それは、出会う



この街には東西を分断する紅のラインが引かれている。


そのラインを一歩西側に越えれば、何をされても文句は言えない。



そんな境界線。



一歩越えれば、そこは無法地帯。



表のルールは通用しない。



そう、表の。





東へ昇って西へ沈んで

真っ赤な夕陽にその身を染めた。


太陽が沈み闇が訪れる、朝日が射すのはまだまだ先だ。



ひっそり、こっそり、じっとりと。

闇夜に彷徨う飢えて血塗れた獣たち。



今日も今日とて獲物を探す。








 * * * * * *









「ちょっと離してよ!」


まだ明るいし、少しくらい大丈夫だよ。


ほんの少しの好奇心からだった。

それが、今となっては後悔の嵐。


片腕を男に思い切り掴まれて余りの痛さに思わず睨み叫んでいた。

にやにやげらげら。そんな笑い声が私の周りを支配する。


綾瀬ちゃんが忘れていったスマホを届けるため、ラインを踏んで向こう側へと足を踏み入れた。そこまでは良かったんだけど、何故かこの人たちに絡まれ路地裏まで引きずられてきたってわけ。



「こんな上等な姉ちゃん放っておくのは勿体ねえだろ?」


「ちょぉーっと俺らと遊んでもらうだけだからさっ、そんな気張ることないって」



ちょぉーっと遊んでもらうだけだからさっじゃないから!ちょっとじゃないし!私そんなの望んでません!


みたいなニュアンスのことをがむしゃらに叫んだ気がする。気がするだけでその叫びは口の中にとどめらてしまっていたのかもしれない。


ぶんぶんと手を振り頭を振り抵抗しまくるも、男の力にはかなうはずもなく。こんな事なら家の人だれかについてきてもらうべきだった。

今さらながらの後悔が頭の中をぐるぐる回る。


こういう状況は慣れてはいる。けど、打開策は持ち合わせていない。組の名前を出せば一発で引いてくれるけど、そうしないのは祖父や兄を利用しているようで嫌だから。こんなバカなプライド捨ててしまえばいいって何度思ったことか。


さて、どうしよう。


にやにやと気持ち悪い笑顔を浮かべ、じとじとと嫌な視線を向けてくる目の前の人たちを睨みながらギリ、と唇を噛んだとき。


びゅんと私の頬ぎりぎりを何かが横切った。

そしてそれが「ぐあっ」1人の顔面にクリーンヒットして、そして、倒れた。



「え。」



その場にいた全員がぽかん顔。

何が起こったのか理解できない。


私の片腕を握る男の人の目が、この世の終わりのように見開かれ、そして怯えた。

さっきまでにまにまじろじろじとじとと舐めるように私に纏わりついてきた視線が一気に消え、私の後ろへと恐怖に支配された視線を送っていた。


なにごと?


私自身も困惑の表情を浮かべていれば。



「お前ら、誰の許可を得て、んな馬鹿な事してんの?」



透き通る声。

その声だけで背筋がぞっとした。

なぜだかわからない。

でも、ぞっとするほどきれいな声だった。



「くっそっ!」



瞳の奥で恐怖に竦みながら、それでもプライドが邪魔をするのか。男の人たちは私をどん、と壁際に放り投げて拳を握り締めて駆け出した。


向かう先はさっきの声の人。



「今日こそお前をぶちのめしてやる!」


「虎だか何だか知らねえが俺らは気に食わねーんだよクソ餓鬼!」



などなどと。クソ餓鬼はどっちだと言いたくなるような幼稚な罵詈雑言を並べぶつけながら殴りかかっていくのが見えた。



声の主は後光で見えない。

でも、大の男たちがぽんぽんと投げ飛ばされているのを見ればその力量差は愕然だった。

びっくりするくらい簡単にぽんぽこぽんぽこ投げるから男の人たち実はすんごく軽いんじゃ...?なんて眺めていたけど、地面にぶつかる鈍い音にああこれはないなあ、と暢気に考えていた。


一通り投げ終え、ふう、と小さく息をつくのが聞こえて。



「そろそろ俺の前から消えないとその脳天ぶち抜くけど、いい?」



絶対零度。

さっきの背筋が凍る感覚の比じゃないほどの、何かの感情が体中を渦巻いた。


これは、そうだ。


こわい。


この一言だ。

こわい、だなんて。仮にも組の一員で、それでいて若頭の妹だというのに。

情けない、と思った。

そして、やっぱり組の名前を出さなくてよかった、とも思った。


女で、非力で、それでいて無力。

これだけでも組の恥なのに、さらに加わってくるのは親の記憶がないときた。


こんなお抱え傷物の私が、組に負担を掛けることなど許されない。もう、迷惑かけたくないの。



また無意識に唇を噛んでいたのか口内に広がる鉄の味。トリップしていた思考が一気に現実へと引き戻された。

と、同時に足を引きずりお腹を押さえてなどなど痛むところを各々押さえて脱兎の如く逃げ出す男の人たちが私の横を通り過ぎていくところだった。


怪我、大丈夫かな。骨折していないといいですね。なんて心底バカみたいなことを考えて、そして視線を前に戻した。



「あ、あの。助けていただきありがとうございました」



ぺこり、深く深く頭を下げる。

神経を逆撫でしない様に。怒らせない様に。

なんかこの人コワインダモノ。

なんかこの人コワインダモノ。


何十秒かそうしていたけれど、一向に声は降ってこなかった。


あ、れれ。

やらかしちゃったかな?でも私謝っただけだよ!?


だらだらと冷や汗をかきながら、そうっと顔をあげてみると、くらりと視界がぐらついた。気がした。



夕陽に照らされ眩しいほどのその金髪。

たれ目気味の赤い瞳。

その金と赤を際立たせるように、べっとりと塗りたくられたような黒色のつなぎ。

ちらりと見えたのは真っ白なシャツ。



「...とら、」


「なに」


「えっ、いや、何でもないですごめんなさい!」



ええなんで私口に出しちゃってるの!?おばか!おばかちん!


焦りが顔に出ていたのか。


目の前の『虎』は「ばかっぽい」と真顔で言ってのけた。


なんて失礼な!

睨みつけるものの、この人身長高すぎて首が痛い!


ていうか待って。

虎って。虎虎ってとらとら。


聞き覚え、言い覚えのあるその2文字。





「虎、え、虎っ!?」


「うるさいんだけど。黙れないの?」


「はいすみませんっ」



その金髪には見覚えがあった。

去年まで、ぼうっと窓の外から眺めていたその色と酷似してい獣会の最高位。


虎。

私たちの学校に突如現れ君臨していた獣会の最高位。



それが、たぶんきっと、目の前にいる。



真黒のつなぎに、襟足が少し長い金髪に、そして初めて見る血塗れたような赤い瞳。



「とうどう、そら...」


「あのさ」


「あえっ!?私また口に出してた!?」


「お前って絶対、頭弱いよな」


「失礼すぎ!」


「そんなことどうでもいいけど、」



どうでもいいって何!とかって噛みつこうとしたら、どん。私の傍の壁が響いた気がした。割れてない、かな。多分。

藤堂蒼空から伸びた長い脚が壁を思い切り蹴り上げていた。所謂、壁ドン(足バージョン)とやらかな。


意図が読めずにじい、とその瞳を見つめてみる。


その瞳は、ほんとうに、ほんとうに、特に何も考えていないようだった。


どうでもいい。

ほんとうにそんな感情が渦巻いているように見えた。



「お前みたいなちんちくりんのチビが何でこっち側にいる?ここは飢えた獣共がうようよいんのは知ってんだろ。ヤられに来たのか?」


「ヤっ…!?そんなことない!」


「ここではそういうことになんだよ」


「っ、」



言葉が詰まった。決して怒鳴られているわけでもないのに、体が竦む。

絶対零度の視線を向けられ、体が凍りついた。


「何しに来たのか知らねーけど、お前が来るようなとこじゃねーよ。甘ったれた赤ん坊はさっさと家に帰れ。2度と来んな。次、ここに来てみろ、今度は俺がお前を犯す」


「あーー!ちょっと蒼空!凛に何してんのぶっ飛ばす!!!」


その瞳に捕らわれている時。突如響いた怒声と風の如く私の目の前を通り過ぎて行ったなにか。その風と共に目の前にいた藤堂蒼空も消えて。はっとしてそれを追えば、風なんかじゃなく。


「あ、綾瀬ちゃん?」


藤堂蒼空にグーパンチをめり込まそうとして掌で受け止められて悔しそうに睨み付けている綾瀬ちゃんの姿だった。

彼女はいつも見る制服姿ではなく、藤堂蒼空と同じ様な黒い繋ぎの袖を腰で巻き、中には赤いVネックの半袖シャツとその下に黒のインナー。二つに結っているあの髪型は健在だけど、どうにもしっくりこない。こう、説明しにくいけど、少し遠い存在というか。


冷や汗をかきながらその二人の止めに入れば「ていうかなんで凛がこんな所にいるの!」と怒られる羽目に。


これ届けに来たの、とポケットに入れていた綾瀬ちゃんのスマホを取り出すと目を見開いて、それから「こんなの明日で良かったのに」肩を竦めた。


「スマホって今の社会じゃ必需品でしょ?それに、綾瀬ちゃんは向う側の人だから、こういう連絡手段って大事なんじゃないかなって思って」


少し目を伏せながら説明すれば、突然抱き締められた、綾瀬ちゃんに。それも物凄い力で。あ、やばい息が出来な


「綾瀬、そのチビ死ぬ」


「チビじゃないあんたがデカすぎんの。凛、気が利きすぎてもうあたし凛と付き合いたい!」


「私もだよ!」


「ここでレズるな」


「なに?混ざりたい?蒼空って変態」


「お前の脳内どうなってんだよ」



息を吹き返し綾瀬ちゃんを抱きしめ返すと冷静な一言。なんていうか、少し不思議な感覚。


住む世界が違うと思っていた目の前の虎が、コントに近い談笑を綾瀬ちゃんとしているなんて、なんか。虎をとても身近に感じられる。そんな、気がする。


藤堂蒼空ははあ、と冷めたように息を吐き出すと私を見つめた。いや、見下ろしたの方が正解。何cm何だろうっていうくらいこの人は背が高くて、それでいて威圧的だから逆に腹が立ってくるよね!



「もう日が暮れる。チビはさっさと失せろ。邪魔なだけだ」


「ちょっと蒼空!」


「綾瀬にスマホ返しに来たとか口実つけただけで好奇心の方がでかかったんじゃねーの。一歩間違えたらお前はキズモノになってた。あー、あれか?性欲処理にでも来てたわけか?最近の女子高生は怖えーな」



はは、と愉快そうに目を細めた虎は「綾瀬も早く律樹んとこ行ってやれよ」それだけ言って踵を返した。そんな虎に掴みかかろうとする綾瀬ちゃんよりも早く。



「さっきから黙って聞いてれば貴方何様のつもりなの!虎?!虎様なの!?なによ虎って!」



気付けばその背に怒鳴りつけていた。

ふつふつと込み上げてくる怒りの収め方を私は知らなくて。どうしても、その背にぶつけたかった。


肩越しに視線だけを私に向けてきた虎は、何も言い返して来なかった。


なんで、言い返さないの。さっきまで男達を吹っ飛ばしてたんじゃないの。そんなのする価値もないってか。


一度口に出してしまえば止まらない。

隣で綾瀬ちゃんがぽかんと唖然顔をしているのが見えたけど、それでも止まらなかった。



「ふざけないで!私の事を知らないのに、貴方の物差しで私を測って勝手に決め付けるのはやめて!」



勢い任せに頭に付けていた青いリボンを剥ぎ取って、そうして思い切り虎の背にぶん投げてやった。



「帰る!さっきは助けてくれてありがとうございました!綾瀬ちゃんまたね!」



虎が振り返ったのを視界の端で捉えながらも私は背を向け駆け出した。


もうぜっっったいにあんな人と関わらないんだから!











 * * * * * *









小さなその背が見えなくなった瞬間。

綾瀬は「ひー!!もう無理!!面白すぎ!!」腹を抱えて転げ回った。足をばたつかせ涙目でヒーヒーと大爆笑。こんなのが女子高生してるとか世も末だな。


俺の左手に握られた青色のリボン。俺が持ってるとか不釣り合い過ぎて自分でも困惑する。つーか、こんなもん渡されても困る。


どうしたもんか、と独りでにため息を吐いた。未だ笑いながらも立ち上がった綾瀬が目尻を拭いながら「それ返しとったげよーか?」と半笑いで聞いてくる。髪ボッサボサだぞ、お前。そんなことを言いながら俺はポケットにそれを仕舞った。


「え、蒼空ってそういうの集める趣味…」


「ねーよ。借りは返さねーとって思ったから」


「なるほどね。あの子可愛いでしょ、気に入った?」


「はあ?俺、女には困ってねーんだけど」


「うわそういう発言する?まーったく、うちのトップはタラシで困っちゃう。白虎の名が泣くわー」



さほど困ってもねーくせに。

やれやれと大袈裟に首を振る綾瀬を横目に日が沈んだ空を見上げた。







ひがしずんだ。

やってくるのは、やみ。

さあさあ、狩りのお時間ですよ。



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ニヒトリズム れむ @remu_06

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