第2話 命名と契約

 ――ランスとおチビが出会ってから、およそ二ヶ月の時が流れた。


 あの翼竜は、もうおチビとは呼べないほど大きくなり、並みの怪物モンスターは恐れて近づかないほど強く、襲われても突風鳥ガストバードを超える飛翔能力で易々と振り切れるまでに成長した。


 そして、おチビのお守りから解放されたランスは旅を再開し、二ヶ月遅れでようやく目的地に到着したのだが……


「え? ダメ?」


 時は、午前八時頃。

 場所は、三国の緩衝地帯に存在するという特異性から独立自治が認められている交易の要衝――城郭都市『メルカ』。


 怪物や猛獣の侵入、盗賊の襲撃を阻むための高い壁があり、そこにはもう長蛇の列ができていた。大門の前で衛兵が行なっている入市審査を受けるための列だ。


 ランスはその最後尾に並んだのだが、何故か人も馬車も、皆が先を譲ってくれる。そして、大門に近付くと、そこで審査や荷の検査を行なっていた四人の衛兵の内の二人が大慌てで駆け寄ってきた。それから十分離れた場所まで誘導され、来訪の目的を問われたので入市を希望する旨を伝えたのだが許可できないと言われてしまい、その理由を問うと、


「いや、どうしてって……」


 途方に暮れたような顔をする衛兵の視線を追って振り返ると、すぐ後ろで一頭の白いドラゴンがお行儀よくお座りしている。


 前足が鉤爪を有する翼の『翼竜』で、首と尻尾は長く、頭から尻尾の先まで七メートルはあるだろうか。全身がふわふわの白い毛で覆われていて、紅の円らな瞳は高い知性と好奇心でキラキラしており、目はぱっちりとして可愛らしく、怪物も恐れる竜族ドラゴンらしくない愛嬌がある。


「あぁ~……、なんかついてきちゃって」

「『ついてきちゃって』って、あんた、このドラゴンと契約した騎竜兵ドラゴンライダーじゃないのか?」

「違います。なんか懐かれちゃって」

「『懐かれちゃって』って、野生のドラゴンに? えぇ~――~っ」


 信じられないと言わんばかりの面持ちで、ランスと翼竜を交互に見る衛兵。


「入れてもらえないのはこいつのせいですか?」

「ん? あぁ、まぁそうだな。騎竜兵が契約したドラゴンだって中に入れる訳にはいかないってのに、未契約の野生のドラゴンなんて入れた日にはどんな大騒ぎになるか」


 ランスは、なるほど、と納得して翼竜のほうへ振り向き、


「じゃあ、元気でな」

「えぇえええぇ~――~ッ!?」「きゅいぃいいいぃ~――~ッ!?」


 衛兵とおチビは揃って驚きの声を上げた。


 おチビは目をうるうるさせながらランスのコートの袖を銜えて引き止め、衛兵も、


「ちょっと待てって! ドラゴンの中でも特に飛翔能力に秀でた翼竜が、地面を歩いて後をついて回るなんてよっぽどだぞ!? そんなに懐いてるのにバイバイってのは、ちょっとひどいんじゃないか?」

「そう言われても……」

「森の中で待機させておけよ。前に剣牙虎サーベルタイガーを護衛につれた調教師テイマーがそうしてた。それよりもう少し小型の随獣パートナーや、荷車を引く陸亜竜なら制限付きで認められるし、ペットの犬猫程度なら何の問題もないんだが……。どんなに大人しくてもさすがにこのサイズのドラゴンはなぁ~」


 おチビはそれを聞いて頭を跳ね上げた。その様子から察するに、何か名案が閃いたらしい。


 それまでランスの側を離れようとしなかったおチビが少し距離をとり、紅の瞳を輝かせた――次の瞬間、その躰が白い光に包まれて、シュッ、と縮む。


「きゅ~っ!」

「あれ? お前、前足……」


 嬉しそうに肩に飛び乗ってきたのは、前足が翼の翼竜ではなく、四本足で背中に翼を備えた『飛竜』だった。円らな瞳は紅、全身を包むふわふわでシルキーな毛は純白。躰は仔猫サイズにまで縮み、首と尻尾はすらりと長く、自分をすっぽり包み込んでしまえるサイズの皮膜の翼を背中に備えている。


 出会った頃よりも小さくなったおチビに、どうしたの? と言わんばかりに小首を傾げて覗き込まれたランスは、まぁいいか、と細かい事は気にしない事にした。


 ぶっ魂消ている衛兵に声を掛けて正気に戻すと、おチビをつれて中へ入るための手続きをする事に。


 書類に必要事項を記入する。一番初めにあったのが、主人と随獣の名前を書く欄で、ランスは自分の名前を書き込んでから、


「名前は?」

「きゅう?」

「『キュウ』――」

「――ちょっと待てッ! 今の名乗ったんじゃなくてただ鳴いただけだろ! ちゃんといい名前考えてやれよッ!」

「いい名前? いい名前…………、じゃあ、『ランス』――」

「――それお前の名前だろッ!? 主人の欄にその名前が書いてあるぞッ! 一緒だといろいろ不都合があるだろッ!」


 名前とは個体を示す記号であり、その良し悪しなど考えた事もなかった。なので、幾ら考えても師匠がくれた名前以上に良い名前というのが思い浮かばず……


 面倒見とつっこみがいい衛兵の助けを借り、一緒に考える事しばし。


 翼竜から飛竜へサイズと形態を変えたおチビは、『スピア』と命名された。


「改めまして、俺の名前はランス。これからよろしく、スピア」

「きゅ~――~ッ!」




 大門から入るとそこには門前広場があり、その一角に歴史を感じさせる造りの大きな建物があった。そこに掛けられている看板には、吼えるように鋭い牙が並ぶ口を開いた竜の頭蓋骨が描かれている。


 スパルトイ達が集うギルド――《竜の顎》だ。


 『スパルトイ』とは、国家や企業に属さず自由契約で仕事を請け負う者達の総称。


 怪物の撃退や討伐、古代遺跡の調査、司法や警察の委託を受けての代理執行や捜査協力、犯人逮捕、個人的なボディーガード、調停の立会人、子守り……などなど、最低条件として『犯罪抑止力としての相応の強さ』が要求されるため荒事専門と思われがちだが、身の回りの諸問題までその仕事は多岐にわたる。


 そんな仕事を斡旋してくれるのが《竜の顎》だ。


 ランスがメルカ市にやってきた目的は、スパルトイのライセンスを取得するため。何故取得しようと思ったかというと、それは師匠が、あると何かと都合が良い、とライセンスを見せてくれた事があったのを思い出したからだ。


 その所在を確認したランスは、すぐに入らず、まずは面倒見とつっこみがいい衛兵が教えてくれた宿屋――随獣と一緒に泊まれる《鴛鴦亭》へ向かい、部屋を借りた。そして、次は街を見て回る。


 高台へ上って街並みを眺め、気になった場所は実際に巡り……朝食は市場バザールでスピアが興味を持ったものを買って一緒に食べ、遅めの昼食は屋台で適当に済ませた。


 移動中、スピアが肩の上を右へ左へとチョロチョロしたり、頭の上に登ったりしていたため街行く人々の注目を集めたが、ランスは気にしない。


 スピアが珍しいのは分かるが、何のつもりか後を付けてくる輩をまきながら、今日はそんな感じで頭の中にメルカ市の地図を作る事に費やし、ギルドへ向かうのは明日にして宿へ戻った。




 その日の夜、宿の食堂で早めの夕食を堪能して部屋に戻ると、


「ごしゅじん ごしゅじん」


 突然スピアが話し始めた。


 こちらの言葉を理解しているらしいという事は早い段階から分かっていたため、しょっちゅう話しかけて、きゅいきゅい、と頷くか、きゅうきゅう、と首を振るかの二択で意思疎通を図っていたが、そうと理解できる言葉を発したのは始めてだ。


「あれ? スピア、話せたの?」

「なった いま」


 そういえば、とランスはふと思い出した。山篭りしている間、時折、きゅきゅいきゅ~きゅいぃ~きゅぅ~……、といった感じの妙な抑揚をつけて鳴いている事があったのを。


 その時は歌を歌っているのかと思っていたが、ひょっとすると発声練習だったのかもしれない。


 それに今思うと、躰が小さくなった分気持ちも小さくなっているらしく人を怖がっていたスピアが、人目を引いてしまうのも構わず肩の上を右へ左へとチョロチョロしたり頭の上に登ったりしていたのは、街の人々が会話する様子を見て、聞いて、言葉を覚えようとしていたのかもしれない。


「へぇ~。これからはスピアと話ができるんだな」


 鳴き声が可愛いなぁ~、と思っていたが、口や喉の構造のせいか、舌足らずでたどたどしい話し方もまた可愛い。ランスが頭を撫でてやると、スピアは嬉しそうに目を細め、


「ごしゅじん けーやく スピアと」

「契約?」

「そう ごしゅじん スピア ずっといっしょ けーやく」

「別に契約なんてしなくたって、スピアが一緒にいたいならいれば良い」

「けーやくっ けーやくぅ~っ! ごしゅじん~~っ!」


 目をうるうるさせて必死に訴えてくるスピア。


 ランスは、それ程までに望むのであれば、と契約を交わす事を承諾した。


 スピアは嬉しそうに一鳴きしてからランスの左の二の腕を前足でテシテシ叩く。何となく察してコートを脱ぎ、袖をまくって左腕をスピアの前に差し出すと、


「――~~ッ!?」


 ガブッ、とやられた。甘噛みではなく、上下の顎に生え揃った牙がしっかりと食い込んでいる。


 それでも我慢して腕を動かさずにいると、スピアが腕から口を離した。


 傷口から血が溢れ、スピアがその血をペロペロ舐める。すると、滴り落ちるはずの血が重力に逆らって縦横に動き、天を舞う竜を意匠化したような紋章が完成した。いつの間にか噛まれた傷が消えている。


「これで契約完了? ――うおッ!?」


 しげしげと紋章を眺めていたら、突然スピアが顔に飛びついてきた。


 スピアは、ランスの頭を両前足で抱き締め、躰を摺り寄せ、頭を擦りつけ、尻尾を巻きつけ、頬ずりし、ペロペロ舐め、とやたらと興奮した様子で――命を助けてくれた事、護ってくれた事、一緒にいてくれた事などの感謝、喜び、友愛……これまで伝えたくても伝えられなかった溢れんばかりのスピアの思いが、言葉を介さず紋章を通じてそのままランスの頭の中に流れ込んできた。


「これが契約による恩恵の一端、か……。だから契約したがったんだな」

「きゅいきゅいっ! ごしゅじん だいすきっ!」

「はははっ、可愛いなぁ~っ」


 思う存分にじゃれ合うランスとスピア。


 成長してからはスピアがランスのベッド代わりだったが、その日は久々にランスがスピアをお腹の上に乗せて寝た。


 そして、翌日――


「よし、行くか」

「きゅ~――~ッ!」


 宿を出たランスとスピアは、ギルド《竜の顎》へ向かって出発した。

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