの話を聞きながら夕食をとって戻ると、薬草の種類、品質、量など全て問題ない事が確認され、報酬と共にライセンスが返却される。


 こうして、ランスとスピアの初仕事は無事完了した。


 そして――


「ランスさんとスピアちゃんに依頼します。どうか私を家まで送り届けて下さい。……引き受けて、いただけますか?」

「受けるよ」

「きゅいきゅいっ」


 早くも次の仕事が決まった。


 ギルドを通していないが問題はない。ただ、その依頼の成否は昇格レベルアップするために必要な評価の対象外となり、報酬の支払いなどもし何かトラブルが発生したとしてもギルドの助けは期待できないというだけだ。


「ありがとう…ござい…ま…す…ぅ………」

「おっと」


 ランスは、ふらっ、とよろけたリノンを抱きとめた。


「リノン だいじょぶ?」

「大丈夫。疲れて眠っただけだから」


 食事中、何度かうつらうつらと意識が途切れそうになるたびに、頬をピシャリと叩いたり、手の甲を抓ったりして繋ぎ止めていた。それは、この依頼をして返事を聞くために堪えていたのだろう。


 ランスは、肩掛紐に両腕を通してリュックを前に抱え、リノンを背負う。そして、銀槍はというと、


「使えたんだ」

「きゅいきゅいっ まね ごしゅじんのっ」


 いつの間にか覚えたらしい【念動力】でスピアが運んでくれる。


 そもそも法呪や練法は、竜の力と人の知性が融合したもの。その気になりさえすれば、人間以上の知性を有する竜族に使えない道理はない。


 宙を漂う銀槍と踊るように駆けて行く小飛竜スピアに、リノンを背負ったランスが続く。


 《竜の顎》を出た一行は、随獣と一緒に泊まれる宿屋《鴛鴦亭》へ向かい――物陰から息を殺して様子を窺っていた人影が音もなくその後を追った。




 時は、翌日の未明。

 場所は、《鴛鴦亭》の202号室。


 ベッドに寝かされたリノンは健やかな寝息を立てており、ランスはフードを目深に被って床で仰向けに寝ている。そして、スピアはそんなランスのお腹の上で丸くなって眠っていたが――不意に首をもたげた。


 その円らな紅の瞳が夜の闇と宿の壁を見透かし、迫り来る不穏な影共を見据える。


「ごしゅじん」


 ランスは瞼を開け、スピアが膝のほうへ移動してからゆっくりと上体を起した。そして、


「ん?」


 胡座を掻き、【精神感応】で送られてきたスピアが知覚している生体反応の動きに対して怪訝そうに眉根を寄せる。


 敵が部隊を二つに別けた。一方はこちらへ向かっているが、もう一方は……


「…………」


 今後の展開を予測しつつ、知らせてくれた事の感謝を込めてスピアの頭を撫でると、膝の上でコロンと転がりお腹を見せてきた。撫でてほしいらしい。背中の翼は意外なほど柔らかくしなやかで、躰の下敷きになっても痛くないようだ。


 大きな時とは違ってぷにぷにしているお腹を掌で撫でる。気持ち良さそうにしているので、なんとなく他はどこがいいのかと探るように指先で顎の下を掻き、そして、前足の脇を掻くと、ちょうど気持ちいいところにヒットしたらしい。自分で掻いている気になっているのかパタパタ動いてしまう後足が面白い。


「…………はっ!?」


 こんな事をしている場合ではない。ランスはスピアを床に降ろして立ち上がった。


 もう少し寝かせてあげたかったが仕方ない。部屋の洗面台でタオルを濡らして絞り、リノンを起す。


「リノン……リノン……」

「……んっ……んん~……、……ランスさん……?」

「敵が来た。逃げるよ」


 寝起きの頭は回転が鈍く、リノンは、ぼぉ~っ、とランスの顔を眺め……バッ、と跳ね起きた。受け取った濡れタオルで顔を拭き、ベッドを降りる。


 部屋を出た一行は、スピアを先頭に、ランスのリュックを背負い空での防寒対策に拝借してきた毛布をマントのように纏ったリノン、銀槍を手にしたランスの順で階段を上へ。


 《鴛鴦亭》は3階建てで、屋上は洗濯物を干せるバルコニーになっており、リノンとスピアには、階段を上がりきった所にある小スペースで待機してもらう。


「ランスさん……」

「大丈夫。たぶんすぐ済むから」


 ランスは、不安そうなリノンに気負いのない笑みを返し、くるるるる……、と喉を鳴らして見上げてくるスピアの頭を撫でた。


 スピアは一緒に戦いたいと望んでくれている。だが、『一緒に戦う』とは爪や牙で敵を屠る事だけではないのだと伝え、リノンの護衛に専念してもらう。


「ランスさん、――ご武運を」

「ありがとう。それじゃあ、また後で」


 ランスはドアをすり抜けるように音もなく屋上へ出て――直前まで浮かんでいた笑みが、すっ、と消える。なんと言うか、ようやく日常に戻ってきたような不思議な感覚があり、妙に心が落ち着いて、表情だけではなく躰からも余分な力が抜けていく。


 リノンを救出した時の相手は、自分とは関係のない犯罪者、少女を誘拐した『犯人』だった。殺傷許可のない犯人は、可能な限り逮捕して裁判を受けさせ罪を償わせなければならない。


 だが、今回は違う。相手の狙いはリノンと、彼女を助け護る〝誰か〟。つまり、自分達に害意を持って攻めてきた『敵』だ。敵は迅速に排除しなければならない。


 ――カキンッ、カキンカキンカキンッ


 無人の屋上に響く小さな音。ランスはそちらへ足を向ける。


 見れば、屋上の縁に金属製のフックが四つ引っ掛かっていた。耳を澄ませば、ギチッ…ギチッ…、と一定の間隔で縄が軋むような音が聞こえる。


 フックとつながっているワイヤーを敵が上ってきているのだ。


 ランスは己の気配を完全に闇夜に溶け込ませ、フードを引っ張って目深に被り、静かに銀槍を構えた。


 ランスが修めた古流槍術には、『刺突つき』『打ち下ろす』『薙ぎ払う』――この三手しかない。ギルドの試験官に披露したような穂先と石突の両端を巧みに用いる護身の技や、〝靠撃チャージ〟のような無手の技など、時代の流れに合わせて後から付け加えられたものが幾つか伝わっているが、基本的にはこの三手を延々と、ただただひたすらに突き詰めて行く。その中でも特に『刺突』に重きを置いており、師匠は言った。


〝あらゆる武器の中で刺突は槍のものこそ至高。――故に突け〟


 その言葉に遵い、ランスは師匠に見出されてから今日まで、愚直なまでに毎日毎日、何千回、何万回と素振りを繰り返してきた。そうする内に自然と無駄は削ぎ落とされ、予備動作がなくなり、技は躰に刻み込まれ――ついには神速の域へ至り、最早〝突こう〟という意識すら必要としない。


 鉤縄を攀じ登ってきた者達の手が、一つ、二つ、三つ、四つと屋上の縁に手が掛かり、躰を引き上げて頭部が現れる。そして、四人の中の一人がランスに、というより、自分達に向けられている薄っすらと虹色の光沢を帯びた銀の鑓穂に気付いた瞬間――ドッ、と打突音が一つ響き、四つの覆面をした頭部の中央に風穴が開いた。


 意識すべきは、素早く突き、それ以上に素早く引き戻す事。何故なら、一度突くと引き戻さなければ次の刺突を繰り出せないからだ。


 畢竟、予備動作なしに神速で繰り出された本気の刺突つきは、たとえ武術の達人であっても認識できない領域へと至り、大口径狙撃銃で撃たれたような傷跡だけが残る。


 ハーネスを装備して足を縄に絡めていた彼らの死体は、落下せず逆さ吊りに。


 それと間を置かず、ランスは躊躇なく屋上から飛び降りた。この程度の高さなら練法を使うまでもないが、着地の直前に【落下速度制御】を使い、音もなく地上へ降り立つと即座にダッシュ。裏口から侵入した敵を追って屋内へ入り、階段下から上の様子を窺っていた敵五人を強襲する。


 四人は一撃。抵抗する間もなく喉を貫かれて倒れ、


「テ…メェ……~ッ!?」


 一人だけ、ただの勘か、主観的体感時間と反応速度を加速していたのか、咄嗟に右手を犠牲にして喉への刺突を防いだ――が、間髪入れず繰り出された次手で眉間を、三手目で胸を貫かれ、ランスに掴みかかろうとするかのように前のめりに倒れ伏す。


 他流派では、一度に見えるほどの高速で三度突く『三段突き』だ、などと言うのだろうが、ランスの場合はただ単に素早く三度突いただけ。


 ――それはさておき。


 人相手に初手で仕留められなかったのは久しぶりだった。この男、只者ではなかったのだろう。奇襲で仕留められなかったらどうなっていたか……。


 どれ程の達人であろうとも、その実力を発揮する前に倒してしまえば雑兵も同じ――それが徹底的に教え込まれた戦場のことわり


 ランスは、明日は我が身だと己を戒めた。




 五人の骸を【念動力】で屋外へ運び出し、本来は傷口を洗い清める練法である【洗浄】で血痕を消しておく。それから【念動力】で逆さ吊りになっていた四人を降ろし、九人を路上に並べて寝かせ【空識覚】で持ち物を改めてみたが、所属を明らかにするようなものは何もなかった。得物は主に短剣ナイフ投擲剣ダガーなど刀剣類で、銃器の類はない。


 期待していなかったので落胆する事もなく、ランスは屋内の階段を上がって屋上へ。


「ごしゅじんっ!」

「――ふぶっ」


 ける事もできたが、階段の上から飛び降りてきたスピアを顔面で受け止めてそのまま階段を上がり、


「ランスさん! 大丈夫ですか? お怪我はしていませんか?」

「大丈夫。無傷で済んだよ」


 スピアに顔から肩へ移ってもらってフードを脱ぎ、心配してくれるリノンに笑みを見せて安心させた。


 ドアを開けて屋上へ出る一行。そこから飛び立つ前に、ランスはリノンに預けていた自分のリュックを受け取る。そして、一番取り出し易い位置に入れておいた〔収納品目録インベントリー〕を手に取り、異空間に収納されていた宝具〔万里眼鏡マルチスコープ〕を取り出した。


 一見すると頭環型の額当てのようなそれを頭部に装着し、鉄兜の目庇まびさしのように、カシャンッ、と額のプレートを下ろす。その下から現れたのは、凸レンズのような宝玉を中心とした複雑精緻な魔法陣。そうやって肉眼を封じる事で使用可能になるのは、【全方位視野】【赤外線視】【遠視】【暗視】【透視】【霊視】【遮光】……見る事に関する全て。


 本来なら、遠過ぎる上に建物が邪魔で様子を窺う事はできない所だが、〔万里眼鏡〕の【遠視】と【透視】を重複発動させて、二手に分かれた敵のもう一方の様子を探る。


 スピアが知覚している生体反応を頼りにそちらへ意識を向けると……


「ランスさん?」


 掌を相手に向けるジェスチャーで待ってもらい、もう少し詳しく観察する。


 こちらへ来たおよそ倍の数の敵は、共に十代後半と思しき二人の女性と交戦中だった。しかも、既にその半数が彼女達によって倒されている。


 一人は、身長はおよそ170センチ。髪も瞳もルビーのような透明感のある紅。長い髪を後頭部の高い位置で束ねている。


 身に着けているのは、高級下着に分類される見栄えのいい貞操帯ビキニ・アーマーにジャケットとローライズのショートパンツを合わせ、両脚にはオーバーニーソックスと脚甲を装着したロングブーツ。両手に指先から肘までを覆う甲拳ガントレットを装備し、右手で中央が薄っすらと膨らんだ円形盾ラウンドシールドを携えている。


 彼女は接近戦を得意とするらしく、前面に盾を構えて突進する〝盾突撃シールドチャージ〟で強引に間合いを詰め、多彩で巧みな足技で蹴り倒し、利き腕に装備しているらしい円形盾を思う存分に振り回しての痛烈な〝盾打撃シールドバッシュ〟で打ち倒していく。


 もう一人は、身長160センチに届くか届かないか。髪は晴れ渡った空か澄み切った海のような透明感のある青。腰まで届く伸び放題といった感のある髪を背中の辺りで適当に束ねており、長い前髪で顔がほとんど隠れてしまっているが、揺れたその隙間から一瞬、清楚で可憐なあどけない面差しと美しい青紫色の瞳が窺えた。


 華奢な体躯を包むのは、死して世界を生んだ始祖神の子とされる神の内の一柱、水を司り、学芸や医療の神でもある賢くも慈悲深き清麗神に仕える者が纏う神官衣ローブ。手にしているのは、身の丈を越えるおよそ2メートルの大剣。1メートルずつ半分が剣身で半分が柄。剣身は音叉のように二股に分かれており、棒状の鍔の鍔元に紫紺の宝玉が象嵌されている。


 『剣舞』と呼ばれるものには二種類ある。一方は、舞のように洗練された剣術。もう一方は、剣を用いた舞踊。


 彼女の場合は後者。本来は膂力で振るわれるものを技巧で操り、そのものの重さによって生み出される勢いに逆らう事なく、共に舞うように回転し、自らの意思で踊っているかのように旋回させ、完全な円運動で大剣を御している。


 自ら攻める事はなく迎え撃つ事に徹し、つるぎと舞う女神官に襲い掛かった不埒者共は、剣術とは全く異なる呼吸や拍子など〝間〟の取り方に戸惑い、翻弄され、似て非なる剣の舞踊に巻き込まれて地に伏した。


「……たしか、従姉妹がシェリフになったって言ってなかったっけ?」

「はい」


 ランスは、プレートを戻してから〔万里眼鏡〕をはずし、それをリノンに渡して、


「あっちで二人の女性が戦ってる。ひょっとしてその従姉妹と仲間?」


 えっ!? と声を上げたリノンは大急ぎで〔万里眼鏡〕を装着し、ランスが指差したほうを観て……、違います、と残念そうに首を振った。


「知らない人達です」

「そうか」


 大切なのは依頼を達成する事、つまり、リノンを家へ無事に送り届ける事。彼女達がリノンの従姉妹とその仲間であるなら目的達成のため助勢するところだが、助けを求められている訳でもないので、違うなら彼女達の問題に介入するつもりはない。


 ランスとリノンは翼竜に形態変化したスピアの背に乗り、一行は《鴛鴦亭》の屋上から飛び立った。


 無益な争いは、自分がするのも、他人がしているのも好まない。戦闘を止めるきっかけになればと、あちらからリノンの姿を確認できるよう彼女達の頭上で大きく旋回してからメルカ市を離れる。


 天舞う白竜の背で澄んだ冷たい空気に、ブルッ、と躰を震わせ、東へ目を向ければ空がだいぶ白んできた。もうすぐ夜が明ける。


「新しい一日の始まりと共に、私達の冒険の旅も始まるんですね……ッ!」


 空からしんと静まり返っている青い世界を見渡し、感動の面持ちでそんな事を言うリノン。


「冒険の旅、か……」


 よく分からない。分からないが……悪くない気分だった。


「さぁ、――行きましょうッ!」


 ハイテンションで拳を振り上げるリノン。


 目指すはそんな少女の故郷――天空都市国家『グランディア』。

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