第二十二話 終わりと始まり

 四階。

 高木さんは僕をお姫様抱っこし、階段を上った。


「あの日の朝、何があったか、篠宮さんから聞いてますか?」

「いいえ。篠宮さんはひたすら、四条さんへの謝罪の言葉と、心配だという気持ちを述べていましたよ」

「屋上に、朝日を見に来たんです」

「まあ、ロマンチックですねー。病院の中では、最高のデートスポットですね」


 高木さんは階段を上りきり、僕をそっと下ろした。

 ドアを開け、外に抜ける。

 吹き付ける風は少し肌寒い。

 もう九月に入っている。夏の暑さは徐々に退き、涼しい季節に移り替わろうとしている。


「生まれて初めて朝日を見て、僕は、月並みな言葉ですが、感動しました」

「それが、篠宮さんに恋をしたきっかけ……の、一つですか」

「篠宮さんの事はその前からも好きでしたけど、一番決定的なのは」

「いいですねー。羨ましいくらいです」


 日の出の時間はとうに過ぎている。青空の下、車も建物も全てが日常を作り、社会を形成する。

 この社会のどこかに、篠宮さんがいる。

 今は何をしてるんだろう。

 病室で疑似体験したように、のんびりテレビを見てるんだろうか。


「……会いたい」

「…………」

「篠宮さんに、会いたいです」

「…………」


 緑のフェンスが僕と社会を隔てる。

 いつもそうだった。

 テレビも、病室の窓も、屋上も。

 病院という檻の中から眺める外の世界は、何度見ても美しく、忌々しい。


「諦めるなんて、嫌だよ」

「病院から出られない以上、会うのは不可能だと、理解しているはずです」

「理屈では理解していても、それでも会いたくなってしまう気持ちが恋、ですよね。高木さんなら、分かってくれますよね」

「……はい。痛いほど」

「僕だって、理解してますよ。嘆いたところで無理なものは無理だって。今までだって、思い通りにいかない事ばかりで、むしろどうにもならない事が多すぎるくらいで……さんざん諦め続けてきた。今更特別なことじゃない。なのに、どうして……こんなに、苦しいんだよ」


 わかってる。

 どれほど望んでも会えない。現実は変わらない。

 諦めるしかないんだ。

 手が届かないことは分かり切っている。だから現実から目を逸らしたくなるんだ。

 微かな希望すら残っていない。だから余計に欲しくなるんだ。


 分かってるよ。最初から。

 6歳の時に、僕は痛いほど知ったんだ。


 現実は、あまりにも非情で。

 理不尽だ。


「戻りましょうか。発作が起こる前に」


 高木さんはどこまでも冷静だ。

 この場所で、全てを終わりにしたい。そんな僕の気持ちは予測していたに違いない。


「307号室に寄ってもいいですか?」

「わかりました。けど、無理は禁物ですよ。苦しくなったら、いつでも言ってくださいねー」


 高木さんは僕を抱えながら、一段ずつ、ゆっくりと階段を降りた。




『週に一度の旅日記! みくるのぐるめ、今回も張り切って参りましょーう!』


 307号室のドアを開けると、テレビがついたままになっていた。映っているのは、奇しくも前回訪れたときと同じ番組だ。曜日も時間帯も違うから、再放送かな。

 この番組の前はどんな番組をやっていたんだろう。篠宮さんはどんな番組を観ていたんだろう。


「篠宮さんなら、いつも同じチャンネルをつけっぱなしにしていましたよー」


 ああ、そうか。高木さんは僕より以前から、篠宮さんのことを知っていたのか。

 ずるい……なんて、僕に言う権利はない。


『このステータス社会でほぼ平均値を叩き出すことでお馴染み、個性も何もないみくるですが、お陰でお店の雰囲気がよく伝わると好評です!』


「この子が好きで、入院前からよく見ていたそうです。他のチャンネルにはあまり出ていないんだとか。きっと、今も見ていると思いますよー」


 篠宮さんがここにいた証拠を、その残滓を追って、僕はぼんやりと画面を見つめた。

 現実と夢の区別がつかなくなっていた篠宮さん。あの時もっと長く隣に居られたら。もっといろんな言葉を交わしていたら、催眠の壁を越えて、篠宮さんに声を届けられたんだろうか。


 全部夢だったらよかったのに――いや、やめよう。篠宮さんは何もない僕に沢山のものをくれた。例えほんの一瞬でも、篠宮さんとの幸せな時間は本物だ。

 そう。僕の12年の人生に比べれば、篠宮さんと過ごした時間は、ほんの一瞬の出来事だった。

 この胸に抱いた気持ちも、夢みたいに消えてくれればよかったのに。



 篠宮さんの隣で、篠宮さんの役に立ちたい。受け取るばかりじゃなくて、今までの分もぜんぶ、篠宮さんに返したい。


――一つの答えに拘るな。勉強だけじゃなく、人生の教訓として覚えておくといい。


 どうしても、諦められない。

 これは神原さんの言葉だったけれど、言葉に意思はない。神原さんがどんな人かと、言葉の意義は関係ない。

 どうにかして、もう一度言葉を交わせないだろうか。無駄だとわかっていても考えてしまう。INTだけが僕の取り柄だから。

 

――論文が完成したら、四条君の名前で発表してくれたっていい。君はいずれ、俺をも超える頭脳を手に入れるかもしれないんだからな。

――別にいいです。僕の知らない所で、僕の知らない人に称えられたって、何の意味もないですから。

――知ってる人が、一人いるだろう?


「…………そうか」

「四条さん、どうしました?」

「病院の中からでも……外の世界に干渉することは、出来るのか」


 例えば、小説を書くとか。低いDEXでタイピングができるかはわからないけれど、音声入力とか、方法はある。いや、でも篠宮さんは漫画しか読まないんだっけ。絵を描くのは、DEX無しじゃ厳しいか。



『プライド? なんですかそれ? キャラが命の芸能界、無個性で生き残るためなら、プライドなんてゴミ箱にポイです! 今日も食い扶持のためにたっぷり食べますよー!!』



 今、なんて?



――まだまだイケますよー! みくる、よく個性が無いとかキャラが薄いって言われるんで、まずは大食いキャラを目指してるんです! 芸能界は個性が全てみたいなとこありますからね!!



 ステータス社会。

 キャラが命。

 芸能界は個性が全て――


「それだ!」


 篠宮さんの目に留まり、かつ、僕のINTを生かせる。非の打ちどころがない素晴らしいアイデアだ!

 あとは、実現可能かどうかだけ。


「高木さん。僕、テレビに出たいです」

「え? ええっと、テレビって、あのテレビですか?」

「はい。無理ですか? 僕の個性じゃ弱いでしょうか」


 12歳、幼卒、インテリ(同年代と比べて)、読書家、親無し…………『個性』として見れば際立っているはずだ。僕のステータスは普通の人とはかけ離れている、そこを個性と言ってしまえば、かなり強烈だ。


「本気、ですか?」

「はい。もちろん。ああ、でもやっぱり病院から出ないと無理でしょうか」

「……そう、ですねー。例えば、四条さんの人生を追ったドキュメンタリーなんかは、作れるかもしれませんが」

「いいですね、それ。ドキュメンタリーなら、僕が言いたい事をそのまま篠宮さんに伝えられる。そうだ、まだ僕、篠宮さんに伝えてない言葉があるんです! 篠宮さんに、ありがとうって言いたいです!!」

「いや、その。それはいいんですけど」


 あれ、高木さんは意外と乗り気じゃないのか?

 ドキュメンタリー、いいアイデアだと思ったんだけど。


「四条さん、テレビ苦手じゃなかったんですか? カーテンを閉め切ったり、テレビを外したり……病院の外の風景を見ること自体、嫌がってたじゃないですか」

「なんだ、そんなことですか」

「そんなことって、今まであれほど……」


 確かに今までの6年間、ずっと毛嫌いしてきた。篠宮さんのおかげで多少克服出来たと思うけど、まだあまりいい気はしないかもしれない。

 だとしても。


「そんなこと、篠宮さんの為なら些細な問題ですよ」


 高木さんの、神原さんを諦めるほどの覚悟と比べれば、本当に大したことはない。

 


「……そう、ですか。そうなんですね」


 高木さんの表情が、大きく変わった。

 今まで、多少揺らぐことは何度もあったが、形の上では保ってきた笑顔。

 自身の途方もなく暗い過去を吐露している時でさえ、維持し続けていた笑顔。

 神原さんにさえ認められた、その笑顔が――完全に、瓦解した。


 目と口元を歪ませ、ぽろぽろと粒の不揃いな涙を零し、鼻を啜る音まで聞こえる。


「高木さん!?なんで、急に泣いて……!?」


 高木さんは膝を折り、僕と目線の高さを合わせた。

 そして、まるで実の母親のように、僕をぎゅっと抱きしめた。


「あなたという人は……本当に、証明してくれたんですね」


――証明してみせますよ。高木さんも、篠宮さんも、何も間違ってなんかいなかったって!


「あなたを、篠宮さんと会わせて良かった……!」


 正直に言って、何が高木さんの琴線に触れたのか、まだよく分かっていない。今日の高木さん、やっぱりどこか変だ。

 でも……喜んでくれてることだけは、理解できる。

 僕にも、高木さんを喜ばせてあげられたんだと、理解できる。


 生きててよかったと、初めて思えた。


「こんな……誰もが幸せになれるエンディングがあっていいんでしょうか」

「エンディングって、まだ終わってませんよ。始まってすらいません。僕の人生はこれから、ですよね?」

「ええ。そうですね。これから一杯頑張りましょうね!」


 高木さんは腕の力を緩め、僕と顔を合わせた。

 そして、ちらりと白い歯を覗かせ、ニコッと笑った。


「……と言うか、思い付きでつらつら喋りましたけど、そもそも上手くいくんでしょうか?」

「大丈夫です! 神原さんの知恵とコネと権力と財力を総動員すれば、一番組くらいどうにでもなります!!」


 清々しいほど他人任せだった。

 まあ確かに、神原さんがいれば何でもできそうな気がするけど……って、あれ?


「神原さんが手伝ってくれるとは思えないんですけど……神原さんの目的って、僕に研究の手伝いをさせることですよね?」

!」

「え? それってどういう――」

「いざという時は、篠宮さんの容態を無断で四条さんに教えたことを使って揺すりましょう! あれ、普通に法律違反ですから! 神原さんはプライドが高いので、経歴に傷がつくのは御免なはずです!!」

「は、はい。それはいいんですが――」

「ドキュメンタリーを撮ったら、その時のスタッフとは仲良くしておきましょうね。四条さんの言う通り、個性の強さは武器です。その後も、例えばコメンテーターのような職なら充分可能な範囲でしょうし、それにそれに……」


 駄目だ。完全に自分の世界に入ってしまっている。こうなると、もう僕の話なんて全然聞いてくれない。

 しばらく話を合わせておこう。高木さん、とっても楽しそうだし。


 ……本当に、楽しそうだ。

 高木さんがこんなに楽しそうに笑うなんて、今まで知らなかった。



 篠宮さんは、このためにテレビをつけっぱなしにして行ったのだろうか。

 まさかな。偶然だろう。


 たとえ偶然だとしても、篠宮さんから貰ったものが一つ増えたことには変わりない。

 会いたい理由も、また一つ増えた。

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