第4話 初仕事とハプニング

 回復薬ポーション解毒剤アンチドートの素材となる薬草類の採取依頼は常にある。かといって、その場所にある薬草を全て採り尽くしてしまうともうそこで採取できなくなってしまう。そんな事態を避けるために、ギルド《竜の顎》は依頼書で採取する場所と数量を指定している。


 それ故に、メルカ市周辺での採取依頼は比較的受け手がいるのに対して、他の依頼のついででもなければ、近場で採れる薬草をわざわざ遠方まで採取しに行こうという者達スパルトイはまずいないため、掲示板に張り出されたまま残る事になる。


 ランスとスピアの初仕事、碌に内容も確かめず受付に持って行った依頼書はまさにその残り物で、内容は回復薬ポーションの素材となる薬草の採取だった。しかも、その近辺では他の薬草類も採取できるからとの受付嬢の奨めで、他に二つ、計三つの採取依頼を受ける事に。


 そんな訳で、ランスは使い古したリュックを背負い、採取した薬草類を収納するために《竜の顎》から貸し出された〔収納鞄〕――空間系練法を用いて製造されたアタッシェケース大の霊装――と白槍を手に、スピアと共に初仕事へ出発した。


 大門のところで面倒見とつっこみがいい衛兵――『エルネスト・クルーニー』と挨拶を交わし、仔猫ほどの飛竜から体長およそ7メートルの翼竜へ形態変化トランスフォームしたスピアの背に乗り、晴れた大空へと舞い上がる。


 突風鳥ガストバードを超える飛翔能力を誇るスピアなら、目的地まではまさに一っ飛び。あまりに早く着き過ぎて物足りないらしく、もう少し一緒に飛びたいと言うスピアに付き合って空中散歩をしばし楽しんでから、依頼一つ目の薬草が採取できる群生地付近の開けた場所に着地した。




 やはり、こんな所まで遠路遥々薬草を採取しにくる者はいないのだろう。まさに群れるように大量の薬草が生えている。


 森での生活中に自然と決まっていた役割分担で、ランスが何か作業をしている時はスピアが周囲を警戒してくれる。それ故に、安心して作業に集中できるため、質の良いもの集める事ができた。


 空間系練法を用いて製造された霊装である〔収納鞄〕の中には、複数の位相空間が存在する。


 鍵穴の横のダイヤルが『Ⅰ』で鞄を開け、その中に一〇本ずつ簡単に麻紐で束ねた薬草を一杯に詰め、一度閉めてからダイヤルを『Ⅱ』にして開けると中は空っぽ。そこにまた束ねた薬草を一杯に詰めてここでの採取は完了。


「ありがとう、スピア」

「きゅいっ!」


 翼竜から小さな飛竜に形態変化し、木の上から周囲を警戒していたスピアを呼び戻し、頼りになる相棒の頭をよしよしと撫でてから次の場所へ向かう。


 移動は、近場なので空ではなく地上を行く事に。


「きゅっ きゅっ きゅ~っ」


 スピアは、大空を飛ぶのが好きだが大地を走るのも好きらしい。起伏が激しく木の根や岩など障害物も多いが、そんな事は物ともせず楽しげに駆けて行く。


 あらゆる環境に適応できるよう生存術を仕込まれているランスもまたそんな道なき道を苦にしない。穏やかな微笑すら浮かべてスピアを見守りながら後に続き、足音を立てず、体重を感じさせない、まるで舗装された道路をランニングするかのような足取りで軽々と踏破する。


「きゅい?」


 好奇心旺盛なスピアは、道草、寄り道も大好きで、気になるものがあるとつい目的を忘れてそちらへ行ってしまう。


 成長中は他の事に気を回す余裕がなく、大きくなってからは気にならなかった事も、小さくなるとやはり見える景色が違うらしく新しい発見が多いようだ。


 そして、足を止めて匂いを嗅ぎ、興味津々に観察し、時にはパクリと食べる事も。それが無害な植物や昆虫なら問題はないのだが……


「――スピア」


 ランスは、寄り目になるほど見付けた虫に顔を近付けていたスピアを、ひょいっ、と抱き上げた。


「ごしゅじん?」

「それはカメムシの一種で、身の危険を感じると高温のガスを噴射して攻撃してくる。だから、顔を近づけると危ないよ」


 ランスはスピアを肩に乗せ、適当な木の枝を拾い、自分達にそのガスが掛からないよう少し離れてから、


「いくよ?」

「きゅい」


 それで虫をツンツンとつつく。すると、虫は微妙にお尻の向きを変えて、シュッ、とガスを噴出した。


 それは極微量で、直接掛かってはいない。だが、ムワッ、と強烈な臭気が広がり、


「や――~ッ!?」


 スピアは悲鳴を上げて脱兎の如く逃げ出した。


 ガスの臭いが相当嫌だったらしく、十分離れると両前足で鼻をゴシゴシして、わずかな残り香も取り去ろうとペロペロ舐め必死に毛繕いしている。現状でこの大騒ぎなのだから、直接掛かっていたらいったいどうなっていた事か。


 そんなスピアの許へ歩み寄ると、ランスは自分とスピアに、臭いの原因物質を分解する事でほぼ無臭にできる練法――【消臭】を使った。


「大きい時も油断は大敵だけど、小さくなってる時は特に、いろいろな事に気を付けないとな?」

「きゅいっ」


 撫でようとすると、スピアのほうから掌に頭をすり寄せてきた。甘えてくるスピアを抱っこして頭や首や背中を撫で、落ち着いてから移動を再開する。


 それからもスピアの道草と寄り道は続き、ランスは文句も言わず付き合い、先程のように危ない時には注意するなどして……結局、それらに多くの時間を取られたが、三箇所での採取自体はあっさり完了した。




 時刻は正午過ぎ。


 場所は、人里離れた森の中、三つ目の依頼で採取した薬草の群生地。


 これからスピアと一っ飛びしてメルカ市に戻り、《竜の顎》の受付嬢にこの〔収納鞄〕を引き渡す――はずだったのだが……


「……スピア?」


 木の上から周囲を警戒していたはずのスピアが戻ってこない。


 目の届く範囲には姿がないので、契約を交わした事で可能になった【精神感応】で呼びかけてみる。すると、すぐに戻ってきたのだが、妙なものを銜えていた。それは――


「靴?」


 それも少女用の上品な革靴。一足ではなく左側だけ。


「…………。これがあった場所は?」

「こっち」


 駆けて行くスピアの後に続き、辿り着いたのは当然の事ながら森の中。


 最寄りの人里はメルカ市で、特殊な訓練を受けているランスでも徒歩なら往復するだけで一日かかる距離。スピアがいなければ日程に余裕を持たせ、二箇所で依頼をこなした後は野営の準備を始め、翌日残りの一箇所で依頼をこなしてから帰路につくところだ。


 そんな場所に、放置されておそらく一日経過していない、サイズからして一〇歳未満の少女の、山野を歩くのに適さない革靴があったとすると……


「持ち主の臭いは?」

「きゅうきゅう」

「人間の血の臭いは?」

「きゅうきゅう」


 幸いな事に、考えられる中で最も悲劇的な、この場所の上空を通過した飛行船から少女が転落した、という可能性はなさそうだ。


 ランスは目を閉じて精神を集中し、固有練法【空識覚エリアセンス】で周辺一帯を探査する。


 【空識覚エリアセンス】とは、高度な情報系練法を習得していないランスが独自に編み出した、練法の基礎中の基礎である【念動力】を応用した探知術。自身を中心とした空間に他者が感知できないほど極微弱な念動力を浸透させ、その空間内に存在する全ての物の形や動きを感じ取る。


 通常は球形に展開するのだが、今回は地面を這うように薄く広範囲に展開し……その結果、考えられる中で最も平和的な、飛行船に乗っていた少女が何らかの理由で靴を投げ捨てた、という可能性がないと分かった。


 ランスとスピアが移動した先は、わずかに地面が露出している獣道。靴が落ちていた場所から50メートルも離れていない。


「ごしゅじん?」

「あぁ、持ち主の居場所が分かるかもしれない」


 肉眼では確認できない。だが、【空識覚】ならそこに複数の人の足跡がある事が分かる。


 そこから、考えられる中で最も非人道的な、少女が何者かに誘拐された、という可能性が浮かび上がった。


 これはあくまで状況からの推測だが、靴の持ち主の少女は、この付近の上空を通過した飛行船に乗っていた。そして、同じくその飛行船に身分を隠して乗っていた何らかの訓練を受けた者達によって拉致され、飛行船から飛び降り、この山野の中に軟着陸し、この獣道を運ばれた。


 靴は自由落下の際の風圧で脱げたもの。新しい四人分の足跡の中の一つ、右より左の足跡が深いのは、左肩に意識を失った少女を担いでいたからだ。


 スピアが、スンスン、と臭いを嗅ぎながらその足跡を辿って行く。ランスはそれを止めず、少女の靴をリュックにしまい、【空識覚】を維持したままその後について行った。




 ランスとスピアの行く手に待ち構えていたのは、周囲の木々に半ば埋もれたゴブリンが住み着いていそうな山の中腹にある古い砦。


 スピアが捕捉した生体反応は10。内一つが拉致された少女で、残りはその実行犯だろう。


「一分隊、か……」

「ごしゅじんっ」


 契約を交わした事で可能になった【感覚共有】で、竜族スピアの聴覚を共有する。


 聞こえるのは、男四人の声。どうやらカードゲームに興じているらしい。あと、寝息を立てている者が一人。紙をめくる音をさせた者はおそらく読書中。他の三人は見張りだろう。


 精神・肉体共に緊張しっ放しでは長く持たない。気を緩める方法を知っていてそれを実践できるという事は、彼らがプロだという何よりの証。


 それと、少女の嗚咽と助けを求めるか細い声。


「犯人の数と少女の生存を確認」


 この時、ランスが第一にすべきと考えていた事は、少女の救出――ではなかった。


 まず、自らが受けた依頼にんむを完遂する。それが第一。


 次が、〔収納鞄〕を《竜の顎》の受付嬢に引き渡した際に確認した情報を伝え、同じ事を警察機関に通報する。


 ――以上。


 飛行船に乗り、あんな革靴を履いているという事は、おそらく資産家のご令嬢。であれば、既に警察や私兵が動いているはずだ。高Lvのスパルトイが雇われた可能性もある。


 何にせよ、少女の救出は自分の仕事にんむではない。


 ランスは、それが正しい判断だという自信があり、少女を救出しようとは全く考えていなかった――のだが、


「ごしゅじん?」


 スピアが砦に向かって走り出し、ランスがそれを止める前に、ごしゅじんが来ていない事に気付いて振り返る。そして、不思議そうに首を傾げた。


 そんなスピアから左腕の紋章を介して伝わってくるのは――感謝と信頼。


 ごしゅじんは自分の事を助けてくれた。だから、ごしゅじんを助けたい。手伝いたい。


 そんな想いがひしひしと伝わってくる。そして、


 ――ごしゅじんは助けを求めるものを見捨てない。


 それはもう、信じるとか疑う余地がないとかいう次元ではなく、スピアにとっての真理だった。


「………~っ」


 自分の判断は正しい。その自信がある。ならば、スピアに助けには行かないと伝え、踵を返し、帰路へつけば良い。――それなのに言葉が出ない。動けない。


 自分が感じているストレスの原因が分からず、額にじっとりと嫌な汗が浮かぶほど悩んでいると、


「ごしゅじん?」


 テッテッテッテッ、と戻ってきたスピアが心配そうに見上げてきた。


 その自分を信頼し切っている円らな瞳を見て――


〝身分には責任が伴うから面倒くせぇ。幾ら褒め称えられようと腹の足しにはならねぇ。金より命のほうが大事だ。けどよ、心の底んとこから信頼されちまったら、もう応えずにはいられねぇだろ?〟


 不意にそんな師匠の言葉を思い出した。


 あれはまだ師匠に名前をもらって間もない頃の事。『命令だから』と無私無欲に唯々諾々と従っていた自分の何かが気に入らなかったらしく、師匠が『お前は何のために技を修め、何のために戦うんだ? 地位でも名誉でも金でも良い。何か欲しいものはないのか?』と訊いてきた時の事だ。


 あの時の自分は『分からない』と答えて師匠を呆れさせ、師匠がそう訊いてきたから訊き返した。『師匠は地位や名誉や金のために戦うのですか?』と。


 その答えが、今思い出した言葉。


 あの時は師匠の言っている事が分からず、今まで忘れていたが……


(……そうか。俺は、スピアの信頼に応えたいのか……)


 そうと分かると、今まで感じていたストレスが嘘のように消え、すぅ――…、と躰が楽になった。


「ごしゅじん?」

「もう大丈夫。ありがとう、スピア」


 ランスが頭を撫でると、スピアは気持ち良さそうに目を細めた。


 請負った依頼はもちろん完遂する。だが、採取場所が近いからという理由で他に二つも同時に請負ったのだから、もう一つ増えても構わないだろう。


 ランスは、目の前の古い砦を見据え、


「スピア、――助け出すぞ」

「きゅ――~っ!」


 状況を開始した。

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