第十三話 覚悟と決意
カタカタカタカタ……
馴染みのない音で、僕は目を覚ました。今日は朝からずっと寝ていたから、そもそも眠りが浅かった。
「なんの音……?」
「ああ、起こしてしましましたか。申し訳ございません。気にしないでください」
部屋の明かりはついていない。が、ぼんやりと薄い緑で照らされている。
体を起こす。102号室の四つのベッドのうち、僕から見て対角線側にあるベッドが緑白色のカーテンで仕切られている。カーテン越しに、中から弱い光が透けているようだ。
「今日溜め込んだ仕事を消化しています。大丈夫です。もう終わりますよ」
高木さんは秘書モードで、カタカタと……パソコンを叩いている、のかな。
――高木さん、通常業務は?
――それについては考えてあります。
てっきり他の看護師さんに頼んだりしたのかと思ってたけど、違ったみたいだ。僕が寝てる間にこなす、ってことか。
結局高木さんは、夕食の時も、寝る時も、僕にぴったりくっついていた。仕事をする暇なんてどこにも無かったし、仕事をしようという素振りも無かった。
眠い目をこすりながら、時計のスイッチをとん、と叩く。夜間用の、弱いオレンジのライトがつき、時刻が読めるようになる。
2時16分48秒。
……深夜じゃないか。
「高木さん、いつ寝るんですか?」
「終わったら寝ます」
「……何時に起きるんですか?」
「5時半ですね」
「3時間しか寝られないじゃないですか」
高木さん、本気でいくらでも身を削る気なんだな。僕と、篠宮さんと、神原さんの為に。
ほんと、凄い人だよ。僕なんかより。
「私はまだ26です。3時間も寝られれば充分ですよ」
「そんなこと……あっ」
「どうしました?」
「高木さん、年齢隠してたんじゃ」
「……些細な問題です」
26ってことは、少なくとも20歳の時には看護師だったってことか。じゃあ、飛び級で看護師になったんだ。
……あれ?そもそも、看護師になって6年以上経つのに、INT978って小さくないか?医者になれるINTの目安が900。看護師とどれほど差があるか分からないけど、仮に20歳でちょうど900だったとしたら、その後の6年で78しか増えてないことになる。
900÷20=45、78÷6=13。
20歳まではINT重視のステータス振りだったのに、そこから明らかにペースが落ちている。
高木さんのINTを知ったのは、僕のINTが905になった、11歳の時。僕と近いから、ってことで教えてもらった。その時は確か、969だった。そっか、1年で9しか増えてないのか。今まで気づかなかったけど、よく考えたらおかしいな。
「ステータスの増え方って、規則性とかないんですか?」
「さあ、どうでしょう? 明確なデータはありませんね。俗説では、神様が勝手に決める、と言われています」
もし決まった法則が見つかっているなら、今頃僕はここにはいないし、高木さんもとっくに神原さんと同じ、INT4桁のステージに上がっているだろう。
興味はあるが、分からないものは仕方ない。これ以上の議論は不毛か。
「終わったら寝るって、ここで? 高木さん、帰らなくていいんですか?」
「本当はダメですけど、今回ばかりは仕方ありません。職員のカードがあれば、出入りは自由にできますから」
「特例ってことですか」
「いえ。普通に職権濫用ですよ」
「……は!?」
職権濫用って……それ、犯罪じゃないのか?
「僕に話してよかったんですか? あの、職権濫用って、バレたらまずいんじゃ」
「覚悟はできています」
「覚悟……って、まさか!」
まるで、呼吸をするような自然さで。
「命を失わせる罪と比べれば、職を失うなど、些細な問題でしかありません」
高木さんは、とんでもないことを言ってのけた。
体が勝手に動くという体験を、僕は初めてしたかもしれない。
理性より感情が先に立ち、僕は気づけば、高木さんを覆うカーテンに手をかけていた。
シャーッ、という、カーテンが開く音。
高木さんは現在誰にも使用されていないベッドに横になり、ベッドテーブルに、薄い折り畳み式の機械、たぶんノートパソコンってやつを置いて作業していた。ノートパソコンから出る光が、高木さんを照らす。
高木さんは驚いて、視線をパソコンから僕の方に向ける。
目元に薄く、青い隈ができている。疲れ目のサイン。
「本当に……それでいいんですか」
「もちろんです」
「高木さんは、神原さんのことを――」
「はい。愛しています」
迷いなく言い切る。
だったら、どうして。
看護師を辞めるってことは……神原さんを諦めるってことと、同じじゃないのか。
「以前から、釣り合わないとは思っていました。少しでも近づけるようにと、努力してきたつもりです。……ですが、今回の件は、決定的です。私は、取り返しのつかないミスをした。私は……神原さんの信頼を、踏みにじってしまった」
僕は初めて、高木さんの涙を見た。
高木さんは、何年間もずっと、神原さんへの想いを貯め込んできたんだ。
僕の篠宮さんへの恋心は、確かにかなり強い方だと思う。でもこれは、たった一日過ごしただけで、芽生えたもの。それなのに、僕はこんなに苦しんだ。
じゃあ、僕の1000倍以上の時間、神原さんを想い続けてきた高木さんは?
「私には、もう……神原さんと、顔を合わせる権利もありません」
――愛を抱くとは、相手の為なら自分の全てを投げ打っていいと覚悟すること。
これが、愛?
誰一人、幸せになってないじゃないか。
こんな理不尽なことが、許されていいはずがないだろうが。
篠宮さん、ごめん。
やっぱり僕は、自分のことは二の次でしか考えられないみたいだ。
他人の為に頑張る方が、僕の性に合ってる。
それでいいんだ。
高木さんが手本を見せてくれた。自分を犠牲にしてでも、他人の為に頑張るってことを。
「高木さん」
「ぐすっ……はい、何ですか?」
「高木さんはミスなんてしてません」
「……ありがとうございます。慰めて、くれるんですね」
「要するに、僕と篠宮さんを出会わせたことが、ミスではなかったと証明すればいいんですよね?」
「え……?」
何ができるかは、まだ考えてない。
でも、絶対に方法はあるはずだ。高木さんも、もちろん篠宮さんも幸せになれる、最適解が。
僕なんかに比べれば、二人とも、はるかにまともな人生を歩んでいるんだから。
「証明してみせますよ。高木さんも、篠宮さんも、何も間違ってなんかいなかったって!」
過去は変えられないけど、未来は変えられる。
絶対に、変えてみせる。
無価値な僕に存在意義を見出すとしたら、それしかない。
「……変わりましたね。四条さん、以前より明るくなりました」
「高木さんが、僕を篠宮さんと会わせてくれたおかげですよ」
「ふふ……そう言って貰えるだけで、少し楽になります」
高木さんの顔は、涙で濡れたままだ。
けど、きっとこれは、普段僕に向ける笑顔とは違う、本物の笑顔。
まずは一歩、前進だ。
高木さんは、パタンとノートパソコンを倒した。
「丁度終わりました。そろそろ寝ますね。また明日」
「お休みなさい。しっかり休んでくださいね」
「はい。四条さんも、ですよ」
「分かってます。……それじゃ」
カーテンを開けたまま、僕は自分のベッドに戻る。
高木さんには休めと言われたが、ちっとも眠くない。
布団の中で、僕は明日の行動計画を練り始めた。
やっぱり篠宮さんにすぐ会いに行くのは得策じゃないな、とか。
その前に、本で心理学を勉強しておこうかな、とか。
何ができるか考えるって、こんなに楽しい事なんだ。
蓄えた知識を活用することが今までなかったから、知らなかった。
結論から言えば、今考えた計画は、全部無駄になったのだが。
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