第二十三話 神原勇気

「失礼します」


 ガラガラとドアを開け、聞き慣れた声と共に高木さんが入ってくる。

 僕は手元のノートパソコンから目を上げる。高木さんの手に、薄い新聞紙が握られている。


「夕刊をお持ちしましたよー。後で、にしましょうか?」


 画面右下に表示されている時計を見ると、もう5時を過ぎたところだった。時間が経つのは早いものだ。いつまでも上達しない手つきでキーボードを叩いていると、余計に早く感じる。


「ありがとうございます。少し待ってください。今、ブログを更新します」

「はい。自分のペースでいいですよー」

「すみませ――うわっと!」


 ベッドテーブルからマウスが落ちた。USB接続式の、コードのついた一般的なモデル。コードレスの物と比べ、落とした後に回収しやすい。断線の心配はあるが。


「慌てないでくださいね。急がば回れですよー」


 高木さんの笑顔は、僕の焦りを急速に静まらせる。以前と同じように。

 ……変わらないな。高木さんだけは。



 結論から言えば、僕の計画は、大成功だった。

 ドキュメンタリーは、僕の壮絶な人生を少しばかり修正して(話を盛るのではなく、お茶の間が引かない程度に抑えて)作られた。放送されたドキュメンタリーは、他の似たような番組と同じように、世間をほんの少し楽しませ、同時に僕のブログへとそれなりの人数を誘導した。

 『幼卒男子のマイ本棚』。僕のブログのタイトルだ。

 番組の終盤に『現在は個人ブログで、入院中に読んだ本の紹介をしています』と流して貰ったおかげで、見に来る人がそれなりに増えたんだ。


 ただ。

 ビュアーの中に、篠宮さんはいなかった。


 ブログ自体は好評だ。『幼卒』というタイトルのイメージに反し、本文はちゃんと中身の詰まった本のレビューになっている。ジャンルに偏りが無さすぎるのも、どうやらウケているらしい。一冊目が『泥沼ラプソディエ』、二冊目が『死ぬまで続く不平等論』。言われてみれば、確かに節操がない。


 ブログには毎回多くのコメントがついている。全部読んでいるが、篠宮さんと思しき人はいない。たぶん、見てなかったんだろうな。裏番組を見てたか、そもそもドキュメンタリーは見ないのかも。


「それと、明日のニュースで扱うネタがメールで送られているそうなので、チェックしておいてください」

「はい。分かりました」


 今は週に一度、ニュース番組のコメンテーターをしている。

 と言っても僕は病院から出られないので、声だけの出演になる。パソコンの画面で映像を、ヘッドホンでスタジオの音声を聞き、必要に応じてマイクに向かって話す。INT1005、というだけなら、大人であれば、珍しくはあるがいなくはない。けど、僕は12歳。頭はいいが目線は子供、というギャップが結構注目を集めているらしい。個性は、本当に強い武器だ。みくるさんには本当に感謝してる。いつか共演してみたいな。

 ニュース番組で話す為に、情報収集が日課になった。テレビも見るし、新聞も読むし、もちろん本も読む。決まったことを覚える勉強とは違い、日々新しい話題が生まれるニュースは、中々手強く、面白い。

 ニュースに出演する度に、ブログのアクセス数は徐々に増えている。たまに、『ウチの本も紹介してください!』という依頼が来ることもあるが、お世辞を言うのは公平性に欠けるし、他の本の評価にまで泥がつくので全て断っている。

 




 こうして僕は、新たな日常を手に入れた。

 それもこれも、神原さんの力があってのことだ。





 僕の計画を高木さん経由で伝えてもらうと、神原さんは病室に来て、僕に直接言った。


「もちろん協力するとも!……何?俺が君の敵だって?ははは、あれはあくまで『もしも』の話だろう?なにより面白そうじゃないか。全力で応援させてもらうよ」


 テレビ局に掛け合ったのも神原さんだし、手続きや交渉やその他諸々はほとんど神原さんがこなした。僕が今番組に出させてもらえてるのも、神原さんのおかげだ。

 ブログを始めたのも、神原さんの指示だった。番組を放送して終わり、にしたくないならば、他に目に見える物をあらかじめ作っておけ、という。神原さんの想定通り、番組の反響はブログのアクセス数という形で返って来た。



 気味が悪いほど順調だ。

 神原さんのおかげ、なのだろう。それは疑う余地が無い。


 それは同時に、神原さんの計算高さを裏付ける結果でもある。


 感謝はしてる。でも、篠宮さんの事は、未だに許せない。いや、一生許さない。

 直接伝えたところで、当の神原さんはどこ吹く風なんだろうけど。


 どこまでが本音か分からない。神原さんの事はもう何も信用できない……が。とにかく、形の上でも協力してくれるのならば、利用し尽くすだけだ。



「そういえば、もう明日なんですね」

「ですねー。この生活を始めてから、なんだか一週間が早くなった気がします。充実してるからでしょうか」

「いえ。番組のことではなく。……もしかして、気付いてないんですか?」

「はい? ええっと……?」


 パソコンの右下、時刻のさらに下には日付が出ている。ええと、今日は8月15日だから、明日は8月16日…………


「ああっ! 僕の誕生日!!」

「ご名答です」


 すっかり忘れていた。テレビに出るようになってから、情報集めやニュース番組の準備、ブログ更新で忙しかったから。


「そっか……もう、そんなに経つんですね……」


 つまり。

 僕が篠宮さんと出会ってから、ちょうど一年。


 篠宮さんのおかげで、僕は幼い頃に閉ざした扉をもう一度開くことができた。

 6歳の頃の僕には、今のようにテレビの仕事をするのは無理だっただろう。INTが1005になったタイミングで篠宮さんと巡り会えたことは、何より幸運だった。あと2年早かったら、どうなっていたか分からない。


 …………幸運、か。

 これさえも、神原さんの狙い通りだったりして。

 まさかな。神原さんは、そんな人じゃない。


「四条さんは明日、13歳になるんですよ。早いものですね」

「13歳……やっぱり、年齢が低い方が、僕のキャラクターは際立ちますよね。今と同じスタンスで売り出せるのは、あと何年くらいでしょうか」

「年齢だけで立ち回れなくなる頃には、きっとINTで戦えますよ。心配いりません」

「確かに」


 INTに極振りのステータスも、コンプレックスではなくなってきた。むしろ、他が低ければ低いほど、今の僕にはプラスに働く。今後、もっと極端に幅が開くことだろうし。


 ただ、本当は、他のステータスも……特にVITには、伸びてほしいと思っている。

 外の世界との接点が増えて、やりたいことが急激に増えた。自分の足で外の世界を歩いたり、実際に番組の収録スタジオを訪れたり。今まで漠然とイメージで補ってきたものが、より鮮明に、具体的に見えるようになったから。


 一番は、ずっと変わらないけど。


 でも、やっぱり出来ないことは出来ない。等身大の、今の僕には。

 きっと、13歳になった明日の僕にも、それは出来ないことのままだ。

 篠宮さんに会いに行くことは、出来ない。

 でも、テレビに出続けていれば、きっといつか、篠宮さんの目に留まる。僕が篠宮さんのおかげで大きな一歩を踏み出せたことは、いずれ伝わると信じている。


 本当は、直接、自分の口から言いたいけど。それは、できないこと。


「……そういえば、高木さん」


 頭の片隅に居座り続ける雑念を振り払うように、僕は高木さんに話を振る。


「誕生日で思い出しましたけど、高木さんの誕生日、3月3日でしたよね。すっかり忘れててごめんなさい」

「いえいえ、あの時期は四条さんも多忙でしたから。ふふ、それは今も変わりませんか?人気者は大変ですねー」

「INT、いくつになったか聞きそびれてました。教えてくださいよ」

「978ですよー」

「なるほど、じゃあ……待ってください。978って、去年と一緒――」


 高木さんは、笑顔のまま、黙って首を縦に振る。


「…………まさか、成長無し?」

「はい。どうやら、私は一生かけても、神原さんと同じステージには上がれないようですねー」


 そうか。

 高木さんはこれからも、神原さんの背中を追い続けるんだな。

 一生縮まらない距離を。


 なんで、神原さんなんだろう?

 僕にはどうしても、その一点だけ、高木さんが理解できない。


「高木さんは、神原さんのどこが好きなんですか?」

「全部……と言うと、嘘になりますね」


 高木さんは口元に手を当て、しばし考えるポーズを取る。

 考え終わると、高木さんはふふっ、と声を漏らしながら、頬を綻ばせた。


「そうですねぇ。秘密、ということで」

「なんですかそれ。答えになってないです」

「恋する乙女には、人には言えない秘め事が沢山あるんですよー」


 秘め事、か。神原さんほど大きな隠し事なんて、そうないだろうけど。


「神原さんのどこに惚れる要素があるのか、僕には理解できません」

「それでいいんですよ。視点が変われば、見える物も変わります。十人十色、人の気持ちも人生も、人それぞれですからね」


 高木さんにとって、神原さんは仕事の先輩だ。患者の僕とは立場が違う。

 だからと言っても、これ以上何が見えたら、恋愛感情に発展するんだろう。恋心は、僕にもよく分からない。



「失礼するよ」


 ガラガラと病室のドアが開いた。

 噂をすれば影が差す、という諺がある。オカルトだと思っていたけど、まさか本当だとは。


「神原さん、どうしたんですか? 今日、担当の日じゃないですよね?」


 今日は月曜日。

 以前は平日が神原さん、土日が高木さんの担当だったけど、逆にしてもらった。神原さんは信用ならない。ただ、いろいろ手を掛けてもらっている現状で、神原さんを除け者にするわけにもいかない。


「ははは、そこまで露骨に警戒しなくてもいいだろう?俺は君の敵じゃないさ。むしろ、とても利用価値のある人間だ。

「……含みのある言い方ですね。要件は?」


 神原さんは白衣の脇に、角をホッチキスで留めた書類の束を抱えている。


「明日、誕生日だろう? これは俺から君への、一足早い誕生日プレゼントだ。俺の研究の一つがそろそろ完成しそうでね。論文を書いたんだ」

「前にも言いましたけど、僕は研究は手伝わないですよ」

「いや、構わんよ。むしろ、


 神原さんは僕の左サイドへ回り込み、その書類を僕に手渡した。

 別段興味もないけど、目の前に出されれば、自然と目が行くものだ。

 印刷されたA4用紙の表紙には、1行、タイトルが大きく書かれている。




 ステータスの上昇値と、ヒトの心理との因果関係について




「……………」


 なんだ、これ?

 ステータスの上昇値、って、レベルアップの事だよな?

 レベルアップに、人間の……僕らの心理状態と、因果関係があるって?


「四条君。君は幼い頃から、親に勉強を叩きこまれ、また自身でも、勉強して賢くなることを第一に考えていた。そこまで真っ直ぐ自分の道を見据えられたのは、君の忌み嫌う下の名前の影響もあるだろうな。君が心から、賢くなることを望んだ結果、。そして、病院に来てからの君は、INTが唯一の取り柄であり、他のステータスは絶対に伸びないと、諦めてしまった。淡い期待を抱きつつも、心の底ではどうせ無理だと諦めてしまっていた。故に、


 神原さんは、心底楽しそうに自分の研究成果を発表している。


 ………………待てよ。

 ちょっと待て。

 このレポートは…………僕を観察して作ったってことか?

 神原さんは、僕が篠宮さんと出会う以前も……僕が入院し始めた日から今日までずっと、僕を、研究対象として見てたってことか?

 僕が6歳の時から今日まで、7年間も?

 じゃあ、神原さんにとって、僕は――



「協力、心から感謝するよ。君は実に優秀な実験動物モルモットだった」



 ……………………………………………………。

 理解不能。意味不明だ。

 僕のこれまでの人生は、なんだったんだ?

 篠宮さんの件は、何があっても許すつもりはない。でも、それより前の生活……本を読んだり、感想を言い合ったり、勉強したり……6年間の暮らしは、神原さんのおかげで成り立ってたようなものだ。

 …………それさえも、神原さんの計画の内だった、ってことか?

 入院し始めてからずっと、僕は神原さんの掌の上で踊っていたってことか?



 最初から、神原さんが僕に近づいたのは、自分の研究の為だった…………?



「四条君だけじゃない。高木君だってそうだ」


 ……………………は?

 …………何を言ってるんだ、この人は?


「自分は優秀だ、賢いんだとずっと思いながら、飛び級を重ねて20歳まで到達した君は、俺と出会い、『勝てない』と諦めてしまった。高木君は俺との間に明確に線を引いた。3桁と4桁の壁を自ら作った。その結果、君のINTは著しく伸び悩んだ」


 …………なんてこった。

 結局のところ、篠宮さんも、高木さんも、僕も…………全員が、神原さんに利用されていた、ってことじゃないか。



 ……信じられない。

 僕が昔、尊敬し、先生とまで呼んだ人は。



 悪魔だ。



「要件は以上だ。では、これで」







「ちょっと待ってください」


 神原さんは、僕の声で立ち止まった。


「何だい?ま、文句の一つや二つ、言いたくもなるだろうが――」

「どうして、このタイミングで、僕にこれを?」


 僕の目の前に、僕や高木さんから得たデータを集めた論文がある。それは間違いない。

 でも……これを、なんでわざわざ僕に見せた?

 僕に見せつけるように渡さなくても、ずっと隠しておけばよかったじゃないか。どうしてわざわざ自分から、僕を敵に回すようなことをする?


「そうだな。君はどう予想する?」

「…………」

「1005では足りないか。ま、時間もないことだし、答え合わせと洒落込もうか」


 予想がつくなら、最初から質問なんてしない。

 それすら見透かしたように、神原さんはにやにやと僕を眺めている。


「さっきも言った通り、この研究は完成した。となれば、実験動物モルモットをいつまでも手元に置いておく必要もない。飼い犬に手を噛まれてからでは遅いからね。このままにしておけば、いずれ君は、俺をも超えるINTを手に入れてしまう。どうやら俺は、君に嫌われているようだしな」


 手元に、置いておく必要もない……?

 そうか。『絶対にINTしか伸びない』という僕の先入観は、たった今、目の前の論文と神原さんの話によって打ち砕かれた。

 今の僕は、どのステータスも一様に、伸びる可能性があることを知っている。

 諦める必要がどこにもないことを、知っている。


 つまり、僕が心から望むステータスを、自分の意思で伸ばせる、のか?

 レベルアップの時……即ち、明日。


「残念だが、俺は忙しいんだ。今日はこれで失礼するよ」


 ………………なんだ?

 何が起こってる?

 だって、神原さんは、僕の敵だろう?

 関わる全員を自分の研究の為に利用するような、極悪人だろう?


 …………なのに。

 僕にとって、この紙束は……最高の、誕生日プレゼントだ。



 ガラガラ。


「っ! 待ってください! まだ聞きたいことが――」


 バタン。


 神原さんは、行ってしまった。

 僕の頭に、多くの疑問符を残して。



「ふふふ、だから言ったでしょう?」



 高木さんは、自分が神原さんの研究に利用されていたと聞いてもなお、ずっと変わらない笑顔のままだ。

 元々知っていたのか、それとも、たった今知って、それでもなお驚いていないのか?


「神原さんは悪人ではありません、と」


 …………高木さん。

 一体あなたには、何が見えているんだ……?

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