第十四話 1593

「ごちそうさまでした」


 朝食を食べ終え、時計を確認。9時42分56秒。

 ふむ……久々に箸を使ったにしては、上出来か。


 高木さんはトレイを片付け、僕の隣に座る。


「…………」

「…………」

「返しに行かないんですか?」

「いえ、監視は続行中ですので」

「高木さんの覚悟はよく分かりました。勝手に会いに行ったりしません。だから、その……もう少し信頼してもらえたらなーって」

「それとこれとは別の話です」

「ですよね……」


 僕の計画では、高木さんに心理学の本を持ってきてもらうことになってたんだけどな……どうやら高木さんは、まだ僕から離れてはくれないらしい。この様子だと、単独行動を頼むこと自体が無理そうだ。

 読み終えた本は一部の悪書を除いて神原さんに返している。僕は一日に5から10冊ペースで読む。全部病室に積み上げていたら、すぐにパンクしてしまう。

 つまり、現状手元にあるのは、トランクケースの140冊のみ。

 まずは内容を確認することから始めようか。1冊くらい、使える物があるかもしれない。



 ガラガラと、病室のドアを開ける音がする。


「失礼するよ」


 馴染みのある高めの男声が聞こ……え?


「…………」

「…………」


 高い身長。絵になる白衣。

 僕は高木さんと顔を見合わせた。

 高木さんも僕と同じ心境らしく、目が点になっている。


「おいおい、一体どうした? 二人して、鳩が豆鉄砲喰ったような顔して」


 間違いない。間違えようがない。

 声も姿も、間違いないんだけど――だって、それはありえない。


「神原さん!?」「先輩!?」


 神原勇気。

 僕の担当医師だ、けど。


「神原さん、どうしたんですか!? 昨日から数えて二週間の出張のはずじゃ……」


 神原さんは分かりやすく口角を上げる。神原さんは賢いが、感情表現はストレートだ。


「二週間分の仕事を一日で終わらせてきた」

「……はあああっ!!?」


 いや、なんだそれ……なんだそれ!!

 神原さんの頭の回転が速いのは知ってるし、INT1593が尋常じゃないスペックなのも知ってるけど、そんなレベルの話じゃない。単純計算で、常人の14倍の仕事効率?あまりに常識から逸脱してる。


「あらかじめ期間が決まってるってことは、元々こなすべきタスクの量が決まってるってことだ。そんな雑用に時間をかけるほど、俺は暇じゃないってことさ」


 ありえないことを言ってるはずなのに、有無を言わせぬ説得力がある。神原さんが今ここに立っているという事実が、全ての発言を裏付けている。

 世間一般の常識なんて、神原さんには通用しない。

 神原勇気とは、人間だ。


「雑談は終わりだ。四条君のことは、高木君から聞いている」

「っ……」


 高木さんの顔が青ざめる。

 それが僕から見えるってことは、つまり、高木さんは神原さんに背を向けているってこと。僕と顔を見合わせた時のまま、こっちを向いたままだ。

 カツカツとこちらに近づきながら、神原さんは高木さんに声をかける。


「高木君。こっちを見てくれ」

「……待って、ください。まだ、心の準備が」

「いいから」


 高木さんは、僕のことで神原さんと連絡を取り合っていたらしい。

 でも、高木さんは神原さんが帰ってくることを知らなかった。だからこんなに驚き、戸惑っている。いつもの笑顔もまるで保てないほど。


――私には、もう……神原さんと、顔を合わせる権利もありません。


 

 神原さんは、今日帰ってくることを、わざと高木さんに伝えなかった。そう考えなければ不自然だ。連絡ミスなんて、神原さんがするはずがない。

 でも……何のために?

 僕には想像がつかない。

 INT1593の神原さんに追いつくには、1005ではまるで足りない。


 神原さんは高木さんの腕を掴んだ。


「立って、こっちを向くんだ」

「……は、はい」


 言われるがままに、高木さんは立ち上がる。でも、顔は右斜め下を向いている。正面に立つ神原さんと、視線を合わせたくないんだろう。


 神原さんは右肘を後ろに引き、高木さんのお腹を殴った。


「ふぐっ!? う……けほ、けほっ」


 ……殴った!?


「か、神原さん!? 一体何を――」

「四条君に免じて、一発で済ませてやる」


 確かに出発前に何か言ってた気もするけど……今はもう、関係ないだろ!?

 高木さんはお腹を押さえて、苦しそうに息をしている。どうして、いきなり暴力なんて……?


「けほっ、も、申し訳、ござ」


 絞り出すような高木さんの贖罪を、神原さんは一蹴する。

 神原さんは、今の高木さんの心情を理解している。理解できないわけがない。だって、神原さんは、僕らよりもはるかに頭がいい。高木さんの心が疲弊しているのを知っていながら、神原さんは圧をかけているんだ。


「その謝罪は、四条君を危険に晒したことに対してだろう。なら、違う」


 神原さんは左手を高木さんの頬に当て、無理やり正面を向かせる。僕からは高木さんの顔は見えないが、笑ってはいないだろう。

 神原さんは、高木さんの目を――いや、目元を見ている。


「なんだ、その隈は」

「え……?」

「医者も看護師も、患者が健康な身体を取り戻して仕事や生活に復帰する、そのイメージの基盤になる。だから俺達は、患者の見本かつ理想であらねばならない。そう教えたはずだ」

「……はい」

「当時新人だった高木君に四条君の世話を任せたのは、人を落ち着かせる笑顔と、笑顔を維持する強靭な精神力を買っての事だ。その特殊能力を、自ら棄てるような真似をするな!」


 理解はできる。

 僕も高木さんも馬鹿じゃない。ここまで丁寧に説明されれば、神原さんの行動もその理由も理解できる。


 でも、あまりに厳しすぎる。

 高木さんの傷に、塩を塗り重ねなくたっていいじゃないか。

 神原さんは、高木さんの気持ちを知ってて、その上で無視してる。


「そこまできつく言わなくたっていいじゃないですか! 高木さんだって、高木さんなりに僕のことを――」

「悪い。君の前ですべき話じゃなかった。結果を急ぐ所と感情に素直な所は、反省点だな」


 神原さんは人の話を最後まで聞かない……と言うよりも、途中で全て理解して、即座に受け答えを用意してしまう。


「どうやら、また『指導』が必要なようだ。四条君、高木君を30分ほど借りてもいいか?」

「……あまり厳しいことは言わないと、約束するなら」

「善処するよ。別に、俺も鬼じゃない。高木君をいじめたいわけじゃないからさ」


 高木さんは、まだ胸に手を当てている。


「俺のSTRで、痛いわけないだろう。高木君の使命感が、痛みを錯覚し、増幅させているだけだ」

「…………ごめん、なさい……」


 神原さんは頭を掻き、ばつが悪そうにしている。


「はぁ……悪かったよ」

「先輩が、謝ることなんて――」

「真面目すぎるのも考え物だな。時間は有限だ。行くぞ」


 神原さんは高木さんの手を引く。握る手首からは、立たせたときほどの強引さは感じない。高木さんは逆らわず、黙って後ろについて歩く。

 重たい空気を残したまま、ガラガラとドアを開け、二人が外に出た。


「ああ、そうだ。四条君」

「は、はい」


 まるで、天気の話でも始めるような気軽さで。


「篠宮舞の病室は307だ」


 神原さんは、とんでもない一言を置いて行った。


「は!?」「なっ……!?」


 ガラガラ。


「四条さん、行っちゃダ――」


 ガタン、と、ドアが閉め切られる。

 高木さんの言葉がピシャリと途切れた。


「……会いに行け、ってことか。高木さんの指導が終わるまでの、30分の間に」


 でも、どうして。

 高木さんの言う通り、今すぐ会うのは愚策じゃないのか?

 ……神原さんが何を考えているのか、全く分からない。

 ここでいくら考えても、答えは出ないんだろう。あの神原さんの考えていることなんて、いくら首を捻ったところで分かるはずがない。


 高木さんは、会うなと。

 神原さんは、会えと。



 ……僕は、会いたい。

 神原さんは、篠宮さんの病室を知っていた。ここに来る前に、寄って来たのかもしれない。篠宮さんを見て、僕と二人で会わせても大丈夫だと判断した、とか……これはだいぶ希望的観測が入ってるけど、何にせよ、行かなきゃ神原さんの真意は分からないままだ。あえて理由を言わなかった、その真意も。



 時計を見る。

 9時56分35秒。


 僕はベッドから降り立った。迷っている暇はない。

 神原さんの言う通り、時間は有限だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る