第5話 救出するだけのはずが……

 少女を拉致した犯人一味は、自分達の身に何が起きたのか理解できなかった。


 前触れは、唐突に響いた、ピンッ、という聞き覚えのある音。


 各々が、まさか……、と思いつつ、見張りの3名は装着していた、休憩中だった者達は脱いで傍らに置いていた、Y字サスペンダーと幅広のベルトに、拳銃を納めたホルスター、ナイフを納めたスリーブ弾倉マガジン用などポーチ類を取り付けた統合個人装備コンバット・ベスト――その手榴弾用ポーチを開けてみると、ありえない事に、リングに指を掛けて引っ張らなければ抜けないはずの安全ピンが抜けていて、セイフティ・レバーがはずれてしまっており……


 ――手榴弾が爆発した。


 爆風と弾殻部分が砕けた破片が彼らを襲い、吹っ飛ばされたものの恒常展開されている防御系法呪【守護力場フィールド】によって無傷。だが、とても無事とは言えない。外傷こそないものの衝撃波で脳と内臓を激しく揺さぶられ、至近で発生した爆発音で聴覚が麻痺し、三半規管がやられて平衡感覚を失った。


 そして、意識が朦朧として、まともに武器を構える事も立ち上がる事もできずにいた事は朧気ながら覚えているのだが、彼らの記憶は何故かそこで、ブツッ、と途切れていた。




「こんな物騒なものを持っているからこういう目に合う。自業自得だ」


 気配を潜めて接近し、最後の一人の顎を頑強なブーツの爪先で蹴り抜き昏倒させた後、正体を隠すためにフードを目深に被り、他の荷物と共に特徴的な白槍を置いてきたランスは、左右の手で一本ずつ持っていた短棍――森の中で拾った40センチほどの木の棒を、ぽいっ、と投げ捨てた。


 ――兵は拙速を尊ぶ。


 やると決めた。それ故に、ランスは迅速に行動した。


 スピアの超感覚で周囲に他の敵性存在がない事は確認済み。音もなく疾風のように駆け、見張りの目を掻い潜って歯が欠けた櫛ようにあちこち崩れている城壁を越え、背中にスピアをしがみ付かせたランスは石造りの堅牢な建物の外壁に身を寄せた。


 余談だが、実は正体を突き止められる原因になる事間違いなしのスピアもおいていこうと荷物のところで待っていてくれるよう頼んだのだが、一緒に行くと言って聞かず、くっついて離れてくれなかった。


 それから、ランスは【空識覚エリアセンス】と呼んで区別しているが、実の所は制御が神懸っているというだけの【念動力】。他者が感知できないほど極薄く広範囲の空間に浸透させた念動力の一部を、紙縒こよりのように必要最低限物理干渉が可能な状態に縒り上げ、手榴弾の安全ピンに引っ掛けて引き抜いた。


 手榴弾の爆発と同時にスピアが背から離れ、一拍置おいて軽く重心を落し、力瘤を作るように上げた右腕と肩で頭部と首を保護しながら右肩で当たり肩甲骨で押す、自らを砲弾と化さしめる横方向へ落ちるような体当り――〝靠撃チャージ〟で砦の壁をぶち破って内部へ突入。


 そして、全ての点を一度ずつ通るように線を引く一筆書きのように、起き上がろうと四つん這いになっていたり、倒れたまま呻いていたり、意識が朦朧としていた少女を拉致した犯人達を、練りに練った霊力オドを込めた短棍で殴打し、蹴飛ばし、踏みつけ……淡々と全員を昏倒させた。


 ――それがこれまでの経緯。


 『夜討ち』『朝駆け』という言葉がある通り、通常奇襲は夜間または未明に行われる。故に、見張りはその時間帯を最も警戒し、まず奇襲などないだろうという昼間はどうしても警戒心が緩む。それが、ここのように森の中に埋もれて忘れ去られた砦ともなれば尚更だ。


 その上、彼らはランスの存在を知らず、ランスは特殊な訓練を受けた元兵士であり、【空識覚】で罠の有無はもちろん、建物の構造や敵の位置を知る事ができる。そこに、ありとあらゆる生物を凌駕する竜族スピアの知覚と【感覚共有】が加わったのだから、はっきり言って失敗するほうが難しかった。




 防御系法呪【守護力場】を恒常展開するのは、三竦みの関係にある大国の一つ――『イルシオン』で法呪を学んだ術者の特徴。


 だが、装備しているのは、初弾を装填して撃鉄ハンマーを起こせば、後は引き金トリガーを引くだけで連射できる自動小銃オート・ライフル、ボルトアクション式の狙撃銃スナイパー・ライフル、ポンプアクション式の散弾銃ショットガン回転弾倉式拳銃ハンドガン……など、それらは全て、最新型ではないが、同じく三竦みの関係にある大国の一つ――『オートラクシア』の軍で正式採用されていた銃器。


 ランスは、その水と油のような組み合わせに嫌な予感を覚えつつ、犯人達の装備を【念動力】で全て剥ぎ取ってから少女が監禁されている部屋へ。


「ごしゅじんっ」


 頑丈なドアの前でスピアが待っていた。尻尾をフリフリしている。


 被っていたフードを脱ぎ、その様子に頬を緩めたランスは、スピアが肩までよじ登ってくる間に【念動力】を浸透させてドアに掛けられた鍵の構造を把握し、可動部に干渉して開錠する。そして、コンコンッ、とドアをノックした。


「俺は、スパルトイのランス・ゴッドスピード。ドアを開けても構いませんか?」

「…………」


 ランスの問いに、少女の返事はない。【空識覚】で少女が拘束されておらず、猿轡もされていないという事は分かっているのだが……


 もう一度ノックする。だが、やはり返事はない。しかし、ゆっくり近付いてきている事が分かったので一歩下がって待っていると、恐る恐るといった感じでゆっくりとドアが開いて……


「か、かわいいぃ――――~ッッッ!!」

『~~~~っ!?』


 少女は、ドアの外に立っていた見知らぬ少年の肩の上に、小さくて、ふわふわで、かわいい生き物がいるのを発見して歓声を上げ、ランスはその鼓膜を劈くような甲高い声に思わず仰け反り、スピアは、ビクゥッ、と躰を震わせてランスの背に隠れる。


 すると、少女はキャーキャー言いながらスピアを追ってランスの背中側に回り込み、スピアはランスの前側に逃げ、少女はそれを追って前へ回り込み、スピアは後ろへ逃げ……少女とスピアは途方に暮れて佇むランスの周りをしばらくの間ぐるぐると回り続けた。


「あ、あの、その子を撫でたいんです。いいですか?」


 ようやく障害物ではなく人として認識してもらえたランスが口を開くよりも早く、


「やっ」


 スピアは、ブンブンと音がしそうなほど首を振ると、フードの中に隠れてしまった。『嫌い』や『怖い』ではなく『いや』――そんなスピアの思いが伝わってきて苦笑するランス。要するに、人見知りだ。


「え? 今……。ひょっとしてその子、人の言葉を話せるんですか?」

「あぁ。舌足らずで片言だけど、可愛い声で話すよ」


 そう答えるランスの穏やかな表情を見て、利発そうな少女はにっこりと微笑み、お恥ずかしい姿をお見せしてしまいました、と謝罪してから、


「私は『リノン・ミューエンバーグ』と申します」


 スカートを軽く抓んで持ち上げながら、少女――リノンは礼儀正しくお辞儀した。


 年の頃は一〇に届かないだろう。緩く波打つ長い髪は透明感のある蜂蜜色。円らな瞳は深い海を彷彿とさせる紺碧。何気ない立ち居振る舞いが育ちの良さを窺わせ、整った顔立ちは可愛らしく、目が薄っすらと赤くなっているのは隠しようがないものの涙の跡は綺麗に拭われている。


 腰に届く長い髪を大きなリボンで纏め、身に着けているのは活動的でありながら淑やかさを損なわない上等なワンピースに裾の短い上着ボレロを合わせており――靴は右側しか履いていなかった。


 ランスは懐から取り出したスパルトイのライセンスを見せながら改めて名乗り、フードから出てこないスピアの事を紹介する。そして、


「これは君のだよね?」


 リュックからコートのポケットに移して持ってきた左側の靴をリノンの足元に置いた。


「どうしてランスさんがこれを?」


 リノンは履き心地を確かめてからそう問い、


「詳しい話は後にして今はここを出よう」


 ランスは脱出を促した――が、


「スピア?」


 フードの中に隠れていたスピアが飛び出した。そして、本当に何もないその部屋の奥まで駆け、


「きゅ――~っ」


 成形された石が整然と敷き詰められている床を、前足でカリカリ引っ掻きながら訴える。


「どうしたんですか?」


 ランスは、掌を相手に向けるジェスチャーでちょっと待ってくれるよう頼み、【精神感応】で長居は無用だと脱出を促したのだが、


「きゅ――~っ きゅ――~っ」


 どうしても気になるらしい。穴を掘ろうとするかのように、カリカリカリカリ……、と両前足で床を引っ掻いておねだりする。


「ランスさん?」

「……脱出を促しておいて申し訳ない。少しだけ待ってもらっても良いかな?」


 結局、折れたのはランスのほうだった。深々とため息をつき、困惑するリノンの了承を得てから、その部屋の入口から見て左側奥の壁に向かう。


 【空識覚】の効果範囲は自身を中心とした球形。つまり、地下も含まれる。故に、この部屋の下に隠し部屋がある事に気付いていた。おそらくスピアも竜族ドラゴンの超感覚で気付いたのだろう。地下への入口を開ける隠しスイッチの場所も、もう分かっている。


 ランスは、部屋の隅、壁と床の境目を爪先で押し込んだ。すると、成形された石が整然と敷き詰められている床の一部が、まず一段分下がり、その隣が二段分下がり、その隣が三段分下がり……そんな具合に、地下へ続く階段が現れた。


 古い砦が倒壊する危険を気にせず犯人達が持っていた手榴弾を爆発させられたのは、少女リノンが捕らわれている部屋が他よりも頑丈にできている事が分かっていたから。そして、その理由がこれ。こんな仕掛けを作るために、この周囲だけが他よりもしっかりと造られていたのだ。


「隠し階段ッ!? すごいッ! なんだか冒険者になって宝探しをしているみたいッ!」


 リノンが興奮の面持ちで駆けて行くと、スピアは逃げるようにその階段を降りて行ってしまう。リノンはそれを追いかけ、ランスもまた苦笑しつつその後に続いた。




 上の部屋より遥かに広い地下室。そこは――武器庫だった。


「…………」


 ランスはわずかに眉根を寄せ、【空識覚】をこの地下室全体に広げる。少女の救出という目的の達成を最優先していたため、スピアの索敵で無人と分かった時点で意識から除外し、詳しく探らなかったのだが……。


 目に見える範囲に存在するのは、多くの木箱や金属製のコンテナ、合成樹脂製のケース、ラックに掛けられ並べられた剣、槍、拳銃、小銃などなど。そして、【空識覚】でざっと探ってみただけでも、エゼアルシルトの『霊装』、オートラクシアの『魔導具』、イルシオンの『宝具』まで節操なく取り揃えられている。


「…………」


 こんなものを見てしまった以上、放置はできない。


 全てを始末する事にしたランスは、そのために利用できる兵器を求めて地下の一角へ足を向け、


「ごしゅじんっ ごしゅじんっ!」


 スピアに呼び止められた。合成樹脂製のケースの上でぴょんぴょん飛び跳ねている。どうやら開けてほしいらしい。


 周囲には同じ様なケースが幾つもあり、求められるままその中の一つの止め金具を、パチンッ、とはずして開ける。その中には、法呪を封入する事ができる力晶石を弾頭に用いた弾薬カートリッジ――『魔弾』がびっしりと詰まっていた。透明であるはずの弾頭が透明感のある赤に染まっているのは、既に火属性の法呪が封入されている証だ。


「きゅぅ~う」

「食べる? これを?」


 竜族ドラゴンは、成長の過程で自身を環境に適応させる形で進化させていく。特に重要なのが食事で……簡単に言ってしまうと、食べれば食べただけ強くなる。


 スピアは、生後およそ二ヶ月の幼竜だが、スピアを喰おうと寄ってきてランスによって返り討ちにされた一〇〇体近い怪物モンスターを貪り食う事で力をつけ、様々な能力を獲得し、もう腹を満たすための食事は必要なくなっている。


 つまり、スピアは、今よりももっと強くなるためにそれを欲しているのだ。


 まぁ、どうせ始末するのだから構わないだろう。


 ランスが許可すると、スピアは飛竜型のまま体長2メートルほどまでに大きくなり、ケースの中に頭を突っ込んで、ボリッ、カリッ、ゴリッ、と犬猫が粒状のペットフードを食べるような音を立てて魔弾を食べ始めた。


「……雑食この上ないな」


 ランスは、思わず感心と呆れが半々といった様子で呟き――


「――――ッ!」


 ランスとスピアは同時に同じ方向を見上げた。


 当然といえば当然だが、リノンが異変に気付いた様子はない。これは何かな~、あれは何かな~、と楽しそうに鍵が掛かっていないケースを開けまくっている。


 ランスは、【精神感応】でスピアにリノンの護衛を任せ、フードを目深に被り、階段を飛ぶように駆け上がった。そして、胸中で〝来い〟と呼びかけ、空間転位して出現した白槍を右手で掴み取る。




 ――一足遅かった。


 床に転がしておいた誘拐犯達は全員が既に惨殺され、血の海と化した部屋に一つ、黒い影が佇んでいる。


 一見、漆黒の法衣を纏い頭巾を目深に被った神父のようだが、背中には蝙蝠のような大中小三対六枚の翼があり、両手の五指に備わる小剣ショートソードのような鋭い爪からは鮮血が滴っている。


 それはもちろん人ではない。だが、怪物モンスターでもない。


(――聖魔マラーク


 霊的物質エクトプラズムで構成された本体を、組み込まれた複雑精緻な術式システムが動かす、かつて魔王がその原型を創造したといわれる半自律型戦術兵器。外観や能力は千差万別で、イルシオンでは魔王と同じ呼称を用いる事を嫌って『天使アンゲロス』と呼び、オートラクシアでは恐怖と嫌悪の念を込めて『悪魔デーモン』と呼ばれている。


 スピアの知覚が捉えたのは目の前の聖魔のみ。それが突然出現した。という事は、これを操っている法呪士は、遠隔操作型の聖魔をスピアの知覚範囲外から【転位】でこの場所に直接送り込んできという事になる。


「コノ役立タズ共ヲ倒シタノハ貴様ダナ?」


 対峙した聖魔の誰何に対して、ランスは無言で不動。


「貴様ハ何者ダ?」

「…………」


 白槍を右手で保持し、重心を安定させ、正しく直立する以外の力を抜き切った自然体。


「小娘ヲ何所ニ隠シタ?」

「…………」


 付近にこれを操っている法呪士はいない。遠視系の法呪で観られている気配もない。という事は、【精神感応】で聖魔と感覚を共有している、または肉体から霊体を分離させて聖魔に乗り移らせている可能性が高い。


「答エナイノナラ用ハナイ。死――」


 死ね、という言葉が紡がれるよりも早く、聖魔が動き出すよりも速く、予備動作なしに繰り出された鑓穂が聖魔を穿った。


 ドッ、と響いた打突音は一つ。

 瞬時に穿たれた穴は四つ。人型聖魔の右目、左目、喉、心臓に相当する位置。


 〝先の先〟を取り、掌中で槍を滑らせ、右手で石突を掴み、左手を柄に添え、槍の長さを最大限に生かしつつ、疾風の如き踏み込みから繰り出された迅雷の如き刺突に、聖魔は全く反応できなかった。


 殺人の愉悦に吊り上がっていた口角が下がり、わなないて……聖魔を構成していた霊的物質エクトプラズムが雲散霧消し、完全に消滅する。


 先に挙げた可能性の内、後者であれば霊体が受けたダメージが肉体にフィードバックされ、まず間違いなく操っていた法呪士を仕留めた。前者であれば確かな事は言えないが、一命を取り留めたとしてもしばらく意識は戻らないだろう。


 そのどちらにせよ、これ程までに法呪士から離れて行動できる聖魔は少ない。とりあえず、いつどこに出現するか分からない脅威に怯える必要はなくなったと思って良い。


 ――何はともあれ。


「ただの営利誘拐じゃないだろうとは思っていたけど……」


 何やらきな臭くなってきた。


 ただ悪漢から少女を救出するだけのつもりが、とんでもない厄介ごとに首を突っ込んでしまったのかもしれない。


 そんな嫌な予感しかしなかった。

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