第四話 自己紹介

「そういえばさ、まだあたし達、ちゃんと自己紹介してなかったね?」

「言われてみれば、お互いのプレート見ただけだね」


 元を辿れば、この部屋にテレビがないって話からスタートしたんだ。篠宮さんはのんびりテレビを見ながら自己紹介するつもりだったのだろうか。あるいは、何にも考えてないのか。そっちの可能性の方が高そうだ。

 プレートを見て、会話をして、篠宮さんがどういう人かは大体分かった。けど、会話していくうちに、もっと興味が沸いた。篠宮さんのことを、もっと深く知りたい。なんて、まるで初恋の相手みたいな台詞だ。


「んじゃ、あたしから自己紹介するね!名前は篠宮舞。ぴちぴちの高校2年生!部活はバレー部に入ってまーす」


 『ぴちぴちの』の所で篠宮さんは左手をピースして目に当て、右目でウィンクした。かわいいな。幼稚園の同級生に、似たような子がいた気がする。


「球技の方? 踊る方?」

「ボールの方! ダンスの方も小さい頃はちょっとだけ気になってたけど、あたしリズム感ないんだよねぇ」


 自然、視線が右腕のギブスに向く。バレーボールは(見たことがあるわけではなく、あくまで知識として)知っている。全身を使って動き回るスポーツだが、一番重要なのは、ボールに直接触れる腕だ。

 腕の、特に右腕の故障は、バレーボール選手としてはかなり致命的だ。


「そっか。腕、大変だね」

「んむ? あ、ううん。あたしのポジション、ベンチで固定だから平気だよ!」

「そうなの? でも、やっぱり試合に出たいとか、体を動かしたいとか、そういう――」

「いや全然? あたし見る方が好きだしー」


 僕の心配はどうやら杞憂だったらしい。空気が重くならないのは僕としても助かる。

 一つ厄介なのは、僕が実際にバレーボールを見たことがないから、篠宮さんと感覚が共有しにくいことかな。


「やっぱり、見てると楽しい?」

「うん!」

「例えば、具体的にどんなところが?」

「あのね、スマッシュ打つ時に、ぴょーんってジャンプするじゃん?」


 バレーボールにスマッシュはない。あれはスパイクという。

 そんな些細なことで会話を遮っても仕方がないので、ここはスルー。正しいことは必ずしも、間違いを指摘する行動自体を正当化しない。これは神原さんの教えでもある。


「ジャンプするとね、おっぱいが揺れるの!」

「……ああ、そうなんだ」

「やー、最近の子は発育いいからねー。なかなか迫力あるよ」


 なるほど、篠宮さんは僕より下ネタのセーフティゾーンがかなり広いんだな。

 小説やライトノベルでも、キャラクターが高校生くらいだと、平気で下ネタを喋る描写はたまに見られる。……フィクションじゃなかったのか、あれ。

 駄目とは言わないけど、リアクションにすごく困る。


「……ふふふ」


 篠宮さんがにんまりと笑う。デジャヴ。この笑い方、どこかで見たことあるような気がする。というか、ついさっき見たな。


「しーじょーうーくーん? どこ見てるのー?」


 どこって、右腕のギブスを見てただけなんだけどな。

 そう思って改めて、視界に映るものを確認する。人間の目というのは、立体視の範囲がそこそこ広いわりに、焦点を定めてしっかり認識している部分は一部しかない。脳が見ようと思ったものにのみ集中し、他の物は曖昧にしか見られていないものだ。

 僕はギブスから集中を外し、ようやくギブスの奥にあるものを認識した。そして、理解した。


「あ、いや、違っ!胸を見てたわけじゃない!」

「隠すことないって!お姉さんに正直に言ってごらん?」

「だから誤解だよ!腕のギブスが気になってたんだよ!腕を怪我してたらバレーは大変そうだなって思っただけだから!!」

「まったくもう、このむっつりさんめ!」

「僕の話聞いてる!?」


 なんで下ネタになると途端に生き生きしだすんだこの子は!

 体が熱い。喉が渇く。やましい気持ちはないのに、どうしてこんなに恥ずかしいんだよ。


「耳の先まで真っ赤だよー?かわいいなぁキミは!」

「うう……」


 正面から反論しても無駄だということはよく分かった。しかし、言われっぱなしでこのまま引き下がるのも、癪だ。

 反撃の糸口を探して、再び篠宮さんに目を凝らす。


「……ねえ、篠宮さん」

「ん、なになに?」

「ちょっとジャンプしてみて?」

「?」


 僕に言われるがまま、篠宮さんは垂直にぴょんと飛ぶ。とん、と着地に少し遅れ、髪とスカートがひらりと定位置に戻る。


「ジャンプしたけど、揺れないね?」

「はうっ!?」


 篠宮さんの制服は、見事な平面を形作っている。絶壁。まな板。比喩表現は何種類もあるし、様々な本で知っている。

 そこに少しの膨らみもないから、僕はギブスを見る視線が胸を見る視線と一致するって分からなかったんだ。だから、これは篠宮さんが悪い。僕は悪くない。


「ごめんごめん。それらしいものがどこにもないから、見てることに気づかなかったよ」

「ぐふうっ……見事なカウンター……!」


 崩れ落ちる篠宮さん。僕は勝利の余韻に浸る。篠宮さんが胸の話を始めた時点で、半分くらい自爆のような気もするけど。


「こ、これからだもん……まだ成長期が来てないだけだもん……」

「そうだよね。最近の子は発育いいんだもんね」

「追い打ちやめぇいっ!」


 左腕をブンブン振って抗議された。漫画みたいだ。実際、漫画も好きなんだっけ。

 しかし、ちょっとやりすぎたかな。この辺で切り上げよう。


「流石に調子に乗りすぎたよ。ごめん。女性の価値は胸じゃ決まらないよ」

「ふーんだ。男はみんなそう言うよね。で、後ろに『でもどっちかと言えば大きい方がいいかなー』とか付け足すんだよ。あたし知ってるんだからね!」

「そんなこと言うわけ……言われたことあるの?」

「うん。5回くらい」


 どうやら世の中の男子は、僕より少しばかり本能に忠実らしい。

 好みは人それぞれだし、小さい方が好きな人もいる……いや、これだとフォローとしては弱いかな。もう少しマシなことを言ってあげられないだろうか。と言っても、僕はそっち方面はあんまり詳しくないんだよな。まだ12歳だし。


「まあ、あたしのことはとりあえずこれくらいにしてさ。次はキミのこと教えてよ!」

「……ああ、うん。だよね。そうなるよね」


 篠宮さんの自己紹介が終わったら、次は僕の番。

 当たり前の流れだ。篠宮さんにしては珍しく、僕と考えが一致してる。


「僕の話は、いいよ」


 だけど、僕には篠宮さんと違って、話せることが何もない。

 僕の境遇は世間から見ればだいぶ変わっているとは思うけど、わざわざ誰かに話すようなことじゃない。僕は別に、不幸自慢をしたいわけじゃないから。どうせなら、もっと楽しい話がしたい。


「それより、僕まだ篠宮さんの話が聞き足りないからさ。もっともっと教えて――」

「あたし、四条君のこと、知りたいな」


 最後まで言わせてもらえなかった。

 今までのキャピキャピした黄色い声よりも、数段トーンを落とした声。語りかけるような、温かい声。

 動揺する。ここにきて、初めて見る篠宮さんの一面に。

 むしろ、初対面なのに、篠宮さんの事を分かったつもりになっていた自分がおかしかったのだろう。圧倒的に差のあるINTに自惚れていたのかもしれない。

 そう思うほど、今の篠宮さんは、さっきまでとまるで別人のように見えた。


「だ、だって、僕の話なんて、面白くもなんともないし……」

「いいよ。それでも。あたしは、四条君のことが知りたいの」

「それは僕だって一緒だよ」

「じゃあ、おあいこでしょ? さっきみたいに。あたしももっと話すから、四条君も話して欲しいな」


 笑顔。

 でもそれは、今まで見たどの笑顔とも違う。

 会話の弾んだ時の楽しそうな笑顔、下ネタでからかう時のにんまりとした笑顔、涙が晴れた時のどこか吹っ切れたような笑顔、自己紹介の時のちょっとぶりっ子な笑顔。そのどれとも違う。

 優しくて、暖かくて、しかしどこか愁いを帯びた、儚い笑顔。


「面白いかどうかじゃないよ。あたしはもう二度と、四条君のあんな顔は見たくないの。だから、教えてほしいんだ。四条君の身体のこと。四条君の過去のこと」


 怖い。

 どうしてだ?

 僕は何に怯えてるんだ?


「僕は、傷ついてないよ」


 絞り出すような声が出た。

 どうすればいいのか、自分がどうしたいのか、分からない。


「四条君が優しいのはもう知ってる。でもそれだけじゃ、あたしは嫌。もっともっと、四条君と仲良くなりたい。そのためには、四条君のこと、もっと知らなきゃいけない」


 僕の心の隙間に入り込もうとする篠宮さんが怖いのか?

 違う。

 僕が知らない篠宮さんがいることが怖い。

 僕が知らない篠宮さんは、僕のことを知ったら、嫌いになるかもしれない。

 ああ、そうか。僕は篠宮さんに嫌われるのが怖いんだ。


「今だってそう。あたしは四条君の手を握ってあげたい。ぎゅって抱きしめてあげたい。でも、どこまでなら四条君に触れていいのか、分からない」


 余計なお世話だなんて、口が裂けても言えない。篠宮さんは僕が優しいって言うけど、篠宮さんだって相当だ。僕なんかより、ずっと。


「必要ないよ。僕は大丈夫だから」

「優しい嘘は素敵だけど、そんな顔してたら、バカな私でも騙されないよ?」


 そんな顔?

 僕は、そんなに酷い表情をしてるのか?


「約束する。四条君から聞いたことは、他の誰にも言わない。言いふらされるの、嫌いなんだよね?」


 ……驚いた。

 篠宮さんの記憶力は、ほとんどないに等しいものだと思ってたから。


「覚えてて、くれたの?」

「うん。バカなあたしにしては頑張った方だよ?」


 冗談混じりな篠原さんの微笑。

 篠宮さんは責任感が強い。でも、それだけじゃなかった。篠宮さんは、自分にも、他人にも正直だ。

 馬鹿はどっちだ。こんなに真摯に考えてくれている篠宮さんを、一瞬でも疑った馬鹿は。

 話さなきゃ。篠原さんのために――


「じゃあ、何が聞きたい?」


 なのに、僕の口から出てきた言葉は、あまりにも弱々しかった。

 何が聞きたいかと尋ねる行為は、『聞きたいことだけ話す、それ以外は話さない』って言ってるのと同じだ。

 この期に及んで何を言ってるんだ、僕は。

 出来るだけ最小限の言葉で済ませようなんて、どうして考えてしまうんだ。

 そんなに怖いか。嫌われるのが……


 ……ああ。そうか。僕は怖いんだ。昔のことを思い出すことが。昔のことを思い出すと、嫌われることの怖さも思い出すから。


「まずは、四条君の名前が知りたいな」


 息が詰まる。

 どうして、そんなピンポイントに。


「あたし、みんなのこといつも名前で呼ぶんだけど、さくらちゃんは四条君の名前、教えてくれなかったんだ。本人に直接聞いて、って言われちゃった」


 名前で呼ぶ?

 そんなの、絶対に嫌だ。僕は、この名前が大嫌いだから。

 でも、応えなきゃ。篠宮さんに。


「……じゃ」

「ごめん、良く聞こえなかった。もう一回、いいかな」

「四条……賢者。それが、僕の名前」

「ありがとう。賢者、いい名前――」


 篠宮さんの声が、僕の名前で穢れる。


「名前で呼ぶな!!」

「っ!?」


 やめろ!

 篠宮さんは何も悪くない。抑えろ。今すぐ謝れ。


「ごめんね」


 ……えっ?


「な……なんで、篠宮さんが謝るのさ」

「喋りたくないことを無理やり喋らせたのは、あたしの方だから」

「篠宮さんは悪くない!」


 考えるより先に口が動いた。

 篠原さんの方が、僕なんかよりずっと優しいじゃないか。


「誰が悪いかなんて関係ないよ。あたしはただ、四条君のことを知りたいだけ。他の人には話せないような、深いところまで」


 どうしてだろう。

 篠宮さんの温かな声が、寂しそうに聞こえる。


「ほんとはもっと上手く出来ればいいんだけどさ。あたしバカだから、そこまで気が回らないんだ」


 篠宮さんの愁いの色がさっきより濃くなっていることに、僕はようやく気づいた。

 笑顔のはずなのに、篠宮さんは、今にも泣き出しそう。


「……順を追って話すよ。ひとつひとつ。少し時間がかかるけど、いいかな」

「うん。ありがとうね」 


 篠宮さんは、僕の為に笑っている。

 自分の気持ちを、その奥にひた隠しにして。

 隠せているつもりなのだろうか。隠しているつもりなんだろう。でも、僕は想像してしまう。どんなに傷口を隠しても、流れる血の量が見えてしまえば、傷の深さは容易に想像できる。僕が篠宮さんに刻みつけた傷の深さは。

 そんな顔してたら、僕は騙せない。


 見えているのに、いや、見えているからこそ、だろう。

 今すぐにでも壊れてしまいそうな作り笑顔は、今までに見せたどんな笑顔よりも、美しく見えた。

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