その者、竜騎士にあらず ~ 史上最強の竜飼師 ~

鎧 兜

序章 ~ 転機 ~

 ――神は死んだ。


 この世界の創世神話はこの一文から始まる。


 だが、その死は精神と肉体の死であって魂魄の死ではない。


 寿命が尽きた神の精神から世界の根幹をなし運行する法則が生まれ、寿命が尽きた神の肉体の各部位から、天が、地が、海が、新たな生命が……森羅万象が誕生し、それらの全てに神の魂魄の欠片が宿っているのだと記されている。


 この創世神話によると、『人間』は『対立する種族の間に立つ人』、つまり、誕生したその時に調停者という役割を与えられた種族であるらしい。


 それ故に、人間は戦うための爪や牙、身を守るための毛皮や鱗の代わりに、高い理性と知性を与えられたのだと。


 だが、有史以前――世界の各地で繁栄し、集団が大きくなった幾つもの種族が食料や住む土地を求めて争い合う混迷の時代。異種族達は人間の言葉に耳を傾けようとはせず、戦う事も自分の身を守る事もできない脆弱な人間は、強い異種族達の間で翻弄され、蹂躙されていた。


 しかし、そんな人間を憐れみ、救いの手を差し伸べる存在もいた。それこそが最強の種族である竜族ドラゴンの一派――『力の意味を知る聖母竜マザードラゴン』とその眷属達だ。彼女らは、戦うための爪や牙、身を守るための毛皮や鱗を持たない人間にだけ、自分達の背に乗る事を許した。


 さすらいの吟遊詩人や代々王侯貴族の家に仕える語り部達は、こうして人間と竜との関係が始まり、人間は竜の力を借りて役割を全うしたのだと伝えている。


 そして、それ以降も人間と竜は共にあり続け、やがて人と化す術を身に付けた竜は人間と交り、竜の力と人間の知性が融合し――『法呪』がこの世界で産声を上げたのだと語り継いでいる。


 それから幾星霜――


 法呪を極め、最も神に近付き、『人間』の役目を否定して意思の疎通が困難な種族、恭順を拒んだ種族を滅ぼし、逆らう同族達を粛清し、世界の統一を成し遂げ『魔王』と呼ばれた一人の探求者が竜と人間の勇者達によって討たれ、栄華を極めた魔王国が滅亡してから更に千年の時が流れ……


 ――世界は、またしても争乱による混迷の兆しを見せ始めていた。




 三つの国によって分割統治されている大陸――『エルヴァロン大陸』。


 その三つの大国の内の一つ――『エゼアルシルト王国』では、政策の一環で、困窮により止むを得ず口減らしの対象となった子供を軍に預けると、その一家はその年の税を免除される。


 とある少年が軍に預けられたのは三歳ぐらいの事だった。それから王立軍幼年学校で兵士としての教育と訓練を受け、特務戦技教導官――槍の師匠に見出されて『ランス』という名前を与えられ、特化修練を受け……


 少年は一五歳になり、少しばかり特別な兵士になった。


 そして――


「……何がおかしいのですか?」


 王権の簒奪を目論む一派が送り込んだ現場指揮官――『カイル・レメディオス』特務少尉は述べていた口上を途中で止め、怪訝そうに血塗られたブロードソードの切先を突きつけている相手に問う。


「いやなに、運命とは解らぬものだと思ってな。まさか、余に絶望したそなたが、余に希望を齎そうとは……」


 何? と眉間にしわを寄せるカイルには構わず、剣を向けられている男――エゼアルシルト王国『アルクストⅩⅢ世』は眦を決し、


「――来たれ、我が槍よッ!」


 その呼び掛けに応え、


「御前に」


 カイルの脇から進み出た兵士――ランスが、王の前で跪いた。


「ランスッ!? お前、まさか……ッ!?」

「――王命であるッ!! 我が娘ラセリアを守り、イルシオン皇国に嫁いだ我が妹、フレデリカ皇后の許へ無事送り届けよッ!!」

「御心のままに」


 この部屋でまだ生き残っているのは、ランス自身を除くと、カイルと赤い布を左腕に巻いた軍人達。王族を守護する近衛騎士の男性が四名、女性が二名。そして、国王と王妃と王女。


「この子が娘のラセリア。そして、この子が娘同然のセシリア。娘一人だと心配だから、この子も一緒にお願いします」


 この絶体絶命の状況下にあってもなお穏やかさを失わない王妃の言葉に、ランスは敬礼し、神妙に承った。


「ランス、俺を裏切るのか?」


 片や、新体制で重要なポストが確約されている、軍幼年学校時代からお世話になり幼馴染みでもある先輩。


 片や、既に趨勢は決し、王位を奪われ全てを失う男。


 だが、それでも――


「――兵士はただ上官の命令に遵うのみ」


 ずっとそう教え込まれてきたため、迷いはなかった。


「現状、最上位命令権を持つのは国王である陛下です」

「それに、亡き師匠から引き継いだ役目がある、か? いずれはそうなるだろうと思ってはいたが、既に済んでいたとは……」


 カイルは小さく、誤算だった、と呟き、だが、と続ける。


「逃げ道はない。ここからどうやってその二人を連れ出すつもりだ?」

「――ないなら作れば良いだけの事」


 そうあっさり言った直後、何の前触れもなく部屋のガラス窓が一斉に砕け散った。


 ランスは、その盛大な破砕音に誰もが気を取られた一瞬の隙を衝き、兵士の武器――長さ二メートルほどの木の柄に鋳造された鑓穂を取り付けた最もありふれた槍を手放し、前傾した低い姿勢で一陣の風のように疾走する。そして、そのままタックルするように、前に出て庇っていた近衛騎士の少女『セシリア』と後ろで庇われていた姫『ラセリア』を肩に担ぎ上げ、他の誰かが何かをする猶予を与える事なく窓から飛び降りた。


「ひぃっ……ぃいいいぃやぁああああああぁ――――――~ッ!?」


 悲鳴は一人分。ランスは上げないし、姫は気を失ってしまった。


 ランスは、天井が高い造りの城の四階から壁際ギリギリを降下用ロープもなく自由落下し、地上まで五メートルという所で壁面を思いっきり蹴り飛ばした。トラックが全速力で壁に突っ込んだような衝撃音が轟き、その反動で移動方向を強引に縦から横へほぼL字に変更。五メートルほどほぼ水平に飛んでから落下軌道に入り、着地後即座に全力疾走へ。


 ランスは、走るのに邪魔だったので担いでいた同じ年頃の二人を放した。しかし、二人が地面へ落下する事はなく、滑るように後ろへ移動して肩の高さで並んで浮かび、そのままランスに追随する。


「これは【念動力サイコキネシス】ッ!? 貴様、練法士だったのかッ!?」

「いいえ。自分は槍兵です」

「しかし、これは……ッ!」


 確かに、創錬系法呪、別名『錬金術』から派生した技術体系である『練法』の【念動力】によって、その名の通り、霊力から思念による物理干渉を可能とする力――念動力を練成し、二人を運ぶと同時に肉体に作用させている。窓を砕いたのもこの力だ。しかし、


「素質は乏しく、適性は認められませんでした。それ故に、自分は槍兵なのです」

「それはどういう事だ?」

「申し訳ありませんが、自分はこれより走る事に集中するので質問には応じられません」


 そう断りを入れた直後、グンッ、と加速した。


 城内の構造を熟知しているランスは、城外へ到る最短のルートを最速で走破し、王城がある小高い丘の上から城下までいっきに駆け下りると、緊急用の高速路として一般の使用が禁止され石畳の色が違う大通りの中央を、更に加速して時速一〇〇キロ超で疾走する。


 【念動力】の力場で護られているため風を感じる事もなく、高い加工技術で切り出され敷き詰められた石畳とモルタルで仕上げられた瀟洒な町並みが、あっという間に後ろへ流れて行く。その走行というより地面スレスレを飛行しているような人間離れした走力に言葉を失っていた近衛騎士セシリアは、視界の隅に捉えた前から後ろへ飛び散る赤い滴に眉根を寄せ、はっ、と槍兵を見た。


「無茶をするなッ! 止まれッ! もうだいぶ王城から離れたッ! おいッ! いい加減にしろッ! ――貴様死ぬ気かッ!?」


 セシリアから見えるのは、耳から零れ落ちる出血だけ。【念動力】で二人を浮かせつつ全身に作用させ続けているその反動で毛細血管が破裂し、血涙や鼻血を滴らせ、毛穴から血を滲ませながら、それでもランスは前を見据え、目的地へ向かって走り続けた。




 多国籍企業『フィードゥキア商会』。その王都本店ではなく郊外にある支店。


 裏口へ回ったランスは、全身血塗れで汗だくの自分を見て怯える従業員を捉まえ、軍の暗号コードを伝えて支配人を呼んでもらう。


「ここは?」

「フィードゥキア商会の支店です。軍の任務でこれまでに何度も足を……移動手段を用意してもらいました」


 地面に降ろされ、自分の足で立ち、気絶したままの姫を抱き抱えているセシリアの問いに、ランスは袖で顔の血と汗を拭いながら答えた。


「信用できるのか?」

「はい。仕事に誠実で、相応の対価を支払えばある程度の無茶は聞いてもらえます」

「対価として支払えるものなど――」


 途中で言葉を飲み込むセシリア。それは、ここの支配人と思しき人物が、数名のお付を伴って近付いてきた事に気付いたからだ。


「宛先はイルシオン皇国皇都皇宮。受取人はフレデリカ皇后。荷物は人間を三人」

「い、いやはや、いったい何から申し上げればよろしいのやら……」


 突然押しかけてきて、全身血塗れの汗だくで、単刀直入に無茶な要求をするランス。それに対して、顔も躰も横に広い人がよさそうな中年の支配人は戸惑った様子を見せたが、


「城で謀反。王命により、姫と護衛の騎士一名を陛下の妹御であらせられるイルシオン皇国のフレデリカ皇后の許へお連れする」


 ランスがあくまで端的に告げると、束の間、支配人は目を細め、歴戦の猛者を彷彿とさせる表情を見せた。すぐ人がよさそうな表情に戻ると即座に配下へ次々と指示を飛ばす。


「今の御二方の装いは、お忍びの旅に適しません。こちらで着替えをご用意致します故、どうぞこの者についてお進み下さい」


 支配人に促されたセシリアはランスに目を向け、ランスが頷いたのを見て女性従業員の後に続いて店の中へ入って行く。


「貴方様もどうぞ中へ。血と汗をお流し下さい。お預かりしていた装備と着替え、それと何か軽い食事も用意させましょう」


 支配人に招かれてランスも礼を言って店の中へ。


 三人が再会したのは、およそ一〇分後。場所は商談用の応接間。


 手早く血と汗を洗い流したランスは、支配人の手配で従業員が用意してくれた着替えと預けていたものを装備した。


 トランクス、半袖のインナー、靴下はごくありふれたのもだが、自前のサバイバルナイフに始まり、ズボン、頑強なブーツ、フード付きロングコートは一見何の変哲もないが全て特注品。左右の太腿にそれぞれ装着したユーティリティポーチには七つ道具が納まっている。


 出された軽食を腹に収めて先に部屋で待っていると、飾り気はないが生地も仕立ても上等で上品な衣服に着替えた二人がやってきた。ラセリアはスカートにタイツを合わせ、美術品としての刀剣を収納する専用のケースを携えているセシリアはパンツスタイル。


 ソファーに座らず立って待っていたランスは、ドアが開くと同時に直立不動の姿勢をとり、ラセリアに楽にするよう言われてから、足を肩幅に開き両手を後ろで組んだ休めの姿勢に。そして、ラセリアがソファーに腰を下ろそうとしたその時、ドアがノックされて用意ができた事を知らされ、二人を促して移動する。


「ま、まさか、こんな物に姫様を押し込めるつもりかッ!?」


 屋外に用意されていたのは、騎手が騎乗している巨大な怪鳥『ガストバード』と、四角い金属製の箱に持ち手のようなものが取り付けられた、巨大なランチボックスのような空輸用コンテナ。練成術によって精製された浮遊石が配合された特殊金属製で、重量はマイナス一〇〇キロ。中が空の状態でおもりをはずせば風船と同じぐらいの速度で空へ飛んでいってしまう。


「はい」

「ふざけるなッ! 今すぐ空港までの馬車と飛行船を手配しろッ!」

「それでは、王女をフレデリカ皇后の許へ無事お連れする、という任務を果たせません」

「なんだとッ!?」

「王が明確に目的地を指示し、謀反人達もそれを聞いていました。城での事態が収拾し次第、イルシオン皇国へのルート上にある町や関所、各交通機関に指令書や手配書が送り届けられるでしょう。向こうには、自分の事をよく知る者、知略に優れた者達がいます。包囲網が完成し追手が放たれたなら、残念ですが任務を達成する事はできません。任務を達成するには、その知略に優れた者達が手を打つよりも先に、一分一秒でも早く行動するしかないのです」


 その言葉の説得力を、脳裏に甦った光景が――人の限界を超えて血塗れになりながら全力疾走し続けたランスの姿が跳ね上げた。セシリアが反論できずにいると、


「セシリア、彼の判断に従いましょう」


 姫の決断に、近衛騎士は異議を唱えなかった。


 人が乗るようにできてはいないコンテナの中には、ベッドのようにふかふかの分厚いマットが敷き詰められており、そこに三人が並んで横になる。


 本来なら貞淑さが何より尊ばれる王侯貴族の姫の隣に男が横になるなど決して許される事ではないのだが、真ん中が一番安全だというなら背に腹はかえられない。


 ランス、ラセリア、セシリアの順で横になると上からも首から下に分厚いマットが被せられ、コンテナの蓋が閉じられた。


「……書状を渡された。これをあちら側の店の者に渡せば、旅に必要な物を全て用意してもらえるらしい。相応の対価を支払えばある程度の無茶は聞いてもらえる、と言っていたが、いったい何を対価として支払った?」


 暗いコンテナの中で、不安を掻き立てる、ガチッ、ガキンッ、と幾つもの錠前をかけるような金属音や、ジャララララッ、と鎖を巻き付けるような音が響く。セシリアがそんな話題を振ってきたのは、姫と自分の気を紛らわすためだろう。


「情報です」


 情報? と鸚鵡返しに問うラセリアに、はい、と答え、


「莫大な資産を有する大商人にとって、個人で支払える程度の金銭や宝飾品は、あまり魅力的なものではありません。故に、そんな大商人に無茶を聞いてもらおうという時は、それらよりも彼らが魅力的だと思うものを対価として差し出します。その一つが確たる情報です」


 信頼するに足る者ランスがもたらした、謀反による支配者の交代、王女の生存とその行方――他者が掴んでいない最新の情報と手持ちの情報、更に独自の情報網を駆使して今後の人、物、金の流れを予測し……フィードゥキア商会は更に身代を大きくする事だろう。少なくとも、ランス達に施した費用の数百倍は優に稼ぎ出すはずだ。


 それに、支配人に伝えた軍の暗号コードはまだ失効していなかった。現時点で支配人がランスに、延いては軍に協力するのは約定に則った正しい行いであり、後で失効を伝えられランスや二人の手配書が回ってきたとしても、その時は余計な事は口にせず、要請に応えて役目を果たしたという事だけを通報すれば良い。逃亡を幇助したと責められる事はない。それどころか、確かな情報を提供した功績で金一封もありえる。


 そんな事を話していると、ガコンッ、とコンテナが揺れ、ふわりと浮き上がった。


 ランスは緊張して息を詰める二人に向かって、


「本来人が乗るものではないため、乗り心地はお世辞にも良いとは言えません。速度が安定するまでは口を閉じていて下さい。舌を噛みます」


 フィードゥキア商会は、多国籍企業であるが故に、国境を越えて貨物を運送するルートを確立しており、翼竜並みの飛翔速度で知られる突風鳥ガストバード、その中でも商会が保有する最速の黒い突風鳥によって空輸された三人は、王都の支店を出発したその一時間後には国境を越えていた。


 ランスはその後も無茶に無理を重ね、何よりも速さを優先して行動し……その結果、あらゆる障害を置き去りにして、クーデターが起きた二日後には、王女ラセリアと近衛騎士セシリアを無事にイルシオン皇国の皇都皇宮へ送り届けた。


 そして、フレデリカ皇后との再会を果たした王女ラセリアがふと気付いた時にはもう、自分達を護り抜き、ここまで送り届けた槍兵の姿は忽然と消え去っていた。

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