第1話 出会う少年と白竜

 時は、正午過ぎ。


 場所は、エルヴァロン大陸を分割統治している三国に挟まれた、峻厳な山々があり、深い谷があり、大きな湖を抱く深い森がある広大な緩衝地帯。


 上空から見れば緑の中に引かれた一本の土色の線に見える、エゼアルシルト方面から続く他に人気のない細い道を、一人の少年がのんびりと歩いている。


 年の頃は十代半ば。黒髪黒瞳、中肉中背、肌の色はやや浅黒く、面差しはやや童顔でどこか呑気そう。


 服装は、一見普通だが、半袖のインナーとトランクスを除く、ズボン、頑強なブーツ、フード付きロングコートは、在学中に特務戦技教導官――師匠と共に討伐したモンスターの素材を用いた特注品。


 荷物は、使い古したリュックを背負い、左右の太腿にそれぞれユーティリティポーチをベルトで固定している。


 武装は、左腰のやや斜め前で剣のようにベルトに差している鞘に納まったサバイバルナイフと、右手で肩に担ぐように持っている白い槍。


 刃渡り四〇センチほどのショートソードの柄を長く伸ばしたような全長約二メートルの槍は、穂先から石突まで一体形成。透明感がある乳白色の象牙のような金属のような謎の物質でできており、武器としての性能も然る事ながら美術品としても相当な価値があるであろう事は疑いようがない。


 そんな少年――ランスが、小腹がへってきたので適当な場所を見付けたら昼飯にしようと決め、周囲の景色を楽しみながら緑濃い森の中の細い道を進んでいると、突然、バサバサガサバキガサバサバサ……ドサッ、と近くの木の上から何か白いものが落ちてきた。


「なんだ?」


 何となく気になったので、何が落ちてきたのかを確かめようとその木のほうへ歩いて行くと、バサッ、バサバサバサバサッ……ドズンッ、と白いものに続いて巨大な何かが落ちてきて――


「キィエェエエエ――ゴォアッ!?」


 そいつは着地するなりおもむろに後ろ足で立ち上がって翼を広げ威嚇してきた――ので、驚いて反射的に槍をそいつの口内へぶち込んでしまった。


 予備動作もなく突き出された槍の穂先が口腔を貫いて後頭部から飛び出し、突き出されたのと等速で引き抜かれる。


 その一突きはあまりにも速過ぎて、もしこの場に第三者がいたとしても武術の達人でもなければ、グリフォンの頭に突然、ズドンッ、と孔が開いたようにしか見えなかっただろう。あるいは、大口径狙撃銃による遠距離射撃を疑ったかもしれない。


 すると、突然威嚇してきたそいつは、糸の切れた操り人形のように、ドスンッ、と地響きを立てて倒れ伏した。


 ランスは、あぁ~、びっくりした、と胸を撫で下ろし、


「なにこれ? ……グリフォン?」


 頭部と翼は鷲、鋭い爪を有する前足と胴体は獅子で、後足は鷲というより地上を高速で走る肉食恐竜のものに近い。まさしく怪物グリフォンだ。


「初めて見た……。……これ、食えるのかな?」


 生存術サバイバルも叩き込んでくれた師匠から『命を無駄にしてはならない。殺したら食え。食えないなら素材を採取し、売って得た金で美味いものを食え』と教え込まれている。


 ――それはさておき。


 息絶えているのを確認してから、とりあえず先に落ちてきた白いものがなんだったのかを確かめに行く。タイミングからして、グリフォンはそれを追って降下してきたようだが……


「なにこれ? ……ドラゴン?」


 落下した場所でうずくまっていたのは、薄汚れてはいるが、白いふさふさの毛に覆われた猫ほどの大きさの翼竜の子供だった。




 その日の夜。


「むぐむぐむぐむぐ……うんっ! ちょっとくせがあるけど、美味いっ!」


 森の中で野営の準備をしてから、別の場所で血と内臓を抜いておいた獲物グリフォンの肉を薄く削ぎ、練法で一応【除菌】してから焚き火の火で焼いて食べてみた。脂に独特の旨味があって美味しい。それに、軍幼年学校の寮のおばちゃん直伝の配合率で調合したスパイスミックに塩や砂糖などの調味料をブレンドした万能調味料――『シーズニングスパイス』を振り掛けると、美味しさが跳ね上がった。


 訓練で鍛えられた胃腸は何を入れられても下したりしないが、美味ければそれに越した事はない。グリフォンのステーキの他に山菜、木の実、果実など森の恵みで腹を満たし、水筒代わりに持ち歩いているスキットル――ズボンのポケットに入れられるサイズの平たいチタン合金製のボトル――の中の水で喉を潤す。


 自分はそうして人心地ついたのだが、


「傷らしい傷は見当たらないんだけどな……」


 ランスの隣で脱いだコートに包まれ、焚き火でも温められている『おチビ』――とりあえずそう呼ぶ事にした翼竜の子供は、ぐったりとしていて呼吸はしているが動かない。


 怪我をしていない事を確認した後、指でつついたり、翼を、びろ~ん、と広げたりしてみてもされるがまま。時折り薄っすらと瞼を開いて紅の瞳が覗くものの、朦朧としているらしくちゃんとこちらを認識しているような感じではなかった。


「お前、ずいぶん痩せっぽちだよな。ちゃんとご飯食べてるのか?」


 ひょっとして、と思い、試しに香ばしく焼いた肉を鼻先に近づけてみたが反応はない。次に生肉を近づけると、薄っすらと瞼を開いて小さく口を動かした。おっ、と思ったが食いつく様子はない。


 そこで、指で口を抉じ開け小さく千切った生肉を突っ込んでみた。すると、小さく口をもごもごさせるものの、どうやら咀嚼して飲み込むだけの力が残っていないようだ。


「頑張れおチビ。目の前にご飯があるのに飢え死になんて切な過ぎるぞ」


 ランスはおチビを抱っこし、自らが下味もついてない新鮮な生肉を食い千切り、口一杯に広がる血生臭さと生肉の食感に何度も、おえっ、となりつつ咀嚼して柔らかくすると、両手でおチビを上向かせて口をこじ開け、口移しで喉の奥へ吹き込むような感じで食べさせる。すると、ごくっ、と飲み込んだ。


 なんとなくもっと欲しがっているような気がしたので、それから何度も、おえっ、と嘔吐えずき涙目になりながらも食べさせてやる。


 食べ過ぎもよくないだろうと適当なところでやめ、水でうがいしてから口直しにシーズニングスパイスで味付けした焼肉と果実を味わった。


 それからしばしおチビの様子を見た後、歯ブラシで歯を磨く。そして、リュックを枕にして横になり、お腹におチビを乗せ、コートをかけて寝た。


 おチビが動き出したのは、翌日の早朝。すぐに気付いたがそのまま寝たふりをしていると、コートの下から這い出したおチビは、傍らに置いている白槍に強い興味を示し、臭いを嗅ぎ、ペロペロと舐め、それからマタタビをもらった猫のように躰を擦りつけ始めた。


 ひょっとすると、この出会いは偶然ではなく、白槍が帯びる霊威がおチビを引き寄せたのかもしれない。


 この白槍は、進学して軍士官学校も主席卒業した、軍幼年学校時代からお世話になり幼馴染みでもある先輩――カイルが餞別にくれたもの。


 兵士には報告と連絡の義務がある。


 非正規の手段で越境し、通行証も持っておらず、軍の支援は望めない。その上、足を調達するに足る対価の持ち合わせもなかった。


 故に、姫と護衛の騎士一名をフレデリカ皇后の許へ無事送り届けた後、任務完了の報告をするため、サバイバル技能を駆使して関所や町を通らない非正規ルートを踏破し、一ヶ月以上掛かってやっとエゼアルシルトへ帰還すると、予想してはいたが、やはり国王夫妻は既に処刑されていた。


 軍規には、責めを負うべきは命令を下した者であり、命令に従った兵が罪に問われる事はないといった旨が明記されている。だが、それで済むはずがない。国王、いや、元国王の命令に従った自分も当然処分されるものと覚悟していたのだが、何故か軍法会議に掛けられる事もなく放免となった。


 それは、カイルが既に裏から手を回していたからで、何らかの思惑があるのは間違いないのだが……


 ――それはさておき。


 どうやら元気になったらしい。満足したのか飽きたのか、白槍から離れたおチビは、まだかなりの量が残っているグリフォン肉に飛びつき、貪り食い……満足すると何処へともなく飛び去った。


「元気でな」


 小さな後ろ姿を見送りつつ呟き、幼い命を救ったという満足感に笑みを浮かべるランス。


 もう会う事はないだろう――そう思っていたのだが、およそ三〇分後、早々に再会を果たした。


「おぉ~、あんなに元気に飛び回って――ん?」


 気配を感じてふと空を見上げると、おチビがグリフォンより大きな野生の突風鳥ガストバードに追い回されていた。


「弱肉強食、か……。自然界は厳しいな」


 救った命が費える瞬間を見たくなくて目を逸らそうとしたその時、


「―――~ッ!」


 確かにおチビと目が合った。


 急激に方向転換するとまっしぐらにこちらへ向かって飛んでくるおチビ。


 その後ろにはおチビを狙って猛追する野生の突風鳥の姿が。


「おチビよ。確かにグリフォンを倒した俺を頼るのは賢い選択だと思う。けど、世間一般じゃこういうのを『恩を仇で返す』って言うんだぞ」


 ランスはやれやれと嘆息しつつ白槍を構える。


 その日の朝食は焼き鳥だった。




 程度の差こそあれ、森羅万象に遍く宿る力の根源――『マナ』。


 マナが呼吸や飲食などにより生命体に取り込まれ、体内で精製・蓄積された生命エネルギー――『オド』。


 主に人類は、この体外霊気マナ体内霊力オドを、機械の動力源としたり、『法呪』や『練法』という体系化された技術によって様々な現象に転換したりと複雑な使い方をする。


 対して、動植物は持っていても極微量であったり、使い方を知らないものがほとんど。だが、年経る事で膨大なオドを溜め込み、その存在と使い方を自然に理解した個体は自らを強化する事に使用し、それなしでは自重を支えられないまでに巨大化するか、特殊能力を会得するか、何にせよ、自然状態ではありえない形態へと進化する。


 その巨大化、または進化した動植物の事を、人類は総じて『怪物モンスター』と呼ぶ。


 そんな怪物達には、ランスがおチビと呼んだ翼竜の子供がもの凄く美味しそうに見えるらしい。


 そして、そのおチビは、グリフォンや突風鳥を易々と撃破して素材とご飯に変えてしまったランスの事を、どうやら安全地帯だと認識したらしい。


 そんな訳で、その二体の後も、おチビは怪物にばかり狙われ続け、追い回されると決まってランスの許へ逃げてくるようになってしまった。


 これでは危なくて人里へは降りられない。


 そこで、幸いな事に急ぐ旅ではないので、ランスはこの機会に山篭りをする事にした。


 適当な場所に陣地を築き、そこに腰を据えて自らを鍛え上げ、技術に磨きをかける。そうしていれば、おチビが戦闘訓練の相手を兼ねる食料を運んできてくれる。


 期間は、怪物の肉を食らって日に日に目に見えて大きくなっていくおチビが、自分で自分の身を護れるようになるまで。


「よし、――やるぞッ!」

「きゅ~――~ッ!」

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