第二十一話 敵と味方と答え合わせ

「俺としては不本意だが、君が望むなら、俺は君の担当を降りよう。だが、決めるのは今じゃない。少し精神が落ち着いてからだ。それまでは高木君に代わってもらうことにする。冷静な頭で考えて、結論が出たら教えてくれ」


 一方的に告げ、神原さんは僕の前から姿を消した。

 呆然とし、座ったまま硬直した僕を残して。



 ………………………………。

 神原さんの言う通りだ。

 僕の置かれた状況が、偶然の産物だろうが、全て神原さんの計算の上だろうが……今更、変わる事なんてない。

 いくら神原さんを糾弾しようが、過去は変わらない。

 もう……とっくに手遅れだ。



 篠宮さんは二度と戻ってこない。



 いっそ、気付かなければ良かったのかもしれない。

 最初から最後まで、神原さんの掌の上で踊っていた方が、何倍もマシだったのかもしれない。なまじINTが高いせいで、僕は禁忌に触れてしまった。

 ……INTが高いのが、僕の唯一の取り柄なのに。

 こんな形で、裏切られるなんて…………




 神原さんが去ってから、ほどなくして。


「失礼します」


 ガラガラとドアを開け、入れ替わりで高木さんが入ってきた。


「話は全て聞きました。篠宮さんの退院のこと。今朝、篠宮さんと二人で会い、発作を起こしたこと。あなたが神原さんを疑っていること」


 ……高木さんは?

 高木さんは、神原さんとグルではないのか?

 ……いや。一方的に利用されただけ、と考えるのが妥当か。

 二週間という期間設定も、高木さんを誘導するためと考えるのが自然だ。

 だから、きっと、高木さんは僕の味方だよね?

 高木さんだけは……ずっと僕の味方でいてくれるよね?


「ですが、まずは朝ご飯にしましょうねー。尋ねる前に調理場に寄れば良かったですね」


 そんな気分じゃない、と言っても、無駄なことくらい分かっている。

 6年間も、ずっと見てきたんだから。


「高木さんは、知ってたんですか?」

「……何を、ですかー?」

「神原さんが、僕の敵だってこと」


 ワゴンを取りに、再び病室を出ようとしていた高木さんが、こちらに戻ってくる。

 丸椅子を持って来て、僕の右斜め前に座る。


「例えばの話をしますね」


 僕の質問には答えず、高木さんは絵本を読むように語り始めた。


「昔々ある所に、成績優秀、品行方正、将来は公務員や銀行員など、エリートコースを期待されている子供がいました。ある日突然、子供は親にこう言いました。自分は将来絵描きになりたい、と。親は子供を叱りつけました。あなたは収入が安定した、生活に困らない職業につきなさい、と」


 親が神原さんで、子供が僕。安定した職業ってのは、研究のことか?そして絵描きは、僕と篠宮さんが結ばれること、か。


「この場合、親は息子の敵だと思いますか?」

「…………」

「神原さんと四条さんは、そういう関係なんですよー。見方によって、敵とも味方とも捉えることができますね」


 ……なんだ?

 分からない。

 高木さんは、何が言いたいんだ?


「高木さんは、神原さんを擁護するんですか?」

「相手の全てを赦すことが愛ではありませんよ。駄目な部分は駄目だと客観的に見なければいけません。ただし、面と向かって指摘するかどうかは、時と場合によりけりですねー」

「じゃあ、高木さんは……誰の味方なんですか?」


 ど直球な僕の問いにも、高木さんは笑顔を崩さない。


「四条さんも、神原さんも。もちろん篠宮さんもです。私は全員の味方ですよー」


 あくまで中立、ってことか?

 ……まあ、いい。それより、さっきの例えで、絵描きに当たるのは、篠宮さんのことだ。つまり、高木さんの主張は。


「高木さんは、僕と篠宮さんじゃ、幸せになれないと思いますか?」

「客観的に見れば」


 ……即答、か。分かってはいたが。


「相思相愛であることは、必ずしも二人を幸せにはしませんからね。ロミオとジュリエットのように、悲劇を生むこともあります。ただし、私個人としては、応援するつもりでいました。気付いたときには、手遅れでしたけど」

「手遅れ……って?」

「先に言っておきますが、篠宮さんの精神が不安定だったのは本当です。そのまま放っておけば、本当に気を病んでしまう恐れがありました。ですから、神原さんは、篠宮さんに催眠術をかけました」

「催眠術!? それ、本当ですか?」

「はい。ヒプノセラピー、いわゆる催眠療法ですねー。腕の怪我が快方に向かい、生活に戻れるレベルだという判断が下った今日の段階で、神原さんは篠宮さんの催眠を解除しました。催眠を解いた段階では、精神状態はかなり安定していたそうです」


 なんだ、実在する医療法なのか。安心……できるわけがない。

 目的は、篠宮さんの治療だけじゃないはずだ。

 疑う余地がない。神原さんは確実に黒だ。


「もし、篠宮さんが真っ直ぐ帰っていれば、神原さんの筋書き通りだったのかもしれませんね。ですが、神原さんには、どうしても理解できないものがありました」

「理解できないものって?」

「恋心です。会わない方がいいと理屈では理解していても、それでも会いたくなってしまう気持ちを、予測できませんでした。その結果……いえ、そこから先は、私より四条さんの方が詳しいですね」


 ……神原さんの予想と反し、篠宮さんは僕の元へ来てしまった。

 そして、僕達は、最高で最悪のキスをした。

 一生の思い出と、一生もののトラウマを作った。


「階段の事故が起こった翌日の朝、私が四条さんを監視している間に、神原さんは篠宮さんの催眠を終えていました。私が神原さんの動きに気付いたのは、その後でした。私には、最早どうすることもできませんでした」


 結局のところ。

 高木さんも、神原さんに振り回された被害者ってことか。


「高木さん」

「はい」

「親に叱られて、それでも絵描きになりたい場合は、どうすればいいんですか?」

「……時々忘れそうになりますが、四条さんはまだ、十二歳の子供なんですよ。それくらいの歳の子は、時折、子供らしい途方もなく大きな夢を見ます。そして、現実とそぐわない大きすぎる夢は、一つずつ諦めていくものです。自分には本当は何ができるのか、等身大の自分を見つめて、身の丈に合った夢を、再び目指すんです」

「要するに、絵描きは諦めろ、ってことですか」


 喉奥から絞り出すように、


「はい」


 高木さんは二文字を発した。



 瞬間、僅かに崩した笑顔を、高木さんは再び繕った。


「四条さん。人はどうして、負の感情を抱えるのだと思いますか?」


 負の、感情?

 なんだ?いきなりどうしたんだ。

 今日の高木さん、何かがいつもと違う気がする。何が、とは言えないけど。


「答えは簡単です。嫌な状況から、抜け出す為です。飢えるから食べる。痛いから手当てする。怖いから警戒する。寂しいから温もりを探す。良くない現状を打破するために、人間にはプラスだけでなく、マイナスの感情も必要なんです。私も、そうでした」


 高木さんはカーテンに目を向けた。いや、カーテンを見てるわけじゃない。どこか遠くを見るように、懐かしむように、高木さんは語り始めた。


「飛び級を重ね、20歳という若さで医大を卒業した私は、周りから持ち上げられ、持て囃されていました。ですがこの病院に来て、神原さんと――私を凌駕する怪物と、出会ってしまったのです。20年の間にすっかり肥え太った私の尊大なプライドは、ほんの数日で木っ端微塵になりました。嫉妬、憎悪、敗北感、劣等感……私は神原さんにどうにか勝ちたいと、何としても見返してやりたいと思いました。唐突に心の支えを失った私を突き動かしたのは、そんな負の感情ばかりでした」


――すみません。神原さんの代わりになれなくて。


 高木さんは、神原さんとは違う。

 それを一番理解していたのは、他でもない高木さん自身だった、ってことか。


「未だに一度たりとも、神原さんに勝ることはありませんでしたけどね。それどころか、ずっと神原さんばかり見ていたせいか、私はまんまと恋に落ちてしまいました」


 高木さんは、笑顔の仮面を被ったままで、その裏に隠した闇を打ち明けている。

 僕を失恋のショックから立ち直らせる為に。

 僕が全てを諦めてしまわない為に。


「四条さん。感情に正負はあっても、善悪はありません。人は負の感情でも、今日を生きる原動力にできるんです。これは、私の持論です」


 高木さんは僕の方へ向き直り、僕とまっすぐ目を合わせた。


「あなたの人生は、まだ終わっていませんよ」


 笑顔が眩しすぎて、直視できなかった。

 6年も一緒にいたのに……僕は、高木さんのことをあまりに知らなすぎる。

 高木さんは、6年間ずっと、僕に見せないように、悟られないように、隠し通していたんだ。

 僕の思いもよらない壮絶な生き様……高木さんは、それでも折れることなく真正面から立ち向かっている。闇をエネルギーにしていても、神原さんを追い、修羅の道を行く高木さんの背中は、僕には輝いて見える。


 …………今すぐ立ち直るのは無理だ。

 でも、少しだけ……ほんの少しだけ、前を向く勇気は出たかもしれない。


「高木さん。一つ、頼んでいいですか?」

「私にできることなら、何でもどうぞ」

「屋上に、行きたいです」

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