第6話 食べちゃった

「ランスさん!」


 地下室へ戻ると、駆け寄ってきたリノンに、ぎゅっ、としがみ付かれた。


「どうしたの?」


 ランスが訊いてもリノンは答えず、ただ、じぃ――~っ、と一方を見詰めている。その視線を追ってみると、そこには、ケースに頭を突っ込んで魔弾カートリッジを貪るスピアの姿が。もうリノンの護衛は必要ないと判断したのだろう。


 先程はかわいいかわいいと騒いでいたが、やはり自分より大きな飛竜は怖いようだ。


「大丈夫。余計なちょっかいを出さなければ、人を襲ったりしないから」

「やっぱり、大きくなったスピアちゃんなんですね……」


 そういえば、リノンはその時もう宝探しに夢中で、スピアが大きくなる瞬間を見ていなかった。それで不意に体長およそ2メートルの飛竜が同じ空間にいるという事に気付いたら……。怯えるのも無理はないと思い、ランスはリノンの背中を、ぽんぽんっ、と撫でた。


 ――それはさておき。


 ランスは、スピアを呼び、リノンに脱出を促した。


「ちょっと待って下さい。ランスさん、これを見て下さい」


 手にしていたアタッシェケースを手近で適当な木箱の上に乗せ、開けて中を見せるリノン。収納されているのは、掌サイズで厚みはおよそ1センチ、金色のおそらく呪化金属で縁取りされた、水晶のような薄く青みがかった透明な長方形の板。それが四つ。


「これは……〔収納品目録インベントリー〕?」

「はい。お父様も持っていて見せてもらった事があります」


 〔収納品目録インベントリー〕とは、空間系・創錬系法呪で製作された、異空間に物品を収納して持ち運ぶ事ができる宝具。別名〔携帯武器庫アーセナル〕。お手軽に大量の違法薬物や武器弾薬を持ち運べるため、これの所持には銃砲刀剣類以上に厳しい規制がかけられている。


「これで、ここにあるものを可能な限り持って行きましょう」

「そんな暇はない。急いでここを離れる」


 聖魔マラークを倒した事で、あちら側に最低でも『聖魔を倒せる者、または者達がいる』という情報が渡った。敵性存在の排除やリノンの確保に動くなら、数を投入するか、それ相応の実力者、または厄介な能力持ちを派遣するはず。別の聖魔使いがくる可能性だってある。


 今回は、相手が油断していた上に意表を衝く事ができたからこそ勝ちを拾えたが、初手で仕損じ聖魔が戦闘行動を始めていたら、果たしてどうなっていたか……。


 兎にも角にも、長く留まって良い事など何一つない。


「何を言っているんですか? ランスさんはスパルトイなんでしょう?」

「あぁ。だけど今それは関係――」

「――あります! ここにある宝具や霊装をこのまま放置して、私を誘拐したような犯罪者に見付けられてしまったら悪い事に使われてしまいます。そうならないようにしなければなりません。『犯罪の抑止』――これはスパルトイの義務です!」

「義務ッ!? ……それなら仕方ない。急いでやろう」


 義務は果たさなければならない。軍幼年学校で散々そう教え込まれた。


「いや、ちょっと待った。それなら持って行く必要はない」


 何故なら、当初の予定通りここで始末してしまえば良い。


「それに、持って行っても始末に困るだけだ」

「大丈夫です。助けて頂いたお礼に、うちのお店で全部買取らせて頂きますから」

うちのお店?」

「はい。うちは商家なんです」

「いや、それならやっぱり持って行けない。営利目的で持ち出せば、それは窃盗だ」

「違います。だって、ランスさんはスパルトイで、ここは遺跡ですよ? スパルトイが発見者の場合は、遺跡で発見したものの所有権は全て発見者のものになるんです。つまり、ここにある物は全てランスさんのものなんです」

「えッ!?」

「わたしの従姉妹が、シェリフになったんです。だから気になって調べてみたんですけど、その時ついでにスパルトイの事も調べてみたんです。だから間違いありません」


 『シェリフ』とは比較的新しい制度で、仕事の内容は似たようなものだが、スパルトイが民間人なら、シェリフは公務員。負うべき義務は増えるが、国を越えての捜査権などを有する。


「……いや、でも――」


 やはりここで始末するべきだ。泡銭は身に付かないと言うし、それが一番簡単で後腐れがない。


「――それに、わたしは転んでもただでは起きない商家の娘ですから」


 そう言ってにっこりと笑うリノン。どうやらそれが本音らしい。


「長居は無用なんですよね? ――じゃあ急がなきゃ! さぁ、ランスさんも急いで急いでッ!」


 そう言って〔収納品目録〕を二つ手に取ったリノンは、ランスの制止を振り切って走って行ってしまう。


 追いかけて捉まえ強引に連れ出そうかとも思った。しかし、既に別のケースを勝手に開けて一心不乱に魔弾を貪り続けているスピアの梃子でも動きそうにない様子を見て、ランスは深々と諦めのため息をついた。




収納品目録インベントリー〕の使い方は難しくない。


 手にすると、本体に【収納】と【取出】、それに【空間使用率】がパーセンテージで表示される。


 収納する場合はまず【収納】を選択し、カメラのように顔の前で構え、水晶のような薄く青みがかった透明な本体越しに収納したい物を見る。対象は光の輪郭で包まれ、その色が赤なら不可、白なら本体に触れると異空間に収納され、縮小静止画として記録される。


 取り出す場合はまず【取出】を選択し、アルバムのように記録されている縮小静止画の中の取り出したいものに触れる。それだけで異空間から通常空間へ転送される。


 始めこそ興味深そうに出し入れしていたが、〔収納品目録〕をカメラのように構え、宝具、霊装、魔導具など、目ぼしい一品物を優先的に回収していくリノン。


 一方、ランスは回収よりも、【空識覚エリアセンス】でその存在を把握した〝それ〟の確認を優先した。


 白槍の一振りで鍵を破壊し、呪化金属製と思しき小型のコンテナを開ける。


 中身はほぼ緩衝材で、納められている品は同じものが五つ。その内の一つの取っ手を掴み、緩衝材の中から引き抜いた。


 それは、1リットルサイズの強化ガラス製の容器。中身は、ゲル状の霊気遮断物質の中に浮かぶ、中心に黒い光が点った紅玉色の球体。


「やっぱり、〔オーブ・オブ・バアル〕か……」


 通称『消滅爆弾』。一定範囲内に存在するあらゆるものの分子間力を消失させる事で原子レベルに分解する戦術兵器。


 通常は、物理攻撃や軍用攻性練法、最上級攻撃法呪などにすら耐え得る国家レベルの危機――災厄級の超大型モンスターの討伐に使用される。


 だが、以前に別の用途で使用された事があった。それは、爆弾テロだ。


「軍で厳重に管理されるべきものが何故こんな所に……ん?」


 ランスがそんな事を考えていると、スピアがやってきて突然甘え始めた。


 自分の胸に頭をこすり付けてくるスピアにどうしたのかと問えば、


「食べる? これを?」

「きゅいきゅい」


 要するに、おねだりだった。


 ランスがその事を知ったのは契約を交わした後だが、それはおよそ二ヶ月前、山篭りを始めてまだ間もない頃の事。きっかけは、ご飯のたびに掛けてもらっていた『たくさん食べて、大きく、賢く、健やかに育てよ』と言うランスの言葉。そして、自分を喰らおうと襲い掛かってきてランスが返り討ちにした食べきれないほど巨大な獲物を前にして、スピアはある能力を発現させた。


 それが――餓喰吸収能力。


 簡単に言ってしまうと、際限なく喰らい、喰らったものを無害化して吸収し、喰らったものの特性を自分のものとする、竜族が本来備えている自らを進化させる能力を昇華させた特殊能力。


 この餓喰吸収能力があるからこそ、魔弾程度のものなら食べても大丈夫だという事は分かっているのだが……


「本当に?」

「だいじょぶ」


 そう言って、あ~んっ、と口を大きく開けるので、心配しつつも強化ガラス製の容器ごと消滅爆弾オーブ・オブ・バアルをスピアの口に入れた。スピアは、パクッ、と咥え、上向いて、ゴクッ、と丸呑みにする。


「……雑食極まりないな」


 ランスは、もう呆れを完全に通り越して感動すら覚えた。


 もっと食べたいとおねだりするので、一つを残して後の三つを食べさせる。そして、いずれは爆発物の処理に貢献する機会があるかもしれない。いや、土壇場になってスピアが食べるのを嫌がる可能性もあるからやめておいたほうが良いか……、などと考えていると、


「ごしゅじん~」


 今度は、首や躰まですり寄せてきた。


 それで、何が欲しいのかと尋ねてみれば、


「え? これ?」


 スピアが見ているのは、ランスが持っている白槍だった。


 そういえば……、と出会ってからの事を振り返ってみると、スピアはこの白槍に強い興味を示し、マタタビをもらった猫のように、臭いを嗅いだり、ペロペロと舐めたり、躰を擦りつけたりしていた事が何度もあった。


「いいよ、そんなにほしいなら」


 同じ飛竜型でも、小さい時は猫のような前足だが、体長2メートルほどの今は獣っぽいが手のように一応五指を具えている。


 ランスが白槍を差し出すと、スピアは器用に受け取った。そして、パクッ、と穂先を咥えると、白槍は、パキィイィン、と澄んだ音を立てていとも容易く噛み砕かれ――


「きゃああああああああああぁ――――~ッ!?」


 突如地下室に響き渡ったリノンの甲高い悲鳴に、ランスとスピアは同時に、ビクッ、と躰を震わせた。いったい何事かと声がしたほうを向くと、


「な、な、何をしているんですか……ッ!?」

「何って……」


 ランスとスピアは顔を見合わせ、スピアはまた一口白槍を食べる。澄んだ音を立てて短くなったのを見たリノンは、あぁあああぁ~――~ッ! と悲鳴を上げ、


「なんでッ!? どうしてスピアちゃんその槍食べてるんですかッ!?」

「どうしてって、食べたいから――」

「――そうじゃありませんッ! だってランスさんのその槍、霊装……いえ、たぶん宝具ですよね? それをなんで……ッ!?」

「なんでって、スピアが白槍これを欲しがって、俺はどうしてもこれが良いって訳じゃないから」


 スピアにあげてもここには代わりの槍がある。ランスがそう話している間に、スピアは一欠けらも残さず綺麗に白槍を食べ切った。


 リノンは愕然とした表情で凍りつき、ランスは不思議そうに首を傾げながら代わりの槍を手に取る。


「――ちょっと待って下さいッ! さっきの白い槍の代わりに選んだのがそれですかッ!?」


 リノンは、ランスが手にした槍――ずらりと同じものが並んでいる内の一本、長さ2メートルほどの木の柄に鋳造された鑓穂を取り付けた最もありふれた槍を見て、信じられないと言わんばかりに目を剥いた。


「見るからにもっといい槍があっちにあるじゃないですかッ! それなのに、なんでそれなんですかッ!? どうしてあっちのじゃないんですかッ!?」


 ランスは、リノンの剣幕に圧されて思わず後退りしながら、


「い、一番近くにあったのがこれだったから……。それに、師匠が言ってたんだ。『武器に拘るな、技を磨け。武術には道具の優劣をなくす境地がある』って――」


 それは、言葉通りの意味の他に、『自分専用の得物、または特別な武器がないと戦えない』などという事にならないように、という教えでもあるのだが、


「――そんなの知りませんッ! 『実力に見合った道具を使う』――それが当たり前なんですッ! 常識なんですぅッ!」

「りょ、了解致しましたッ!」


 ランスは反射的に敬礼し、手にしていた槍を急いで元の場所へ戻した。


 何故リノンがこんなに怒っているのかまるで理解できなかったが、とにかく言われた通り槍を選ぶランス。拘りがないというだけで、見る目がない訳ではない。


 そして、ランスが選んだのは、銀色の槍。


 長さはおよそ2メートルで、穂先から石突まで一体形成。柄には二重螺旋を描く二本の茨の意匠が施され、棘のような鑓穂は、薄っすらと虹色の光沢を帯びている。鑓穂の長さはおよそ30センチで、形状は断面が正三角形の鋭い三角錐。堅固で折れにくく刃のない刺突に特化したタイプの槍。


「これなら良い、かな?」


 ランスがおどおどと確認を求めると、


「さっきは怒鳴ってしまってすみませんでしたッ!」


 ランスが槍を選んでいる間に落ち着きを取り戻したリノンは、謝罪して頭を下げた。ばつが悪いらしく顔は赤みを帯び、やや俯きがちに弁解する。


「私は以前、お爺様に、魔剣を打つ事ができる鍛冶師さんの工房へつれて行ってもらったことがあるんです。その時に見た、一打一打に霊力を込めて鎚を振るう姿を、今もはっきりと覚えています。まるで炉の炎と一緒にご自分の命を燃え上がらせているような……すごい迫力でした」


 だから、と続けるリノンは、縋るような、こいねがうような眼差しでランスを見詰め、


「そうして造られたものが粗末に扱われるのを見ると、辛くて、悔しくて、とても悲しくなってしまうんです。工場の機械で作られた物や鋳造品とは違って、鍛造法で打たれた武具は一品物。この世にたった一つだけのものなんです。どうか大切にしてあげて下さい」


 そう言われると、とても悪い事をしてしまったような気がしてきた。そんなランスの思いが伝わったらしく、スピアもしょんぼりする。


 ランスも謝罪し、これからは無下に扱わない事を約束した。


「それで、真名は教えてもらえたんですか?」


 雰囲気を変えるために発したリノンの問いに、ランスは、まぁね、とだけ答える。


 秘伝の知識と卓越した技術を継承する極一部の職人達によって、莫大な資金、非常に希少な素材、膨大な手間暇を費やして製造される宝具は、そこに宿る人造精霊によってその機能が制御されている。


 〔収納品目録〕などは誰にでも使えるが、強大な力を秘めた武装が誰にでも使えてしまっては困る。それ故に、宝具の意志である人造精霊は自ら担い手を選び、秘められた力を解放するための真名を認めた担い手にだけ明かす。


 だが、この銀槍は宝具ではない。


 意志を有し、自ら担い手を選び、真名を明かすのは同じだが、それは、これを人の手で再現しようとした結果創り出されたのが宝具だからだと云われている。


 それ故に、宝具と混同されがちだが、有史以前に竜族や妖精族、他の古代種によって創造された、人種には創り得ない固体化した神秘。


 ――人はそれを『神器』と呼ぶ。


 この銀槍はその極めて希少な神器の一つで、ランスが手に取った瞬間、〔貫き徹す虹擲の穿棘ティタノクトノン〕という真名と、この長さで実は投槍である事、それに秘められた力の使い方が脳裏に浮かび上がった。


 ちなみに、スピアが食べてしまった白槍も実は神器で、真名を〔穿ち絶つ聖咎の滅槍ロンギヌス〕と言い、ありとあらゆる防御や結界を貫いて対象に決して癒えない傷を刻む能力を有していた。


 ――それはさておき。


 スピアは残っている法呪や霊力が封入された魔弾カートリッジをまた食べ始め、ランスはリノンに求められるまま鍵が掛かっているケースやコンテナの錠を銀槍の一突きで破壊し、目ぼしいものを回収して行く。


 本音は一分一秒でも早くここを離れたかったが、予想される口論に費やされる時間が惜しい。故に、そんな焦燥感をおくびにも出さず、ランスは黙々と回収作業を続け……ついに四つの〔収納品目録〕の空間使用率がほぼ100%になった。


「うぅ~っ、まだ半分以上も残っているのに……」


 リノンは未練たらたらといった様子で言うが、残っているのは霊気を帯びない数打の剣や槍、銃器や通常の弾薬など量産品だけ。


 ランスは四つの〔収納品目録〕を預かり、


「『欲の突風鳥ガストバード股を裂く』って言うだろ? さぁ、もう行こう」


 突風鳥が両脚で一頭ずつ猪を捕まえ、猪が左右に逃げようとしても離さず、ついには股が裂けて死んでしまう――という、欲が深ければ禍を受けるという喩えを出してリノンに未練を断ち切らせ、先に階段を上がらせる。


 そして、小さくなったスピアを肩に乗せ、一つ残しておいた消滅爆弾オーブ・オブ・バアルの容器を銀槍の石突で叩き割った。


 ゲル状の霊気遮断物質から露出した紅玉色の球体、その中心に点る黒い光が徐々に徐々に輝きを増していく。空気中の霊気を吸収しているのだ。今はまだ紅玉色の球体が黒い光で満ちた時、この脅威の爆弾が炸裂する。


 ランスは、急がず焦らず階段を上り、聖魔によって惨殺された誘拐犯達の亡骸がリノンの目に触れないようルートを選んで砦を脱出した。


 隠しておいた〔収納鞄〕とリュックを回収し、ある程度開けた場所まで歩いて移動する。そして、


「……こ、これが、スピアちゃんの本当の姿……なんですか?」


 リノンはあんぐりと口を開き、体長8メートル超の翼竜を見上げて目を丸くした。


「それがよく分からないんだ。飛竜になったり翼竜になったり……、なんか小さくなる前よりも一回り大きくなってる気がするし……」


 乗りやすいよう伏せてくれたスピアの背に跨り、純白の体毛を梳くように撫でながら言うランス。リノンは、はぁ、そうなんですか……、と間の抜けた言葉しか返せなかった。


 ランスはリノンに手を貸して、自分の後ろに座らせる。すると、ふわふわだった背中の体毛が一斉に動き、盛り上がったりへっこんだり、硬くなったり柔らかいままだったり、ランスとリノンが乗っていて最も楽な形状へ変化した。そして、シュルシュルッ、と伸びた体毛が鐙と固定帯のように両脚と腰に巻きついて躰を安定させる。


「しっかり掴まって」

「は、はい!」

「よし、じゃあ、――行こうか」


 スピアの背中を、ぽんっ、と叩くランス。それを見たリノンは躰にかかる負荷を予想して言われた通りランスに強くしがみ付き、ぎゅっと目を閉じる。


 ランスが【念動力】で自分とリノンを包み込んで慣性を遮断すると、スピアは、ぐぐぐっ、と両脚をたわめ――ジャンプした。比類なき強靭な脚力を更に霊力で強化して敢行した大跳躍で、人を二人背に乗せた翼竜の巨体が一瞬にして樹上まで移動し、その上昇の勢いのまま片方だけで8メートルはある両翼を羽ばたかせて空へ舞い上がる。


 いっきに高度を上げ、水平飛行に移ったところで【念動力】を解くランス。リノンは、ぶわっ、と吹きつけてきた風を受けてより一層強く目を瞑り……恐る恐る瞼を開けて、世界の美しさの胸を打たれた。


「……綺麗……」


  周りに視界を遮るものは何もない。


 空は茜色に染まり、雲が薄くたなびき、夕日がゆっくりと地平線へ沈んで行く。地上には森があり、山があり、谷があり、天と地の間には浮遊島が幾つか見て取れる。天然の水精石が空気中の霊気を吸収して水を生成し、それが浮遊島から流れ落ち、風にさらわれて飛沫となり、夕日を反射して煌く様子はなんとも幻想的だった。


 前から吹き付けてくる風がそれほど強くないのは、スピアが自身の顔の前に展開した風防の霊力が風の流れを作り、背に乗っているリノンとランスの所がちょうど傘の中にいるような強風の影響を受けない空間になっているからだ。


 突風鳥(ガストバード)を超える飛翔能力を誇るスピアなら、メルカ市まではまさに一っ飛び。だが、世界の美しさに言葉を失うほど感動しているリノンのために大きく遠回りする事にして、メルカ市の正門が閉まるギリギリまで空中散歩を楽しんだ。


 そして、夕日が完全に地平線の向こうへ消えた頃、森の中に埋もれて忘れ去られた古い砦は人知れず消滅し、後日、その場所で不自然なほど綺麗な円形の小さな湖が発見される事になる。

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